こんにちは!トルコのエーゲ海沿岸を北上中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
いくつもの有名観光スポットに恵まれたトルコ。
トルコ西部のエーゲ海沿岸〜地中海沿岸にかけては、豊かな歴史を裏付けるような古代遺跡が点在しています。
そんな数ある遺跡の頂点に君臨するのが、世界遺産のエフェソス(エフェス)遺跡(Ephesus/Efes)。
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ギリシャ語名の「エフェソス」がよりポピュラーなことから分かるように、紀元前のヘレニズム(ギリシャ文化)時代の影響が強く感じられる大規模な遺跡です。
保存状態、見ごたえ、歴史的価値…どれをとっても「トルコの遺跡で最も素晴らしい」とされるエフェソス(エフェス)遺跡は、観光前に歴史の流れや各見どころの基礎知識をザックリと把握しておくのが絶対。
その歴史や見どころを知らぬまま、適当に写真だけ撮って観光を終えるのは本当にもったいない!
トルコ的には高めの入場料をどぶに捨てているようなものです。
今回の記事では、エフェソス(エフェス)遺跡観光の際に絶対に知っておきたい歴史や、遺跡内の見どころ、アクセス情報や観光時のアドバイスをなどを徹底解説していきます。
エフェソス(エフェス)遺跡観光は、これでバッチリなはず!
エフェソス(エフェス)の歴史
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トルコにある古代遺跡は、場所によってどの時代・どの王朝のものなのか変わってきますが、現在トルコの大部分で見られるのはローマ帝国時代(紀元前1世紀〜4世紀)のもの。
いっぽうのエフェソス(エフェス)遺跡に残るのは、それ以前のヘレニズム時代のものが多く、他の遺跡よりも前の時代であることが最大の特徴です。
とはいえ、ヘレニズム時代が終焉した後のローマ帝国時代やビザンツ帝国時代にもエフェソスには人が住んでいたため、各時代の遺跡が混在しているのもポイント。
観光前に大まかな歴史の流れを知っておくことはとても大切です。
この項ではエフェソス(エフェス)遺跡の悠久の歴史を、出来るだけ簡潔に解説していきます。
後述する遺跡内の見どころを見学する際に、より理解が深まるはず!
①7000年前~2300年前:エフェソス(エフェス)の始まり
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エフェソス(エフェス)遺跡で人類が生活していた痕跡が認められるのは、およそ7000年前にまで遡ります。
二つの山の麓に広がる、カイストロス川が作り上げた天然の湾は、古くから生活に適した場所として人の営みがありました。
エフェソス(エフェス)が最初にひらけたのは、現在の遺跡の敷地にあたる部分ではなく、セルチュク近郊のアルテーミス神殿周辺において。
紀元前11世紀半ば(3000年前)までには、アルテーミス神殿が聖域として機能していたと考えられています。
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アルテーミス神殿が建設された3000年前当時のエフェソス(エフェス)地域は、ルウィアン王国の領土として発展していました。
「ルウィアン王国」とは、同時期にアナトリア地方中央部を支配していたヒッタイト帝国の属国(世界ではじめて鉄器を製造した民族の国)として細々と存続していた国です。
紀元前8世紀頃(2700年前)になると、この地を植民地化しようとギリシャから海を越えてやってきたイオニア人によって、初めてヘレニズム(ギリシャ風)文化がもたらされることとなります。
ギリシャの都市国家風のアゴラ(公共スペース)などが整備され、現在の遺跡にもその名残を確認することができます。
その後紀元前560年(2500年前)には、アナトリア半島西部を侵攻&支配したリディア王国のクロイソス王によってアルテーミス神殿は一度破壊されてしまいます。
しかしながらクロイソス王は、住民のアルテーミス信仰に理解を示し「新エフェソス」としてアルテーミス神殿の再建を進めました。
紀元前546年(2500年前)には東方の大国・アケメネス朝ペルシア(現在のイラン)に侵略され、その支配下にあった200年ほどの間はギリシャの影響力が停滞。
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紀元前334年(2300年前)にマケドニア王国のアレキサンダー大王(ギリシャ系)がこの地を征服することによって再びギリシャ文化が開花し、ヘレニズム時代の幕開けとなります。
②紀元前334年~紀元前133年:ヘレニズム時代
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マケドニア王国のアレキサンダー大王の死後、エフェソス(エフェス)では町を取り囲む9kmに及ぶ城壁の建設が始まります。
同時期に、町は港に面したロウワータウンと丘の上に位置するアッパータウンに二分され、二つの地区を結ぶクレテス通りが整備されました。
・ロウワータウン:人々の生活の場
→ヘレニズム風の円形大劇場、商用アゴラなどが整備された
・アッパータウン:政治の中心
→政治用アゴラ、プリタネウム(市庁舎) などが整備された
人々の居住エリアはクレテス通り沿いの山の斜面に広がり、現在のテラスハウスと呼ばれる部分にその名残を見ることができます。
ヘレニズム時代は、後のローマ帝国時代に黄金時代を迎えることになるエフェソス(エフェス)の土台となった時代。
人口は増え続け、最大で25万人が暮らした大都市となりました。
③紀元前133年~395年:ローマ帝国時代
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ヘレニズム時代が終焉を迎え、ローマ帝国の支配が始まったのは紀元前133年(2100年前)のこと。
当時エフェソス(エフェス)を領土としていた近郊の都市国家・ペルガモン王国の国王 アッタロス3世が亡くなる際に、すでに西方で強大な力を持っていたローマ帝国にエフェソス(エフェス)を委ねることを遺言に残したことがきっかけです。
エフェソス(エフェス)はローマ帝国の支配下でありながら、特別免税都市として優遇されました。
しかし当初はローマ帝国支配が住民によって受け入れられることはありませんでした。
イオニア海に出るための良港を持ち、ローマ帝国アナトリア地方の州都と指定されていたエフェソス(エフェス)は、ローマ帝国の政治においても重要な町として発展していきます。
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紀元前33年(2050年前)には、共和制ローマの政治家であったマルクス・アントニウスとその妻のエジプト王女・クレオパトラがこの地を訪れ、政敵アウグストゥスに対する反対運動を起こしたほどに重要な町とされていました。
ローマ帝国支配のもと、2世紀ごろ(1900年前)にエフェソス(エフェス)は黄金時代を迎えます。
町には裕福な商人の人口も増え、彼らの寄付によって美しい建物が次々に建設されました。
しかしながら3世紀に入ると、度重なる大地震や東ゴート族の侵入により、町は衰退の一途に。
エフェソス(エフェス)の始まりの地とも言えるアルテーミス神殿は焼き討ちに遭って崩壊し、大地震によって破壊された町が完全に復興を遂げるのは、およそ200年後の5世紀に入ってからとなります。
④395年~1304年:ビザンツ帝国時代
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395年、ローマ帝国が東西分裂し、東側のビザンツ帝国領となったエフェソス(エフェス)。
当時は、地震によって崩壊した建物の再建が進められ、徐々に復興がなされた時代。
キリスト教が正式に認められたこともあり、「キリスト教国家の町」としての性格が強まります。
ビザンツ帝国支配下で一度は復興を遂げたかのように見えたエフェソスですが、徐々に衰退への道を歩むこととなります。
7世紀に入ると、南方で力を強めていたアラブ人による攻撃にたびたび悩まされるようになり、890年にはこのエリアの政治的・軍事的重要性はスミルナ(現在のイズミル)に移され、エフェソスの扱いは「ビザンツ帝国領のいち地方都市」に。
その後14世紀までは、住民たちが細々と生活を送る町としていちおう存続が続きます。
⑤14世紀〜現代:忘れ去られた都市と発掘作業
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12世紀~14世紀にかけてのエフェソスは、キリスト教を主軸とするビザンツ帝国が弱体化し、東方や南方からやって来たイスラム王朝の脅威を受けることに。
1304年にはとうとう、中央アジアからやってきた遊牧民王朝のセルジューク朝の支配下に入り、その後15世紀にはオスマン帝国領となります。
イスラム教を主軸とするオスマン帝国の支配下で、エフェソスの町は完全な廃墟となり土に埋もれ、いつしか人々から忘れ去られた存在となりました。
17世紀に書かれた旅行記には、すでにその存在が記されていたエフェソス(エフェス)遺跡ですが、本格的な発掘作業が始まったのは1863年になってからのこと。
20世紀に入ると、現在のエフェソス(エフェス)遺跡の敷地外に位置するアルテーミス神殿や聖ヨハネ教会などが発見され、かつての古代都市の姿が徐々に解明されることとなります。
2015年にはその計り知れない歴史的価値が評価され、世界遺産に指定されたエフェソス(エフェス)遺跡。
現在でも80%にも及ぶエリアで未発掘の状態であり、発掘作業が日々続けられています。
今後さらに大きな発見がなされ、私たち観光客が楽しめるようになる日も遠くないのかもしれません!
エフェソス(エフェス)遺跡の見どころ
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エフェソス遺跡の敷地は広大ではあるものの、立ち入り可能なエリアは意外に限られており、見どころがギュッと詰まっている印象です。
遺跡内を大きく分けると、以下の3つのエリアとなります。
ここからがこの記事の本番。3つのエリア別にエフェソス(エフェス)遺跡の主な見どころを紹介していきます!
エフェソス(エフェス)遺跡観光地図
灰色:入場ゲート
青:アッパータウンの見どころ
赤:クレテス通り沿いの見どころ
緑:ロウワータウンの見どころ
アッパータウンの見どころ
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ヘレニズム時代にエフェソスの政治の中心として発展したのが、南側に位置するアッパータウン。
政治用アゴラを中心に点在する遺跡の数々に、2000年以上前の古代都市の痕跡を感じることができます。
1.政治用アゴラ
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エフェソス(エフェス)遺跡の南入口を入ってすぐの所に広がるのが、かつての町の政治の中心であった政治用アゴラ。【マップ 青①】
元々はヘレニズム時代の紀元前1世紀に整備された場所ですが、後のローマ皇帝アウグストゥスの統治時代(紀元前27年~14年)には、町の政治の中心としての役割を担う多目的スペースとして機能するようになりました。
2.水の宮殿
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80年建造の噴水は、ローマ風建築の傑作のひとつ。
「水の宮殿」と呼ばれたほどに美しいだったものだそうです。 【マップ 青②】
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多くの石像が設置されていた豪華な造りだったものの、現在残るのはその土台部分のみとなっています。
3.城壁沿いの噴水
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政治用アゴラの西側には、ヘレニズム時代に建設された城壁の一部が残っています。 【マップ 青③】
後のローマ時代にこの城壁の一部に水を引いて、噴水へと改築したものがこちら。
水道橋を使って引いた水を町に供給する役割を持っていたと考えられています。
4.政治用アゴラの公共浴場
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ヘレニズム時代のジムナジウム(運動用の施設)を、のちのローマ帝国時代にローマ風の公共浴場へと改装したものが、政治用アゴラの東側に残っています。 【マップ 青④】
温かいお風呂はもちろんのこと、運動用のジムのようなエリアや瞑想用のスペースなどもあったよう。「古代の健康ランド」といったところでしょうか。
5.ブルテリオン
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ローマ帝国時代の評議会が会議する場所として使用したのが、政治用アゴラ東側にあるブルテリオン(Bouleuterion)。 【マップ 青⑤】
小さな円形劇場のような造りで、政治的会議はもちろん音楽会などのイベント会場としても利用されていました。
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もともとは屋根がついていたのですが、現在残るのは客席とステージ部分の一部のみとなっています。
6.プリタネウム
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ブルテリオンのすぐ隣に位置するのが、「古代の市役所」のような行政機関であったプリタネウム(Prytaneum)。 【マップ 青⑥】
エフェソス遺跡を紹介するパンフレット等にもよく使われる場所なので、見たことがある人もいるかもしれません。
ヘレニズム時代にはエフェソスの政治の中枢だった場所ですが、25万人が住んだ町の規模の割にこじんまりとしたスペースです。
7.メミウスのモニュメント
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紀元前50年~紀元前30年の間に造られたと考えられているメミウスのモニュメントも見逃せません。 【マップ 青⑦】
かつてエフェソスを支配したローマ帝国の独裁官スラ(Sulla)とその孫にあたるメミウス(Memmius)に捧げられたものです。
8.ドミティアヌスの噴水
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ローマ帝国時代の93年建造のドミティアヌスの噴水は、当時の美しいアーチが残るもの。 【マップ 青⑧】
政治用アゴラの北側、ドミティヌス神殿の向かいに建てられ、この地に自身の墓を築いた同名のローマ皇帝に捧げられたものです。
9.ドミティアヌス宮殿
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96年に没したローマ皇帝・ドミティアヌスが、生前に自身の墓として建設させた場所がドミティアヌス神殿。 【マップ 青⑨】
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かなり巨大な建造物で、何本もの大理石の柱が圧巻の造りだったよう。
当時のローマ帝国の影響力の強さが思い知れます。
現在残る大理石の柱はたった二本のみ。
かつてはこの二本の柱の間にドミティアヌス帝の像があったそうです。
10.勝利の女神・ニケのレリーフ 必見!
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ドミティアヌス宮殿からクレテス通りへと続く道沿いにさりげなくあるのが、勝利の女神・ニケが描かれたレリーフ。 【マップ 青⑩】
後述するヘラクレスの門の上部に設置されていたものではないかと考えられています。
ご存じの靴やカバンのブランド・NIKE(ナイキ。「ニケ」の英語読み)は、この女神の斜めの姿勢にインスピレーションを受けてあの有名なロゴを作成したと囁かれていますが、真偽のほどは定かではありません。
クレテス通り周辺の見どころ
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アッパータウンとロウワータウンをつなぐクレテス通り(The Curetes Street)は、エフェソス(エフェス)遺跡観光のハイライトの一つとなるエリア。
大理石が敷き詰められた緩やかな坂道は、あのクレオパトラも歩いた道。
通り沿いに点在する見どころをチェックしながら、当時の市民の生活の中心であったロウワータウンへと歩いて行きましょう!
1.ヘラクレスの門
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クレテス通りのアッパータウン側の入口となるのが、ヘラクレスの門。 【マップ 赤①】
かつては門の上部には勝利の女神・ニケのレリーフが飾られていたそうですが、現在残るのは土台部分の二本の柱のみです。
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ギリシャ神話のヘラクレスが描かれたこれらの二つの柱は、クレテス通りに馬車などが入れないようにするための車止めの役割を果たしていました。
2.トラヤヌス帝の噴水 必見!
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有名なローマ皇帝のトラヤヌス(98年~117年)の名を関したトラヤヌス帝の噴水は、9.5mの二層構造の美しい外観が特徴的。 【マップ 赤②】
かつては中央部にトラヤヌス帝の像が設置されていたのですが、現在残るのはその足元にあった球体状の土台のみとなっています。
3.テラスハウス 必見!
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かつてのクレテス通り沿いの斜面は、市民たちの住居が連なる居住エリアでした。
その痕跡が見られるのが、テラスハウスと呼ばれる部分。 【マップ 赤③】
その名の通り、斜面の段差をうまく利用して建設された住居の土台部分がテラスのように見えることからこの名が付きました。
紀元前1世紀頃の住居跡で、比較的裕福な層の住民たちが居住していたと考えられています。
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テラスハウス前の地面には精巧なモザイク画が残っており、当時のエフェソス(エフェス)が文化的にどれだけ豊かだったかイメージできるはず。
テラスハウスはいくつかのエリアに分かれており、その一つの「テラスハウス2」と呼ばれるエリアへの入場は30TL(=¥547)の別料金がかかります。
4.ヴァリウス浴場 必見!
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クレテス通りの北側、テラスハウスの正面にある巨大な遺跡が、ヴァリウス浴場の跡。 【マップ 赤④】
2世紀の建造で、ローマ帝国風の優雅な装飾がなされた巨大な公共浴場だったそうです。
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ヴァリウス浴場のテラス部分は、エフェソス(エフェス)遺跡観光のハイライトであるケルスス図書館を眺める絶好のポイント。
ヴァリウス浴場にはなぜか観光客の数が少ないので、絶景をゆっくり楽しめるのも◎
「これぞ古代都市!」といった風景には感動すること間違いありません!
5.ハドリアヌス神殿 必見!
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2世紀建造のハドリアヌス神殿は、有名なローマ皇帝ハドリアヌスを讃えて建設されたもの。 【マップ 赤⑤】
エフェソス(エフェス)遺跡のシンボルの一つである美しい建物で、正面のレリーフや内部の装飾も素晴らしい保存状態で残されています。
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ハドリアヌス帝の没後には、ディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝など、ローマ帝国の名だたる皇帝たちの像が設置された場所だったそう。
歴代の皇帝たちによって重要視されていた場所であったことが分かります。
6.ラトリナ
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古代の公衆トイレ・ラトリナは、クレテス通りの北端、ヴァリウス浴場の隣に位置しています。 【マップ 赤⑥】
エフェソスのラトリナは、上下水道のいずれも完備されており、無料で使用することができたそう。
(現在のトルコではトイレ使用にお金がかかるのは何という皮肉…)
その内部は、仕切りなどは全くありません。
隣の人が用を足しているのが丸見えの状態です ▼
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古代の人はそんなことを気にしていなかったのでしょうか…
現在とは異なる意識の元で生活していたのかもしれませんね。
7.オクタゴン
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クレテス通りがケルスス図書館に至る直前にあるのが、オクタゴンと呼ばれる遺跡。 【マップ 赤⑦】
元々は八角柱型の霊廟で、コリント様式の柱に囲まれた美しい建造物だったそうですが、現在残るのはその土台部分のみとなっています ▼
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霊廟の中で眠っていたのは、クレオパトラの妹・アルシノエ4世だったと考えられています。
マルクス・アントニウスとクレオパトラ夫妻に同行してエフェソスにやってきたアルシノエ4世でしたが、この場所で何者かによって暗殺されてしまったと言われています。
ロウワータウンの見どころ
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ヘレニズム時代から人々の生活の中心の場であったロウワータウン。
エフェス観光のハイライトとなるケルスス図書館や、大規模な円形競技場など、見ごたえたっぷりの遺跡が点在しています。
1.ケルスス図書館 必見!
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疑う余地もなく、エフェソス(エフェス)遺跡観光のハイライトとなるのがケルスス図書館。 【マップ 緑①】
完璧な保存状態のファサードを持つ古代の図書館の遺跡は、エフェソスを取り上げた観光ポスター等で必ず見かけるほどに世界中で有名なものです。
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ケルスス図書館はローマ帝国時代の117年に、ティベリウス・ユリウス・アクイラ(Tiberius Julius Aquilla)によって建設されたもの。
12000以上の巻物を保管していた、古代世界で最も規模の大きい図書館の一つでした。
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正面ファサードの細かな装飾は素晴らしいのひとこと。
知恵(ソフィア)、知識(エピステーメー)、知性(エノイア)、美徳(アレテー)をつかさどる四体の女神像が設置されいることでも有名です。
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図書館の内部はかなり小さな空間で質素な印象。
当時の豪華絢爛な様子をイメージするのは難しいかもしれません。
いっぽうで、床に敷き詰められた大理石や、壁に造られた巻物を保管しておくための窪みなどに、2000年近く前の図書館の名残を感じることができます。
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ケルスス図書館見学時に是非注目してほしいのが、正面のファサードの真下から眺めた天井の装飾の精密さ ▼
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およそ2000年前に、ここまで美しい装飾をする技術があったことに驚かされます。
2.ハドリアヌス帝の門
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ギリシャの首都・アテネにある同名の門のミニチュア版として117年に建設されたのが、ハドリアヌス帝の門です。 【マップ 緑②】
二層構造の豪華な装飾が施された門で、大理石の柱によって三つの入口に分けられていたのですが、現在は中央上部の装飾は残っていません。
3.アゴラ南門 必見!
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ケルスス図書館と商用アゴラを隔てるアゴラ南門は、紀元前2世紀のヘレニズム時代に建設されたもの。 【マップ 緑③】
すぐそばのケルスス図書館の影に隠れてあまり注目されないものの、この門の装飾もとても素晴らしいです。
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この門から現在は残っていない北門にかけては、商用アゴラの中庭部分を取り囲むように二階建てのホールが建っていたのだそうです。
4.商用アゴラ
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ロウワータウンは、エフェソス(エフェス)の市民生活の中心であったエリア。
その象徴が商用アゴラです。 【マップ 緑④】
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ヘレニズム時代初期の紀元前3世紀ごろにはすでに整備されていたと考えられており、かつては広大な中庭が建物に取り囲まれていたそう。
建物内部にはオフィスなどの商業施設をはじめ、裁判所まで設置されていたそうです。
5.大劇場 必見!
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ケルスス図書館から北に延びる大理石通りを歩いていくと、大劇場へと到着します。 【マップ 緑⑤】
紀元前3世紀~1世紀のヘレニズム時代に建設されたものを土台に、ローマ帝国時代のドミティアヌス帝~トラヤヌス帝統治時代(81年~117年)に改装されたもの。
演劇やオペラなどが開催され、エフェソスの市民たちの芸術・娯楽の中心として機能していました。
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7世紀のビザンツ帝国時代に、大劇場は町を取り囲む城壁の一部に組み込まれ、その娯楽施設としての重要性が失われてしまいます。
6.アルカディアネ&エフェソス港
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全長500m、幅11mの真っすぐに伸びる道が、エフェソス(エフェス)の繁栄に重要な役割を果たしたアルカディアネと呼ばれるもの。 【マップ 緑⑥】
大劇場とエフェソス港を結んでいた通りで、海からやってくる人や物の通り道となった場所です。
エフェソス(エフェス)の港自体は、紀元前2世紀にベルガモン王国のアッタロス2世統治時代にひらかれたもの。
この港が運河によって海と直接つながれたのは、およそ400年後の3世紀に入ってからのことでした。
大地震によって大きな被害を受けた港とアルカディアネですが、ビザンツ帝国皇帝のアルカディウス統治時代に再建されたため、彼の名を冠して「アルカディアネ」と呼ばれます。
7.聖マリア教会
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ロウワータウンのはずれにぽつりと建つのが、もともとあった精霊信仰用の聖堂をキリスト教の教会に改装した聖マリア教会。 【マップ 緑⑦】
ビザンツ帝国時代の431年に、この地域の司教たちの教会として開かれたものです。
当初はエフェソスの繁栄とともに賑わっていた聖マリア教会でしたが、のちに司教たちが近郊のヨハネ聖堂(現在のセルチュクにあるもの)へと移ったことにより重要性が失われ、廃墟と化してしまいました。
エフェソス(エフェス)遺跡観光の基本情報【料金/観光所要時間/計画のコツ】
エフェソス(エフェス)遺跡はそこまで大きな規模の遺跡ではないものの、その歴史的価値は計り知れないものがあります。
ここでは、エフェソス(エフェス)遺跡観光に必要な基本情報や、上手なまわり方を解説していきます。
エフェソス(エフェス)遺跡の営業時間・入場料・チケット種類
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エフェソス(エフェス)遺跡の営業時間
エフェソス(エフェス)遺跡の入場料&チケット種類
エフェソス(エフェス)遺跡の入場料は、72TL(=¥1312)とかなり高額です。
歴史的価値を考えると仕方のないことかもしれませんが、それでもちょと高すぎる感じは否めません。
エフェソス(エフェス)遺跡と敷地内のテラスハウス2の入場料がセットになったコンビネーションチケット(160TL=¥1342)の販売もあり、別々で買うよりもほんの少しだけお得になります。
このテラスハウス2に関してですが、個人的にはわざわざ別料金を払ってまで見なくてもいいのではないかと思います。
モザイク画の保存状態などはテラスハウス1(見学自由)よりもかなり良く、かつての住居跡により近づいて見学することができるのは魅力的ですが、そこまで興味がない人にとっては無料のテラスハウス1の見学で十分かもしれません。
トルコには地域ごとに、エリア内のミュージアムや遺跡等への入場が期間内自由になる「ミュージアム・パス(トルコ語:ミュゼ・カルト)」と呼ばれるお得なチケットがあります。
エフェソスをの入場を含むのは“Museum Pass The Aegean”というもの。
・料金:360TL(=¥3021)
・有効期間:7日間
【入場可能施設の例】
・エフェソス(エフェス)遺跡
・テラスハウス2
・エフェス博物館
・聖ヨハネ聖堂
・ヒエラポリス・パムッカレ
・ベルガモン古代都市
・アフロディシアス遺跡
7日間という期間限定ではあるものの、このエリアの複数の遺跡やミュージアムを訪れる予定の人にはピッタリです!
エフェソス(エフェス)遺跡観光の所要時間
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エフェソス(エフェス)遺跡の観光には、最低でも2時間は見ておきましょう。
もちろん、ただ写真を撮りながら有名な遺跡だけをさっと見ていくなら1時間ほどでまわれてしまいます。
しかし、それではわざわざここまで来て、高めの入場料を払う意味がないと思います。
・今回の記事で紹介している見どころをサクッとまわる:2時間
・じっくりと説明書きを読みながら細かい装飾などを鑑賞しつつまわる:3時間~4時間
逆に言えば、エフェソス(エフェス)遺跡観光の所要時間は、どんなに長くても4時間ほど。
古代遺跡の専門家でもない限りは半日以上かかることはまずないでしょう。
エフェソス観光は日帰りor宿泊どちらがおすすめ?
エフェソス観光をプランニングする旅行者の多くが迷う点が、日帰りか宿泊かだと思います。
先述の通り、エフェソス遺跡観光に必要な時間は最大でも4時間。
半日もかからないので、他の見どころとセットで観光することも十分に可能です。
①エフェソス周辺の観光スポットを制覇:アルテーミス神殿/シリンジェ村/七人の聖者の洞窟etc…
②他都市へ移動:パムッカレ / イズミル / ボドルム etc…
①エフェソス周辺の観光スポットを制覇する場合:セルチュクに宿泊
「エフェソス」というと遺跡の敷地内ばかりが注目されがちですが、実は遺跡の周辺にも見どころが点在しています。
・エフェソスの始まりの地とも言えるアルテーミス神殿
・オスマン帝国調の民家が連なるシリンジェ村
・ビザンツ帝国時代の聖堂や城塞が残るセルチュク
などなど。
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このエリアの滞在拠点としても便利なのがセルチュクの町。
トルコの地方都市らしい素朴な雰囲気が残っているので、数日滞在してみるのも良いかもしれません。
②エフェソス観光後に他都市へ移動する場合
エフェソス観光後に周辺の見どころに立ち寄ることなく、他都市や他の観光地に移動するプランも十分に可能です。
・イズミル
・パムッカレ・ヒエラポリス
・ボドルム
このエリアの移動情報の詳細は「セルチュク~他都市間の移動」の項へどうぞ!
エフェソス(エフェス)への行き方・他都市への移動
セルチュク~エフェソス(エフェス)遺跡への行き方
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エフェソス(エフェス)遺跡は、トルコ南西部のセルチュク(Selçuk)という町の南西3kmほどの場所に位置しています。
セルチュクからエフェソス(エフェス)遺跡までは、平坦な道を徒歩30分ほど。
体力がある人は普通に歩ける距離です。
少しでも時間を無駄にしたくない人は、セルチュクのオトガル(バスターミナル)から出ているエフェソス(エフェス)遺跡行きのドルムシュ(ミニバス)を利用するのが便利。
20分に1本(冬場は30分に1本)の運行なので、とても利用しやすいです。
セルチュクのオトガルを出発したミニバスは、エフェソス(エフェス)遺跡の北ゲート(ロウワータウン側)への到着。
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エフェソス→セルチュク方面のバスも同じ場所からの出発となるので、帰りもバスを利用するなら覚えておきましょう。
セルチュク~他都市間の移動
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青:鉄道 / オレンジ:バス
セルチュクにはバス以外に鉄道駅があるのもポイント。
・トルコ第三の都市・イズミル
・パムッカレ観光の拠点・デニズリ
など、この地域の大都市や観光スポット間を結ぶ鉄道路線なので、移動にはとても便利です!
イズミル~セルチュク間のアクセス
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トルコ第三の都市・イズミル(İzmir)~セルチュク間の移動には、鉄道利用が確実に便利です。
セルチュクでは、オトガル(バスターミナル)と鉄道駅の両方が中心部にあるものの、イズミルのオトガルは中心街から離れており、アクセスが面倒(地下鉄とトラムの乗り換えが必要)なためです。
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セルチュク方面への鉄道が発着するイズミルのバスマネ駅(Basmane Garı)は市内中心部に位置しており、イズミルの観光エリアからは十分に徒歩圏内 ▼
バスマネ駅~セルチュク駅間は、1日7本の列車が走っています。
イズミル発セルチュク方面の鉄道は全て、イズミル空港を経由します。
他都市から飛行機でイズミルに入り、そのままセルチュク方面に向かう場合も、鉄道の利用が便利&最安の移動手段となります。
デニズリ(パムッカレ入口)~セルチュク間のアクセス
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パムッカレ観光の玄関口となるデニズリ(Denizli)~セルチュク間は鉄道・バスで結ばれていて便利です。
実は、イズミルを出発した列車は全て、セルチュクを経由してデニズリへと向かうもの。
デニズリの鉄道駅とバスターミナルはいずれも中心街にあって隣接しているため、デニズリ到着後にパムッカレへ移動するにも便利。
のぶよ的には料金が安い鉄道の利用をおすすめします。
エフェソス(エフェス)遺跡観光の6つのアドバイス・注意点
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トルコ観光のハイライトの一つであるエフェソス(エフェス)遺跡は、季節を問わず多くの観光客で賑わう場所。
せっかく行くなら古代遺跡の浪漫を100%満喫したいものですが、しっかりとプランニング&準備しておかないと後悔することになってしまうかも…
ここからは、エフェソス(エフェス)遺跡観光をより楽しむための6つのアドバイスや注意点を解説していきます。
①エフェソス観光におすすめの時間帯:ランチ時か夕方
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トルコの他の有名観光地と同様に、観光客に大人気のエフェソス(エフェス)遺跡。
特に団体観光客の数は半端ではありません。
そこら中で写真を撮りまくり、古代遺跡の浪漫など吹き飛ばして嵐のように去っていく彼ら…個人旅行者の大敵だと思っています。
エフェソス(エフェス)遺跡の魅力を満喫できるかどうかは、この団体観光客にあたるかどうかに大きくかかっています。
多くの団体観光客が、エフェソス(エフェス)遺跡とパムッカレを一日でまわる行程が定番。
ほとんどのツアーでは午前中にエフェソスを訪れ、ランチ休憩の後にパムッカレへと向かうのです。
なので、団体観光客を避けるなら午後遅めの時間がおすすめ。
午前中に関しては、朝10時ごろにはすでに大型バスに乗った団体が続々と到着していました。
午後遅め以外にも穴場となる時間帯が、12時半〜1時半の間。
ほとんどのツアー客はランチ休憩となり、一時的に人の数がぐっと減るためです。
②飲食物を持参する
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エフェソス(エフェス)遺跡観光時には、飲食物を必ず持参するようにしましょう。
というのも、遺跡内部はもちろん、入口付近の飲食店や商店はただのぼったくり価格でしかないため。
エフェソス(エフェス)遺跡へのアクセス拠点となるセルチュクのオトガル(バスターミナル)付近にはスーパーマーケットがあり、商品はトルコの一般的な価格設定。
エフェソス行きのミニバスに乗る前に食料の調達が可能です。
③遺跡では何も買わない
飲食物はもちろんのこと、エフェソスではお土産類もかなりのぼったくり価格。
エフェソスに二か所ある入場ゲート付近には、古代のコイン(たぶん偽物)を売りつけてくるような人や自称「日本好きガイド」など、胡散臭~い人たちがうろうろしています。
アンティーク商品などの国外持ち出しが厳しく規制されているトルコ。
例え偽物のコインであろうと、いらぬトラブルを招く元となりかねません。
また、自称ガイドは「日本人が好きだから無料で遺跡を案内してあげる!」など言ってきますが(日本語話せる場合も)、この資本主義の世界においてそんな美味しい話はありません。
後でちゃっかりガイド料を請求されます。
④エフェソスの敷地内にトイレは1ヶ所のみ
比較的規模が大きいエフェソス(エフェス)遺跡ですが、なんと敷地内にトイレは1ヶ所しかありません。
その1ヶ所のみのトイレがあるのは、北ゲートを入場したあたり。
遠く離れた南ゲート側でトイレに行きたくなったら大変なことになります。
北ゲートから入場する際には必ずトイレを済ませ、観光中に行かなくても良いように備えておきましょう。
⑤夏場は日差し対策が必須
エフェソス遺跡は、遺跡の建物自体も地面もすべて、真っ白な大理石。
日差しを遮る木陰などもほとんどないため、灼熱の夏場は恐ろしいことになります。
夏場にエフェソス(エフェス)遺跡観光をする場合は、帽子やサングラスなどの日差し対策が必須となります。
⑥セルチュクに宿泊もおすすめ!
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エフェソス観光は多くの人が日帰りで済ませるのが定番ですが、のぶよ的には拠点となるセルチュクの町に1泊はしていくのがおすすめ。
セルチュクは、世界遺産の古代遺跡の玄関口とは思えないようなローカル感が魅力的な小都市。
旅行者に必要なものは一通り揃っていますし、リーズナブルな価格のレストランも多く点在しています。
エフェソス関連の見どころ(アルテーミス神殿/考古学博物館etc)もありますが、一日ですべてまわるのは無理。
エフェソス観光を100%満喫したい人はのんびりと滞在&観光するのが良いでしょう。
【セルチュクの宿をすべて見る!】
トルコの他観光地と組み合わせて効率良くエフェソスを観光するなら、現地ツアーの参加もおすすめ。
ガイドが付いているので、各スポットの歴史をより深く知ることができるのは大きな魅力です。
エフェソス遺跡の現地ツアーに関しては、近郊のシリンジェ村や聖母マリアの家などにセットで訪れるものも多く、1日で周辺の観光スポットを見学できるのが特徴です。
・イスタンブールから2泊3日で!古代遺跡エフェソスと世界遺産パムッカレ&地中海リゾート・クシャダス 3日間<国内航空券込/日本語ガイド/食事付/イスタンブール発>
・トルコ感動旅!イスタンブール、カッパドキア、エフェソス、パムッカレ 6泊7日<イスタンブール発着>
おわりに
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世界遺産のエフェソス(エフェス)遺跡の歴史や見どころ、アクセスや観光時のアドバイスまでを細か~く解説してきました。
トルコ観光のハイライトの一つとなるスポットで、悠久の歴史にどっぷりとひたる一日に役立ててもらえれば嬉しいです!
個人でのアクセスも簡単で、周辺の観光スポットとも組み合わせて観光しやすいのも◎
日程・都合に合わせたプランニングで訪れてみてはいかがでしょうか。
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