こんにちは!ポルトガルから日本へ陸路で旅する世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
これまで8か月間、東欧、バルカン諸国11ヵ国を亀のようなペースで旅してきました。
間もなくヨーロッパを抜けることになるので、一つの区切りとして、これまでに行った中で良かった場所をシェアしていくこの企画。
今回は、「共産主義感漂う町並み編」です。
「東ヨーロッパ」や「バルカン半島」と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのが、90年代まで続いた共産主義・社会主義時代ではないでしょうか。
実際に多くの国がソ連やユーゴスラビア連邦に属していたこの地域。
独立を保っていたルーマニアやブルガリア、アルバニアでさえ、共産主義政権による独裁政治が長く続きました。
そのため、30年ほど経った現在でも、共産主義時代の無機質で巨大な建物が残っている町も多く、人々の生活スタイルにもどことなく共産主義時代の名残が感じられることも。
少しマニアックなテーマですが、のぶよのように旧共産圏独特の雰囲気か嫌いではない人も少なくないはず。
というわけで、8ヶ月間の東欧・バルカン諸国旅で滞在した町の中で、数十年前にタイムスリップしたような共産主義臭が漂う町10か所をピックアップしてみました。
各スポットを実際に訪れた際の記事へのリンクを貼っているので、気になった場所は要チェックです!
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町1:ブカレスト / ルーマニア
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町2:キシナウ / モルドバ
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町3:ティラスポリ / 沿ドニエストル共和国
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町4:キエフ / ウクライナ
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町5:ベオグラード / セルビア
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町6:ポドゴリツァ / モンテネグロ
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町7:ティラナ / アルバニア
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町8:ミトロヴィツァ / コソボ
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町9:スコピエ / 北マケドニア
- 東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町10:プリピャチ / ウクライナ
- おわりに
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町1:ブカレスト / ルーマニア
「東欧の共産主義の国」と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、ルーマニアではないでしょうか。
独裁者・チャウシェスク大統領による恐怖政治が敷かれ、国民生活が大幅に制限されたルーマニア。
「血で血を洗う」と言われるほど壮絶だったルーマニア革命など、ルーマニアの近代史は激動に次ぐ激動でした。
その首都・ブカレストは、共産主義感がそのままに残る巨大な都市です。
ブカレストを象徴する国民の館は、独裁者・チャウシェスクが自身の権力を誇示するために建設したもの。
その巨大さは常識では考えられないほどのものです。
真四角で無機質な建物が連なるメインストリートや、どことなく共産主義風な広告スタイルなど、至る所でこの国が経験した歴史が感じられます。
その一方で、ブカレスト旧市街は「バルカンの小パリ」と称されることもあるそうで、バロック調の建物が並ぶ優雅で美しい町並みが魅力的です。
新市街の共産主義感との強烈すぎるコントラストも、ブカレストという町の魅力の一つかもしれません。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町2:キシナウ / モルドバ
東欧の小国・モルドバは、旧ソ連を構成していた国の一つ。
その首都・キシナウには、まるで30年前の旧ソ連時代にタイムスリップしてしまったかのような、もろ共産主義な町並みが広がっています。
現在でも政府機関として使用されている巨大な建物の数々は、もはやソ連でしかありません。
観光的な見どころには乏しいものの、その独特すぎる雰囲気がすでに大きな魅力であるキシナウ。
国内交通の拠点であり、物価も格安で、妙な居心地の良さがある不思議な魅力を持った町です。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町3:ティラスポリ / 沿ドニエストル共和国
おそらく、ヨーロッパで最もソ連感漂う町であろう、モルドバ内にある未承認国家・沿ドニエストル共和国の「首都」・ティラスポリ。
何というか、町全体に漂う場末感が半端ないんです。
だだっぴろい町には人はまばらで、これまただだっ広い道路には車もまばら。
もちろん建物は旧ソ連そのもので、お世辞にも美しい町並みではありません。
モルドバからの分離独立、およびロシアへの編入を求めている沿ドニエストル共和国。
訪問前は正直きな臭さしか感じなかったものの、実際に訪れてみると超安全。
何の問題もなく「出入国」できました。
特に、ティラスポリで出会った人々の素朴な笑顔はとても印象的。
「旧ソ連」のイメージとはかけ離れた温かで優しい人々が、この町の一番の魅力かもしれません。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町4:キエフ / ウクライナ
ウクライナの首都・キエフは、1000年以上前のキエフ・ルーシに起源を持つ歴史ある町。
「東欧」という言葉がぴったりな正教会の寺院や聖堂が点在しており、経済・文化の中心として発展しています。
長い歴史を感じさせる建物が多く残っている一方で、ソ連時代に経験した社会主義の影響も色濃く残っています。
キエフ市内を走る地下鉄は、ソ連時代に核シェルターとして造られたもの。
そのためものすごく地下深くにあり、その深さはなんと世界一だそうです。
初めて利用したときは、「いったいどこまで下っていくの…?」と不安になってしまったほどでした。
冬は極寒となるキエフでは地下街が発達しているのも特徴的。
モダンに改装された部分もありますが、ほとんどのエリアではソ連時代に戻ったかのような独特な雰囲気が漂っています。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町5:ベオグラード / セルビア
旧ユーゴスラビアの中心的存在であったセルビアの首都・ベオグラード。
共産主義感漂う建物と、オーストリア=ハンガリー調の美しい町並みが融合した、独特の雰囲気を持つバルカン半島最大の都市です。
ベオグラードと言えば、記憶に新しいNATO軍によるベオグラード空爆が思い浮かびます。
コソボの独立を認めずに、民族浄化を行おうとしたセルビアに対する報復として行われた空爆の被害を受けた建物は、現在でも当時の状態で残っています。
セルビアは、コソボの独立を支持したEUやアメリカ、NATOに一貫して反対の姿勢を貫く国。
ユーゴスラビア時代の共産主義の名残を至る所で感じることができる、独特な雰囲気が特徴です。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町6:ポドゴリツァ / モンテネグロ
「ヨーロッパで最も醜い首都」という不名誉すぎる称号を持つ、モンテネグロの首都・ポドゴリツァ。
実際に訪れてみましたが、その言葉に偽りはありません。
どうしようもなく醜いです(笑)
観光スポットはほぼ存在せず、悲しくなるほどに退廃的な町並みが広がるポドゴリツァですが、意外なことに居心地は抜群。
のぶよ、この町に10日間も居ましたから(笑)
アドリア海沿岸の観光地化された町に比べて物価は安めで、観光客の姿もほとんどありません。
多くの旅行者にスキップされてしまうポドゴリツァ。
一体どれだけ醜いのか、あなた自身の目で確かめてみては?
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町7:ティラナ / アルバニア
ソ連やユーゴスラビアには属していなかったものの、独自の共産主義体制が敷かれたアルバニア。
宗教の廃止、鎖国、ねずみ講による経済破綻など、その近代史は激動の歴史でした。
現在でこそ、その豊富な観光資源を売りだそうとしており、「ヨーロッパ最後の秘境」というキャッチフレーズによってか少しずつ外国人観光客も増えてきています。
しかしながら、首都のティラナではもはや共産主義感しか感じられません。
周辺の旧ユーゴスラビア諸国とは雰囲気が異なるものの、だだっ広い広場や巨大な建物は健在です。
ティラナが面白いのは、共産主義時代の建物を負の遺産と捉えずに、アートとして昇華している点。
共産主義時代の無機質な建物はカラフルでポップに塗り替えられ、共産党政権が核戦争に備えて作りまくったバンカーは、アートギャラリー等に改装されています。
歩いていると色々な発見があるティラナ。
近代アルバニアを象徴するような独自の歴史を感じることができる町です。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町8:ミトロヴィツァ / コソボ
ヨーロッパで最も若い国・コソボ北部に位置するミトロヴィツァは、「分断の町」と呼ばれます。
というのも、市内中央を流れる川によって、南にアルバニア人、北にセルビア人と完全に住み分けがされているため。
かなり複雑な歴史を持つミトロヴィツァですが、このように分断されてしまったのはコソボ紛争が原因です。
現在でもコソボ治安維持部隊(KFOR)によって、南北ミトロヴィツァを繋ぐ橋は警備されています。
アルバニア人居住地である南側は、モスクから大音量のコーランが流れ、訳の分からない露店の暇そうな若者が話しかけてくる安定のコソボ感。
しかしながら、セルビア人居住地である北側は、セルビア本国以上にセルビアが感じられます。
溢れ返るキリル文字の看板に、退廃的な雰囲気。
真四角の建物が連なるストリートには、セルビア称賛な落書きの数々。
イスラム教徒であるアルバニア人がほとんどのコソボにおいて、かなり異質な町と言えるでしょう。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町9:スコピエ / 北マケドニア
旧ユーゴスラビア連邦構成共和国の中でも、最も発展が遅れたお荷物的存在だったマケドニア(現在は北マケドニアに改名)。
色々と可哀想すぎる歴史をもつこの国の首都・スコピエは、周辺国の共産主義感漂う首都とは一線を画しています。
スコピエは1963年の大地震によって壊滅的被害を受けた町。
その復興の過程で、なぜか西ヨーロッパ諸国の有名建造物を模した巨大なハコモノを作りまくり、マケドニア人としての誇りをアピールするためか、歴史上の偉人たちの銅像を立てまくったのです。
このチグハグ感は、実際に訪れてみないとわからないでしょう。
いや、訪れたところで、この街が一体どこを目指しているのか理解することは不可能だと思います(笑)
今回の記事で紹介している「共産主義感」がテーマの他の町とは若干趣旨が異なるものの、とにかく色々とブッ飛んだ町であることには違いありません。
東欧・バルカン諸国の共産主義感強めな町10:プリピャチ / ウクライナ
最後に紹介するのは、ウクライナ北部にあった町・プリピャチ(Prypyat’)。
「あった」と書いたのは、現在では人が住んでいないゴーストタウンと化しているためです。
その原因となったのが、1989年に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故。
未曾有の大事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所4号機からたった4kmの所に位置していたのが、原子力発電所で働く職員のための町であったプリピャチでした。
いつの時代も原発マネーの力は凄まじく、人口5万人ほどのプリピャチはウクライナで最も裕福な町だったそう。
ソ連政府に保証された生活、プール付きの豪華な集合住宅が並ぶ町、ソ連製の高級車が走る風景。
それらを一瞬にして変えてしまったのが、チェルノブイリ原子力発電所事故でした。
事故後、住民には避難命令が下され、決して戻ることは許されませんでした。
現在ではチェルノブイリ見学ツアーで訪れることができるプリピャチ。
その風景は衝撃的で、人が住まなくなるとこうも簡単に一つの町が駄目になってしまうことを目の当たりにさせられます。
原発事故が起こったのは、まだソ連が崩壊する前のこと。
そこから全く人の手が加えられていないプリピャチでは、当時のまま放置された民家や建物を見学することができます。
原発事故の甚大な被害はもちろんのこと、ソ連時代の人々の生活や雰囲気を学ぶことができる貴重な場所だと言えるでしょう。
おわりに
少々マニアックなテーマでお送りしてきた今回の記事。
のぶよと同じ波長を持つであろう、ちょっと変わった人たちの心に刺さったことを願っています(笑)
東欧やバルカン諸国を旅するなら、共産主義時代を始めとするその国の歴史を知っておくことは不可欠。
ただ綺麗な観光地をまわるだけでは見えてこない、その国のリアルな一面に気がつくことができるでしょう。
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