こんにちは!3ヶ月のトルコ滞在も終盤、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
トルコ中央東部に位置するアマスヤ(Amasya)は、険しい岩山に挟まれた谷間に位置する風光明媚な町。
美しく整備されたオスマン帝国風の町並みが川沿いに広がり、背後にそびえ立つ岩山とともに素晴らしい風景が広がっています。
アマスヤといえば、アナトリア半島がローマ帝国の支配下に入る前(およそ2000年前)にこの地で栄えたポントゥス王国の都だった町。
その悠久の歴史を裏付けるように、断崖絶壁にはポントゥス王の墓が掘られ、町を見守っているかのようです ▼
今回の記事は、トルコの穴場の町としておすすめしたいアマスヤの観光情報を解説するもの。
観光ハイライトとなるポントゥス王の墓とオスマン帝国風の町並みの紹介はもちろん、セルジューク朝時代の医学に焦点を当てた怪しすぎる博物館や現役のマドラサ(神学校)まで…
この小さな町の魅力をお伝えできれば嬉しいです!
アマスヤの観光スポット
アマスヤの観光スポットは、町を南北に隔てるイェシルルマク川の両岸の半径1km以内のエリアに点在しており、徒歩で簡単に観光することが可能です。
のんびりと各スポットをまわっても所要時間は半日ほどですが、1泊して心ゆくまで美しい町並みを堪能するのもおすすめ!
アマスヤ観光地図
灰色:バス会社オフィス(セルヴィス発着場)
紫:おすすめホテル
青:見どころ
ポントゥス王の墓 ハイライト!
アマスヤ中心街の北側に高くそびえる岩山の中腹には、明らかに人の手で掘られた形跡が見られる場所があります。
これらはポントゥス王が眠る墓。
二千年前にこの地に都を置いたポントゥス王国の代々の王たちが眠る場所で「岩窟墳墓」とも呼ばれます。
合計で五つある岩窟墳墓は、いずれも岩山を直接掘って作られたもの。
ローマ帝国がアマスヤを支配するよりも前にあたる、紀元前6世紀~紀元前1世紀(2500~2000年前)の建造というのには驚きです。
ポントゥス王の墓までは、現在でこそ階段が整備されているので簡単に登れますが、もともとの墓に至る通路は急斜面の岩山の側面をトンネルのように手で掘って作られたもの。
こんな場所にこんな大規模の墓を建設するのは、さぞ大変だったことでしょう。
岩をくり抜いて造られたトンネルを登った先には、お目当ての岩窟墳墓が堂々とたたずんでいます ▼
ポントゥス王の墓の特徴は、棺を入れる部分とその周りの岩が二重にくりぬかれている点。
例えるなら、かまくらのような形の棺を入れる部分を作り、その周りが岩で覆われるように掘ったような感じです。
これは、雨による遺体の腐敗を防ぐためだったと考えられているそう。
岩山を直接くりぬいただけの空間に棺を入れると、どうしても岩の間から水が染み込んで棺の中の遺体がダメージを受けてしまいます。
棺を入れる部屋/それを取り囲む空間 と二重構造で岩をくりぬくことで、棺が置かれている空間と外側の岩が直接触れない(=水が浸透しない)ように工夫されているのです。
そんなポントゥス人の知恵も、結局は二千年という時の流れには勝てなかったよう。
ポントゥス王国を支配下においたローマ帝国によって中の王たちの遺体は別の場所に移され、長らくその存在が忘れられた状態が続きます。
さらに後のビザンツ帝国時代やオスマン帝国時代には、この場所の孤立したロケーションが注目され、牢獄として利用された歴史を持ちます。
二千年以上前の岩窟墳墓自体も素晴らしいのですが、墓の前から眺めるアマスラ中心街の絶景も忘れてはいけません。
谷に広がる細長い町を一望でき、その美しさには心奪われるはず。
この場所で眠っていたポントゥス王たちが眺めたのと同じ、素晴らしい景色を満喫しましょう!
紀元前281年(2250年前)にこの地で成立した、ペルシア系(現在のイラン)の王朝がポントゥス王国。
アマスヤがを中心とした黒海沿岸南部の小王国でしたが、徐々に力をつけて黒海東部にも進出。
コルキス王国(現在のジョージア西部)を滅亡させ、この地域で強大な力を誇りました。
しかしながら紀元前64年にはローマ帝国の圧力に屈して属州化してしまい、その短い歴史に幕を下ろしました。
ハトゥニイェ・マハレシ(旧市街)
ポントゥス王の墓の麓。イェシルルマク川北岸の細長い地区に広がるのが、ハトゥニイェ・マハレシ(Hatuniye Mahallesi)と呼ばれるアマスヤ旧市街にあたるエリア。
オスマン帝国調の町並みが再現されており、トルコ人の観光客に大人気のスポットとなっています。
(なぜか外国人は見かけない)
狭い路地の両側に建つ家々は、小奇麗にまとまった印象。
ぼろぼろのレトロ感漂う町並みが好みののぶよ的には「つくられた感」がプンプン香ってやや微妙でしたが、オスマン帝国時代っぽい雰囲気を楽しむことはできます。
オスマン帝国風の民家を改装したカフェやレストランも点在しているので、散策がてらの休憩にはぴったり!
時計塔
ハトゥニイェ・マハレシの東端の橋のたもとに堂々と建つ時計塔(Saat Kulesi)は、レンガ造りの可愛らしい造りが特徴的。
時計塔前の橋は、川沿いに建ち並ぶオスマン帝国風の家々と背後にそびえたつ岩山を望む絶景ポイント。アマスヤを代表する絶景を堪能しましょう!
微妙なセンスのアマスヤの夜景
アマスヤに宿泊した人だけが見られる、アマスヤの夜景。
それは、トルコお得意の微妙なセンスの塊のようなものでした ▼
毒々しいほどのシーブルーのライトで統一された町の景色には、きっと度肝を抜かれるはず。
5分ほど眺めていると、一周まわって何だか幻想的に思えてくるのが不思議(笑)
バヤズット2世のキュリーイェ
ハトゥニイェ・マハレシ(旧市街)から川を挟んだ対岸に建つのが、バヤズット2世のキュリーイェ(Beyazıt Ⅱ Külliyesi)。
「キュリーイェ」とは、オスマン帝国時代に盛んに建設された、モスクやマドラサ(神学校)、ハマムなど宗教的な施設が一か所に集まった複合施設のこと。
その名が示す通り、このキュリーイェはオスマン帝国のスルタン(皇帝)・バヤズット2世の命により建設されたものです。
バヤズット2世は、1451年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)陥落に成功したメフメト2世の息子にあたる人物。
当時のオスマン帝国の勢いとスルタンの権力を表したかのような、壮大な外観と繊細な装飾は必見です。
サブンジュオール医学博物館 おすすめ!
アマスヤ観光のハイライトとなるスポットを一通り見終えたら、少々ディープな見どころに足を運んでみるのはいかがでしょうか。
アマスヤ中心街東側にあるサブンジュオール医学博物館(Sabuncuoğlu Şerefeddin Tıp Ve Tarih Müzesi)は、セルジューク朝時代の1309年に建設された病院&医学学校の建物を改装したものです。
その建築様式は素晴らしく、「THE・セルジューク朝」といった感じのファサードには息を呑みます ▼
しかし、さらなる驚きが待ち受けているのが博物館の内部。
サブンジュオール医学博物館では、セルジューク朝時代にこの場所で行われていた音楽療法や手術などの医療に関しての展示がされています。
その内容はかなりディープ。
何やら怪しげな音楽がかかる展示ホール(当時のヒーリング用の音楽だそうです)に飾られているのは、700年前の手術の様子を描いたイラストの数々でした ▼
極めつけは、当時使用されていた手術器具 ▼
ペンチのようなものや、アイスピックのようなもの、どう見ても腹を切り開くためのナイフにしか見えないものなど…
「本当にこんなの使ってたの?!」と、驚きや恐ろしさを越えて笑いがこみあげてくるようなレベルです。
もちろん700年前は麻酔なんてなかった時代。(薬草とかを使っていたのかも)
患者たちの恐怖はどれほどのものだったのでしょうか…
のぶよはつくづく、現代に生まれて良かったと感じました(笑)
▲ 他にも、ターバンを巻いた怪しげな蝋人形たちが当時の治療の様子を今に伝えます。
それにしても、胡散臭すぎる…(笑)
博物館の一番奥には、蝋人形で当時の音楽療法を再現しているコーナーがありました ▼
両端に座っているのが「精神に異常をきたした」患者で、中央で楽器を演奏しているのは音楽療法のスペシャリストたち。
本当にこんなので効果があるのかと思ってしまいますが、あながち間違ってはいなかったのかもしれません。
セルジューク朝時代には音や光が健康にもたらす効果が信じられており、楽器以外にも水の音などを利用した音楽療法が盛んに行われていたそう。
薬草学も発達していて、アロエや各種ハーブ類などを調合した薬などが作られていました。
光や音が人体にもたらすリラックス効果は科学的に実証済みですし、ハーブには体や精神の調子を整える効果があるとされていますよね。
東洋医学では「病は気から」と言うように、一つの病気には体と心全体の調和を整える必要があるという考え方をします。
これは、「一つの病気には一つの原因しかない」とみなし、それを対象に治療を行う西洋医学とは全く違う考え方。
中央アジアからこの地にやってきたセルジューク朝の医学に関する考え方は、どう見ても東洋のもの。
なんだかまた一歩アジアに近づいたような気がして、個人的に感慨深くなりました。
(ポルトガルから東方向に世界半周をしているので)
ビュユック・アガ・マドラサ
アマスヤ中心街東端に位置するビュユック・アガ・マドラサ(Buyuk Aga Medrese)は、先述の医学博物館に並ぶアマスヤのディープなスポット。
トルコ国内に多く残る「マドラサ」とはイスラム教における神学校のことで、コーランの教えに基づいた教育が行われていました。
しかし、オスマン帝国が滅亡した後にトルコ共和国を建国したケマル・アタテュルクによる政教分離政策によってマドラサのほとんどが閉鎖に。
かつてのマドラサの建物は、現在では図書館や公民館、美術館などのカルチャースペースとして利用されている場合がほとんどです。
しかしながら、ここアマスヤのビュユック・アガ・マドラサは、現在でも神学校として機能している数少ない場所の一つなのです。
入場してみると、八角形に造られた建物の素晴らしさに圧倒されます。
1488年の建造で、こちらもバヤズット2世の命によるもの。
何よりも驚いたのが、何十人もの学生が、一心不乱にコーランを読み上げる声がマドラサ中に響いていたこと。
あまりに大声過ぎて、初めはデモか何かかと思ったほどです。
のぶよが訪れた時はちょうど食事の準備中だったようで、学生たちが中庭にテーブルと椅子を準備している様子が見られました。
現役のイスラム教の神学校の内部などなかなか見られるものではないので、アマスヤ観光の際にはぜひ立ち寄ってみましょう。
アマスヤのオトガル/鉄道駅~中心街の移動情報
アマスヤのオトガル(バスターミナル)は中心街から遠く離れた山奥にあり、歩くことは不可能です。
サムスン(Samsun)やシヴァス(Sivas)など、近郊の鉄道路線がある町への移動なら鉄道がおすすめ。
鉄道駅はアマスヤ中心街の近くに位置しており、中心街まで徒歩でアクセス可能なためです。
オトガル→アマスヤ中心街
アマスヤのオトガル(バスステーション)~中心街を結ぶ公共交通手段は存在しません。
他の町からオトガルに到着した旅行者の選択肢は、
・タクシー
・セルヴィス(無料シャトルバス)
の2つのみ。
「セルヴィス(Servis)」とは、各バス会社がオトガル(バスステーション)~中心街間を移動する乗客向けに運行している無料シャトルバスのこと。
トルコのある程度の大きさの町(=中心街とオトガルが離れている町)の多くで利用することができます。
アマスヤのオトガルの長距離バス発着所からいったん建物内を突っ切って、反対側の入口を出たところのロータリーが、セルヴィス発着場となります。
基本的に自分が利用した長距離バス会社が運行するセルヴィスを利用するのが鉄則ですが、チケットの確認等はされないため、最初に来たシャトルバスどれに乗っても問題ありません。
アマスヤ中心街での降車時は、自分の降りたいところで運転手に申告するシステム。
予め近くの目印となる場所(モスクなど)の名前を伝えておけば、スムーズだと思います。
アマスヤ中心街→オトガル
アマスヤ中心街からオトガルへの移動に関しても公共交通手段がないため、各バス会社のセルヴィスを利用することとなります。
オトガルへのセルヴィスを利用する場合は、事前のチケット購入が必須な点に要注意。
アマスヤ中心街のアタテュルクの銅像付近【マップ 灰色】には、各バス会社のオフィスが点在しています。
利用するバス会社のオフィスで事前にチケットを購入しておけば、発車時刻に合わせたセルヴィスの時間を教えてくれます。
あとは指定されたセルヴィスの時間少し前にオフィスで待っていればいいだけ。
はじめは少し難しいシステムに感じるかもしれませんが、慣れればとても簡単です!
アマスヤのおすすめホテル
Saray Otel
・料金:74TL(=¥1372)
・部屋:ツインルーム(バス・トイレ・朝食付)
・立地:8/10
アマスヤ中心街(時計塔)まで徒歩10分ほどの場所に位置しています。
周辺にはスーパーやレストランが点在しており、何かと便利な立地。
オトガルからのセルヴィス(無料シャトルバス)も近くを通るので、アクセスは悪くありません。
・アクセス:10/10
看板が出ているのですぐにわかりますし、受付には24時間従業員がいます。
チェックインもとてもスムーズでした。
・スタッフ:9/10
英語が全く話せないので、いちいちGoogle翻訳を使ってくるのが若干面倒だったものの、悪い人ではありません。
すごく嬉しかったのが、チェックアウト後にも部屋に居させてくれたこと。
夜行バスの時間の夜10時頃まで、無料で部屋を利用することができて、かなりのんびりできました。
・清潔さ:9/10
建物自体は古いですが、部屋・シャワーともに清潔に保たれています。
シーツも真っ白で、明るい部屋だったのも高ポイント。
・設備:9/10
広めの部屋にはエアコン、テレビ、冷蔵庫がありました。
2階の食堂には無料のチャイ(紅茶)が置かれており、いつでも飲み放題なのも嬉しかったです。
・wi-fi:8/10
トルコにしてはかなり高速な部類のインターネットでした。
ごくまれに接続が弱まることもありませしたが、基本的にストレスなく利用できました。
・雰囲気:8/10
まあ普通のホテルといった感じ。
2階にある食堂兼共用エリアはかなり広々としており、ソファーなどもあるのでのんびりできます。
部屋はとても静かでぐっすり眠ることができました。
総合:8.4/10
アマスヤで最安値の部類のホテルですが、中心街からもほど近く、快適な滞在を送ることができました。
チェックイン後に部屋を使わせてくれたのがとにかく有難かったです。
部屋も広々としており清潔で、朝食までついているので何の文句もありません。
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【アマスヤの宿の予約はこちらから!】
おわりに
日本人の間ではほとんど知名度がないアマスヤの観光スポットを紹介しました。
独特な地形に広がる美しい町並みと、ここでしか見られないポントゥス王の墓はもちろんのこと、美しいモスクやディープな医学博物館まで…
小さな町ながらも興味深いスポットがいっぱいのアマスヤは、観光地としてのポテンシャルが強く感じられる町です。
アマスヤの周辺には他にも魅力的な町が点在しているのもポイント。
・レトロな町並みのトカット(Tokat)
・セルジューク朝時代の学問の中心・シヴァス(Sivas)
アマスヤとセットでこれらの町を観光するのもおすすめです!
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