神話が現実となった場所!トロイ遺跡の歴史・観光・アクセス情報【がっかり観光地?】

神話が現実となった場所!トロイ遺跡の歴史・観光・アクセス情報【がっかり観光地?】

こんにちは!トルコを東に移動中、世界半周中ののぶよ(@taisuke5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)

トルコ北西部に位置するトロイ遺跡は、その知名度の割に訪れる人が意外と少ない穴場の観光地。

ギリシャ神話の叙情詩に記されたトロイア戦争の舞台となった場所で、私たち日本人にとってはトロイの木馬のイメージが真っ先に浮かぶのではないでしょうか。

2004年には、ブラッド・ピット主演のハリウッド映画「トロイ」で一躍脚光を浴びることとなったのも記憶に新しいですね。

↑映画で実際に使われたトロイの木馬

しかしながら、実際にトロイがどんな場所であるのか、そもそも何がこの場所を世界的に有名なものにしたのかは、知らない人が多いのではないでしょうか。

実は、トロイ遺跡滅亡の背景にあるトロイア戦争は、長い間神話上の話(=架空の話)とされてきたのですが、現在では実際に起こったことであるとされているのです。

そこには、ある野望に満ちた実業家の存在がありました。

今回の記事では、神話が現実となったミステリアススポット・トロイ遺跡の歴史や見どころ、アクセス情報を紹介していきます。

巷では「がっかり観光地」なんて言われてしまっているトロイ遺跡。
果たして本当にそうなのか、とくとご覧あれ。

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観光前に絶対に知っておきたい!トロイ遺跡の歴史

↑泥から作られた煉瓦の城はトロイ観光のハイライト

トロイ遺跡は、古代遺跡が点在するトルコの中でも最古の文明の痕跡が見られる場所の一つ。

古くから文明が発達していたトルコでは、国中で古代遺跡を見ることができますが、その多くはローマ帝国時代やギリシャの都市国家時代(2000年~2500年前)のものです。

それでも十分すごいのですが、トロイ遺跡の最も古い部分は、紀元前3000年(約5000年前)のもの
しかも、そのオリジナルの遺跡が見られるのですから、もはや格が違います。

そんな古代遺跡中の古代遺跡・トロイが廃墟となってしまった原因の一つに、10年間続いたトロイア戦争が挙げられます。

かつてはトロイア戦争は単なる神話上の話とされていたものの、現在では実際に起こった史実であると考えられているのもポイント。

最初から最後まで、まるで映画を見ているようなドラマチックな物語とロマンでいっぱいのトロイ遺跡。

ここでは、観光前に絶対に知っておきたい(といか、知らないと行く意味がない)トロイの歴史を解説していきます。

インフォメーション

トロイ遺跡

営業時間:9:00~19:00  (冬季~17:00)
料金:42TL(=¥782)

単一の町じゃない?トロイ遺跡の独特な複層構造

始めに知っておかなければならないのが、トロイ遺跡は単一の町の遺跡ではないという点。

一番最初の文明活動が確認できる紀元前3000年頃(5000年前)から、繁栄と衰退を繰り返してきたトロイ。
時代が下るにつれ、もともとあったかつての文明の跡地の上に、新しい文明が築かれていったのです。

大まかな時代順に区切って、トロイⅠ~トロイⅨの九つの層に分かれており、それぞれの層からは各時代を反映するような遺跡や出土品が発掘されています。

今回の記事では、これらの九つの層が物語るトロイ遺跡の歴史を、以下の三つに分けて解説していきます。

トロイⅠ~トロイⅤ(紀元前3000年~紀元前1700年)
トロイⅥ(紀元前1700年~紀元前1250年)
トロイⅦ~トロイⅨ(紀元前1190年~紀元前85年)

また、トロイ遺跡は神話に基づくミステリアスなバックグラウンドも魅力的ですが、その発掘作業にまつわるドラマもなかなか面白いものがあります。

18世紀に、それまで神話上の物語と思われていたトロイ遺跡がドイツ人実業家・シュリーマンによって発掘され、トロイア戦争が実際に起こったことが証明されたのですから。

もはや気の遠くなるような「昔々あるところに…」な話なのですが、トロイ遺跡観光の際にこの歴史を知らないと何の意味もないので、どうぞお付き合いください(笑)

トロイの始まり:トロイⅠ~トロイⅤ(紀元前3000年~紀元前1700年)

↑最も古いトロイⅠ時代(5000年前)の城壁

トロイ遺跡の起源は、青銅器時代初期である紀元前3000年頃(5000年前)にまで遡ります。

鉄器が利用される前の時代で、中央アナトリアに進出したヒッタイト族の時代よりも前のこと。
正真正銘、トルコで最も古い人類の生活の痕跡が残る場所なのです。

トロイ遺跡の最下層に位置するトロイⅠからトロイⅤまで5つの町が層のようになっているのが確認されており、後述するドイツ人実業家のシュリーマンにより、当時の出土品も多く発見されています。

↑遺跡内には各時代の層が見られる場所も。

トロイⅠ~Ⅴまでは、比較的同様の文化を持った文明が続いていたと考えられているものの、いったいどの民族が生活していたのかはいまだに謎のまま。
世界でも最も古い文明の一つを知る手掛かりとして、現在でも研究・発掘作業が続いています。

実在した「トロイの木馬」:トロイⅥ(紀元前1700年~紀元前1250年)

↑トロイⅥ時代の城壁

そんなトロイに文化的な変化が訪れたのが、下から6つめの層に当たるトロイⅥと呼ばれる町においてのこと。

当時(紀元前1700年頃)は、海を挟んだ対岸に位置するギリシャ人が、地中海沿岸を植民地化し始めたころ。
優雅なミケーネ文明の影響を受け、トロイの町の規模は二倍に拡大されました。

トロイⅥの後期(トロイⅦという説も)に起こったのが、世界中で有名なトロイア戦争でした。

ギリシャの都市国家の同盟軍(アカイア)VSトロイ軍の戦争は、トロイの敗北という結果に終わり、以降トロイの町はギリシャ化が進むこととなります。

ここでは

・ホメロスの叙情詩「イリオス」に描かれた、神話上のトロイア戦争
・実際に起こったと考えられているトロイア戦争

の二つを別々に紹介していきます。
あなたはどちらの話を信じますか?

神話上のトロイア戦争

トロイア戦争は、もともとはギリシャ神話の中のお話。
紀元前8世紀頃の古代ギリシャの詩人・ホメロスが書いた叙情詩「イリアス」の中に記されたものです。

トロイの王子・パリスは、ギリシャの都市国家・スパルタ王の妻・ヘレネと恋に落ちてしまいます。

パリスは無断でヘレネを自国・トロイへと連れ去ってしまい、それに激怒したスパルタ王・メネラス。
オデュッセウスやネストルなど近郊の都市国家の有名な軍師たちとアカイア連合を組んでトロイへと攻め込みます。

対するトロイ側は、王子パリスはもちろん、国王・プリアムやヘクトールも応戦し、10年間もの間戦争が続きました。

この長い戦争に終止符を打ったのはアカイア側の軍師・ウリスによる策略。

「降参のしるしに」とトロイ側に巨大な木馬を贈り、町の入口の門に建てるように進言したのです。

勝利の喜びに浮かれるトロイの人々。しかしそれは、つかの間の喜びに過ぎませんでした。

夜通し宴会が行われ多くの人が酔っぱらった夜中に、贈られた木馬の中からアカイアの兵士たちが出てきて、トロイアの町に火を放ったのです。

こうして、一晩にして焼け野原となり、降伏することとなったトロイ。
以後、町の支配権はギリシャ側に移ることとなったのでした。

めでたしめでたし。

「トロイの木馬」というと、昔出回っていたコンピューターウイルスの名前を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

実は、「中にあるのは一見仲間(=普通のファイル)と見せかけて、実は敵(=ウイルス)」であるため、この名がついたんですよ。

実際のトロイア戦争

↑ギリシャ軍によって滅ぼされたトロイⅥの町

ここまで紹介してきたのは、あくまでもギリシャ神話の中のトロイア戦争のお話。

いくらなんでも、木馬内に潜んでいる敵の兵士に気が付かないわけがないでしょう(笑)

実際のところ、トロイⅥの町が滅びギリシャの支配下になったのは、紀元前1250年に起きた大地震が理由であるというのが定説です。

町を取り囲んでいた城塞が地震によって崩壊し、アカイア連合の兵士たちが簡単にトロイに攻め込めるようになったため、トロイの敗北が決定的となったのです。

トロイア戦争に勝利したアカイア連合のギリシャ人たちは、地震を起こすことができるとされるギリシャ神話の神・ポセイドンに感謝の意を示すため、ポセイドンが乗る馬の木像を作りトロイの町の門に置いたことが確認されています。

つまり、神話にせよ歴史的事実にせよ、トロイの木馬は確かに実在していたということになるのです。

ギリシャ・ローマ化から衰退へ:トロイⅦ~トロイⅨ(紀元前1190年~紀元前85年)

トロイア戦争によって支配権がギリシャ人に移った後、トロイの町は衰退の一途をたどります

北部のバルカン半島から南下してきた民族により占領され(トロイⅦ)、再びギリシャ人によってヘレニズム化されて息を吹き返した(トロイⅧ)のは紀元前785年のこと。

その後、ギリシャに替わってこの地を支配したローマ帝国時代の紀元前85年には「イリオン」と名付けられ、後のビザンツ帝国時代まで細々と文明が続いていくこととなります(トロイⅨ)。

その後は徐々に忘れ去られた場所となっていき、1000年以上もの間土の下に埋もれたままとなります。

綺麗事だけじゃなかった!シュリーマンによるトロイ遺跡の発掘

トロイ遺跡が再び日の目を見ることとなったのは、19世紀後半になってからのこと。

ドイツ人実業家のシュリーマン(Schliemann)の手によって、数千年にも渡る歴史を持つ古代都市が発掘されたのです。

ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)は、幼いころからホメロスの叙情詩「イリアス」に描かれたトロイ戦争は現実にあったものだと信じ続けていました。

実業家として成功を収めた後の1871年に、当時のオスマン帝国から発掘許可を得た彼は、私財を投げ打って発掘作業に全てを捧げます。

こうして彼は、トロイ遺跡を発見し、幼いころからの夢をかなえましたとさ。
めでたしめでたし。

と書くと、なんとも素晴らしいお話のように聞こえますが、実際はそんなことは全くありません

このシュリーマンという人物、お金はあっても考古学の知識は全くない、いわば「ずぶの素人」。
そんな素人が、ただ神話の中の話を信じて発掘をし続けたのですから、だいたいのことは見えてきます。

彼は、発掘済みの遺跡部分の管理・保存には目もくれず、ただ闇雲に自分が追い求めるトロイ戦争の時代にあたるであろう層を掘り続けたのです。

先述の通り、トロイ遺跡は九つの異なる時代の町が積み重なっている特殊な遺跡。
そんな構造を無視して掘り続け、発掘した部分の管理もずさんだったたため、彼が発掘作業から手を引いた後の現場はめちゃくちゃで、何がどこの時代のものなのかわからない状態となってしまいました。

そんな遺跡の散々な状態なんてどこ吹く風。
シュリーマンは夢見ていたトロイ戦争が起こったトロイⅥ時代の出土品を発掘することに成功し、それまで神話の話とされてきたトロイア戦争やトロイの木馬の逸話を現実のものと証明することに成功!
…したかのように見えました。

しかしながら、シュリーマンは木馬をつかさどる神・ポセイドンを甘く見ていたのかもしれません。

彼がこの世を去るすぐ前に、発掘された出土品はトロイア戦争の舞台となったトロイⅥの時代ではなく、より昔のトロイⅡのものであることが判明したのです。

トロイの歴史的価値などには興味がなく、ただトロイア戦争時代の遺跡の発掘にだけ情熱を注いでいたシュリーマン。
その野望は叶うことなく、彼の死後に別の考古学者によってトロイⅥ時代の出土品が発掘されるという残念な結果となってしまいました。

当初は考えもされなかった、神話の世界が現実だったことを証明したシュリーマン。
しかし彼のせいで後の発掘作業・研究が困難になり、いまだに謎が解明されていないことが多いのも事実です。

トロイの歴史にまつわる謎の全容がこの先解明されれば、古代人の生活の様子や実際に何が起こったのかを知ることができるかもしれませんね。

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がっかり世界遺産って本当?トロイ遺跡の見どころ

↑かつてのトロイのイメージ図

神話と現実が融合したような、ミステリアスなトロイ遺跡。
歴史を見ていくと、かなり興味深いスポットである感じがします。

しかしながら、トロイ遺跡を訪れた旅行者の間では

「がっかり観光地」
「何もない」
「何でこれが世界遺産?」

なんて言われてしまっているのも事実。

これは、トロイ遺跡には目立った建造物がないためでしょう。

トルコの他の有名な遺跡には、ケルスス図書館(エフェソス遺跡)や大劇場(ヒエラポリス)などの「ハイライト」と呼ばれる建物があるのが普通ですが、トロイ遺跡は良い意味でも悪い意味でも「遺跡そのもの」です。

かつての住居や城などは再建されないまま、いわば発掘途中の状態で残されているため、一目見て「うわあ!」と感じさせるような建造物がありません。

特に、圧巻の建造物を持つトルコ東部やギリシャの遺跡を何か所かまわった後に訪れると、「え…?」となる気持ちもわかります。

でも、よく考えてみてください。
あの有名なコロッセオも、パルテノン神殿も、古代遺跡と呼ばれるものの全てはバラバラになって土に埋もれていた柱や石をつなぎ合わせて再建されたもの。

トロイ遺跡にあるのは、再建されていないかつての建造物の残骸の数々であって、形にはなっていないものの、素材は名だたる古代遺跡のハイライト建造物と同じというわけです(笑)

しかも、トロイはトルコで最も古い遺跡の一つでもあり、その興隆に関わる神話まで伝承されているほどに昔から重要視されてきた場所。

その歴史的・文化的価値を考えると、のぶよは決してトロイが「がっかり世界遺産」だとは思いません

ただ有名な場所に行って写真を撮りたいだけの人は、別のフォトジェニックな遺跡に行けばいいでしょう。
アテネとか、ローマとか、エジプトなんかも良いのでは。

トロイ遺跡は、歴史のロマンを感じながら想像力をフル稼働させて楽しむ遺跡です。

というわけで、ここではトロイ遺跡内の主な見どころを紹介していきます。
一見地味なものばかりに見えますが、一つ一つの石に何千年もの歴史が詰まっていると考えると、見え方が変わってくるかもしれません。

トロイ遺跡観光地図

黄色:ミニバス停留所
青:遺跡内の見どころ
赤:トロイ博物館

1.トロイの木馬

トロイ遺跡のエントランスを抜けてまず初めに目に入るのが、この遺跡を世界的に有名にしたシンボル的存在のトロイの木馬

もちろんオリジナルではなく再現されたものですが、入場して最初にこれを見る時は感動すること必至です。

トロイの木馬の中には上ることが可能で、神話の中に登場する、木馬の中に潜んでいたギリシャ兵たちの気分を体験することができます。
(内部には特に何もなく、大したことはありませんが)

また、この木馬が建っているのは、かつてのトロイの町の外であるというのも大きなポイント。
神話によると、ギリシャ側は降伏のしるしにトロイに木馬を贈り、それを門の外に置くようにそそのかしていました。

神話の出来事に忠実に、これから目にするトロイの町を見下ろすように建つ巨大な木馬。
時を越えた神話の世界への旅を盛り上げてくれる存在です。

2.ピトスの庭

木馬のすぐそばにあるのが、ピトスの庭と呼ばれる小さな敷地。

ピトス(Pithos)とは、古代地中海世界において、水や食料を蓄えておく土器・「ピトイ(Pithoi)」の複数形です。

その名の通り、小さな庭には発掘されたピトスが並んでいます。

注目すべきは、その独特な形状。
水や食料を貯蔵するためのものなのに、底は平らではなく尖った形をしています。

当時の人々はピトスの尖った底を地面に突き刺して安定させた状態にして利用していたそう。

どうして底を平らにせず、あえて作るのが難しい形状にして、わざわざ土に突き刺して使っていたのでしょうか。
その理由はいまだ解明されていません。

3.トロイⅥ東門

ピトスの庭を通り過ぎると、トロイの遺跡部分が姿を現します。
最初に見られるのが、トロイⅥ時代に町を取り囲んでいた城壁の東側の部分

紀元前1700年~紀元前1250年にかけてこの地で繁栄したトロイⅥは、トロイア戦争によって破壊された神話の町。
今から3500年ほど前に築かれたということが信じられないほど、精密に積み重ねられた岩の状態は素晴らしいです。

トロイⅥ以前の時代は、ほとんどの建築物は泥を利用した煉瓦で作られていたそうですが、ここで一気に技術が進歩したような印象を受けます。

4.アテナ神殿(トロイⅧ~トロイⅨ)

トロイⅥの素晴らしい城壁沿いに進んでいくと、トロイがギリシャ人の手に渡ってギリシャ化が進んだトロイⅧ時代の遺跡に到着します。

紀元前240年~紀元前150年に渡って建造されたアテナ神殿だと考えられており、その後ローマ帝国支配下のトロイⅨの時代に、皇帝アウグストゥスの命により改築されたと言われています。

当時の雰囲気は全くもって感じられないものの、周辺には神殿の一部であった装飾が描かれた石が残っています。

5.トロイⅡ城塞

続いては、トロイ遺跡の核心となるエリアに入ってきます。

まず現れるのは、トロイⅡ時代(紀元前2500年~紀元前2250年)の城塞跡

トロイⅠの跡地に建てられたトロイⅡの中心だった場所で、メガロンと呼ばれるポーチ付きの住居跡も見られます。

トロイⅡはトロイⅠと同じ民族によって興されたと考えられており、トロイⅠよりも拡大された町を全長300mに及ぶ煉瓦の壁が取り囲んでいたそう。

このエリアは、シュリーマンによる無計画な発掘作業の対象となってしまったものの一つで、まだまだ解明されていないことが多いそうです。
今後研究が進めば、どんな民族がこの地に居住していたのか分かるときがくるかもしれませんね。

6.焼けた町(トロイⅡ・Ⅲ)

トロイ遺跡のハイライトの一つとなるのが、トロイⅡ・Ⅲの時代(紀元前2500年~紀元前2200年)に町の中心部であった「焼けた町」と呼ばれるエリア。

泥を固めて焼き上げた手作りレンガでを積み上げて建設された城塞の一部で、その独特な赤色が鮮烈なイメージを与えます。

高さ4mの城壁は再建されたものですが、この場所が発掘された際にも1.5mの城壁はそのままの形で残っていたというのですから驚きです。

7.トロイⅠ城壁

すでに気の遠くなるような古代の遺跡が続いていますが、こちらはその中でも最古のもの。
紀元前2920年(4900年前)に築かれた、トロイⅠ時代の城壁です。

約90平方メートルの敷地のエリアを取り囲むように築かれており、一部には塔のように石が積み上げられた建造物も見られます。

この場所からは、武器のようなものを抱えた人間の上半身を描いた石が発掘されており、当時の文化を知る重要な手がかりとされているそうです。

8.宮殿(トロイⅡ)

トロイⅡ時代(紀元前2500年~紀元前2250年)に最も重要な場所であったと考えられているのが、宮殿

トロイⅡ時代にはすでに身分による差が存在していたと考えられており、この宮殿が位置する場所の周辺は身分が高い人々が住んでいたとされています。
反対に身分が低い人は、トロイⅡ時代に拡張された丘の下に広がる地区に住んでいたよう。

今も昔も、どうして人間は高い所に住みたがるのでしょうか(笑)

トロイⅡではスズから銅を精製する技術を持っていたことが確認されており、陶器を製造・運搬するために何らかの車輪がついたものを利用した跡も残っています。

9.シュリーマンの層

ドイツの実業家・シュリーマンによる発掘作業の跡がそのままに残されているのが、シュリーマンの層と呼ばれるエリア。

幅40m、深さ17mに及ぶ大規模なエリアをとにかく掘り進めたシュリーマン。
彼の目的はただ一つ。ホメロスの叙情詩「イカロス」に登場するトロイア王国の王プリアムの居城を発見することでした。

先述の通り、ただ闇雲に発掘作業が進められたため、このエリアに層を作るように埋まっていた遺跡の多くは破壊されてしまいますが、その代わりにシュリーマンはトロイⅠ時代(紀元前2920年)の城壁の一部をこの地で発見します。

他にも、住居跡や子供を埋葬した跡などが発見されており、当時の文化を知るための手がかりの一つとなっています。

10.傾斜路(トロイⅡ)

トロイ遺跡の中で最も圧巻な遺跡の一つが、傾斜路と呼ばれる城壁の一部。
トロイⅡ(紀元前2500年~紀元前2250年)の城壁と内部へと続く道の跡で、ライムストーンと煉瓦を組み合わせた造りになっています。

シュリーマンが「プリアム王の秘宝」と信じた出土品を見つけたのは、この場所の周辺。
彼はそれらを自国に持ち帰り、幼き頃からの夢が達成した喜びを噛みしめますが、実際に彼が発見した出土品は、プリアム王が存在しトロイア戦争が起こったトロイⅥよりも1200年も前の時代のものでした。

11.トロイ平原

トロイ遺跡の西側にあるトロイⅥ時代の城門(紀元前2250年)からは、トロイ平原のパノラマが広がります。

これだけ見晴らしがよければ、トロイア戦争中でも敵の侵入にすぐに気づくことができたのではないでしょうか。

神話ではギリシャ人たちは和平を提案して木馬とともにトロイへとやってくるのですが、現実では大地震により壊滅的な被害を受けた町に攻め込んだとされています。

4250年前にこの地で起こったであろうことに思いを馳せたら、トロイ遺跡の観光もいよいよ終盤です。

12.聖域(トロイⅧ)

町がギリシャ化されたトロイⅧ時代から、ローマ帝国の支配下に入るトロイⅨ時代に渡る時代の聖域は、比較的新しい時代の遺跡です。
(とはいっても2500年前のものですが)

ギリシャ神話の神に捧げられたものだと考えられているものの、どの神なのかは不明のまま。
ローマ帝国時代には、各皇帝によって改築が繰り替えされた跡が残っています。

13.オデイオン(トロイⅨ)

ローマ時代の支配下となったトロイⅨでは、文化面でもローマ化が見られるようになります。
こちらのオデイオンが良い例で、ローマ帝国時代の遺跡には必ずと言っていいほどに見られる円形劇場です。

最大で2100人収容という小さな規模のオデイオンは、124年にローマ皇帝ハドリアヌスがトロイを訪問したことの記念に建設されたもの。
かつては劇場を覆う屋根がついていたと考えられていますが、その痕跡はいまだ発見されていません。

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ガリポリ半島&トロイ遺跡エリアはイスタンブールからもさほど遠くないため、イスタンブールからの日帰りor宿泊ツアーも出ているのも魅力的です。


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トロイ遺跡へのアクセス

トロイ遺跡観光の拠点となるのはチャナッカレの町

他都市間とのバスが発着する場所で、ホテルやレストラン、スーパーマーケットなど、滞在に必要なものは全てそろっているコンパクトな町です。

トロイ遺跡行きのミニバス乗り場へ

注意したいのが、トロイ遺跡へのドルムシュ(ミニバス)は、チャナッカレのオトガル(バスターミナル)発着ではないという点。

チャナッカレ中心街の南東部を流れるサル川に架かる橋の北側にあるミニバスターミナルの発着となります。

チャナッカレ中心街からミニバスターミナルまでは1kmほどで徒歩圏内ですが、チャナッカレのオトガルから直接トロイ遺跡に向かいたい場合は少々不便。

バス会社運行のセルヴィス(Servis)と呼ばれる無料シャトルバスを利用していったん中心街に行き、そこから徒歩でミニバスターミナルにアクセスすることとなります。

チャナッカレ~トロイ間のミニバスは、平日は1時間に1本、土日は2時間に1本程度走っています。
(夏季は増便されるそうです)

↑平日の時刻表。左がトロイ発、右がチャナッカレ発

↑土日の時刻表。左がトロイ発、右がチャナッカレ発

バスはトロイ遺跡のエントランス目の前まで行き、そのままチャナッカレ方面へと折り返すルートをとります。

トロイ遺跡からの最終バスは、平日・土日ともに17:00発と早めなので、乗り遅れないようにご注意を。

インフォメーション

チャナッカレ~トロイ遺跡間ミニバス

所要時間:40分
料金:9TL(=¥164)

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おわりに

トロイ遺跡の歴史と見どころを紹介しました。

名だたる遺跡に比べて地味なのは否めませんが、世界遺産に指定されているだけあって、その歴史的価値は計り知れないものがあります。

古代史に興味がある人なら絶対に楽しめるトロイ遺跡。
そうでない人も、少し歴史を勉強してから行くと印象ががらりと変わると思います。

遺跡の入口から500mほどのところにはトロイ遺跡博物館もあるので、この地で発掘された出土品に興味がある人は立ち寄ってみるのもおすすめです。

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