こんにちは!ジョージア西部をのんびり旅している、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
ジョージア中西部にあるイメレティ地方は、緑あふれるジョージア地方部らしい風景と、長い歴史に裏付けられた文化的な香りが魅力的。
中世から続く修道院や数々の自然スポット、国内第二の都市であるクタイシなど、多くの見どころが点在しているエリアです。
そんなイメレティ地方の中で今回紹介するのは、一風変わったスポット。
ツカルトゥボ(Tskaltubo / წყალტუბო)というクタイシ近郊の町です。

ツカルトゥボは、ソ連時代に保養地として開発された町。
自然に囲まれ空気が良く、万病に効くとされる温泉水が湧き出していたことがその理由です。
1950年代~1980年代にかけてはサナトリウム(長期療養所)を併設した大型ホテルが次々とオープンし、ソ連の富裕層に人気の一大リゾートでした。

どうして過去形で書いているのかというと、現在のツカルトゥボは保養地としての役割を果たしておらず、かつてのホテルなどはほぼ全て廃墟と化してしまっているため。
数十年前の黄金時代が嘘だったかのように、人の手が及ばなくなった巨大建造物が朽ち果てているツカルトゥボの風景は、廃墟リゾートとして一部の旅行者の間で話題になっています。


一風変わったツカルトゥボは、ジョージアのソ連時代に思いを馳せるにはこれ以上なく最適な町。
贅を尽くした旧サナトリウムの建物を周りながら、廃墟ならではの美を堪能することができます。
のぶよがツカルトゥボを初めて訪問したのは2020年のこと。
あれから5年あまりの時を経て再訪したのですが、建物の老朽化がさらに進んでいたり立ち入れなくなった場所が増えたりと、ツカルトゥボは着実に変化しつつあります。
ツカルトゥボの魅力を堪能するなら、もうあまり長い時間は残っていないのかもしれません。

というわけで今回の記事は、好きな人にはたまらないツカルトゥボの廃墟めぐりを特集したもの。
以下の内容で、ツカルトゥボ観光に必要な情報をすべて網羅しています。
もはやマニアックすぎるテーマで日本語での情報もほぼヒットしませんが、一風変わった場所に行きたい人にはおすすめ。
これらを全て周って記事にするのは本当に大変だったので、まじでありがたく読んでください…
ソ連時代の栄華はどこへ…廃墟温泉リゾート・ツカルトゥボとは?

ツカルトゥボという町を知るには、まずこの場所がいったいどんな歴史をたどってきたのかを理解することが必須。
こうも贅を尽くした一大温泉リゾートが、こうも簡単に衰退し、たった数十年で廃墟となってしまったことには、ソ連時代からジョージア独立までの激動の近代史が深く関係しているのです。
ここではまず、ツカルトゥボ観光前に理解しておきたい基本的な歴史の知識をかいつまんで解説します。
ソ連時代:ツカルトゥボ黄金時代のはじまり

イメレティ地方最大の都市であるクタイシから北西に10kmほど。
緑あふれるエリアにひらけたツカルトゥボの歴史の始まりは、13世紀に遡ります。
羊飼いたちの間で、この地に湧き出す温泉水の効能が口頭で伝えられ、長い間「万病に効果がある」として周辺地域の住民たちに愛されていたのです。
時は流れ、第二次世界大戦前の1930年代後半には、この温泉水の効能や空気の良さにソ連政府が着目。
政府主導でサナトリウム(長期療養所)が建設されはじめ、ツカルトゥボの栄光の歴史が幕を開けます。

第二次世界大戦後に戦勝国となったソ連では、温泉保養地としてのツカルトゥボの開発が一気に進めらることに。
最盛期には20のサナトリウムと9つの浴場を有する一大温泉リゾート地となり、年間10万人以上が訪れる黄金時代を謳歌しました。
当時はモスクワ~ツカルトゥボ間の直行長距離列車が毎日運行されていたほどで、あのスターリンも別荘を構えて幾度となくツカルトゥボへの訪問を重ねたほどに知られた場所だったそうです
1991年:ソ連崩壊&ツカルトゥボの凋落

しかしながら、栄光の時代は長くは続かないもの。
ツカルトゥボの凋落のきっかけとなったのは、1991年のソ連崩壊に伴うジョージアの独立と、1993年まで続いたアブハジア紛争でした。
当時、ツカルトゥボを訪れる保養客のほとんどはロシア人富裕層。
ソ連崩壊によって国境が設けられたことにより、ツカルトゥボを訪れる人は激減してしまいます。

当時1990年代のジョージアの国内情勢は混乱を極めており、ジョージア人国内旅行客を呼び込むこともできなかったツカルトゥボ。
こうしてソ連崩壊からたったの数年で深刻な経営難に陥ったサナトリウムやホテルは、続々に廃業することになります。
こうして町には廃墟となったかつてのホテルの建物だけが残され、改修されることもなく放置されることになったのです。
1993年:アブハジア難民の流入

こうして無人となったツカルトゥボのサナトリウムにやって来たのが、アブハジア紛争によって生まれたアブハジア難民たち。
1990年代前半に勃発したジョージア中央政府とアブハジア独立派の間の紛争は凄惨な民族浄化へと繋がり、アブハジアを追われた民族的ジョージア人たちが難民としてジョージア本国に流れ込んできたのです。


難民の一部は、当時廃業したばかりだったツカルトゥボのサナトリウムやホテルの建物に一時的に収容されることに。
その後、ジョージア政府による仮設住宅への移住促進政策が進められていましたが、多くの難民は放置されたサナトリウムの建物に不法に住み続けている状態となっていました。
現在:生まれ変わろうとしているツカルトゥボ

ツカルトゥボのを取り巻く状況が大きく動いたのが、2022年のことでした。
ジョージア政府は老朽化したサナトリウムに居住するアブハジア難民たちの強制立ち退きを推め、大半の建物は無人の状態に。
いくつかの建物にはバリケードが張られ、立ち入ることができないようになりました。
同時に「ツカルトゥボ再開発プロジェクト」が発足。
廃墟となったサナトリウムや浴場をリノベーションして、再び温泉リゾートとして開発する計画が持ち上がり、いくつかの施設では現在進行形で工事が進められています。

ツカルトゥボの観光協会によると、かつては年間で10万人もいた観光客数は、2020年にはたったの700人ほどにまで減ったそう。
この数字はホテルに宿泊して療養体験をしに来た旅行者の数であり、日帰りで廃墟巡りをする旅行者は含まれていません。
温泉保養地としての再成功はまだまだ遠い未来のことでしょうが、廃墟リゾートという不思議な魅力がインターネット上で話題となり、クタイシから足をのばす人の数が右肩上がりのツカルトゥボ。
「廃墟」という一風変わったコンテンツを活かした観光開発をする案もあるそうですが、安全性などの面から問題も多く、点在する廃墟が今後どのように活用されていくのかはまだ未知数です。
「ツカルトゥボの廃墟めぐりの注意点」の項で解説していますが、いくつかの旧サナトリウムには不法ではありながら、現在でも生活しているアブハジア難民がいて、そこには彼ら/彼女らの生活があります。
生活エリアに立ち入ることは禁止されてはいませんし、結構喜んで迎えてくれる人も多いのですが、
・住民に許可をとる
・写真(特に人物)を撮る際は確認してから
など、最低限のマナーは守るべきです。
4つのエリア別!ツカルトゥボの廃墟めぐりガイド

ツカルトゥボの町は、大きく4つのエリアに分けることができます。
効率的なまわり方に関しては「ツカルトゥボの廃墟めぐりのポイント」の項で解説するので、まずはこの4つのエリアごとに見どころを一挙に紹介していきます!
ツカルトゥボ観光マップ
赤:おすすめレストラン
黄色:クタイシ行き30番/34番マルシュ発着ポイント
茶色:プロメテウス洞窟行き42番マルシュ出発ポイント
①温泉公園エリア

ツカルトゥボの町の大半を占めるツカルトゥボ温泉公園(Tskaltubo mineral water park / წყალტუბოს მინერალური წყლების პარკი)は、ソ連時代に計画的に整備された緑あふれる公園。
その名の通り、有名な温泉の源泉が湧き出す噴水があり、それを引いた浴場施設がいくつも建設されました。


公園内ではかつて7ヶ所の浴場が営業していましたが、その大半は廃墟のまま放置された状態。
いっぽうで、改装されて営業が再開された浴場も2ヶ所(浴場No.6と浴場No.2)あり、改装が済んで営業再開を待つ状態の浴場(浴場No.1と浴場No.3)も。
ヒーリング効果のある温泉体験や、マッサージなどの施術を通して、ソ連時代の保養地らしい過ごし方をすることも可能です。
公園入口(南側)

温泉公園の南側の入口には、ソ連感がひしひしと漂うゲートが構えています。【マップ 青①】
こちらはおそらく当時のままではなく、リノベーションされて塗り替えられたもの。
パステルグリーンの外観が結構良い感じで、ツカルトゥボ観光のスタート地点にぴったりです。


公園内はかなり良く整備されていて、木々の間をのんびりと散策するのもおすすめ。
ツカルトゥボのかつての優雅な雰囲気にひたることができます。
浴場No.6 ハイライト!

温泉公園の中央に位置するのが浴場No.6(Bathhouse No.6)。【マップ 青②】
巨大な柱が印象的な白亜の建物は、ツカルトゥボ観光のハイライトの一つとされます。
この浴場はソ連の超有名指導者・スターリンも好んで利用した場所。
建物内にはスターリンが自分専用に作らせた浴室が残っていますが、2025年現在は残念ながら見学できなくなっています。


浴場No.6は、ツカルトゥボ温泉公園内に2ヶ所ある現役の温泉施設。
建物内は完全にリノベーションされており、優雅な雰囲気の中で温泉体験ができます。

ツカルトゥボ観光協会が本腰を入れて改装した施設ということもあり、浴場No.6は湯治客の姿がちらほら。
ツカルトゥボ全体で最も「温泉リゾートらしさ」が感じられる場所かもしれません。
ツカルトゥボの温泉利用情報は後述しています!
浴場No.8 ハイライト!

のぶよ的に、温泉公園内の建造物で最も驚かされたのが、浴場No.8(Bathhouse No.8)。
円形のドームのような平べったい建物が特徴的で、まるで巨大なUFOのような造りはソ連時代の建築技術の集大成と言えそうです。【マップ 青③】
完全なる廃墟となったかつての浴場は、洗い場や浴槽がそのまま残された空間。
ぽっかりと穴の空いた天井から射す光も相まって、ものすごい異世界感があります。


浴場No.8の建物は崩落の危険があるということで、内部への立ち入りは禁止。
しかしながら外からでも壁の隙間から中を覗くことはできるので、立ち寄ってみる価値は大いにあります。
浴場No.2

ツカルトゥボで現役で営業する二つの浴場のうちもう一つが、浴場No.2。
“BE HEALTHY”という別名も付けられてキラキラ売りされており、ちらほらと利用客の姿が見られます。【マップ 青④】
ツカルトゥボの温泉利用情報は後述しています!
浴場No.2の建物自体は完全にリノベーションされているので見ごたえはないものの、注目すべきが入口横にあるソ連モザイク。
かなり良好な保存状態で残されており、アーティスティックな香りが漂います。


このソ連モザイクは、浴場の改装前からこの場所にあったもの。
リノベーション時にも取り壊されずに残されたわけで、ツカルトゥボの人々のソ連的センス(?)に感謝したくなります。
ツカルトゥボ温泉の源泉

浴場No.2の建物の裏手には、なにやら不思議なデザインの建造物が。
実はこの場所で湧くのが、ツカルトゥボの保養地としての歴史が花開いたきっかけである、温泉の源泉です。【マップ 青⑤】
ツカルトゥボ温泉の泉質は、世界的にも珍しいラドンを含んだ放射泉。
湯温は33℃~35℃と日本人的にはかなりぬるく感じるものですが、皮膚の炎症を抑える効果をはじめとした効能があるそうで、「不死の湯」と称されていたのだそうです。


このポイントから湧き出したお湯が、各浴場やサナトリウムに引かれていたわけで、いわばツカルトゥボの心臓部分にあたる場所。
源泉には自由に触れたりボトルに汲んだりすることができますが、飲用には適していないそうなので注意しましょう。
浴場No.5

温泉公園の北側に建つ立派な建物が、浴場No.5(Bathhouse No.5)。
まるでギリシアの神殿のような柱を有する、パステルブルーの外壁が特徴的です。【マップ 青⑥】


浴場No.5の完成は1939年と、ツカルトゥボでも最古の建造物の一つ。
老朽化がかなり激しく崩落の危険が高いため、内部への立ち入りは固く禁止されています。
見学できるのは長方形の建物の周囲のみとなりますが、草木に覆われて自然に還りつつあるかつての浴場の姿はなんとも印象的です。

一部はすでに屋根が落ちて露天風呂のような状態になっている箇所も。
この建物が廃墟となって早30年。
生い茂る草木の様子に、時の流れを感じさせられます。
②温泉公園西側エリア

浴場が点在していた温泉公園の西側には、かつて多くの人々が保養に訪れたサナトリウムや大規模ホテルが建ち並んでいます。
このエリアの大規模ホテルの跡地の内部には、いずれも立ち入ることが可能。
以前はどの建物にもアブハジア難民が居住していたのですが、2025年現在は立ち退きが進み、半数ほどの建物は完全に無人となっています。
旧ホテル・サカルトヴェロ

かつてツカルトゥボの中でも最も人気があった宿泊施設の一つであったホテル・サカルトヴェロ(Hotel Sakartvelo)は、遠目で見てもその存在感に圧倒されるほどの規模。
完成は1983年とツカルトゥボの黄金時代の末期にあたる時期で、町で最も多くの保養客を収容できたそうです。【マップ 青⑦】
かつては多くの旅行者で賑わったホテル・サカルトヴェロは二つの棟から成り、いずれも完全なる廃墟。
南側の棟は完全に無人となっていますが、北側の棟はアブハジア難民たちが現在でも生活している場所です。


30年ほども補修も改修もされないまま、放置されてきたホテル・サカルトヴェロ。
内部の状態はかなりひどく、安全性には疑問があるものの、自由に立ち入ることができます。
かつては多くのアブハジア難民が暮らす場所として機能しており、敷地内にはちょっとした商店まであったほど。
2020年の訪問時には、学校帰りの子供たちが笑顔で「自宅」に戻る日常そのものの光景が見られたものです。


しかしながら、他のサナトリウム同様に、ホテル・サカルトヴェロに住むアブハジア難民にも立ち退きの波は迫っているよう。
2025年には数家族が残っているだけの状態で、この場所も間もなく完全に無人となる運命なのかもしれません。

▲ホテル・サカルトヴェロの敷地のすぐ北側には、ソ連時代のバス停が現役で使用されているので、こちらも忘れずにチェックを。
微妙に錆び付いているのがかえって味となっており、廃墟とのコントラストが何とも言えない雰囲気です。
旧ホテル・メデア ハイライト!

のぶよ的に、ツカルトゥボで見られる廃墟の中で最も見ごたえがあると感じたのが、かつてホテル・メデア(Hotel Medea)として営業していた巨大な建造物。
優雅な曲線を描くアーチ型の回廊が特徴的で、ツカルトゥボの栄光の歴史を象徴しているかのようです。【マップ 青⑧】


サナトリウム・メデアの完成は、ツカルトゥボ黄金時代真っ只中の1962年。
かつてはこの場所にもアブハジア難民が多く居住していたのですが、2025年現在は完全に立ち退きさせられています。

回廊を越えると、大きな中庭を望むかつての客室ゾーンに。客室がある建物は4階建てとなっており、老朽化が進んでいます。


客室棟の各階は螺旋状の階段で結ばれていますが、こちらは今にも落ちそうな感じで危険。
のぶよ的には回廊から直接アクセスできる2階の客室部分のみの見学にしておくのが良いと思います。


客室部分を抜けた先には、かつて浴場として利用されていたエリアがあり、中庭にいったん出てアクセスすることが可能。
かつては美しい水を讃えていたであろうプールも、30年以上の時を経て完全に淀んでしまっています。
アーチ型回廊をメインとした棟の他にも、ホテル・メデアにはもう一つの入口があり、別棟へと続いています。▼

こちらの建物はかつてアブハジア難民が生活をしていた場所でしたが、2023年に強制立ち退きになり、現在は完全に無人。
彼らが数年前まで居住していた部屋には家財道具などがそのままに残されており、あまりに劣悪な住環境にショックを覚えるかもしれません(こういうの写真に撮るのは気が引けるのでのぶよは見るだけにしておいた)。
旧サナトリウム・ゲラティ ハイライト

1966年完成のサナトリウム・ゲラティ(Sanatorium Gelati)は、コンサートホールを備えた大規模ホテルだったもの。
クタイシ近郊の世界遺産であるゲラティ修道院の名を冠するだけあって、かなり大規模でしっかりとした造りとなっています。【マップ 青⑨】


外観には派手さはなく、どちらかというと武骨な印象を与えるサナトリウム・ゲラティですが、内部の至る所で見られる細かな装飾の美しさが特徴的。
現在でもアブハジア難民が居住している建物でもあるので、配慮しながら見学しましょう。

サナトリウム・ゲラティは、ツカルトゥボのどのサナトリウムよりも状態が良く、おそらく最も安全に探索できる建物。
実はソ連崩壊直前の1991年に改修工事が行われたそうで、ツカルトゥボで最後に人の手が入った建物だと言えます。
サナトリウム・ゲラティの中庭部分には宿泊客用のコンサートホールが残っており、こちらも必見。
円形の敷地とパステルブルーの内壁が特徴的で、かつては毎日のように芸術鑑賞が行われていました。


また、サナトリウムの建物すぐ裏手には子供たちの遊び場として造られた公園の跡地があるので足をのばしてみましょう。▼

滑り台のような謎の遊具をメインとした小さな公園は、びっしりとカラフルなモザイクで覆われていて圧巻。
公園の敷地は小さいものの、とにかく全てがモザイクだらけなのでかなり見ごたえがあります。


ソ連の子供たちは、この謎の遊具でどのように遊んでいたのか…
雑草に呑み込まれそうになっているカラフルなモザイクを眺めていると、当時の子供たちの楽しげな声が聞こえてくるかのようです。
旧サナトリウム・メタルルジスト

ツカルトゥボにある全ての廃墟サナトリウムの中で、内部が最も良好な状態であると言われるのが、サナトリウム・メタルルジスト(Sanatorium Metalurgist)。
THE・スターリン建築といった巨大で角ばった外観が特徴的で、ガラスの張り方などにもこだわりが見られます。【マップ 青⑩】


サナトリウム・メタルルジストの建物内はエレベーターホールなどがかなり素晴らしい状態で残っているそう。
現在でもアブハジア難民が居住している建物ではありますが、自由に見学することができます。
しかしながら、近年は入口で観光客から「入場料」と称してお金を取ろうとするばばあが出現。
人によって5ラリとか10ラリとか言ってくるのですが、正直ちょっと感じが悪かったのでのぶよは内部に入りませんでした(こういう人にびた一文払いたくないタイプ)。

しかしながら、サナトリウム・メタルルジストの内部はとにかく荘厳だそうなので、気になる人は交渉の上で入場料を払って見学していくのも◎
他のサナトリウムに比べるとかなり綺麗な状態なので、安全面でのリスクも低めで廃墟探索が楽しめると思います。
旧ホテル・トビリシ ハイライト!

アーチ型の回廊が美しかったホテル・メデアと並んで、ツカルトゥボの廃墟めぐりハイライトとされるのが、ホテル・トビリシ(Hotel Tbilisi)の跡地。
四角形を基本にデザインされたスターリン建築の建物ですが、ところどころに絶妙に見られる曲線の美しさが特徴的です。【マップ 青⑪】
ホテル・トビリシの完成は1952年。
建物は七階建ての大規模なもので、当時のツカルトゥボにおいては最大級のサナトリウムでした。


かつてのホテル・トビリシでは建物全体にアブハジア難民が生活をしている場所だったのですが、2025年現在は完全に立ち退きさせられたようです。
ホテル・トビリシは、ツカルトゥボ再開発プロジェクトにおける最初のリノベーション工事が行われている建物。
将来的にはマリオット系列のホテルに生まれ変わるそうで、2025年時点では外壁部分のリノベーション工事が始まっていました。

ホテル・トビリシの建物内にはまだリノベーション工事は及んでおらず、かつてのまま荒れ放題。
かなりひどい状態ではあるものの、造りがしっかりしているためなのか、意外にもそこまで危険な感じはしません。


建物内部には30年以上前の装飾が多く残っており、凝ったデザインの数々にこだわりが見られます。
この場所がどれだけソ連の富裕層に愛されていたのか、きっとイメージできるはずです。


現在進行形でリノベーション工事がされていることもあり、ホテル・トビリシの見学ができなくなってしまうのはおそらく時間の問題。
2025年現在は自由に立ち入り可能なので、生まれ変わる前のサナトリウムの姿を目に焼き付けておきたいものです。
③温泉公園東側エリア

温泉公園の東側エリアは、公園に沿って舗装道路が敷かれた静かな雰囲気。
中規模サナトリウムがいくつか点在しており、どれも自由に立ち入ることができます。
このエリアで特に圧巻なのは、サナトリウム・アイアの建物内にあるモザイク画。
ツカルトゥボに残るソ連アートの中でも唯一無二の保存状態の良さです。
旧サナトリウム・サヴァネ

舗装道路沿いにひっそりとたたずむサナトリウム・サヴァネ(Sanatrium Savane)は、1947年完成とツカルトゥボの中でも古い歴史を持つもの。
現在は完全に放置された状態で、入口付近はもはや林のようになっています。【マップ 青⑫】


完成からかなり長い時間が経過していることもあってか、サナトリウム・サヴァネの内部はかなりひどい状態。
一階の入口ホール部分はなんとか探索できますが、それ以外は今にも崩れそうなので立ち入らない方が良いと思います。

サナトリウム・サヴァネの規模はそこまで大きくはないものの、衣装を凝らした装飾などはなかなか圧巻。
自然に還ろうとしている外観の感じも含め、とてもミステリアスな雰囲気でした。
旧サナトリウム・サムクルナロ

サナトリウム・サヴァネから少し東にあるのが、サナトリウム・サムクルナロ(Sanatorium Samkurnalo)。
ホテルというよりも巨大なアパートを思わせる無機質な外観が特徴的です。【マップ 青⑬】

サナトリウム・サムクルナロは、現在のツカルトゥボにおいておそらく最も生活感がある場所。
アブハジア難民が現役で生活しており、自給自足用の畑なども見られます。
現役の生活の場として機能しているので、内部への立ち入りは控えるべき。
敷地内へは自由に入れるので、外観だけ見学するようにしましょう。
旧サナトリウム・イメレティ

1961年完成のサナトリウム・イメレティ(Sanatorium Imereti)は、ツカルトゥボがあるイメレティ地方の名を冠した立派なもの。
かなり大規模なサナトリウムだったようで、二棟の客室棟を有する宮殿のような造りが特徴的です。【マップ 青⑭】


1960年代という豊かな時代を反映してか、サナトリウム・イメレティは柱や装飾の一つ一つにこだわりが見られる豪華さが魅力的。
かつては客室棟にアブハジア難民が住んでいましたが、現在は完全に無人となっています。

正面入口を入ってすぐの場所は円形のホールとなっており、大理石の柱と天井の装飾が素敵。
建物内の状態は比較的ましな方で、リスク低めで探索することができます。


二階や三階に上ると、意匠を凝らしたエレベーターホールや優雅な螺旋階段などがそのままに残っており、どれもかなり絵になります。
しかしながら、近年サナトリウム・イメレティの敷地の売却が決定したという話も。
2025年現在は自由に立ち入り可能ですが、遠くない未来にここも見学不可となってしまうのかもしれません。
旧サナトリウム・アイア ハイライト

他のサナトリウムからやや離れた場所にぽつりと立つサナトリウム・アイア(Sanatorium Aia)は、わざわざ足をのばす価値ありの建物。
1985年の完成とツカルトゥボの中では最も新しいサナトリウムのひとつですが、現在は他のサナトリウム同様に完全なる廃墟となっています。【マップ 青⑮】
「アイア」というのは、およそ3000年前にジョージア西部で栄えたコルキス王国の都の名前。
完成当初はソ連の政府機関職員向けの宿泊施設として機能していたそうで、敷地内にはカジノ施設まである贅沢さだったのだそうです。


外観からして独特なサナトリウム・アイアですが、この場所を特徴づけるのが二つのソ連モザイクの存在。
本館東側の別棟上部に掲げられたものが一つと、本館西側にあるかつての浴場スペースの壁に描かれたものが一つとなっており、特に後者は抜群の保存状態です。

▲こちらのモザイクは、「ルトヴェリ」というジョージア伝統のワイン造りの様子を描いたもの。
色合いもかなり鮮やかなままに残っており、周囲の荒れ果てた風景とのコントラストがとても不思議な美しさとなっています。
④中心街エリア

温泉公園の北側にはツカルトゥボの中心街エリアがあり、こちらは現在でも町として機能している場所。
「ツカルトゥボ=廃墟」というイメージとは裏腹に、中心街は多くの人々が集まって活気があることに驚くかもしれません。
クタイシからのマルシュルートカの発着ポイントであるツカルトゥボ市場を中心に商店や飲食店が点在し、温泉公園方面へと向かうにつれて活気がなくなっていくのが特徴的。
中心街にもいくつかの旧サナトリウムがありますが、どれも現在は立ち入ることができなくなっています。
ツカルトゥボ市場

ツカルトゥボ中心街ど真ん中の広大な敷地に広がるのが、ツカルトゥボ市場。
ジョージア語では「バザーリ」と呼ばれ、新鮮な野菜や果物、自家製の食材に衣類までが揃う場所です。【マップ 青⑯】
町の小ささを考えると、ツカルトゥボ市場の規模は異常なほどの大きさ。
二階建ての大きな建物はもちろんソ連時代の建造で、内部の雰囲気も昔のまま時が止まっているかのようです。


市場の人たちは旅行者を見かけると、とにかく何かしら売りつけようと声をかけてくる人が多く、散策するにはなかなかエネルギーが必要。
ツカルトゥボでしか買えない食材はほとんどないものの価格帯は安めなので、何か購入してツカルトゥボ経済にほんの少し貢献するのも良いかもしれません。
旧郵便局

温泉公園の北側の入口を出ると、目の前に現れる巨大な建造物が、かつての郵便局だった建物。【マップ 青⑰】
巨大な建物上部にはソ連お得意のレリーフがあったのでしょうが、現在では取り外され、とにかく寂しい雰囲気です。

郵便局の周りには、かつての店舗スペースらしきものがありますが、こちらも完全に打ち捨てられています。
歩道すら整備されておらず、まるで時が止まったかのような光景が連続します。

旧郵便局の横の道を少し北に進んだところには、ソ連時代のレリーフが残されています。

ソ連のアートはどれも手が込んでいて美しいのですが、何を表しているのかわからないのが基本。
このレリーフはおそらく消防隊員の姿を描いたものなので、かつては消防署として利用されていた建物だったのかもしれません。
旧ウニヴェルマグ(百貨店)

ソ連時代のショッピングセンターであるウニベルマグ(Univermag)の跡地も見逃せません。【マップ 青⑱】
地上二階・地下一階の大規模な商業施設で、開放的な中庭にはかつて噴水が設置されていた人工池の跡が残っています。


現在では全ての商店が閉鎖されており、まるで劇場のような巨大な外観と、人々が行き交ったスペースだけが残されています。
Nektariのソ連レリーフ

温泉公園の北側の入口近くにあるNektariというレストラン横には、かなりの規模のソ連レリーフが残っており必見。
モチーフはツカルトゥボとその周辺エリアの風景と神話となっており、高さ10m以上の巨大な作品に圧倒されます。【マップ 青⑲】

▲レストラン入口の扉の上部にも、小規模ながらも素敵なレリーフがあるので、こちらもお見逃しなく。
旧ホテル・シャフティオリ

がらんとした印象のツカルトゥボ中心街でひときわ存在感を放つホテル・シャフティオリ(Hotel Shakhtiori)は、現在完全に立ち入ることができなくなっています。【マップ 青⑳】
ホテル・シャフティオリの内部はかなり見ごたえがあり、立派な劇場などが残っているのですが、もう中に入ることはできないので見ることも不可能。
現在は敷地ごと個人所有となっており、許可無しで無理矢理立ち入るのは法に触れるのでNGです。


今後この建物がどうなっていくのかは分かりませんが、もしかしたら大規模ホテルに改装されて再営業する日が来るのかもしれません。
旧ホテル・イベリア

古代ジョージア東部にあったイベリア王国の名を冠したホテル・イベリア(Hotel Iberia)は、名実ともにツカルトゥボNo.1だった宿泊施設。
しかし、こちらも時代の移り変わりには勝てずに廃墟と化しました【マップ 青㉑】
外国人廃墟マニアの間ではかなり人気が高く、特にエントランス付近の近未来的な内装が有名。
かつては「ツカルトゥボ廃墟めぐりのハイライト」とまで言われていたそうです。
近年までは自由に立ち入ることができたそうですが、2025年現在は立入禁止に。
敷地の周りに柵が設けられて、立ち入ること自体ができなくなっています。


というわけで、のぶよは外からホテルのまわりをぐるりと一周するだけにしておきました。
一部の柵が壊され、誰かが入ったであろう跡も残っていましたが、安全面からもルール面からも中に入るのはやめておきましょう。
ツカルトゥボのおすすめレストラン

ツカルトゥボの中心街にはいくつか飲食店があり、観光時の食事に困ることはありません。
中でものぶよが心からおすすめしたいのが、Khinkali House+というお店。
ツカルトゥボ市場や温泉公園から徒歩5分もかからない好立地にあります。【マップ 赤】


店内はとても綺麗にまとまっており、テーブルセットなどがきっちりとされている感じはなんだかお高いレストランのよう。
しかしメニューを見ると、もはや食堂価格かそれ以下といった激安の料金にびっくりします。
安かろう悪かろうではなく、ちゃんと調理された料理を提供してくれるのも素晴らしい点。
特に、この店のキノコのスープはとにかく絶品で、ニンニクが強めに効いたがつんとした味わいで観光の疲れを癒してくれます。

他にも、ジョージア料理の基本的なメニューはだいたい揃っている感じ。
店名にもなっているヒンカリは、個人的にはやや微妙でしたが、その他はどれもかなり美味しいです。


このお店があまりに気に入りすぎたのぶよは、訪問のたびに通っているのですが、いつ行っても店の人が温かく迎えてくれるのも◎
店内からは調理場の風景が見える造りになっており、自分が注文した料理が出来上がる様子を見ることができるのもユニークです。

そんなわけで、個人的にはツカルトゥボでの食事ならここ一択。
安くてボリューミーで味も良いと三拍子揃っている良心的な店は、もうあまりジョージアには残っていないため貴重です。
ツカルトゥボ廃墟めぐりのまわり方・注意点
ツカルトゥボ観光の効率的なまわり方
ツカルトゥボは中心街こそ小さいものの、観光のメインとなる温泉公園やその周辺に点在するかつてのホテルをまわるとなると、結構な距離を歩くことになります。
当記事内で紹介しているスポットを一日で効率的にまわるなら、以下の地図の通りに行くのがおすすめ。
南から北へ一筆書きのようなルートで、余すところなく見どころを巡ります。▼

ポイントは、マルシュルートカでツカルトゥボへ向かう際に、終点であるバスステーション(中心街)まで行かずに、温泉公園の南側の入口付近で降車すること。
正規のバス停ではありませんが、運転手に「ここで降りたい」と告げれば問題なく降ろしてくれます。
地図内の順番通りに南から北へと一筆書きで見どころをまわり、最後は中心街のバスステーションからクタイシ行きの始発マルシュルートカを利用しましょう。
ツカルトゥボ観光の所要時間

本記事内で紹介しているサナトリウムや浴場跡を全て制覇する場合は、最低でも丸一日は必要。
時間が限られている場合はハイライトのタグをつけている代表的な建造物だけに絞って周る必要がありますが、それでも半日は絶対に必要となります。
また、各サナトリウムの内部をくまなく散策したい場合は一日では絶対に無理。
クタイシから簡単にアクセスできるため現地泊する必要はないですが、丸二日の日程で挑むのが理想的です。
また、現在でも営業している温泉施設の浴場No.6や浴場No.2で温泉体験をしていく場合は、これに+1時間ほどみておきましょう。
ツカルトゥボの廃墟めぐりはとにかく結構な距離を歩き回ることになるので、歩きやすいスニーカー等を着用していくのが絶対。
歩く距離を考えると、やはり一日に全て詰め込むよりも二日間に分けた方が良いと思います。
ツカルトゥボの温泉で入浴体験

2025年現在、ツカルトゥボで温泉浴場として現役で営業しているのは、温泉公園内に位置する浴場No.6か浴場No.2の二ヶ所。
その他にもいくつかの浴場のリノベーションが完了しているものの、まだ営業はしていない状態です。
いずれの浴場も料金や受けられる施術は共通しており、最安料金の場合は広い湯船の共同浴場が基本。
個室浴場の場合は料金が上がってきます。
タオルなどは現地での貸し出しもありますが、自分の物を持参するのが安心。
水着やサンダルなどもお忘れなく。
ツカルトゥボの温泉は放射泉であるため、長時間の入浴は禁忌とされている点に要注意。
「温泉でのんびりしにいく」というよりも「有名な温泉に入って保養地気分を味わう」といった体験重視で訪問した方が誤解がないかもしれません。
廃墟巡り時の注意点
ツカルトゥボの廃墟となったホテルやサナトリウムへの立ち入りは、基本的に自由で合法です(崩落の危険があるものや立入禁止と明記されているものは除く)。
しかしながら何度も記載した通り、廃墟となった建物は住民の生活の場であることも。
訪問客側が最低限のマナーを守ることは当然ですし、配慮ができない人はそもそもツカルトゥボに行くべきではありません。
立ち入り禁止の建物には入らない

基本的なことですが、「立入禁止」と表示がある建物内部の立ち入りは控えましょう。
入口や周囲の壁に赤や黄色の貼り紙(英語表記もあり)が貼られている建物は、崩落の危険が大きいため立ち入り禁止となっています。
内部への立ち入りが禁止でも、外から内部の様子が見られる場合もあるので、ルールはきちんと守るようにしましょう。
安全面は完全に自己責任

30年以上に渡って、何の改装もされず放置され続けてきたツカルトゥボの廃墟ホテルやサナトリウム。
特に建物内部はどれもかなりひどい状態となっており、ガラスが散乱していたりと見学時には細心の注意が必要です。
立入禁止の施設に入るのは言語道断としても、立入禁止ではない=安全が保障されているというわけではありません。
いつ天井が落ちたり、床が抜けたりするとも限らないので、建物内部への立ち入りは完全なる自己責任となります。
住人を尊重する

ツカルトゥボの廃墟で生活している人は、IDP(Internally Displaced Person)と呼ばれるアブハジア難民たちがほとんど。
ジョージア政府的には「不法に居住している」という扱いではあるものの、彼ら/彼女らにとっては大切な生活の場でもあります。
多くの旧サナトリウムでは、住人がいる部分と完全に放置されて無人となっている部分がはっきりと分かれているので、できる限り無人の部分を見学することをおすすめします。
もし、居住部分に立ち入る場合は、
・住人の許可をとる(できれば案内してもらうのが◎)
・写真を撮る場合にはひとこと断る
・挨拶をする
など、ここで生活する人々のプライベートなスペースにお邪魔させてもらっていることを忘れずに行動したいものです。
野犬に注意

ツカルトゥボ観光で注意が必要なのが、野犬。
もはや人より犬の方が多いのでは…?と思うほどに、ツカルトゥボはとにかくどこへ行っても野犬だらけなのです。
野犬はいずれも攻撃的ではなく大人しいものが多いですが、相手は動物。
廃墟となった建物に群れを成して住んでいる場合もあるので、とにかく注意が必要です。
ツカルトゥボへの行き方・アクセス
ツカルトゥボへのアクセス拠点となるのはクタイシ一択。
クタイシ中心街からの距離は10kmほどと近く、タクシーの利用もできますが、安くて便利なマルシュルートカの利用がおすすめです。
タクシー
最もシンプル&効率的なアクセス方法が、クタイシからタクシーを利用すること。
料金の相場は以下の通りです。▼
・クタイシ~ツカルトゥボ片道:15GEL(=¥750)
・クタイシから一日チャーター:150GEL~200GEL(=¥7500~¥10000)
ツカルトゥボ中心街には客待ちのタクシーが多く待機しているので、帰りのことを心配する必要はありません。
タクシーを一日チャーターすれば、プロメテウス洞窟やサタプリア自然保護区など近郊の他の見どころもセットで訪問でき、かなり効率的に周れると思います。
クタイシ~ツカルトゥボ間のマルシュルートカ

ツカルトゥボ行きのマルシュルートカは主に2つの路線が存在していて、いずれもかなり頻繁に走っています。
・30番:クタイシ中心街のレッドブリッジ西詰~ツカルトゥボ市場
・34番:クタイシ中央バスステーション~ツカルトゥボ市場
いずれも運行頻度や所要時間、運賃は変わらないので、出発地にアクセスしやすい方のマルシュルートカを利用するのが◎
個人的にはクタイシ中心街のレッドブリッジ発着の30番が便利だと思います。▼
行き先表記は基本的にジョージア語のみなので、読めない場合は一応運転手に確認しておきましょう。


▲30番/34番のいずれの路線も、ツカルトゥボの温泉公園の東側を通って中心街に至り、バザールが終点。
帰りのマルシュルートカもバザール前の駐車場からの出発となります。【マップ 黄色】
ツカルトゥボ~プロメテウス洞窟のアクセス

多くの旅行者がツカルトゥボとセットで訪問しようと考えるスポットが、さらに北7kmほどの場所にあるプロメテウス洞窟。
ツカルトゥボ~プロメテウス洞窟間の移動は簡単で、ツカルトゥボ中心街から1時間に1本走る42番マルシュルートカを利用します。【マップ 茶色】
いっぽう、クタイシ~プロメテウス洞窟間の直行マルシュルートカは存在しないのがネック。
①クタイシ→ツカルトゥボに移動
②ツカルトゥボ→プロメテウス洞窟に移動
と2ステップの移動×往復分となるので、結構面倒くさいです。

もう一点注意したいのが、42番マルシュルートカは冬季(11月~3月)は不定期運行となる点。
そもそもこの便を利用するのは観光客に限られているので、オフシーズンの冬季は乗客がかなり少ないためです。
オフシーズンに42番マルシュルートカを利用してプロメテウス洞窟に個人で行こうとしている人は、最悪の場合かなりの時間待たされるケースが考えられる点に要注意。
ツカルトゥボ~プロメテウス洞窟間はタクシーを利用しても片道10GEL=¥500ほどなので、この区間の移動はタクシーも選択肢になります。
おわりに

好きな人にはたまらないツカルトゥボの廃墟めぐりに関する情報をこれでもか!と詳細に解説しました。
クタイシからのアクセスも悪くないので、ちょっと変わったデイトリップ先にもぴったりです。
ソ連時代のジョージアの雰囲気が感じられると同時に、当時の建築の素晴らしさや廃墟ならではの退廃的な美が息づくツカルトゥボ。
温泉体験もできるとあって、観光地として返り咲くためのポテンシャルも垣間見える場所だと思います。
すでに何度も触れた通り、ツカルトゥボの廃墟たちがいつまでこのままの状態でいられるのかは未知数。
興味がある人は、ぜひとも行けるうちに行っておくことを強くおすすめします。








































コメント
こんにちは!
現在クタイシに在住している、佐助と言います!
ツカルツボからプロメテウス洞窟へ行く42番のバスの出発地はご存知でしょうか?
以前、ツカルツボの周りの方にも聞いたのですが、人によって発着地が異なっていたり・・・
ツカルツボのバスセンターからはちょっと離れているというのは知っているのですが、正確な場所がわからず。
ご存知でしたら、教えていただきたいです。
佐助様
コメントをいたできありがとうございます。
ツカルトゥボ→プロメテウス洞窟方面のミニバス42番ですが、以前と変わっていなければツカルトゥボ中心街のバザールから道路を挟んだ向かいの交差点の発着だと思います。
https://maps.app.goo.gl/FJJmxz8ZyRhYxCti8
ご参考いただければ幸いです。