こんにちは!コソボを10日間旅した、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
コソボというと、どうしても紛争の歴史が真っ先に浮かんできてしまいます。
観光地としてのイメージは皆無。
何となく、「危ない国」、「治安が悪い国」というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
20年前のコソボ紛争と、その後2008年に独立を達成するまでの10年間は、コソボは正直きな臭い国でした。
セルビア人とアルバニア人の民族対立は武力衝突に発展し、国中で暴動がおこったこともあります。
しかしながら、現在ではコソボ情勢は平穏を取り戻し、私たち旅行者が安全に旅行できる国となっています。
今回の記事は、日本人にとってはほとんど馴染みのないコソボが、いったいどんな国なのかお伝えするものです。
観光スポットはもちろんのこと、コソボの人々や文化についても触れているので、コソボという国を知るきっかけになれば嬉しいです。
1.とにかく若者が多い
コソボの面積は10,887 km²ほどと、とても小さな国。
日本に例えると、岐阜県(10,621 km²)と同程度の面積しかありません。
また、人口も180万人ほどと少なく、三重県(179万人)と同じくらいです。
人口、面積だけを見ても、コソボがどれほど小さな国なのかお分かりいただけると思います。
そんな小国・コソボの人口比率は、「超高齢化社会」なんて言葉がニュースを賑わす日本とは正反対。
なんと、コソボは人口の7割以上を35歳以下の若者が占めるという、超若者社会の国なんです。
日本と同様に高齢化が進む国が多いヨーロッパにおいては、これは奇跡のようなこと。
よく「ヨーロッパで最も若い国」(独立したのが最も最近のため)と例えられるコソボですが、これは人口面においても言えることなのです。
コソボの町を歩いていると、本当にびっくりするくらい多くの子供や若者がいます。
いや、「いる」というよりも、文字通り「溢れかえっている」と言った方が適切かもしれません(笑)
「若者が多い=良いこと」と考えてしまいがちですが、そうでもないのが現状。
なぜなら、こんなに若者がいたところで仕事の数は限られているためです。
そのため、ある程度裕福な家庭で育った若者は、平日昼間から町をぷらぷらし、カフェで友達とつるみます。
一方で、裕福でない家庭で育った若者は、路上で焼きトウモロコシを売ったり、謎のアクセサリーを売ったり、とにかく自分から仕事を探そうとします。
このように、ただ若者が多いだけでは社会は良くなっては行かないのが現実。
しかしながら、コソボを訪れた旅行者は、若者たちが創り出すエネルギーが国中で満ち溢れていることを肌で感じるでしょう。
紛争の悲惨な過去や民族対立を感じさせることすらなく、コソボにあるのはただただポジティブで若いエネルギーー。
きっとこの国の未来は明るいんじゃないか、と感じることができます。
2.日本が好きすぎる
私たち日本人にとっては、コソボは遠い異国の地。
そもそもどこにあるのかすら知らない人も多いかもしれません。
一方のコソボでは、まず日本を知らないという人はいません。
それどころか、日本に対して親しみを感じている人がかなり多いんです。
コソボの町には、やたら”Japan (ヤパン)”の文字を使った看板が目につきます。
車屋やパソコンショップ、商店ですら”Japan Market”なんてものもあったほどです。
(アジア食材店などではなく、本当にただのローカル商店)
コソボ第三の都市・ペーヤには、“Sayonara”というレストランまでありました。
「まさかのコソボで日本食?!やったー!!」
と興奮したのもつかの間。
実際は、よくあるケバブ&ハンバーガー屋でした(笑)
そもそも店名に”Sayonara”ってなんだか縁起が悪そうですが、実際は若者で大賑わいでした。
また、日本人どころかアジア人がほぼゼロなコソボ。
東欧やバルカン半島の多くの国では「アジア系=中国人」という図式が勝手に出来上がっている場合が多いのですが、コソボの場合は違います。
道を歩いていると「ヤパン?(日本?)」や「コンニチワ!」、「アキタケン!(秋田犬?秋田県?)」と話しかけられます。
しかもかなりの高確率で。
のぶよの顔面は、どちらかというと東南アジア方面なのですが、それにもかかわらずです(笑)
「180万人総日本推し」とも言えるほど、コソボでは「日本」がポピュラーなのです。
現地のコソボ人にどうしてなのか尋ねると、納得のいく答えが返ってきました。
「だって、紛争の後で日本はすぐにコソボの独立を認めてくれたし、たくさん援助もしてくれた。ほら!今走ってるバスも日本のバスだよ。あとあそこの橋も日本が作ったものだし…え、なに、知らないの?!」
ごめんなさい。全然知りませんでした。
実は、日本政府はちゃんとコソボに援助をしているんです。私たちが知らないだけで。
いち旅行者でしかないのぶよが、その援助がもととなって生まれたポジティブな感情で、コソボという遠い異国で温かく迎えてもらえる。
日本人で良かったなと思いました。
3.京都そっくりな町がある
のぶよのtwitterでもの凄い反響をいただいたこちらの写真。
まるで日本の宿場町や小京都と呼ばれる古い町並みのようですが、実際はコソボ西部のジャコヴァという町で撮影したものです。
京都の町屋のような木造建築の家々が並ぶ通りは、まるで昔の日本に迷い込んでしまったよう。
屋根に付けられた雨どいや、商品を並べる板を置くために付けられた木組みなど、和を感じる要素がそこら中にあふれています。
ジャコヴァの日本のような町並みは、特に日本が関係しているものではないそうで、オスマン帝国伝統の建築様式と、この地域独自の木造建築が融合したものだそう。
しかしながら、ここまで似ているとなんだかシンパシーを感じてしまいます。
観光客には全く知られていないジャコヴァの町は、あくまでも素朴な雰囲気。
伝統的な町並みをウリにする観光地によくある、お土産屋がズラリと並ぶ通りなどは存在しません。
「コソボの小京都」は、あくまでも地元の人の生活の場となっています。
4.笑顔になれる世界遺産の町がある
「ただ歩いているだけで自然と笑顔になる。」
日本だったら不審者扱いされてしまうかもしれませんが、コソボなら大丈夫。
というのも、笑顔にならずにはいられない、温かい雰囲気に包まれたプリズレンという町があるからです。
世界遺産にも指定されている古都・プリズレンは、首都・プリシュティナに次ぐコソボ第二の都市。
にもかかわらず、驚くほどゆったりとした時間が流れている不思議な町です。
こじんまりとした中心街には見どころが集まっていて、オスマン帝国支配時代を強く感じるエキゾチックな雰囲気は多くの人々を魅了します。
モスクから流れるコーランを詠む声、川沿いでデートする地元のカップル、夕日に染まっていく町並み…。
プリズレンの町全体になんだかローカルな雰囲気が漂っており、観光スポットもとても多いです。
しかし、プリズレンの一番の魅力は、観光スポットよりも温かな地元の人々。
かなりフレンドリーな人が多いコソボですが、プリズレンの人々は別格でした。
道を歩いているだけでとにかく話しかけられますし(アルバニア語で)、通りすがりにおじいさんが笑顔で手を振ってくれたり、知らないおじさんたちに会釈されたり。
なんだか心がほっこりする場面に多く出会います。
日帰りでさっと観光して帰ってしまう人も多いのですが、それではプリズレンの魅力を味わいつくしたとは言えません。
是非何日か滞在してその温かな空気感を感じてほしい、そんな町です。
5.世界遺産だってある
コソボの魅力は、エキゾチックな雰囲気や京都っぽい町並みだけにとどまりません。
小さな国土の中には、世界遺産だってあるんです。
「コソボの中世建造物群」として登録されているのは、四つのセルビア正教の修道院や教会。
一か所にまとまっているわけではなく、国内に点在しているこれらの建造物。
コソボを周遊しながら訪れるのがおすすめです。
イスラム教徒が多数派を占めるコソボにおいて、セルビア正教の聖地であるこれらの修道院は異質な存在。
先のコソボ紛争の後は、民族対立の激化により、アルバニア人過激派の攻撃の対象とされ被害を受けたこともあります。
各修道院の内部では、現在でも修道僧が生活をしており、その雰囲気はまさにセルビアそのもの。
人々はセルビア語を話し、寄付もセルビアの通貨であるディナールで施されます。
コソボという国の多様性を肌で感じることができる四つの世界遺産。
コソボに滞在するなら、是非とも訪れておきたい場所です。
6.分断された町がある
さて。
コソボを旅行するなら、きれいな部分だけを見ていても仕方がありません。
20年前のコソボ紛争は終結したものの、その根っこにあるセルビア人とアルバニア人の民族対立は未だに解決していないのです。
紛争当時~紛争後に比べて、その対立が表面化する機会は減ったものの、未だに和解とは程遠い状況の両民族の対立。
それを象徴するのが、コソボ北部に位地する「分断の町」・ミトロヴィツァです。
その名の通り、イバル川を挟んで北部にセルビア人、南部にアルバニア人が完全に分かれて居住しているミトロヴィツァ。
南北をつなぐ橋は、現在でもKFOR(コソボ平和維持部隊)の部隊によって警備されており、テロなどの暴力行為を防ぐために車両の通行はできなくなっています。
ミトロヴィツァの町南北に隔てる橋を渡って移動すると、その違いに驚かされることでしょう。
なぜなら、セルビア人が住む北ミトロヴィツァでは、人々はセルビア語を話し、看板はキリル文字で書かれ、セルビアの通貨・ディナールが用いられるためです。
一方の南ミトロヴィツァでは、何の変哲もないコソボの日常風景が広がります。
人々はアルバニア語を話し、モスクでお祈りする人々や路上でなんでもかんでも売っている人々の姿が見られる、安定のコソボの地方都市といった雰囲気です。
数十メートルしかない橋を隔てた二つの地域は、同じ町なのにまるで別世界。
コソボに未だに根付く民族対立を、強く感じさせられます。
7.首都が変な建物ばかり
コソボの首都・プリシュティナは、若いエネルギーがひしひしと感じられる町。
コソボ紛争によって町のほとんどが破壊されてしまったため、歴史的な見どころはほとんど残っておらず、ただ単に観光するのだとちょっと退屈かもしれません。
そんなときは、少し視点を変えてみましょう。
多くの建物が紛争後に再建されたプリシュティナの町には、センスを疑うようなヘンテコな建造物がいくつも建っているのです。
「どうしてこうなった?」
と呟いてしまうこと必至のヘンテコな建物たち。
プリシュティナへ行くなら、是非チェックしてみましょう。
8.やっぱりセルビアが大嫌い
「分断の町」・ミトロヴィツァの項でも触れましたが、コソボに住むアルバニア人とセルビア人の対立は、依然としてかなり深いもの。
同じバルカン半島に位置する国で、泥沼の内戦を経験したボスニア・ヘルツェゴビナよりも、民族間の溝は深いように感じました。
実はコソボの人口の9割以上は、アルバニア人。
イスラム教徒である彼らと、セルビア正教徒であるセルビア人の対立は、なにもコソボ紛争を機に始まったものではありません。
歴史的に、コソボの所有権はセルビアとアルバニアの間を行ったり来たり。
そのため、民族対立はかなり前から存在しており、一概にどちらの主張が正しいと言い切ることは難しいのです。
しかし、「大は小を兼ねる」とはよく言ったもの。
コソボでは、9割を占める多数派・アルバニア人の主張が絶対という雰囲気が漂っています。
アルバニア人はコソボの独立を認めないセルビアがとにかく大嫌い。
その憎しみとも言える感情は、「自民族第一主義」として表れています。
コソボでは、自国の旗であるコソボ国旗よりも、アルバニア民族の象徴であるアルバニア国旗を目にする機会が非常に多いです。
アルバニア国旗をつけて走る車や、赤信号になると浮かび上がるアルバニアのシンボルである双頭の鷲のマーク。
彼らは自分たちのことを「コソボ人」とは言わず、あくまでも「アルバニア人」だと言います。
また、コソボでは、他のバルカン諸国で見られる異民族間の婚姻は大変少ないそうです。
というのも、伝統的にアルバニア人はアルバニア人とのみ結婚するという文化があるため、他民族との交わりが少ないため。
この事実も、アルバニア人の民族意識に強く影響しているでしょう。
また、コソボの地名にはアルバニア語とセルビア語の二通りがあることが多いのですが、絶対にセルビア語で読んではいけません。
普段は温和でフレンドリーなコソボの人々ですが、セルビア語を聞くだけでも不快な気持ちになる人も多いそう。
問題なのは、この民族意識が若い世代にも受け継がれてしまっていることでしょう。
両民族の和解までには、まだまだ時間がかかりそうなのが現状です。
9.でも料理はほぼセルビア料理
ものすごく険悪なコソボとセルビアの関係ですが、実は似たり寄ったりな部分もあるんです。
その一つが、コソボの食べ物。
アルバニアからコソボへと旅したのぶよですが、コソボに来てその食文化の違いに驚かされました。
アルバニアでは、バラエティー豊かな煮込み料理やグリル料理が主流で、米も多く食べられます。
一方のコソボでは、とにかく肉をグリルするだけ。
主食はパン一択で、お米料理を見かけたことは一度もありませんでした。
そのパンは、セルビアと同じタイプの「レピーニャ」と呼ばれる、メロンパンのような形をしたもの。
肉料理の調理法や内容も、セルビアと全く同じものです。
アルバニアでは全く見かけない棒状のケバブであるチェヴァピや、ハンバーグのように平たいプリェスカヴィツァ、鶏むね肉のグリルであるベロ・メソなど、見た目も味もバリエーションもセルビア料理そのまんまです。
一つだけ異なるのは、その料理の呼び方。
チェヴァピ(Ćevapi)→チェバプ(Qebap)
プリェスカヴィツァ(Pljeskavica)→ハンブルゲー(Humburger)
など、セルビア語ではなく、無理やりアルバニア語にして呼ばれるのです。
(ちなみに、アルバニア本国にはこれらの料理自体存在しません。)
しかしながら、結局はどちらも同じ料理。
嫌い合いながらも同じ釜の飯を食べている両民族を見ていると、仲良くしてくれればいいのにと感じます。
10.とにかく人が優しい
コソボを旅行した人が最も心に残るものは、町並みや世界遺産よりも人々の優しさではないでしょうか。
もしあなたが、「私は私、他人は他人」という、欧米の個人主義文化を表面だけなぞったような意識が定着した日本の都市部に住んでいるなら、きっとその常識はコソボで覆されるはず。
コソボではとにかく人と人との距離が近いんです。
相手が見ず知らずの人であろうと、言葉が伝わらなかろうとお構いなし。
みんなとにかく話しかけてきます。
外国人に対する興味からであったり、困っている様子だから助けてあげようという親切心からだったり、ただの暇つぶしだったり(笑)
理由は如何にせよ、下心を持って話しかけてくる人はまずいません。
日本でいきなり知らない人に「スイカ食べる?」なんて話しかけられることがあるでしょうか?
通りかかったカフェで、若者グループに手招きされて、なぜかお酒をごちそうになることがあるでしょうか?
お隣のアルバニアでもこういうことはあったのですが、コソボの人々はアルバニア以上に人懐っこい印象です。
まだまだ外国からの観光客が少ないコソボ。
とても印象的だったのが、「コソボへようこそ」ではなく「コソボに来てくれてありがとう」と言われることが多かったことでした。
ただの旅行者が「来てくれてありがとう」と感謝してもらえる国に、これまでのぶよは出会ったことがありません。
とにかくフレンドリーなコソボの人々に心を温められたことは、忘れられない旅の思い出となることでしょう。
おわりに
私たちがまだ知らないコソボの10の真実、いかがでしたでしょうか。
のぶよ自身も、コソボに関する知識は全くありませんでした。
「小さな国だし、2~3日でまわれるかな」と思っていたくらい。
しかし、知れば知るほど面白いのがコソボという国。
温かな人々が作り出す、のんびりとした居心地の良い雰囲気と格安な物価も相まって、気づけば10日間も滞在していました。
紛争や民族対立、失業率の高さなど、まだまだ問題は山積みなコソボ。
しかしながら、そこで逞しく生きる人たちの表情はとても明るく、こちらまで元気をもらえるくらいです。
この記事が少しでも多くの人に、コソボという国に興味を持ち、知ってもらえるきっかけになれば嬉しいです。
コメント