こんにちは!ジョージア南部のクヴェモ・カルトリ地方をのんびり旅行中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
さてさて。ジョージアに滞在すること3年弱。長い間行きたいと思いながらもなかなか機会がなかった地域をようやく旅してきました。
それがツァルカ(Tsalka / წალკა)の町を中心とするエリア。
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ツァルカが位置しているのは、ジョージア南部のクヴェモ・カルトリ地方の西端。
人口湖であるツァルカ湖を中心に、小さな村々が点在する風光明媚なエリアです。
首都のトビリシから車で2時間ほどとそう遠くないものの、ツァルカ周辺地域を訪れる旅行者の数はかなり少なめ。
近年、ツァルカ郊外にダイヤモンド・ブリッジなる観光名所ができたことでようやく注目を集めはじめましたが、まだまだ穴場感ただよう地域です。
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観光的な魅力ではジョージアの有名観光エリアには敵わないかもしれませんが、ツァルカ周辺エリアには独特の歴史に育まれた奥深い文化が感じられるスポットが点在していることも見逃せません。
実はツァルカは、200年ほど前にギリシャ系住民によって拓かれた町。
現在の町からはギリシャ文化の名残は感じにくいですが、このギリシャ系住民の存在こそが、ツァルカがジョージアの他エリアと大きく異なる歴史をたどった最大の理由となっています。
現在のツァルカ周辺エリアは「ジョージアで一番の多民族エリア」と称されるほどに、民族の多様性が大きい点も特徴的。
バックグラウンドや宗教が異なる人々が肩を寄せ合って生活する不思議な調和も、ツァルカの大きな魅力だと思います。
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今回の記事は、ジョージア観光の穴場エリアとして推したいツァルカ&周辺エリアの観光情報を徹底解説するもの。
これさえ読んでおけば、ツァルカ観光はもうバッチリ。
複雑な歴史に育まれた「ジョージアで一番の多民族な町」の魅力を100%満喫できるはずです!
ツァルカ観光のハイライトとされるダシュバシ渓谷については、本記事ではあえて観光情報を紹介していません。
というか、ダシュバシ渓谷はもはや「行ってはいけないツーリスト・トラップ」。その理由は後述しています。
ツァルカの歴史をザックリと。
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現在でこそ「よくある田舎の寂れた町」といった雰囲気のツァルカですが、実はジョージアでも有数の長い歴史を持つエリア。
特に近代に入ってからのツァルカ周辺地域の歴史は、ジョージア全国を見渡しても他に例がないほどに独特のものでした。
つい30年前までは人口の90%がギリシャ系で、ギリシャ文化が強く香る「コーカサスのギリシャ」として黄金時代を謳歌していたツァルカ。
しかしながら現在の町ではその雰囲気の片鱗すら感じられず、ギリシャ系住民の人口はたったの7%にまで激減してしまいました。
いったいどうして、200年以上続いたツァルカのギリシャ文化は、こうも短期間のうちに消え失せる運命となったのでしょうか。
ここでは、訪問前に絶対に知っておきたいツァルカ周辺地域のユニークな歴史をザックリと解説していきます。
①7000年前:古代のツァルカ周辺地域
ツァルカが位置するクヴェモ・カルトリ地方は、ジョージアのなかでも最も古い時代から人類が居住していたとされる地域。
エリア南部のドマニシでは、アフリカ以外で世界最古の人骨が発見されており、なんと180万年も前のものだということが明らかになっています。
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また、ジョージアで最も古い8000年前のワイナリーの遺跡が発見されたのもクヴェモ・カルトリ地方において。
気の遠くなるような大昔から人々の営みが存在していたことを強く実感させるエリアなのです。
ここ、ツァルカ近郊でも太古の人々が生きた証が発見されています。
それが、ティクリサ村近郊にある石器時代のペトログリフ。▼
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およそ7000年前のものと判明しており、当時の人々のライフスタイルを研究する大きな手掛かりとなっています。
②18世紀~19世紀初頭:ツァルカの歴史の創始者「ポンティク・ギリシャ人」の移住
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そんな太古の大昔から時は流れ、ツァルカ周辺が村として機能しはじめたのは意外にも最近のこと。
18世紀末~19世紀前半(250年前~200年前)にかけて、ポンティク・ギリシャ人(Pontic Greeks)が移住してきたのがツァルカの始まりです。
「ポンティク・ギリシャ人」の定義は難しいのですが、ここではオスマン帝国北東部(現在のトルコ・トラブゾン周辺エリア)に居住していたギリシャ人のことを指します。
現在のトルコ北東部は、古代にはギリシャ系のポントゥス王国が栄えた地域。
そのためもともとギリシャ系住民が多かったのですが、18世紀末からのオスマン帝国とロシア帝国の対立&戦争がはじまると、迫害を恐れた彼らは安寧の地を求めて各地に離散することになります。
こうしてポンティク・ギリシャ人の一派が到着し、定住しはじめた地のひとつが、ここツァルカ周辺地域でした。
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もともとポンティク・ギリシャ人が多く住んでいたのは、現在のツァルカ中心部ではなく、西に9kmほど離れたサメバ(Sameba / სამება)という村の辺り。
サメバ村には古い民家が多く残っており、そのうちの一部はポンティク・ギリシャ人が建設したものです。
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いっぽうのツァルカ中心部はソ連時代に整備されたもの。
近年、町全体の再開発が行われ、整然とした雰囲気のありふれた地方都市の光景が広がります。
③19世紀半ば~1991年:ツァルカのギリシャ文化黄金時代
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ツァルカ周辺に定住したポンティク・ギリシャ人は、ギリシャ正教の教会を建設し、地域全体に50ほどの村を作りました。
20世紀前半(100年前)にジョージア地域の支配権がロシア帝国からソ連へと移っても、ツァルカ周辺のギリシャ人コミュニティーには大きな影響はなかったよう。
後からやって来たアルメニア人住民やアゼルバイジャン人住民とも、比較的うまくやっていたようです。
1990年までのツァルカ周辺地域の人口は、最盛期で5万5千人ほど。
そのうちの90%にあたる5万人がポンティク・ギリシャ人だったそうで、他の民族との共通語はロシア語よりもギリシャ語が主流だったほどだそうです。
ツァルカ周辺地域はソ連全体で唯一、学校教育でギリシャ語の授業が取り入れられていた事実も、この地域の独自性を際立たせます。
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ソ連時代には、ツァルカに巨大な貯水池を作って水力発電所を建設する計画が持ち上がりました。
こうして出来上がったのが、現在「ツァルカ湖」と呼ばれる巨大な貯水池。
貯水池建設にあたって2つの村が水底に沈む運命となったそうで、水位が低い時期にはかつての村の建物の屋根が湖面に顔を出す光景が見られるそうです。
④1991年~現在:ギリシャ文化黄金時代の終焉→多民族の町へ
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ツァルカの「ジョージアの中のギリシャ」という独特な事情が大きく変化することになったきっかけが、1991年のソ連崩壊&ジョージア独立でした。
当時の新ジョージア政府は少数民族に対してジョージア民族への同化政策を強いたため(これが現在にまで続く多くの民族問題を生み出すことになった)、多くのポンティク・ギリシャ人住民が自身のルーツがあるギリシャへと移住してしまい、ツァルカ周辺地域のギリシャ人住民の数は激減。
この地を去ったポンティク・ギリシャ人の家にはアルメニア人が入れ替わるように住み着き、ギリシャ人の村はアルメニア人の村へと劇的に変化することになりました。
さらに90年代半ばになると、ジョージア西部のアジャラ地方出身のイスラム教徒ジョージア人が大量にツァルカ周辺地域に移住して来たため、町の人口構造はとうとうジョージア人が多数派に。
この地で200年以上に渡ってこの地で育まれてきたギリシャ文化は、たったの10年もしないうちに一気に破壊され、現在ではその名残を見つけることさえ難しいほど。
現在のツァルカ周辺地域に残るポンティク・ギリシャ人の人口はたったの160人ほどと言われており、町の人口比では7%ほどの少数派となっています。
行っっちゃダメ!「ツァルカ観光ハイライト」とされるダシュバシ渓谷について
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近年、「ツァルカ観光のハイライト!」と宣伝されているダシュバシ渓谷(Dashbashi Canyon)。
かねてからツァルカを訪れる旅行者にとって、この場所に訪れることがツァルカ観光最大の目的となっており、マイナーではありながらもトビリシから日帰りで訪れる旅行者も少なくありませんでした。
ダシュバシ渓谷の谷底には優雅でダイナミックなダシュバシの滝が流れ落ちており、およそ千年前建造の聖ギオルギ教会からのパノラマビューとともに、「トビリシからの日帰りハイキングの聖地」として知られていました。
どうして過去形で話しているかというと、2022年にオープンした「ダイヤモンド・ブリッジ」がダシュバシ渓谷の全てを変えてしまったからです。
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ダイヤモンド・ブリッジとは、ダシュバシ渓谷の上部にガラス製の透明な橋を架け、その中央部分にダイヤモンド型の展望台を設けようという一大プロジェクト。
橋だけでなく、渓谷ギリギリの場所に設置された巨大空中ブランコや、宙づりにされた自転車で渓谷の上を空中散歩するアトラクションなども整備され、「ダシュバシランド」のようなテーマパークが出来上がりました。
プロジェクトはジョージア政府とイスラエルのリゾート開発会社「カス(Kass)」の共同出資により進められ、長期間に及ぶ大規模工事を経て2022年にようやくオープンしたばかり。
ツァルカ地域観光の起爆剤として、注目を集めているのが現状です。
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と、ここまではダイヤモンド・ブリッジの概要を紹介してきましたが、のぶよはこの場所が大っっっ嫌いです。
ほんと、この記事を読んでいる人には訪問をおすすめしません。
その理由が以下の4点。
①あまりに高すぎる入場料
②自然環境や歴史的建造物の保護を無視
③あまりにずさんな管理
④近隣住民のメンタリティーを根底から変えた
ここからは、のぶよがダシュバシ渓谷が大嫌い&訪問をおすすめしない理由をつらつらと書いていきます。
「ダイヤモンド・ブリッジを渡って空中ブランコに乗って滝で集合写真を撮りたいぃぃぃ」的な、きらきら星ぃ~ジョージアで日本人ノマドのみんなと楽しい小旅行ぅ~ 的な人は、どうぞお戻りになってダイヤモンド・ブリッジへの夢を存分に膨らませておいてください。
①あまりに高すぎる入場料
ダイヤモンド・ブリッジの完成後、渓谷やダシュバシの滝、さらには周辺エリアへの立ち入りは完全に有料となりました。
驚くべきが、その入場料。
外国人49GEL(=¥2500)/ジョージア人29GEL(=¥1500)と、ジョージアの有料観光施設の中でも群を抜いた高さです。
…良いですか?ここはイタリアやクロアチアなどヨーロッパの一大観光立国ではありません。ジョージアです。
ジョージアの物価を考えるとあまりに足元を見過ぎた価格だとしか言えません。
そもそも、自然スポットで入場料をとるという考え方がのぶよ的には無理。
人間の力が及ばず、誰しもが自由に触れられるべき自然に金額を設けるなど、愚の骨頂だと思います。
②自然環境や歴史的建造物の保護を無視
ダシュバシ渓谷一帯は、ジョージアが指定した自然保護区に指定されています。
それにもかかわらず、大規模工事がハイペースで行われたため、渓谷の生態系や自然環境に大きな悪影響が出ていることがすでに報告されています。
また、工事の際の振動により、渓谷上部に位置する聖ギオルギ教会などの貴重な歴史的建造物に大きなダメージが与えられたとの研究結果も報告されています。
分かりやすいキラキラしたものを作るために、太古の昔から存在していた大自然や千年の歴史がある建物の保護をないがしろにするなんて、本末転倒が過ぎるのでは?(まあ近年のジョージアはまじでこういう感じのキラキラ観光開発を進めているので、何を言っても無駄感はある)
③あまりにずさんな管理
ダイヤモンド・ブリッジを渡る際には、靴の上にビニール袋をかぶせなければいけないルールがあります。
その理由が「ガラス製の橋を傷つけないため」。
「いやいや、自然や歴史的建造物を大きく傷つけておいて何言ってんの…?」という感じしかしないのですが、この靴用ビニールが大問題。
渓谷に架かった橋という立地上、ダイヤモンド・ブリッジ周辺では常に強い谷間の風が吹いています。
そのため、使用済のビニール袋が飛ばされて自然保護区ど真ん中の谷底に溜まり、大量のゴミが生まれるわけです。もちろん、それを間違って食してしまう野生動物や野鳥への影響も計り知れません。
また、車椅子でダイヤモンド・ブリッジに入場しようとした旅行者が入場拒否されるという問題も発生しました。
もちろんその理由は「ガラス製の橋が傷つくから」。ちょっとまじでいい加減にしてほしいです。
④近隣住民のメンタリティーを根底から変えた
実は、ダシュバシ渓谷に至る道は二本存在します。
ツァルカの中心街から最短の道は、ダイヤモンド・ブリッジへの入場ゲートでブロックされており、高い入場料を払った人だけが通れるようになっています。▼
いっぽうで、ツァルカから南に大回りし、渓谷の南側に位置するダシュバシ村を経由するもう一つの道も存在します。▼
「なあんだ、ちょっと遠回りしてでもこの道を通れば、無料で渓谷の風景や聖ギオルギ教会くらいは見られるのでは?」と思った人、甘いです。
なぜなら、この道はダシュバシ村の住民によって(自発的に?)ブロックされているため。
実際に、ツァルカ近郊の同じ宿に泊まっていたスイス人がこのルートを通ろうとしたところ、村人に止められ「ここから先は入場料を払った人かダシュバシ村に宿泊した人しか通れない!」とものすごい剣幕で言われたそうです。
ダシュバシ村には、ダイヤモンド・ブリッジ効果にあやかろうとしたキラキラゲストハウスやキラキラグランピング施設(どれもものすごく高額)が次々とオープンしており、金に糸目をつけない観光客がもたらすマネー効果に味を占めた村人は、「ジョージアの古き良きホスピタリティー?そんなの糞くらえ」となってしまったのでしょうか。
それとも、ダイヤモンド・ブリッジの運営会社「カス」から補助金でもたんまりもらっているのでしょうか。(それだったらまじで二重の意味でカスだと思う)
いずれにしても、かつてはハイキングの聖地とされていた場所がこうも短期間で激変してしまったことに、悲しみしか感じません。
というわけで、ダシュバシ渓谷には行かなくてOK
ダシュバシ渓谷の自然の素晴らしさや、ダシュバシの滝の美しさ、古くから渓谷を見守って来た聖ギオルギ教会の歴史的価値は、どれも本物です。
しかしながら、のぶよ個人的にはこうした「ジョージアにもともとちゃんとあるもの」をぶち壊して、見栄えがするものを無理矢理造り、金に糸目をつけない金持ち観光客を呼ぼうとするジョージアという国&運営会社の方針には断固反対ですし、こんなカスみたいな場所にびた1ラリも払いたくありません。
というわけで、当ブログ的にはダシュバシ渓谷は「行かなくて良いただのツーリスト・トラップ」。
むしろ、この場所を「ジョージアで絶対行くべき観光スポット10選!」等で紹介する人がいたなら、「ああ、映えさえすればなんでも良いんだな…」と生ぬるい目で見てしまいます。
もちろん、「せっかくこんなジョージアの僻地まで来たんだから、ダイヤモンド・ブリッジを渡りたいし遊歩道から滝を見たい!」という人は、そういうものを推している人の情報を参考にぜひ行ってください。このブログを見ている場合ではないです。
本記事は、そうではない旅行者向けに「ツァルカ周辺地域にちゃんとあるものやピュアな魅力」だけに焦点を当てて紹介しています。
ツァルカ観光マップ
灰色:ニノツミンダ方面マルシュルートカ停留所
青:ツァルカ市内の見どころ
緑:ツァルカ周辺の見どころ
赤:おすすめレストラン
紫:ホステル
ツァルカ市内の見どころ
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ツァルカの中心街は、徒歩で十分にまわれる規模です。
ソ連時代に整備され、近年の再開発を経て綺麗に生まれ変わったストリートはとても清潔な雰囲気。
しかしながら人影はまばらで活気はあまり感じられず、どことなく人工的な雰囲気に思えてしまいます。
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ツァルカ中心街の見どころは限られていますが、いずれもこの町の歴史が強く感じられるもの。
観光時間は1時間半~2時間ほどみておけば十分に満喫できるはずです。
ツァルカ・モスク
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ツァルカ中心街で絶対にはずせないのが、町はずれにひっそりと建つツァルカ・モスク。【マップ 青①】
外観は普通の民家にしか見えませんが、それも納得。
およそ20年前にツァルカに移住して来たアジャラ地方のイスラム教徒ジョージア人たちが空き家を買い取り、内部をモスクに改装したものであるためです。
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ツァルカ・モスクの内装は、アジャラ地方山間部の村々でよく見られるカラフルでポップなもの。
小さなタイルを一枚一枚貼り付けた柱や、カラフルな木製テラスなど、この聖地を創り出した人々のセンスの良さや自分たちの伝統を守ろうという気持ちが強く感じられます。
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現在のツァルカの人口は、アジャラ地方出身のイスラム教徒ジョージア人とアゼルバイジャン人住民を合わせておよそ40%ほどがイスラム教徒だそう。
毎週金曜日には、周辺地域のイスラム教徒も含めて2000人ほどの人々がこの場所に集まるのだそうです。
イスラム教徒ではないジョージア人住民やアルメニア人住民、数少ないポンティク・ギリシャ人住民などのキリスト教徒住民と、イスラム教徒住民の間には軋轢も少なからずあるそうですが、現在のところは目に見える対立はなく、なんとなくうまくやっているよう。
微妙なバランスで多民族/多宗教の人々が共存している、ツァルカという町を象徴する建物が、このツァルカ・モスクなのかもしれません。
ツァルカ教会
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ツァルカの近代史を静かに現在に伝える存在が、中心街に位置するツァルカ教会(Tsalka Church)。【マップ 青②】
1910年にポンティク・ギリシャ人によって建設されたギリシャ正教会で、現在でも現役の祈りの場として機能しています。
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ツァルカ教会の敷地には、かなり立派な大聖堂と小さな礼拝堂の二つの建物があり、いずれにも神聖な雰囲気が漂っています。
はじめに完成したのは小さな礼拝堂の方で、後に大聖堂が建設されました。
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大聖堂に比べて歴史の長さを感じさせる小さな礼拝堂は、内部も含めて必見。
ジョージア正教の教会とはやや雰囲気が異なり、イコン画の種類も異なっていることがわかります。
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現在のツァルカのポンティク・ギリシャ人住民の人口は、たったの160人ほど。
彼らにとって大切な聖地であると同時に、ジョージアの他地域に住むギリシャ系住民にとっても重要な祈りの場となっています。
ツァルカ郊外の見どころ
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ツァルカ中心街の散策を終えたら、ツァルカ湖を中心に広がる周辺エリアへと足をのばしてみましょう。
長い歴史を持つ村や、古代の人々の暮らしに触れられるスポット、神聖の極みとされる教会まで、個性豊かなスポットが点在しています。
①ペトログリフ
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ツァルカから西へ10kmほど離れたティクリサ(Tiklisa / თიქლისა)という村の近くにひっそりと残るのが、石器時代のペトログリフ。【マップ 緑①】
「ペトログリフ」とは、古代の人々が石などに刻んだ絵や記号のこと。
当時の生活や風俗、自然環境を知る大きな手掛かりとされています。
ティクリサ村のペトログリフは7000年前のものであると判明しており、ジョージアで発見されたペトログリフの中では最も古いもののひとつです。
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ペトログリフに描かれているのは、鹿やオオカミ、山羊などの動物や人間の姿がメイン。
このことから、当時のツァルカ周辺地域は広大な森林地域だったのではないかと考えられていのだとか。
ペトログリフの中には、ジョージアには存在しないラクダを引いた商人らしき人の姿が描かれたものもあり、当時のコーカサス地域の交易ルートを解明する手掛かりとして注目されているそうです。
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全部で100以上ものペトログリフが確認されているそうですが、肉眼で確認できるのはその10分の1ほど。
風雨にさらされてほとんど見えなくなってしまったものや、後の時代に上からいたずら書きがされてしまったものなども多く、歴史的大発見の保全が最大の課題となっています。
(キラキラダイヤモンドブリッジなんか作る前に7000年前の貴重な作品を保護する方が先では…?ほんと、こういうところがジョージアのダメなところ。)
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ペトログリフが描かれているのは、ティクリサ村の南側の渓谷地帯。
ここから眺めるクヴェモ・カルトリ地方の大地のパノラマはとても美しいです。
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ペトログリフがある場所までは看板や案内標識等はいっさいないため、知らなければアクセスは不可能。
車両でのアクセスは途中まで可能ですが、最後の数百メートルは自分の足で歩くことになります。
ティクリサ村~ペトログリフまでの詳細なルートは下のタブ内で解説しているので、実際に訪れる場合は参考にしてください。
幹線道路沿いのティクリサ村~ペトログリフまでは、片道1.2km/20分ほどの道のり。
ややアップダウンがある道のりですが、誰でも簡単に歩けるレベルなのでご安心を。
徒歩ルートの入口となるのが、ティクリサ村の最も東に架かった橋。
橋の東側(川の左岸)の道を右(南方向)に曲がります。▼
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橋を曲がると未舗装道路となり、数軒の民家が斜面に点在する集落に出ます。
この斜面を登り、丘の上を目指しましょう。▼
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集落を抜け、丘の頂上に到着すると、大きな電波塔が見えます。
この電波塔の右側を通る下り坂を進んでいきます。
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▲ 下り坂からは、こんな感じの渓谷の風景が見えるはず。
小道の先にある小さな教会を目指します。
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教会に設置された階段を上ると、丘の中腹を真っすぐに進んでいくルートに。
これを400mほど歩いた先、左手に現れる断崖絶壁の崖に、ペトログリフが描かれています。
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ペトログリフが描かれた岩肌の目印が、この場所をすでに訪れた人々が積み上げた三途の川のような石。
注意深く岩肌を観察してみると、7000年前のアートがびっしりと描かれていることに気づいて感動するはずです!
②ベルタ教会
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ツァルカ中心街から西に20kmほど離れたベルタ村にあるのが、ベルタ教会。【マップ 緑②】
正式名称は「三人の聖父修道院」(Fathers Region a Monastery of Three Hierarchs)。
ジョージア人の間では最も神聖な地の一つとされており、ツァルカ周辺エリアだけではなくトビリシからも多くの巡礼者が訪れます。
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ベルタ教会がこの場所に建設されたのは6世紀~7世紀(1500年前~1400年前)のこと。
その後は中世以降の異民族の侵入や大国の支配により廃墟と化したものの、19世紀(200年前)にこの地に移住して来たポンティク・ギリシャ人によって再建され、ギリシャ正教会として機能していました。
その後、ジョージア独立にともなうポンティク・ギリシャ人住民の激減にともない、現在はジョージア正教会として機能しています。
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ベルタ教会において最もユニークな点が、この地に古くから湧く聖水の真上に教会が建っている点。
湧き出た水は教会の前に小さな泉を作り、教会の敷地のすぐ外を流れる川へと流れ出ていきます。
この泉の水はとても神聖なものとされ、飲用も可能。
泉の水はかなり冷たく、美味しい山の水のような味でした
多くのジョージア人巡礼者が、コップで水を飲んだりペットボトルに泉の水を汲んでいく姿も印象的。
この場所が多くの人にとって神聖な地であることが肌で感じられます。
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ベルタ教会でもう一つ不思議なのが、この聖なる泉には野生のマスが棲んでいること。
マスは昔からずっとこの泉に生息していたようで、教会の床下から近くを流れる川までを自由に泳ぎ回っているのだそう。
出て行こうと思えば泉から川へ抜け、遠くツァルカ湖まで泳ぐこともできるのに、ベルタ教会のマスはなぜかいつも泉に戻って来るのだそうです。
「このマスに触れると万病が治る」とも言われており(まあジョージアにはよくある話)、ある意味神格化された神の化身のような存在になっています。
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聖なる泉の真上に建つ教会の内部はとても狭く、ちょっとした礼拝堂といった感じ。
内部は意外に新しかったので、近年リノベーションされたのかもしれません。
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教会内部への入口右側の壁には、キリストがマスを足で捕まえようとするシーンが刻まれています。
これは、ジョージア全国を見渡してもベルタ教会ならではのユニークな作品。
訪問時にはチェックすることをお忘れなく!
ツァルカのおすすめレストラン
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飲食店の数こそ限られているツァルカですが、その価格のリーズナブルさと質の高さは驚くべきもの。
トビリシからやって来ると、「こんなに安くこんなに美味しいものが食べられるの…?」と衝撃を受けるかもしれません。
ここでは、ツァルカ滞在時に一度は足を運びたいレストランと食堂2軒を紹介します。
ツァルカ湖でとれる名物の「リャプーシュカ」に挑戦するのをお忘れなく!
①Pontia
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ツァルカと周辺エリアで知らぬ者はいない伝説のレストランが、Pontia。【マップ 赤】
もともとは地元の人に愛される食堂といった感じの店だったそうですが、その噂は口コミで広がり、現在ではトビリシなど他都市からわざわざやって来る人も少なくないのだそうです。
Pontiaという店名は、ツァルカ周辺地域の歴史のはじまりを築いたポントゥス・ギリシア人からとったもの。
グループ客にはギリシャ料理のメニューも別途提供しているそうです。(要事前予約)
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内装的にややお高めのレストランなのかと思ってしまいますが、Pontiaのメニューはとてもリーズナブル。
食堂価格とまでは行きませんが、トビリシの同レベル帯の店に比べると3分の2~半額ほどの良心的な価格です。
前菜やサラダ、スープ系にグリル系など、ジョージア料理の基本を押さえたメニューから何を注文しようか迷いますが、絶対に食べてほしいのがリャプーシュカ(Ryapushka / რიაპუშკა)という小魚(8GEL=¥400)。
ツァルカ湖でよくとれる魚で、フライかボイルか調理方法を選ぶことができますが、おすすめはフライです。▼
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まるで肉厚のワカサギのような味わいのリャプーシュカは、外はこんがり&中はふんわりの極上食感。
湖の魚ながらも臭みはゼロで、レモンをキュッと絞ってかじれば魚の芳醇な風味が口の中いっぱいに広がります。もはや天国…。
これ以外のメニューもとても美味しそうだったPontia。
さすが伝説のレストランとして語り継がれるだけのことはある、名店中の名店です。
②ヒハニ
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ツァルカでもう一軒おすすめしたいのが、ヒハニ(Khikhani / ხიხანი)というお店。【マップ 赤】
伝説の大人気レストラン・Pontiaの真向かいに位置するという残念過ぎるロケーション&やや時代遅れの内装のせいかいつ行ってもガラガラなのですが、味は確かです。
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ヒハニのメニューは、ジョージア料理の基本を押さえたもの。
最大の特徴が、普通は豚肉や合い挽き肉を用いる料理でもすべて牛肉100%で代用されることでしょうか。(おそらくアジャラ地方出身のムスリムジョージア人経営なんだと思う)
このお店でとにかく食べてほしいのが、ヒンカリ。
店の雰囲気的にさほど期待もせずに適当に頼んだのですが、これがもう大正解of大正解でした。
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牛ひき肉100%使用だという具はほろっほろ。塩加減やハーブの量も完璧で、肉の旨味がしっかりと感じられます。
皮の中にたっぷりと入ったスープにも牛の旨味が染み出しており、もはや食べ物というより飲み物のよう…。
まさかこんな田舎の町でこんなに美味しいヒンカリに出会うなんて夢にも思っていませんでした。
間違いなく、これまでジョージア各地で食べたヒンカリの中で上位に入る美味しさです。
伝説の店の影に隠れた、超穴場の食堂・ヒハニ。
とにかく、ここのヒンカリを食べずにツァルカを去ることなど絶対にできません!
ツァルカの宿情報
「ツァルカにガッツリ&のんびり滞在してみたい!」と考える旅行者にとっての最大のネックが、この町には安宿が存在しないこと。
それもこれもダイヤモンド・ブリッジ効果なのですが、何の変哲もないゲストハウスでもジョージア地方部の相場の2倍以上の宿代だったりします。
そして、ツァルカの中心街エリアにはそもそも宿の数が少なく、選択肢がほとんどないのも悩みどころ。
個人宅を旅行者向けに開放したゲストハウスが主流で、大型ホテルや格安ホステルは存在しません。
いっぽうで、ツァルカ中心街から2kmほど離れたダイヤモンド・ブリッジがあるダシュバシ村周辺には、キラキラグランピング宿やお洒落ホテルなどが次々にオープンしているので、そういった宿が好みの人はどうぞそちらへ。
ここでは、ツァルカの隣村であるトベティ(Tbeti / ტბეთი)にある素敵な宿を紹介します。
Coucou Hostel
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・部屋タイプ:7ベッドドミトリー
・料金:40GEL(=¥2000)
のぶよがツァルカで3泊したのが、Coucou Hostelという宿。【マップ 紫】
民家を改装して宿泊客向けに開放した宿で、ツァルカ湖を間近に望むレイクビューが感動ものです。
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Coucou Hostelはフランス人のカップルが経営しており、ジョージアを旅するフランス語話者が集まる「小さなフランス」のような雰囲気。
ツァルカの中心街までは5km/徒歩1時間ほどの距離があるので、ツァルカ市内観光の拠点として滞在するよりも、この宿での滞在を楽しむ目的で滞在するのが良いかもしれません。
・立地:3/10
ツァルカの中心街からはかなり距離があり、ツァルカ観光目的での滞在は不便。
公共交通手段もないので、徒歩かヒッチハイクでいちいちツァルカまで移動しなければなりません。
しかしながら、湖を一望する静かな環境は素晴らしいもの。
小さな商店が徒歩5分ほどの場所にあり、最低限のものは手に入ります。
・アクセス:8/10
ほとんどの場合は宿の人が宿にいて出迎えてくれるのですが、彼らがツァルカに出ている際は宿に誰もおらず、戻るのを待たされることもあるかも。
予約する際にあらかじめ到着時間を伝えておくのが安心です。
・スタッフ:9/10
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若いフランス人カップルが経営しており、なんとも言えないゆるさとリラックスした雰囲気です。
みんなでBBQをしたり食卓を囲んだり、きっと楽しい思い出ができるはず!
・清潔さ:7/10
基本的には清潔に保たれていますが、細かいところで掃除の甘さが見られることも。(窓の埃とか本当に細かいところ)
ドミトリーのベッドやバスルームはとても清潔で、キッチンはややごちゃごちゃしているものの問題ないと思います。
・設備:9/10
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ドミトリー部分も共用エリアも、設備的には大満足。
広々とした庭があり、ゆったりとした極上の時間が過ごせます。
キッチンはオーナーのカップルと共用となるので、ガッツリ自炊するのは難しい点がマイナスかもしれません。
・wi-fi:0/10
なんとこの宿、インターネットがありません。
スマホのデータがあれば問題ないのですが、そうでない場合はインターネットなしの生活となります。
これはやや不便だなと感じたので、導入してほしいものです。
・雰囲気:10/10
アクセスやWi-Fiがないことなど、色々不便な点がある宿ですが、最大の魅力は雰囲気だと思います。
都会の喧騒を離れて、数日間のんびり過ごすにはとにかく抜群の環境。
宿の人たちの感じもとても良く、リラックスした滞在ができます。
・総合:6.6/10
最大のネックとなるのがツァルカ中心街からの距離とインターネットがないことですが、そこさえ気にならないならおすすめしたい宿です。
ツァルカ中心街に宿泊するのとは完全に異なる環境と雰囲気で、思い出に残る滞在となるはず。
ただ、ドミトリーで1泊40GELはやや値段が高すぎるような気も。
とはいえ、これでもツァルカ周辺では最低の価格帯なので仕方ない部分はあります。
【ツァルカの宿をすべてみる!】
ツァルカへのアクセス・行き方
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ツァルカへのアクセスは、東のトビリシ/西のニノツミンダのいずれからも可能です。
ツァルカ→他の町に移動する場合は、行き先によってマルシュルートカの発着ポイントが微妙に異なる点にご注意を。
トビリシ〜ツァルカ間
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ツァルカへのアクセスに最も便利なのが、首都・トビリシからのマルシュルートカ。
時間帯にもよりますが1時間~2時間に1本の割合で出発しており、比較的利用しやすいです。
トビリシでの発着地は、市内南部に位置するサムゴリ・バスステーション(Samgori Bus Station)。▼
ツァルカ側のマルシュルートカ発着ポイントは、町の中心部の警察署前の交差点付近にあるトビリシ方面マルシュルートカ発着ポイントです。【マップ 黄色】
ツァルカ→トビリシ方面の最終マルシュルートカは17:00発なので、乗り遅れないようにご注意を。
ニノツミンダ/ポカ〜ツァルカ間
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ジョージア西部方面からツァルカにアクセスしたい場合は、ジャワヘティ地方に位置するニノツミンダ~トビリシ間の1日2往復のマルシュルートカを途中乗下車するのが唯一の手段となります。
(ニノツミンダ~ツァルカを直接結ぶ便は存在しません)
この路線のスケジュールは以下の通り。▼
・トビリシ→ニノツミンダ:8:00 / 17:00
・ニノツミンダ→トビリシ:6:00 / 14:30
※最新のスケジュールはサムゴリ・バスステーションorニノツミンダのマルシュルートカ運転手に確認を!
※ツァルカ経由時間はトビリシ出発時間+2時間 / ニノツミンダ出発時間+1時間半 が目安です
トビリシでの発着地は、市内南部に位置するサムゴリ・バスステーション(Samgori Bus Station)。▼
ニノツミンダ側のマルシュルートカ発着ポイントは、町の中心部の警察署前の交差点付近にあるバスステーション(らしきもの)です。▼
この路線は、ツァルカの西に位置するポカ(Poka)を経由するため、このエリアを移動しながら観光したい旅行者には便利。
本数がかなり少ないため一日で移動と観光を済ませるのは不可能ですが、数日間かけて湖水地方を個人でゆっくりとまわりたい人にはおすすめの路線です。
おわりに
ほとんど情報がないツァルカ&周辺エリアの観光に必要な情報を徹底解説しました。
トビリシからもアクセスしやすいですし、新たにオープンしたダイヤモンド・ブリッジ効果もあって、数年後には「ジョージア観光の必見スポット10選!」なんかに掲載されるような有名観光エリアと化しているかもしれません。
先述の通り、ダイヤモンド・ブリッジのような人工的なツーリスト・トラップに興味がない(むしろ嫌悪している)のぶよタイプの旅行者は、ツァルカ周辺エリアがさらに脚光を浴びる前に訪れるのがおすすめ。
長く複雑な歴史を背景とした、穴場エリア本来の魅力を存分に満喫するなら今がラストチャンス!
1泊2日でも十分に満喫できるので、トビリシからの小旅行先の候補にいかがでしょうか。
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