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気づいたら、ジョージアに来て丸1年が経っていた話

「世界半周エッセイ」について

普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。

各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。

タイトルの通りではあるのだが、本日、2021年1月23日をもって、ジョージアに入国してちょうど1年となった。

「いや、で?だから何?」
と思うだろう。そりゃそうだ。

現在進行形でこの文を書いている自分自身にだって、ひとかけらの感慨も、達成感も、旅している感覚すらもないのだから。

世界遺産・ムツヘタの町並み

そもそもこの国にやって来た理由は、「1年間滞在してやろう!」では全くなかった。
というか、ジョージアは1年間ビザなしで滞在可能だということを、入国の数日前に知ったくらいだった。

ポルトガルを出発して日本をゴールに、ユーラシア大陸を一歩一歩進んでいく「世界半周」の途中で、たまたまこの国に入国した。
以上です、隊長。

1年前の今日、人生で初めてジョージアという国に足を踏み入れたときの印象は、お世辞にも良いものではなかった。

真昼でも暗くて雨ばかりな冬の天気や、外国人をいぶかしむような視線を向けてくる人々、退廃的な町の風景…
勝手に抱いていた「コーカサス山脈の麓の楽園」というイメージとは相反する雰囲気を肌で感じるにつれ、「この国に1年間?何それ?なんかの罰ゲーム?」なんて思っていた。

そういうわけで、当初のプランでは「まあ1ヶ月くらいかけて有名どころをチャッチャとまわって、さっさと次の国に行ってしまおう」だった。

その「まあ1ヶ月くらい」の間に、世界の状況は一変することになり、しくも1年後に同じ国で駄文を書き連ねているのだから、めぐり合わせとは不思議なものだ。

ジョージア政府の方針により、滞在期間が1年間を越える外国人も2021年7月1日まで滞在可能となったおかげで、いつもと変わらない「入国して丸一年の日の朝」を迎えている。

「たら・れば」の話をしても仕方がないのだけど。
本来ならば今日の今頃は、寒空の下で国境審査所に並び、不愛想極まりない出入国審査官に好印象を与えようと笑顔を振りまいていたに違いない。

トビリシの温泉街・アバノトゥバニ地区

この1年間は、きっと世界の多くの人にとって、(悪い意味で)特別なものだった。

旅行計画が台無しになった人はたくさんいるだろうし、仕事が減ったり、果ては解雇となった人もいるだろう。
自営業なら泣く泣く閉業することになった人もいるかもしれない。

これまで勝手に「常識」だと考えて疑いもしなかった世界の姿が、音を立てて崩れていくのを目の当たりにして無力感を覚え、心のバランスを保てなくなってしまった人もいるかもしれない。

だからと言って、結局どうすることもできない。
そういう「思い通りにいかないこと」は、この世界にはまだまだたくさんある。

21世紀にもなって、私たちは身をもってそれを学んだ。

もしかしたらこの惑星に生きる60億人だかの人類すべてが、やるせなさや落胆などの気持ちを抱いて共有し、有史以来はじめて世界が一つになった歴史的な1年だったのかもしれない。

トビリシの日常風景が広がる中央市場

さて。ジョージアでは日本よりもコロナウイルスの感染状況が深刻だったこともあり、外出規制や国境の封鎖などの厳しい措置が取られていた(し、これを書いている今現在も数多くの規制がある)。

そういうわけで、1年間滞在しているとは言いつつも、3分の1以上の期間は自宅である、安いソ連風アパートで徒然つれづれなるままに過ごしてきた。
(と書けばなんだか文学に造詣ぞうけいが深そうで格好良いが、「単に暇を持て余してきた」が正しい)

自由な時間が増えたとは言え、クリエイティブなビジネスアイディアが浮かんでくるようなタイプでは、ない。

そもそも、「一旗揚げてやろう!」と考えてジョージアにやって来た人たちと、何となく流れ着いて日々を浪費しているに過ぎない自分とは、「1年間のジョージア滞在」に対するモチベーションすら根本的に異なる。

1年間なんて、あっという間だ。

もう30年生きてきたわけだし、1年という時間がどれだけ早く過ぎ去るものなのかは身にしみてわかっている。
日々の飲酒量と喫煙量を考えると平均寿命までは生きられそうにないから、「あっという間の1年間」をあと30回だか40回だか、運が良ければ50回くらい淡々と繰り返すだけ。

それが、古今東西の著名な哲学者たちが求めてやまなかった「人生とは何か?」の解ということになる。

ドラえもんが「過去を変えてしまうことは、恐ろしいことなんだよ。のび太くん」とあのダミ声で言っていたが、その通りだ。

いくらがむしゃらに頑張ろうとも過去を変えることは簡単にはできないし、自己啓発系や意識高い系の人々が自信満々に主張する「未来というものは、今、一分一秒の積み重ねなのです!さあ!行動を!」に感化されてヨガとか始めちゃうほどには、心が清く正しく美しいわけでもない。

でも、ジョージアで過ごしたこの1年に対して、後悔は一点もない。

むしろ世界がこんな状況であっても、いちおうは「旅」できているわけだし、1年前にパンデミックが始まる直前のギリギリのタイミングで、何も知らずにのこのこやって来て、今でも居座れてるわけだし。

1年前の今日、コロナウイルスのことなど頭の片隅にもない状態で国境を越え、絶妙なタイミングでこの国にやってきた。
それこそ今思えば、コーカサスの山の神様に導かれていたのかもしれない。

ゲルゲティ氷河に至るトレッキングコース

喧嘩ばかりだった熟年夫婦の片方の葬式で、残された方がおいおいとむせび泣くように。
あんなに退屈で嫌いだった学校の卒業式で、笑顔でピースサインをしているように。
初めて飲んだビールの不味さが思い出せないほどに、今では生活必需品と化しているように。

気づけば、1年前は「絶対に好きになれない」と感じていたジョージアという国に対して、愛着のような、情のような、親しみのような、何とも形容しがたい感情が生まれていた。

何年先になるのかわからないが、この国で過ごした1年間はきっと、心の中の「美しい旅の思い出フォルダ」に保存されているのだろう。

そして、飲み屋で隣になった見知らぬ若者に、「ジョージアは第一印象は悪かったけど良い国でなあ…」と先輩風を吹かせながらクダをまく鬱陶うっとうしい糞じじいになっているのだろう。

それで良いんじゃないか。
だって人間とは日々変わるものだから、ちょっとした感じ方や意見なんて変わって当然だ。

むしろ、そのように気持ちの変化を実感できることこそが、人間が成長し続けている証なのではないか。

市場のおじさんたち

「絶対に好きになれない」と自分が抱いた呪いに最後まで縛られ続ける石頭いしあたま極まりない糞じじいよりも、「最初は嫌いで嫌いで仕方なかったけど、結局ふところの深いところが見えてハマっちゃってさあ~」なんて笑い飛ばす糞じじいの方が、人生楽しいに決まっている。

だからもっと一日一日を大切に、あと半年ほどの滞在期間を過ごしていきたい。
鬱陶しく、しつこく、際限なく、ジョージアという小国での思い出を語れる糞じじいに、少しでも近づけるように。

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