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30代で海外を1年旅した私が、得た・失った5つのもの。

こんにちは!旅に出てちょうど1年、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)

過ぎていく時の流れの速さを、昔の人は「光陰矢の如し」と表現しました。

2020年に入って、どんなにテクノロジーが発展しようとも、時というものは平等に、私たち人間に「死」へと歩を進ませ続けます。

というわけで、時が経つのは本当に早いもので、気づけば世界半周をスタートしてから丸1年が経っていました。

世界半周をスタートした時の気持ちを書いています。

ポルトガルを出発した1年前に上の記事内で書いたことなのですが、

「今年中(2019年)には日本に到着できれば…」
なんて言っていました。

が、まだ半分も来ていません(笑)

時の流れよりも自分のペースの遅さの方が恐ろしいです。

というわけで、今日は世界半周を始めて1年という記念すべき日。
(タイトルからはもう旅を終えたかのように思えるかもしれませんが、現在進行形で旅してます!)

1年間の旅を通して、のぶよが失ったものと得たものについて書いていきたいと思います。

同年代やさらに上の世代、もちろん若い世代の人にも、世界半周(or世界一周)で1年旅すると人間はこうなるということをお伝えできれば。

のぶよの旅のスタイル

そもそも、ここまでちんたら旅していることの言い訳といってはなんですが、のぶよの旅のスタイルについてお話します。

「旅」といっても、本当にいろいろなスタイルがあるもの。

極限まで節約するバックパッカー旅
快適さ&効率重視の旅行
とにかく有名観光スポットに行きまくるスタイル
住むように旅する半居住スタイル
仕事をしながら一か所に長期滞在するノマドスタイル

例を挙げていけばきりがありませんが、とにかく旅のスタイルや何を重視するかは人によってさまざまです。

果たしてのぶよの旅のスタイルは、一体どれに分類されるのでしょうか。
旅に出てから、それについて考えることもあったのですが、結局答えは出ないまま。

というのも、全部自分にあてはまるようであてはまらないからです。

基本的には節約型のバックパッカースタイルですが、食事は外食が多いし、有名観光スポットにはもちろん行きたいけど自分だけの穴場スポットにも行きたい。

移動はあまりしないものの、宿泊は基本ホステル。
アパートを借りて暮らすような旅はしていません。

一つだけ言えるのは、「その国や地域をただ旅するだけではなく、文化や歴史、人々の生活などをできるだけ知ろうとする旅」であることです。

当ブログのタイトルである「さぼわーる」はフランス語で「見る、知る」という意味の造語であり、このスタンスは一貫して変わっていません。

ある国を深く知ろうとすると、当然観光スポットを順番にめぐるスタイルの旅よりは時間がかかります。
きっとこれが、1年間でルーマニアからジョージアまでしか移動できていない最大の理由かもしれません。(という言い訳)

1年間の旅で失った5つのもの

というわけで、本題です。

30代男子が、1年間海外を旅した結果失ったものについてお話していきます。

お金

当たり前のことですが、旅にはお金がかかります

節約スタイルの旅なので、かなり費用は押さえられてはいるものの、それでも1年間で100万円ほどは使っているはず。

のぶよの場合は、ありがたいことに当ブログを通してライティングのお仕事をいただいたり、そもそも本業である翻訳の収入もあるのですが、それでも完全なる赤字です。

貯金?そんなものありません(笑)
人生一度きりだと思っているので、銀行やら保険やら信用していないタイプです。

たまに投資やら資金運用やらをしながら旅をしているというスマートな旅人にも出会うのですが、のぶよ的には「すごーい、がんばってね~」って感じです(笑)

計画性

計画性の無さ

昔からありませんでしたが、ここまできても身につかないということはきっと無縁なのでしょう(笑)

世界半周をスタートする時に思い描いていたプランでは、

東ヨーロッパ:3か月
トルコ:1ヶ月
コーカサス:1ヶ月
中央アジア:2か月
中国:1ヶ月

くらいに考えていたのですが、実際は

ヨーロッパ:8か月半
トルコ:3ヶ月
ジョージア←いまここ

ですから(笑)

今後もこんな感じで行こうと思います。
未来の計画に縛られて「今」を楽しめないことほど、本末転倒なことはないと思うので。

旅への新鮮味

長期間で旅をするということは、旅が日常になるということ。

日本の会社員が毎朝満員電車で通勤して、仕事して、食事して、テレビ見て…
なんていうのと同じこと。

コーヒー飲んで、散歩して、ローカル食堂へ行って、観光して、ブログ書いて…
旅が日常になると毎日がルーティーンとなります。

のぶよ的には、そんな毎日の繰り返しも旅の愛おしい一面だと思うのですが、やはり出発当初のような感動とはだんだんとご無沙汰になってきます。

ちょっとした教会に入っては、その美しさや神聖な雰囲気を全身で感じられたあの頃ののぶよは、もう居ません(笑)

LINEのアカウント

日本ではいまだに流行っている(と思うのですがいかがでしょう)、LINE。
もちろんのぶよもアカウントを持っていたのですが、いつの間にかログインできなくなっていました。

アカウント作成時に日本の電話番号を登録し、現在その番号を使っていないためなのかわかりませんが、とにかくLINEは使えません。

基本的に自分から連絡することがないタイプなので全くもって困りませんが、たまに日本の友人から連絡が来た際に「○○結婚したよ~」とか「そういえば俺転職してさ~」みたいな情報が入ってきて、それらは全て結構な過去の出来事だったりします。

つまり、自分だけ取り残されているということなのですが、そんなこと気にしていたら合計7年間も海外で生活&旅なんてしていません。

外見に対するこだわり

これ、世界一周をしている人の間では、男女問わず結構なあるあるだと思うのですが、自分の外見に対してあまり興味がなくなってきます。

髪の毛をセットしたり、女性の場合はバッチリ化粧したり…
最初こそまあちゃんとやっていても、どこかで気づく日がくるんです。

「まあ、誰も気にしてないか」と。

一度手を抜き出したら、再び気合いを入れなおすのは至難の業。
もはや髪の毛をどうセットしていたのか、思い出せませんもの(笑)

ホステルなどで出会う旅人も、外見に気を使っている人は結構レア。
まわりが皆適当だから、別に自分も適当でいいや~となってしまうのは当たり前のことです。

たまに毎日ニベアでスキンケアしている子や、写真撮影用のおしゃれな服を持参している子などに会いますが、心の底から尊敬します。嫌味ではなく(笑)

1年間の旅で得た5つのもの

長期間で旅をしていると多くのものを失いますが、これは仕方のないこと。

しかしながら、失った分だけ得られるものがあるのは事実。

のぶよが1年間の旅を通して得たものについて考えてみました。

酒に対するキャパシティー

いや、本当に、のぶよの唯一の旅の友と言えるかもしれません(笑)

もともと飲む方ではありましたが、この1年間で飲んだ量はもの凄いです。

特にヨーロッパ最安値でビールが売られているブルガリアでは、毎日4ℓは飲んでいました(笑)

だって、2ℓの巨大ビールが120円くらいで売られているんですよ?
その恩恵を享受しなくちゃ!という焦燥感に駆られてしまうのが人間というものです。

というわけで、酒代がかなりの出費となっているのぶよですが、そのおかげで得たものもあります。
それは、「イージーゴーイングさ」。

世界中から旅人が集まるホステルなどでは、飲む機会はかなり多くあります。
みんなお酒に強いこと。シラフで会話の輪に入るのも、なかなか大変かもしれません。

のぶよは特別面白い人間でもなんでもないのですが、とりあえず飲んでいたら自然と友達が増えます。
ホステルの共用エリアで飲んでいる人のほとんどは、話し相手を欲しがっている「構ってさん」なのです(笑)

一方で、この1年間で出会った日本人旅人のほとんどが飲まない人だったのが印象的でした。

のぶよが最初に海外を旅した10年前は、日本人と出会う→飲みに行くのが普通だったので、時代は変わったことを強く感じます。

昔と比べても仕方のないことなのですが、知らない人と飲んだり会話したりする時間よりも、自分の時間を重視する人が大幅に増えたことは言うまでもないでしょう。
(日本人だけに限らず、ドミトリーのベッドでカーテンを閉め切ってずっとYoutube見ている人とか、かなり多いです)

歴史や文化に対する興味

まさか自分が得られるとは思っていなかったのですが、この1年間を通して歴史や文化に対する興味が湧きました

ある特定の国というわけではなく、その時自分が滞在している国の歴史や文化。
トルコにいる時はトルコの、セルビアにいる時はセルビアの…といった感じです。

それまでの20数年間は、美術館や博物館にはとんと縁がないタイプだったのぶよ。
フランス在住だったのに、ルーブル美術館は外観しか見たことないくらいですから。

旅を始めてすぐの頃もそんな感じで、歴史博物館や民族博物館などにはまず足を運ばなかったのですが、それが大きく変わったのがボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボに滞在しているとき。

泥沼の内戦を経験したサラエボの町には、現在でも内戦時の砲弾跡やミサイル弾の跡などが残っており、歴史に目を背けた状態で綺麗なところだけを切り取って観光することは不可能です。

そこでボスニア内戦のミュージアムに足を運んでみると、あら不思議。
様々な民族・宗教・歴史が入り交じるバルカン半島の国々について、もっと深く知りたいと思うようになりました。

その時に書いた記事がこちら。

歴史とは面白いもので、一つの国の歴史を勉強して別の国を訪れると、同じ事実が全く違う解釈をされていることもしばしば。
それこそが民族対立の原因であったりすることも多いですが、あくまでも中立的な視点でその事実を解釈できる私たち旅行者は、いわば特別な立場にいるわけです。

また、ある国で学んだ人物や歴史的事実が別の国の歴史の中にも出てくることもしばしば。
(マケドニアのアレキサンダー大王なんかは、多くの国の歴史を大幅に変化させたキーパーソンです)

そんな国境を越えた歴史的つながりを知っていくのもなかなか面白いものです。
どこかの国の歴史で日本が出てくることを期待しているのですが、いまだに巡り合っていません(笑)

というわけで、当ブログ・さぼわーるでは、ただ観光地をめぐった記事だけでなく、その国の歴史や文化、食事などについてのぶよが学んだことをシェアする場でもあるのです。
自分のブログを見返して、「ああ、そういえばこうだった!」と改めて学ぶこともあるほどなので。

小さなことへの感動

長期間旅をしていると、観光スポットなどに対しての感動が徐々に減っていくことは、先述の通りです。

しかしながら、もはや日常となった毎日の旅の中で、小さな感動が味わえるようになるのは事実。

お気に入りのカフェを見つけたり、毎日通っている商店で何も言わずとも同じ銘柄のタバコが出てきたり、ストリートミュージシャンが自分の好きな曲を歌っていたり…

本当に小さいことなんです。

それでも、こうした小さな嬉しいことや気分が上がることに出会ったときに、「そういえば今自分は日本から遠く離れた場所にいるんだな」と再認識させられます。

普通の人なら「もっと毎日楽しまなきゃ!」と意識が高まるのかもしれませんが、のぶよの場合は「ま、とりあえず飲むか」につながります(笑)

心温まる人々との思い出

「旅とは人に出会うことだ!」なんて綺麗さっぱりしたことを語るつもりはありませんが、旅を彩るのはインスタ映えしそうな絶景スポットや絶品料理よりも、出会った人々との思い出だと思います。

不思議なもので、旅の途中に出会った人との何気ない会話だったりエピソードだったりって、強く脳裏に焼き付いているんです。

・マケドニアの山で出会ったおじいさんに何故かクルミをもらう
・イスタンブールで出会ったブラジル人と3回連続違うホステルで再会
・ルーマニアの田舎のバスの運転手の自宅になぜか招かれる

など、予想外の面白いエピソードは今でも鮮明に思い出せますし、そのすべてに「人」が関わっているのが不思議なところ。

のぶよはホステルなどで他の宿泊客と話したいタイプ(というか他にやることがない)なのですが、そこで出会った人との会話の内容もしっかりと思い出せます。(名前は一瞬で忘れますが)

長期で旅をしている人にはいろいろ面白い人も多く、「常識」や「普通」っていったい何なのかわからなくなることも。
だからといって自分の旅のスタイルを変えようとは思いませんが、ちょっと会話するだけでも自分の知らない世界を垣間見られるような気がして、なんだかお得な気分になります。

まじで、ホステルのベッドでYoutube見てる人、ちょっとビールでも飲んでその辺の人と話したほうがいいと思います(笑)

日本という国に対する再認識

もう海外生活も7年目になるので今更感はあるものの、この1年間の旅を通して日本という国に対する見方が変わったことは言うまでもありません。

一般的に、保守的と言われる日本人。
かつては世界第二位の経済大国であり、世界に誇る和食や伝統文化、ポップカルチャーに悠久の歴史…

日本のテレビなどを見ていると「日本ってすごい!日本人で良かった!」的な雰囲気がとても強いなと感じます。

いや、確かに日本はすごいですよ。素晴らしい国だと思います。

しかし一歩外に出てみると、日本人や日本に対して誰もそこまで興味がないということに気がつくはず。

もちろん、ポップカルチャーや食文化に精通している人は一定数存在するでしょう。
しかし、一般の人にとっては「日本=遠く離れたアジアの一国」。それ以上でもそれ以下でもありません。

それどころか、「技術大国で世界に憧れの目を向けられる日本」は、アジア人に対する差別の目を向けられることさえあります。

この世界は想像以上に、差別や偏見に溢れています。
これは今回の旅だけではなく、それまでの海外生活を通しても学んだこと。

海外での差別や偏見に関してはいくつか記事を書いているのですが、一貫して言えるのは、どうにかしてこの現状を変えたいということ。
日本人の中には「日本人=世界中で尊敬されている」と謎の理論を信じて疑わない人達も多いのですが、現実はそんなに甘くはありません。

どういう形でかは全くわかりませんが、日本に帰ったらそういった方面での活動などをしていきたいなと密かに考えています。(アイディア等あれば大歓迎です)

差別問題をはじめ、海外在住者視点で日本という国を考える「さぼわーログ」というコーナーもあります。

まとめ:30代で1年間海外を旅してみたら

というわけで、この1年間の旅を通して失ったものや得たものについて書いてきました。

のぶよ的に、長期で旅をするということは、短期で旅をすることとは全く異質であると思います。

というのも、朝から晩まで全てが自分の選択によって毎日が成り立ち、それが日常となるため。

今日は観光するか宿にこもるか、お昼は自炊するか食べに行くか、入場料を払って見学するかスキップするか、ビールは2ℓか4ℓか…

別に日本で仕事をしている人にとっても同じことのように思えますが、実際は全く異なります。
なぜなら、日本で毎日を送っている人は、ある程度の計画に縛られて生きているからです。

仕事があるのにもう1時間寝ることはできませんし、ランチ休憩時間を超えてフレンチのフルコースを食べることはできません。
約束があったら5分前に到着すべきだし、シャワーを浴びないわけにもいきません。

一方で、長期で旅をしていると、こうした「やらなくてはならないこと」の全てから解放された自分自身の選択が毎日を作っていくのです。

一日中ゴロゴロしているのも、飲んだくれているのも、観光スポットをまわるのも、国境越えのミニバスに乗るのも…とにかく全て自分が選択し、決断した結果のたまものなのです。

人はこういうでしょう。「それが自由だ」と。

しかしながら自由であることには責任が伴います。
なぜならその自由を享受し、選択をしたのは自分だからです。

バスに乗り遅れようと、財布を盗まれようと、それは自分の責任。
しかし、美味しいレストランに出会ったり、美しい景色を見られたりするのは、自分の選択のおかげ。

そんなことも含めて、旅に出て1年が経った今でもこの自由な毎日が楽しいです。
毎日選択する場面があるなんて、まるでRPGみたいじゃないですか(笑)

というわけで、のぶよがこの一年間の旅を通して得た最大のものは、責任が伴う自由の価値に気づけたこと。
これは誰もが実感できることではないので、貴重な経験を現在進行形で毎日していることとなります。

というわけで、1年目という節目の記事もこれにて終了。
今年中には日本に到着しているはずです。

…と言いながら、来年の今頃も世界のどこかで未だに「世界半周中」かもしれませんが(笑)

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