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海外60ヶ国訪れた私の実体験!旅のトラブル10選【世界一周】

こんにちは!世界半周3年目ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)

なかなか気軽に旅に出ることができないこのご時世。
これまでの旅に思いを馳せては悶々もんもんとしている人も多いのではないでしょうか。

旅が好きな人にとって、旅とは私たちの生き方を豊かにしてくれる魔法のスパイスのようなもの。

有名観光地や美味しかった料理、現地の人々との出会いなど…その思い出の色合いは十人十色。
旅の思い出はそれぞれの人の心の引き出しの中に、大切に鍵をかけて保管されていることでしょう。

中でも、鮮烈な思い出として脳裏に刻まれることが多いのが旅をしているときに起こるトラブル

どれほど綿密な旅行計画を立てていたとしても、全てが上手くいくとは限らないのが旅というもの。
個人であちこち旅した人の多くが、きっと一度は経験したことがあるのでは。

というわけで今回の記事は、これまで60ヶ国ほどを訪れたのぶよが体験したトラブルに関するエピソードを10個集めてみました。
どれも100%実体験で、自分で書きながらも「馬鹿だな~」と苦笑を隠せないようなエピソードが大半です(笑)

クスッと笑えたり、自分の浅はかさを反省したり、ちょっと感動したり…
どれも今となっては大切な思い出のカケラ。(その時は途方に暮れることもあったが)

心の引き出しの鍵をあけ、思い出のカケラの一部をここに共有できればと思います。

旅がなかなかしにくい今だからこそ、旅の面白さを改めて感じられるかもしれません!

記事内の10のエピソードは、どれものぶよ自身が体験したものです。
写真もできる限り当時のものを使用するようにしているので、画質の荒さやサイズのバラバラさなどは多目にみていただきますよう。

また、エピソードによっては当時書いていた日記をそのまま転載しているものもあります。
8年ほど前の旅での出来事もいくつかあり、表現や文章に稚拙な点が多くありますが、それも一つの味だと捉えていただければ幸いです。

①サハラ砂漠で下痢(モロッコ)

ある程度旅をしている人なら、一度は原因不明の腹痛に悩まされたことがあるのではないでしょうか。

のぶよは内臓がかなり強い方で、旅中に体調不良に見舞われたこともほとんどありません。
水道水を普通に飲みますし、食べ物に関しても「生野菜はやめておこう」など考えないタイプです。

いきなり下品な話で申し訳ないのですが(笑)、のぶよ史上最大の腹痛に悩まされたのがモロッコでのこと。
しかも、文明社会から切り離されたサハラ砂漠のど真ん中で、そいつは容赦なくやってきたのです..。

モロッコ南部に広がるサハラ砂漠をラクダに乗って移動し、夜は砂漠のど真ん中のオアシスで星を見ながら野宿…
という、現地では定番の1泊2日サハラ砂漠ツアーに参加しました。

初めて乗るラクダの絶妙な乗り心地の悪さを楽しんだり、風の吹き具合で表情が変わる砂漠に感動したり、他のツアー参加者と夕日を眺めながらディナータイムを満喫したり、手をのばせば触れそうなほどにまばゆい星空を眺めながら眠りに就いたり…

ツアーの1日目はとにかく最高でした。…が。

翌日の早朝。
朝日鑑賞のために日の出の30分前に起きました。いや、起きようと思って起きたわけではなく、お腹の痛さで目が覚めたのです。

泊まったテント

砂漠の夜は、昼間の灼熱の気温が嘘のような冷え込み。
とりあえず温かい服を着て朝日鑑賞ポイントまで歩いたのですが、もうどうしようもないほどのお腹の痛さ。

そもそも砂漠にはトイレなどの設備はないため、みんなオアシスからちょっと離れた場所で用を足すもの。

しかしのぶよの場合は、もはや垂れ流す勢いの腹痛。
朝日鑑賞スポットへの道中、2分に1回ほどツアー参加者の列からこっそり離れて用を足していました。(日の出前で真っ暗だったのが幸い)

朝日自体は感動的だったものの、正直それどころじゃありません。
他のツアー参加者が写真撮影に夢中になっているのを良いことに、垂れ流していました(笑)

この原因不明の腹痛ですが、おそらくツアーガイドが前日に作ったディナーが理由だったのかもしれません。

というのも滞留したオアシスには水がなく、野菜などを洗っている様子はありませんでしたし、なんならガイドも手を洗っていなかった可能性が濃厚。
トイレをその辺で済ませて手も洗わずに調理…そんなの、お腹も痛くなるってものです。

何よりもしんどかったのが、オアシスからの帰りのラクダ
唯一の交通手段のラクダはお世辞にも乗り心地が良いわけではなく、縦に横に斜めにととにかく体が揺らされます。

乗ラクダ中何度も、人間としての尊厳を放棄してしまおうかと考えたものです。
(実際に放棄したかどうかはご想像にお任せします)

結局この腹痛は砂漠から帰還後2週間近く続きました。
おかげで、モロッコ旅の後半はあまり楽しめなかったのが心残りです。(さすがに町中で垂れ流す勇気はなかった)

学んだこと

①生野菜&手を洗わない人が作った料理には要注意。
②一に正露丸、二に正露丸、三四がなくて、五に正露丸。
③腹痛時にラクダに乗るのは自殺行為。

②ナイフを突きつけられる(フィリピン・マニラ)

7人の画像のようです

大学時代にたまたま格安チケットを見つけ、一人で3週間旅したフィリピン

日本のすぐ隣ということもあって、何一つ事前に調べることなくセブ島IN/マニラOUTのチケットを購入していました。

初めてのフィリピンは、とにかく美しい国。

ターコイズブルーの海。神秘的な滝。人懐っこい現地の人々。絶品料理の数々…
日本のすぐ隣の国とは信じられないほどのカルチャーショックに満ち溢れている場所でした。

3人の画像のようです
フィリピンの子はとにかく人懐っこかった
写真の説明はありません。
セブ島で訪れた滝

…が。
フィリピン旅の最後に訪れた首都のマニラで、恐ろしい経験が待ち受けていたのです…。

セブ島、ボラカイ島などのアイランドホッピングを楽しんで、ルソン島北部の山深い地の伝統的な風景に感動して。
最後の最後に訪れたのが、首都のマニラでした。

1人の画像のようです

マニラはとにかく巨大な町で、ガイドブックも持っていなかったのぶよは右も左もわからない状態。
事前にセブ島で情報を得ていた安い宿があるエリアを探しながら地下鉄を乗り継ぎました。(今思うとよく行けたなと思う)

4人の画像のようです
道を教えてくれた(?)子供たち

とは言え、宿の検討をつけていたわけではなかったので、飛び込みで良さそうな所を探そうと人気ひとけの少ない通りを歩いていた時のこと。

「日本人?ホテル探す?」
と、突然背後からカタコトの日本語で声をかけられました。

振り返ると、小柄なフィリピン人の男が一人。日に焼けた顔は笑顔でいっぱいでした。

話を聞いてみると、自分の知り合いがホテルをやっているから案内してくれるとのこと。
「ちょうどホテル探してたんだ!ラッキー!」と素直について行きました(のぶよにもそんな純真無垢な時代があったものです)。

5分ほど雑談しながら歩くと、そこはお洒落な外観のホテル。
入口にガードマンも立っており、のぶよには確実に予算オーバーな雰囲気がぷんぷん。

そもそもホテルを探していたわけではなく、格安で止まれるホステルかゲストハウスを探していたので、「いや、ここは無理!泊まれない!」と言いました。

すると男、「なんで?じゃあここまで連れて来た料金払え!」と。

「???」と思うと同時に、「うわ、こいつ悪い奴だ」と直感しました。

数分間の払う/払わないの言い合い。
らちが明かないと思った男がとった行動は、半そでシャツの袖をめくってタトゥーを見せつけながら「ナイフあるよ?」とサバイバルナイフをポケットから出す、というものでした。

人生で初めてナイフを出されて脅されるという危機的状況に陥ったのですが、その時ののぶよの精神状態はなぜかとても落ち着いていました。むしろ、映画の中で見るような光景の中に自分がいることに、どこか他人事のような感覚がありました。

今考えると、すぐそばにホテルのガードマンがいたからだったのかもしれません。
しかしこのガードマン、明らかにのぶよがナイフで脅されているのが見える位置にいるのに何もしないという不思議。「我関せず」といった感じです。

ナイフ男から一歩ずつ後ずさりしながら、5mほど先に立ちぼうけているガードマンに近づいて助けを求めるジェスチャーをすると、ガードマンは面倒くささ100%濃縮還元といった表情で、いつも纏わりついてくるはえを追い払うかのようにナイフ男に「あっち行け!」と手を払いました。無言で。

男は「チッ」と舌打ちをしてどこかへ歩き去っていったものの、ガードマンは「自分の仕事は終わった」とばかりに(ひとことも発さずに)定位置に戻り、お礼を言っても無反応。
とうとうこのガードマンの肉声を聞くことは叶いませんでした。

写真の説明はありません。

幸いにも被害を受けたわけではなく、今となっては「なんて馬鹿だったんだろう」と自分で自分を恥ずかしく感じます。

とにかく、海外で知らない人に声をかけられて簡単に信用してしまうのはご法度。
そんな旅の基本の「き」について、身を持って学べた経験となりました。

学んだこと

①マニラ、こわい。
②知らない人についていかない。これ常識。
③危険な状況にあっても、自分は意外に冷静になれるタイプだった。

③ホステルが火事でなくなる(アルバニア・ヒマラ)

今は無き、最高のホステル…

「アルバニアのリビエラ」と呼ばれる、イオニア海沿いの美しいエリアにのんびりと滞在していたときのこと。

エリアの中心となるヒマラという小さな町で、ビーチライフを満喫する毎日を送っていました。

宿泊していたホステルは、オーシャンビューでビーチまで徒歩20秒の好立地。

3階建ての建物内が宿泊エリア、屋上が海を望むテラスとなっており、他の宿泊客と海を見ながら話したり、オーナーが作ってくれる朝食をみんなで食べたりと、とにかく良いホステルだったのです。
(しかも朝食込で1泊500円ほどという激安な値段)

しかし、良い思い出とははかなきものであるのがこの世のつね
一晩で宿泊していたホステルが無くなっていた経験をしたことがある旅行者も、なかなか居ないのでは…

毎日特にすることもなく、ビーチとホステルを往復する日々。
ある日、ヒマラの町から海沿いのトレッキングコースを歩いて、「ヨーロッパで最も美しいビーチ」と言われるジペ・ビーチという場所に行けることを他の宿泊客から聞き、挑戦してみることに。

ヨーロッパ一番のジペ・ビーチ

1日で歩くのは距離的にしんどいとのことで、2日間に分けて(1日目はビーチで野宿)トレッキングをする計画をし、大きなバックパックだけホステルに置いて最低限の荷物でトレッキングをすることにしました。

トレッキングはとにかく最高で、どこまでも青く澄みきった海を眺めながらの夢のような二日間。
野宿した名もなきビーチでの星空や、途中の村で食べたシーフードの美味しさなどに大満足して、ヒマラの町に戻ってきたときのことです。

ホステルがある3階建ての建物の屋上部分が、跡形もなく真っ黒に焦げていました。

いったい何が起こったのか…?
入口から中に入ると、ホステルの従業員が現れ「良かった…!無事だったのね!」と言います。

なんでも、のぶよがトレッキングに出発してビーチで星を眺めながら野宿していた日の夜に、ホステル屋上のテラス部分で消し忘れたままのロウソクの火がカーテンに引火し、テラス部分を全焼させる火事が起こっていたそう。

ヒマラの町には消防署などはありませんが、近隣の人たちの消火活動のおかげで、どうにか建物全体には火が燃え広がらなかったそう。
テラスの下の階に位置する宿泊棟には被害がほとんどなく、負傷者も出なかったことが不幸中の幸いです。

預けておいたのぶよの荷物も自分の宿泊していた部屋に置いてあったので被害はなし。
しかしながら、火事を起こしてしまったホステルがそのまま営業できるはずもなく、大きな荷物を持って近くにある別の宿に移動することになりました。

これまでたくさんのホステルに宿泊してきましたが、火事が起こったのはこれが最初で最後。
ホステルを営業できなくなったオーナーは気の毒でしたが、犠牲者がいなかったこと(と、その時にのぶよはたまたま留守だったこと)は奇跡的だったのかも。

学んだこと

①ロウソク一本、火事のもと。
②人生なにが起こるかわからない。
③のぶよはもしかしたら運が強いタイプかもしれない。

④原付が故障して野宿(ギリシャ・サントリーニ島)

ギリシャでアイランド・ホッピング旅をしていた時のこと。
真っ白な家々と海の青さのコントラストで有名なサントリーニ島に滞在しました。

サントリーニ島は公共交通手段があまり発展しておらず、レンタカーやレンタルバイクを利用するのが定番。
のぶよは一人旅だったので、迷うことなくレンタルバイクを利用することにしました。

夢のような風景が広がる真っ白な集落の一つ一つを自分のペースでまわれる快感。
エーゲ海を眺めながらの原付ロードトリップは、「このままどこまでも走っていきたい!」と思うほどに最高のものでした。

夕日の名所として知られる人里離れたビーチでバイクを停めて、一人眺めるオレンジの空。
ずっと夢に見ていたエーゲ海の真珠のような島に、自分がいることをひしひしと実感しながら感傷にひたること1時間ほど。

「そろそろお腹すいたな…宿にいったん戻ってから何か食べに行こう。」と思い、原付を停めたところまで戻ります。

太陽はとうに沈んで、辺りは夕闇が支配しつつある薄暗さ。さきほどまでちらほらと夕日鑑賞をしていた観光客らしき人達の姿も見えなくなっていました。

いつものように原付を走らせようとしたその時…
何回やってもうまくエンジンがかかりません。

30分ほど色々ためしても、やっぱりダメ。どうやら、バッテリーが上がってしまったようです。

あたりはもう真っ暗。「穴場の夕日スポット」なだけあって、周辺には民家の一つもなく、もちろん観光客はとっくに島の中心部へと帰ってしまっています。つまり、今このビーチにいるのは自分一人だけ。

「どうしよう…そしてお腹が空いた…」

バイクをレンタルした店の電話番号は知っていても、電話すらできない状況。インターネット環境もありません(確か2011年頃でスマホを持っていない時代でした)

これこそ、八方ふさがり。
でも、どうしようもないものはどうしようもありません。

覚悟を決めて、一晩ビーチで過ごすことにしました。



この時は夏の終わりの時期にあたる9月中旬。エーゲ海というと温暖なイメージがあるものの、昼と夜の寒暖差はけっこう激しいです。
また、海沿いはかなり風が強く、昼間は心地よく感じられていた海風が夜になると容赦なく体温を奪っていきます。

夕方には宿に戻るつもりだったので、上着は薄手のパーカーのみ。
もう寒くて寒くて…ほぼ一睡もできないまま、朝を迎えました。

あの時、白んでいく朝の空を眺めながら感じた絶望感は、今でも鮮明に思い出すことができます。

その後、車に乗って釣りに来た地元の人に助けを求め、ラジエーター(?)を使って見事バイクは復活。
どうにか宿までたどり着き、事なきを得ました。

学んだこと

①観光地の原付レンタルは整備がちゃんとされていないことも。
②夏でも気温の変化に対応した上着などを持ち歩くべき。
③ギリシャは意外と冷え込みが激しい

⑤原付が故障して4km押して歩く(トルコ・カッパドキア)

観光名所が数多く存在するトルコ。
中でも観光客に最も人気のエリアの一つといえば、荒涼とした大地に奇岩がニョキニョキと生えたような不思議な光景が見られるカッパドキアでしょう。

のぶよはカッパドキアに2回訪れたことがあるのですが、1回目は原付をレンタル / 2回目は公共のミニバスでまわりました。

このエピソードは1回目のカッパドキア訪問時で、「④ギリシャで原付が故障→浜辺で野宿」と同じ機会の旅での話。サントリーニ島滞在から2週間後のことでした。

何一つ学んでいないことに、自分でも驚愕…(笑)

初めてのトルコ。初めてのアナトリアの大地。初めての洞窟ホテル…

トルコ観光のハイライトとなるカッパドキア旅は、もう興奮の連続。
見どころは両手におさまらないほどにあり、広い地域に点在しています。

「効率的に観光スポットをまわるなら、原付をレンタルするのがおすすめ!…なんならうちでもレンタルしてるけど…?」という、商売上手なトルコ人を絵にかいたような宿の人に言われるがまま、50ccのスクーターをレンタルすることにしました。

自分の好きな時に、自分の好きな場所に行けるのはとても快適なもの。
奇岩が連なるカッパドキアの大地を原付で爆走する開放感と言ったら…

まるで自分が映画の主人公になったかのような気分でした。

有名観光スポットを一通りまわり終え、宿泊していた町から4kmほど離れた夕日鑑賞スポットで感動の夕焼けを目に焼き付けた、その後のこと。

なぜか原付のエンジンがかかりません。(既視感)

何度挑戦しても、叩いても蹴ってもだめ。
2週間前のギリシャと全く同じ状況に陥ったわけです。

原付が故障した場所は、幹線道路沿いの名もなき展望台。
数百メートル先にガソリンスタンドが一軒ぽつりと佇んでいるだけの寂しい雰囲気の場所です。

通話ができる携帯電話を持っていなかったので、とりあえずガソリンスタンドまで原付を押して、宿の人に電話をかけてもらおうとしました。

ようやくたどり着いたガソリンスタンドでは、若い従業員が一人、暇そうに時間を潰しているだけ。
彼に状況を説明しても英語が全く通じず、とにかくボディーランゲージで「この番号に電話したい!」と必死に訴えること10分ほど。ようやく原付をレンタルした宿の人に電話をつないでくれました。

宿の人の答えはシンプル。
「今ちょっと忙しいから、2時間くらい待ってて」

…は?

この時は9月。
昼間こそ灼熱のカッパドキアですが、夜は一気に冷え込んで冬のような気温となります。

ギリシャのサントリーニ島で「気温の変化に対応できる上着を持っていく」と学んだはずなのに、またしてもTシャツ1枚だけしかないという状況。
ガソリンスタンドの事務所で待たせてもらおうとも思いましたが、事務所自体にも暖房はついていないようで極寒でした。

「こんなところで2時間?冗談じゃない。」
そう考えたのぶよがとった行動は、宿泊している4km先の町まで原付を押して戻るというものでした。

行きで撮った写真。まさかバイクを押して同じ道を戻ることになろうとは…

道のりの大部分は平坦でしたが、体力的には相当しんどいもの。
何度も休憩するたびに空を見上げると、まるでこちらを嘲笑うかのように爛々と輝く一面の星空…
本来なら今頃、宿のテラスで温かいチャイでも飲みながらのんびりと眺めていたはずなのに…

原付を押して歩くこと1時間半ほど。
ようやく宿泊していた宿に到着すると、偶然外に出て来たオーナーに鉢合わせました。

「あれ?今から迎えに行こうと思ってたのに…」

…は?(2回目)

もうこの時はくたびれ果てていたのぶよ。
何か言い返す気力もないまま部屋に戻って爆睡しました。

翌日、故障した原付に関する不満をぶちまけると、「わかったわかった。じゃあ今日は特別に半額でレンタルするから!」

…は?(3回目)

もちろんレンタルするわけもなく、早々に見切りをつけて別の宿に移動したことは言うまでもありません。

学んだこと

①観光地の原付レンタルは整備がちゃんとされていないことも。(既視感)
②夏でも気温の変化に対応した上着などを持ち歩くべき。(既視感)
③トルコは意外と冷え込みが激しい(既視感)

⑥原付が故障して2km押して歩く(日本・青森県)

海外60ヶ国ほど訪れたのぶよですが、実は日本の47都道府県も全制覇しています。

個人的にあまり馴染みがなかった東北地方や北海道をのんびりとまわるために「東日本原付一周旅」を計画し、2ヶ月ほどの時間をかけて走っていた22歳の夏。

宿泊は全て野宿、毎日温泉地で日帰り入浴、その土地の名物グルメは見逃さず…
日本という国の良さを改めて実感した大切な思い出です

東北地方の美しい風景に別れを告げ、いざ津軽海峡をフェリーで渡って北の大地へ!
そう意気込んでいた下北半島のはずれで、それは再び起こったのです…

新潟、山形、秋田、青森…
東北地方の日本海側を原付でのんびり北上し、ようやくたどり着いた本州最北端の下北半島。

写真の説明はありません。

恐山の荒涼とした風景に感動し、人々の会話が聞き取れないことに衝撃を受け、「りんご○○」が目白押しの名物スイーツに舌鼓をうち…

お世話になった青森県に別れを告げ、大間港~函館港間のフェリーに乗る予定の日のことです。

大間といったらマグロ。
事前に調べてあったフェリーの出航時間まではまだ余裕があったので、港から少し離れた集落の食堂で海を眺めながらマグロ丼をのんびりと食べた後のことでした。

原付は普通にエンジンがかかり、あと5分ほど走れば港…といった地点で、バキバキバキッ!!という音とともに原付が突然走らなくなります。

こ…これは…まさかチェーンが外れた…?

停止して原付をチェックしてみると、どうやら想像通りチェーンが切れてしまっていたよう。

この地点から港までは2kmほど。周囲にはバイク屋などあるはずもありません。
フェリーの出港時間まではあと30分もないくらい。これを逃したら、明日までフェリーはないという状況。

22歳ののぶよは、かなり冷静に状況を把握して判断することができていました。
(ギリシャ・トルコでの原付故障経験のたまもの)

そう、港まで原付を押してダッシュすることにしたのです。

出港時間の5分前にギリギリで港に到着し、チケットを購入して何とか船に乗れてひと安心したのもつかの間。気づいてしまいました。

函館に着いたところでバイクが復活するわけではないことに。

インターネットで検索して最初に出てきたバイク修理店に電話をかけて状況を説明すると、「じゃあ港まで迎えに行くよ!○○時のフェリーね?」と、予想だにしていないスムーズな対応。

写真の説明はありません。

函館港に着くと、一人のおじいさんが軽トラの前で待ってくれていました。
原付を荷台に乗せて、当たり障りのない会話(「どこから来たの?一人旅?etc」)をすること5分ほどで、おじいさんが経営するバイク修理店に到着しました。

「ああ~これはチェーンだねえ~大丈夫大丈夫!すぐできるから!」と愛想も手際も良く対応してくれたおじいさん。
語尾やイントネーションに感じる訛りもあいまって、なんだか「港町の男」といった感じですごく格好良かったです。

待つこと20分ほどで、見事にチェーンの修理が完了。
「エンジンオイルも足しといたから!」の一言と共に、ここまで一緒に旅してきた原付は息を吹き返しました。

(いくらくらいかかるんだろう…)

これまでバイクを修理に出した経験がなかったのぶよは、チェーン交換&エンジンオイル追加&港までの送迎の三点セットでいくら取られるのか見当もついていませんでした。すると…

「いいよお金なんて!せっかくはるばる函館まで来てくれたんだから!そのお金でラーメンでも食べな!

…どう考えても、ラーメン代でおさまる金額ではないのは明白。しかし、おじいさんは頑なにお金の受け取りを拒否します。

「旅は道連れ、世は情け」ということわざをこれほどまでに噛みしめたことは、これまでにありませんでした。

おじさんにお礼を言い、「ラーメンならあそこが一番!」と言われたお店で食べた函館の塩ラーメン。
これまで食べて来たラーメンの中でも断トツの美味しさで感動すら覚えたのは、きっとそのお店が美味しいことで有名だから…だけではなかったはず。

学んだこと

①一寸先は闇かもしれないし光かもしれない。
②日本だってまだまだ捨てたもんじゃない。
③函館、住みたい。

⑦空港でピストル所持疑惑(ベトナム・ホーチミン)

のぶよが大学生(19歳とか?)の時に「象に乗りたい」という理由だけで行ったタイ&ベトナム旅行。

大学の友人と二人旅で、メインはタイの国内周遊。
ベトナム航空の経由便を利用した関係で、帰りのホーチミンでストップオーバー(経由地でいったん外に出て数日間観光・滞在できるシステム)をすることができ、タイとはまた異なったアジアらしい熱気あふれる町の観光を楽しみました。

とにかく全てが大満足だった2週間の旅も終盤にさしかかり、あとはホーチミン空港から日本に帰るだけ。

チェックイン手続き・手荷物検査・出国審査など全て済ませ、余りのベトナム・ドンを使ってフルーツジュースを飲んで、暇を持て余して…
そんなときに、それは起こったのです…

初めてのベトナム旅は、驚きと楽しさでいっぱい。

空港を出ていきなりの、ベトナムの洗礼(ぼったくり)
3人乗り、4人乗りが当たり前の原付(そしてものすごい数)
タイ料理とはまた異なる、あっさりしたベトナム料理

普段は一人旅が基本ながら、今回は大学の友人と一緒。
一人とはまた違う「誰かと一緒に旅をする楽しさ」も良いなあと実感する毎日。

たった二日間のホーチミン旅行は、とても満足のいくものでした。

ホーチミンから飛行機に乗ってしまえば、4時間ほどでもう日本に到着。
できるかぎりの現地のお土産を詰め込んで、どうにかこうにか閉めることに成功した小さなスーツケースを転がしながら、空港へと向かいます。

搭乗手続きを済ませ、スーツケースを預け、手荷物検査も出国審査も難なく通り抜け。
空港の搭乗エリアに入った時には1時間弱の余裕があるほどでした。

余ったベトナム・ドンを使い切ろうと、フルーツジュースを飲みながらベトナム最後のひとときを噛みしめていた、その時。

「ベトナム航空○○便ご搭乗予定の○○様、お近くの係員にお声がけください」

と、英語の空港アナウンスが響き渡ります。

はじめは全く気にも留めていなかったのですが、友人がひとこと。

え?お前の名前呼ばれてない?

何か緊急事態でも起こっているかのようにひっきりなしに流れるアナウンス。
明らかに自分の名前が空港中に響き渡っていることを確認するまで、おそらく2分もかかっていなかったでしょう。

友人には搭乗ゲート前で待つように告げ、何が起こったのかわからないままに近くの職員に声をかけると「とにかくこっちに来い」とひとこと。

一般の利用客が利用することもない扉を抜け、バックグラウンド感がものすごい通路を抜け。
たどり着いたのは、大きなX線荷物検査機が中央に置かれた殺風景な小部屋でした。

恰幅の良いベトナム人警備員のような男が一人、暇そうに座っている小部屋。
男の脇にちょこんとおかれていたスーツケースは、つい数十分前の搭乗手続きの際に預けたはずの自分の荷物でした。

ひとことも発さずに、スーツケースを開くように手で指示をする男。

「いったい何が?」と不思議に思いながらもスーツケースを開くと、男は一つ一つ荷物を取り出すように指示します。

ぐちゃぐちゃに詰めた洋服を広げ、お土産の雑貨を詰めた袋の中身を全てぶちまけ…
パーカーを取り出したときに現れた物を指差して、男の顔が一気にこわばります。

「これは何だ?」

パーカーの下にあったのは、真っ黒なピストルでした。

…いや、ピストルの形をしたライターでした。

この瞬間、どうして自分がこんな所まで呼び出されて荷物を一つ一つ確認されているのかすぐに理解できました。

ホーチミン観光中のお土産屋で、ちゃっちいデザインのピストル型のライターを自分へのお土産用に購入していたのです。

「これはライター!」と主張して、引き金を引いて火をつけて見せると、一気に和んだ表情になる警備員の男。
とはいえ、「これは持って帰ることはできない」と言われ、廃棄処分してもらうことに。(まあ仕方がないけど)

ライターを没収されて残念な気持ちよりも心配だったのが、飛行機の搭乗時刻
荷物検査は数十分に及んだため、チケットに記載された搭乗時刻をとうに過ぎてしまっていたのです。

「乗れなかったらどうしよう…というか、待たせておいた友人は?

全力で走って到着した搭乗ゲート。

もう乗客は全員搭乗を済ませてしまったようで、そこにはもう誰一人残っていませんでした。
たった一人、西日に照らされて赤く染まった空間でうつむきながら座っている友人を除いて。

こちらの顔を確認するやいなや、安堵の表情を見せる友人。(ちょっと泣きそうだった)
結局出発時刻ギリギリの最後の搭乗客二名として、予定通りの飛行機に乗ることができました。

学んだこと

①ピストル型のお土産なんて買わないのは常識。
②機内預け荷物だってちゃんとチェックされている。
③友人、本当にごめん。

⑧クレジットカードの不正請求(ルーマニア・ブカレスト)

現在まで続く「世界半周」の旅の初期に訪れたルーマニア(もう2年前…)。
首都のブカレストは「治安が悪い」と言われることも多いものの、個人的には全く危険な思いをすることもなく、旅を楽しめていました。

ルーマニアの通貨はレイ(Lei)で、ユーロではありません。
両替するのもATMでキャッシングするのも面倒だったので、極力クレジットカードを利用して旅していました。

ある朝。ふとメールボックスをチェックしてみると、クレジットカード会社からの「今月のお支払額のお知らせ」が来ていたので開封してみてびっくり。

なんと40万円近い請求が来ていました。

バックパッカースタイルの一人旅で、どう考えてもそんなに使っていません。(せいぜい3万円くらい)
海外でクレジットカードの不正利用被害に遭う可能性は少なくないので、本当に注意してほしいです。

ポルトガルを出発して、日本へと陸路で帰国する「世界半周」。
西ヨーロッパ諸国を東へ東へと進み、「東欧」と呼ばれるエリアを目指していました。

東欧圏最初の国がルーマニア。
ヨーロッパなのにどこかあか抜けない素朴な雰囲気に、毎日が感動続きでした。

ブカレスト旧市街

宿泊していたホステルの共用スペースで、「今日は何しようかなあ…」と考えながらメールボックスを開いたとき。

クレジットカード会社から毎月送られてくる「今月分の請求金額のお知らせ」のメールが届いていたので開封します。

【38万7200円】

?!?

自分の目を疑い、カード会社のアカウントを一度ログアウト&再ログインしてみましたが、確かにこの請求額でした。

どう考えてもこんなに使っていません。
そもそもルーマニアという物価が安い国で、どうやったらこんな額を使えるのか教えてほしいくらいです。

すぐさま明細を確認すると、どう考えても自分が使ったものではないもののオンパレードでした。

・ポーランドドメインのネットショップ
・アメリカの高級ホテル
・ドイツの高速バス会社

などなど、ものすごくインターナショナルな請求でしたが、のぶよはこれらの国に一歩も足を踏み入れていません。

ここでようやく、自分のクレジットカードが不正利用されたことを確信したのです。

こうしたトラブルが起きた時は、慌てるよりも冷静になるタイプ。(やっぱりこれまで色々くぐりぬけて来たからかもしれない)

「いったいどこで?」と考えを巡らせますが、一つ思い当たる節が。

ルーマニアの鉄道駅にはフリーwifi(パスワードやログインの必要がなく、誰でもアクセスできるもの)が飛んでいてよく接続していたのですが、一度だけフリーwifiに接続した状態でクレジットカード情報を入力して宿を予約したことがあったのです。

フリーwifiに接続したブカレスト北駅。たぶんここが原因。

その時は特に何も考えてはいなかった(むしろ「文明の利器~!」と喜んでいた)ものの、今考えるとそれが怪しい。

フリーwifiは、誰しもが匿名でアクセスできるもの。
つまりその分野の知識を持っている人からすれば、他人の回線に侵入してクレジットカード情報を盗み出すことなんて朝飯前でしょう。

もしかすると、他にカードを利用した機会にスキミングされた可能性もありますが、不正利用が始まった日付とフリーwifiでカード情報を入力した日付が見事に合致していたため、ほぼこれが原因だと確信しました。

あとはカード会社に電話をして、カードを止めてもらい、不正利用された金額の補償などについて指示を仰ぎます。

この時の担当者の対応がとてもスムーズで、安心することができたのも大きかったです。

結局、不正利用されたカードは停止して使用できなくなったものの、不正利用分の金額は一切支払う必要がありませんでした。救われた…

のぶよはクレジットカードを複数枚持っているので、そのうちの1枚を停止してもなんとかなったのですが、他にカードがない場合は確実に詰みます。

海外旅行に行く際はクレジットカードは複数枚持っておくのが半ば常識。
「念のため」の大切さを身を持って学ぶ機会になりました。

学んだこと

①中欧・東欧でクレジットカードを利用する場合は要注意。
②野良wi-fi接続中のクレジットカード情報入力はまじでリスク高い。
③楽天カード、ありがとう。末永くよろしく。

この時の経験の一部始終は別記事に書いています。まじでみんな、気をつけて!

⑨トレッキング中に落下し骨折疑惑(ノルウェー・オスロ)

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フランスに滞在していたときに1ヶ月ほどの予定で訪れた北欧諸国。

アイスランド→ノルウェー→デンマーク→スウェーデン→フィンランド
というプランをたてていました。

アイスランドの異世界のような大自然に感動し、次はノルウェーのフィヨルドの風景…!

一から十までとにかく物価が高いノルウェー。
毎日公園で野宿で済ませ(お散歩中のマダムに「よく眠れた?」と微笑みかけられる)、食事は一生パンとチーズ、池で行水&洗濯…という限界バックパッカーのような生活をしていました(笑)

ノルウェーに来た最大の目的は、「プレイケストーレン」という屈指の絶景スポット。
往復4時間ほどのハイキングコースで、日帰りでも十分楽しめる点にも惹かれました。

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ハイキングをした日の夜、夜行列車に乗って首都のオスロまで移動をするプランをたて(宿泊費節約も兼ねて)、夜行列車のチケットも早割で予約して最安値で済ませ、あとは頑張って歩くだけ。

自分の中では、かなり綿密にプランニングした一日でした。(ノルウェーの場合、事前にプランニング&予約しないと超割高になるので)

ハイキング当日。大きなバックパックを預けるためのコインロッカーですらかなりの金額(千円くらい?)だったので、背負ったまま往復4時間のハイキングに挑むことにしました。

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プレイケストーレンのトレッキングコースは、途中で崖コース(Cliff trail)と丘コース(Hill trail)に分岐していて、好きな方を歩くことができます。

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コース分岐点の看板。ここが悪夢の始まりだった…

往路は崖コースを歩き、プレイケストーレンの絶景に感動。
「復路は行きと違う道を歩こう!」と、軽い気持ちで挑んだ丘コース

それが、あんな形でアダになるなんて…
若さの絶頂を堪能し、自分の体力に絶対的な自信があったあの頃の自分は、知るよしもありませんでした。

こちらのエピソードは、当時書いていた日記をそのまま転載しています。
読みにくい点や今となっては不適切な表現などばかりですが、それも一つの味として大目に見ていただければ。

とりあえず、プレイケストーレンで最高の絶景を目に焼き付けました。

そして下山する際に、行きとは違う”HILL TRAIL”から帰ってみようと思い、しばらく歩いていると、
そこはHILLというよりMOUNTAIN。


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岩がごろごろ転がっていて、幾度もそれらを乗り越えねばなりませんでした。
なんとか乗り越え続けていたんだけど、3mほどの崖の上から、下に下りねばいけない箇所があって、

足場に足を引っかけて、腕の力で体を下へとリフトしなければならないところを支えきれず、そのまま前へと落下。



いやあ、やはりスローモーションに見えたわ。
真冬の北海道でトラックと正面衝突した時も、同じような現象が起きた。

「ぶつかる!」
ってわかっていながら、実際にぶつかるまでの光景がすごくスローモーションに見えて、それは今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。


とにかく、頭から落ちました。
しかも頭のところには岩。

人間の自己防衛本能とはすごいものでして、無感覚のうちに手を頭の下に敷いて、頭を防御してるんやね。
そして左足のところにも岩があって、強打。

しかしながら、意識を失うということは全くなく。


落ちてから始めに思ったこと。

「うわw まだ生きてるww」

心配した他のハイキング客たちも助けにきてくれました。

「頭大丈夫?振ってみて?」
「手は?動く?」
「足は?」
「杖いるか?」

などなど。

こんな見ず知らずの、3日ほど風呂に入っていない、汗だくで泥だらけな変な髪形のやつを救ってくれてありがとう。



しかしながら、この時の僕の心配事。

最終バスに乗り遅れる!!

バスに乗り遅れると、自動的にフェリーにも乗り遅れるので、既に予約した夜行列車に間に合いません。
それどころか、今日も野宿になってしまう。


事故が起きたのは、頂上からほんの少しだけ下ったところ。
すなわち、下山するためには登りと同じペースで歩いても1時間半かかります。

この時18:30。
最終バスの発車時間は19:55。

いやいやいやいや間に合いませんやんw


でも、こういうところで諦めるのはすごくいやな人なので、根性で歩きました。
左足の太もも相当痛かったけど。

痛すぎて、「うー!」とか「あー!」とか唸りながら歩いていました。
もはや周りの目など気になりません。
まあフランスで生活してる時点で気にならなくなっているんだけど。


階段上に岩が連なっているところは比較的楽に通過できたんだけど、一番きつかったのがただの坂道。
足の痛さが尋常じゃあなくなります。


しばらく行くと、左足をかばい続けてきたためか、右足までつりそうになってくる。
なんとか我慢しながら、登山口のプレイケストーレンヒュッテまで戻ってきたのが19:54。


奇跡、起きた。


別に精神論者のように弁をふるうわけではないけど、

たいがいのことって、自分の気持ち次第だと思う。

それを身をもって実感しました。


とりあえずバスに乗れたので、その後のフェリーにも、階段の多さに苦労しながらも無事乗船。

なんとかスタヴァンゲルの港まで戻ってきました。


不運なことに、22:20発スタヴァンゲル発オスロ行きの夜行列車を予約していたものの、工事が重なったため、スタヴァンゲルから1時間ほどの途中駅までは振り替え輸送のバスを使わねばなりません。

なんでやねん、こういう時に限って。

バス乗車時の3段ほどのステップでさえ、10秒以上の時間を要さなければ上れません。


不思議だったのが、下山している1時間ほどの間には何とか動いていた左足が、スタヴァンゲル港に着いた後はほとんど動かなくなっていたこと。

本気でタクシー使おうかとも考えましたが、冷静になって歩くことに。
行きは10分ほどでたどりつけた道のりを40分かけて、やっと駅まで到着。

もはや自分との戦いでした。
「俺ならできる俺ならできる・・・」と呪文のように繰り返しながら歩いていました。


バスを乗り換えて、ようやく夜行列車の自分の席に座った時は、安堵感で逆に死にそうになりました。笑

とりあえず動いていなければ痛みもないので、これから7時間ほどの乗車時間は天国のような時間。
疲労もあり、すぐに夢の中へ。





翌朝。

列車は定刻通りにノルウェーの首都 ・ オスロのセントラル駅へと到着。
列車内が快適すぎて、このまま一生到着しなければいいのにとどんなに願ったことか。

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オスロ中央駅

そして、寝て起きたら痛みが引いているのではないかという幻想もむなしく、昨日と変わらない痛みが。

ホームの端から端まで歩くのに1時間半かかりました。
むしろ昨日、同じ時間で山道を3.5kmも下れたのが奇跡だったのかもしれない。


とりあえず、オスロ駅舎内のベンチに陣取って、wi-fiがあったので、いろいろ調べてみました。

「大腿骨骨折」とか「肉離れ」とか。


絶望的な気分にさせられたのが、
「大腿骨骨折をした場合、完治までに要する期間は半年ほどです。その後、リハビリが必要となります。」
いやいやいやいや、ワーホリおわってまうやん。

残りの期間を病院で過ごすワーホリライフなんて絶対いやや!


でも、もしここオスロで病院に行ってそのまま入院ってことになったら、ガチでノルウェー移住になってしまう。
つまり破産してしまう。


とりあえず、意地でもこの国を脱出しようと決めました。
病院へ行くとしても、少しでも物価の安い国で。

とりあえず、デンマークのコペンハーゲン行きの夜行バスのチケットを、バスターミナルのオフィスで購入。

鉄道駅とバスターミナルが隣接していて本当に良かったと心の底から思いました。


とりあえず自分の足の状態は自分で見てみようと思い、太ももをいじくってみたものの、おそらく筋肉に強い衝撃が与えられて炎症を起こしてるのではないかという自己完結。


確かに、もし大腿骨骨折していたら全く歩けないし、立つこともできないし、じっとしていても痛むはず。

でも、僕の場合は、じっとしていたら全く痛くないし、膝の曲げ伸ばしも痛みを伴わないし、立ったり歩いたりは痛みを伴うけど可能だし。


というわけで、骨は折れていないだろうと自己完結。

骨折にしろ打撲にしろ、病院に行ったところで安静にして自然治癒くらいしか方法はないと思うので、
とりあえず痛み止めを飲んでみることに。

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アイスランドで知り合ったドイツ在住のみさえ(年齢不詳)に教わった「パラセタモール」という薬を購入し、服用したところ、先ほどまでの痛みが嘘のように引きました。
というか、もはや普通に歩けるし。

いやあ、本当に感謝。

でも薬にばかり頼っていてはいけないので、適度に運動をして、炎症部分を冷やして経過を見たいと思います。
数日後に回復していなかったら、それはその時に考えよう。


【後日談】

おそらく骨が折れていたかヒビが入っていた足ですが、2週間ほど薬を飲んでいたら、まあ普通に歩けるくらいになりました。

そのころ滞在していたデンマークのコペンハーゲンでは、「リハビリしなきゃ!」と思い、自転車をレンタルして観光することにしたくらい。(まじで若かった…)

結局病院で診てもらってはいませんが、今でも普通に歩けているのでまあ…
人間、気合いも大切かもしれません。(皆さんは真似しないでください)

学んだこと

①トレッキングにおいて「絶対に大丈夫」はない。
②バックパック背負ってトレッキングは狂気の沙汰
③ドイツってやっぱりすごい。

⑩荷物を丸ごと盗まれる(セルビア)

こちらもフランスに滞在していたときのお話(というか、⑨ノルウェー骨折事件から1ヶ月半後のこと)。

東ヨーロッパ諸国をのんびりと周遊し、セルビアの首都・ベオグラードからハンガリーの首都・ブダペストへの夜行列車を利用したときのことです。

セルビアの前に旅していたブルガリアで出会ったアルダという北キプロス人となぜか行動を共にして1週間ほどが過ぎていました。

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ブルガリア~セルビア間の国境にて

アルダは何一つ旅の計画を立てることはなく、3週間ほどのバケーションを利用してバルカン半島を周遊しに来た旅行者。
ブルガリア→セルビアと一緒に旅して、のぶよが目的地としていたハンガリーまでもついてくるというフレキシブルさ100%の不思議な人でした。

夜行列車はガラガラで、旧共産圏によくあるコンパートメント(8席ほどのシートが一部屋ずつ区切られている)タイプの車内。
自分とアルダ以外には、セルビア人のおじさんが一人いるだけの空間でした。

なぜかぐっすりと眠りにつくことができ、再び目が覚めたとき。
パスポートやパソコンなどが入ったリュックサックが煙のように消えていたのです。

こちらのエピソードは、当時書いていた日記をそのまま転載しています。
読みにくい点や今となっては不適切な表現などばかりですが、それも一つの味として大目に見ていただければ。

なにもなくなった。

なんにも。

フランスのビザが貼られたパスポートも。
電器屋さんで値切りに値切って購入したパソコンも。
かれこれ10年近く使ってきたiPodも。
せっかくだからと無駄に良い性能のものを選んだカメラも。


2日前。

キプロス人のアルダと二人で、ベオグラードからハンガリーのブダペストへ向かう夜行列車に乗っていた。

夜中の2時頃、国境へ到着と同時に目を覚ますと、バッグがない。
焦って電車内を探すも、ない。
車内の係員に事情を説明しても、知らん顔。
他のものはいいとして、パスポートがなければ国境は越えられない。

混乱状態のまま、国境検問所の係員に事情を説明すると、ベオグラードへ戻って日本大使館へ行けとのこと。

この時になるとだいぶ考えも落ち着いてきていた。

ちょうどブダペストから走ってきて国境検問所で停車している反対車線の電車に乗ってベオグラードへ戻って、日本大使館へ行って、パスポートを再発行してもらって、、、


指示された通り電車を降りて、1週間という短い間だけど一緒に過ごしたアルダに別れを告げようとすると、

「なにしてんの?早く反対方面の電車乗ろう!」

ん?
意味がわからない。

盗まれたのは俺の荷物だけだし、あいつはパスポートももちろん持っているから普通に国境を通過してハンガリーへ向かうことができるし、なによりあいつの休暇は残りわずか。

ベオグラードに戻る意味なんてなにもないし、俺の問題なわけだし、付き合わせるわけには行かないので全力で拒否。

なんとかわかってもらえて、あいつは一度ブダペスト行きの電車に戻ろうとする。

今度こそお別れや。
じゃあな。

そう思ってベオグラードへ戻る電車に一人乗り込んで、電車が発車するのを待っていると、再びアルダ、現る。

「は? お前なにしてんねん?クレイジーなん?はよブダペスト行きのん戻れや!ファッ○ンイスラム教徒!お祈りしとけ!」

かなり強く詰ったのに、あいつの答えは一言。

「お前にブダペストに一人で行けって言われた時はお前に従って電車に戻ったけど、少し考えて今度は自分の心に従うことにした。だから俺もベオグラード戻るわ!」

なんやねんそれ。意味わかれへん。

そうこうしているうちに、電車は出発してしまい、結局一緒にベオグラードまで戻る。


パスポートの再発行って、書類やなんやで普通は1週間くらいかかるから、それくらい覚悟してベオグラードにいなければいけない。

それをアルダに伝えると、

「なんで?日本はいろんな先端技術とかを研究してるのに未だに紙の書類が必要なん?」

「だったら俺の国の大使館に行こう!きっと助けてくれる!」

なんやその理屈。
むちゃくちゃやんけ。
俺、キプロスになんのゆかりもないんですけど。

結局日本大使館の対応は信じられないほど迅速で親身になってくれて、翌日にはパスポートの再発行ができることに。

大使館や警察にもついてきたアルダも、この対応には流石に文句が出なかったよう。


しかし、彼はもう国へ戻らねばならない。

俺が荷物を盗まれたせいで。
それにわざわざついてきたせいで。
そもそも俺と一緒に行動してしまったせいで。

彼の短い休暇は、ここベオグラードで終わりを迎えることとなりました。

なんであの時俺についてきてベオグラードへ戻ったのか問うと

「当たり前やん、一週間一緒に旅してきたんだから。それにもし俺がパスポート盗まれた側だったら、一人になりたくないもん。」

信じられる?

たった一週間やで?


ソフィアの駅で偶然会って、俺がブダペストへ向かうと言ったらなんとなくついてきただけ。

そんな短い間しか一緒にいなかった人間に、自分の大切な時間を捧げることができるなんて。

もしこれが逆の立場だったとしたら、自分があいつと同じ行動をとっていたかどうかと問われたら、恐らくNoだと思う。

「まあ頑張って。」
「なんかあったら連絡してな。」

これが自分の精一杯の優しさ。日本的な ”当たり障りのない” 一期一会な優しさ。

でも、違う国で育ったあいつにとっては、きっとそれは優しさではなく冷たさでしかないのだと思う。


長い間忘れていた。

人ってここまで相手の立場に立って、思いやれる生き物だったってことを。


大人になって、お金を貯めて、毎日を過ごして。
自分の生活を彩るためのPCやカメラや、洋服なんかも躊躇わず買えるようになって。
なんとなくフランスにやって来て、普通にやっていけてる自分に満足したりして。

そんなんじゃなかった。
大切なもの。

もう手元には何も残ってないけど、そんな時だから余計に感じられる思いやり、友情。


お前と一緒におったら豚肉食われへんし、
地べたに座って一服しようとしたら不潔不潔言われるし、
そのくせに自分は3日間同じ服装やし、
変な乾燥した果物食わされるし、
昼食のレストランですらなかなか決められないし、
両替のレートのくそ細かい単位まで気にして鬱陶しいし、
どこいくのにも着いてきたがるからたまに一人になりたいし。

正直めんどくさいねん。


でもお前とおったら、たまにトルコ語通じるところで便利やし、
おしゃれな店でくそみたいにビール飲めるし、
わけわからん話で爆笑させられるし、
たまに真剣な話で討論できるし、
やたらいろんなもんに興味津々やから、一人だったら気づかない発見できるし、
やたら値切りたがるからちょっとお得に買い物できるし、
困った時に一人じゃなくて良かったと思えるし。

正直楽しいねん。


どうせ日本語わかれへんやろうから言うけど、

ほんまに出会えてよかった。

一人だったらパスポートもなにもかも失くして途方に暮れていたと思う。

俺以上に細かいこと心配してるから、基本大雑把な俺は、

あーもうええって!なんとかなるって!

ってゆうてしまう。

だから状況は悪くても、盗難から2日間なんの不安も感じずにいられた。

ほんまにありがとう。

お前みたいに自分のこと以上に他人を思いやれるような男になってやるぜ。

そして、これからはもっと、
「自分の心に従って」生きていく。

もうパソコンもカメラもいらないや。


いつかお前の国に行って、1日5回のお祈り時間にモスク荒らししたるからな。覚悟しとけよ。

でも、ありがとう。

学んだこと

①夜行列車/バス利用の際に荷物は肌身離さない。
②日本大使館は聖域。
③もはやアルダになりたい。

おわりに:トラブルだって旅を彩るスパイス!

はじめて「旅」というものに挑戦してから早10年。
これまで訪れた町のにおいや、出会った人々の顔、当時の自分の感覚を思い出しながら書いていたら、かなりのボリュームになってしまいました。(まあいつものことだが)

美しい風景や楽しい思い出が心に残っているのはもちろんのこと。
それよりも深く鮮明に記憶に刻まれているのが、どうしようもない不安な気持ちに押しつぶされそうになっているときや、先の見えないトンネルを歩いているような状況のことだったりするのですから、人間とは不思議なものです。

泣いたり、笑ったり、恥をかいたり、途方にくれたり、自分の馬鹿さ加減に呆れたり…

良いも思い出も二度と経験したくない苦しい思い出も、あらゆる物事の積み重ねこそが、旅をしているということ。
日常生活の中で誰しもに浮き沈みがあるように、時間が限られている旅の途中でも浮き沈みがあって然るべきだと思います。

むしろ、旅をしているとどうしても遭遇してしまうトラブルこそが、旅の思い出をより鮮烈に引き立たせるためのスパイスなのかもしれません。

トラブルに遭遇している最中は、なかなかスパイスの奥深い味わいに気づくことは難しいもの。
しかし、後から思い返せば「若き日の過ち」としてほとんどのことは笑い飛ばせるはずですし、トラブルがあったからこそ気がつける人の優しさも旅の醍醐味かもしれません。

旅することは、人生において必要不可欠なものではないのかもしれません。

でも、旅は間違いなく、人間を構成する要素の一つ。
良い思い出も悪い思い出もまるで細胞のように、この脳と体にずっと生き続けるものだと感じるのです。

だから、きっとまた自由に旅できる日がやってくるはず。
その日までは、心の中の思い出をしまっておく引き出しを整理し、新しくやって来る未来の思い出を入れるスペースをちゃんと確保しておこう。

そのときに向けて、引き出しの鍵はしっかりとかけておこうと思います。

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