こんにちは!ジョージア北西部のスヴァネティ地方にのんびり滞在中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
スヴァネティ地方と言えば、ジョージア旅行におけるハイライトとなるエリアの一つ。
急峻なコーカサスの山々の雄大な風景に、「復讐の塔」と呼ばれる石塔を備えた村々、ジョージアの他地域とは異なる歴史や文化を誇りに思う人々…
ジョージアという国を象徴する山岳地域の魅力を存分に堪能しようと、多くの旅行者が訪れるエリアです。
しかしながら、ひと昔前まで「ジョージアの秘境」なんて呼ばれていたここスヴァネティ地方にも、観光地化の波は着実に押し寄せつつあるのが現状。
「スヴァネティ地方の二大観光地」と名高いメスティアとウシュグリにおいては、観光客に慣れきってしまった人々や、欧米人が好みそうなお洒落レストラン、団体ツアー客向けのなんちゃって伝統文化体験など、「お見せする用のスヴァネティ」という概念が強まってきている点は否定できません。
ピュアなスヴァネティ地方の魅力を感じることができる場所は、だんだんと減ってきているのです。
メスティアとウシュグリだけを訪れて「なんか思ったより観光地化されてるな…」と判断するのはまだ早い!
スヴァネティ地方には、有名どころ以外にもピュアな魅力を色濃く残した村々がまだ残っているのです。
観光客はほとんど素通りしてしまう場所にあるため、村の風景も人々の感じも、あくまでも昔のまま。
「お見せする用」ではない、素顔のスヴァネティらしさを感じることができます。
今回の記事で紹介するのは、「裏スヴァネティ」と呼ばれるエリア。
もちろんのぶよが勝手に名付けたもので、知名度は完全にゼロ。
驚くほどに素朴な、古き良きスヴァネティの原風景の連続がそこにありました。
スヴァネティ地方リピーターの人や、滞在日数に余裕がある旅行者には心からおすすめ!
有名スポットとは全く異なる、スヴァネティ地方の美しい風景を堪能しましょう。
「裏スヴァネティ絶景街道」とは?
「スヴァネティ地方」と聞いて、多くの旅行者がイメージするのは、メスティアとウシュグリの二大ハイライトでしょう。
スヴァネティ地方観光のプランニングは、この二つの町を拠点として周辺の見どころに足をのばすのが基本中の基本となります。
これら「スヴァネティ観光の定番」とされる見どころのほとんどは、中心都市・メスティアの東側に集中しています。▼
いっぽうのメスティアより西側の地域が、のぶよが「裏スヴァネティ」と名付けたエリア。
ここもスヴァネティ地方に属するのですが、訪れる旅行者の数はほぼゼロです。
メスティアへ陸路でアクセスする場合は必ず通ることとなるエリアではあるものの、知名度が低く目立った見どころがないためか、完全にスルーされてしまっているのが現状です。
そんな「裏スヴァネティ」ですが、大きく3つのエリアに分けることができます。▼
3つのエリアはそれぞれ、人口数十人~百人ほどの小さな集落がいくつか集まって構成されており、それぞれ異なる雰囲気であるのが特徴的です。
「裏スヴァネティ絶景街道」マップ
レンジェリ地区
メスティア中心街の西3kmほどの場所に広がるのがレンジェリ地区(Lenjeri / ლენჯერი)。
4つの集落から構成されており、石壁の民家が連なる路地と「復讐の塔」と呼ばれる石塔がニョキニョキと生えたかのような独特の景観は、スヴァネティ地方の典型的な村といった雰囲気です。
ジョージアの山岳部地域ではどこでも見られる見張り塔。
ジョージア語でコシュキ(koshki / კოშკი)と呼ばれ、そのほとんどはコーカサスの山を越えて侵入してくる異民族から、自分たちの村や家族を守るために建設されたもので、敵の侵入を見張ることができる高台などに位置しているのが普通です。
しかしながら、スヴァネティ地方では高台以外にも、一般の民家に見張り塔が併設されているのが独特。
ここには、15世紀~19世紀にかけてどこの国にも属さず、村ごとに自治が行われていたスヴァネティ地方独自の事情が関係しています。
村の掟を破る者や、他の村人を侮辱したり暴力をふるう者には「血の復讐」と呼ばれる制裁がなされ、本人はもちろんその家族も復讐の対象とされました。
(日本の村八分のエクストリームバージョンだと思ってください)
一応、「血の復讐」は村の偉い人の決定により行われるというルールがあったのですが、しばしばそのルールは破られ、個人的な怨恨などで復讐が実行されることも多かったそうです。
「何がきっかけで他の村人に復讐されるかわからない」という恐怖は、人々に見張りと防衛を兼ねた塔を自宅に作らせ、数か月間塔の内部で籠城生活を送ることを可能にしたのです。
現在ではその風習は廃れ(たとされてはいます)、人々は塔の外の自宅で生活を送るようになりました。
これらの塔はいつしか「血の復讐の塔」と呼ばれるようになり、スヴァネティ地方独自の風習や歴史を現在に伝え続けています。
①ラシュトフヴェリ
地区内で最もメスティアに近い場所に位置するのがラシュトフヴェリ集落(Lashtkhveri / ლაშტხვერი)。
緩やかな丘の斜面にひらけており、素晴らしい保存状態の復讐の塔を備えた民家が点在しています。
ラシュトフヴェリ集落には人影がほとんどなく、まるでゴースト・ビレッジのような雰囲気。
いちおう数十人の住民が生活しているそうですが、なんとなく閑散とした空気が漂っていました。
集落内のゆるやかな下り坂を南に下って10分ほど歩くと、次の集落であるカシュヴェティに到着します。
②カシュヴェティ
個人的に、レンジェリ地区の四集落の中で最も美しいと感じたのが、最南端に位置するカシュヴェティ集落(Kashveti / ქაშვეთი)。
集落内の民家の多くがスヴァネティ地方伝統の石造りという統一感が見事。
村人たちは馬やロバに乗って移動しており、数百年前にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。
カシュヴェティ集落には十軒ほどの民家があるだけですが、ちょうどお昼時だったためか、人々の話し声や調理する音がそこら中から聞こえ、生活感が感じられます。
集落中心部の広場に建つ復讐の塔の保存状態も良く、周辺の緑の山々と石壁の風景が見事にマッチしていました。
③レムシア
レンジェリ地区の四集落で最大の人口(といっても数十人)を誇るのが、レムシア集落(Lemsia / ლემსია)。
ゆるやかな丘の斜面で肩を寄せ合うような民家と復讐の塔、その奥に広がるスヴァネティの山々…
遠景で考えると、「裏スヴァネティ」全体でも最も美しい集落の一つだと思います。
レムシア集落内に足を踏み入れてみると、閑散とした雰囲気の寒村といった印象。
空き家となった様子の家や、半壊したまま放置されたかつての民家も目立ちます。
ほとんどの旅行者は4kmほど先のメスティアを目指してこの場所を素通りしてしまうため、観光産業なども発展しにくいのかもしれません。
④ソリ
レンジェリ地区の最も西に位置するソリ集落(Soli / სოლო)は、このあたりでは最も多くの復讐の塔を有する「塔の村」。
幹線道路沿いを歩いていると、山の斜面にニョキニョキと生えたかのような石塔が出迎えてくれます。
塔の数こそ多いソリ集落ですが、多くの家族がメスティア等に移り住んでしまった結果、人口は四つの集落の中でも最も少ないそう。
村の中心部でも人影はほとんどなく、しんと静まり返った石壁の路地に復讐の塔がそびえ立つ風景は、どことなく不気味な感じがしました。
ラタリ地区
メスティア中心街の西9kmほど。深い山々を望む渓谷沿いにひらけたラタリ地区(Latali / ლატალი)は、地元の人々の生活感が感じられるエリア。
「寒村」という言葉がぴったりだったレンジェリ地区に比べると、ラタリ地区には小さな商店や学校があったり、人の姿が多く見られたりと、村としての活気が感じられるのが特徴的です。
レンジェリ地区はメスティアから3kmほどと近いため、多くの人口が吸収されてしまったor人々はメスティアに出て買い物や仕事をするのに対し、ラタリ地区はメスティアから9kmほどと微妙に離れているため、村としての機能をどうにか維持できているのかもしれません。
⑤ラタリ
ラタリ地区内にいくつかある集落のうち、最も栄えている中心的なものが、同名のラタリ集落(Latali / ლატალი)。
ゲストハウスが一軒と、商店兼カフェのような施設が一軒、小学校が一つと、村としての最低限の機能を備えています。
幹線道路沿いにひらけた集落の建物は、石造りのものとコンクリートのものがごちゃ混ぜ。
統一感こそありませんが、これまでのどの集落よりも「人々の生活の匂い」のようなものが感じられます。
⑥イェナシ
ラタリ集落の少し西に位置するイェナシ集落(Ienashi / იენაში)は、このあたりでは有名な教会がある場所。
ラタリ集落が「人々の生活のための場所」だとしたら、イェナシ集落は「人々の祈りのための場所」と表現できるでしょう。
イェナシの村はずれの小高い丘の上にたたずむマツフヴァリシ救世主教会(Matskhvarishi church of the Savior მაცხვარიშის მაცხოვრის ეკლესია)が、この集落の象徴そのものです。▼
教会の建物自体は10世紀(1050年前)の建造で、その後12世紀の中世ジョージア王国黄金時代(900年前)には、外壁と内壁に色とりどりのフレスコ画が施されたそう。
外壁のフレスコ画は風雨による損傷が激しいものの、かつての名残が少しだけ感じられます。
(内部のフレスコ画の保存状態はまだ良いそうですが、鍵がかかっていて入れず…)
当時、深い山々に抱かれたこの場所と下界とを結ぶ道路などあるわけがなく、中世ジョージア王国の支配はなかなか及ばなかったと言われるスヴァネティ地方。
しかしながら、キリスト教文化はしっかりと到達していたようで、以後1000年以上に渡って人々の信仰・生活の中心としての役割を担ってきたことが感じられます。
イェナシ集落から西には、集落どころか民家すら一つもありません。
ドルラ渓谷地区の入口にあたるベチョ村(Becho / ბეჩო)に到着するまでの10kmほどの区間を、深い山々を切り開いて通された幹線道路が続いていくだけです。
ドルラ渓谷地区
「裏スヴァネティ」の三つの地区の中で、最も西に位置するのがドルラ渓谷地区(Dolra / დოლრა)。
すでに紹介したレンジェリ地区とラタリ地区の二つは、「メスティアの延長線上にある集落」といった感じでしたが、ドルラ渓谷地区はメスティアから20km以上も離れているため、完全なる別エリアという印象。
その名の通り、ドルラ川が形成する渓流沿いにいくつかの集落がひらけており、ウシュバ山の堂々たる姿がどこからでも見られます。
⑦ドルラ渓谷
ドルラ渓谷地区の最南端にあたるベチョ村から北に6kmほど続くのが、ドルラ渓谷(Dolra gorge / დოლრა)。
ウシュバ山の氷河が解けて流れ出た水が形成するドルラ川に沿って、素朴な雰囲気の民家がぽつぽつと点在しています。
ドルラ川の急流と、雪をかぶったウシュバ山が織りなす風景は、スヴァネティ地方でもここでしか見られないものです。
渓谷沿いを走る道路はゆるやかな上り坂。
ゆっくりと歩きながらコーカサスの自然美を堪能しましょう!
⑧マゼリ
ドルラ渓谷に沿ってのびる道路を進んだ最奥部に位置するのが、マゼリ村(Mazeri / მაზერი)。
目と鼻の先にそびえ立つ標高4710mのウシュバ山の姿は圧巻のひとこと。
「コーカサスの山々に抱かれた村」という印象を、訪れる者に与えます。
マゼリ村とその周辺には、いくつかの見どころが点在しているのも見逃せません。
本記事で紹介している「裏スヴァネティ」の各集落と合わせての日帰りだと、十分にマゼリ村を堪能するには時間が足りないはず。
ぜひとも宿泊して、この桃源郷のような村の魅力を100%満喫してほしいです!
裏スヴァネティへのアクセス&まわり方
裏スヴァネティの3エリアには、公共交通手段はいっさい走っていません。
そのため、基本的な移動は徒歩かタクシーとなります。
メスティア中心街でタクシーをチャーターする場合は、1台あたり往復で150GEL~200GEL(=¥7500~¥10000)ほどが相場となるでしょう。
メスティアから個人で歩いて裏スヴァネティを訪れる場合は、どの地区まで足をのばすかによって拠点となる町が変わってくる点がポイントです。
メスティアを拠点として、レンジェリ地区~ラタリ地区と歩いて往復しても、合計18.5kmほど。
ほぼ平坦な幹線道路沿いをずっと歩くだけなので、丸一日あれば余裕でまわれます。
メスティアから最も距離があるドルラ渓谷地区に関しては、メスティアから日帰り往復のプランニングは無謀なので、中心的な村であるマゼリに宿泊するのがベストです。
のぶよ的におすすめなのが、メスティア~マゼリ村へ徒歩で移動しながら裏スヴァネティの村々を観光すること。
道沿いに位置するレンジェリ地区とラタリ地区を効率的に訪問しながら移動できるのはもちろんのこと。
ゴール地点となるマゼリ村に宿泊することで、ドルラ渓谷地区周辺に点在する見どころもゆっくりとまわることができるためです。
おわりに
訪れる人がほぼいないためか、インターネット上にはほとんど情報がない「裏スヴァネティ」の魅力を紹介しました。
限られた日程でのスヴァネティ地方旅の場合にはおすすめしにくいですが、日程に余裕がある人にはとにかくおすすめです。
観光地化の波が到達していない村は、スヴァネティ地方ではもはや貴重なもの。
「本当のスヴァネティ」を感じに行ってみてはいかがでしょうか。
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