こんにちは!トルコ南部・アンタルヤに滞在中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
アンタルヤの70km東、地中海沿いに位置するシデ(Side)は、「トルコのリビエラ」と呼ばれる美しい海岸線が続く地域の一つ。
トルコの地中海沿岸の他の町と同様にビーチリゾートとしての性格が強く、夏になると近郊に建ち並ぶリゾートホテルはバカンス客で埋め尽くされます。
「どうせ馬鹿なリゾート客がちょっと観光しにやってくるようなしょうもない町」と思っていたのぶよですが、実際に訪れてみてびっくり。
シデの町は、ヘレニズム時代やローマ帝国時代の遺跡がゴロゴロ転がっている、古代遺跡のオープンエアー・ミュージアムそのものだったんです。
しかも、その多くが入場無料というのも嬉しい点。
どこでも高額な入場料をとってくるトルコにしては、かなり珍しいことです。
今回の記事では、無料で楽しめるシデの古代遺跡の見どころを紹介します。
拠点となるアンタルヤからのアクセスも解説しているので、個人で行く人は参考にしてください。
シデの古代遺跡の歴史
シデの歴史はかなり古く、ローマ帝国支配時代のだいぶ前から人が居住していたと考えられています。
現在までにこの先史時代の遺跡は見つかってはおらず、シデで見られる遺跡の多くは2世紀のローマ帝国時代のもの。
しかしながら、先史時代にこの地域で使われていたと考えられているルウィアン語で書かれた石碑などが発掘されています。
地中海に突き出た良港を持つシデは、かねてから多くの支配者に重宝されてきました。
紀元前6世紀のペルシア、紀元前4世紀のマケドニア王国、プトレマイオス朝エジプトなどの支配を経て、ローマ帝国領となったのは紀元前67年のこと。
それからはシデが繁栄を極めた黄金期。
地中海貿易の拠点として、ビザンツ帝国時代まで発展を続けます。
その後、アラブ勢力の台頭によって港としての重要性を失い始めたシデ。
セルジューク朝支配時代の13世紀には打ち捨てられることとなり、その後長い間放置されたままとなりました。
現在では発掘作業が進み、かつての姿を取り戻しつつあるシデの遺跡。
それでもまだまだ謎な部分は多く、これからの研究が楽しみな場所の一つです。
無料でここまで楽しめる!シデの古代遺跡の見どころ
シデの古代遺跡の多くは、リゾート客向けの観光地感しか漂っていない中心街の外側に位置しています。
みんな古代遺跡になんて興味がないのか、とにかくひっそりとした雰囲気でした。
黄色:オトガル(バスターミナル)
青1~12:古代遺跡の見どころ
緑:その他の見どころ
1.ニンファエウム
シデのオトガルのすぐ南にあるのが、ニンファエウム(Nymphaeum)と呼ばれる噴水。
2世紀建造の噴水の跡で、かつてシデの町を取り囲んでいた城塞に直接設置されていたものです。
ここに水源はないため、噴水の水は近くにある水道橋からパイプによって運ばていたそうです。
2.シティー・ゲート
ニンファエウムの目の前にあるのが、かつて城壁に囲まていたシデの町への入口であったシティー・ゲート。
ローマ帝国時代より前のヘレニズム時代に築かれたもので、二つの見張り塔に挟まれていました。
シティー・ゲートを入ったところの広場はもともと円形だったものの、のちのローマ帝国時代には馬蹄型に作り変えられたそうです。
3.柱の通り
シティー・ゲートを入って左に曲がると、いくつものコロン(柱)が連なる柱の通りへと続きます。
ローマ帝国風の柱がいくつも連なっている光景は圧巻。
多くの柱は復元されておらず、そのまま地面に横たわっているものもあり、なんだか異様な雰囲気。
これこそが、古代遺跡たる姿であるように感じました。
4.エピスコバル宮殿とバジリカ
柱の通りを抜けた先は、草がぼうぼうに生えた場所に古代遺跡がゴロゴロと転がっている異様な光景が広がります。
この場所が、ローマ帝国時代に利用されていたエピスコバル宮殿とバジリカ(洗礼堂)の跡です。
復元作業はほとんど進んでいないようですが、円形のアーチなど初期キリスト教建築の特徴が見られ、この場所が重要なものであったことを認識させられます。
5.政治用アゴラ
そのまま海に向かって歩いていきましょう。
高い石の壁に囲まれた巨大な空間が、古代都市シデの政治の中心であったアゴラです。
アゴラとは多目的広場のことを指すのですが、こちらは政治に使われていたもの。
いわば古代の市庁舎のようなものです。
アゴラの装飾は細部に渡ってかなり精密に残っており、1800年前の技術に感心させられます。
かなり大きな建造物だったようですが、現在残っているのは主にその正面部分のファサードのみとなっています。
6.ビザンツ帝国時代の病院
アゴラから円形競技場方面へ向かって歩いていくと、かなり大きな建物の形をした遺跡があります。
こちらはビザンツ帝国時代に病院として利用されていた建物なのではないかと考えられているもの。
未だ推測の域を出ないそうですが、後のセルジューク朝時代にも同じような建築様式の病院が建てられていることから、この説が有力だそうです。
7.住居跡
病院の遺跡から100mほど、商用アゴラの前にあるのが、ローマ帝国時代の住居跡です。
石塀で仕切られた敷地は、確かにここに家があったことを感じさせます。
それぞれの住居には水が引かれていた跡があることから、トイレなどの水周りは共用ではなく、各家庭に設置されていたと考えられているそう。
1800年前の遠い昔の人々の暮らしも、現在の私たちの生活とさほど変わらないものだったのかもしれませんね。
8.商用アゴラ
円形競技場の目の前に広がる広大な広場が、シデのもう一つのアゴラです。
先ほど見学したのは政治に使用されていたものでしたが、こちらはいわばマーケットとして機能していたもの。
敷地内には商店の跡やラトリナと呼ばれる公衆トイレまで見つかっています。
2世紀に整備されたこちらのアゴラは、後のビザンツ帝国時代まで引き続き利用されていたそう。
すぐ背後には円形競技場が建ち、きっとイベントがあったときはとても賑わったのでしょう。
かつての人々の休日を過ごす姿が目に浮かぶ様です。
9.円形競技場
シデの遺跡の中で最も有名かつ巨大なものが、円形競技場です。
2世紀建造のもので、2万人を収容できたそう。
近郊のアスペンドス遺跡にある円形競技場のライバルのような存在だったのかもしれません。
シデの遺跡の中で、こちらの円形競技場だけ34TL(=¥639)の入場料がかかります。
10.門&ヴァスパシアヌス帝の噴水
円形競技場の脇にあるのは、凱旋門を思わせるような大きな門。
シデの町を取り囲んでいた二重の城塞の内側の門として機能していたものです。
この門の左脇には、ヴァスパシナウス帝のモニュメントが設置されていました。
ヴァスパシナウス帝とは、67年~79年の間ローマ帝国を治めた皇帝。
もともと設置されていた彼の像は残っておらず、噴水の枠だけが当時の面影を今に伝えます。
11.大浴場
円形競技場を通り過ぎてシデの中心街を歩いていくと、突如巨大な遺跡が姿を現します。
こちらが、ローマ時代の浴場の跡。
港に近い立地のため、「港の浴場」と呼ばれています。
水、ぬるま湯、熱いお湯と温度に分かれた浴槽は複数の空間に分かれて設置されており、脱衣所を含めて計10の空間に仕切られていたそうです。
シデには他にもいくつかの浴場が残されており、町の入口の浴場はシデ博物館として、内部が一般に公開されています。
(博物館入場料18TL=¥338)
12.アポロ神殿&アテナ神殿
シデの遺跡観光のハイライトとなるのが、町の最南端の海沿いにあるアポロ神殿とアテナ神殿。
シデをPRする観光ポスターにもよく使われているので、見たことがある人もいるかもしれません。
(少なくともトルコではシデ=この風景です)
なんとなく、ギリシャの首都・アテネにあるパルテノン神殿を思い浮かべたのぶよは、決して間違ってはいませんでした。
というのも、この神殿部分が建設されたのはローマ帝国による支配より前。
紀元前2世紀に造られたギリシャ風神殿で、アポロとアテナ、二つの神殿が組み合わさった形になっていたそうです。
正面のレリーフの彫刻などはかなり素晴らしい保存状態で、当時のヘレニズム文化の影響が強く感じられます。
青い地中海をバックに白く輝く柱はとにかく美しく、これを見るためだけにでもシデまで来た甲斐がありました。
遺跡だけじゃない!シデの観光スポット
かなりの歴史があり、保存状態も素晴らしい遺跡のほとんどが無料で見られるシデ。
観光客向けに整備しつくされてはいないので、さも自分が発掘しているような気分で探索できます。
小さな町全体に点在する遺跡群をゆっくり見て回っても2~3時間ほど。
時間が余ったら、シデの町を散策してみましょう。
どうしてもリゾート感がぬぐえないシデの中心街
地中海に突き出した半島部分にひらけたシデの中心街は、ライムストーンを積み上げた石造りと木造が融合した独特の建築様式が魅力的。
メインストリートであるリマン通り(Liman Cd.)を中心に、かわいらしい建物が建ち並んでいます。
建物自体は美しいのですが、のぶよ的にはちょっと綺麗すぎる印象。
おそらくほとんどの建物が改修済なのでしょうが、もう少し鄙びた感じがあった方が好みです。
それもこれも、ヨーロッパからのバケーション客のデイトリップ先として大人気のシデの宿命なのかもしれません。
通りにはお土産屋をはじめ、観光客向けにきれいに整備されたレストランやバーが並び、トルコというよりも別の国のような雰囲気。
極めつけは、全ての店の値段表記がユーロだったこと。
そもそも他の国に来て自分の国の通貨で通すのってどうなんでしょうか。
というわけで、古代遺跡が素晴らしすぎた分、観光地感ただようシデの町並みにはそこまで夢中になれませんでした。
海沿いの風景も魅力的
中心街の観光地感が気に入らなかったら、海沿いを散策してみるのがおすすめです。
シデがはるか昔から重要な地とされた一番の理由であるマリーナ(港)は、現在ではボートツアーの船と漁船が発着するだけの鄙びた雰囲気。
マリーナ周辺には釣りを楽しむ地元の人たちが集まり、ローカルな雰囲気が漂っています。
メインストリートから外れて海沿いを歩いていくと、美しい地中海沿いのビーチへと至ります。
おそらく夏場はすごいことになるのでしょうが、オフシーズンなため人の姿はほぼなし。
太陽の光が青い海に差し込む美しい風景だけが、そこにはありました。
アンタルヤ周辺には、個人でのアクセスにやや難ありな古代遺跡が点在しています。
効率良く観光するなら、アンタルヤからの現地ツアーの参加が最も手っ取り早い手段。料金もリーズナブルなので、滞在日数に限りがある場合には考えてみてはいかがでしょうか。
アンタルヤからシデへの行き方
アンタルヤからシデへ直接アクセスできるバスはありません。
幹線道路から外れた場所にあるシデへのアクセスは、
・マナウガト(Manavgat)行きのバスに乗る
・マナウガトの交差点でシデ行きのシャトルバスに乗り換える
の2ステップです。
アンタルヤ〜マナウガト間のバス移動
まずはアンタルヤのオトガル(バスターミナル)にアクセスします。
アンタルヤのオトガルは長距離路線ターミナルと中・短距離路線のドルムシュ(ミニバス)ターミナルに分かれており、マナウガト行きはドルムシュターミナルの発着。
↑ドルムシュターミナルの入口
常に1番乗り場の発着で、20分に1本の頻度で運行しているので利用しやすいです。
アンタルヤ〜マナウガト
所要時間:1時間半
料金:19TL
乗車時に、シデへ行く旨を伝えておくのを忘れないようにしましょう。
というのも、シデ行きのシャトルバスが待機しているのは、終点のマナウガトのオトガルではなく、その数km手前の交差点のガソリンスタンドの敷地内。
事前にシデへ行くことを伝えておけば、正しい場所で降ろしてくれます。
マナウガト交差点でシデ行きのシャトルバスに乗る
↑マナウガト交差点のガソリンスタンドで待機しているシャトルバス
シデ行きのシャトルバスはマナウガト行きのバスの到着時間に合わせての運行で、30分に1本の割合で運行しており、料金は無料です。
時間がない場合は、シャトルバスが待機しているガソリンスタンドの敷地外の道路をマナウガト〜シデ間のドルムシュ(4TL)が頻繁に通るので、そちらを利用するのもいいかもしれません。
マナウガト交差点から10分ほどで、シデ中心街はずれにあるオトガル(バスターミナル)に到着します。
シデからアンタルヤへの戻り方
↑帰りのシャトルバス/ドルムシュが出発するシデのオトガル
シデ観光後にアンタルヤへ戻る際は、行きと反対の手順(シャトルバス→交差点でアンタルヤ行きのバスに乗る)で移動するだけ。
アンタルヤ行きのバスはマナウガトのオトガル始発なのですが、夕方の便はかなり混雑します。
マナウガト中心街で乗客を乗せた後に先述のシデへの分岐点のガソリンスタンド付近を通るのですが、かなりの確率で満席で座れないことが考えられます。
1時間半立ちっぱなしも辛いので、確実に座って移動したい場合はシデ〜マナウガト間の有料(4TL)のドルムシュでマナウガト中心街まで行き、まだ空いているアンタルヤ行きのバスに乗るのもおすすめです。
おわりに
町並み散策というよりも、無料の古代遺跡目当てで訪れるのがおすすめなシデ。
夏場なら、古代遺跡散策の後にビーチでクールダウンしていくのもいいと思います。
アンタルヤからの日帰りも簡単ですし、周辺に位置する他の古代遺跡と組み合わせてのデイトリップも可能なシデ。
日本ではほぼ知名度がない場所ですが、のんびりと午後のひと時を過ごすにはかなりおすすめの場所です。
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とにかく情報量が半端じゃありません。人と違う場所へ行ってみたい人は是非!
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