こんにちは!ジョージア滞在も3年、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
ジョージアの首都・トビリシから、片道たったの30分でアクセスできるデイトリップ先の王者といえば…そう!ムツヘタ(Mtskheta / მცხეთა)です。
▲ ムツヘタといえば、色が異なる二本の川の合流地点に広がる可愛らしい町並みで有名。
ジョージア観光のハイライトのひとつであり、ここを訪れない旅行者はまず存在しないでしょう。
絶景ばかりが称賛されているムツヘタですが、およそ2200年前から1600年前にかけてジョージアの首都として繁栄した古都としての一面もあります。
当時の日本は弥生時代で稲作などに励んでいたわけですが、遠く離れたコーカサスの地ではすでに高度な文明国家が成立していたのですから…
ジョージアという国の悠久の歴史に、改めて驚かされます。
ムツヘタは、その歴史的価値が高く評価され、UNESCOの世界文化遺産に登録されている町。
小さな町ではありますが、「ムツヘタ三大聖地」と呼ばれるキリスト教建造物がひしめき合っており、どれも見ごたえ抜群の圧巻のスケールです。
まさに「ジョージアのはじまりの地」にふさわしい古都の威厳が感じられるムツヘタ。
トビリシから気軽にデイトリップできるという地理的なメリットもあり、多くの観光客が日帰りで古都の風情を感じに訪れます。
ムツヘタは、およそ1700年前に「世界で二番目のキリスト教国」となったジョージアという国において、キリスト教受容の舞台となった地。
当時のミステリアスな伝説が現在にまで息づいており、各見どころを見学する際には歴史をちゃんと理解しておくのが必須となります。
というわけで今回の記事は、ムツヘタ観光に必要な情報すべてを網羅したもの。
観光前に絶対知っておきたい歴史から、観光ハイライトの三大聖地に周辺の見どころ、おすすめレストランにアクセス情報まで…
「これさえあればガイドブックは要らない!」と言えるほどの情報量となっています。(まじで書くの大変だった)
▲ こんな感じでテーマごとに分けているので、気になるところからどうぞ。
ムツヘタを訪問すれば、ジョージアという国をちょっと深く理解できるはず。
「トビリシから出て初のジョージア地方部旅がムツヘタ」という旅行者も多いと思うので、できる限り詳しく書いています。
観光前に絶対知っておきたい!ムツヘタの歴史と3人の重要人物
今でこそ「川のほとりの小さな町」といった雰囲気のムツヘタですが、ジョージアという国の成り立ちにおいてとても重要な役割を果たした場所でもあります。
というのも、現在のジョージアの前身であるイベリア王国において、5世紀にトビリシが首都として定められるよりも前に首都に定められていた町であるため。
その歴史は紀元前3世紀(2200年前)にまで遡り、町の周辺には当時の遺跡も残っているほどです。
ジョージアが、お隣のアルメニアに次いで「世界で二番目のキリスト教国」となった327年以降は、政治・宗教の中心地として栄えたムツヘタ。
1600年以上も前のキリスト教社会を現在に伝えるような伝説も数多く残ります。
ムツヘタの長い歴史の象徴である世界遺産の聖地を観光する際のキーワードが、この地にゆかりの深い3人の人物。
いずれも、「この人がいなければ、今のキリスト教国・ジョージアは存在しなかった」と言えるほどの超重要人物です。
まずは、ムツヘタ観光前に知っておきたい歴史をサックリと解説していきます。
紀元前3世紀(2200年前):ムツヘタが首都になる
「ジョージアの古都」というキャッチフレーズで知られるムツヘタですが、実は観光の中心となるムツヘタ旧市街は後の時代に整備された地区。
ムツヘタが首都に定められた紀元前3世紀(2200年前)に町の中心だったのは、現在の旧市街からムトゥクヴァリ川を挟んだ対岸に位置するアルマズツィヘ周辺でした。
アルマズツィヘには、2200年前~2000年前の王宮やネクロポリス(墓地)が残り、当時のワイナリーの跡も確認できるほど。
キリスト教伝来以前のムツヘタ周辺地域でどのような社会が形成されていたのか、現代に伝える重要な手がかりとなっています。
4世紀初頭(1700年前):キリスト教の受容
ずっと精霊信仰が主流であったジョージア地域に、キリスト教が流れ込んできたのが4世紀初頭(1700年前)のこと。
当初は「異教」の扱いだったキリスト教ですが、ここムツヘタにおいて数々の奇跡を人々に目撃させることであれよあれよという間に国教の座に就きます。
ムツヘタにはおよそ1700年前のキリスト教受容当時の痕跡が残るスポットが多く点在しているため、観光前には絶対に理解しておきたい時代です。
重要人物①「聖ニノ」:ジョージアにキリスト教をもたらした人物
ジョージアにキリスト教をもたらした人物が、聖ニノと呼ばれる女性。
ジョージアを旅していてこの人物の名を知らない人は、おそらく存在しないでしょう。
彼女の来歴には諸説あるものの、最も有力なのが、「3世紀末~4世紀初頭(1700年前)にカッパドキア(現在のトルコ)で生まれた」というもの。
カッパドキアからキリスト教布教を目指してコーカサス地域への旅に出た聖ニノは、320年の6月1日にジョージア南部のポカ村に到達します。
ポカ村での数日間の静養の際に、当時の首都・ムツヘタへ行くよう神の啓示を得た聖ニノ。
ムツヘタに到着した彼女は、現在のサムタヴロ修道院敷地内の「マクロヴァニ」と呼ばれる場所で数々の奇跡(後述しています)を起こし、当時の国王・ミリアン3世にキリスト教の国教化を承認させることに成功しました。
ジョージアの人々にとっての聖ニノは、自身のアイデンティティーの起源そのもの。
聖ニノは現在では聖人として絶大な信仰の対象となっており、多くの教会や修道院で彼女のイコン画が飾られています。
重要人物②「ミリアン3世」:キリスト教を国教として認めた国王
320年に聖ニノがムツヘタに到達した時期に国王だったのがミリアン3世という人物。
当初はキリスト教徒ではなかったミリアン3世とその妻は長い間病に苦しんでおり、藁にもすがる思いで異教であるキリスト教の伝道師・聖ニノに頼ります。
聖ニノはミリアン3世の前で数々の奇跡を起こし、なんと彼と妻の病をたちまち直してしまいます。
奇跡を目の当たりにしたミリアン3世はすぐにキリスト教に改宗し、327年にキリスト教をイベリア王国(当時のジョージア東部一帯)の国教として承認することにしました。
このときの逸話が、「キリスト教を受容してからたった1日で、イベリア王国に住む人々全員が神による洗礼を受けた」というもの。
それだけ、当時のキリスト教がジョージアの人々に与えた影響は大きかったのかもしれません。
ミリアン3世の命によってムツヘタで最初に建設されたのが、小さな木造教会と木製の十字架でした。
当時の教会の建物は木造であったため現存してはいませんが、この木造教会があった場所の真上に建つのが、現在のスヴェティツホヴェリ聖堂です。
また、木製の十字架はムツヘタの町を見下ろす山の頂上に設置され、これが現在のジュワリ修道院となっています。
「キリスト教=ヨーロッパ」のイメージが強いですが、ジョージアがキリスト教を受容した327年当時にヨーロッパの大部分を支配していたローマ帝国では、キリスト教はまだ異教として弾圧されていた存在。(392年に国教化)
ジョージアではローマ帝国よりも65年も前にキリスト教国となっていたわけで、これがお隣のアルメニアに次いで「世界で二番目のキリスト教国」と言われる所以となっています。
5世紀半ば(1550年前):ムツヘタからトビリシに遷都
327年のキリスト教の国教化から200年以上の間、キリスト教文化の中心として栄えたムツヘタ。
しかしながら、5世紀半ばに20kmほど南に位置するトビリシに首都が移されることとなり、首都としての黄金時代は終焉を迎えることとなります。
重要人物③「ヴァフタング1世」:ムツヘタからトビリシへと遷都した国王
ムツヘタ観光前に知っておきたい重要人物の3人目は、ヴァフタング1世。
ムツヘタで生まれ王位に就いたヴァフタング1世は455年(1550年前)、当時はただの森でしかなかったトビリシへと王国の首都を遷すことを決定しました。
いわば、「ムツヘタの栄光の歴史に終止符を打った人物」です。
伝説によると、「森で狩りをしていたヴァフタング1世が仕留めた鹿が、偶然そこで湧いていた温泉に落ちたところ、その傷がみるみる回復したことを目撃してその場所の神聖さを感じて、首都にすることを決めた」とされています。
当時は誰も人は住んでおらず、一面の森林地帯でしかなかったこの場所は、こんこんと湧く温泉にちなんで、ジョージア語で「温かい」という意味の「トビリシ」と名付けられました。
この新しい首都が、その後1500年以上もずっと変わらずにジョージア地域の中心地として繁栄する運命にあるとは、果たしてヴァフタング1世は予知していたのでしょうか。
この超有名な逸話に登場する「温泉」というのが、現在では温泉街として有名なトビリシのアバノトゥバニ地区のこと。
1500年以上前から続く由緒正しき温泉ということで、現在でも人々に愛されながら利用されています。
ヴァフタング1世は、ムツヘタ観光のハイライトであるスヴェティツホヴェリ聖堂内の白亜の棺の中で静かに眠っています。
1500年以上の時を超え、トビリシの町の礎を築いた偉大な国王と対面できる機会をお見逃しなく!
11世紀〜13世紀:中世ジョージア王国の黄金時代
ジョージアがキリスト教国として最初の栄光時代を謳歌していたのは、4世紀初頭~8世紀初頭のおよそ400年間。
その後8世紀~10世紀末のおよそ200年間は、南方から侵攻してきたアラブ人の支配を受け、キリスト教文化は停滞してしまいます。
そんなジョージアで再びキリスト教文化が開花したのが、11世紀初頭(1000年前)のこと。
「中世ジョージア王国」として繁栄を極め、現在にまで残るキリスト教建造物の多くはこの時代の建造です。
アラブ人支配時代に荒廃してしまったムツヘタの教会群跡地にも、新しい修道院や聖堂が次々に建設されることに。
世界遺産に指定されているスヴェティツホヴェリ聖堂とサムタヴロ修道院の現在の建物は、この中世ジョージア王国時代黄金期の完成です。
スヴェティツホヴェリ聖堂とサムタヴロ修道院のいずれも、12世紀の建築様式のお手本のような様式。
鉛筆の芯のようなドーム屋根を中心とした十字架型の敷地で、外壁はアーチ彫刻や精密なレリーフなどに彩られていて華やかです。
いっぽうで、もう一つの世界遺産であるジュワリ修道院は、ムツヘタで唯一アラブ人による破壊を免れた地。
そのため、八角形の敷地とドーム&外壁の装飾は最低限という7世紀オリジナルの様式です。
時代によって異なる建築様式は、素人でも一発で分かるほどに顕著なもの。
少しでも時代背景を理解しておくことで、ムツヘタの悠久の歴史を肌で感じることができるはずです!
ムツヘタ観光マップ
緑線:ジュワリ修道院徒歩ルート
オレンジ:ムツヘタ市内の見どころ
赤:おすすめレストラン
黄色:マルシュルートカ乗降ポイント
ジョージアの世界遺産!ムツヘタの三大聖地を制覇
ムツヘタ観光のハイライトといえば…そう!世界遺産に指定されている3つの修道院・聖堂を見学することです。
③ジュワリ修道院以外の2つはムツヘタ旧市街に位置しており、徒歩での観光も余裕。
ジュワリ修道院に関しては、移動手段をしっかりと考えた上での訪問が絶対です。
ここからは、「ムツヘタ3大観光スポット」と名高いこれらの見どころの歴史や必見ポイントを解説していきます。
豊かな歴史に裏付けられた様々な伝説が息づく神聖な場所を、心ゆくまで堪能しましょう!
①スヴェティツホヴェリ聖堂:「キリストのローブ」の上に建つジョージア最大の聖堂
ムツヘタ旧市街の中心にそびえ立つ存在感抜群の建物が、世界遺産のスヴェティツホヴェリ聖堂(სვეტიცხოვლის საკათედრო ტაძარი)です。【マップ 青①】
11世紀(1000年前)完成の大聖堂はとにかく巨大で圧倒的なたたずまい。
建設当時はキリスト教を軸にした中世ジョージア王国の黄金期と言われた時代で、この聖地がどれほど強い影響を人々に与えていたのか感じることができます。
スヴェティツホヴェリ聖堂の巨大なドーム屋根はムツヘタの町のどこからでも眺めることができ、川を挟んだ対岸の山の上にあるジュワリ修道院からでも簡単に見つけることができるほどの存在感です。
圧倒的なスケールの建物自体も見ごたえ抜群ですが、スヴェティツホヴェリ聖堂は数々の伝説の舞台となった場所。
背景や歴史を少し知っているだけで、何倍も充実した見学ができるはずです。
スヴェティツホヴェリ聖堂の建築&歴史
1029年完成のスヴェティツホヴェリ聖堂は、中世ジョージア王国初期~中期の典型的な建築様式が特徴的。
上から見ると十字架の形をしている聖堂の様式は、11世紀の建設当時に流行していたものだそう。
緑がかった石が敷き詰められた外壁と、細部にまでこだわり抜かれた装飾の数々、聖堂全体の完璧なフォルムがとにかく美しいです。
スヴェティツホヴェリ聖堂完成時の国王・ギオルギ1世は、あまりに素晴らしい聖堂の出来に感激するあまり、「他の場所で二度とこんなに素晴らしい聖堂を建てられないように」という理由で建築家の両手を切り落としてしまったというエピソードまであるほど。(やばすぎる…)
ギオルギ1世の執着もむなしく、後の時代にはスヴェティツホヴェリ聖堂の様式を模した建造物がジョージア全国で建てられたのは皮肉なもの。
まさに、中世ジョージアの建築文化の流れを大きく変えた建造物であると言えます。
現在のスヴェティツホヴェリ聖堂の敷地は、石造りの城壁で周囲を360°囲まれています。
城壁×聖堂という分かりやすい組み合わせを見たライト層が「RPGゲームの風景!」やら「中世そのままの異世界感!」などともてはやすこともありますが、実はこの城壁は1787年の建造。
当時、コーカサスの山を越えてたびたびジョージア東部に侵攻して来た異教徒からの防衛用として建設されたもので、11世紀のオリジナルの聖堂には城壁はありませんでした。
11世紀にスヴェティツホヴェリ聖堂の現在の建物が完成する以前、もともとこの場所にはキリスト教を国教と定めた国王・ミリアン3世が4世紀に建設させた木造教会が建っていました。
5世紀にヴァフタング1世が木造から石造りに改装したものが現在の聖堂の基礎となっており、その痕跡やレリーフの一部は現在でも外壁に残されています。
スヴェティツホヴェリ聖堂の伝説
建築様式だけを見ても感動もののスケールであるスヴェティツホヴェリ聖堂ですが、ムツヘタの歴史において常に中心的な役割を担ってきた場所でもあります。
長い歴史の中で人々の信仰の対象となってきた事実を裏付けるかのように、数々の伝説の舞台となっている点も見逃せません。
それが、ジョージア人なら誰でも知っている「キリストのローブ伝説」です。
およそ2000年前。イエス・キリストがエルサレムで磔にされ処刑された際に、ムツヘタから巡礼に訪れていた人物がキリストの亡骸が纏ったローブを遺品としてムツヘタに持ち帰り、姉のシドニアに渡しました。
ローブを受け取るやいなや、シドニアはキリストへの信仰心が余って天に召され、彼女の遺体はローブとともに埋葬されることとなりました。
それから数百年の時が経ち、時代は4世紀に。ムツヘタの人々でさえもシドニアの遺体とキリストのローブがどこに埋められたのか分からなくなってしまいます。
当時国を治めていたミリアン3世が、キリスト教の国教化にともなって首都のムツヘタに木造教会を建てさせようとしたところ、柱の一本がどうしても垂直の状態に固定されません。
困ったミリアン3世は、当時この地で宣教師として活動していた聖ニノに頼んで一晩中祈りを捧げさせたところ、曲がった柱が空中に浮きあがってひとりでに移動し、別の場所を示すかのように着地します。
柱が着地した地点を掘り返してみると、そこにあったのはシドニアの遺体とキリストのローブでした。
この不思議な柱の力を信じたミリアン3世は、シドニアの遺体とキリストのローブを地中に納めたまま、その真上にあたる場所に木造教会を建設させます。
この木造教会は、後に石造りの建物に改装され、11世紀にはスヴェティツホヴェリ聖堂として現在の姿になりました。
その後もこの不思議な柱はいくつもの奇跡を起こしたことで知られており、ジョージアの人々の信仰心を一身に受けています。
現在のスヴェティツホヴェリ聖堂の建物は、1700年前の木造教会の跡地に建てられたものですが、キリストのローブの上に立っていると言われる柱は現在でも聖堂内で見学することが可能です。▼
そもそも、聖堂名の「スヴェティツホヴェリ(სვეტიცხოვლის)」とは、ジョージア語で「生きる柱」と言う意味。
キリストのローブ伝説に出てくる、聖ニノの祈りによって動いた一本の柱が、スヴェティツホヴェリ聖堂の神聖さの中心として現在にまで存在しているのです。
スヴェティツホヴェリ聖堂の見どころ
スヴェティツホヴェリ聖堂の内部に一歩足を踏み入れると、広大な空間と神聖さに満ちた雰囲気に鳥肌が立ちます。
細部にまでこだわった装飾がほどこされた外観と比較すると、聖堂内部は一見するとシンプル。
しかしながら、かつては壁一面にフレスコ画が描かれたカラフルな内装だったそうで、現在でも一部にフレスコ画が残っています。▼
聖堂中央付近には、人々が集まっては祈りをささげるカラフルな塔のようなものがあります。
これが「キリストのローブが埋められている場所」の上に立つ柱。
伝説内では木造教会の「木の柱」でしたが、現在のものは石造りでフレスコ画が施されたものに替わっています。▼
キリストのローブの柱の周りの床は一部透明になっていて、柱の根本を確認することができます。
しかしのぶよの目には、ローブらしきものは見えませんでした。(そりゃそうだ)
キリストのローブの柱以外にも、スヴェティツホヴェリ聖堂内部には見どころがたくさん。
中でも必見なのが、5世紀にムツヘタからトビリシに遷都した国王・ヴァフタング1世が眠る墓です。▼
改装中なのかこの墓だけカバーのようなものがかけられており、実際の墓石を見ることができなかったのは残念。
しかし、1500年以上前にトビリシを切り開いた偉人と対面できるなんて…感激の瞬間です。
▲ ヴァフタング1世の墓のすぐ近くには、だいぶ後の時代である18世紀の国王・エレクレ2世が眠る墓もあります。
エレクレ2世とは、中世以降300年以上に渡ったペルシア(現在のイラン)の支配によってバラバラになったジョージア東部地域の再独立&ジョージア東西の再統一に成功した人物。
中世以降のジョージアの歴史における超重要人物であり、ジョージア国民が誇る英雄の一人です。
スヴェティツホヴェリ聖堂はジョージアの定番観光地・ムツヘタのシンボルということもあってか、外国人観光客の数もかなり多い印象。
それでも日々のお祈りに訪れるジョージアの人々の姿は後を絶えず、観光地でありながらも神聖な雰囲気は健在です。
②サムタヴロ修道院:聖ニノが祈りを捧げた聖地
ムツヘタの旧市街エリアにある二つ目の世界遺産の修道院が、サムタヴロ修道院(სამთავროს მონასტერი)。【マップ 青②】
旧市街北側の小高い丘の上に建っていて、現役の女性修道院として使用されている施設です。
サムタヴロ修道院は、世界遺産に指定されているムツヘタの三大聖地の中で最も宗教色が色濃いのが特徴的。
敷地内には、ジョージアにキリスト教をもたらした聖ニノと、キリスト教の国教化を認めた国王ミリアン3世にまつわる見どころが集まっています。
サムタヴロ修道院の歴史
12世紀建造(900年前)の聖堂を有するサムタヴロ修道院は、現在まで「生きた信仰の地」として女性修道僧の生活の場となっている場所。
・敷地の中心にある聖堂部分
・庭部分にある聖ニノの礼拝堂
・修道僧の生活スペース
の3つの部分で構成されていますが、私たち一般人が立ち入り可能なのは聖堂と庭部分のみです。
サムタヴロ修道院の起源は、4世紀にムツヘタにやって来た聖ニノにあります。
彼女はムツヘタに来てすぐ、この場所に聖なるものを感じ、人々にキリスト教の教えを説き始めました。
修道院の敷地内には、聖ニノが実際に祈りを捧げていたとされる一角「マクヴロヴァニ」と、4世紀建造の聖ニノ礼拝堂が残されています。
サムタヴロ修道院の見どころ
サムタヴロ修道院はムツヘタの三大聖地の中で最も観光客が少なく、聖堂内部の写真撮影も禁止ということで「本物の信仰の場」といった印象。
聖ニノゆかりの場所ということもあり、多くの人々が熱心に祈りを捧げる厳かな雰囲気でした。
聖堂内部で見逃せないのが、入口を抜けてすぐ左側にあるミリアン3世と妻のナナ王妃が眠る白亜の棺です。
自身と妻の病気に悩んでいた1700年前の国王は、聖ニノによるキリスト教の奇跡の数々によって救われた人物。
自身がキリスト教を国教化してから1700年以上経った現在でも、変わらずに人々の間に信仰が息づいていることに安寧しているかのように、黄金のモザイクタイルに囲まれた美しい棺の中で眠り続けています。
聖堂の正面部分に広がる庭には、「マクヴロヴァニ」(Makvlovani)と呼ばれる一角があります。
マクヴロヴァニは、ブラックベリーの木が生い茂る小さな藪のような場所で、ジョージア人にとってはかなり神聖な場所の一つなのだそう。
一見するとただの柵で囲われた藪にしか見えませんが、まさにこの場所で1700年前に聖ニノが祈りを捧げ、ムツヘタの人々にキリスト教の教えを説いていたのです。
緑でいっぱいのマクロヴァニの前には、ジョージア正教のシンボルである聖ニノの十字架が。
ぶどうの木の枝を結び合わせた十字架は、宝石を散りばめたカバーで覆われており、多くの人が口づけをして祈りを捧げていきます。
「ブドウの木の十字架」とも呼ばれる聖ニノの十字架は、ジョージア各地で神聖視されるジョージア正教のシンボルのような存在。
通常の十字架と比べると両肩がやや下がった「なで肩」のような形が特徴的で、その名の通りブドウの木の枝を使ったものが一般的です。
生まれ育ったカッパドキアを出発してキリスト教布教の旅に出た聖ニノは、二本のブドウの木の枝に自分の髪を巻き付けて固定したものを杖として持ち歩いており、ジョージアでキリスト教が国教とされた際に信仰のシンボルとして広がったと言われています。
ジョージア全国の教会や修道院で見られる聖ニノの十字架ですが、ほとんどすべてはレプリカ。
聖ニノが実際に自身の髪を巻き付けて作った十字架のオリジナルは、現在トビリシ旧市街にあるシオニ聖堂に保管されていると言われています。
聖ニノの祈りのパワーが息づくマクロヴァニのすぐ隣。
小さな石造りの建物が、4世紀建造の聖ニノの礼拝堂です。▼
現在ジョージア国内で見られる宗教建造物は、スヴェティツホヴェリ聖堂やサムタヴロ修道院の聖堂のように鉛筆型のドーム屋根を持つものがほとんど。
これら11世紀~13世紀の中世ジョージア王国黄金期の建築様式です。
対する聖ニノの礼拝堂は、それよりかなり前(4世紀~7世紀)の初期キリスト教建築の様式。
八角形のドーム屋根と剥き出しの石造りの壁、装飾がほとんど施されない点が特徴です。
聖ニノの礼拝堂内部の壁やドーム屋根の内側部分は、19世紀に描かれたフレスコ画で彩られています。
小さな礼拝堂の中は、3人入るのがやっとといった小さな空間ながらも、かなり神聖な場所のよう。
現在でも聖ニノの祈りが息づいているかのような、神秘的で静謐な雰囲気に満ちていました。
③ジュワリ修道院:「十字架の奇跡」が起こった絶景の聖地
「神聖の最上級」らしいスポットが点在するムツヘタですが、本番はここから。
ムツヘタの三大聖地のラストが、604年建造のジュワリ修道院(ჯვრის მონასტერი)です。【マップ 青③】
ムツヘタ旧市街から200mほどの高さがある山の頂上にぽつりとたたずむ姿は、異教徒であっても畏敬の念を感じるほどの聖地感。
トビリシ~ジョージア各都市を結ぶ幹線道路からもその姿を確認でき、ジュワリ修道院が目に入ると胸で十字架を切る人の姿もよく見られます。
ジュワリ修道院は、ジョージア全体で見てもここより神聖な場所は他にないと言われるほどだそう。
というのも、この場所に修道院が建設される以前に、キリスト教を国教として承認したミリアン3世が木製の十字架を立てたことで知られているため。
1700年前の十字架は土台のみ現存しており、ジュワリ修道院内部で見ることができます。
修道院自体の神聖さが最大の魅力であるジュワリ修道院ですが、旧市街と二本の川の合流地点のパノラマも有名です。▼
この場所で交わる二本の川は、水質も水の色も異なるのがとてもミステリアス。
・北から南に流れるアラグヴィ川(上の写真では右から左):緑がかった水色
・西から東に流れるムトゥクヴァリ川(奥から手前):黄色がかった緑色
二本の川はこの地点で合流して一つの色となり、さらに南に位置するトビリシへと流れていきます
不思議な川の合流地点を真上から望む位置に建てられたのが、このジュワリ修道院。
1400年前の建設当時も、人々は同じような神秘的な光景に人智を超えた何かを感じていたのかもしれません。
ムツヘタ旧市街~ジュワリ修道院を結ぶの公共交通手段は存在せず、徒歩かタクシーでのアクセスとあるのが旅行者的には不便ですが、これこそがムツヘタ観光のハイライトであり、ジョージアの信仰の中心とされる場所。
苦労して訪れる価値は十分にありますし、敷地内からの絶景を眺めれば「来て良かった!」と必ず思うはずです。
ジュワリ修道院の建築&歴史
現在残っているジュワリ修道院の建物は、なんと604年に完成したもの。
数多くの異民族の侵攻&支配を受けてきたジョージアという国において、1400年以上も前の建物がこうして現在にまで残っていることが、そもそも奇跡的なのかもしれません。
ジュワリ修道院の敷地内にある建造物は、八角形のドームを持つ教会とかつての城壁の一部のみ。
教会は、1400年前の初期キリスト教建築の特徴をそのままに表したような外観で、上から見ると上下左右対称の十字架(ジョージア国旗のモチーフになっている「ボルニシ・クロス」と呼ばれる十字架)の形をしているそうです。
ジュワリ修道院の建物が建設される以前の4世紀(1700年前)には、聖ニノによってキリスト教を受容した国王・ミリアン3世が、この場所に聖なる木の十字架を立てたとされています。
オリジナルの木の十字架自体はもちろん残っていないものの、当時十字架が建てられた八角形の土台部分は現存しており、教会の中央部分に鎮座しています。
ジョージア語で「ジュワリ」とは「十字架」のこと。
「十字架の修道院」という名称は、この木製の十字架が由来となっているのです。
ジュワリ修道院の敷地内には、教会部分を取り囲むような城壁の一部が現存していますが、こちらは後の時代になって異民族の侵入からの防衛目的で建てられたものだそう。
見晴らしの良い山の上というロケーションが幸いしてか、ペルシアやアラブ人、モンゴルなど、中世から近世にかけてジョージアに侵攻した異民族による破壊を免れたジュワリ教会は、まさに「奇跡の聖地」の称号にふさわしい場所。
1400年前のキリスト教文化を存分に感じることができます。
ジュワリ修道院の見どころ
個人でのアクセスに難ありなジュワリ修道院ですが、絶対に足をのばす価値があります。
1400年前の建物が現役の祈りの場として機能している場所なんて、世界を見渡しても珍しいので。
教会内部に入る前に注目したいのが、入口上部のレリーフ。▼
上から見た教会の形と同様に、上下左右が対称の十字架の形をした紋章と天使が描かれているレリーフは、604年の教会完成時にはすでにこの場所に刻まれていたもの。
なんと、ジョージアの教会の中で初めてこうしたレリーフが正面ファサードに飾られた場所だそうです。
中心に描かれた十字架は「ボルニシ・クロス」と呼ばれるもので、ジョージア南部のボルニシという町にある教会で初めて刻まれたもの。
その教会というのが、現存する中ではジョージアで最古の宗教建造物であるボルニシ・シオニ。
その完成は493年とジュワリ修道院よりも100年以上も前のことですが、正面ファサードではない場所にボルニシ・クロスが刻まれています。▼
ボルニシ・クロスは、現在のジョージア国旗に四つ描かれた十字架のデザインのモチーフになったもの。
ジョージアという国にとって、とても大切な要素の一つなのです。
ボルニシ・クロスが描かれた入口のレリーフの、さらに上に刻まれた別のレリーフもお見逃しなく。▼
このレリーフは、604年にジュワリ教会を建設させた国王・ステファノス1世がキリストの前でひざまずく姿を現したものです。
ジュワリ修道院の内部はかなりこじんまりとしており、石が剥き出しの状態で積まれた壁にはいっさいの装飾がありません。
内部空間の中央には、伝説に登場する木の十字架のレプリカがたたずんでいます。
十字架自体はもちろんレプリカですが、注目すべきはその土台。
現在は石で補強されているものの、これこそが1700年前に国王・ミリアン3世が実際に木の十字架を立てたとされる土台なのです。
訪れる人々にとって、この土台はかなり神聖なものであるよう。
ひざまずいて長い間祈りを捧げる人の姿が多く見られました。
教会内部を見学したら、ムツヘタ観光のハイライトとなる大パノラマを眺めるのもお忘れなく。
教会の敷地内の一部が最高の絶景ポイントとなっています。
キリスト教徒でなくとも、なぜ昔の人がこの場所に神聖さを覚えて信仰の対象としたのかを、肌で感じられる場所がジュワリ修道院。
今も昔も変わらない神秘的な二本の川の合流地点と、オレンジで統一された屋根が美しいムツヘタ旧市街のパノラマを眺めていると、ジョージアという国の魅力をまた一つ理解できたような気持ちになります。
ムツヘタのその他の見どころ
ムツヘタ観光のハイライトとなる三大聖地の訪問は絶対に欠かせませんが、この町の魅力はそれだけではありません。
2200年前からジョージアの首都としての役割を担い、キリスト教文化の中心として発展したムツヘタには、悠久の歴史を現在に伝える見どころが多く点在しています。
ここでは、三大聖地の観光とセットでまわりたいムツヘタ市内のその他の見どころを紹介していきます!
ムツヘタ旧市街:古都らしい風景をそぞろ歩き
スヴェティツホヴェリ聖堂を中心にした三角形の形の土地に広がるのが、ムツヘタ旧市街です。【マップ オレンジ①】
「旧市街」とは言え、地区内の建物のほとんどはリノベーションされたもの。
古そうに見えて新しい建物ばかりですが、これはこれでテーマパークのようなものだと割り切って楽しむのがおすすめです。
ムツヘタ旧市街のメインストリートは、さすがジョージアの一大観光地!といった感じ。
ほぼすべての建物が観光客向けのお土産屋や軽食を売るカフェとなっています。
ムツヘタ旧市街の「THE・観光地!」といった雰囲気は、おそらく好みが分かれるはず。
のぶよは基本的にこうした作り物感あふれる雰囲気は好きではないのですが、ムツヘタ旧市街の場合はちょっと憎めない部分もあります。
やる気のなさそうな店の人が椅子にぐでぇ~っと座りながら適当に呼び込みをしていたり(だいたいはムツヘタの新名物「ワイン・アイスクリーム!」の掛け声)、お土産を物色していてる観光客を尻目にお喋りに興じる店の人だったり…
観光地ではあるものの、商売っ気はない。
そんなジョージアらしさ(?)が残っているようにも思います。
メインストリートこそ観光地感が否めないムツヘタ旧市街ですが、それ以外の路地はびっくりするほどに静か。
世界遺産の町でありながらも普通に人が住んでおり、そこはかとない生活感も感じられます。
ムツヘタの住民は観光で潤っているのか、ほぼすべての家が綺麗に保たれている点も特徴的。
それでいてモダンなガラス張り大豪邸を建てるわけではなく、あくまでも伝統的な様式のままに現代的な美しさを残している感じが好印象です。
というわけで、のぶよ的にムツヘタ旧市街はけっこう好きな場所。
とても小さなエリアなので、最大でも1時間ほどあればくまなく散策できるコンパクトさも魅力的です。
メインストリートだけではなく、名もなき狭い路地を気の向くままに散策するのがおすすめ。
ジョージアの古都の情緒を存分に感じながら歩きましょう。
アンティオキア教会:美しいフレスコ画と川沿いの風景
ムツヘタ旧市街の最東端。空き地のようながらんとした場所にぽつりと建つのがアンティオキア教会(Mtskheta Antioch)。【マップ オレンジ②】
もともと4世紀後半~5世紀前半(1700年前)にかけて建設された教会があった場所でしたが、8世紀頃に侵攻してきたアラブ人によって全壊。
現在の建物は15世紀から18世紀にかけて再建と改装がなされたもので、女性修道院として現役で機能しています。
アンティオキア教会の内部は、美しいフレスコ画が施された幻想的な空間なのだそう。
のぶよが訪問した際は入口ゲートが閉ざされており、内部の見学ができなかったのが残念です。(絶対にリベンジしてやる…!)
アンティオキア教会の敷地のすぐ南側には、ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流地点を間近に見られるポイントがあります。▼
ジョージアの一大観光地・ムツヘタ旧市街だとは思えないほどに、静寂に包まれた川のほとり。
ときおり水鳥が飛び立つ音や、地元の人がボートで移動する音以外には何も聞こえません。
二本の川の合流地点の先に見えるのは、ムツヘタのシンボルであるジュワリ修道院。
ジョージアで最も神聖な場所に見守られながらぷはぁ~っと一杯やるのは、ムツヘタ観光の隠れたハイライトに違いありません!
べブリスティへ:ムツヘタを北で守る鉄壁要塞
ムツヘタ旧市街から北1kmほどの小高い丘の上に建つベブリスツィヘ城塞(Bebristsikhe / ბებრისციხე)は、ムツヘタがまだ首都とされていた4世紀(1700年前)に建設されたもの。【マップ オレンジ③】
町の北端の防衛拠点として築かれたと考えられており、18世紀頃まで現役で使用されていたそうです。
ベブリスツイヘの城壁は厚さ2m以上ある強固なもの。
城塞の敷地内からは周辺の谷間と、山の頂上にたたずむジュワリ修道院を一望することができ、天気の良い日であれば北方向にコーカサスの山々もくっきりと見えます。
アラグヴィ川が形成する谷間がキュッと狭くなっている地点に建っており、ここがどれほど戦略的に重要な場所であったのか一目でわかるはずです。
アルマズツィへ:2200年前の王宮跡から眺める絶景
のぶよが「裏ムツヘタ」と勝手に名付けたエリアにおいて、観光ハイライトとなるスポットがアルマズツィヘ(Armaztsikhe / არმაზციხე)。【マップ オレンジ④】
ムツヘタ旧市街からムトゥクヴァリ川を挟んだ対岸の山の中腹に位置するこの場所は、2200年前にムツヘタが首都と定められた時代の王宮の跡地です。
当時はアルマズツィヘに建つ王宮を中心として町がひらけていたようで、現在のムツヘタ旧市街はただの森だったそう。
アルマズツィヘの敷地内には、当時の人々の生活の跡がしっかりと残っています。
アルマズツィヘに関してはいまだに未解明な部分が多く、遺跡の保存状態や説明書きに関してももう少し頑張ってほしいところ。(まあ観光客が来ない=予算がないので仕方がないけど)
とはいえ、キリスト教伝来以前のムツヘタという町がどのような感じだったのか、訪れればきっとイメージが湧くはずです。
悠久の歴史を感じられるのはもちろん、無料で見学できるのも嬉しい点。
アルマズツィヘから眺めるムツヘタ旧市街のパノラマは、とにかくもう圧巻のひとことです。
ムツヘタ観光とセットで!周辺の見どころ
ムツヘタ市内&近郊だけでも数多くの見どころがありますが、さらに周辺エリアにも見ごたえ抜群の個性的なスポットが点在しています。
個人で公共交通機関を使っての移動には難ありであるものの、タクシーをチャーターして移動する場合はムツヘタ観光とセットで周遊するのも余裕。
ここではムツヘタ観光をさらに充実したものとする、珠玉の見どころを3か所紹介します。
シオ・ムグヴィメ修道院
もはや現実のものとは思えない風景が見られるシオ・ムグヴィメ修道院(Shio Mgvime Monastery / შიომღვიმე)は、ムツヘタの西20kmほどの場所にたたずんでいます。
荒涼とした山々を背景に堂々と建つ聖地は、1400年前にひらかれた歴史あるもの。
まるでRPGゲームの世界に入り込んだかのような異世界感が最大の魅力です。
シオ・ムグヴィメ修道院がすごいのは、圧倒的な異世界感だけではありません。
この場所は1400年前にある聖人が隠遁生活を送った場所で、その信奉者たちが集まって山肌に洞窟住居を築いた場所。
修道院の建物の後ろにある山には、最大で2000人が居住していたというのですから…驚きを隠せません。
異世界感もジョージアの歴史も同時に楽しめるシオ・ムグヴィメ修道院。
観光客の姿はいっさいなく、「穴場中の穴場」といった感じも素敵です。
ゴリ&ウプリスツィヘ
ジョージア中部で最大の町であるゴリ(Gori / გორი)は、ムツヘタとはひと味違った風情が漂う町。
ソ連時代の指導者・スターリンの生誕地であることでも知られ、中心街ど真ん中に建つスターリン博物館はジョージア観光のハイライトとなっています。
「ゴリ=スターリンの生誕地」のイメージばかりが先行しますが、それ以外にも隠れた見どころが多く点在しているのもポイント。
歴史ある城塞や、風情あるゴリ旧市街、ご当地グルメである「ゴリ風カツレツ」など、デイトリップで済ませるには少しもったいないほどに魅力がある町です。
ゴリ市内観光とセットで訪れたいのが、ゴリの東10kmほどの場所にあるウプリスツィヘ洞窟住居群(Uplistsikhe cave town / უფლისციხე)。
まるで月面のような灰色の岩場に築かれた洞窟都市の跡で、およそ1900年前にシルクロード交易の中継地点として栄えた歴史を持ちます。
ムツヘタ観光とゴリ&ウプリスツィヘ観光を1日で済ませるのは、個人ではまず不可能。
タクシーをチャーターして周遊するか、トビリシ発の現地ツアーに参加するのが一般的です。
ジョージア軍用道路
コーカサス山脈のふもとに広がるジョージアという国の象徴が、トビリシ~カズベキを結ぶ「ジョージア軍用道路」と呼ばれる幹線道路沿いのエリア。
ベルベットのように滑らかな緑が美しい山々に、一本の道が連なる風景には「ああ…コーカサスに来たんだ…」と心の底からの感動を覚えるはずです。
ジョージア軍用道路沿いには「定番」とされる見どころが盛りだくさん。
いずれもジョージア観光のハイライトとなるものばかりなので、このエリアを訪れずにジョージアを去るのはナンセンスです。
個人的には、ムツヘタはムツヘタで、ジョージア軍用道路はジョージア軍用道路で。と別々に考えてプランニングした方が良いとは思うのですが、日程に限りがある場合にはセットで訪問することも可能。
ムツヘタと並ぶジョージアの超定番エリアなので、ここだけは少し無理をしてでも絶対に訪れてほしいです!
ムツヘタ観光とジョージア軍用道路観光を1日で済ませるのは、個人ではまず不可能。
タクシーをチャーターして周遊するか、トビリシ発の現地ツアーに参加するのが一般的です。
ムツヘタの名物グルメが味わえる!おすすめレストラン2選
ムツヘタ観光で魅力的なのは、神聖な修道院や古都らしい町並みだけ…ではありません。
ムツヘタはロビオ(Lobio / ლობიო)という豆のシチューで有名な町。
この地域の人々に愛される名物グルメを味わわずにトビリシに帰るなんてナンセンスです!
「名物グルメ」と聞いたら、絶対に制覇したい系旅人であるのぶよ。
絶品ロビオはもちろん、そのほかのジョージア料理も美味しいおすすめのレストラン2軒を紹介します。
①Restaurant Check-in Garden
まず紹介するのは、観光の中心となるムツヘタ中心街に位置する”Restaurant Check-In Garden“。【マップ 赤】
スヴェティツホヴェリ聖堂を間近に望む広場の一角にあります。
なんとなくお洒落なパブのような雰囲気ですが、ジョージア料理を提供する家族経営のレストランなので肩肘張らずに入れるのも◎
一人でも気兼ねなく入れる雰囲気なのも嬉しいです。
このお店を推したい最大の理由が、気持ち良さ200%のリバーサイド・テラス席。
とっても良い雰囲気じゃないですか?
リラックスできるソファータイプの席もあり、ムトゥクヴァリ川からの涼しい風が吹き抜ける空間は、特に夏場は最高に気持ち良いはず。
メニューはジョージア料理の有名どころは全てあるような感じで、価格はトビリシの同じようなレストランより若干高めといったところ。(といっても、一品につき2GEL(¥100)ほど高いかな?といった程度)
ムツヘタ自体が観光で成り立っている場所ですし、旧市街ど真ん中に位置しているので仕方がない部分はあります。
気持ちの良いテラス席でまずはビールを頼み、せっかくなのでムツヘタ名物のロビオ(5GEL=¥250)を注文することに。
ジョージアでは、ロビオはムチャディ(Mchadi / მჭადი)というトウモロコシの粉で作られたパンと食べるのが定番。
ロビオ単体で頼むのはややナンセンス感があるので、一つ(2GEL=¥100)注文しました。
いずれも出来立て&焼きたてでアツアツの状態で提供してくれます。
名物のロビオは、各種スパイスとくるみの濃厚な味わいが特徴的。
なんだかエスニックな風味が強く感じられ、ジョージアの他地域で食べるロビオとはやや味わいが異なります。
ジョージア料理でよく使われるパクチーもふんだんに入っていて、少しスパイシーな豆の味も美味。
塩気もちょうど良く、油っぽくもなく、手作り感が感じられる素朴な味わいも高ポイントでした。
セットに頼んだトウモロコシ粉のパン・ムチャディもほっこりする素朴な味わい。
ほくほくとした食感でとても香ばしく、ロビオの濃厚な風味との相性は抜群です。
店員さんたちも愛想が良くて気さくな感じで、ビールなど飲みもの1杯だけでも川沿いのテラスでのんびりできるそう。
観光時の休憩にも、ガッツリ食事にもぴったりなお店だと思うので、ムツヘタに来た際はぜひ!
②Salobie
①Restaurant Check-In Gardenがやや観光客向けのお店だとしたら、こちらのSalobieは完全に地元民向けのレストラン。【マップ 赤】
ムツヘタはもちろん、すぐそばのトビリシでも知らぬ者はいないほどの「伝説の店」です。
店名の”Salobie”(サロビエ)とは、ジョージア語で「ロビオ屋」のこと。
その名の通り、ムツヘタ名物のロビオの美味しさで一躍大人気となったお店なのです。
看板メニューのロビオは、「コタンシ」と呼ばれる素焼きの壺に入ったアッツアツ。
付け合わせの定番であるムチャディ(トウモロコシ粉のパン)は、円形で中央に穴が空いた珍しい形が特徴的です。
Salobieのロビオは、「余計なものは入れない!」という伝説店らしいこだわりが垣間見えるシンプルさ。
赤っぽい色の豆とみじん切りのニンニクと玉ねぎ、少々のハーブとスパイスが使われている程度で、豆本来の旨味や甘味が最大限に引き出されています。
ひとことで言いましょう。めっっっっちゃくちゃ美味しいです、ここのロビオ。
物価高騰が続くジョージアですが、ロビオ4GEL(=¥200)という昔ながらの低価格で提供してくれるのも嬉しいポイント。
絶品ロビオをひと口食べれば、どうしてこの店が人気となったのかきっと理解できるはずです。
Salobieでロビオと並ぶ人気メニューが、ヒンカリ。
ロビオをすっ飛ばして、大皿にのった50個ほどのヒンカリに無心でかぶりつく地元民たちの姿は、この店の隠れた風物詩かもしれません。
ジョージア各地のありとあらゆる店でヒンカリを食して来たのぶよが保証します。
この店のヒンカリは間違いなく、トビリシ&周辺エリアでNo.1の美味しさ。
ジョージア全国的にも上位に食い込んでくるほどのレベルの高さです。
ほろほろのひき肉は、スパイスと塩気が控えめの優しめの味つけ。
その一方で中のスープには肉の旨味が染み出した油がたっぷりと使われており、ジョージアでも有数のこってり系ヒンカリです。(※でも塩辛さはない)
看板メニューのロビオや絶品ヒンカリ以外にも、BBQ系やハチャプリなども美味しいのだそう。
ムツヘタ中心街からは離れており、個人でのアクセスにはやや難ありですが、正直このお店で食事をするためだけにでもムツヘタに行く意味があると思います。
トビリシからムツヘタへの行き方・アクセス
トビリシから車でたったの30分ほどの場所に位置しているムツヘタは、ジョージア初心者でも行きやすいデイトリップ先です。
ムツヘタ~トビリシ間は「マルシュルートカ」と呼ばれる乗り合いのミニバスが頻発しており、移動の難易度も低め。
格安で移動することができ、観光客のみならず地元の人の足となっている交通手段なので、ローカル感に浸ることができるのも良いです。
効率良く観光を済ませたい場合は、タクシーをチャーターしたり現地ツアーに参加するのも◎
ムツヘタへの移動手段は選択肢が豊富で、困ることはないでしょう。
この項では、トビリシ~ムツヘタの個人での移動情報を徹底解説していきます。
日程や好みに合わせた移動手段を選びましょう。
①トビリシ~ムツヘタ間のタクシーと料金相場
最も簡単に移動できるのが、トビリシ市内からムツヘタまでタクシーで移動すること。
ムツヘタまで片道の単純移動もOKですが、どうせなら山の頂上にあるジュワリ修道院に立ち寄ってもらってからムツヘタ中心街まで利用するのが効率的だと思います。
・トビリシ→ムツヘタ片道:20GEL(¥1000)
・トビリシ→ジュワリ修道院→ムツヘタ片道:30~40GEL(=¥1500~¥2000)
・トビリシ→ジュワリ修道院→シオ・ムグヴィメ修道院→ムツヘタ片道:60~80GEL(=¥3000~¥4000)
タクシーを使えば、ジュワリ修道院やシオ・ムグヴィメ修道院などアクセスに難ありなムツヘタ周辺の見どころをサッと観光してからムツヘタ旧市街に到着して市内観光ができる点が最大のメリット。
複数人で割ればそれほど高額ではないですし、1日でムツヘタ&周辺の観光を済ませたい人にはおすすめです。
②トビリシから現地ツアー
ゴリ&ウプリスツィヘやジョージア軍用道路など、少し離れたエリアの観光をムツヘタと組み合わせたデイトリップを考えているなら、個人での移動は不可能。
タクシーを1日チャーターするのも良いのですが、人数が少ないと割高になってしまいます。
日程に限りがある旅行で効率良く定番スポットをまわるなら、トビリシ発現地ツアーに参加するのも一つの手。
基本はムツヘタ + ゴリ +ウプリスツィヘのプランですが、ムツヘタ観光後にジョージア軍用道路方面へと向かうツアーも。
値段も比較的リーズナブルなので、選択肢に入れてみては?
ジュワリ修道院やムツヘタを訪れるツアーはほぼすべてがトビリシの発着。往復の交通手段を考える必要がないのが最大のメリットです。
ツアーによっては、スターリン博物館があるゴリやウプリスツィ洞穴住居群をセットでまわる超お得&効率的なものも!
③トビリシ~ムツヘタ間のマルシュルートカ(ミニバス)移動
トビリシ~ムツヘタ間は、ジョージアの中でも最も個人で移動がしやすい区間の一つ。
トビリシから初めて地方部へ出るという人は、腕慣らしにピッタリだと思います。
トビリシ~ムツヘタ間の個人移動手段は、20分~30分に1本ほど発着している「マルシュルートカ」(乗り合いのミニバス)の一択。
ムツヘタへ行く旅行者にはジョージアのマルシュルートカ初心者も多いと思うので、いつもよりちょっと詳細に移動情報を解説していきます。(なんとも優しいブログ)
難易度高め?ディドゥベ・バスステーション攻略
ムツヘタ行きのマルシュルートカの発着地は、トビリシ市内北部にあるディドゥベ・バスステーション(Didube Bus Station)。
ディドゥベ・バスステーションは、ジョージア国内各地へのマルシュルートカが発着する巨大なターミナル。
ムツヘタだけでなく、クタイシやカズベキなど、旅行者が訪れる町へのマルシュルートカの多くはここの発着となるので、一度は利用する機会があると思います。
ディドゥベ・バスステーションは、トビリシ地下鉄の1号線(レッドライン)のディドゥベ駅(Didube)と直結しているので、市内中心部からのアクセスも簡単です。
▲ 地下鉄にもかかわらず、ディドゥベ駅は地上部分にあります。
改札を出たら、階段を下りて地下通路を西に進んでいきましょう。
20mほどの地下通路を抜けたところに広がるのが、巨大な市場が併設されたディドゥベ・バスステーションです。▼
▲ 地下通路を出てすぐのところにもマルシュルートカがたくさん停車していますが、こちらはゴリやクタイシなどジョージア西部方面への便の発着地点。
ムツヘタ方面へのマルシュルートカが発着するのは、市場をさらに西に進んで、道路を横断したところにあるターミナルからです。
▲ こちらがムツヘタ行きの便が発着するターミナル。
ジョージア北東部の山岳リゾート・カズベキへのマルシュルートカもこの場所からの発着となるので覚えておきましょう。
ムツヘタ行きのマルシュルートカに乗車
ターミナルに到着したら、一番東側(市場の通り→道路を横断してターミナルに入ってすぐのところ)に停車しているのが、ムツヘタ行きのマルシュルートカです。
行き先表示はジョージア語のみなので文字が読めないと何が何だか…ですが、その辺の人に「ムツヘタ?」と尋ねればちゃんと教えてくれるはずです。
ムツヘタ行きのマルシュルートカが停車している場所の脇にはチケットカウンターがあり、ムツヘタへ向かう際のチケットはこちらで購入します。
ムツヘタの主なバス停は5か所
マルシュルートカは基本的にどこでも降りることが可能(運転手に「ここで降ろして!」と言うだけ)ですが、乗車時はバス停がいちおう定められています。
(何もない場所で乗ってくる地元民もいますが、旅行者にはハードル高めかも)
帰りのことを考えて、ムツヘタの主なバス停を覚えておきましょう。【マップ 黄色】
ムツヘタ旧市街を先に観光するなら、旧市街西側か北側のバス停で降りるのが便利。
いっぽうで、川を挟んだ対岸の山の上にあるジュワリ修道院を徒歩で訪れる場合は、旧市街を越えて400mほど先のバス停が徒歩コース入口に最も近くて便利です。▼
ジュワリ修道院からの絶景は午前~午後の早い時間でないと逆光になってしまうので、のぶよ的にはムツヘタ旧市街の見どころの前にジュワリ修道院観光を済ませるのがおすすめ!
ムツヘタからトビリシへ戻るバス
ムツヘタ観光を終えてトビリシに戻る際も、行きと同じようにマルシュルートカを利用します。
到着時に降りたバス停とトビリシへの帰りのバス停が若干離れているところもあるので、事前に確認しておくのがおすすめ。(特に旧市街西側のバス停)
時刻表などは表示されていませんが30分に1本ほどの運行なので、待っていればそのうち来るので心配無用。
最終のトビリシ行きマルシュルートカは20:30頃とのこと(季節によって変わるかも)なので、乗り遅れないようご注意を。
ムツヘタからの帰りの運賃は、トビリシに到着する際に運転手に直接現金で支払えばOK。
料金も行きと同額の2GELです。
ムツヘタ観光のアドバイス・注意点
ムツヘタはトビリシからのデイトリップ先の定番ということもあり、個人での観光でも難易度は低め。
事前のプランニングなしでも気軽に移動&観光が可能ですし、ジョージアの地方部に比べて事前に準備しなければならないことも少ないです。
とはいえ、やはり観光前に知っておいた方が良いことはいくつかあるもの。
ここではムツヘタに計5回訪れた経験から、観光時のアドバイスや注意点を解説します。
ムツヘタ観光におすすめの季節
ムツヘタは1年を通して観光が可能で、どの季節に訪れても美しい風景が見られます。
しかしながら、一面の緑に囲まれた古都の風景を眺めたいならやはり冬(12月~3月)は外すべき。
また、6月~8月の真夏は酷暑となるので、街歩きはなかなか大変かもしれません。
というわけで、のぶよ的にムツヘタ観光におすすめの季節が春(4月~5月)と秋(9月~11月)。
特に春の新緑はとても美しく、コーカサスの国らしい風景に感動するはずです。
注意したいのが、ジョージア全国的に季節が大きく動く4月のムツヘタ。
4月の頭と末で、びっくりするほどに天候と風景が変化します。▼
曇天の下に広がる茶色っぽい風景も古都らしくて良いのですが、やはり緑の風景が一番。
天候が安定していることが多い点も含め、ちょうど日本のゴールデンウィークにあたる4月末~5月いっぱいがムツヘタ観光のベストシーズンだと思います。
朝一番に観光スタートが鉄則
ムツヘタへのデイトリップにおいてもっとも重要なのは、とにかく朝早い時間に観光をスタートすること。
11時~14時の時間帯になると、大型バスで大挙して訪れる観光ツアー客軍団がムツヘタ旧市街を闊歩し、スヴェティツホヴェリ聖堂などは聖地というよりもただの観光スポットのようになってしまいます。
また、ムツヘタ観光のハイライトのひとつであるジュワリ修道院からの絶景は西向きであるため、午後は逆光となってしまいます。
ジュワリ修道院の開門時間は9:30。朝一番にジュワリ修道院の観光を済ませれば、まだ静かなムツヘタ旧市街を堪能することができます。
ムツヘタ観光の服装
ムツヘタはジョージア髄一の観光地でありながら、人々の信仰の中心的な町でもあります。
聖堂や修道院への入場時は、肩や膝が露出した服装(タンクトップや半ズボン等)や踵が露出した靴(サンダル等)は絶対にNGです。
女性の場合は、上記のルールに加えて髪の毛が隠れるスカーフを纏う必要がありますが、こちらに関しては入口で無料の貸し出しがあるのでそこまで心配しなくても良いと思います。
買い物は旧市街の外で
ムツヘタ旧市街の三角形の敷地の内側はどこも観光客プライス。
飲み物やスナックなども、ジョージアの一般的な価格より割高となっています。
旧市街を一歩外に出ればチェーンのコンビニや個人商店があり、どこも一般的な価格なので、何かちょっとしたものを買う際はこちらがおすすめ。
また、ムツヘタのメインストリートに並ぶ土産物類のほとんどは、工場で大量生産されたものです。
「オール、ハンドメイド!」などと声をかけてきますが真っ赤な嘘なので、ちゃんとした手作り雑貨などをお土産にしたい場合は避けるのがベターです。
ムツヘタ宿泊もアリ!
旅行者の99%がトビリシからのデイトリップで観光を済ませるムツヘタですが、宿泊していくプランもおすすめ。
人っ子ひとりいない早朝の町の静けさや、観光客が去った後の夕方の町の情緒を堪能できるのは、宿泊した人だけの特権です。
ムツヘタには格安のホステルやおしゃれリゾートホテルなどは存在せず、ほとんどの宿は家族経営のゲストハウス。
トビリシからそれほど離れることなくジョージアの一般家庭の雰囲気を味わえる点も、初めてジョージアを旅する人にとっては嬉しい点だと思います。
【ムツヘタの宿をすべて見る!】
おわりに
観光スポットや歴史から、おすすめレストランにアクセス方法まで…世界遺産のムツヘタ観光に必要な情報を全て詰め込んでみました。(我ながらものすごい情報量だと思う)
これさえ知っておけば、歴史あるジョージアの古都観光を100%満喫できると思います。
現在でもジョージアの人々の精神的な支えとなっているムツヘタの見どころは、どれも歴史豊かで神聖な雰囲気。
当記事内で「神聖」という言葉を使いすぎて胡散臭く聞こえそうですが(笑)、漂う空気が本当に異なるのが肌で感じられることでしょう。
トビリシから簡単にアクセスでき、見どころの多くが徒歩圏内であるムツヘタは、ジョージア地方部を初めて旅する人にはもってこいのデイトリップ先。
本記事を参考に、トビリシだけではないジョージアの魅力を堪能してもらえればうれしいです!
トビリシの宿泊におすすめのエリアは、リバティー・スクエア周辺の中心街。
観光の中心となる旧市街やナリカラ要塞などは徒歩圏内で、ショッピングや食事にも抜群のロケーションです。
地下鉄赤線が通っているので、移動や近郊へ足をのばす場合もとても便利です。
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