キエフのチェルノブイリ博物館で、フクシマについて考えさせられた話。

キエフのチェルノブイリ博物館で、フクシマについて考えさせられた話。

こんにちは!ウクライナの首都、キエフの街の魔法にかかり、のんびり滞在している世界半周中ののぶよです。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)

ウクライナと聞いて、多くの人がイメージするであろう、チェルノブイリ原子力発電所事故。

1986年4月8日の未明に起きた未曾有の大事故は、首都キエフから北に180kmほどのところにあるチェルノブイリ原子力発電所の4号炉がメルトダウン、爆発し、大量の放射能が漏れ出してしまったもの。
多くの死者や、放射線による健康被害、土壌汚染を生み、事故から30年以上たった今でも立ち入り禁止になっている区域があるほどです。

実は、現在に至るまで、原子力発電所の大事故は世界でたった二件だけ。一つはチェルノブイリ、もう一つは2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故です。

私たち日本人みんなが考えなければならない、原子力発電所事故の問題。
ウクライナの首都・キエフにある、「国立チェルノブイリ博物館」には、事故当時の資料や写真が数多く展示されており、原発事故の悲惨さを語ると同時に、訪れる人に教訓を与えています。

チェルノブイリ原子力発電所には、現在ガイド付きツアーで訪問することができますが、ツアーに参加して実際に事故が起こった地域を目にする前に、ぜひとも訪れておくべき国立チェルノブイリ博物館のようすを写真メインで紹介します。

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キエフの国立チェルノブイリ博物館へ

キエフの北部に位置する若者が多い学生街、ポディール地区にある国立チェルノブイリ博物館。

パステルイエローの博物館の建物は、かつて地域の消防署として使われていたものです。当初は、史上最悪の原発事故の際に後処理にあたった消防士たちの功績を讃えるミュージアムとしてオープンしました。

後にウクライナ政府に買い取られ国立となったミュージアム。現在では事故当時の書類や事故の悲惨さを物語る資料など多くの展示物を所蔵しています。

入館料は100円もしないほどと安いのですが、写真撮影をしたい場合は別料金を支払う必要があります。

音声ガイドの貸し出しは有料なのですが、ケチらずにぜひ借りましょう!
なんと、日本語の音声ガイドの用意もあります。というのも、日本政府の援助によって、この音声ガイドや館内のインフォメーションパネルなどが整備されたためだとか。

音声ガイドのあるなしで、展示物やチェルノブイリ原子力発電所事故に対する理解が大きく変わってきます。
展示物には英語の説明がないものも多く、ガイドなしでは「ふ~ん、大変だったんだね。」で終わってしまいます。

インフォメーション

国立チェルノブイリ博物館

住所:Provulok Khoryva, 1, Kyiv, 02000
営業時間:10:00~18:00 (日曜定休)
入場料:24UAH(=¥97)
※写真撮影料別途48UAH(=¥194)、音声ガイド貸出60UAH(=¥242)

音声ガイドを借りる際に、デポジットとして100UAH支払う必要がありますが、退館時に返却されます。

1階:特別展示スペース「フクシマ」

料金を支払い、大型の荷物がある場合は荷物預かり所に預けます。

1階は、特別展示スペースとなっており、展示は時期によって変わるようです。
のぶよが訪れた2019年3月時点の展示は「福島原発事故」でした。

大きいとは言えないスペースに、あの日の惨事についての新聞記事や避難を余儀なくされた人々の写真、除染作業の様子など、さまざまな展示があります。

チェルノブイリの事故と関連性をもたせるためか、原発事故による放射能や除染作業についての展示物が中心でした。こうして日本からではなく、海外の視点から見た福島第一原発事故というのはなかなか斬新で、考えさせられます。

どちらかというと、「脱原発」のメッセージ性が強く感じられました。

↑すごく皮肉な写真。原発に未来を見ていた町は、その原発のせいで今でも立ち入り禁止区域になっています。

1階展示スペースの天井には、東日本大震災の復興のシンボルであった鯉のぼりとともに、チェルノブイリ原発事故の後に立入禁止となった多くの町の名前が書かれた標識が。

その標識は、階段を上がって2階にまで続きます。こんなにも多くの町や村が、「人が住めない場所」になってしまったんです。

階段の上から見ると、全ての町の標識が黒く塗られ、赤い斜線をひかれ、「立入禁止」となってしまったことを表しています。

2階:第一展示室「事故の夜」

ミュージアムの2階部分は、三つの展示室から構成されています。一つ目のこちらの展示室は、「チェルノブイリ原発事故があった夜」がテーマです。

どうして事故が起こったのか、事故が起こったとき原発内では何が行われていたのか、事故直後の政府の対応や事故を食い止めようと尽力した人々の遺品などがとてもわかりやすく展示、解説されています。

事故当時の時刻を指したままの時計と、事故処理にあたった人々の防護服。はたしてこんな装備で放射線を防げるんでしょうか。そんなわけがありませんでした。

事故後に放射線障害で亡くなったり障がいを負うこととなった人々の写真が数多く展示されています。

実際に事故を起こした、チェルノブイリ原発4号炉の模型。音声ガイドでは、どのように原子力発電が行われるのかわかりやすく解説されていました。

そもそもチェルノブイリ原発の事故の原因は、設計上の欠陥でした。想定外の自然災害によって引き起こされてしまった福島の事故よりも「人為的災害」感が強いです。

事故直後の原発内では、当直の作業員たちによって、被害を最小限に食い止めようとする努力がなされていました。彼らの多くが大量の放射線を浴びて帰らぬ人となったり、重度の放射線障害を抱えて生きていくこととなりました。

事故直後の4号炉の空撮写真。爆発によって原子炉の屋根が吹き飛んでおり、火災によって内部が焼け焦げているのがわかります。

立入禁止措置がひかれた、チェルノブイリ原発周囲10km圏内の様子。

興味深かったのが、事故後初めて事故が起きたことを報じたソ連(当時のウクライナはソ連の一部)の新聞です。こんなにも大きな事故だったのにもかかわらず、原発事故に関して触れられたのは赤色の部分のみでした。

放射線の人体への悪影響がわかっていながら、キエフでメーデーのパレードを屋外で強行したソ連政府。事故に関する情報はもちろん機密扱いで、その結果多くの人が被ばくしてしまうという結果になってしまいました。

展示室の天井には、ベラルーシや沿ドニエストルなど、当時のソ連を構成していた共和国の旗が。これらの国から多くの人々が、事故の後処理へと駆り出されました。その結果、彼らも被ばくしてしまうことに。
なにやってんだ、本当に。

2階:第二展示室「事故の後」

二つ目の展示室では、「チェルノブイリ原発事故の後の人々と放射線の影響」に焦点が当てられています。

住んでいた町から強制退去させられ、その後二度と帰ることができなくなってしまった人たち(当初は3日間だけの避難だと告げられていた)、ゴーストタウンと化した町、放射線の影響を受けた動物や植物などの展示を見ることができます。

私たち日本人にとっても決して他人ごとではないこのトピック。チェルノブイリの事例を通して皆が考えなければなりません。

枯れてしまった「希望」を表すリンゴの木。その枝や地面には、原発事故によってわが家へ戻るという「希望」が潰えてしまった人々の写真が。

チェルノブイリ周辺のジオラマと、強制避難させられる人々、廃墟と化していく町の写真の展示。

チェルノブイリ周辺には、広大な松林が広がっていました。この松林がある程度の放射能を吸収してくれたおかげで、首都のキエフの被害は最小限で済みました。

それと引き換えに、松林は放射能の影響でオレンジに変色してしまい、「オレンジの森」と呼ばれるようになりました。その松の一部(除染済み)が展示されています。

本来は頭を二つ持って産まれるはずだった、双子の子豚。放射線の影響で、胴体は二つあるのに頭が一つだけという奇形になってしまいました。

当時の立入禁止区域内から避難する人や、事故処理にあたった作業員たちは、その都度こちらの放射線測定ゲートで自身の体内の放射線量を計測する必要がありました。

第二展示室の最後の展示は、世界初の原爆被害を受けた広島についてのもの。
広島、長崎、福島。私たち日本人にとっては、核や原発の問題はとても身近であるはずのもの。もっと考えていかなければなりませんね。

住民全員が避難させられたことによって、ゴーストタウンと化したプリピャチの町の写真の展示もありました。チェルノブイリツアーでは、この町への訪問も行程の一部に含まれているそうです。

2階:第三展示室 「チェルノブイリのこれから」

チェルノブイリ博物館の最後かつ最大の展示室は、「未曾有の原発事故とこれからどう向き合っていくか」というテーマで構成されています。

展示室の入口上部には、ウクライナ語で書かれた「チェルノブイリ」の町の標識が。黒色に赤の斜線で、立入禁止となっていることを表しています。

その周りの木製のフレームは、現在も立入禁止区域となっている小さな村にあった教会のファサードです。

かなり大きな展示室内には、ソ連時代のウクライナの風景を写した写真の数々や、作業員が使った防護服などの展示があります。

こちらは、原発事故後に生まれた子供たちの写真の数々。原発前生まれの子供たちに比べて、染色体の異常などがみられる子供の数が数倍に達したそうです。本当に恐ろしいことです。

立入禁止エリアにあったバス停の標識。

第三展示室の中央には、ノアの箱舟を模したオブジェと、その上に無造作に置かれたぬいぐるみなどの子供のおもちゃの数々。
これからの未来を生きる子供たちに対する希望が込められているそうです。

この第三展示室で、チェルノブイリ博物館の全ての展示は終了となります。

おわりに

チェルノブイリ原子力発電所ツアーに参加するのを第一の目的としてウクライナに来る旅行者も多いでしょう。

ツアー参加の前に、ぜひチェルノブイリミュージアムを訪問したほうがいいです
事故が起こった背景や、若くして失われた多くの命とその未来などを理解することによって、実際にツアーで事故が起こった場所に行ったときの捉え方が変わること間違いありません。

遠く離れた国で起こった、昔の事故だと軽く考えてはいけません。特に、私たち日本人はこれからも何十年、ひょっとすると数百年の間向き合っていかなければならない「フクシマ」の事故を経験しています。
30年以上前のチェルノブイリの事故を見つめることで、私たちがこれからどんな姿勢で「フクシマ」と、そして「原子力」と対峙していくべきなのか、改めて考えることができるのではないでしょうか。

博物館内の展示物は全て除染されており、人体への影響はないそうなのでご安心を。

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