こんにちは!ジョージア西部をのんびり旅している、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
イメレティ地方最大の都市であるクタイシ周辺には、自然スポットから歴史を感じる文化遺産まで、多くの見どころが点在しています。
今回紹介するのは、クタイシから日帰りで足をのばせるイメレティ地方観光のハイライトとなる場所。
UNESCOの世界遺産に登録されているゲラティ修道院です。
エメラルドグリーンの屋根を持つ大聖堂を中心とした修道院は、中世ジョージア王国の黄金時代に建設されたもの。
当時のままのフレスコ画が残る聖堂内部では、宗教は違えど、その厳かな雰囲気に魅了されるはずです。
ゲラティ修道院の近くにはもう一つ、モツァメタ修道院があり、岩山の頂上に建つ姿がとても神々しいです。
クタイシからの日帰り&公共交通機関を利用して、個人でセットで訪れたることも可能なこれら2つの修道院。
今回の記事では、2つの修道院の見どころをはじめ、クタイシ拠点での効率的なまわり方まで、観光に必要な情報を解説していきます。
クタイシ滞在中の必見スポットの一つ&中世ジョージア王国の歴史が詰まった場所なので、それぞれの修道院の歴史や文化的な背景を知っておくのがおすすめです!
フレスコ画に彩られた聖地!世界遺産・ゲラティ修道院
クタイシ中心街から北東に8kmほど。
山がちなエリアの高台にあるのが、世界遺産のゲラティ修道院(Gelati Monastery / გელათის მონასტერი)です。
1106年に当時の中世ジョージア王国国王であったダヴィット4世(ダヴィット建設王)によって建設されたもので、現在でも現役の修道院として機能している聖地です。
大聖堂を中心としたゲラティ修道院の敷地内には、鐘楼や教会群などいくつもの建物が併設されています。
敷地内・建物内への入場は無料ですが、肌を露出した服装での入場はできない(女性の場合は髪も隠す必要がある)のでご注意を。
①大聖堂
ゲラティ修道院の敷地の中央に位置する最大の建築物が、観光のメインとなる大聖堂。
12世紀のジョージア王国黄金時代に建設されたこともあり、細部に至るまで典型的な当時の建築様式が見られるのがポイント。
当時のキリスト教絶対主義社会を象徴するかのような存在感を放ちます。
外観ですら圧倒的な威厳が感じられる大聖堂ですが、本当に素晴らしいのは建物の内部。
というのも、聖堂内は12世紀~17世紀のオリジナルのフレスコ画で壁から天井までびっしりと覆われているため。
これまでジョージア国内で多くの教会や修道院を訪れてきましたが、フレスコ画がここまで良好な状態で残されているのはゲラティ修道院が初めて。
年月とともに色褪せた部分はあるものの、360°を色鮮やかなフレスコ画に囲まれた空間は、まさに神聖そのものです。
聖堂内のフレスコ画で最も古い12世紀のものは、入口から正面の祭壇の上部に描かれた部分 ▼
こちらは聖母が昇天する様子を描いたもの(中央)で、左右には大天使ミカエルとガブリエルも描かれています。
聖堂の左右の壁にはそれよりも新しい時代のフレスコ画が並びますが、これらも400年~800年前にかけてのもの。
その歴史的価値は計り知れません。
祭壇に向かって左側の角の壁には、ゲラティ修道院の建設を命じたダヴィット4世(ダヴィット建設王)の姿も描かれていて、こちらも必見です。
静寂だけが支配する聖堂の中心に立って上に目を向けると、ドーム型天井の内側に描かれたキリストの姿が。
こちらも12世紀のオリジナルのもので、少し色褪せてはいるものの素晴らしい状態です。
1106年にゲラティ修道院を創立したダヴィット建設王は、この場所を「第二のエルサレム」にしようと考えられていたそう。
大聖堂を中心とした神学校が修道院の敷地内に設置され、数学や天文学などが教えられていたそうです。
②ダヴィット建設王の墓
ゲラティ修道院見学で必見なのが、この場所の建設を命じたダヴィット4世(ダヴィット建設王)の墓。
大聖堂脇の霊廟内にひっそりとある墓は、彼の没年である1125年当時からこの場所にあるものです。
「建設王」の異名を持つダヴィット4世(1089年~1125年)は、中世ジョージア王国の最盛期が始まるきっかけを作った人物。
国民の教育を重視していたことでも知られ、その名が示す通り、ジョージア各地に王立学校(アカデミー)を建設したことでも知られています。
ダヴィット4世が国王だった35年ほどの期間は、当時分裂していたジョージア王国の東西統一&黄金期にあたるもの。
当時のジョージア王国は現在のジョージアの領土の西半分ほどしかなく、トビリシやカヘティ地方など東側はイスラム教徒のセルジューク朝(現在のトルコ)に支配されていました。
1104年にカヘティ地方を、1122年にはトビリシを陥落させ、現在のジョージア国の領土とほぼ同じ地域を支配下においたダヴィット4世。
その勢いは止まらず、1124年までには現在のアゼルバイジャンやアルメニア、トルコ東部など南コーカサス地域一帯にジョージア王国の領土を広げて最盛期を作ったとして、現在でもジョージア国民が誇る人物です
後に、モンゴル帝国やオスマン帝国、ペルシアなどの支配下におかれることとなるジョージアですが、現在でも東部と西部に同じ国としてのアイデンティティーが根付いているのは、ダヴィット4世による統一のおかげ。
この人物の活躍がなければ、東ジョージアと西ジョージアは現在別の国としての歴史を歩んでいたのかもしれませんね。
③聖ギオルギ教会
修道院の南側の一角に建つのが、13世紀建造の聖ギオルギ教会。
オスマン帝国による侵攻の際に一度は破壊されてしまいましたが、16世紀に再建されて現在の姿になります。。
内部に残るフレスコ画は1560年代のもので、こちらもかなり秀逸です。
大聖堂に比べると規模は小さいものの、聖ギオルギ教会の内部も壁から天井までびっしりとフレスコ画に覆われた空間。
多くの信者が祈りを捧げており、蝋燭の灯りに照らされた幻想的な雰囲気が感じられます。
④修道院の庭
ゲラティ修道院の敷地内には、他にも中世ジョージア王国時代に建設された建物が残っています。
大聖堂の正面にあるのが、13世紀建造の鐘楼と、聖ニコラス教会。
縦長の形が特徴的な聖ニコラス教会は、1階部分が湧き水が出る場所で、2階が教会部分となっている独特な造り。
教会部分への一般人の立ち入りはできず、この場所で生活する修道僧の祈りの場として機能しています。
すぐ隣にある鐘楼は、ジョージア国内に残る最も古いものの一つ。
中世ジョージア王国時代の鐘楼のほとんどは、モンゴル帝国(13世紀)やオスマン帝国(16世紀)などの侵攻によって破壊されてしまったためです。
岩の上に建つ絶景の聖地!モツァメタ修道院
ゲラティ修道院から西に2kmほどの山の中にぽつりと建つモツァメタ修道院(Motsameta / მოწამეთა)は、ジョージア人国内旅行者に大人気のスポット。
切り立った岩山の上の小さな敷地に建つ聖地は、イメレティ地方の緑あふれる風景の中でキラリと輝く存在感を示しています。
ジョージア語で「使徒たちの場所」を意味するモツァメタ修道院は、先述のゲラティ修道院とも未関係ではない伝説が伝わる場所でもあり、ジョージアの人々の信仰心の深さを感じることができます。
ミステリーがいっぱい!モツァメタ修道院の伝説
モツァメタ修道院の名前の由来となった「使徒」とは、アラブ人支配時代の8世紀頃にこの地で蜂起を起こした貴族の兄弟のこと。
蜂起は失敗し、兄弟はこの場所で拷問の末に処刑され、遺体は崖下を流れる川に投げ落とされました。
その時、川の水がみるみる赤く染まっていったことから、その川は「ツカルツィテラ(=赤い水)川」と呼ばれるようになったそう。
川に投げ落とされた遺体は、どこからか現れたライオンが現在ゲラティ修道院の建つ丘の上に運んだと信じられていて、二つの聖地の繋がりが信じられています。
また、ゲラティ修道院とモツァメタ修道院の間には、秘密の地下通路があるとも言われており、度重なる戦火の中で修道僧が避難するのに使用されたと言われています。
ゲラティ修道院にも劣らない伝説が残り、小さいながらも独特の風景が魅力的なモツァメタ修道院。
その見どころを解説していきます!
①モツァメタ修道院のパノラマ
モツァメタ修道院最大の特徴は、緑が美しい山々を背景にした岩山の頂上に建つ独特なロケーション。
その魅力を味わうなら、修道院へ至る道への入口を入る前のビューポイントに立ち寄るのをお忘れなく。
駐車場からモツァメタ修道院が位置する岩山へ至る道を入らず、その手前の線路を西方向に200mほど歩いた場所付近が、山々の緑の中に浮かび上がるような修道院の絶景が見られるポイントです。
②モツァメタ修道院の外観
駐車場から修道院までは、300mほどの下り坂を歩いて行くだけ。
石でできた修道院の門をくぐった先にあるのが、モツァメタ修道院です。
ゲラティ修道院に比べるとかなり小規模で、1845年建造と歴史は浅めなモツァメタ修道院。
近くで眺めると、岩山の上に建つ独特な姿に圧倒されるはずです。
あえてこんな場所に修道院を建てたのも、先述の伝説が伝わる聖地であるため。
岩山の上の限られた修道院スペースとこちら側をつなぐ橋が架かっているのも独特です ▼
修道院を訪れていた人は、100%がジョージア人観光客。
なんだかゲラティ修道院よりも賑わっている印象を受けたのですが、そこにはある理由がありました。
③教会内部の「願いが叶うトンネル」
モツァメタ修道院の敷地内で最大の建物が、こちらの教会 ▲
一見すると、よくあるジョージア正教の教会。
建造が新しいため、内部のフレスコ画もさほど歴史が感じられるようなものではありません。
一方で、小さな教会の内部には多くの観光客が集まっている場所がありました。
それがこちら。
先述のモツァメタ修道院に伝わる「使徒伝説」に登場した貴族の兄弟の遺体の一部が納められている(と信じられている)棺がある場所です ▼
棺自体も多くの人の信仰を集めていましたが、注目すべきは棺の下の空洞部分を通り抜ける長さ2mほどのトンネル。
実はこのトンネル、「横の壁に体を付けることなく通り抜けられれば願いが叶う」と言われているのです。
というわけで、ただでさえ体が大きめなジョージア人たちが体をくねらせながらウニウニとトンネルをくぐろうとする不思議な光景が見られます(笑)
(のぶよははじめ、宗教的な行事の一つかと思っていました)
願い事はトンネルを通る前に心に浮かべる必要があるそう。
もし体幹(と好奇心)が強いなら、挑戦してみてはいかがでしょうか。
ゲラティ修道院/モツァメタ修道院のアクセス・上手なまわり方
ゲラティ修道院・モツァメタ修道院のいずれも、アクセス拠点となるのはクタイシ。
効率を重視するならタクシーをチャーター(=50GEL/1台~)するのもアリですが、個人旅行者ならマルシュルートカを利用して簡単にアクセス可能です。
ここでは、個人でマルシュルートカを利用してのゲラティ/モツァメタ修道院へのアクセス方法を解説していきます。
クタイシ~モツァメタ~ゲラティ間マルシュルートカ
ゲラティ修道院/モツァメタ修道院のいずれも、利用するマルシュルートカは同じもの。
クタイシ中心街の劇場の裏手から、1日5往復のマルシュルートカが運行しています。
(バスステーション発着ではないので注意!)
マルシュルートカのクタイシ始発は8:00で、ゲラティ修道院前が終点。
観光客も多いためか、マルシュルートカの行き先表示にはローマ字で”Gelati Monastery”と表記&ご丁寧に修道院の写真まで表示されているので、簡単に見つけられます。
この路線は終点のゲラティ修道院に到着次第折り返すという運行ルートなので、降りる場所を間違えることもありません。
ゲラティ修道院&モツァメタ修道院の効率的なまわり方
個人でマルシュルートカを利用して、ゲラティ修道院とモツァメタ修道院をセットでまわることも可能です。
ただ、この区間のマルシュルートカは1日5往復のみと本数は決して多くないため、早めに行動開始するのがポイントとなります。
上の図は、クタイシ~モツァメタ~ゲラティ間のマルシュルートカのおおよその時刻表を表したもの。
時間が前後することはしょっちゅうなので、できるだけ早めにバス停に到着しておきましょう。
1日観光モデルプラン
最も利用しやすいクタイシ発11:00のマルシュルートカを利用した場合のモデルプランは、以下の通りです。
- 11:00クタイシ発
- 11:25ゲラティ修道院到着
・観光(1時間~1時間半)
・ランチ(1時間)
※修道院入口にちょっとしたレストランがあります - 14:30ゲラティ修道院出発
・14:40 モツァメタ修道院入口で下車
→徒歩で修道院へ(所要30分) - 15:10モツァメタ修道院到着
・観光(1時間)
→徒歩でモツァメタ修道院入口バス停へ(所要30分) - 16:40モツァメタ修道院入口でクタイシ行きの便に途中乗車
- 16:55クタイシ着
観光客の少ない時間帯を狙うなら、8:00発のマルシュルートカを利用するのもおすすめ。
その場合は、いずれの場所からも一つ早いマルシュルートカを利用して、クタイシに戻るのは14:55となります。
ゲラティ~モツァメタ間は徒歩で移動も◎
この区間はマルシュルートカの本数が少ないため、ゲラティ修道院で少し時間を持て余してしまう可能性もあります。
ゲラティ修道院入口の外にはレストランがあるのでのんびり過ごすのも良いですし、モツァメタ修道院までハイキングがてら歩くのもアリ。
ゲラティ→モツァメタ間は6kmほどの距離で、ほぼ全ての区間が下り坂&舗装道路なので、誰でも簡単に歩けます。
所要時間は1時間15分ほど。
体力が許すなら、イメレティ地方の自然を眺めながらのミニ・ハイキング気分が味わえます!
どこでも歩いて行ける主義&待つのが嫌いなのぶよは、もちろん初めから歩く気満々。
ゲラティ修道院の観光を終えて歩き始めたところで、地元の人がモツァメタ修道院まで乗せてくれました。(もちろん無料で)
この辺のエリアでは、歩いていると勝手に停まって乗せてくれる人も多いので、好意に甘えさせてもらうのも良いと思います。
おわりに
クタイシ近郊エリアの観光ハイライトとなるゲラティ修道院とモツァメタ修道院の見どころや、個人でのアクセス方法を詳細に解説しました。
マルシュルートカの本数が少ないのがネックですが、個人でも十分に日帰りで二つの修道院をまわることが可能です。
それぞれ異なる魅力がある二つの修道院。
ジョージアの歴史や人々の信仰心を直に感じることができる聖地への旅は、きっと宗教の違いを超えた何かを感じさせてくれることでしょう。
いずれの場所も現役の祈りの場なので、服装の規定やマナーなどを守りつつ、中世から続く美しい伝統を味わってくださいね!
コメント
こんにちは。イレメティ地方を満喫しているようで何よりです。さて、貴方がモツァメタ修道院え行く時に歩いた線路はクタイシと40km離れた鉱山の村トキブリとを結ぶ路線で一日3往復の旅客列車と何本かの貨物列車が走っています。こてこてのソビエト設計のVL10か11という2両固定の機関車が異様に短いマッチ箱のような客車を一両だけ牽いて、わずか40kmの距離を4時間かけて走っています。(5年前まではもっと古い機関車でした)速度が遅いので一本の同じ列車を追っかけて美しい景色と絡めて何度も撮りました。
クカイシにはバグラティ聖堂という以前は世界遺産であったものもあります。近年までオスマン帝国によって破壊されたままであったものを当時の材料とは異なるセメントで修復し、更には外側にエレベーターを取り付けて再建した為、これが致命的となり剥奪されてしまいました。世界遺産を自ら返上した場所は数か所ありますが、剝奪されたのはここだけのはずです。日本でも名古屋城が同じ理由で物議を呼んでいますがここを参考にすれば良いのではないかと思います。エレベーター部分が写らない角度で撮影するとなかなかカッコよい聖堂ですが、建造時の部分と修復した部分は写真からでも判ってしまいます。
この場所は高台にあるので中庭からクタイシ市街が一望できます。折角ここまで来たのですから話のたねに訪れてめてはいかがでしょうか
小杉弘一 HN機関車好き様
コメントありがとうございます。そして、新年あけましておめでとうございます。
モツァメタ修道院入口の線路は現役なのですね!打ち捨てられた感じがすごくて、廃線となったのかと思っていました。(おそらくコロナウイルスの影響で現在は運行停止しているためだとは思いますが)
イメレティ地方の田舎の鉄道旅だなんて、とても素敵だと思います。ジョージアで鉄道を利用したのはたった1度だけなのですが、マルシュルートカとは異なった情緒のようなものがありますね。時間はかなりかかりますが、のんびりと旅したい人にはぴったりだと思います。
バグラティ聖堂は、クタイシ滞在時に2度訪れました。
聖堂自体は改修されてしまって、おっしゃるとおり近代的なエレベーターが設置されていました。
現役の祈りの場として多くの人が訪れており、偶然にもミサに参加することができてその神聖な時間に感動したことを覚えています。
聖堂の敷地内から眺めるクタイシの町並みもとても美しく、坂道を苦労して登った甲斐がありました!
小山のぶよ様
JICAジョージアの森です。実は1年以上前のジョージアに来る前から、小山さんのブログでジョージアのこと勉強していました。一昨日から日本の地域創生の専門家の藻谷浩介氏をジョージアにお呼びしていて、ジョージアの観光庁や地域開発の関係者と意見交換をして頂いています。明後日16日にはカズベギ、ステパンツミンダに行く予定です。もし明後日の夜、ご都合がよろしければステパンツミンダで一緒に食事が出来ないでしょうか?もしおつきあい頂けそうでしたらお返事よろしくお願いします。WhatsApp or SMS. 599488232
森様
コメントいただきありがとうございます。ご指定の電話番号宛にショートメールにてご連絡を差し上げておりますので、どうぞご確認くださいませ。