こんにちは!ウクライナの首都、キエフの街の魔法にかかり、のんびり滞在している世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
1986年4月8日の未明に起きた、史上最悪の原発事故であるチェルノブイリ原子力発電所事故。
爆発により屋根が吹き飛んでしまった4号機から大量の放射線が空中に放出され、多くの犠牲者・避難者を出しました。
事故から30年以上たった現在でも、原発周辺には立ち入りができない地域があるほど。
しかしながら、一部の地域では除染による放射線量の減少などに伴って、一般に開放されている地域もあり、ツアー参加が条件で訪れることができます。
というわけで、実際に事故が起こったチェルノブイリ原発へ行くツアーに参加し、事故の甚大な被害を目の当たりにしてきました。
今回の記事では、チェルノブイリへの日帰りツアーの内容を詳細に解説し、本当に安全なのか、注意するべき点などを考えていきます。
ツアー参加を希望する人のために、現地での予約方法も詳細に解説しているので、参考にしてください。
事故によってゴーストタウンと化したプリピャチの町を訪問した記事はこちら。
ツアー参加前に訪れておくべき、キエフのチェルノブイリ博物館を訪れた記事はこちら。
キエフ発チェルノブイリ日帰りツアーの内容を徹底解剖!
まずは、参加しないとわからないであろう、キエフ発チェルノブイリ日帰りツアーの内容や訪問地について、訪れた順に写真付きで解説していきます。
立ち入り制限区域(30km圏内)へ
朝8時にキエフを出発したバスは、1時間半ほどで最初のチェックポイントへ到着します。
ここからが、事故を起こしたチェルノブイリ原発から30km地点。
この地域への一般人の立ち入りは厳しく制限されており、パスポートチェックがあります。
ザリーシャ村(Zalissya)
制限区域内で初めに立ち寄ったのが、原発から20kmほどの場所にあるザリーシャ村。
3000人ほどの人が暮らしていましたが、事故による退避命令により放置されることとなりました。
小さな村にはソ連時代を象徴するような紋章やスローガンが描かれた公民館があり、数件の朽ち果てた民家に立ち入ることができます。
家具や調理器具などがそのまま残されており、当時の村人の生活が垣間見えます。
こちらはかつての商店。内部は荒れ果てていました。
商品として置かれていた瓶や、冷蔵ケースなどがそのまま残されています。
続いて訪れたのが、ザリーシャ村の公民館。
正面にはソ連を象徴する窯とハンマーの紋章があしらわれています。
公民館内部にはソ連時代のスローガンが。
コミュニズムがどうとかと書かれています。
続いてはかつて人が住んでいた民家へ。
中へ立ち入ることができます。
調理器具や学校の教科書、ソ連を感じるポストカードなどがそこら中に散乱しています。
印象的だったのがこちらの家具。
実は、台所(左)、水回り(右)、ベッド(上)が一つになったソ連の最先端(?)家具なんです。
みんなが平等とされていた共産主義時代。
こうした家具が一家に一台、ソビエト政府から支給されていたそうです。
それにしても、質素すぎる。
レリーヴ村(Leliv)
続いて訪れたのが、レリーヴ村。
こちらでは、かつての村の保育園に立ち入ることができます。
入り口には、保護者への伝言板が。
完全に荒れ果てた内部。
子供のお昼寝用のベッドと置き去りにされた人形。真っ昼間なのに軽くホラー映画の世界のようでした。
赤い森(Red Forest)
第二のチェックポイントを通り抜けると、そこは原発10㎞圏内。
自然と緊張が高まります。
まず訪れるのが、「赤い森」と呼ばれる松林があった地帯。
ここから先は、現在でもかなりの放射線量が残っているため立ち入ることはできません。
そもそもなぜ「赤い森」かというと、原発事故により放出された放射能を吸収した周辺の松の木が全てオレンジ色に変色してしまったためです。
しかしながらこの赤い森がある程度放射能を吸収してくれたおかげで、首都キエフは最低限の被害で済んだそうです。
現在では除染作業の一環として、放射能で赤く変色した森の松の木は多くが伐採されています。
しかし、周辺の土壌には依然として高い放射能が残っています。
放射線計測器を使って、ホットスポットと呼ばれる場所を教えてくれるガイドさん。
ある地点で、計測器から不気味な警報音が鳴り響くと、参加者たちは緊張に包まれました。
プリピャチ市(Prypiat)
ツアーのハイライトとも言えるのが、原発から4kmの地点にあったプリピャチ市への訪問です。
かつて5万人が住んでいたこの町は、事故による退避命令によってゴーストタウンと化してしまいました。
当時の市民生活を今に伝える建物が数多く残るプリピャチ。
原発事故の影響の恐ろしさを身をもって感じられます。
チェルノブイリ原発4号機&昼食
いよいよツアーも佳境へ。
実際に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の4号機を訪れます。
数年前にヨーロッパ諸国からの強い要望により、破壊された原子炉を覆うシェルターが完成しました。
そのため、現在では事故を起こした原子炉内部の様子を外から見ることはできなくなっています。
近くには、事故当時建設中だったチェルノブイリ原子力発電所の5号機が。
そもそもの事故原因が、「構造上の欠陥」にあったため、この5号機は運行されることなく、建設途中のまま放置されています。
クレーンなどは事故当時のものそのままだそうです。
ここでようやくランチタイムとなります。
チェルノブイリで働く人も利用する食堂でのランチ。
ボルシチ、サラダ、鶏肉のソテーとパスタといういたって平凡なもの。
味は…。
まあ食べられないこともありませんでした(笑)
ソ連製レーダーと秘密軍事基地(DUGA-1)
昼食後に案内されるのが、ソ連時代に秘密の軍事基地としてその存在を隠されていた「チェルノブイリ-2」というエリアです。
高さ150mのレーダーがあり、ミサイル発射などを検知する役割を担っていたそうです。
実際に目の前でみるとその巨大さに圧倒されるはず。
チェルノブイリ市(Chornobyl)
ツアーの最後に訪れるのが、チェルノブイリ原子力発電所の名前の由来ともなったチェルノブイリ市です。
実はチェルノブイリ市は、原発からは20kmほど少し離れた場所に位置しています。
より近くのプリピャチなどの町に比べると、放射能による被害はそこまで甚大ではありませんでした。
事故直後は強制退避命令によって一度は町を後にした住民ですが、その後この措置は軽減され、希望者はチェルノブイリ市に帰ることができたそうです。
帰還した住民の多くは、生まれ育った場所で余生を過ごしたいと願う高齢者たち。
依然として放射能の影響が残るこの地に戻ってくる若い世代は、そう多くはありませんでした。
現在では、バス停や商店、集合住宅が整備され、一応日常生活が行われています。
しかし、住民のほとんどは高齢者。
町に活気はなく、「死んでいく町」であることを実感させられました。
チェルノブイリの町にあるモニュメントは、事故の際に被害を食い止めようと尽力した人々を讃えるためのもの。
右側は消火活動にあたった消防士たち、左側は、放射線計測器を持って事故の影響を調査する原発作業員や放射線障害で頭痛を起こす人、懸命に人々を助けようとする医師など、いずれも事故の被害を最小限にとどめた人たちとして語り継がれています。
特に原発作業員たちの活躍は目を見張るものでした。
自己当時、チェルノブイリ原発には放射線計測器がたった二台しかなかったそう。
そのうち一台は故障していて使い物になりませんでした。
残された一台も、数値が表示されるものではなく、針がおおよその放射線量を指し示すだけという大まかなものだったそう。
そんな中で、原発内の放射線量を計測し、危険なエリア情報を共有する必要があった作業員たち。
計測器の針の振れ方によって、「危険、入るな」と「危険、走れ」の二段階に分けて情報を共有していたそう。
こうして放射線濃度が高いエリアを順に封鎖していったことで、より多くの放射能が放出されることを防ぐことができたのです。
そのため、モニュメントの中心部には「世界を救った人々の記念碑」とウクライナ語で刻まれています。
チェルノブイリツアー終了・放射線計測
こうして大満足のチェルノブイリツアーが終了しました。
原発30km圏内を後にする際には、放射線計測器を通って自身の衣服・体内の放射線量が基準値以下であることを証明しなければなりません。
仮に、後述する注意事項を守らずに、高い放射線量が測定されてしまった場合は、域外に出られなくなることもあるそうです。怖っ。
帰りのバス車内で、ガイドさんが一人一人が浴びた放射線量を大まかに計算して、証明書に記載もしてくれます。
キエフに到着したのは夜7時過ぎ。
朝早かったことと歩き回ったこともあって、参加者のほとんどは疲れ果てて車内で爆睡していました。
チェルノブイリツアーへの参加方法(予約&当日の流れ)
チェルノブイリへのツアーは、多くの現地旅行会社によって催行されています。
代表的な会社は二つ。
Chernobyl tour
Solo East Travel
どちらも老舗で、ほぼ同じツアー内容です。
料金もあまり変わりません。
のぶよが利用したのは、Chernobyl tourの英語ツアー。
3日前に申し込んで、基本料金が89アメリカドル、ランチ料金が追加5ドル、合計で94ドルでした。
放射線量計測器を借りたい場合は別途10ドルかかりますが、のぶよ的には必要ないと思います。
なぜなら、ツアーガイドさんが一台持っていて、線量の高いところなどで計測して全員に放射線量を知らせてくれるので、わざわざ個人で持つ必要がないためです。
ツアー内には数名レンタルしている人がいましたが、みんな最初の数回だけ使用して、あとは写真を撮るのに夢中になってほとんど使用していませんでした。
自分の好きなところで好きな時に放射線量を計測したい人は、借りてみるのもいいでしょう。
チェルノブイリ日帰りツアー、現地での申し込み方法
ここからはChernobyl Tour社の場合で話を進めていきますが、ほかのツアー会社でもほぼ同じプロセスでしょう。
1.公式サイトで料金をチェックして申し込み
Chernobyl Tourのサイトのトップページ下部には、カレンダーが表示されています。
自分が参加したい日付を選ぶと、名前・パスポート情報・メールアドレスなどの必須項目を入力する画面になるので入力し、申し込みボタンを押します。
この時点ではまだ支払いの必要はありません。
料金は土日は基本的に高め、また、平日であってもツアー参加日まで二日を切ると上がってくるようです。
ツアーの最少催行人数は4人からとなっていますが、よほどの閑散期や悪天候でない限りはそれ以上の人が集まるので考えすぎなくても大丈夫でしょう。
のぶよが参加した3月は閑散期ではあったものの、参加人数は13人でした。
万が一参加者少なくて催行中止になった場合は、支払った金額の返金ないし他の日程に振り替えもしてくれるそうなので安心です。
2.申し込み確認メールに従ってツアー代金の25%を支払う
申し込みボタンをクリックすると、即座にメールが送られてきて、入力した情報の確認と支払い方法についての案内があります。
パスポート情報に誤りがないかチェックをするのを忘れずに。
もし一文字でも異なると、当日のツアー参加ができません。
メール内には、ツアー代金総額の25%を先払いするように案内があります。
2019年3月現在、オンラインでのクレジットカード決済には対応していないようで、銀行振り込みかPaypalなどでの支払いとなります。
3.オンラインで支払えない場合は前日までに直接オフィスで支払える
のぶよの場合はPaypalで支払おうとしたもののうまくいかず、とりあえず放置していました(笑)
もはや自分がツアーに申し込んだことすら忘れていたのですが、ツアー当日の前日にメールが。
その内容が、
「今日の15時にツアー参加者の名簿を提出するから、もし参加したいならそれまでにオフィスで直接支払って!」
とのこと。
幸いにも暇だったのと、オフィスがキエフ市内のアンドレイ坂付近と近くにあったことから、直接支払いに行くことにしました。
支払いはクレジットカードに対応しており、現金の場合はアメリカドル、ユーロ、フリヴニャの3種類の通貨が使用可能。
この際、
・代金総額の25%だけ払って、残りを当日のツアーガイドに直接払う
・あらかじめ全額支払う
のいずれかを選択できました。
結局払う金額は同じなので、どちらでも良いと思います。
ツアー当日の朝
指定された集合場所に集合時間に行くだけというとてもシンプルなもの。
しかしその集合時間が7:40とかなり早めです。
集合場所は、キエフ中央駅の西側のマクドナルド前の路上。
ツアー会社のロゴが描かれた白いミニバスを探しましょう。
キエフからチェルノブイリまでは1時間半~2時間ほどの道のりです。
実は前日かなり飲んだのぶよ、睡眠時間3時間&二日酔いという状態で挑んだのですが、まじで前日は早く寝ましょう!
バスはかなり揺れますし、眠すぎて、気持ち悪すぎて本気で倒れるかと思いました(笑)
ちなみにツアーの昼食の時間は14時と遅め。
それまでにバス車内で食べられる軽食を用意しておいた方がいいでしょう。
のぶよはチェルノブイリ付近でものを食べるのがなんとなく嫌だったので、想像を絶するグロッキー状態だったバス車内で必死にパンを胃袋に詰め込みました(笑)
ツアーに満足したら是非チップを!
チェルノブイリツアーといっても、ただポイントを順番に見て回るだけでなく、その背景の歴史や事実などをツアーガイドさんが事細かに説明してくれます。
もちろん全て英語での説明となりますが、英語がわかるなら本当におすすめ。
自分でただ見て回るだけでは到底知りえないような知識を得ることができます。
チェルノブイリ原発事故の処理に尽力した作業員たちの逸話や、当時のソビエト政府の事故対応についてはもちろんのこと。
いたるところで事故前の写真を見せながら説明してくれるので、現在の様子と見比べることができます。
また、ツアーガイドさんはソ連時代の人々の生活などについても豊富な知識を持っている人ばかり。
ソ連当時のまま放置された町では、建物や残された物を通して、当時の人々の生活の様子などを詳細に説明してくれました。
チップ制度があまり定着していないウクライナですが、ツアーに満足したら気持ちでチップを渡すのがスマートでしょう。
100UAH(=¥410)ほどで十分だと思います。
もちろんチップは義務ではありませんし、期待されてもいませんが、そこは一期一会。
400円でお互い気持ちよくお別れ出来たらそれでいいんじゃないでしょうか。
チェルノブイリツアーは本当に安全?
のぶよは放射線の専門家ではありませんので、確実に100%安全なのか、人体に影響が全くないのか断言することはできません。
しかし、ツアー会社によると、「チェルノブイリツアーは100%安全である」とのことでした。
「放射線」と聞くと、少しでも浴びたら人体に悪影響があるものだというイメージがありますが、実際には私たちの生活の中でとても身近なもの。
例えば、普通に生活しているだけでも、わたしたちは年間平均2.4ミリシーベルトの放射線を浴びています。
これは自然界にもともと存在する自然放射線のため。
他にも放射泉と呼ばれる泉質を持つ温泉だったり、レントゲン写真やX線機器など、私たちの生活の多くのところで放射線やそれを利用した機器は存在しています。
のぶよがチェルノブイリの1日ツアーに参加して浴びた放射線の総量は、0.003ミリシーベルト。(ガイドさんがツアーの最後に教えてくれます。)
これは、飛行機に1時間乗った時に人間が浴びる放射線量と同等だそうです。
ツアーガイドさんはほかにもわかりやすい例を教えてくれました。
例えば、食物。
食物には微量の放射線が含まれており、代表的なものはバナナ、ナッツ類、じゃがいも等。
のぶよが浴びた0.003ミリシーベルトというのは、バナナ30本分だそうです。
気になって、同じ日の福島県福島市の放射線量を確認してみたところ、2.88マイクロシーベルト/日でした。
単位をミリシーベルトに変換すると、約0.003ミリシーベルト。
つまり、チェルノブイリ一日ツアーでのぶよが浴びた放射能の総量である0.003ミリシーベルトとほぼ同じ値という結果に。
そんな福島市でも、人々は普通に生活していますよね。
もちろん、たったこれだけの情報で、「完全に安全である」と断定することはできません。
なぜなら、チェルノブイリの立ち入り制限区域内には「ホットスポット」と呼ばれる放射線量が他の場所より高い数値の場所も数多く存在しているためです。
また、空気中の放射線量だけでなく、物質などに残る残留放射線や木や土にしみ込んだ高い数値の放射線に近寄るという事実についても考えなければなりません。
「安全である」と言われるチェルノブイリツアーですが、そこは史上最大の原子力発電所事故から30年余りしか経過していない場所。
ツアー参加時には多くの注意点・ルールを守って行動する必要があります。
チェルノブイリ原発を訪れる現地ツアーのほとんどはキエフ発着の一日ツアー。
事故の背景や影響をより深く理解したいなら、言葉の心配がいらない日本語ガイド付きのチェルノブイリツアーもおすすめ。大手旅行会社のHIS主催のものなので安心です。
チェルノブイリ日帰りツアー参加時の注意点
完全に安全と言われているチェルノブイリ原子力発電所への日帰りツアー。
しかし、放射線の影響はいまだに甚大で、観光客である私たちが守らねばならないルールがいくつか定められています。
ツアーに参加するためにも、そして自身の体を守るためにも、以下の注意点を遵守する必要があります。
長袖、長ズボンは必須。かかとが隠れる靴下を着用
放射能の影響を最低限に抑えるために、たとえ夏場であっても全身が覆われた服装でツアーに参加する必要があります。
気を付けたいのが靴下。
短くてかかとが露出しているような靴下では制限区域内に入ることができません。
チェルノブイリツアー参加時の靴は露出がないものを
空気中の放射線量は抑えられているチェルノブイリ原発周辺ですが、土壌にはいまだに強い放射線が染み込んでいます。
(もちろん除染済みですが)
服装と同様に、靴も露出があるもの(サンダル、穴が空いたスニーカー等)は絶対にNGです。というか参加できません。
また、ツアー終了後に同じ靴を履き続けるのは、靴底に付いた汚染された土をまき散らすことになりかねないのでおすすめしません。
数回洗濯するか、新しい靴を購入することをおすすめします。
立ち入り制限区域内にあるいずれのものにも触れない
空気中の放射能はある程度抑えられてはいるものの、植物や動物、物質などにはいまだに高い濃度の放射線が残留している場合があるそうです。
すべて見るだけ。絶対に手を触れないことを肝に銘じておきましょう。
立ち入り禁止区域内のいずれのものも、外に持ち出さない
上と同じ理由で、放射線を含んだ可能性のある物体の持ち出しは厳しく制限されています。
地面、ベンチ、石、いずれのものにも腰掛けない
放射線が残留しやすい土や石などに腰掛けることは厳しく禁止されています。
最悪の場合、着用していたズボンをはいた状態で外に出ることができなくなります(笑)
立ち入り禁止区域内の地面に触れない
いまだにかなりの放射線を含む土壌には絶対に触れてはいけません。
放射線計測機を使用する際も、地面から2cmほど離さなければなりません。
屋外で飲食しない
空気中に残る放射能を食べ物と一緒に体内に取り込んでしまうのを防ぐために、バス車内や屋内での飲食をしなければなりません。
食べ物を持ち込む場合は、密閉されたものを選ぶ
制限区域内への飲食物の持ち込みは可能ですが、飲食時に空気中の放射線を含んだ塵を飲み込まないためにも、袋などに入った、密閉されたものを持ち込むようにしましょう。
(屋台で買ったパンやピザなどは避ける)
検問所の写真撮影をしないこと
こちらは安全管理上の理由なのですが、チェックポイントと呼ばれる検問所での写真撮影は固く禁じられています。
おわりに
史上最悪の原子力発電所事故の舞台であるチェルノブイリへのツアー。
のぶよは、参加して本当に良かったと思いました。
経験豊富なツアーガイドさんが、事故の詳細やその影響などについてわかりやすく説明してくれたからであるのはもちろんのこと。
原発事故によって廃墟となってしまった町や村を目の当たりにすることで、人間によって作られたものの脆さを感じ、そこを再び支配しようとする草や木などの自然の逞しさをも感じられたからです。
私たち日本人もこれから向き合っていけない問題である、原発事故の後処理やこれからの原子力発電の在り方について考えさせられることは言うまでもありません。
チェルノブイリツアーの前には、必ずキエフ市内の国立チェルノブイリ博物館を訪れて、事故の詳細や避難を余儀なくされた人々についての記録や展示を見ておくべきです。
実際にツアーで同じ場所に訪れた時に理解が深まりますし、様々な人がチェルノブイリ原発事故の影響を受け、それに立ち向かってきたことを思い知らされます。
色々な考え方がありますし、「安全」とは言われていても結局は自己責任という側面が強いチェルノブイリ原子力発電所への日帰りツアー参加。
参加の際には注意事項を守り、ガイドさんの指示に従うことで、できる限り自分自身の安全を確保するようにしましょう。
キエフでの宿泊なら、キエフ市内観光に便利なキエフ中心街の一択。
特に便利なのが、地下鉄プローシャ・リヴァ・トルストヴァ駅(Ploshcha Lva Tolstoho)周辺。キエフ中央駅やバスステーションへ1本でアクセスでき、独立広場までもたった一駅と最強の利便性です。
周辺には飲食店やカフェ、商店などが数多くあり、不便のない滞在ができます。
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