こんにちは!ブルサ滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
トルコ第四の都市・ブルサ(Bursa)は、近代的な町並みの中に初期オスマン帝国調の華麗な建造物が点在する古都です。

あまり知られていないものの、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)がオスマン帝国の支配下となる以前は、100年以上にわたってブルサがオスマン帝国の首都とされてきました。
そう、「トルコの京都」といった表現がぴったりな町なのです!
また、オスマン帝国支配以前のブルサはシルクロード交易の最終地点として栄えた場所。
中央アジアからやってきた絹製品が売られていた「ハン」と呼ばれる隊商宿がいくつも残っており、現役の市場として利用されています。

見どころもかなり多いブルサですが、それだけではありません。
ブルサ発祥のご当地グルメの数々や、オスマン帝国の歴代スルタン(皇帝)たちに愛されてきた温泉はとても有名ですし、トルコ伝統の影絵やセマー儀式などの文化面でも楽しむことができるのです。
今回の記事では、観光地としてのポテンシャルの高さしか感じないブルサ観光で絶対にしたい10のことを解説していきます。
オスマン帝国始まりの地!ブルサの歴史をザックリと。

500年以上に渡って続いたオスマン帝国ですが、その発祥はブルサ近郊であることはあまり知られていません。
セルジューク朝がアナトリア半島を、ビザンツ帝国がコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)の西側を支配していた1317年のこと。
セルジューク朝の弱体化を目の当たりにしたオスマン1世という人物が、ブルサを首都としてオスマン帝国を建国したのが全ての始まりでした。
当時のオスマン帝国は、ブルサ近郊のみの地方政権のようなものでした。
オスマン1世の息子・オルハン・ガジがその支配地域を広げることに成功し、その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで領土を広げ拡大していきます。

強大になったオスマン帝国は、セルジューク朝に代わってアナトリア(トルコのアジア側)の大部分を支配するように。
そして、建国から100年以上経った1451年にコンスタンティノープルを陥落させ、その支配を確固たるものとしたのです。
このように、ブルサの歴史は初期オスマン帝国と切っては切れないもの。
町中に点在する見どころもオスマン帝国関連のものが多いので、歴史を知っておいた方がより楽しむことができると思います。
ブルサ観光でしたい10のこと
①美しいモスクを見学する

ブルサを特徴づけるのが、珍しいオスマン帝国初期の建築様式のモスクの数々。
イスタンブールに多くあるオスマン帝国中期の典型的な様式のモスクや、カイセリやコンヤなどで見られるセルジューク朝の建築様式が融合したような印象を受けます。
町中にモスクが点在しているブルサ。
ここでは、代表的な三つのモスクを紹介します。
ウル・ジャーミィ

ブルサを代表するモスクが、ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)。
1396年建造のセルジューク朝様式のもので、20のドーム型天井を持つ大規模で巨大な外観に圧倒されます。

内部は明るく開放的な雰囲気で、多くの人がお祈りに訪れていました。
ブルサのモスクが独特なのは、モスク内部に噴水がある点。

手や足を清めるための噴水は通常モスクの入口の外にあるのですが、ブルサでは入場後に手や足を洗っても問題がないようです。(みんなモスク内部の噴水を利用していました)
イェシル・ジャーミィ(緑のモスク)

ブルサの東側にあるユルドゥルム地区(Yıldırım)観光のハイライトとなるのが、イェシル・ジャーミィ(Yeşil Cami)。
「イェシル(Yeşil)」とはトルコ語で「緑」という意味。
その名の通り、モスク内部は青とも緑ともつかない色のタイルが印象的な空間となっています。


このイェシル・モスクは、メフメト1世統治時代の1424年に建設されたもので、トルコの建築史上の転換点となっているものです。
セルジューク朝のペルシア風建築様式のインスピレーションを受けながらも、トルコ民族独自のエッセンスを注ぎ込んだもので、以降のオスマン帝国風の建築様式に大きな影響を与えることとなりました。

イェシル・ジャーミィと向かい合うようにして建つ緑の霊廟(Yeşil Türbe)も見逃せません。

メフメト1世とその子供たちが眠る場所で、「緑」ではなく、美しい青色の外観が印象的です。
内部の装飾には有名なクタフヤ・タイルが使われており、こちらも緑ではなく美しいブルーの世界。
もともとの緑の霊廟にはグリーンを基調にした装飾が施されていたものの、1855年に起こったブルサ大地震の後に青いタイルの装飾で復興されたそうです。

霊廟内で眠るメフメト1世は、モンゴル軍の侵略(1402)年をきっかけに衰退しつつあったオスマン帝国を復興させることに成功した人物。
彼の息子・ムラト1世統治時代にかけて領土をさらに広げることに成功し、後のメフメト2世によるコンスタンティノープル陥落の基礎を作り上げた時代のスルタンの一人です。
エミール・スルタン・ジャーミィ

緑のモスク&霊廟があるユルドゥルム地区でもう一つ見逃せないのが、エミール・スルタン・ジャーミィ(Emir Sultan Camii)。
14世紀建造のモスクですが、度重なる地震で被害を受けるたびに再建されてきたものです。
このモスクの特徴は、半木造のオスマン帝国風ロココ調の建築様式。
のぶよが訪れた際は残念なことに工事中で、その全容を見ることはできませんでしたが、白を基調にした美しいモスク内の通路がとても印象的でした。
世界に三つだけの屋根付き橋!
イェシル・ジャーミィやエミール・スルタン・ジャーミィがあるユルドゥルム地区(Yıldırım)と、中心部のオスマンガジ地区(Osmangazi)地区の間には、イルガンディ橋という橋があります。

二つの地区の間にある谷を渡るために架けられたイルガンディ橋は、世界で三つしか現存していないと言われる屋根付きマーケットが併設されたもの。

橋自体はかなり短く、すぐに渡り終えてしまいますが、古き良き時代のブルサの雰囲気を現在に伝える貴重な存在。
観光の途中に是非立ち寄ってみるのがおすすめです!
②市場で絶妙なトルコ感を感じる!

オスマン帝国が成立する以前のブルサは、シルクロードの西端として大いに栄えていました。
その雰囲気を現在に伝えるのが、オスマンガジ地区(Osmangazi)に広がる巨大な市場・カパル・チャルス(Kapalı çarşı)です。

市場と言うには規模が大きすぎるエリアで、ウル・ジャーミィ裏手に広がっています。
カパル・チャルスは単一の市場ではなく、いくつもの市場を合わせた総称。
後述する隊商宿の跡であるハンとも繋がっており、どこがどこだかわからなくなること必至です。

どこを歩いても安定のトルコ感が漂っているのが特徴で、一度通った場所にはもう戻って来られないほどにごちゃごちゃしています。
観光客向けではなく、あくまでも日用品や食品を売るお店が多いのも特徴的。
ブルサ名産の絹製品を売る店も多くあるので、ブルサ土産探しにも良いかも!
③「ムラトの聖地」でオスマン帝国美術に感動する!

ブルサ中心街西側には、ムラトの聖地(Muradiye Külliyesi)と呼ばれる場所があります。
15世紀建造の「キューリイェ(Külliye)」と呼ばれるイスラム教の複合施設で、敷地内にはモスクやマドラサ(学院)、霊廟が点在しています。

ムラトの聖地で必見なのが、12個ある霊廟。
すべて15世紀から17世紀にかけて建設されたもので、ムラト2世の霊廟を中心として一族が眠る場所となっています。
ムラト2世の霊廟

敷地の中心に位置するのが、ムラト2世の霊廟(II. Murad Türbesi)。
彼の息子でありコンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世によって、1481年に建設されました。
内装は白を基調としたとてもシンプルなものですが、霊廟入口の天井部分の装飾はお見事です ▼

ムラト2世は、父であるメフメト1世(緑の霊廟で眠る)とともに、オスマン帝国復権に尽力した人物。
彼が広げた領土はコンスタンティノープル(イスタンブール)のアジア側にまで達し、息子のメフメト2世にオスマン帝国の運命を委ねることとなります。
ジェム・スルタンの霊廟

華麗な内装が印象的なジェム・スルタンの霊廟(Cem Sultan Türbesi)。
コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世の息子であるジェム・スルタンのために造られたものです。

ブルサからほど近いイズニクという町の名産であるイズニク・タイルで飾られた内装は、言葉を失うほどの素晴らしさです。
シェーフザデ・マフムッドの霊廟

メフメト2世の孫にあたるシェーフザデ・マフムットの霊廟(Şehzade Mahmut Türbesi)も見逃せません。
ターコイズブルーとダークブルーの六角形のタイルにびっしりと包まれた内装は必見です ▼

シェフザデ・ムスタファの霊廟

オスマン帝国の最盛期を担ったスレイマン1世の息子であるシェフザデ・ムスタファが眠る霊廟(Şehzade Mustafa Türbesi)の内装もかなり美しいです。
こちらは1573年の建造と他の霊廟に比べて後の時代のもの。
他の霊廟とは大きく異なる、オスマン帝国黄金期らしい精密なタイル装飾が施された内装が特徴的です。
ムラト二世のマドラサ

ムラトの聖地内には、1426年にムラト2世の命により建設されたイスラム教の学院・マドラサの建物が残っています。
オスマン帝国初期の建築を代表するような石作りの建物の内部は、入場無料の博物館として利用されています。


展示内容は、オスマン帝国時代の書道に関してのものがメイン。
オスマン帝国では日本と同様に、筆と墨を用いた書道文化が根付いていたそう。なんだか親近感を感じます。
④シルクロードの隊商宿「ハン」で休憩する!

オスマン帝国初期の見どころが点在するブルサですが、シルクロード交易の西の端として栄えた歴史も忘れてはいけません。
オスマンガジ地区のカパル・チャルス(市場エリア)には、ハン(Han)と呼ばれる当時の隊商宿の跡地が点在しており、現在ではマーケットの一部として利用されているのです。
コザ・ハン

カパル・チャルスの中心に位置するコザ・ハン(Koza Han)は、当時のスルタンであったバヤズィト2世の命により1491年に建設されたもの。
三つの入口を持つ二層構造の広大な敷地は圧巻。
美しい中庭にはテラス席が並び、市民の憩いの場となっています。
エスキ・イペク・ハン

コザ・ハンと市場を通して繋がっているのが、「古い絹のハン」の名を持つエスキ・イペク・ハン(Eski İpek Han)。
メフメト1世がイェシル・ジャーミィ(緑のモスク)の建造資金を集めるために開いた隊商宿&商業施設で、その名の通り絹を売る商人たちが集まった場所でした。

現在でも現役の商業施設として機能しており、シルクロード時代から続く名産の絹製品を売る店が軒を連ねます。
⑤ブルサ城塞からの絶景を眺める

ブルサ中心街のオスマンガジ地区の西側の小高い丘の上に建つのが、ブルサ城塞。
城塞の建物自体は残っておらず、城を取り囲んでいた城壁だけがかつての姿を今に伝えます ▼

ブルサ城塞で絶対に外せないのが、時計塔そばのテラスからの眺め ▼


ブルサの中心街を一望することができ、町の南にそびえるウルダー山まで見晴らすことができるのです。
テラスへの入口付近には、オスマン帝国建国者であるオスマン1世と、その息子のオルハン・ガジが眠る霊廟もあり、こちらも必見!(写真撮り忘れた…)
⑥オスマン帝国そのままのカラフルな村を散策する!

度重なる地震による被害を受けたブルサの中心街の町並みは、「古都」の歴史とは裏腹にやや近代的な印象を受けるかも。
オスマン帝国風の民家などが残るエリアもあるものの、その数は限られています。
伝統的なオスマン帝国の民家が残る場所を散策するなら、ブルサ近郊のジュマルクズク(Cumalıkızık)という村へと足をのばすのがおすすめ。

パステルカラーの壁が可愛らしい民家が連なる村で、ブルサとともに世界遺産に登録されている場所でもあります。
中心街から直行のドルムシュ(ミニバス)も出ているので、個人でも気軽に訪れることができます!
⑦伝統の影絵「カラギョズ」の世界に入りこむ

初期のオスマン帝国時代を現在に伝える観光スポットの数々が魅力的なブルサですが、文化面でも興味深いスポットがたくさんあります。
そのうちの一つがカラギョズ(Karagöz)と呼ばれる、トルコ伝統の影絵芝居。
中央アジア発祥の影絵はシルクロード交易とともにここブルサに伝えられ、オスマン帝国の拡大とともに支配地域全体に広がったものです。(※エジプトから伝わったという説もあるそう)

ラクダの皮にカラフルな色付けをした平面画の人形が使われるのがカラギョズの特徴。
スクリーンの裏から木の棒を用いて、人形の手や足を動かすことによって演じられます。
芝居の内容は決まっており、一般庶民で外国語の単語が理解できないカラギョズ(Karagöz)と、インテリぶって外来語をよく用いるハジバト(Hacivat)の二人の軽快な掛け合いが魅力的なのだとか。

他にもイスタンブールのアクセントで話すチェレビ(Çelebi)や、Rを巻き舌で発音するアルバニア人(Arnavut)などのキャラクターが登場し、言葉遊びや洒落、皮肉などを通して笑いを生み出すのです。

時代の変化に伴って、現在では風前の灯となっているカラギョズ。
ムラトの聖域のさらに西、温泉街のチケルゲ地区近くにあるカラギョズ・ミュージアム(Karagöz Müzesi)では、伝統文化を今に伝えるための展示が行われています。

普通の民家を改装したような、小さな小さなカラギョズ・ミュージアム。
その内部には、カラギョズ芝居で使用される人形がズラリと並びます ▼

カラギョズの歴史や芝居のストーリーなども詳細に解説されており、のぶよのように何も知らない人でもカラギョズがどのようなものか理解できるようになっていました。
トルコの伝統文化に興味がある人は絶対に訪れるべきです!
⑧オスマン帝国のスルタンも愛した「温泉」で癒される

ブルサにはかなりの魅力があることがすでにお分かりいただけたと思いますが、まだまだこんなもんじゃありません(笑)
ブルサ西部には古くから温泉保養地として発展してきたチケルゲ地区(Çekirge)があり、多くのホテルやパンシオン(個人経営の小規模な宿)では温泉が引かれているのです。
チケルゲ地区を象徴する存在が、ケルバンサライ・オテル(Kervansaray Termal Otel) ▼

オスマン帝国時代から続く由緒ある温泉ハマムを有する、文句なしの五つ星ホテルです。
ケルバンサライ・ホテルは、トルコの富裕層を始め世界中のVIPに愛される場所。オスマン帝国の栄光を隅々に感じられる歴史ある建物で過ごす夜は、きっと忘れられないものとなるでしょう。
予約がとりにくいことでも有名なので、できるだけ早めに部屋を押さえておくのが必須です。
ケルバンサライ・オテルを料金確認・予約する! (Booking.com)
「トルコで最も素晴らしい」と称されるケルバンサライ・オテルの温泉ハマム。
宿泊客以外でも利用できるそうですが、どう考えてものぶよ的には予算オーバーでした…
そんなのぶよのような節約派旅行者向けの温泉オプションもちゃんとあるのがブルサの素晴らしいところ。
チケルゲ地区ではエコノミーホテルや公衆ハマムでの日帰り入浴も可能で、料金の相場は40TL(=¥748)~。
選択肢は数多くありますが、のぶよのおすすめ温泉ハマムは、チケルゲ地区から少々離れたところにある“Yeni Kaplıca Erkekler Hamamı” ▼

料金は、入浴のみで40TL(=¥748)とまあ普通の値段なのですが、注目すべきはその歴史と雰囲気。

1552年に建設されたもので、当時のスルタン・スレイマン1世のために建設された、由緒正しすぎるものなのです。
建築したのは、イスタンブールの定番スポットである「スレイマニエ・モスク」などと同じ、ミマール・シナン(Mimar Sinan)。これまた超有名な人物です。
“Yeni Kaplıca Erkekler Hamamı”の内装は、私たちがイメージする「幻想的でエキゾチックなトルコのハマム」そのものでした。(浴場の写真はもちろん撮れません) ▼

大浴場のお湯は、もちろんこの地に湧き出る天然温泉。
ミネラル豊富なお湯は微量の放射線を含んでおり、病に効くと古くから重宝されてきたそうです。

他に外国人観光客の姿はなく、いい感じのローカル感が漂っていたのも、このハマムをおすすめする理由。
スレイマン1世も愛した温泉でスルタン気分でのんびりリラックス…ブルサ観光に華を添えてくれる体験となるはずです!
⑨ミステリアスなセマー儀式で伝統を肌で感じる

ブルサ観光で絶対に見逃せないのが、イスラム教神秘主義伝統のセマー儀式を鑑賞すること。
白い衣装に身を包んだ踊り手(メヴラーナ)たちが、神との一体を目指してひたすらにくるくると回り続ける不思議な儀式…日本では「回転の舞」として有名です。
政教分離が進められたトルコでは、純粋なセマー儀式を見られる場所は限られています。(多くは観光客向け)
しかしここブルサでは、かつてのメヴラーナの宿舎を改装したセマハネ(会場)で本物の儀式を見学することができるのです!

セマー儀式はもともと宗教的な性格が強く、参加は無料であることが普通(モスクへの入場が無料であるのと同じような理由)ですが、イスタンブールなどでは観光客からお金を取る場合がほとんど。
いっぽうで、ここブルサでは料金はなんと無料。
観光客向けではない、本物の儀式に参加することができるのです。
ローカルの人々に囲まれて、トルコに根付く神秘主義の伝統を肌で感じられる…とにかく超おすすめの体験なのでお見逃しなく!
⑩ブルサの名物ご当地グルメを味わう
オスマン帝国の歴史が詰まった観光スポットをまわり、影絵やセマー儀式で伝統文化に触れ、温泉でリラックスして…
すでに大満足のブルサ観光ですが、最後にもう一つ忘れてはいけないのがブルサの名物グルメを食べること。
トルコは地域色豊かなご当地グルメがいっぱいの国。
他の町と同様にブルサにも有名なご当地グルメがいくつか存在するので、これらを食べずにブルサ観光を終えることは絶対にできません!
イスケンデル・ケバブ

「ブルサ」という名前を聞いたトルコ人がまず最初に思い浮かべるのが、ブルサ発祥のご当地グルメ「イスケンデル・ケバブ」(İskender kebab)です。
19世紀後半に、イスケンデル・エフェンディというブルサの人が発明したのがこの料理。
現在ではトルコでは知らぬ人はいない「一流ご当地グルメ」としての地位を築き上げました。
皿にピタ(平たいパン)を敷き、炙った羊肉を削いだもの(ドネルケバブのような)をたっぷりとのせ、その上からトマトソースと溶かしバターをかけてヨーグルトを添えたものです。
こう書くとシンプルな料理のように思えますが、肉の焼き加減やトマトソースの味付け、バターの量などは店によって異なるため、お気に入りのお店が人によって変わるのがポイント。
普通のケバブよりも手間がかかっているためか、料金相場も25TL(=¥468)~と少々高めです。
ブルサには、イスケンデル・ケバブを提供しているお店が至る所にあり、お店の雰囲気も値段もまちまち。
のぶよが利用したのは、オスマンガジ地区のカパル・チャルス(市場)にある“Koza han kebapçısı”というお店でした ▼

一人でも気軽に入れる雰囲気で、看板メニューであるイスケンデル・ケバブは30TL(=¥561)。
トマトソースとバター、ヨーグルトが混ざったソースは絶妙な味となり、羊肉の独特な風味を引き立てます。
量は多すぎず、少なすぎずといったところ。
他のお店を試していないため比較対象がないのですが、かなり満足のいくものでした。
観光途中に立ち寄るのに便利な立地にあるので、気になる方はぜひ!
ピデリ・キョフテ

イスケンデル・ケバブの知名度の影に隠れたブルサのもう一つの名物グルメが、ピデリ・キョフテ(Pideli köfte)です。
材料や作り方はイスケンデル・ケバブとほぼ同じ。
唯一の違いは、薄く削いだ羊肉ではなくキョフテ(ミートボール)をのせている点です。
イスケンデル・ケバブと味は同じなので、羊肉独特の風味が苦手な人はこちらを食べてみるのがおすすめ!
料金相場は15TL~20TL(=¥280~374)と、イスケンデル・ケバブに比べてリーズナブルなのもポイント。
イスケンデル・ケバブを置いている店なら必ずあるので、ぜひ挑戦してみましょう。
ケステネ・シェケリ

最後に紹介するブルサ名物は、ケスタネ・シェケリ(Kestane Şekeri)。
「トルコ風マロングラッセ」といった感じのスイーツで、ブルサのお菓子屋ならどこにでも置いてある定番メニューです。
激甘スイーツが多いトルコですが、ケスタネ・シェケリは意外と甘さ控えめ。日本人受けする味だと思います。
実はここブルサは、良質の栗の産地として有名なのだそう。
・栗をむいてそのままの形で糖蜜漬けにしたもの
・チョコレートでコーティングしたもの
の二種類のケスタネ・シェケリが存在します。
栗そのままを糖蜜漬けにしたものの方が料金は高めで、小さな箱に入ったもので15TL(=¥280)ほど。
対するチョコレート版は、同じサイズで5TL(=¥93)と激安です。
ずっしりとした食感のケスタネ・シェケリは意外にボリュームがあり、チャイ(紅茶)のお供にも、お土産にもぴったり!
本場で味わう名物デザート。ブルサ市内のどこでも売られているので観光の途中にいかがでしょうか。
ブルサ観光のまわり方・必要な日数
ブルサ観光地図
紫:ホテル
赤:おすすめレストラン
緑:ユルドゥルム地区の観光スポット
青:オスマンガジ地区の観光スポット
オレンジ:ムラトの聖地周辺~チケルゲ地区の観光スポット
ブルサの3つの観光エリア

ブルサ中心街の観光エリアは3つに分けられます。
・東側:ユルドゥルム地区(Yıldırım)
・中央:オスマンガジ地区(Osmangazi)
・西側:ムラトの聖地周辺(Muradiye Külliyesi)~チケルゲ地区(Çekirge)
これに加えて、東側10kmほどの所にあるジュマルクズク村(Cumalıkızık)など、近郊にも観光スポットがあります。
ブルサの各地区間の交通は、旅行者にとってやや不便なもの。
地下鉄が東西に走っているので利用しやすそうに思えますが、地下鉄駅から観光スポットまでは微妙に距離があり、痒いところに手が届かない…といった印象でした。
ブルサ観光に必要な日数

後述していますが、ブルサには格安で宿泊できるホステルが存在しません。
ホテル代の相場も何故かやや高めなため、のぶよは1泊2日(1日目の早朝に夜行バスで到着/2日目の深夜に夜行バスで出発)という、丸二日間の強行プランでまわりました。
丸二日間あれば記事内の見どころを全てまわることが可能なのですが、正直かなり疲れます。
到着・出発ともに夜行バスを利用して何とか全てまわれた…という感じなので、2日間の滞在のうち片方の日が半日しかとれない場合などはかなり厳しいと思います。
日程と予算に余裕があれば、2泊3日の日程でゆっくりと古都の雰囲気を楽しむのがおすすめです。
ブルサのホテル情報
残念なことに、ブルサには格安で宿泊できるホステルが存在しません。
これこそが、ブルサに訪れる観光客の数がそう多くない一番の理由だと思います。
ホテル代の相場も比較的高めなブルサで、最安値で宿泊できる場所を紹介します。
Saray Otel

・料金:88TL(=¥1639)
・部屋:ダブルルーム(シャワー付・トイレ別)
・立地:9/10
ブルサの中心街南側、アタテュルク通りのすぐそばのホテルです。
オトガル(バスステーション)行きの38番バス乗り場まで徒歩1分、路面電車の停留所と地下鉄駅も徒歩圏内(5分~10分)と便利な立地です。
かなりだだっ広いブルサのちょうど中央部分に位置しているため、どこに行くのにも便利な立地だと思います。
・アクセス:10/10
大きな看板が出ていて分かりやすく、受付には常に人がいるので簡単にチェックイン可能です。
・スタッフ:9/10
感じの良いおじさんが経営しています。
英語は微妙にしか通じないものの、交通手段や観光スポットなどを尋ねると、丁寧に教えてくれました。
・清潔さ:8/10
部屋・バスルームともに清潔ですが、床には髪の毛などが落ちたままの所もあり、気になる人は気になるかも。
全体的にきれいに保たれている印象でした。
・設備:7/10
部屋にはシャワーが付いているものの、トイレは部屋の外にしかないという謎の作りでした。
タオルはあるもののアメニティー類はないのでご注意を。
ドライヤーはあるのに湯沸かし器はないという、これまたちぐはぐな設備で、お湯をもらうためにいちいちフロントにお願いするのはかなり面倒でした。
・wi-fi:9/10
室内で問題なく接続できます。
写真のアップロードも比較的早くでき、満足でした。
・雰囲気:8/10
部屋は意外と広々としており、太陽の光が差し込んでかなり明るい印象だったのが高評価。
ホステルではないので他の宿泊客とのコミュニケーションは望めないものの、一人でのんびりと羽を伸ばすには最適な環境だと思います。
総合:8.5/10
ブルサで最安値の部類のホテルでしたが、全く問題なく快適な滞在が遅れました。
本当に湯沸かし器だけは惜しいところで、これさえ置いてあればかなりの高評価。
従業員の感じも皆良く、もう少し長く滞在したいと感じたホテルでした。(もう少し料金が安ければ)
【この宿を料金確認・予約する!】
【ブルサの宿の予約はこちらから!】
おわりに
ブルサの観光名所や名物グルメ、伝統文化を感じられる体験などをできる限り詳しく紹介してきました。
まだまだ知名度が低い場所ですが、イスタンブールからも近いという地理的な利点もあるため、きっと人気の観光地として有名になるのではないかと思います。
トルコという国のエッセンスがギュッと詰まったブルサは、誰もが満足できる何かがある町。
オスマン帝国の始まりの地の栄華と伝統を感じる旅へ、出かけてみませんか。
コメント