こんにちは!ジョージア滞在ももうすぐ1年半、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
首都・トビリシの東に位置するカヘティ地方(Kakheti / კახეთი)。
ジョージアを代表するワインの名産地として知られ、有名観光スポットもいくつか点在するエリアです。
カヘティ地方はジョージアで最大の面積を誇ることもあり、なかなか日帰りで周遊することは難しいのですが、今回紹介するのはトビリシから1時間もかからずにアクセスできるスポット。
それがこちらのニノツミンダ修道院(Ninotsminda Monastery Complex / ნინოწმინდის მონასტერი)です。
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緑でいっぱいのカヘティ地方の大地を一望する修道院は、周囲を城壁に囲まれた鉄壁の要塞のよう。
独特のデザインが特徴的な鐘楼(ベル・タワー)が天に向かって突き出し、まるで中世の風景を眺めているような感覚になります。
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かつて修道院の敷地内には、ドーム型天井を持つ立派な聖堂が建っていましたが、地震によって崩壊してしまったため現在残るのは壁の一部のみ。
その現実離れした光景も、この場所に独特の雰囲気を与えているかのようです。
今回の記事はニノツミンダ修道院の観光に必要な情報を解説するもの。
「こんなに素晴らしい場所が無名だなんて信じられない…」
そう感じたほどにおすすめなので、トビリシ滞在中にぜひ足をのばしてほしいです!
ニノツミンダ修道院の歴史
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ニノツミンダ修道院の歴史はかなり古く、675年までには最初の教会が建てられたとされています。
伝説によると、4世紀初頭(1700年前)にジョージアにキリスト教を布教させる目的の巡礼旅をしていた聖ニノが、当時の首都・ムツヘタへ向かう途中でこの場所に立ち寄って休養したそう。
彼女が休んだ場所の上がそのまま現在のニノツミンダ修道院となっているのです。
「ニノツミンダ」という修道院と村の名前自体も、ジョージア語で「聖ニノ」という意味です。
ジョージアを旅するなら絶対に知っておくべき人物が聖ニノ(Saint Nina / წმინდა ნინო)。
カッパドキア(現在のトルコ)出身の彼女は、コーカサス地域でキリスト教を布教するための旅をし、320年頃(1700年前)に東ジョージアへと到達しました。
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▲ 彼女が布教の旅の際に持っていたと言われているのが、二本のぶどうの木の枝を自身の髪の毛で結び付けた、ちょっとなで肩っぽい形の十字架。
これは「聖ニノの十字架」と呼ばれるもの。
国内各地の教会や修道院のどこでも見られる「ジョージア正教のシンボル」となり、現在でも人々の信仰の対象となっています。
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聖ニノは当時の首都であったムツヘタに到着し、数々の奇跡を起こしたことで有名。
当時の国王ミリアン3世は彼女が起こした奇跡に感激し、327年にキリスト教を国教とすることを認めました。
こうして、ジョージアはお隣アルメニアに次ぐ「世界で二番目のキリスト教国」となったわけです。
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その後、度重なる異民族の侵入や地震によって何度も破壊されたニノツミンダ修道院ですが、そのたびに修復と増築が繰り返されてきました。
ニノツミンダ修道院が最後に再建されたのは18世紀半ばのこと。
当時のカヘティ地方は独立状態にあり、カヘティ王エレクレ2世による統治下の黄金時代。
それまでは無かったドーム型の天井が聖堂上部に新しく設置され、豪華な装飾が施されていたそうです。
エレクレ2世(Erekle II / ერეკლე II)は、東ジョージア一帯を支配していたサファーヴィー朝(現在のイラン)の衰退期である18世紀半ばにカヘティ王国の王位についた人物。
軍事の才能に恵まれていたとされ、1762年にはお隣のカルトリ地方を支配下にすることに成功。
トビリシを首都としたカルトリ・カヘティ王国を独立させます。
それまでは約400年ほど大国の支配下にあった東ジョージア一帯を再統一した功績は、現在でも多くの人々に語り継がれています。
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また、エレクレ2世は北に位置するロシア帝国と軍事・政治面での結び付きを強め、カルトリ・カヘティ王国の経済を急速に発展させたことでも有名。
首都のトビリシには、数百年ぶりに栄光の時代が訪れました。
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いっぽうで、その後のジョージアの運命は、ロシア帝国に併合→ソ連時代と散々なことに。
その意味では、最初にロシア帝国に近づく政策をとったエレクレ2世が、ジョージア近代史の分岐点を作った人物であると言えるかもしれませんね。
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近代ジョージア東部の信仰の中心地として黄金時代を経験したニノツミンダ修道院でしたが、予想もしない悲劇がおそいます。
それが、1824年に起こった大地震。
エレクレ2世時代に取り付けられたばかりのドーム型天井は崩落し、聖堂は正面の壁だけを残して崩壊してしまいました。
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その後、聖堂は再建されることはありませんでしたが、地震による被害が少なかった鐘楼や城壁などは当時のままに残されており、まるで要塞のような造りのニノツミンダ修道院を象徴するものとなっています。
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ソ連時代には修道院での宗教活動が禁止されていたため、数十年間放置されることになりましたが、ソ連から独立後に再び修道院としての機能が復活。
現在では女性修道院として、修道女たちが祈りを捧げながら慎ましく生活を送る祈りの場。
カヘティ地方の人々に愛される存在であり続けています。
ニノツミンダ修道院の見どころ
ニノツミンダ聖堂
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ニノツミンダ修道院の敷地の中心にあるのが、かつての聖堂。
1824年の大地震によって天井は崩落し、正面の壁を残してほぼ全壊した状態となっています。
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大地震が起こる70年ほど前、エレクレ2世の治世下に新しく設置されたドーム天井は、当時のカヘティ王国の繁栄を表したかのような贅沢な造りでした。
しかし、完成したドーム型天井を実際に見たエレクレ2世は不満だったそう。
「お前は聖堂を見事に装飾したが、同時に聖堂を殺してしまった」と建築家に述べたと言われています。
エレクレ2世の正しさを裏付けるかのように、70年後の大地震の際にはこのドーム型天井の独自の造りが仇となり、聖堂自体が全壊してしまうこととなりました。
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現在、聖堂(の残骸)自体は祈りの場としての機能を果たしてはいないものの、奇跡的に残った正面部分の壁はニノツミンダ修道院を象徴する風景となっています。
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栄光の時代から、大地震で一晩にして廃墟となったニノツミンダ修道院の聖堂。
修復されることなく残されたかつての建物の壁や、風雨にさらされて色褪せていくだけのフレスコ画だけが、当時の黄金時代を静かに物語っているようでした。
鐘楼(ベル・タワー)
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大地震の被害が少なかった鐘楼(ベル・タワー)は、他ではあまり見られない独特の外壁の装飾が特徴的。
四層構造の細長い建物の外壁は、レンガで作られた十字架とひし形の模様でびっしりと覆われています。
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鐘楼の先は修道女たちの生活スペースとなっており、観光客の立ち入りは禁止されています。
鐘楼自体への立ち入りも不可能だったのが残念…。
城壁
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ニノツミンダ修道院を特徴づけるのが、周囲360°を屈強な城壁に囲まれている点でしょう。
ジョージア他地域に比べると平野部が多いカヘティ地方。
このエリアの修道院では、外敵の侵入に対抗するために要塞のような造りの修道院が好まれたようです。
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ニノツミンダ修道院の城壁にはいくつかの塔があり、外敵の侵入などの非常時には近隣の住民を匿って生活するためのスペースとなっていたそうです。
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まるでヨーロッパの古城を思わせる城壁と、不思議な模様の鐘楼、ほぼ全壊したままの聖堂跡が生み出す不思議なコントラストが、この場所の現実離れした雰囲気を演出しているのかもしれません。
ニノツミンダ修道院絶景ポイント
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修道院の敷地内の見学なら、30分足らずで済んでしまうでしょう。
多くのジョージア人旅行者はそれで帰ってしまうのですが、のぶよ的にはかなりもったいないと思います。
ニノツミンダ修道院の異世界感あふれる光景を100%味わうなら、修道院北側に位置する絶景ポイント(地図はこちら)まで足をのばすのがおすすめ。
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地図アプリにも載っていないような絶景ポイントは、完全にのぶよ自身が歩き回って見つけたもの。
ほとんど平坦な道ですが、最後の数十メートルだけ急な坂となります。
坂を上りきったところで後ろを振り返ると、そこには目を疑うような絶景が。
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この時は5月中旬の新緑の季節。
天に突き出すようにそびえる鐘楼と修道院を囲む城壁が、一面緑色の大地の中で浮かび上がっているかのようでした。
絶景ポイントは東向きなので、午前中は完全なる逆光となるでしょう。
絶景狙いの場合は昼過ぎくらいの時間帯に訪れるのがベストだと思います!
ニノツミンダ修道院へのアクセス・行き方
ニノツミンダ修道院観光マップ
トビリシからニノツミンダ修道院への行き方
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ニノツミンダ修道院へのアクセス拠点はトビリシ。
市内南西部のサムゴリ・バスステーションからサガレジョ(Sagarejo / საგარეჯო)行きのマルシュルートカを利用します。
20分に1本とかなりの頻度で出ているので、簡単に利用することができます。
終点のサガレジョは、修道院があるニノツミンダ村の2.5kmほど先にある地方都市。
マルシュルートカは修道院入口すぐそばを通るので、途中下車することになります。
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マルシュルートカを降りた地点から修道院までは200mほどの平坦な道を歩くだけ。
ジョージアの修道院は山の中にあることが多く、アクセスに難ありの場所が多いのですが、ニノツミンダ修道院に関しては歩くのが苦手な人でも問題なく観光できるのもメリットです。
ニノツミンダ修道院からトビリシへの戻り方
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観光後にトビリシに戻るのも簡単。
到着時に降りた地点と反対車線で、20分に1本のマルシュルートカを待っていれば良いだけです。
トビリシの到着地はサムゴリ・バスステーション。
近くにはのぶよおすすめのムツヴァディ(ジョージア風BBQ)の食堂もあるので、ビール片手に休憩していくのもおすすめです!
トビリシ~シグナギ間を移動しながら観光するプラン
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ニノツミンダ修道院が位置するのは、トビリシ~シグナギ間の幹線道路沿い。
トビリシからの日帰りでニノツミンダ修道院を訪れるプランも良いですが、シグナギへと移動がてら観光するプランも効率的です。
シグナギへと移動がてら観光するプランの場合は、ニノツミンダ修道院の近郊にある見どころもセットでまわるのがおすすめ。
すべて合わせても丸一日あればまわれます。
マナヴィ城塞
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チャイルリ城塞
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トビリシからタクシーをチャーターすれば、立ち寄りながら移動するのも簡単。
個人でマルシュルートカ(ミニバス)を乗り継ぎながらの観光&移動も不可能ではありません!
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1日かけて幹線道路沿いの各スポットに立ち寄りながら移動→シグナギに宿泊というプランがおすすめです!
おわりに
異世界に迷い込んでしまったかのような光景が見られるニノツミンダ修道院を紹介しました。
知名度は全く持ってありませんが、とにかくおすすめ。
こんなに素晴らしい場所が、トビリシから簡単&格安で日帰りトリップできてしまうのですから、ジョージアという国のポテンシャルはすごいものがあると思います。
トビリシ拠点のデイトリップ先に関しては別記事でまとめているので、そちらも参考にしてください!
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