こんにちは!3週間滞在したイスタンブールをようやく脱出した、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
カッパドキアの玄関口となる空港があるカイセリ(Kayseri)は、多くの旅行者にとってただの経由地。
みんな空港からシャトルバスでカッパドキアの町へと直行してしまうのですが、かなりもったいないです。
オスマン帝国が支配する以前に、アナトリア(トルコのアジア側)を支配したセルジューク朝の建造物が多く点在するカイセリ中心街も素晴らしいのですが、今回紹介するセルジューク朝博物館(Selçuklu Uygarlığı Müzesi)も見逃せないスポット。
博物館というと、「出土品が並び、歴史を紹介する説明書きがウダウダ書かれている」というイメージを持って敬遠してしまう人も多いでしょうが、カイセリのセルジューク朝博物館はとにかくすごいです。
言葉が分からなくても、五感で歴史や文化を学べる超ハイクオリティーの展示を誇りながらも、格安すぎる入場料であるのも魅力的。
900年前のセルジューク朝の時代へ、タイムスリップしてみましょう。
セルジューク朝博物館のすごいところ1:セルジューク朝の歴史がタッチパネルで学べる!
「そもそも、セルジューク朝とは何ぞや?」という人も多いでしょう。
世界史を学んだのぶよも、「そういえばテストに出たなあ」くらいの知識レベルでした。
知識ゼロでも大丈夫。
セルジューク朝博物館では、難しい説明書きはありません。
タッチパネル式の画面を使って、インタラクティブにセルジューク朝の歴史が学べるのです。
↑1016年当時(セルジューク朝成立前)のトゥルク民族の分布(赤色)
セルジューク朝とは、中央アジアの遊牧民族であったトゥルク人によって、1038年に現在のカザフスタンで興ったイスラム政権です。
ノマド(遊牧民)であったトゥルク人はどんどん西進し、1055年にはバクダッド(現在のイラク)を陥落。
1071年には、当時アナトリア半島(現在のトルコのアジア側)を支配していたビザンツ帝国を打ち破り、イスタンブール以東の大部分を支配します。
↑1078年のセルジューク朝支配地域(赤)、ビザンツ帝国領土(紫)
多くのイラン人を官僚として登用したため、イラン=イスラーム文化が花開くこととなり、アナトリア半島にその影響が及んだのもこの時代。
当時の工芸品や建築にも、その一端を垣間見ることができます。
しかしながら、拡大しすぎた領土を統治するのは難しいもの。
1095年の十字軍(西欧のキリスト教国家による、イスラム撃退のための軍)の侵攻をきっかけに、地方分裂が始まります。
↑1122年、アナトリア、シリア、イラク等に分裂したセルジューク朝
こうして衰退が続いていったセルジューク朝は、13世紀のモンゴル帝国軍の侵略によって消滅することとなります。
↑1264年、モンゴル帝国(黄色)によって侵略されていくセルジューク朝
長い歴史の中で見ると、たった200年足らずだったセルジューク朝によるアナトリア支配。
しかしながら、トルコの歴史にとってはかなり大きな意味を持ちます。
というのも、現在のトルコ人の起源となるのが、セルジューク朝時代にアナトリア地方にやってきたトゥルク人だったため。
初めてトルコにイスラムをもたらしたのも彼らで、後のオスマン帝国はすでにイスラム化して数百年経っていた地方政権による統治が始まりでした。
こんな風に、子供でも外国人でも感覚的に、楽しく歴史を学べるように工夫されているのがセルジューク朝博物館のすごいところ。
説明書きのほとんどはトルコ語ですが、そんなの関係なく誰でも理解できるようになっているのです。
セルジューク朝博物館のすごいところ2:博物館自体がセルジューク朝の建築物!
セルジューク朝の建築様式は、中央アジア文化とイラン=イスラーム文化が融合した独特のもの。
セルジューク朝支配化になかったトルコ西部(イスタンブール、イズミルなど)とは、もはや同じ国とは思えないほどに異なっています。
建築様式がうんぬんと説明されたところで、ピンとこないタイプののぶよ。
それでも全く問題ありません。
なぜなら、セルジューク朝博物館自体が、セルジューク朝時代に建てられたマドラサ(イスラム教の学院)を利用して整備されているためです。
石を加工した建築や工芸を得意としたセルジューク朝。
一見するとゴツゴツして堅いイメージですが、細部の装飾などはかなり繊細なのが特徴的です。
敷地内には石の棺やアラビア文字で掘られた紋章などが展示されており、当時の技術力の高さを知ることができます。
また、当時のままに残された建物の石壁には、800年前に掘られた文字が残っているのも見逃せません。
セルジューク朝博物館のすごいところ3:セルジューク朝の芸術作品に実際に触れられる!
セルジューク朝博物館の展示は、歴史や建造物に留まりません。
中央アジア~ペルシャ~アナトリアと、広い地域にわたる支配によって見事に融合した芸術作品もかなり見ごたえがあります。
陶器や磁器は、かなりアジア色が強いデザインが特徴的。
保存状態も良く、美しい色使いが見事に残っています。
↑当時の硬貨
素晴らしいのが、当時の出土品を3Dで再現したタッチパネルが導入されている点。
一部しか発掘されていないものや、他の博物館に展示されているものなどを、あたかもそこにあるように鑑賞できる素晴らしいアイディアだと思います。
何よりもすごいのが、実際の出土品に触れることができる点。
いや、「触れる」というよりも、「持ったり、撫でたり、匂いを嗅いだりできる」と言った方が正しいかもしれません。
青銅製のランプや石彫りの小物など、実際に自分の手で触れて、その質感や重さを確認することが可能なのです。
セルジューク朝博物館のすごいところ4:セルジューク朝の文化を五感で体験できる!
セルジューク朝博物館では、当時の一般の人々の生活に関する展示も充実しているのもポイント。
博物館の至る所に、当時の人々の生活の様子が描かれた絵や芸術作品が展示されています。
中央アジア起源の民族とだけあって、人々の風貌や服装はかなりアジア的。
なんだか親近感が感じられます。
のぶよが感動したのが、当時の服装をバーチャル体験できる展示。
画面の前に立つだけで、何も言わずとも着せ替えしてくれます。
男性用、女性用、祭事用などいろいろな種類がありますが、どれもなんだかゆったりとした野暮ったい印象。
こんなものを着て毎日の生活をするなんて、ただの苦行にしか思えません(笑)
これ以外にも、当時の人々の生活が体験できる工夫がたくさん。
例えば、「当時の生活音」が再現された通路。
子供たちのはしゃぎまわる声や、馬の鳴き声、石を打つ音などに包まれていると、まるで900年前にタイムスリップしたかのような感覚になるはずです。
セルジューク朝博物館のすごいところ5:セルジューク朝の医学を体感できる!
セルジューク朝時代の文明の発展は、医学やヒーリングなどの分野においても顕著でした。
現在セルジューク朝博物館がある建物は、かつて世界で初めての医学学校として開設されたもの。
ここからも、セルジューク朝がどれだけ医学分野において発達していたのか想像できます。
蝋人形の展示で、当時の治療の様子が再現されているのですが、セルジューク朝博物館の実力派こんなものではありません。
博物館内には照明が落とされた「ヒーリングコーナー」なるものがあり、当時使われていた音や光の明暗によるヒーリング(治癒)を実際に体験できるのです。
まるでスパにいるかのような、幻想的な雰囲気の中に響く、心地よい弦楽器の音。
セルジューク朝時代では、「音」が健康にもたらす効果が信じられており、弦楽器や打楽器を使った治療が行われていたそうです。
おわりに:セルジューク朝博物館の一番すごいところ
とにかく全力でおすすめしたいセルジューク朝博物館。
あまり馴染みのない「トルコ初のイスラム政権」について、楽しく学ぶことができます。
トルコと言えばオスマン帝国時代のイメージが強く、イスタンブールで見られるモスク等は全てこの時代のもの。(イスタンブールはセルジューク朝の支配下になかったため)
それ以前にトルコのイスラム化を進めたセルジューク朝に焦点を当てたスポットはトルコ国内でも珍しく、トルコ民族の起源を理解するのにはとても重要な場所です。
セルジューク朝博物館の何がすごいかというと、このクオリティーの展示にもかかわらず、入場料がたった2TL(=¥37)という衝撃の安さ。
チャイ(紅茶)1杯分の値段です。信じられません。
最先端の設備を用いて、誰でも楽しんで学べるように工夫がなされたミュージアムでこの値段は、正直安すぎると思います。
(経営大丈夫なんだろうか)
カイセリを訪れた際は、チャイ(紅茶)を一杯我慢して、この素晴らしすぎる穴場スポットをゆっくりと堪能してください。
というか、この博物館を訪れて、トルコという国の歴史をより深く理解するためにカッパドキアからカイセリへと足をのばす価値があると思います。
インフォメーション
セルジューク朝博物館(Selçuklu Uygarlığı Müzesi)
営業時間:9:00~17:00 (6月~9月:~19:00) ※月曜休館
料金:2TL(=¥37)
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