古代人もリノベーションがお好き?アルバニアのブトリント遺跡がすごい【歴史・見どころ解説】

古代人もリノベーションがお好き?アルバニアのブトリント遺跡がすごい【歴史・見どころ解説】

こんにちは!アルバニア旅行を満喫中、世界半周中ののぶよ(@taisuke5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)

アルバニア最南端の都市・サランダからさらに南へ20kmほど。
ギリシャとの国境の目と鼻の先にあるのが、世界遺産のブトリント遺跡(Butrint)です。

その起源は紀元前8世紀にまで遡り、古代ギリシャ、ローマ帝国、ビザンツ帝国など、かつてこの地を支配してきた大国の歴史が感じられる遺跡が随所に点在しているのが特徴的です。

何も知らずにブトリントを訪れても、「うわー遺跡だ!すごーい!写真撮ろう~」で終わってしまうことでしょう。
実際に多くの観光客(主にギリシャから日帰りでやって来るリゾート客)は、数千年の歴史がある遺跡でただ自撮りに励んで去って行く人ばかりでした。

そんなの本当にもったいない。
ブトリントは、2900年前へとタイムスリップしてアルバニアの歴史を追うことができる場所なのです。

今回の記事では、ブトリント遺跡の主な見どころはもちろん、その歴史を簡単に紹介します。

ブトリント観光の拠点となるサランダからのアクセスも載せているので、参考にしてください。

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ブトリントの歴史

ブトリントの長い歴史は、リノベーションに次ぐリノベーションの連続

日本でも古民家改装なんかが流行っていますが、ブトリントの場合はスケールが違います。

古代ギリシャ時代の祭殿を改築したローマ時代の劇場、ローマ時代の邸宅を改築した宮殿など、かつてこの地に君臨していた支配者の入れ替わりを感じさせられます。

「2400年前の建物が2000年前の建物に改装され、その建物が遺跡として現在残っている」と言えば、気の遠くなるような歴史とブトリントのすごさが感じやすくなるのでは。

様々な大国によって、その支配権が入れ替わってきたブトリントですが、結局は長い間土の下に埋もれて日の目を浴びることはありませんでした。

「夏草や  兵どもが 夢の跡」
そんな句が浮かんでくるような、ブトリントの歴史を簡単に解説していきます。

ブトリントの建造~古代ギリシャ時代:宗教・交易の中心地

ブトリントがこの地に町として造られたのは紀元前8世紀のこと
およそ2800年前のことです。

もはや神話の域ほどの過去の出来事なのですが、トロイの木馬で有名なトロイア(現在のトルコ)がギリシャ軍によって陥落した際に、この地に逃れてきた人々が作ったブトゥロツム(Buthrotum)という町がブトリントの起源であるとされています。

紀元前4世紀ごろには、当時強大な力を持っていた古代ギリシャの一部分となったブトリント。
島状になっているブトリントの町を取り囲む城塞が築かれ、町の中心の丘の上にはアクロポリスが築かれました。
この頃から、町は祭祀が行われる宗教的な場所としての性格を徐々に持ち始めます。

この地で崇められていたのは、ギリシャ神話の医学の神であるアスクレピウス(Asclepius)
この時期にアスクレピウスを祀って建てられたチャペルの遺跡は現在でも残っています。

↑古代ギリシャ時代のアスクレピウスの聖域。ローマ時代には市民の生活の場にリノベーションされた

ローマ帝国支配時代:商業・交易の中心地として発展

紀元前228年に、ブトリントはローマ帝国の領土となります。

ローマ風浴場やヴィラ(邸宅)、噴水など古代ローマ帝国の典型的な都市計画によって様々な施設が作られ、ギリシャ時代は宗教的な側面が強かったブトリントは、一般市民の居住地として発展していきます。

ローマ帝国の建築技術は素晴らしく、島状のブトリントへと水を運ぶ水道橋(現在は残っていない)が築かれ、地中海貿易の中継地として数百年に渡って発展し続けます。

↑かつて対岸から水を引く水道橋があった城壁部分

ビザンツ帝国時代~ベネチア共和国時代:忘れ去られた町へ

ローマ帝国の東西分裂によって、ビザンツ帝国領となったブトリントは、それまでの商業・交易の中心からキリスト教会の中心地として定められ、再び宗教的な性格を持った町となります。

それまでブトリントの発展を支えてきた商業・交易は衰退していき、長い間続いたブトリントの繁栄は幕を下ろします。

15世紀になると、当時アドリア海を中心に領土を広げていたベネチア共和国のオスマン帝国に対する防衛拠点として再び注目を浴びたブトリント。

ベネチア共和国によって城塞が補強され、敵の侵入を見張るための砦が築かれました。

この頃には、古代ブトリントの遺跡のほとんどはすでに土に埋もれてしまっていました。

↑ビザンツ帝国時代のモザイク画

近代:ブトリントの発見

ブトリントが再び脚光を浴びたのは、1927年のこと

オスマン帝国支配から独立したアルバニアに多くやって来ていたイタリア人考古学者の手により、土の下に埋もれた古代都市が発見されたのです。

人々が驚嘆したのは、古代ギリシャから中世のビザンツ帝国までのキリスト教文化の遺跡が完璧な形で土の下に眠っていたという点。

長い間オスマン帝国の支配を受けたアルバニアですが、ブトリントを含むアルバニア南部はギリシャとの結びつきが強く、オスマン帝国の建築様式が全く混ざっていないブトリントの遺跡はかなり貴重だと言えます。

ブトリントの見どころ

ブトリントの長い歴史の中で、様々な大国がこの地を重要な拠点とみなしてきたことがお分かりいただけたのではないでしょうか。

ここからは、ブトリント遺跡内の見どころを解説していきます。

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1.ベネチアン・タワー

入場料700Lek(=¥700)を支払ってブトリント遺跡に入場した人を出迎えてくれるのが、15~16世紀建造のベネチアン・タワーです。

15世紀~16世紀にこの地を対オスマン帝国防衛の最前線とみなしていたベネチア共和国によって築かれた見張り塔は、アドリア海沿岸の多くの町で見られるベネチア風建築様式が特徴的です。

2.古代劇場

ブトリント遺跡のハイライトの一つと言えるのが、紀元前4世紀に造られた、古代ギリシャ風建築の劇場です。

当時は、ギリシャ神話の医学の神であるアクスレピウスを祀るための聖域として築かれたものだと考えられているそう。

その後、ローマ帝国時代にはローマ風の円形劇場に改装され、かつての宗教的な場所から市民の娯楽のための場所へと変化しました。

劇場があるエリアは、アスクレピウスの聖域として紀元前4世紀頃(ギリシャ時代)に整備されたもの。
その後のローマ時代には、町の生活の中心として整備されました。

3.ローマ式浴場

アクスレピウスの聖域の一部にあるのが、後のローマ時代に作られたローマ式浴場跡

2世紀の建造だと考えられており、ローマ式浴場に良く見られるコロン(円柱)の土台などが完璧な形で残っています。

4.フォーラム

かつてのアスクレピウスの聖域の端に築かれたのが、ローマ時代のフォーラム

フォーラムとは、市民が集まる集会所のような役割を果たしていた施設で、政治や祭祀などの重要な決め事が話し合われていたそうです。

5.トリコンク宮殿

ローマ時代のヴィラ(邸宅)の跡に5世紀ごろに建てられたものが、トリコンク宮殿(Trikonk)でした。

広大な敷地のトリコンク宮殿内には、”トリコンク”=三角形のダイニングルームがあったそうです。

さぞ豪華な宮殿だったのでしょうが、現在ではその土台が残るのみとなっています。

6.洗礼堂跡

ブトリント遺跡のハイライトの一つである、6世紀初頭建造の洗礼堂跡

キリスト教社会で重要な意味を持つ洗礼の儀式が行われていた場所で、円形の敷地内には建物を支える柱の跡が残っており、神聖な空気が感じられます。

床部分には精巧なモザイク画が残っているのですが、日光や風雨による風化を防ぐために、普段は砂で覆われていて見ることができません。

7.大聖堂跡

初期キリスト教建築の傑作である大聖堂は、6世紀の建造。

聖堂の壁やファサードなどがかなり完璧な状態で残っており、圧巻のひとことです。

地面の一部分には、当時聖堂の床を覆っていたモザイク画の一部が残っており、観光客も見ることができます。

8.ライオン・ゲート

2400年前に築かれたブトリントの城塞は、その後の支配者たちによって改築・増築が行われました。

城塞の外から中へ入る門がいくつか築かれ、その一つがこちらのライオン・ゲート

その名の通り、牡牛の首を射止めるライオンのレリーフが飾られています。

このレリーフは2400年前当時の城壁にはつけられておらず、5世紀ごろビザンツ帝国時代に付け足されたもの。
(レリーフ自体は紀元前6世紀の神殿にあったもので、この場所にわざわざ持ってこられたそう。)

レリーフの設置によって入口が低くなり、いざというときの防衛がしやすくなるようにしたそうです。

「1600年前(5世紀)に、2600年前(紀元前6世紀)のレリーフを2400年前(紀元前4世紀)建造の城壁に設置する」
もはや意味が分からなくなってきますが、ブトリントのリノベーション古代都市を象徴するような場所です。

9.ベネチアン・キャッスル

かつて古代ギリシャ時代にはアクロポリス(丘の上に築かれた城)があったブトリント中央部の丘。

現在では、ミュージアムを内包するベネチアン・キャッスルが建っています。

もともとは14世紀~16世紀ごろのベネチア共和国時代に築かれた城だったのですが、現在のものは1930年代に再建された比較的新しいものです。

歴史的価値はあまりないものの、ここからの眺めは最高。

ブトリントを含む周辺地域は、ラムサール条約にも登録されている湿地帯で、大自然が広がります。

ブトリント観光の最後に、美しい景色を眺めながら、かつてこの地で暮らした人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

ブトリントへのアクセス、モデルルート

サランダからブトリントへの行き方

ブトリントへのアクセスの拠点は、サランダです。

路線バスが1時間に1本の割合で走っており、簡単にアクセスすることができます。

サランダのバス停は、市内中心部のバスステーション代わりとなっている友情公園(Friendship Park)南側にある路線バス停です。

ブトリントでは、バスは遺跡入場口から100mほど手前の大型バス駐車場に停車し、サランダへの帰りも同じ場所からの出発になります。

サランダ~ブトリント

所要時間:40分
料金:100Lek(=¥100)

ブトリント観光の所要時間・モデルプラン

ブトリント観光自体は、所要時間2~3時間ほど

サランダからのデイトリップも余裕です。

ブトリント観光だけだと、時間を持て余してしまうので、サランダへ戻る途中にあるクサミル島(Ksamil)へ立ち寄ることをおすすめします。

クサミル島は、入浴剤を入れたような美しい色のビーチが広がるリゾート地。
夏場の暑い日に遺跡を観光した後で、ビーチにダイブ!なんて最高のデイトリップになりそうです。

のぶよのおすすめは、ブトリントを午前中に観光したあと、バスでクサミル島へ立ち寄って絶景のビーチ鑑賞&海水浴、その後サランダに戻るというデイトリップ。

ブトリント遺跡は午前中の方が団体観光客が少なく、暑さもましなのでおすすめです。

サランダ~クサミル島~ブトリントは全て同じ路線バスでアクセスできるので、迷うこともありません。

おわりに

のぶよ的にかなり興味深かったブトリント遺跡。

リノベーションに次ぐリノベ-ションがもたらした独自の遺跡からは、アルバニアという国が持つ長い歴史が感じられます。

歴史に興味があっても、そうでなくても大丈夫。
「長い歴史に比べたら、自分の存在なんてちっぽけなもの」と感じられる、そんな壮大なスケールに圧倒されるでしょう。

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