こんにちは!ジョージア滞在も間もなく1年半、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
ジョージア南東部に位置するクヴェモ・カルトリ地方は、首都のトビリシからすぐであるにもかかわらず、旅行者がほとんど訪れない穴場スポットだらけのお宝エリア。
古くから多くの民族が行き交ってきたコーカサス地方を象徴するかのように、アルメニア人/アゼルバイジャン人/ギリシャ人…などジョージア人以外の民族が生活する村が点在しているのも特徴的。
ジョージア国内にいながら異文化が感じられる面白い地域でもあります。
今回紹介するのも、「ジョージアのエスニックスポット」の一つ。
200年ほど前にドイツ人入植者によって築かれたアスレティ村(Assureti / ასურეთი)です。
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村へと一歩足を踏み入れると、そこはもうジョージアではありませんでした。
ジョージアではまず見かけない木組みの家や、几帳面に感じるほど真っすぐにのびるストリート…
「ドイツの古き良き山奥の村」といった風景が目の前に広がるのです。
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アスレティを訪れた旅行者は、「どうしてこんなど田舎にドイツ人の村が?」と不思議に思うはず。
それもこれも、ロシア帝国やソ連といった超大国の支配下にあったジョージアという国の縮図のようなもの。
ドイツ人入植者の生活の跡をたどることで、大国の思惑に翻弄され続けた人々の運命を肌で感じることができるでしょう。
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今回の記事は、アスレティ村の観光情報を解説するもの。
トビリシから1時間もかからずに、個人で簡単に行けるのも嬉しい点。
ジョージアの地方部にしてはかなりアクセスしやすい部類です。
異国情緒たっぷりの静寂に満ちた村で、この地で苦労しながらも生活を送った人々に思いを馳せましょう。
アスレティ村の歴史
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現在のアスレティ村がある場所には、もともとジョージア人の集落が存在していました。
しかし18世紀末まで続いたサファーヴィー朝(現在のイラン)の支配下で村は破壊され、無人に。
その後数十年間は完全に放置された状態となります。
コーカサス地域にドイツ人の入植者が初めてやってきたのが1818年のこと。
ドイツ南西部のスヴァビア(Swabia)地方にルーツを持つ人々がトビリシ近郊に自分たちの集落を作ったのが始まりです。
この地にやってきたドイツ人入植者のほとんどは、当時のロシア帝国に居住していた人々。
彼らはアスレティ川沿いに広がる廃村に定住し、自分たちの村を「エリザベトタル(Elisabethtal)」と名付けました。
「エリザベトタル」の村名は、当時のロシア帝国皇帝・アレクサンドル1世の妻であるエリザベータに由来しているそうです。
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1820年代になると、ジョージア南東部(やその他コーカサス地域)に入植してくるドイツ人の数は徐々に増え、自分たちのコミュニティーを形成し始めます。
勤勉で真面目と言われる国民性を反映してか、入植者たちはこの場所での生活を一からスタートすることに尽力。
・村に残された廃屋を修復→ドイツ風の木組みのデザインを取り込む
・ドイツ風に真っすぐに整備したメインストリート沿いに計画的に民家を建造
・荒れ地を開拓して自給自足生活の基盤を築き上げる
・ジョージアの現地人に伝授された方法でワインを生産するワイン工場を建設
こうした努力の結果、エリザベトタルはジョージア南東部のドイツ人入植者による村の中ではかなり裕福な村であったそうです。
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エリザベトタルの繁栄を象徴する存在が、現在でも村の中心に位置するドイツ風の教会。
入植から50年後の1871年に完成したもので、村人たちの信仰の対象として愛される存在でした。
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最初の入植から100年以上が経った1930年代は、ジョージアのドイツ人入植者にとっての最盛期。
エリザベトタルをはじめ、ジョージア南東部のドイツ人の人口は2万4千人ほどにも膨らんでいたそうです。
このまま黄金時代が続くと思われたエリザベトタルでしたが、その歴史の終焉はあっけなくやってきました。
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1941年6月に、ナチス率いるドイツ軍がソビエトに侵攻。
第二次世界大戦の独ソ戦に突入したのです。
当時ソビエト支配下にあったジョージアでは、ドイツ人は「敵国の人間」。
当時のエリザベトタルのドイツ人の大半は現地で生まれ育った人で、母国ドイツを知らない世代がほとんど。
それにもかかわらず、「敵国の血を引いている」「ファシストの国の人間」という理由から、現地のジョージア人による差別や暴力など、身の危険を感じながらの生活を強いられる日々が始まります。
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独ソ戦勃発後しばらくして、当時のソ連最高指導者であったスターリンは、コーカサス地域に住むドイツ人住民を強制的に中央アジアへと送還する政策をとります。
その結果、2万4千人ほどいたジョージア領内のドイツ人のうち2万人以上が中央アジア送りとなり、彼らは二度とこの地に戻ってくることはありませんでした。
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その後スターリンがとった政策は、ドイツ人住民がほぼいなくなったエリザベトタルにジョージア山岳部地域からジョージア人を移住させるというものでした。
「エリザベトタル」というドイツ語風の村名は、元の「アスレティ」に戻され、現在ではドイツ人の血を引く人は10人にも満たないそう。
その中でもドイツ語を話す人はさらに限られ、村全体でもう3、4人しか残っていないそうです。
「元々はジョージア人の村→→ドイツ人の村に→再びジョージア人の村に」と、数奇な運命をたどったアスレティですが、今にも崩れそうな木組みの民家や、整然と連なるストリートは当時のまま。
可愛らしい民家が建ち並ぶ村を散策していくうちに、激動の時代に翻弄された人たちの生活の香りがかすかに残っていることに気が付くはずです。
アスレティ村の見どころ
アスレティ村観光マップ&まわり方
アスレティ村はとても小さく、ドイツ風の民家が連なるメインストリートのシュヴァベン通りが観光のハイライト。
教会やドイツ人墓地なども、全てこのメインストリート沿いに位置しています。
ドイツ風の町並みを見学しながらシュヴァベン通りを往復するだけなら1時間もかからないほど。
村を一望する絶景ポイントだけが、中心部からやや距離がある&高台に位置しているので、足をのばす場合は往復で+30~40分ほど見ておきましょう。
アスレティ村は観光地では全くないため、レストラン等は一軒もありません。(村の入口に商店が1軒だけある)
ランチなどは済ませてから訪れる or 軽食を持参するのがおすすめ。
(ドイツビールとソーセージが食べられるレストランとかあれば素敵だと思うけど、観光地化されるのも嫌なので複雑な気分)
①ドイツ教会
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アスレティ村を象徴する建造物が、ドイツ風の教会。
ドイツ発祥のプロテスタントのルター派の流れを組むもので、外観を一目見るだけでもジョージア正教の建造物とは全く異なったものであることがわかります。
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「アスレティ村の歴史」の項で解説した通り、この教会が完成したのは1871年の8月29日のこと。
現在の建物は後に改装されたものですが、教会入口上部には完成した日付が刻まれたブロックが当時のままに埋め込まれています。
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教会内部はかなりシンプルな造りだそうで、祈りの場としてはもうほとんど機能していないそう。
普段は扉に鍵がかかっていて、中に入ることはできません。
②シュヴァベン通り
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アスレティ村のメインストリートとなるのが、南北に1kmほど続くシュヴァベン通り(Schwaben St.)。
ソ連統治時代には「スターリン通り」と呼ばれていましたが、200年前のドイツ人入植者が自身のルーツであるスヴァビア(Swabia)地方からとった「シュヴァベン」という名前が再びオフィシャルなものとなりました。
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通りの両側には、ドイツの田舎町を思わせるような木組みの家がズラリ。
どの家も「完全にドイツの家そのまま」というわけではなく、ジョージア東部地域で多く見られる木製テラスを備えたものとなっています。
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この木製テラスは、スターリンの政策によってドイツ人入植者が強制退去となった後にジョージアの山岳地帯からやってきた人々が、取り付けたものだそう。
正面から見ると木組みのドイツ風、横から見るとテラスを備えたジョージア風と、二つの建築様式が融合した独自の民家。
シュヴァベン通り沿いには合計で40軒ほど、こうした民家が残っています。
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外壁を木組みにして三角や四角のデザインを加える様式は、ドイツ語で“Fachwerk”と呼ばれるそう。
自国から遠く離れたこのコーカサスの山奥で、少しでも自分たちの文化を守ろうと考えた当時の人々の努力が伝わってくるようです。
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アスレティ村に残るドイツ風の木組みの民家の内部は、3~4の部屋に分かれていて、それぞれダイニング/リビング/寝室の役割を持っていたそう。
各部屋には装飾を施した竈が設置され、調理と暖房を兼ねていたそうです。
200年前の村の生活は自給自足が基本だったため、各家庭の土台部分はまるまる食糧庫として利用されていました。
小麦粉、ドライフルーツ、穀物、ハムなど保存食の役割を果たすものが主食として食べられていたそうです。
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1941年に村のドイツ人のほとんどが強制退去となった後で、新しくやってきたジョージア山間部出身者がいまだに住み続ける家もあれば、完全に放置されて朽ちていくのを待つだけの家も。
現在のところ、アスレティ村は観光地として開発されているわけではなく、せっかくのドイツ風の民家の保存状態もバラバラ。(6割くらいは廃墟)
いっぽうで、村人の中では「ドイツ人入植者が残した遺産を観光資源として活用しよう」といった意見も出ているそうです。
③ドイツ人墓地
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メインストリートのシュヴァベン通りを北に1kmほど歩いた村はずれには、ドイツ人墓地がひっそりと残っています。
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入植者が村を築き上げた1818年から強制退去となる1941年までの約120年間、祖国から離れたこの地の発展に尽力した人々が眠る墓地。
一面の緑に囲まれた静寂の中で、だんだんとドイツ色が薄れていくアスレティ村を見守っているように感じました。
④ジョージア正教会&絶景ポイント
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アスレティ村の散策を楽しんだ後に立ち寄りたいのが、村の南側の高台に位置するジョージア正教会。
人口のほとんどが正教会の信者となった現在のアスレティ村では、中心部のドイツ風教会ではなくこちらが住民たちの信仰の場として機能しています。
教会自体はどこにでもある普通のジョージア正教会なのですが、少し下った地点からはアスレティ村の全景を望むことができます、
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ドイツにはあまり詳しくないのぶよですが、街道沿いにオレンジ屋根の民家が整然と建ち並ぶ光景は完全にドイツの山奥の村の風景に見えました。(ドイツに詳しい方、いかがでしょうか?)
少なくとも、アスレティのようにぴっしりと造成された村は、ジョージアの地方部で見たことがありません。
アスレティ村へのアクセス・行き方
アスレティ村があるのは、首都のトビリシの南西30kmほどの地点。
個人でのアクセス方法は大きく分けて二通りあります。
①トビリシでタクシーチャーター:1台30GEL(=¥989)~
②テトリツカロ行きのマルシュルートカを途中下車
①タクシーチャーターの場合は、アスレティ観光とセットで周辺の見どころを訪れるのが◎
(その場合、チャーター料金はもちろん上がるので要交渉)
②マルシュルートカ(乗り合いミニバス)利用の場合でも、難易度はかなり低め。
格安&便利にアクセスできるので、のぶよ的にはこちらがおすすめ。
ここからは、マルシュルートカ利用でのアスレティへのアクセス情報を解説していきます。
トビリシ→アスレティへの行き方
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トビリシからアスレティが終点のマルシュルートカは存在せず、テトリツカロ(Tetritskalo / თეთრი წყარო)行きのものを途中下車してのアクセスとなります。
トビリシでの発着地は、市内南東部にあるサムゴリ・バスステーション ▼
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トビリシ~テトリツカロ間は30分~1時間に1本のマルシュルートカが走っているので、比較的簡単に移動できます。
運転手に「アスレティ村に行きたい!」と乗車時に念押ししておけば、村の入口のバス停付近で降ろしてくれるでしょう。
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アスレティ→トビリシへの戻り方
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アスレティ観光を終えてトビリシに戻る際も、テトリツカロ→トビリシ方面のマルシュルートカに途中から乗車します。
到着時に降りた村の入口のバス停の反対車線で、30分~1時間に1本通るマルシュルートカを気長に待ちましょう。
注意したいのが、目的のマルシュルートカが来たら手を挙げて合図を送る必要がある点。
ただバス停付近で立っているだけでは停まってくれません。
アスレティ観光とセットで訪れたい見どころ
アスレティ村の観光自体は最大で2時間もあれば十分。
トビリシからの単純往復でも良いのですが、時間と体力に余裕があるなら近郊の見どころをセットで観光するのもスマートです。
ここでは、アスレティ村観光とセットでプランニングしやすい2つの見どころ(=どちらも同じ幹線道路沿いにある)を紹介します。
天空へのゲート!サムシュヴィルデ
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アスレティ村からさらに西に行った場所にあるサムシュヴィルデ(Samshvilde / სამშვილდე)は、1000年前にアルメニア王国の支配下で繁栄した都市の跡。
「天空のゲート」と呼ばれる聖堂跡が観光のハイライトとなっています。
サムシュビルデには歴史的にアルメニア人が多く住んでおり、ジョージア屈指の多民族エリアであるクヴェモ・カルトリ地方の多様性を感じられるのも◎
“黒衣の騎士伝説”が根付くRPGの世界!シャヴナバダ修道院
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トビリシから南西に10kmほど。小高い丘の上に凛と佇むシャヴナバダ修道院(Shavnabada monastery / შავნაბადა)も、アスレティ村へ至る幹線道路の途中に位置しています。
まるでRPGの世界から飛び出してきたかのような現実離れした修道院の敷地は見ごたえ抜群。
トビリシの人が信じる「黒衣の騎士伝説」の舞台となったミステリアスなスポットという一面も持ち合わせています。
おわりに
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ドイツ人入植者がたどった数奇な運命を現在に伝えるアスレティ村に関するアレコレを解説しました。
全く持って知名度のない場所ですが、建築に興味がある人やジョージアの歴史を深く知りたい人にはおすすめ!
ドイツの地方部を思わせる村の風景は、イメージしていた以上に「ドイツ」でした。
地方部ながら閉鎖的な雰囲気ではなく、村人たちがみんな笑顔で挨拶してくれたのも印象に残っている点。
英語は全く通じませんが、なんだか心がぽっと温かくなるような素敵な村でした。
ジョージアらしくない独特な町並みの中で、地方部らしいのどかな雰囲気を肌で感じるにはぴったりな場所だと思うので、トビリシ滞在中に足をのばしてみてはいかがでしょうか。
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