こんにちは!ジョージア滞在も丸3年!世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
ジョージア中部に位置するシダ=カルトリ地方の南部、小コーカサス山脈の深い山々に囲まれたザマ渓谷を旅してきました。
ザマ渓谷には合計で81もの修道院が点在しており、修道僧が神に祈りながら生きる「祈りの谷」さながらの場所。
ジョージア人の間でもほとんど知られていないような穴場中の穴場エリアです。
見どころがたくさんあるザマ渓谷ですが、のぶよが最も感動したのが、ザマ渓谷中央エリアに位置するムゾヴレティ修道院(Mzovreti Monastery / მზოვრეთის მონასტერი)でした。
ザマ渓谷全体を一望する切り立った岩山の頂上に建つムゾヴレティ修道院は、孤高の聖地感をひしひしと感じるたたずまい。
一見すると城塞のように見えますが、それもそのはず。
中世に防衛目的で建設された城塞をそのまま利用して、現在は修道院として機能しているのですから。
「ムゾヴレティ修道院」というのはこの場所の正式名称なのですが、地元の人々はこの場所に敬意を込めてこう呼びます。「修道僧の楽園」と。
なぜこの場所が、修道僧たちにとって「楽園」とされるのか…
それは、実際にムゾヴレティ修道院を訪れてみれば肌で感じることができるはずです。
数日前に実際にこの「楽園」を訪れたのぶよですが、あまりの神々しさに圧倒された後の余韻のような脱力感がいまだに残っているほど。
スピリチュアル的なものにはとんと疎いですが、ものすんごいパワースポットだと思います、ここ。
今回の記事は「修道僧の楽園」こと、ムゾヴレティ修道院への訪問レポート。
詳細なアクセス方法も解説しているので、異空間に迷い込みに行きたい旅行者は参考になるはずです!
「修道僧の楽園」とは?知られざる歴史
ムゾヴレティ修道院の前身となる城塞がいつ建設されたのかは、現在でも定かではありません。
修道院が位置するザマ渓谷は、古くからシルクロード交易で栄えたシダ=カルトリ地方と、さらに南に位置するクヴェモ=カルトリ地方を結ぶ地理的な要所。
そのため、人や物資の往来を見守る目的と異民族の侵入に備える目的を兼ねて、見晴らしの良い岩山の頂上に城塞が建設されたと考えられています。
麓のオルトゥバニ村の人によると「6世紀(1500年前)にはすでに城があった!」とのことですが、こういう地元民の言葉は眉唾であることもしばしばあるのがジョージアという国。
とにかく、大昔から城塞があったことは間違いありません。
最も古い文献によると、10世紀(1100年前)にはすでに城塞が完成しており、ザマ渓谷一帯エリアを治めていた諸侯が居住していたことは分かっているものの、それ以前の歴史はベールに包まれています。
11世紀~13世紀前半(1000年前~800年前)にかけての中世ジョージア王国黄金時代から、13世紀前半~15世紀初頭(800年前~600年前)の異民族の侵入による激動期までのおよそ400年間は、城塞の内部に住民が居住する城塞都市として機能していたことも判明しています。
1400年:ティムールの侵攻
11世紀~13世紀前半にかけての中世ジョージア王国の黄金時代が終焉すると、ジョージア一帯は度重なる異民族の侵攻を受ける激動の時代を迎えます。
13世紀半ばのモンゴル帝国襲来時こそ陥落しなかったこの城塞でしたが、1400年に中央アジアからティムールが襲来した際には標的となります。
ティムールの攻撃によりジョージア東部の町がことごとく廃墟と化していく中で、西へと避難を続けていた当時の国王・ギオルギ8世を匿ったのが、人里離れたザマ渓谷に位置するこの城塞内部に住む住民でした。
しかしながら、ティムールによる攻撃はとうとうザマ渓谷にも及ぶことに。
ギオルギ8世は、城塞西側の見張り塔の地下に掘られた秘密の通路からなんとか逃げることができましたが、城塞に住んでいた人々はほぼ全滅しました。
この場所での戦いはかなり熾烈なものだったそうで、「城塞へと続く山道が住民の血で真っ赤に染まった」と言い伝えられているほどです。
ティムールの侵攻によって住民が全滅した城塞都市はその後数百年間放置されることとなりますが、17世紀(400年前)に再建されて再び人が居住するように。
しかしながら19世紀(200年前)にはまたしても放置されることとなり、荒廃が進みます。
2008年:「修道僧の楽園」の完成
人が住まなくなってから200年間、荒れ放題だった山の上の廃城塞。
21世紀に入ってこの場所にやって来たのは、トビリシ出身の修道僧たちでした。
彼らはこの岩山と周囲のザマ渓谷の風景に神聖なものを見いだし、「神に近づくための理想郷」としてこの地で生活をしはじめます。
修道僧たちは荒れ果てた城壁を修復し、敷地内に礼拝用のチャペルを3ヶ所建設します。
同時に、自分たちの生活スペースとして炊事場や寝室を造り、2008年にこの場所は修道院として機能するように。
ここに、ムゾヴレティ修道院としての新たな歴史がスタートします。
一般的な修道院の建設はここで一区切りとなりますが、ムゾヴレティ修道院の僧たちはこの場所をさらに理想郷に近づけようと考えました。
それが、聖書に登場するシーンやモチーフを修道院の敷地内に具現化するというプロジェクト。
有名なアダムとイヴの話や、聖ヨハネに関する話、キリストが磔にされたゴルゴタの丘を模した花壇…など、聖書内に描かれる話を元に修道院内の庭園を整備し、建物を増築してていったのです。
こうして完成したのが、まるでRPGゲームに出てくるような異世界感あふれるムゾヴレティ修道院の風景。
修道僧たちが信じる聖書の世界を現実に具現化した空間は、まさに「修道僧の楽園」の呼び名にふさわしいものです。
「修道僧の楽園」は、神に近づける場所だった。
数奇な歴史をたどってきた城塞の中にあるムゾヴレティ修道院は、聖地としての歴史こそ浅いものの、神聖の極みそのものな威厳ある雰囲気でたたずんでいます。
修道院が建つ岩山の頂上までの道のりは、長く険しいもの。
まるで修行を思わせるような道を一歩一歩登っていくごとに、空気がピリッと張りつめていくような感覚になります。
麓のオルトゥバニ村から40分ほど続く急勾配の上り坂の先にあったのは、異教徒であろうと神の存在をすぐ近くに感じられるような空間でした。
孤高のロケーション
ムゾヴレティ修道院でまず特筆すべき点が、下界からの訪問者を拒むかのような孤高のロケーション。
大地に聳える岩山の頂上に位置する修道院と、麓のオルトゥバニ村との標高差は250m近くもあり、下から眺めるだけでも圧倒的な存在感が感じられます。
高さ数十メートルにも及ぶ城壁と、その上に築かれたチャペルの不思議なコンビネーションは、ムゾヴレティ修道院のシンボルのような風景。
道のりは長く険しいものですが、聖地に近づくにつれて胸が高鳴るのを感じます。
ようやく山道を登りきって修道院の入口部分に到着したら、敷地内を案内してくれる修道僧を待ちます。
ムゾヴレティ修道院の敷地内は勝手に見学することができず、必ず修道僧と一緒にまわる決まり。
修道僧は内部のオブジェや建造物について詳しく説明をしながら案内してくれますが、英語は解しません。(ジョージア語かロシア語のみ/無料)
したがって、現地語が分からない場合は、予め聖書の内容とジョージア正教にまつわる歴史や慣習を知っておく必要があります。
聖書をモチーフにした庭園
修道僧に案内されるままに敷地内に入ると、そこに広がるのは色とりどりの花々に彩られた庭園。
黒い十字架の後ろには、キリスト教社会に古くから伝わる『三本の木』の話になぞらえたオリーブ、オーク、松が並んで植えられています。
小高い山の頂上にオリーブ、オーク、松の三本の小さな木が立っていました。三本は小さい時からとても仲良し。大人になったら何になりたいかいつも話し合っていました。
オリーブの木は立派な宝箱になって、金銀・宝石を入れることを夢見ていました。ある日、森にやって来た木こりによって、オリーブは切り倒されます。オリーブの胸は高鳴りました。しかし、職人たちが作業を始めると、どうやら自分は宝箱にされるのではないことに気付きます。職人たちは、臭くて汚らしい動物の餌入れを作っていたのです。夢を砕かれたオリーブは、自分には生きている価値などないと嘆きます。
オークの木は、財宝を積んで海を渡る大きな船になりたいと思っていました。木こりに切り倒されたとき、オークは胸を躍らせました。しかし、やがて職人たちが作っているのが大きな船ではないことに気付きます。オークは小さな漁船にされたのです。オークは失望します。
松の木は、高い山のてっぺんに立っていました。松はただずっとこの場所に立ち続け、自分の立派な姿を通して人々に神の偉大さを伝えることを願っていました。しかし突然の稲妻によって、あっという間に地面に倒され、その夢を砕かれます。やって来た木こりによって、松は材木置き場に運ばれて行きました。
三本の木はそれぞれ、自分たちにはもう価値がないと考え、絶望しました。彼らの夢はどれ一つとして叶いませんでしたが、神は別の役割を三本の木に用意しておられました。それからずっと後、マリアとヨセフ夫妻が出産の場所を探していました。二人はようやく馬小屋を見つけ、産まれた幼子イエスを飼い葉桶の中に寝かせました。
その飼い葉桶こそ、宝箱になりたがっていたオリーブでした。神は、宝石よりもっとずっと大切な宝、ご自分の息子をオリーブに抱かせたのです。
時がたち、イエスは成長しました。ある日、イエスは湖を渡るためのボートを探していました。イエスが選んだのは、大きくて立派な船ではありませんでした。イエスに選ばれた小さくて簡素なその漁船こそ、あのオークの木でできたものでした。オークは、王様たちを運びたいと思っていました。しかし、神はより素晴らしい役目をオークのために用意しておられました。オークは「王の中の王」を運んだのです。
それからまた数年が経ちました。ある日、稲妻で倒された松の木が置かれている場所にローマ兵たちがやってきました。松は、ばらばらにされて薪にされることを覚悟しました。しかし、以外にもローマ兵は枝を2本だけ取り、それで十字架を作りました。それこそ、イエスが磔にされた十字架でした。その十字架は今日に至るまで、人々に神の愛と御恵みを伝え続けています。
▲ 城壁の上に突き出た煙突のてっぺんには、小さな雄鶏のオブジェが飾られています。
キリスト教において、雄鶏は懺悔の象徴。
使徒ペテロがキリストを裏切った際に雄鶏が鳴いて、ペトロは自分の弱さに目覚め、胸を打って激しく泣き出したことが聖書に記されています。
このように、ムゾヴレティ修道院内の庭園にはキリスト教にまつわるシンボルが所狭しと散りばめられている異空間。
植樹やオブジェの設置は修道僧たちが自ら行ったもので、遥か昔に聖書内に抱かれた世界が現代に再現されたかのようです。
城塞からの絶景
庭園を見学した後は、城壁の上へと続く階段を上っていきます。
城壁の上から見えるのは、ムゾヴレティ修道院の敷地内全体を見渡す絶景。
まるでファンタジーの世界に迷い込んでしまったかのような、異世界感にあふれた風景には目を疑います。
修道院の建物や庭園はもちろん、ザマ渓谷の谷間や小コーカサス山脈の山々までも一望する風景は、まるで天空の城に来てしまったかのよう。
周囲はとにかく静寂に包まれており、聖地らしい厳かな雰囲気が肌で感じられます。
神とともに生きる僧たちとの出会い
ムゾヴレティ修道院は、現役の祈りの場かつ修道僧の生活の場として機能しており、彼らがどのような生活をしているのか垣間見ることができます。
「ジョージアの修道僧」とひとことで言っても、その生活スタイルは場所によって大きく異なるもの。
車に乗って町まで気軽に買い物に出る修道僧や、スマホ片手にyoutube鑑賞をする修道僧もいれば、厳しい戒律を守りながら隠遁生活を送る修道僧もいます。
では、ここムゾヴレティ修道院の僧たちの生活がどうなのかというと、驚くほどに厳しいもの。
修道僧のほぼ全員が下界に降りることはほとんどなく、24時間365日この城壁の内側で過ごしているのだそうです。
この場所では電波も届かないため、スマホやインターネットとも無縁。
まさに、中世ジョージアの修道院で営まれていた生活様式が、現代に再現されているかのようです。
また、ムゾヴレティ修道院の僧は、1日の生活リズムも常人離れしています。
わずかな食事時間と休憩時間、1日たったの3時間だという短い睡眠時間を除いた大半の時間を、神への祈りの時間に捧げているのです。
ムゾヴレティ修道院の中でも最も厳しく戒律を守っている修道僧長は、年齢も30代前半といったところ。
ジョージアの修道院全体を見ても、この年齢で修道僧長というのはかなり若く、異例だと思います。
黒いローブをまとい、木の杖を持ち歩く修道僧長の姿は、魔法使いさながら。
しかし近くで顔を見ると、焦げ茶色の澄み切った目がとても印象的な人物でした。
まるでこの世界の穢れにいっさい触れて来なかったかのような、純朴な目線。
言葉は完全に通じなくても、まるでこちらの心の内側を見透かしてくるような目のまま、修道僧長は朴訥とした口調で語りかけてきます。(「日本から来た」と言うとなんだかちょっと嬉しそうだった)
いくつかの会話を交わした中で最も印象的だったのが、彼が語ったある言葉でした。
「修道僧は自分自身が何かを考えたり、何かを思ったり、何かを欲したりすることは一切ない。ただ神の意志を感じるためだけに、この世界に存在している。」
そう語り終わるやいなや、祈りを捧げる定位置らしい城壁の上部にやおら戻っていく修道僧長。
別の僧いわく、「あそこ(城壁上部)からはここまで登ってくる人の姿が見えるから、実は修道僧長も訪問者が来て案内するのを楽しみにしているんだ」とのことでした。
「修道院で祈りを捧げながら生きる僧」と聞くと、なんとなくとっつきにくいイメージがあるもの。
しかしながら、この「修道僧の楽園」に篭って神の思し召しのままに生きる僧たちにとって、下界からの訪問者との会話は最大の娯楽であり休息。
自分に厳しい戒律を課して生活している修道僧長でさえ、来訪者をひそかな楽しみにしているのかもしれません。
孤高の聖地であり、神に最も近い場所ながらも、キリスト教徒ですらない他所者にも「楽園」への扉は開かれています。
のぶよがこの場所を訪問したのはつい数日前のことなのですが、この目で見たファンタジーな建造物や、この耳で聞いた僧たちから聞いたキリスト教にまつわる話、さらには出会った僧たちの存在に至るまで、まるですべてが夢の中の出来事であったかのように感じています。
ジョージアで「聖地」とされる場所を色々と訪れて来ましたが、ここまで自分の内面に入り込んで来て感情を揺さぶり、意識の中に余韻を残しつづけていく「聖地」は初めて。
キリスト教徒ではないですし、スピリチュアル系にも縁がない人間ですが、「きっとあの山の上の聖地には人智を超えた何かがある」と信じたくなる…そんなパワースポットのような不思議な場所でした。
「修道僧の楽園」へのアクセス・行き方
「修道僧の楽園」ことムゾヴレティ修道院があるのは、ジョージア中部のシダ=カルトリ地方に位置するオルトゥバニ(Ortubani / ორთუბნი)という村。
オルトゥバニ村の中心から2kmほど登った先の岩山の頂上にたたずんでいます。
ご想像の通り、アクセスは絶望的に不便ではあるものの、個人で移動&観光するのも不可能ではありません。
その場合は、以下の3ステップで移動する必要があります。
①ジョージア他都市→カレリへアクセス
オルトゥバニ村をはじめ、ザマ渓谷へのアクセス拠点となるのがカレリ(Kareli / ქარელი)という町。
とても小さな町ではあるものの、この地域の中心的な町としてそれなりに栄えています。
カレリへのアクセス拠点となるのは、トビリシ/ゴリ/ハシュリのいずれかの町。
いずれの町からも鉄道とマルシュルートカの二種類の交通手段があります。
いっぽうで、クタイシからカレリへのアクセスは、かなり不便なので個人的にはおすすめしません。
クタイシ~カレリ間の直行のアクセス方法は、クタイシ~トビリシ間の1日1本の鉄道のみ。
マルシュルートカの場合は直行便がないため、クタイシ→ハシュリ→カレリと乗り継ぐ必要があります。
カレリへの鉄道
ほとんど知られていないのですが、トビリシ~ボルジョミ間には1日2往復のローカル鉄道が走っており、カレリの鉄道駅にも停車します。
ジョージアの鉄道チケット予約サイトTkt.geの検索では表示されないのですが、ちゃんと存在しているのでご安心を。
ジョージア鉄道の公式サイトでは時刻表も掲載されています。
トビリシ発着だけでなく、途中駅のゴリやハシュリなどでの途中乗下車が可能であるのもポイント。
ゴリやハシュリ、ボルジョミなど沿線の駅から、直接カスピへとアクセスすることももちろん可能です。
便番号 | トビリシ発 | ゴリ発 | カレリ着/発 | ハシュリ発 | ボルジョミ着 |
618 | 6:35 | 8:25 | 8:55 | 9:20 | 10:45 |
686 | 18:50 | 20:40 | 21:00 | 21:35 | 23:10 |
(太字は現実的に利用しやすい便)
便番号 | ボルジョミ発 | ハシュリ発 | カレリ着/発 | ゴリ発 | トビリシ着 |
617 | 5:55 | 7:30 | 8:05 | 8:25 | 10:11 |
685 | 15:30 | 17:05 | 17:41 | 18:00 | 20:05 |
(太字は現実的に利用しやすい便)
トビリシでの発着駅はトビリシ中央駅(Tbilisi Central Station)。
ゴリとハシュリでは、それぞれの町に一つしかない鉄道駅の発着です。
いずれの町から乗車する場合でも、駅構内のチケット売り場であらかじめチケットを購入する必要があります。
カレリ側の鉄道発着ポイントは、中心街の東端に位置するカレリ鉄道駅。
鉄道駅~カレリ中心街間は徒歩10分ほどです。
カレリへのマルシュルートカ
鉄道のスケジュールが予定と合わない場合は、マルシュルートカ(乗り合いミニバス)を利用しての移動も可能です。
各都市~カレリ間の直行マルシュルートカの詳細情報は以下の通りです。▼
カレリ側のマルシュルートカ発着ポイントは、中心街西側のロータリー付近です。
②カレリ→オルトゥバニ村へ移動
鉄道/マルシュルートカのいずれかでカレリに到着したら、オルトゥバニ村へと向かいます。
タクシー
カレリ中心街西側のロータリー付近には客待ちのタクシーが常に待機しているので、問題なく乗車ができるはず。
料金は交渉次第となりますが、だいたい以下の通りです。▼
・カレリ~オルトゥバニ村片道:20GEL(=¥1000)
・カレリ~オルトゥバニ村往復(観光時の待機時間込み):50GEL~70GEL(=¥2500~¥3500)
・カレリから1日チャーターしてザマ渓谷の見どころを周る:100GEL~150GEL(=¥5000~¥7500)
注意したいのが、カレリからのタクシーで行けるのはオルトゥバニ村の中心部までである点。(トビリシやゴリなどほかの町からでも同様)
オルトゥバニ~修道僧の楽園は普通の車では登れないほどの急坂&悪路となっており、4WDが必須となるため、普通のタクシーではまず行ってくれません。
マルシュルートカ
カレリ~オルトゥバニ間は、いちおうマルシュルートカを利用しての移動も可能です。
しかしながら、スケジュールや路線的にかなり不便である点は否めません。
この区間の移動に利用できるのは、以下の2種類の路線▼
①トビリシ~カレリ~オルトゥバニ~グヴェルジネティ(Gverdzineti)間マルシュルートカ
・トビリシの発着地:ディデゥベ・バスステーション【MAP】
・運行頻度:1日1往復(トビリシ発14:00/グヴェルジネティ発8:00)
・所要時間:1時間40分
・料金:11GEL(=¥550)
②カレリ~ズグルディ(Zghurdi)間マルシュルートカ
・運行頻度:1時間に1本(11:00~17:00の間)
・所要時間:20分
・料金:2GEL(=¥100)
①のトビリシ~カレリ~オルトゥバニ~グヴェルジネティ間の便は、オルトゥバニの中心部を通過するので便利そうですが、1日1往復の絶望的に不便なスケジュールなのがネック。
この便を利用しての日帰り観光は不可能で、オルトゥバニ村に宿泊する必要があります。(が、オルトゥバニには宿泊施設はいっさいない)
②のカレリ~ズグルディ間マルシュルートカは本数的には比較的利用しやすいものの、オルトゥバニ村から4.5km手前のズグルディ(Zghurdi)が終点なのが難点。
ズグルディ~オルトゥバニの残りの区間を1時間ほどは歩かなければならないのがネックです。
徒歩
タクシーをつかいたくない&絶望的に不便なマルシュルートカについてあれこれ考えるのが面倒&自分の足で行けない場所などないと信じている、そんなのぶよタイプの人は、カレリ~オルトゥバニ間を徒歩で移動してしまうのもアリ。
距離にして15km/3時間強の道のりで、高低差は全体で200mほど。
とてもゆるやかな上り坂の舗装道路が延々と続くだけの道のりなので、普通に体力がある人であれば余裕です。
この区間には、ザマ渓谷の他の見どころが点在しているのもポイント。
徒歩で各スポットに立ち寄りながら修道僧の楽園を目指すプランもおすすめです!
③オルトゥバニ村→修道僧の楽園へ移動
タクシー/マルシュルートカ/徒歩のいずれかの手段でオルトゥバニ村中心部に到着したら、「修道僧の聖地」はもうすぐそば。
しかしながら、最後に待ち受けているのはものすごい悪路の急坂が続く2kmほどの区間です。
オルトゥバニ~修道僧の楽園間は、舗装道路を敷く工事が半分ほど終わっているものの、残りの半分はものすごく険しい坂の砂利道。
徒歩で片道40分ほどはかかりますし、体力のない人にはかなり厳しい道のりです。
また、この道は普通車では登れないレベルの悪路であるため、タクシーをチャーターした場合でもオルトゥバニ村までしか行ってくれません。
そのため、最後は自力で聖地へとアクセスする必要があります。
「この急坂を登るのはちょっと…無理…」という人は、オルトゥバニの村人が自分の4WD(日産デリカだった)を走らせて修道僧の楽園まで送迎するサービス?ビジネス?を行っているので、それを利用するのも一つの手。
料金は完全に交渉次第となりますが(&向こうも生活がかかっているのでふっかけてきますが)、高くても1人15GEL(=¥750)ほどだと思います。
苦労して訪れた先に見えた聖地の姿は、さらに極上で神々しいものに感じるはず。
道のりはとにかく険しいですが、周囲に広がるザマ渓谷の美しい風景には感動間違いなしです!
おわりに
「修道僧の楽園」ことムゾヴレティ修道院への訪問レポートと、「私も行ってみたい!」と思った人向けのアクセス情報を解説しました。
今思い返しても、ものすごいパワースポットだったのだろうと強く感じるほど。
キリスト教徒でなくとも、聖書についての知識がなくとも…実際に修道院を訪れれば何か感じるものがきっとあるはずです。
ムゾヴレティ修道院が位置するザマ渓谷には、他にも祈りのパワーに満ちた場所がたくさん。
ジョージア最大のパワースポットかもしれない「祈りの谷」で、この国に息づくキリスト教文化を五感で感じる旅に出てみては?
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