こんにちは!モンテネグロ滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
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モンテネグロ中部、山に囲まれた盆地に位置する小さな町・ツェティニェ(Cetinje)。
舌を噛みそうな名前のこの町は、「モンテネグロ人の心のふるさと」と言われることも。
モンテネグロ国家が成立した15世紀から20世紀の長い間、同国の首都だった歴史があるためです。
そんなツェティニェに漂う雰囲気は、静かで上品なもの。
他のモンテネグロの町とは全く異なる、文化的な香り漂う素敵な町です。
何も知らずにツェティニェを観光したところで、「山の中のおしゃれな町」としか思わないことでしょう。
それは本当にもったいない。
ツェティニェには、モンテネグロ国家500年の歴史が詰まっているんです。
今回の記事では、ツェティニェの観光スポットをまわると同時に、関連するモンテネグロの歴史や人物を簡単に紹介していきます。
少しでも歴史を知っていれば、ツェティニェ観光がかなり印象深くなるはずですよ。
ツェティニェ観光の前に知っておきたい!モンテネングロの歴史上の四人の人物
今回の記事では、ツェティニェはもとより、モンテネグロの歴史に大きな影響を与えた四人の人物に焦点を当てて、彼らに関連する見どころを紹介していきます。
まずは、モンテネグロの歴史において大きな役割を果たした人物たちとツェティニェの歴史を簡単に見ていきましょう。
15世紀:イヴァン・ツルノイェヴィッチによりツェティニェが首都に
モンテネグロの国家としての始まりは15世紀のこと。
当時強大な勢力を誇っていたオスマン帝国の侵略に対して、首都を次々と移転することで対抗したのがイヴァン・ツルノイェヴィッチ(Ivan Crnojević)でした。
最終的に、切り立った山々に囲まれた何もない盆地に首都を定め、ツェティニェという名を付けたツルノイェヴィッチ。
信仰の中心としての修道院や政治を行うための宮殿を建設し、信仰・政治の中心としてツェティニェの歴史が始まります。
1830年:ペータル二世による近代化
ツルノイェヴィッチによる町の造成以降、長らく平和に首都としての役割を担ってきたツェティニェ。
修道院を中心とした神政政治が行われ、そのトップにいたのがヴラディカ(Vladika)と呼ばれるスラブ社会における主教公でした。
中世~近世においてヴラディカの座についていたのは、ツェティニェ近くのニェグシ(Njeguši)村のペトロヴィチ・ニェゴシュ家(Petrović-Njegoš)の人たちでした。
現在では生ハムとチーズで有名なニェグシ村ですが、実はモンテネグロの歴史においてとても大切な場所でもあったんです。
ヴラディカを担っていたペトロヴィチ・ニェゴシュ家は、依然として強大な勢力を誇るオスマン帝国の朝貢国家として、どうにか小国モンテネグロの独立を維持します。
そんな平和な時代の転換点となった際のヴラディカが、19世紀前半のペータル二世(Petar II Petrović-Njegoš)。
モンテネグロの信仰・政治の中心的存在として絶大な権力を誇った彼は、それまでの修道院中心の神政政治に疑問を持ち、税制度を導入したり政府機能を修道院から自身の下へ移したりすることでモンテネグロの近代化を推し進めた人物です。
ペータル二世は、国の近代化を背景にモンテネグロ王国の領土を広げようとしたため、それまではある程度良好な主従関係を保っていたオスマン帝国との軋轢が生じ始めます。
1851年:ダニーロ一世によるオスマン帝国からの独立
ペータル二世没後は、甥にあたるダニーロ一世(Danilo I Petrović-Njegoš)がヴラディカの座に着きます。
彼はそれまでの神政政治を嫌い、ヴラディカを廃止することでモンテネグロを王国化し、自分が国王の座に就こうと考えました。
しかしそれを認めなかったオスマン帝国との間で、1852年に戦争が勃発。
ダニーロ一世は、当時オスマン帝国と共に超大国として存在していたロシア帝国に助けを求め、オスマン帝国からモンテネグロの独立を守ることに成功します。
(これが一つの引き金となり、1855年にロシアとオスマン帝国の間で露土戦争が勃発します)
しかしながら、ダニーロ一世の国王になるという野望はついに叶うことなく、夢半ばで暗殺されてしまいます。
1910年:ニコラ一世
ダニーロ一世の突然の死によって公(ダニーロ一世によってすでにヴラディカ制度は廃止されていた)の座に就いたのは、当時弱冠19歳であった、ダニーロ一世の息子にあたるニコラ一世(Nikola I Petrović Njegoš)でした。
ニコラ一世がモンテネグロ史において果たした役割はとても大きなものでした。
露土戦争後の1878年に、ロシアに敗れたたオスマン帝国からの正式な独立が国際的に認められたモンテネグロ。
ヨーロッパ諸国の大使館をツェティニェに建設したことや、父のダニーロ一世の野望であったモンテネグロの王国化を1910年に成功させ、自身が初代国王の座に就いたことなど、数々の功績を残しています。
長きに渡って国のトップの座に居続けたニコラ一世ですが、人生そううまくはいかないもの。
第一次世界大戦中には、モンテネグロはオーストリア=ハンガリー帝国によって占領されてしまいます。
ニコラ一世はフランスへと亡命しながらも、モンテネグロ国王としての地位を主張し続けましたが、その主張は通ることはありませんでした。
第一次大戦後、モンテネグロはセルビアに占領され、共産主義のユーゴスラビア連邦としての道を歩むことに。
ここでツェティニェの500年に渡る首都としての役割は終わりを迎えることとなったのです。
歴史を感じながらまわりたい、ツェティニェの観光スポット
長くなってしまいましたが、バルカン半島の小国であるモンテネグロの歴史は、常に大国の思惑に翻弄され続けてきたもの。
長らくその首都として栄えたツェティニェには、そんな時代の中でも国家としての威厳を守ろうとした人々に思いを馳せられるような、魅力的な観光スポットが点在しています。
ここからは、上で紹介した四人の人物にまつわるツェティニェの観光スポットを時代順に紹介していきます。
最短観光ルートではないものの、モンテネグロの歴史を自分の足でたどることができますよ。
ツェティニェ観光地図
黄色:バスステーション
緑:修道院裏の絶景スポット
青:観光スポット
1.ヴラシュカ教会
ツェティニェ中心街にひっそりと建つヴラシュカ教会は、1450年に造られた歴史あるもの。
教会の建立からしばらくして、イヴァン・ツルノイェヴィッチによってツェティニェが首都と定められることとなります。
首都として発展する前に造られた由緒正しいヴラシュカ教会ですが、幾度の戦乱により破壊されてしまいました。
現在建つものはは19世紀に再建されたものです。
2.イヴァン・ツルノイェヴィッチ像
15世紀にツェティニェを首都としたイヴァン・ツルノイェヴィッチを讃える銅像は、ツェティニェの中心のドヴォルスキ広場の片隅にひっそりと立っています。
ツェティニェの、そしてモンテネグロの創始者とも言えるツルノイェヴィッチが果たした役割はとても大きい物。
ツェティニェが「モンテネグロ人の心のふるさと」と言われるゆえんも、その始まりの地であるためです。
3.ツルノイェヴィッチ修道院(旧ツェティニェ修道院)
1479年、イタリアに滞在していたツルノイェヴィッチは、ロレントという町で純潔のメアリーに捧げられた教会を訪れます。
その際、「自国に戻った際には同じように純潔のメアリーに捧げる修道院を造る」と約束しました。
彼の約束が果たされたのは、それから間もない1484年のこと。
モンテネグロの首都に戻ったツルノイェヴィッチは、この地に修道院を築き、政治、経済、宗教の中心地としてのツェティニェの地位を確固たるものにしました。
旧修道院の建物は17世紀にオスマン帝国によって破壊されてしまいますが、のちの初代モンテネグロ国王・ニコラ一世によって、正教会のチャペルが修道院跡地に建てられました。
4.ツェティニェ修道院
ツェティニェの一番の見どころといえるツェティニェ修道院。
ツェティニェを首都と定めたイヴァン・ツルノイェヴィッチが、政治の中心として建造したツルノイェヴィッチ宮殿の跡地に建てられたものです。
幾度となくオスマン帝国によって破壊されてきた修道院ですが、そのたびに信心深いモンテネグロの人々によって再建されて現在の姿となります。
現在でもモンテネグロの信仰の中心であるツェティニェ修道院には、多くの人が祈りに訪れる場所。
また、修道院内部の宝物庫のコレクションはバルカン諸国髄一とも言われ、モンテネグロの歴史を語る貴重な品々が展示されています。
修道院右側の坂道を登っていくと、修道院裏からツェティニェの町を一望できる絶景ポイントがあります。
人影は全くなく、自分だけの絶景を楽しむことができますよ。
5.ビリャルダ
ダニーロ二世の叔父にあたるペータル二世は、税制度の導入を行いモンテネグロの近代化を成功させただけではなく、芸術や文化にも造詣が深く、多くの詩を残したことでも有名です。
彼の時代に作られた、巨大なビリャルダ(Biljarda)という建物は、中庭を取り囲むように建つ長方形の石造りの、まるで要塞のような外観が特徴的です。
内部には、当時イギリスから入ってきたビリヤードの台が置かれていて、ペータル二世がこの遊戯を愛したことから、「ビリャルダ」と呼ばれるようになります。
ペータル二世は、国の近代化のために、それまでの神政政治から舵を切ろうとした人物。
それまでの神政政治の中心であったツェティニェ修道院から、政府機能をこのビリャルダに移しました。
彼の考えの裏にあったのが、国の近代化に伴う領土拡大の野望。
それがオスマン帝国との軋轢を生じさせ、甥のダニーロ二世時代に戦争へと発展するのです。
6.ダニーロ一世の墓
オスマン帝国との戦いに勝利した、モンテネグロの英雄・ダニーロ一世。
国王になるという夢は叶わず、暗殺されてしまった彼の遺体は、ツェティニェ市内を一望する小高い丘の上に今も眠り続けています。
ツェティニェ修道院脇の舗装された道を登ること15分ほどでアクセスできる、ダニーロ一世の墓。
ここからは、古都ツェティニェの落ち着いた街並みはもちろん、背後にそびえるロブチェン国立公園の山々まで見渡すことができます。
7.ニコラ王宮殿
オスマン帝国の支配を脱し、モンテネグロの初代国王となったニコラ一世。
彼が家族と共に生活した宮殿は、現在でもツェティニェ歴史地区の中心に建っています。
宮殿内部はミュージアムになっており、20世紀初頭の最初で最後のモンテネグロ王家の生活をうかがうことができます。
8.旧大使館
ニコラ一世時代にオスマン帝国からの独立が国際的に認められたモンテネグロ。
その首都であったツェティニェには、当時の列強が次々と大使館を建設しました。
古都らしく美しい建物が並ぶツェティニェのメインストリートであるニェゴシェヴァ通り(Njegoševa)沿いにはいくつかの旧大使館や当時の政府施設が残っています。
最もアクセスしやすいのが、旧フランス大使館。
19世紀初頭のレトロな建築美を誇る小さな大使館は、気品を感じさせます。
他にもロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国など、当時強大な力を持っていた国々の旧大使館も町中に点在しているので、興味のある方はまわってみるのもいいかもしれません。
いずれの旧大使館も、現在は使われていないもの。
というのも、第一次世界大戦後にセルビアに占領されたモンテネグロは、ユーゴスラビア連邦に編入されます。
ツェティニェの首都機能は失われ、ベオグラード(現在のセルビア)へと大使館が移されました。
2006年の独立後はポドゴリツァが新首都として定められて、政府機関や各国の大使館はそちらに作られたため、ツェティニェの旧大使館に人が戻ることはなかったのです。
ロヴチェン国立公園のペタル二世の霊廟は絶景スポット!
ツェティニェを取り囲む山々のうち南に位置するエリアはロヴチェン国立公園(Lovćen National Park)に指定されています。
ロヴチェン国立公園で最も有名な景色が、上の写真のマウソレウム。
マウソレウムというのは霊廟のことで、ここに眠るのは国の近代化に努めたペータル二世です。
ツェティニェの歴史観光を締めくくるのにもってこいの場所だと言えます。
マウソレウムからは、ロヴチェン国立公園の山々やコトル湾の息を呑むような絶景が望めます。
しかし、多くの観光客はただ写真を撮って帰っていってしまいます。
ツェティニェを観光して少しでも歴史を知っていれば、違った感覚でこの場所を訪れることができるでしょう。
モンテネグロ各都市~ツェティニェのアクセス
ツェティニェは、ブドヴァ~ポドゴリツァを結ぶ幹線道路のちょうど中間地点に位置しており、いずれの町からも簡単に短時間でアクセスできます。
コトルからは少し時間が長くかかるものの、こちらも十分日帰り圏内です。
町から町へと移動がてら、ツェティニェを観光することも十分可能。
バスステーションには特別な荷物預り所などはないものの、係員に頼めば有料で荷物を置かせてくれると思います。
ツェティニェ~コトル間の移動
世界遺産に指定されている、モンテネグロで一番の観光地・コトル(Kotor)へは、ツェティニェから多くのバスが運行されています。
30分~1時間に1本ほどの頻度なので、あまり時間を気にすることなく移動できます。
ブドヴァを経由する海岸線を走る路線と、ものすごい山道を抜けてコトルへと向かう路線の二つのルートがあり、いずれも所要時間はあまり変わりません。
所要時間:1~2時間
料金:€4.5 (=¥550)~
※荷物代別途€1(=¥122)
ツェティニェ~ブドヴァ間の移動
モンテネグロのビーチリゾート・ブドヴァは、ツェティニェから簡単にアクセスできます。
30分~1時間に1本ほどの頻度でバスが運行されています。
所要時間:45分
料金:€3 (=¥366)~
※荷物代別途€1(=¥122)
ツェティニェ~ポドゴリツァ間の移動
モンテネグロの現在の首都・ポドゴリツァへは、ツェティニェから多くのバスがでています。
いずれもブドヴァ~ツェティニェ~ポドゴリツァ路線で、ツェティニェ始発のものではありません。
所要時間:45分
料金:€3 (=¥366)~ ※荷物代別途€1(=¥122)
国土の小さなモンテネグロでは、一か所に滞在しながらいろいろな場所に足をのばせるのが魅力。コトル湾周辺のクルーズツアーはもちろん、ロブチェン山やドゥルミトル国立公園など個人では行きにくい場所にも日帰りで訪問することが可能です。
おわりに
のぶよ的にものすごく興味深かったツェティニェの観光。
モンテネグロの歴史など全く知らなかったのですが、自分で調べ、自分の足で歩いてみると、一つ一つの場所をより深く理解することができます。
のぶよのおすすめは、ツェティニェ観光後に現在の首都のポドゴリツァへと向かうこと。
ユーゴスラビア時代の共産主義的な建物が連なるポドゴリツァは、ツェティニェとはもはや別の国の町のよう。
中世~近世のモンテネグロの歴史をツェティニェで感じ、ユーゴスラビア時代~現在までの歴史をポドゴリツァで体験することで、モンテネグロという国をより深く理解することができると思います。
観光名所には乏しいポドゴリツァですが、モンテネグロ国内どこでも日帰り圏内という抜群のアクセスの良さを誇ります。
モンテネグロで一番安いと言われるリーズナブルな物価とのんびりした雰囲気も魅力的。モンテネグロ国内観光の拠点都市としてはかなり便利です。
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