こんにちは!ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボに滞在中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都・サラエボは、山に囲まれた盆地に広がる「東洋と西洋が交差する町」。
オーストリア風の優雅な街並みとトルコ風のエキゾチックな街並みが入り混じるサラエボ旧市街をはじめ、多くの観光スポットがあります。
ただ単に観光スポットを順番にまわるだけでは到底満喫できないほど、奥深いのがサラエボの町。
今回の記事では、そんな異国情緒たっぷりのサラエボを100%満喫し、理解するために、「サラエボで絶対するべき10のこと」と題して、各キーワード別にサラエボの観光スポットや名物グルメ、歴史スポットなどを紹介していきます。
この記事を読み終わる頃には、次の旅行先をサラエボにしようと思っているあなたがいるはず!
1.オスマン帝国の香り漂うバシュチャルシヤ地区を散策する。
サラエボ観光でまず初めにしたいことは、オスマン帝国風の町並みが残る旧市街のバシュチャルシヤ地区(Baščaršija)を散策すること。
ここが本当にヨーロッパであるのか疑ってしまうほどエキゾチックな街並みは、観光客にも大人気です。
小さなエリアですがたくさんの見どころがあるバシュチャルシヤ地区。
急ぎ足でまわるのではなく、その独特な雰囲気を感じながらのんびりと散策してみましょう。
バシュチャルシャ地区観光のスタートはセビリ
サラエボのシンボルともなっているのが、バシュチャルシヤ地区の入口に立つセビリ(Sebilj)。
(地図:青1)
オスマントルコ時代の水飲み場であるセビリは、今でも現役です。
山に囲まれたサラエボの水はとても美味しいことで有名で、セビリの水はもちろん飲用可能。
地元の人も水を汲みに来たり、顔を洗いに立ち寄ったりしています。
セビリがある広場は「ハト広場」と呼ばれるほどに大量のハトが占拠しています。
バシュチャルシヤ地区のメインストリート!サラツィ通り
ハト広場から西へのびるのが、バシュチュルシヤ地区のメインストリートであるサラツィ通り(Sarači)。
(地図:青2)
多くのお土産屋やボスニアコーヒーを提供するカフェ、レストランなどが並んでいる、バシュチャルシヤで一番賑やかな通りです。
ふと上を見上げると、トルコ風の赤い瓦屋根の間にそびえる石造りの時計塔とモスクのミナレット(尖塔)が。
異国情緒たっぷりのストリートをゆっくりと散策しましょう。
銀細工職人が金槌を鳴らす音が響く。カザンズィリュク通り
セビリがあるハト広場付近にある、小さな裏路地であるカザンズィリュク通り(Kazandžiluk)は、イスラムらしい銀細工や銅細工を売るお店が並ぶ穴場スポット。
(地図:青3)
もともとは銀細工などの職人街だったカザンズィリュク通り。
現在でも銀、銅製品を売るお店が軒を連ねます。
職人たちが金槌を叩いて商品を手作りしている「カン、カン」という音が響く狭い路地は雰囲気満載。
ヨーロッパにいながら、まるでアラブの国に迷い込んでしまったような感覚になります。
夜のバシュチャルシヤ地区も雰囲気抜群!
バシュチャルシャ地区で最も美しいのが、夕暮れから夜にかけての短い時間です。
群青に染まる空を背景に、だんだんと点されていくお店の明かりがとてもきれい。
エキゾチックな路地はさらにロマンティックな雰囲気になります。
街灯などで明るく照らすことはせず、ぼうっとした明かりが照らす路地を歩いていると、千夜一夜物語の世界に足を踏み入れてしまったかのよう。
サラエボ旧市街は夜でも人通りが多く、治安の心配なく散策が楽しめます。
2.モスクでボスニアのイスラム文化に触れる
サラエボの町には多くのモスクがあります。
その多くは、地元の人たちがお祈りを捧げる神聖な場であるため、観光客には解放されていません。
しかし、バシュチャルシヤ地区にあるガジ・フスレヴ=ベグ・モスクには入場することができます。
ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク
バシュチャルシヤ地区のど真ん中に建つ巨大なモスクがガジ・フスレヴ=ベグ・モスク(Gazi Husrev-begova džamija)。
(地図:青4)
サラエボで一番の観光エリア内にあるにもかかわらず、昼夜問わず、多くの人がお祈りに訪れます。
イスラム教の伝統はボスニア・ヘルツェゴビナでも健在で、お祈りの場所は男女別に分かれています。
お祈りの時間になると、大音量のコーランを詠む声がスピーカーから響いてくる様子は、さすがイスラム教国。
それを合図に、多くの人々がお祈りへと急ぎます。
3.オーストリア風の建物が連なるフェルハディヤ通りを歩く。
サラエボ旧市街のメインストリートとなるのが、フェルハディヤ通り(Ferhadija)。
(地図:赤1)
オーストリア=ハンガリー帝国時代の美しい建物が並ぶ様子は、「ヨーロッパの旧市街」そのものの雰囲気です。
このフェルハディヤ通り、途中で先ほど紹介したバシュチュルシヤ地区のメインストリートであるサラツィ通り(Sarači)へと名前を変えますが、実は一本の同じ通りなんです。
同じ通りをまっすぐ歩いているのに、オーストリア風の優雅な建物がトルコ風のエキゾチックな建物に変わる様子はとても印象深いです。
サラエボという町の特殊性を象徴している通りだと言えるでしょう。
サラエボ旧市街の入口、永遠の炎
フェルハディヤ通りの入口に灯るのが、永遠の炎(Vječna vatra)です。
(地図:赤2)
第一次世界大戦の犠牲者を追悼する目的で灯されている炎なのですが、この炎、雨や風でたまに消えます(笑)
全く「永遠」ではないという冗談のようなスポットなのですが、写真を撮る観光客やただ暖をとる地元の人などいろいろな人間模様が見られます。
優雅な建物が並ぶフェルハディヤ通り
フェルハディヤ通りを中心としたサラエボ旧市街の西側は、ヨーロッパらしい雰囲気の優雅な街並みが広がる「ヨーロピアン・サラエボ」エリア。
先に紹介した旧市街東側のオスマントルコ風のエリア・バシュチュルシヤ地区とのコントラストがとても面白いです。
4.ミリャツカ川沿いを歩いて美しい街並みに感動する。
サラエボ旧市街の南側を流れるのが、ミリャツカ川。
たった36kmほどしかない短い川ながら、サラエボを象徴するような存在で、サラエボ市内で18本もの橋が架かっています。
背後に広がる山々と、川沿いの美しい建物とのコントラストが素晴らしく、いくつかの橋を眺めながらゆっくり川沿いを歩いてみるのがおすすめです。
第一次世界大戦の引き金を引いたサラエボ事件の舞台・ラテン橋
多くの橋の中でも最も有名なのが、1914年のサラエボ事件の舞台となったラテン橋でしょう。
(地図:赤3)
オスマントルコ様式の美しいラテン橋の上で、当時サラエボを支配していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子、フランツ・フェルディナント夫妻が銃撃・殺害されたサラエボ事件。
これが当時対立していたオーストリア=ハンガリー帝国とオスマントルコ帝国との戦争のきっかけとなり、その戦火はヨーロッパ全土に広がって、第一次世界大戦となりました。
現在のラテン橋は、当時の記憶を伝える碑が建つだけで、平和そのもの。
美しいミリャツカ川の流れと、オーストリア風の建物が連なる通りに囲まれ、人気の観光スポットとなっています。
5.ボスニアの名物グルメを味わう
サラエボで絶対に外せないのが、ボスニア・ヘルツェゴビナの名物料理に挑戦すること。
具入りのパイであるブレク(Burek)
ボスニア風水餃子のクレペ(Klepe)
ボスニア風シチュー、ボサンスキ・ロナツ(Bosanski Lonac)
など、たくさんの美食であふれたボスニア料理。
ブレクならここ、煮込み料理ならここ、グリルならここ…というように、それぞれの料理に応じてお気に入りのお店があるサラエボっ子にならって、お気に入りのお店を探してみるのもいいでしょう。
6.ボスニア風コーヒーを嗜みながら人間観察。
サラエボ、特にオスマントルコ風の雰囲気が漂うバシュチャルシヤ地区で是非挑戦したいのが、オスマン帝国時代に伝わったボスニア風コーヒー。
伝統的なコーヒーセットで提供されるボスニア風コーヒーは、フィルターなどを使わずに、コーヒーに直接お湯を注いで、その上澄みだけを飲むスタイル。
少し粉っぽくも独特の風味が感じられるボスニア風コーヒー。
できれば、バシュチャルシヤ地区の伝統的な雰囲気のカフェのテラスで味わってみたいものです。
「サラエボで一番のアクティビティー」と言われる、テラス席でコーヒーを飲みながらの人間観察に時間を使うのが、正しいボスニア風コーヒーの楽しみ方です(笑)
7.旧市街~新市街を歩いてボスニア紛争を理解する
ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史は戦争の歴史と言えます。
特に、1990年代前半に起きたボスニア内戦は壮絶なもので、首都のサラエボはセルビア人民軍に4年間もの間包囲され(サラエボ包囲)、市民の日常生活は大幅に制限されていました。
いつセルビア人民軍による銃撃やミサイルによって死ぬかわからなかった日々が長く続いたサラエボ。
旧市街から新市街にかけて、未だに色濃く残る戦争の足跡をたどることも、サラエボという町を理解するために避けて通れません。
多くの市民が犠牲になったマルカレ市場
サラエボ市民の台所として機能していたマルカレ市場(Gradska tržnica Markale)。
(地図:赤4)
紛争当時のサラエボは食糧難で、市場に並ぶ食品は限られていましたが、生活に必要不可欠な水が配られていた場所でした。
市民生活の場所として、「非戦闘地域」に指定されていたマルカレ市場。
しかしながら、1994年2月5日、セルビア人民軍によるミサイル攻撃を受け、水をもらうために行列を作っていた市民68人が死亡、200人以上が負傷するという最悪の事件が発生しました。
現在のマルカレ市場は再建され、当時と変わらない市民の台所として機能しています。
知らなければ、ここで多くの人が亡くなったなんて感じられないほど。
しかし、市場北側の壁には、当時の犠牲者の名前を刻んだ石碑が置かれており、戦争の悲惨さを現在に伝えています。
銃弾の跡が激戦を今に伝える、サラエボ新市街
サラエボ旧市街を西に歩くと、サラエボ新市街。
戦争による被害が大きかった新市街ですが、現在では多くの建物が再建され、近代的なショッピングセンターやオフィスビルの姿もちらほらと見られます。
しかし、ふと上を見上げると、多くの建物の壁には無数の銃弾の跡が残っていることに気づくでしょう。
ミサイルの着弾跡をアートにした「サラエボ・ローズ」
サラエボを歩く際は、上だけではなく足元にも注目してみましょう。
赤い樹脂で描かれたバラのような模様がいたるところにあることに気づきます。
これは「サラエボ・ローズ」と呼ばれる、戦争当時ミサイルが着弾し、死者を出した場所の跡。
こんなに多くの場所に、しかも町のど真ん中にミサイルが着弾し、多くの人が犠牲になったことを考えると心が痛みます。
サラエボ・ローズは、戦争の悲惨さを現在に伝えるアート作品として、サラエボの町全域に残されています。
サラエボ包囲を深く理解するボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館
4年間にわたったサラエボ包囲について深く知るために是非訪れたいのが、サラエボ新市街にあるボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館。
(地図:緑2)
小さな博物館ですが、当時の写真や市民が使用していた物品などを通してサラエボ包囲時の市民生活を現在に伝えている貴重な場所です。
8.多民族の町・サラエボを肌で感じる
ユーゴスラビア連邦当時から、複数の民族が入り混じって生活をしていたサラエボ。
紛争以前は、どの民族も比較的仲良くやっており、他民族間の婚姻や交流なども普通だったそうです。
サラエボの住人の多数派はイスラム教徒であるボスニア人であるものの、町にはカトリック教徒であるクロアチア人やセルビア正教徒であるセルビア人も居住しています。
そんなサラエボが持つマルチカルチャーな一面を肌で感じてみましょう。
旧市街中心のカトリック聖堂、イエスの聖心大聖堂
サラエボ旧市街のメインストリート、フェルハディヤ通りにあるカトリックの大聖堂がイエスの聖心大聖堂。
(地図:赤5)
ゴシック様式で建てられた聖堂は、西ヨーロッパを感じさせる雰囲気です。
美しいセルビア正教の聖堂、生神女誕生大聖堂
フェルハディヤ通りの南側に位置するのが、セルビア正教の大聖堂である生神女誕生大聖堂。
(地図:赤6)
バルカン半島で最大級のセルビア正教の聖堂で、パステルイエローの外観が可愛らしいです。
9.黄色の塔からサラエボの絶景を眺める
山に囲まれたサラエボの町。
山があるということは、頑張って登れば無料で絶景が望めるということ。
旧市街から徒歩15分ほどのところにある黄色の塔(Žuta tabija)からは、山に囲まれた盆地に広がる赤い屋根が連なるサラエボの美しい町のパノラマビューを望むことができます。
(地図:緑1)
結構急な坂道を登ることになりますが、サラエボに来たら絶対に見ておきたい風景です。
10.サラエボの人々の生活におじゃましてみる。
観光スポットを巡るのもいいですが、時にはローカル気分で地元の人の生活の場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
飾らないサラエボの人々の日常生活の場では、人々がどのように生活を送り、人生を楽しんでいるのかを見ることができます。
ミサイル着弾被害を受けたマルカレ市場のすぐ北側にある野菜・果物の市場は、常に活気であふれています。
ボスニア料理に欠かせないパプリカや、ドルマ(Dolma、ボスニア風ロールキャベツ)に使われる青キャベツの葉などが売られています。
旧市街にある広場では、巨大チェスを楽しむおじさんたちの姿が。
真剣勝負にも関わらず、「ああしろ、こうしろ」と茶々を入れるやじ馬たち。
なんだかみんな人生楽しそうです。
戦争の傷跡はいまだに癒えきってはいないものの、人々の顔には笑顔が戻り、それぞれが人生を楽しもうとしている…
そんなサラエボの人々の強さを垣間見たような気がしました。
サラエボで絶対に参加したいのが、90年代のボスニア紛争・サラエボ包囲の歴史を現在に伝えるスポットをまわる現地ツアー。
市民の命を救ったトンネルや、セルビア人兵士が狙撃を行ったビルなど、個人では行きにくい場所にも訪れることができます。
サラエボ起点にモスタルやヤイツェなど他都市へ向かう日帰り現地ツアーもあるので、場合によっては利用価値が高いでしょう。
サラエボ観光のまわり方(必要日数・市内交通)
サラエボ観光地図
青: バシュチュルシヤ地区の観光スポット
赤:サラエボ旧市街西側の観光スポット
緑:その他エリアの観光スポット
黄色:鉄道駅、バスターミナル
紫:おすすめホステル
サラエボ観光に必要な日数
サラエボの見どころのほとんどは、旧市街に集中しています。
旧市街自体は全て徒歩でまわれる大きさなので、主な見どころを見て回るだけなら丸一日で済んでしまうでしょう。
しかし、サラエボに来たなら、ボスニア紛争の歴史を現在に伝える博物館には訪れたいもの。
博物館の訪問を含めて丸一日で全て観光するのはなかなかハードです。
理想的なサラエボ滞在期間は2日間。
急ぎ足で観光スポットをまわるだけでなく、東洋と西洋が交差する独特な雰囲気をのんびりと感じながらの滞在ができるはずです。
サラエボの市内交通
サラエボは東西に細長く広がる谷に作られた町。
旧市街の観光だけなら徒歩のみで十分事足りるものの、新市街や郊外へ足をのばすとなるとバスやトラムの利用が便利です。
観光客が利用するのが、
サラエボ鉄道駅/メインバスステーション~旧市街を結ぶ、トラム1番
サラエボ東バスターミナル付近~旧市街を結ぶ、トロリーバス103番
の二つの路線でしょう。
トラムと路線バスの料金は、1.8KM(=¥113)と共通ですが、東バスターミナルへ向かうトロリーバス103番は2KM(=¥125)と若干高めです。
サラエボのおすすめホステル情報
Hostel Eternal Flame
住所:Maršala Tita 56, Sarajevo 71000
料金:12KM(=¥753)
部屋:6ベッドドミトリー
立地:8/10
観光の中心となるサラエボ旧市街の入口、永遠の炎の目の前にあるホステルです。
旧市街はもちろん新市街へのアクセスも良く、トラムの停留所も近くにあるので、どこへ行くのにも便利です。
アクセス:2/10
正直、絶対にたどり着けません(笑)
住所を頼りに行くと、映画館がある建物にたどり着くのですが、部屋番号などが記載されていないためかなり迷います。
予約した後に、ホステルまでの行き方が書かれたメールが届くのですが、それがあってもかなりの難易度。
いざたどり着いても、ホステルとは一言も書いていないため、本当にこの扉でいいのか不安になりますがこれです。
ここまでわかりにくいホステルは久々でした。
スタッフ:7/10
ボランティアスタッフが2名で運営していました。
みんないい人で、すぐに溶け込むことができました
清潔さ:6/10
一応掃除は毎日しているのですが、ちゃんと整理整頓されているとは言い難いです。
キッチンにはいろいろな人の食材がそのままになっていたりと乱雑さが目立ちました。
お風呂やトイレは比較的きれいに保たれていたので一安心。
設備:7/10
キッチンにはほとんどの調理器具が完備されており、自炊派には便利です。
共用スペースが一か所あるものの結構狭いので、人が多く集まると行き場がなくなります(笑)
wi-fi:9/10
速度、接続ともに問題なし。
雰囲気:8/10
のんびり旅を楽しむタイプの人が集まるアットホームな雰囲気のホステル。
規模が小さいので、みんな自然と仲良くなっていきます。
いつも何かしら音楽がかかっており、楽しい雰囲気が漂っていました。
総合:6.7/10
サラエボで最安値のホステルですが、かなり快適な滞在ができました。
ごちゃごちゃしているのが苦手な人や、自分だけの時間が欲しい人向きではないので、そういう人はもう少しお金を払ってモダンで個人主義なホステルに泊まった方がいいかもしれません。
おわりに
ヨーロッパの他の首都では感じられないようなエキゾチックさと、のんびりとした雰囲気に満ちたサラエボ。
のぶよ的に、お気に入りの首都として三本の指に入るほど。
物価もまだまだ安めで居心地も良いので、なんだか長期滞在したくなってしまう不思議な魅力があります。
是非自分の肌で、サラエボが持つ独特の雰囲気を感じてみてください。
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