こんにちは!ジョージア滞在もまもなく2年、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
多くの旅行者が滞在拠点とするトビリシからのデイトリップ先として大人気の町がムツヘタ(Mtskheta / მცხეთა)。
UNESCOの世界遺産にも登録されている古都は、「ジョージアはじまりの地」と称されることも。
お隣のアルメニアに次いで、およそ1700年前に世界で二番目のキリスト教国となったこの国の歴史において、大きな役割を果たした場所であるためです。
ムツヘタを訪れる多くの観光客にとって、旧市街内と周辺に位置する3ヶ所の聖堂・修道院をまわるのが定番。
いずれも世界遺産に登録されているだけあり、1700年前の遠い昔から脈々と息づく信仰の力を肌で感じさせます。
しかしながら、ムツヘタにはキリスト教の受容以前の歴史を現在に伝える見どころが存在していることは意外に知られていません。
のぶよは勝手に「裏ムツヘタ」と名付けましたが、これらがとにかく素晴らしかったのです。
「裏」と名付けただけあって、どこも観光客の姿はいっさいなし。
トビリシからの日帰り観光客で溢れかえるムツヘタ旧市街が目の前にあるのに、まるで別の世界線に存在しているかのように感じさせます。
「裏ムツヘタ」の見どころは、いずれもジョージア東部がイベリア王国として繁栄していた時代のもの。
キリスト教受容よりも数百年前、およそ2000年の歴史を持つスポットは、古都・ムツヘタの興隆が感じられるものばかりです。
今回の記事では、「定番のムツヘタ観光はすでに済ませた!」という人向きに裏ムツヘタの見どころを紹介するもの。
個人でミニバスでのアクセスも余裕で、簡単な徒歩コースでサクッと観光が可能。
ムツヘタの定番観光とセットでまわるのもおすすめです!
裏ムツヘタ徒歩ルートの詳細
赤:おすすめレストラン
青:見どころ
緑線:徒歩ルート
今回紹介する裏ムツヘタの見どころ間は、徒歩で十分に移動することが可能。
距離6.7km / 所要時間1時間半ほどの道のりで、高低差はほとんどないので万人向けの徒歩ルートです。
各見どころの観光時間や食事の時間を含めても、4時間ほどみておけば十分。
ムツヘタ旧市街観光(所要時間3~4時間)と組み合わせてのロング・デイトリップも可能です!
伝説の名店でムツヘタ名物グルメを味わう!「サロビエ」
「裏ムツヘタ」観光のスタートは、ムツヘタ市内に入ってすぐの場所にあるサロビエ(Salobie / სალობიე)というレストラン。
地元では知らぬ人はまずいない名店で、伝説級の美味しさとリーズナブルな価格が支持されているのだそうです。
店名の「サロビエ」は、ジョージア語で「豆の家」の意味。
その名の通り、ロビオ(lobio / ლობიო)という豆のシチューが看板メニューとなっています。
サロビエの敷地はかなり広く、屋外には広々としたテラス席がずらり。
店内は木製のテーブルや椅子で統一されており、温かみのある雰囲気です。
ムツヘタ旧市街から川を挟んだ南側に位置するため、テラス席からは丘の上にぽつりとたたずむ世界遺産・ジュワリ教会が見えます。
サロビエのメニューはこちら ▼
店構え的にある程度の値段がするのかと思いきや、どれも驚くほどに良心的な価格。
しかも、トビリシのレストランの多くに導入されている「お会計時の10%~のサービス料」のシステムもないため、記載された金額そのままが合計金額となる点も嬉しいです。
看板メニューのロビオと、ムチャディ(トウモロコシ粉のパン)、ヒンカリを注文しました。
(ジョージアでは「ロビオときたらムチャディ!」と言われるほどに定番の組み合わせです)
まずは店名の由来にもなっているロビオから。
ひと口食べてみてびっくり。豆の絶妙な甘みとスパイスのエスニック加減が完璧で、塩加減もパーフェクトです。
ずっしりと重たいムチャディとの相性もやはり抜群で、これまでジョージアで食したロビオの中ではダントツNo.1です。
ロビオだけでかなりの満足感だったのですが、ヒンカリにも挑戦。
ジョージアに滞在している外国人の中では、おそらく最も多くヒンカリを食べていると自負しているのぶよですが、ここのヒンカリはこれまで食べた中でもBEST3に入ります。
皮の絶妙なもっちり感、中のひき肉のホロホロ感、味付けの絶妙さ、たっぷり詰まった肉汁…
冗談抜きでめっちゃくちゃ美味しかったです。
この店で食事するためだけにでも、わざわざトビリシから出て来る意義があると思います。
サロビエはトビリシの人々にも大人気のお店。
平日でも昼過ぎになると多くの人で賑わいますし、土日はかなり混み合います。
のぶよが訪れたのは金曜日の朝10:30頃でしたが、数組の地元客がいただけ。(みんな朝からようけ食べてた…)
地元のおじさんが名物のロビオだけサッと食べて去っていくような雰囲気で、一人でも気兼ねなく利用できました。
というわけで、個人で食事するなら午前中がおすすめ。
裏ムツヘタ徒歩ルートの前に名物グルメで朝ごはん…最高の一日のスタートです!
サロビエ~アルマズツィヘ間は1.6km/25分ほどの道のり。
ムツヘタ方面へのびる幹線道路沿いを歩いていくだけの簡単なルートです。
▲ 目印になるのが、進行方向左側に設置された小さな看板。
看板の裏手にのびる道を登るとアルマズツィヘの入口があります。
アルマズツィヘ ハイライト!
絶品グルメで朝ごはんを済ませたら、いよいよ裏ムツヘタの観光のスタート。
いきなりのハイライトとなる見どころがアルマズツィヘ(Armaztsikhe / არმაზციხე)です。
ムツヘタ旧市街からクラ川を挟んだ南側。
小高い丘の上に広がる遺跡からは、ムツヘタ旧市街とジュワリ教会を一望する絶景が広がります。
美しい風景が魅力的なアルマズツィヘですが、歴史的にも計り知れない価値がある場所。
およそ2000年前にムツヘタを首都として栄えた、イベリア王国時代の王宮やネクロポリス(墓地)があった場所であるためです。
アルマズツィヘの規模はそこまで大きくなく、最大で1時間ほどみておけば十分。
入場無料&見学自由な点も嬉しいです。
キリスト教受容以前からこの地で栄えたイベリア王国。その栄光が香るアルマズツィヘ内の見どころをサクッと解説していきます。
もともと「国家」という概念がなかった現在のジョージアに、はじめて王国が成立したのが紀元前4世紀頃(2400年前)のこと。
当時のジョージア地域は一つの国だったわけではなく、西のコルキス王国と東のイベリア王国の2つの王国が存在していました ▼
File:Georgian_States_Colchis_and_Iberia_(600-150BC)-en.svg
イベリア王国は紀元前189年(2200年前)には南のアルメニア王国の支配下に入り、その後紀元前65年(2100年前)に独立を取り戻しますが、当時西方で強大な力を誇ったローマ帝国の強い影響を受けます。
この時期のイベリア王国の首都とされたのが、ここムツヘタでした。
現在のアルマズツィヘに残る遺跡のほとんどは、アルメニア王国からの独立後の1世紀~3世紀(2000年前~1700年前)に建設されたもの。
当時のイベリア王国はまだキリスト教を受容しておらず、精霊信仰の神殿やローマ帝国の影響を受けた浴場などに、当時のムツヘタの様子をイメージできます。
その後327年(1700年前)にキリスト教を受容したイベリア王国は「世界で二番目のキリスト教国」となり、5世紀後半(1600年前)に首都がトビリシに移されるまではムツヘタが文化・信仰の中心地として栄えました。
①サルコファガス
アルマズツィヘの敷地内に入って最初に目につくのが、サルコファガスと呼ばれる石棺。
2世紀~3世紀頃のものだと考えられており、内部には金や銀の装飾品とともに女性の遺体が安置されていたそう。
この遺体が誰なのかは解明されてはいないものの、イベリア王家の人物だったと考えられています。
②王女の浴場
アルマズツィヘの敷地内で最も美しい風景が見られるのが、王女の浴場(Queen’s Bath)あたり。
ローマ帝国の影響を受けた浴場の跡からは、川の対岸に広がるムツヘタ旧市街を一望するパノラマが広がります。
浴場内は4つの空間に分けられており、温水の浴槽や冷水の浴槽などが設置されていたそうです。
③王の浴場
続いて目の前に現れるのが、王の浴場(King’s Bath)と呼ばれる巨大な浴場跡。
典型的なローマ風浴場の内部は6つの空間に分かれており、男性用の浴場であったと考えられているそうです。
当時のイベリア王国の人々の間では、入浴の際に顔を隠すための石の仮面を着用するのが一般的だったそう。(隠すところが違う気もするが…)
実際に王の浴場で使用されていた石の仮面も発掘されており、トビリシの考古学博物館に展示されています。
④神殿跡
まるで花びらのような不思議な形の土台部分だけが残る神殿は、1世紀(1900年前)に建設されたもの。
当時主流であった精霊信仰の聖地のような場所であったと考えられています。
円を描くような6つの空間の中央部分には、かつての柱の土台だけが残っています。
柱の上部には、当時の人々に信仰されていた神の像が飾られていたと考えられているそうです。
⑤マラニ(ワイナリー)
ジョージアは「ワイン発祥の地」として知られる国で、その歴史は8000年前に遡るもの。
ここアルマズツィヘにも、3世紀~4世紀頃にかけて建設された「マラニ」と呼ばれるワイナリーの跡が。
クヴェヴリ製法(地中に埋めた甕の中でブドウの搾り汁を発酵させる)でワインが製造されていたことが一目瞭然です。
アルマズツィヘのマラニは精霊信仰時代の神殿に隣接する場所に建っており、「ここで製造されたワインは何らかの宗教的な儀式に使用されていたのではないか」とも考えられているそうです。
⑥二部屋の建造物
神殿跡&マラニの10mほど先に堂々と建つのが、二部屋の建造物。
もともとは2000年以上前に建設されたものですが、地震で崩壊するたびに再建されてきたことが分かっています。
何の目的で使用されていた建物なのかは解明されていないそうですが、イベリア王国の重要人物が居住していたのではないかと考えられています。
⑦六本の柱の間
アルマズツィヘの敷地の最奥部にある六本の柱の間は、長方形の空間の中央に柱の土台が連なるもの。
ここがイベリア王国の王宮の一部屋であったと考えられており、武器庫として使用されていたとも言われています。
六本の柱の間の先ではいまだに発掘作業が続けられており、将来的に何か新しい発見がされるかもしれません。
ベトレミの聖母チャペル
アルマズツィヘの遺跡群がある丘のすぐ西側。
遺跡の入口から20mほど歩いた場所にひっそりとあるのが、ベトレミの聖母チャペル(Betlemi Virgin Mary Chapel / ბეთლემის ღვთისმშობლის სახელობის სალოცავი)です。
高さ15m以上はある崖の上部が人の手でくりぬかれて洞窟礼拝堂のようになっており、傾斜60°はある恐怖の階段を上ってのアクセスとなります。
足がすくみそうになりながら階段を上った先には、4~5人入るのがやっとなほどに狭い洞窟礼拝堂が。
宗教画や燭台などが設置されており、誰かが頻繁に通って手入れしているのが分かります。
いつ、誰が、何のために、この小さな洞窟礼拝堂を掘ったのかは謎ですが、「ベトレミ」という名前はキリストの生誕地とされるベツレヘム(現在のパレスチナ)を表したもの。
どんな歴史がある場所なのか気になりますが、いっさいの説明書き等はなく謎のままです。
洞窟礼拝堂内から眺めるムツヘタ旧市街の風景もなかなかのもの。
赤い屋根の町並みと、ひときわ目立つスヴェティツホヴェリ聖堂の堂々とした姿を眺めていると、かつてこの場所に洞窟を掘って祈りの場とした人の気持ちが何となく理解できるような気がしました。
洞窟礼拝堂からポンペイウスの石橋までは幹線道路に沿った歩行者ルートがあるので、そちらを歩くのが◎
洞窟礼拝堂正面から西に向けてのびる道をひたすら歩いて行くだけ。
1kmほどまっすぐ歩いたあたりで幹線道路に合流します。
およそ1.4km/20分ほどで、ポンペイウスの石橋付近に到着です。
ポンペイウスの石橋
かつて王宮があったアルマズツィヘと、人々が生活していた町(現在のムツヘタ旧市街)の二つのエリアを結んでいたのが、クラ川に架かるポンペイウスの石橋(Pompeus Bridge / პომპეუსის ხიდი)。
「ポンペイウス」とは、ローマ帝国の政治家として活躍した人物のこと。
紀元前65年にジョージア一帯に侵攻し、東ジョージアを支配していたアルメニア王国を撃退したとされる人物です。
ポンペイウスが築いた2000年以上前の石橋は、現在は川の水位上昇にともなって沈んでしまっているそう。(こういうのちゃんと保存しないのもジョージアらしいっちゃらしい。)
1年のうち、クラ川の水位が減少する限られた時期のみ川底から姿を現すそうで、見られたら超ラッキーかもしれません。(のぶよはこういう運が全くないので、もちろん見られなかった…)
ポンペイウスの石橋~ゴール地点のベブリスツィヘ城塞間は、2.8km/45分ほどの道のり。
まずは橋を渡ってムツヘタ旧市街方面へ向かっていきます。
このままムツヘタ旧市街を観光する場合は、20分ほどで旧市街入口に到着します。
ベブリスツィヘ城塞まで向かう場合は、ムツヘタ旧市街に入らずに幹線道路をずっと北に歩いていくだけ。
ずっと一本道で途中から城塞が目に入ってくるので、迷うことはありません。
ベブリスツィヘ城塞
今回紹介している「裏ムツヘタ徒歩コース」のゴール地点となるのが、ベブリスツィヘ城塞(Bebristsikhe / ბებრისციხე)。
ムツヘタ旧市街の北1kmほどの小高い丘の上に建つ城塞は、ムツヘタがまだ首都とされていた4世紀(1700年前)に建設されたもの。
町の北端の防衛拠点として築かれたと考えられており、18世紀頃まで現役で使用されていたそうです。
ベブリスツイヘの城壁は厚さ2m以上ある屈強なもので、城塞の敷地内からは周辺の谷間を一望することができます。
ジョージアの「国立文化モニュメント」に指定されている場所ではあるものの、保存状態は良好とは言えません。
大部分は廃墟と化しており、立ち入りできない部分も多いです。
ベブリスツィヘ城塞自体には歴史的な痕跡はほとんど残されていないものの、敷地内からの眺めは圧巻。
アラグヴィ川が形成する谷間がキュッと狭くなっている地点に建っており、ここがどれほど戦略的に重要な場所であったのか一目でわかるはずです。
ベブリスツィヘ観光自体は30分もあれば十分。
城塞入口付近からトビリシ行きのミニバスに途中乗車しても良いですし、ムツヘタ旧市街に戻って観光していくのもアリです!
ムツヘタへのアクセス情報
今回紹介している「裏ムツヘタ」の各見どころは、すべてトビリシ~ムツヘタ間を結ぶマルシュルートカ(ミニバス)でのアクセスが可能です。
トビリシでの発着地は、市内北部にあるディドゥベ・バスステーション(Didube Bus Station) ▼
ディドゥベ・バスステーションは、ジョージア国内各地へのミニバスが発着する巨大なターミナル。
行き先によって大きく二つのターミナルにわかれており、ムツヘタ方面へのバスが発着するのは駅から100mほど離れたところのターミナルです ▼
トビリシ→ムツヘタ(往路)
ムツヘタ行きのマルシュルートカは、ターミナルの最も東側に位置するチケットオフィスのすぐ横に停車しています。
行き先表示はジョージア語のみなので文字が読めないと何が何だか…ですが、その辺の人に「ムツヘタ?」と尋ねればちゃんと教えてくれるはず。
ムツヘタ行きのマルシュルートカが停車している場所のすぐ脇にはチケットカウンターがあり、ムツヘタへ向かう際のチケットはこちらで事前購入します。
マルシュルートカに乗車したら、「裏ムツヘタ徒歩コース」のスタート地点となるサロビエ付近で途中下車すれば良いだけ。
運転手にあらかじめ「サロビエで途中下車したい」と伝えておき(有名な店なので絶対に知ってるはず)、車内前方の座席に座っておけば途中下車しやすいです。
ムツヘタ→トビリシ(復路)
「裏ムツヘタ徒歩コース」を観光し終えたら、ベブリスツィヘ前を通るミニバスに途中乗車してトビリシへ戻ればOK。
トビリシ~ムツヘタ間のミニバスは全て、ベブリスツィヘのさらに北1kmほどの場所にある「ニュームツヘタ」と呼ばれる地区が終点。
20分~30分に1本は走っているので、簡単に途中乗車が可能です。
2022年4月現在、ムツヘタ→トビリシ方面の最終バスは20:00とのことです。(まあそんな遅くまでムツヘタにいる人も少ないだろうが)
おわりに
「定番のムツヘタ観光とはひと味違う見どころに行きたい!」という人向けの「裏ムツヘタ」を紹介しました。
知名度がまったくないため、どこに行っても人影はゼロ。
世界遺産の一大観光地が目の前にあるにもかかわらず、この穴場感は奇跡的だと思います。
トビリシから個人でも気軽にアクセス可能な点もおすすめする理由。
絶景と名物グルメだけを目的に訪れるのも良いですが、ムツヘタの歴史を知っておけばより充実した観光となるはずです!
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