こんにちは!ジョージア滞在もまもなく2年、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
8000年の歴史を誇るジョージアのワイン文化の中心といえば、東部のカヘティ地方。
ジョージア髄一のワインの名産地として名高いエリアで、ぶどう畑が一面に広がる風景が旅情を誘います。
そんなカヘティ地方には、古くから東西を結ぶ交易路の中継地点として多くの人々が行き交った歴史も。
交易路に侵入しようとする敵を見張るために造られた城塞がいくつか点在していることは、観光客にはほとんど知られていません。
カヘティ地方に点在する城塞の歴史はそれぞれバラバラですが、現在は防衛拠点としての役目を終えたものがほとんど。
かつてのこの地域の重要性を物言わず現在に伝える城塞の数々は、どれも堂々とした雰囲気があって素敵です。
というわけで今回紹介するのは、トビリシから日帰りでまわることが可能な二つの城塞。
いずれもカヘティ地方がペルシア帝国(現在のイラン)の支配下にあった15世紀~18世紀の間に建設されたもの。
この二つの城塞を結ぶルートを「カヘティ地方の古城街道」と(勝手に)名付けました。
二つの城塞それぞれの特色は大きく異なっていて、どちらも見ごたえは抜群。
互いに5kmほどしか離れていないので、自分の足で歩いて二か所をまわることも可能です。
もはや誰がこんなマイナーなスポットにまで足をのばすのか謎ではありますが(笑)、実際に訪れての満足度はかなり高かったです。
トビリシからの日帰りも余裕なので、日程が許すならぜひ!
カヘティ地方の古城街道マップ
黄色:マルシュルートカ乗降ポイント
赤線:チュルチュヘラ街道
緑線:マナヴィ城塞徒歩ルート
近代ジョージアの歴史が動いた地!チャイルリ城塞
ワインの一大産地・カヘティ地方を代表する景観といえば、一面のぶどう畑。
整然と連なるぶどう畑が織りなす、ポストカードのような大地の風景を見守るようにたたずむのが、チャイルリ城塞(Chailuri fortress / ჩაილურის ციხე)です。
その姿は「ジョージアワインの守り神」を思わせるような、堂々とした存在感。
ぶどう畑の中に突如として現れる美しいフォルムの城塞に、誰もが心を奪われます。
チャイルリ城塞が建設されたのは16世紀(500年前)頃であると考えられています。
当時のカヘティ地方はペルシア帝国(現在のイラン)の支配下にあり、ダゲスタン人など北コーカサス地域からの異民族の侵攻に悩まされていました。
ジョージアには、当時のチャイルリの歴史にちなんだ有名な諺があります。
それが「チャイルリの水を飲んだ」(ჩაილურის წყალი დალიაო)というもの。
当時のジョージア地域の勢力とダゲスタン人勢力のちょうど境界地点となっていたのが、現在の城塞近くを流れるチャイルリ川でした。
たびたびコーカサスの山を越えて襲来してくるダゲスタン人は、ジョージア勢力下の村で略奪を繰り返し、村人を捕虜として連れ去ります。
連れ去られた捕虜を取り戻そうとダゲスタン人を追ったジョージア人戦士たちは、勢力の中間地点であるチャイルリ川を勝敗の目安としていました。
敵がチャイルリ川を越えていなければ、まだ自分たちの陣地であるため、捕虜を取り返せるかもしれない。
もし敵がすでにチャイルリ川を越えてしまっていたら、そこは敵の陣地内になるため、もう捕虜となった人は二度と取り戻せない。
もし敵がすでにチャイルリ川を越えていた場合はなす術もなく、連れ去られた捕虜の家族に「(捕虜は)チャイルリの水を飲んだ=もう二度と帰って来ない」と伝えたのだそう。
このことから、「チャイルリの水を飲んだ」という表現は「もうどうしようもないこと」の意味として使われるようになったそうです。
時は流れて1762年(250年前)のこと。
それまで300年以上もの長い間カヘティ地方を支配していたペルシア帝国から、カルトリ=カヘティ王国としてジョージア東部が独立を果たします。
その立役者が、ジョージアでは知らぬ者はいない国王・エレクレ2世。
南の大国・ペルシアの影響力を排除し、北の大国ロシアと同盟を組んだ人物で、「この人がいなければ現在のキリスト教国・ジョージアは存在しなかったかもしれない」と言えるほどの重要人物です。
東ジョージアを独立させたエレクレ2世でしたが、再び力をつけたペルシア帝国の脅威がやむことはありませんでした。
1795年には首都のトビリシがペルシア軍によって陥落。3年後の1798年にはエレクレ2世自身が戦死してしまいます。
混乱が続くカルトリ=カヘティ王国の隙をつくように、ペルシア帝国軍はここチャイルリ周辺に攻め込んできます。
それが、1800年にこの場所で勃発したニアフラの戦い(Niakhura war)。
結果は、ロシア帝国の支援を受けたジョージア側がペルシア勢力を撃退することに成功。
その後1810年に、ジョージア東部がロシア帝国の支配下に入る布石となったのです。
もしニアフラの戦いにおいて、ロシア帝国を後ろ盾にせずにジョージアが敗北していたら…後のソ連統治時代はなかったかもしれませんし、キリスト教国ではなくイスラム教国となっていたのかもしれません。
現在でこそ、人々に忘れ去られたような存在となったチャイルリ城塞。
この場所がこの国の歴史における大きな分岐点となったことは、疑いようがありません。
さまざまな歴史の舞台となり、激戦地としても知られるチャイルリ城塞は、現在では廃城となっており人は住んでいません。
城塞内部には建物などは残っておらず、雑草がそこら中に生え放題の寂しげな雰囲気が漂います。
いっぽうで、三角形の形をした城塞の敷地を取り囲む城壁の保存状態はかなり良好。
比較的最近になって補修が行われたのかもしれません。
城塞自体の見ごたえはやや物足りなさを感じますが、城塞からのパノラマには感動。
古くから東西をつなぐ交易路であったカヘティ地方の大地を一望することができます。
長い歴史の中で異民族の侵攻をたびたび受け、大国の支配を受けながらも独立を果たしたジョージア。
幾度となく激動の歴史の舞台となったことが信じられないほどに、チャイルリ城塞からの風景は平和に満ちあふれていました。
チュルチュヘラ街道(チャイルリ~マナヴィ間の幹線道路)
チャイルリ城塞~マナヴィ村間のおよそ5kmほどの区間は、平坦な幹線道路沿いの路肩をひたすら歩くだけの簡単な徒歩ルート。
交通量は多いですが、路肩は広めなので危険は少ないと感じます。
歩きはじめこそ周囲には何もなく、ただ幹線道路沿いを歩くだけのつまらない徒歩ルートかと思っていたのですが…1kmほど歩いてびっくり。
100軒を超える露店がずら~りと並んでいたのですから。
100軒中100軒で売られていたのが、ジョージアの国民的スイーツであるチュルチュヘラ。
細長くてゴツゴツとした棒状の不思議な形が特徴的です ▼
チュルチュヘラとは、くるみなどのナッツ類をタコ糸に通したものを、ぶどう果汁と小麦粉を混ぜた液体に浸す→天日干しを数回繰り返したもの。
砂糖は使われておらず、ぶどう本来の素朴な甘みとナッツの香ばしさがクセになるスイーツです。
実はここカヘティ地方は、チュルチュヘラの名産地として有名なのだそう。
ワイン用のぶどう栽培が盛んであることから、同じ原料のスイーツが生み出されたのかもしれませんね。
こんな感じの露店が5kmほどの区間にずら~りと並んでいるのは、カヘティ地方以外ではなかなか見られない光景だと思います。(それにしてもこんな密集して同じものばかり売っていて儲かるのだろうか?)
というわけで、この区間を「チュルチュヘラ街道」と名付けることにしました(笑)
どこの露店でも、自分の家で作ったチュルチュヘラを玄関前のスタンドにぶらさげて販売しています。
せっかくのカヘティ名物。購入していくのも良いかもしれません!
チャイルリ城塞を出発してチュルチュヘラ街道を歩くこと1時間弱で、マナヴィ村中心部のマルシュルートカ乗降ポイント【マップ 黄色②】に到着します ▼
ここからマナヴィ城塞までは、さらに1時間ほど。
マナヴィ城塞は丘の頂上に建っており、高低差も結構なものとなるので、飲み物などの準備はお忘れなく!(マナヴィ村中心部の交差点に商店があります)
「空白の50年」のミステリーにひたる!マナヴィ城塞
今回のカヘティ地方の古城街道旅で訪れたもう一つの城塞が、マナヴィ城塞(Manavi Fortress / მანავის ციხე)。
同名のマナヴィ村を見守るようにたたずむ姿が印象的で、200mほどはある丘の頂上に堂々と建っています。
はじめに訪れたチャイルリ城塞の魅力が歴史だとしたら、マナヴィ城塞の魅力は絶景にこそあります。
丘の頂上にあるため、麓の村はもちろん、カヘティ地方の広大な大地の地平線までを一望することができるのです。
現在のマナヴィ城塞は、城壁の一部がかろうじて残っているだけ。
保存状態はやや微妙ではありますが、補修工事をする計画があるようです。
マナヴィ城塞の歴史に関しては謎に包まれた部分が多く、誰がなんのために建てたのかはわかっていないそう。
その城壁は二層構造となっており、下層(古い層)は10世紀~11世紀頃(1100年~1000年前)のものだと解明されています。
謎多きマナヴィ城塞に関して唯一わかっていることは、カヘティ地方がペルシア帝国の支配下にあった18世紀前半(300年前)に最盛期を迎えていたこと。
当時のカヘティ王であったイマム・クリ・ハンという人物がこの場所に自身の宮殿を建設させ、カヘティ地方支配の中心的な場所となっていました。
他にも、1712年にマナヴィ城塞で結婚式を挙げたカヘティ王家の人物の記録が残っており、当時はかなり重要な場所として位置づけられていたことがわかります。
1710年代~1720年代にかけて黄金時代を迎えていたマナヴィ城塞ですが、それからおよそ50年後の1772年にはすでに廃墟と化していたとの記録が残っています。
たった50年の間にこの場所でいったい何が起こり、どうして廃城となってしまったのか…それは現在でも闇の中。
ミステリアスな「空白の50年」が、マナヴィ城塞の絶景に深みを持たせます。
現在では訪れる人も少なく、(話しかけられた村人に「マナヴィ城塞に行く」と言ったら、「なんであんなところに?」と爆笑されたほど)人々の記憶からも抜け落ちてしまったかのようなマナヴィ城塞。
ミステリアスな「空白の50年」に思いを馳せながら、昔も今も変わらない絶景を堪能しましょう!
チャイルリ城塞/マナヴィ城塞へのアクセス
今回の記事で紹介しているチャイルリ城塞&マナヴィ城塞へのアクセス方法は、以下の2通りです。
マルシュルートカを利用してトビリシから日帰り往復するのも楽勝ですし、トビリシ~シグナギに移動がてら各見どころに立ち寄るスタイルも可能です!
①タクシー
最も快適&効率的に移動と観光を済ませたいなら、タクシーの利用がおすすめ。
丘の頂上に位置するマナヴィ城塞の手前までは舗装道路が走っているため、苦労して登らなくて済むのもメリットです。
チャイルリ/マナヴィのいずれにも客待ちのタクシーは存在しないため、トビリシで半日~1日チャーターしてしまうのが安心です。
・トビリシ~チャイルリ&マナヴィの単純往復(待機時間込み):100GEL~120GEL(=¥4287~¥5144)
・トビリシ~チャイルリ&マナヴィ~シグナギへ観光がてら移動:150GEL~200GEL(=¥6431~¥8574)
このエリアのもう一つの見どころであるニノツミンダ修道院にも立ち寄るプランの場合は、時間的にもタクシー利用が良いでしょう。
トビリシ→ニノツミンダ修道院→マナヴィ→チャイルリ→シグナギと1日かけて移動&観光をするプランも、時間に無駄がなくておすすめです!
②マルシュルートカ
チャイルリ城塞とマナヴィ城塞(&ニノツミンダ修道院も)は、公共ミニバスであるマルシュルートカを利用して個人でアクセスするのも簡単。
このエリアの主な路線と各区間の運賃は以下の通りです ▼
・トビリシ~サガレジョ:20分に1本
・トビリシ~マナヴィ:1日4往復
・トビリシ~カカベティ:30分~1時間に1本
・トビリシ~バディアウリ:1時間に1本
・トビリシ~シグナギ:2時間に1本
行き先に合わせて、目的地を通る路線のどれかに乗ればOK。
(例:チャイルリ城塞へ行く場合→カカベティ行き/バディアウリ行き/シグナギ行きのどれかに乗る)
これらの路線はすべて、トビリシ市内南東部に位置するサムゴリ・バスステーション(Samgori Bus station)の発着です。
トビリシ~チャイルリ城塞間のアクセス
【トビリシ→チャイルリ方面(往路)】
トビリシ→チャイルリ城塞へ移動する場合は、カカベティ行き/バディアウリ行き/シグナギ行きのいずれかの便を利用します。
3つの便を合わせると30分に1本は出発している計算になるので、簡単に移動できるでしょう。
サムゴリ・バスステーションで「チャイルリス・ツィヘ」(Chailuris Tsikhe / ჩაილურის ციხე=ジョージア語で”チャイルリ城塞”)とその辺の人に尋ねれば、直近の時間に出発する便を教えてくれるはずです。
▲ 目的のバスに乗ったら、チャイルリ城塞入口のマルシュルートカ乗降ポイント【マップ 黄色①】で途中下車すればOK。
(進行方向右手にどーんとお城が見えるので、見過ごすことはないでしょう)
【チャイルリ→トビリシ方面(復路)】
チャイルリ城塞からトビリシに直接戻りたい場合は、下車したポイント【マップ 黄色①】の反対車線でトビリシ方面へ向かうマルシュルートカが通るのを待っていればOK。
時間帯にもよりますが、30分に1本はトビリシ行きの便が通ります。
チャイルリ城塞~マナヴィ村間を、徒歩ではなくマルシュルートカで移動したい場合も要領は同じ。
トビリシ方面に走るマルシュルートカに途中乗車&途中下車すればOKです。
その場合の料金は2GEL(=¥87)ほどが相場です。
トビリシ~マナヴィ城塞間のアクセス
【トビリシ→マナヴィ方面(往路)】
トビリシ→マナヴィ城塞へと直接移動したい場合は、マナヴィ行き/カカベティ行き/バディアウリ行き/シグナギ行きのいずれかの便を利用します。
4つの便を合わせると20分~30分に1本は出発している計算になります。
サムゴリ・バスステーションで「マナヴィ」(Manavi / მანავი)とその辺の人に尋ねれば、直近の時間に出発する便を教えてくれるはずです。
▲ 目的のバスに乗ったら、マナヴィ村中心部にあるマルシュルートカ乗降ポイント【マップ 黄色②】で途中下車すればOKです。
(運転手に「マナヴィ城塞に行きたい!」と言っておけば、ここで降ろしてもらえるはず)
バスを降りたポイントからは、マナヴィ城塞まで舗装道路が続いているのでひたすら歩いていくのみ。
ずっと上り坂が続くため、片道1時間ほどはみておきましょう。
マナヴィ城塞への道は大部分が舗装されていて歩きやすいですが、途中でいくつか分岐点があるのでご注意を。
マップアプリの通りに歩けば問題ないでしょう。
【マナヴィ→トビリシ方面(復路)】
マナヴィ城塞の観光を終えたら、来た時と同じ舗装道路を戻っても良いのですが、個人的にはショートカットできる未舗装道路を下っていくのがおすすめです ▼
行きの舗装道路よりも素晴らしい風景が見られるのはもちろん、途中にぽつりと建つ教会に立ち寄ることができるためです▼
教会からさらに下っていくと、幹線道路沿いのマルシュルートカ乗降ポイント【マップ 黄色③】に至ります ▼
時間帯によりますが、20分~30分に1本はトビリシ行きのバスが通るので便利。
トビリシ方面への最終は、18:30頃とのことです。(のぶよは17:30頃に通ったバスに乗りました)
古城街道とセットで訪れたいスポット
チャイルリ城塞とマナヴィ城塞だけでも相当見ごたえがありますが、せっかくなら近郊に点在する他の見どころとセットでまわるのもおすすめ。
いずれも同じ幹線道路沿いにあるので、効率的に移動&観光したい場合はタクシー利用が◎
個人でマルシュルートカを利用してアクセスする場合でも、事前にしっかりとプランニングすれば何とかまわれると思います。
ニノツミンダ修道院
今回紹介した二つの城塞とセットでまわりやすいスポットNo.1が、ニノツミンダ修道院。
カヘティ地方らしい一面の緑の大地に浮かび上がるかのような中世の修道院で、現実離れした風景が見られます。
チャイルリ城塞&マナヴィ城塞とニノツミンダ修道院の3ヶ所なら、トビリシから日帰り&マルシュルートカの利用でも比較的余裕でまわれるはず。おすすめです!
シグナギ
ジョージアの地元の人にも外国人観光客にも人気が高いシグナギは、丘の上にひらけたおもちゃの町のような可愛らしい雰囲気。
今回紹介した二か所の城塞(&ニノツミンダ修道院)はいずれも、トビリシ~シグナギの幹線道路沿いに位置しているため、この区間を移動しながら立ち寄るスタイルの旅行にぴったりです。
チャイルリ城塞、マナヴィ城塞、ニノツミンダ修道院の三か所への立ち寄り観光とシグナギ観光を1日で済ませるのは、タクシーを利用しようとも時間的に不可能なので、シグナギに宿泊するプランがおすすめです。
おわりに
観光客にはほとんど知られていない、カヘティ地方の古城街道を紹介しました。
歴史スポット好きや古城好きの人には心からおすすめしたいですし、トビリシ発のデイトリップ先を探している人にも候補の一つとして提案したいです。
個人でのアクセスが簡単である点も、古城街道をおすすめする理由。
タクシーでサクッとまわるのも良いですが、ローカルなミニバスに揺られながら旅情を感じるのも、ジョージア旅の醍醐味だと思います!
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