普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。
各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。
重たい体を起こし、窓から外をのぞくと、そこは雪国だった。
しんしんと降る雪が、見慣れた町並みを真っ白に染め、真っ白な冬空との境界線が分からないほどだった。
友人宅で散々飲み明かし、そのまま泊まることとなった翌朝。
床に転がるビール瓶に、片づけられることもなく放置された食器。
ありふれた「二日酔いの朝」の光景が非現実的なものに思えるほど、窓の外の風景は別世界だった。
雪は嫌いだ。
いや、世界で一番嫌いなものが雨だから、世界で二番目に嫌いだ。
美しいのは早朝の数時間だけ。
ひとたび日常生活が始まる時間ともなれば、真っ白な道は踏み荒らされ、ひっきりなしに通る車によって溶けて水になり、さっきまでの真っ白で幻想的な光景が夢だったかのように、街は茶色のグチャグチャでいっぱいになる。
友人に別れを告げ、帰路につく折になっても、雪は全くやむ気配がない。
それどころか、冬将軍が春の訪れを前にして最後の力を振り絞っているかのように、朝よりも勢いを増してずんずんと降り積もっていく。
できる限りスニーカーを濡らさないようにベチャベチャの歩道を歩いて(悪態をつきながら)、ようやく自宅に到着した。
二日酔いがまだ続いていて、正直食欲はあまりないし、今から料理をするのも面倒くさい。
茹でるだけの冷凍食品が出来上がるのを待ちながら、外の風景を眺める。
コーカサス山脈の麓の国の首都・トビリシの冬は長く厳しい。
灰色の曇り空が毎日のように続き、最高気温がマイナスとなる日も珍しくはない。
しかし、その極寒の気候とは裏腹に、雪が降ることはほとんどないそうだ。
じっさい、もうトビリシに来て1年が経つが、見慣れた風景が真っ白になるほどに雪が降り積もることは初めてだし、昨晩泊めてもらった友人(もう数年単位で滞在している)に聞いても「ここまで雪が積もったのは初めて見た」とのことだった。
そんな寒々しい風景を、不味いインスタントコーヒーを飲みながら眺めていて、ふと思った。
「雪が積もったトビリシを上から眺めたら、すごくきれいなんじゃないか。」
谷間に開けたトビリシの町には、いくつか中心街を一望できる場所が点在している。
観光客がこぞって訪れるようなところだし、最近はめっきり足が遠ざかっている旧市街エリアだ。
一度想像し始めたら、いても立っていられなくなった。
数年に一度あるかないかのトビリシの雪景色を見るなら、これ以上ないチャンスなのだから。
思い立ったが吉日。
飲みかけのコーヒーを捨て、旧市街行きのバスに飛び乗っていた。
バスを降りると、目の前に広がっていたのは、自分が知っている「トビリシ旧市街」ではなかった。
真っ白な雪に覆われた家々や教会。
雪合戦をしたり雪だるまを作ったりする人々。
ぼうっと浮かび上がるような存在感を放つ、かつての城塞。
冬の澄んだ空気に包まれた一面の銀世界は、言葉を失うほどの感動を覚えるには十分すぎるほどだった。
初めこそ、溶けかかった雪のベチャベチャに辟易しながら歩いていたが、もうどうでも良くなった。
靴が濡れたときのあの気持ち悪さや、スマートフォンを操作できないほどにかじかんだ指先や、顔を叩くように吹き付ける雪を我慢してでも、もっともっとこの美しく儚い世界を目に焼き付けたいと思った。
トビリシ旧市街を一望できるナリカラ要塞は、その意味では絶好な場所だ。
1600年前に築かれ、この地にやって来た多くの民族が拠点とした歴史ある城塞。
雪に覆われた町を一望するなら、これ以上の場所はない。
積もった雪が溶けてシャーベット状になった城塞までの急な坂道を、滑って転ばぬようにペンギンさながらの姿勢でゆっくりと登る。
スニーカーは色が変わるほどにびっしょりと濡れ、足の指の感覚もほとんどない。
でも、そんな気持ち悪さが全く気にならないほど、城塞までの道のりは美しかった。
ようやく頂上に到達し、何百年前かの古い城壁越しに初めて中心街側に目をやった。(到着するまでは後ろを振り返らないようにしていた)
そこに広がっていたのは、見慣れた土っぽい風景のトビリシではなかった。
まるで冬の妖精に魔法をかけられたかのように、白と灰色のモノトーンに統一された、童話の世界さながらのトビリシだった。
これまで1年間この町に滞在してきたが、正直なところ、「美しい町」だとはあまり感じたことがなかった。
ヨーロッパ調の町並みは作り物だし、土っぽい路地や傾いた家々、ソ連的な混沌とした風景など、自分の「美しさ」の定義とは必ずしも合致していなかった。(それはそれで味があって好きだけど)
でも、今まさにこの瞬間、目の前に広がっている光景は、まぎれもなく「世界で一番美しい町」に違いなかった。そんな風景を独り占めしていた。
城塞からの帰り道。
靴はもう履いている意味をなさないほどにビショビショで、2回ほど滑って転んだため、たまたま身につけていた白いジーンズもドロドロになっていた。
でも、そんなことはもうどうでも良い。
そう思えるほどに、さっきまで目の前に広がっていた光景の数々は美しかったから。
数年に一度しか見られない特別な風景は、普段は何も意識していない日常の風景が少し変化したものでしかない。
今ここに居られるのは、特別なこと。
なんてことない毎日の風景のなかにも、感動や驚きは詰まっている。
すべては自分の捉え方次第で、同じ光景でも同じ日常でも毎日のルーティーンでも、全く別のものとなる。
大切なことは、そこら辺に転がっている小さな喜びや感動、物事の些細な変化を、意識しようと努めることができるかどうか。
それが分かって行動した人だけが味わえる極上の感動が、きっとこの世界にはあふれているのかもしれない。
まるで列車が長く暗いトンネルを抜けて、車窓越しに一面の銀世界が広がった時の感覚を疑似体験したかのように。数年に一度の雪景色は、それまで心の中にモヤモヤと存在していた「何か」を半ば強引に奪い取ってくれた。
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