こんにちは!アルメニアに5ヶ月滞在した、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ)
いきなりですが、言わせてください。
今回紹介するのが、アルメニアで一番…いや、コーカサス全体で最も美しい町です。
その名も、ギュムリ(Gyumri / Գյումրի)。
アルメニアで二番目に多い21万人の人口を誇るギュムリは、この地がロシア帝国の支配下にあったおよそ200年前に発展した町。
この地域で採れる黒っぽい石で統一された旧市街を持ち、ロシア帝国時代からの優雅でシックな気品あふれる雰囲気が町全体にただよう古都です。
ギュムリ市内にはとにかく見どころがたくさんあり、定番スポットを順番にまわるだけでも充実した観光になるはず。
いっぽうでギュムリ最大の魅力は、「古いものを古いままに」という姿勢の下で見事に保存されている200年前からそのままのレトロな町並みにあると思います。
「ギュムレツィ」と呼ばれるギュムリの人々は、自分たちの町の美しさに強い誇りを持っていることでも知られているそう。
黒壁が続くシックなストリートの端々から、彼らの美意識を感じることができます。
長らくコーカサス地域の文化の中心地であったギュムリには、現在でも芸術的な香りがただよっているのもポイント。
中心街にはギャラリーやクラフト工房が点在し、自分だけの一点ものを探すのも面白いです。
地元の若手アーティストたちが思い思いにクリエイティビティーを発揮できる文化が根付くギュムリは、保守的なお国柄のアルメニアにおけるアート・クラフトの発信地。
伝統的なものを守りながら新しいものを取り入れる独特の気風が、この町独自の文化の根幹を成すものとなっている気がします。
ロシア帝国時代そのまま町並みも、文化的な香りも素晴らしいギュムリですが、のぶよがこの町をここまで推す最大の理由が、こんなにポテンシャルがあるのに観光地化がいっさいされていないから。
ヨーロッパによくある「リノベーションされた古びたチックな町並み+観光客向けの土産物店+セルフィーに励む観光客」の観光地三大セットは、ギュムリではいっさい見かけないのです。(そもそもアルメニアに来る観光客自体が少ないからかも)
何日いても新しい発見が尽きないギュムリ。
気がついたときには(のぶよのように)もうこの町の魅力の虜となっているかも…
というわけで今回の記事は、ギュムリの観光情報を徹底解説するもの。
情熱が余り余って特大ボリュームの記事となったので(定期)、2ページに分けてお送りします。
何度もしつこく言いますが、ギュムリはアルメニア観光のハイライト中のハイライトとなる町。
むしろ、ここを訪れずにアルメニアという国を語るなんてナンセンスです。
一人でも多くの人にこの素敵な町の魅力を知ってもらえれば、この超絶長い記事(26000字…)を書いた甲斐もあるというものです(笑)
「ここに行かずに死んだら絶対に後悔してた…」とまで、のぶよを思わしめた魔法の古都へ誘います!
ギュムリ観光の前に!絶対に知っておきたいこと
ギュムリ市内の4つの観光エリア
ギュムリは大きな町ではないものの、とにかく見どころがたくさん。
市内観光のポイントは、中心街を4つのエリアに分けて考えることです ▼
ギュムリの歴史&観光前に絶対に知っておきたいこと
歴史あるギュムリ観光の前にはこの町がたどった歴史を頭に入れておくのがマスト!
…ですが、記事があまりのボリュームになってしまうため別記事で解説しています。
ひとつだけ。ギュムリを訪れるのであれば絶対に覚えておきたいキーワードが「スピタク大地震」。
1988年にアルメニア北部を襲った大災害で、ギュムリでは建物の多くが半壊/全壊する被害を受けました。
地震から30年以上経った現在でも、ギュムリには半壊したままの建物が多く残っています。(おそらく財政的に厳しいのかも)
いっぽうで、(北隣の某キラキラ山国のように)謎デザインのモダンなガラス張り建造物や外壁だけ東欧チックなテーマパークのような町並みに再建することは、ギュムリではいっさいありませんでした。
ロシア帝国時代からの伝統的な黒い石造りの町並みのままに、修復・再建作業を町全体で進めた人々の心意気やこだわり…
これこそが、のぶよがギュムリをここまで推す最大の理由かもしれません。
ただ散策しているだけでも、ギュムリの人々の町並みに対する並々ならぬこだわりが壁の一つ一つから滲み出ているように感じられるはず!
ギュムリ観光マップ
黄色:バスステーション/鉄道駅
紫:ゲストハウス
ギュムリの観光スポット20選
ヴァルタナンツ広場周辺エリア
ギュムリのど真ん中に位置するヴァルタナンツ広場は、ギュムリ観光・滞在の中心となる場所。
広場の四方にはギュムリを代表する見どころや瀟洒な建築物が並び、ギュムリっ子が集まる賑やかな雰囲気です。
ギュムリ滞在中には何度も足を運ぶことになる場所でもあるので、まずはここを起点に観光をスタートしましょう!
①救世主大聖堂 ハイライト!
ヴァルタナンツ広場の南側にそびえる救世主大聖堂(Surb Amenaprkich / Սբ. Ամենափրկիչ)は、ギュムリのシンボル。【マップ①】
ギュムリの観光ポスター等にも多く登場する存在で、黒とオレンジの石造りの外観が特徴的。
アルメニア全土を見ても、この独特な色使いの外観を持つ聖堂はここくらいだと思います。
救世主大聖堂は、ロシア帝国統治下の1858年に完成した比較的新しいもの。
市民の信仰の中心地としての役割を担ってきましたが、1988年のスピタク大地震によってほぼ全壊してしまいました。
大地震の直後から聖堂の復興作業が進められ、現在では外観部分はすべて再建されています。
いっぽうで、内部はいまだ再建工事の最中で立ち入ることができません。
救世主大聖堂の周辺には、地震によって倒壊したオリジナルの聖堂の屋根の一部や、唯一倒壊を免れた柱が残されています。
聖堂の南側は大きな噴水を有する広場となっており、ハチュカル(石の十字架)やモニュメントが並んでいます。
広場の周囲に建ち並ぶ住宅の多くも、大地震後に再建されたもの。
そうは思えないほどに気品があふれるシックな外観です。
ギュムリの町を象徴するようなレトロな風景がそこら中に点在しているのも◎
観光のスタート地点としてもピッタリです。
②ヨト・ヴェルク聖堂 ハイライト!
ヴァルタナンツ広場の北側。真っ黒な外観が印象的な聖堂がヨト・ヴェルク聖堂 (Yot Verq / Յոթ Վերք)。 【マップ②】
14世紀半ば(700年前)の完成と歴史あるものですが、こちらも1988年の大地震で大きな被害を受けて再建されました。
「ヨト・ヴェルク」とは、アルメニア語で「七つの傷」の意味。
これは聖書内に登場する、聖母マリア(イエス・キリストの母)が受けた七つの悲しみにちなんで名づけられたものだそうです。
1:シメオンの預言(イエスの磔の刑が預言された)
2:エジプトへの逃避(マリアがイエスと共にエジプトへ逃れるようお告げがあった)
3:幼子イエスを見失う(エルサレムの神殿でイエスを見失った)
4:十字架の道でのイエスとの出会い(イエスが磔にされる前の最後の姿)
5:磔の刑
6:十字架から降ろされたイエスの遺体
7:イエスの葬儀
ヨト・ヴェルク聖堂は、アルメニア国内の数ある宗教施設を見てもかなり格式が高いことで有名な場所。
社会主義政策の一環で多くの宗教施設が閉鎖されたソ連時代のアルメニアにおいては、アルメニア教会の総本山であるエチミアジン大聖堂と、ここヨト・ヴェルク聖堂のみが一般に開放されていたというのですから…
この場所がどれほどアルメニアにおいて大切な存在であるか、イメージができるのではないでしょうか。
ヨト・ヴェルク聖堂の内部は白い壁と黒い柱が見事に調和したもので、鮮やかなブルーの祭壇も素敵です。
祭壇の奥には左右それぞれに礼拝用の小部屋がありますが、それぞれ異なる宗派の信者が礼拝するスペース。
右側がアルメニア使徒教会の礼拝スペース、左側がロシア正教会の礼拝スペースとなっています。
ロシア帝国の支配が強かったギュムリでは、歴史的に正教会の信者の割合が多いそう。
一つの聖堂内に二つの異なる宗派の市民が集まるヨト・ヴェルク聖堂は、ギュムリの人々の宗派を超えた結束や連帯の場としての一面が感じられます。
③ヴァルタナンツ広場
ギュムリの中心的な広場がヴァルタナンツ広場(Vartanants Square / Վարդանանց հրապարա)。
天気が良い日には多くの市民が集まり、人々の憩いの場として機能しています。 【マップ③】
広場の目印が、十字架と剣を持ち馬に乗ったヴァルダン・マミコニアンの像。
「ヴァルダン・マミコニアン」とは、451年(1600年前)にササン朝ペルシア帝国(現在のイラン)からアルメニアを防衛したことで知られる人物。
1600年近く経った現在でも、ここギュムリをはじめアルメニア各地に銅像が設置されているほどにポピュラーです。
ヴァルタナンツ広場の東側に建つ宮殿のような建物は、ギュムリの市庁舎。
地理的にも機能的にも、ここが町の中心であることがわかります。
ヴァルタナンツ広場西側は、カフェやレストランが建ち並ぶ賑やかな雰囲気 ▼
ギュムリはアルメニアの芸術文化の中心地としての顔を持つこともあり、広場周辺にはアートギャラリーやクラフト工房もいくつか点在しています。
この町に根付く奥深いカルチャーの発信地としても、ヴァルダナンツ広場は中心的な存在であることがわかります。
④リジコフ通り
ヴァルタナンツ広場から北東にのびるリジコフ通り(Rijkov St. / Ռիժկով փ.)は、流行に敏感なギュムリの人々が集まるお洒落なストリート。 【マップ④】
とはいえモダンな建物はいっさい存在せず、どれも良い感じに色褪せた外壁が素敵。
ここでもギュムリらしいレトロな雰囲気が味わえます。
リジコフ通り沿いには地元では有名なカフェやベーカリーが建ち並んでおり、どこもお洒落な雰囲気。
ギュムリの中では少々価格が高めですが、この町の気品あふれる雰囲気にひたりながらひと休みしていくのも良いかも!
通りの両側に建ち並ぶ建築を眺めながら歩くだけでも、ギュムリのレトロな魅力が感じられるはず。
週末になると若者や家族連れで賑わい、アルメニア第二の都市らしい活気にあふれます。
⑤アボヴィアン通り
「ギュムリ旧市街」にあたるクマイリ地区の東端となるアボヴィアン通り(Abovyan St. / Աբովյան փ.)は、ギュムリ観光で一度は通ることになる文句なしのメインストリート。 【マップ⑤】
「アボヴィアン」は、アルメニアの各都市に一つはあるポピュラーなストリート名。
その由来となっているのは、19世紀前半に活躍したアルメニア人作家のハチャトゥル・アボヴィアン(Khachatur Abovyan)という人物です。
ヴァルダナンツ広場から北にのびるアボヴィアン通りは、歩行者専用なのも散策しやすくて◎
通りの両側には堂々とした重厚な建物がずらりと建ち並び、ギュムリ市民お気に入りの散策コースとなっています。
アボヴャン通りの南端にあるのがカーク・カーコリアン像(Kirk Kerkorian)。
カーク・カーコリアンとは、アルメニア系アメリカ人の実業家。
かつてはただの砂漠でしかなかった場所に、巨大カジノリゾート・ラスベガスを造成する事業に大きく関わった億万長者で、アルメニアではかなりの有名人なんだそうです。
⑥アスラマジヤン姉妹ミュージアム おすすめ!
⑤アボヴィアン通り沿いにあるアスラマジヤン姉妹ミュージアム(The Gallery of Mariam and Eranuhi Aslamazyan Sister)は、アートに興味がある人にはぜひ訪れてほしい場所。 【マップ⑥】
石造り&木製テラスのギュムリらしい建築様式の建物は、細部の装飾も含めて圧巻のひとこと。
1988年のスピタク大地震での被害が比較的少なかった建物で、地震直後は家を失った人々の仮の住まいとして機能していたそうです。
「アスラマジヤン姉妹」とは、マリアム・アスラマジヤンとエラヌヒ・アスラマジヤンという、ギュムリ出身の芸術家姉妹のこと。
20世紀初頭に世界中を旅した彼女たちは、異国の地で生きる女性や異文化を描いた作品を多く残しました。
彼女たちが残した絵画や陶器など合計600点以上にもおよぶ作品を集めたのが、こちらのミュージアムなのです。
アスラマジヤン姉妹が生きたのは、20世紀前半のソ連時代のアルメニア。
当時は女性だけで海外を旅することなど考えられなかった時代でした。
極彩色で生き生きとしたタッチの作品の数々はどれも美しく、独創性に満ち溢れたもの。
旧ソ連地域をテーマにした作品もいくつかありますが、最も多く展示されていたのはアジアやアフリカなど完全なる異文化の地をテーマにした作品 ▼
作品の一つ一つに、彼女たちの旅への情熱や異文化への新鮮な興味が息づいているように感じられ、こちらまで何だか楽しくなってくるほど。
芸術作品が持つ力のすごさを感じることができます。
ギャラリーの敷地はかなり小さく、1時間もかからずに見学できてしまうほど。
伝統的な建物と中庭の雰囲気も良いですが、内部の展示もとにかく素晴らしいので、ぜひ立ち寄ってみてほしいです。(入場料も安いですし)
⑦ティクニカイン・タトロン人形劇場
80年以上の歴史を持つティクニカイン・タトロン人形劇場(Tiknikain Tatron puppet theater)は、文化の都・ギュムリを象徴するような場所。 【マップ⑦】
ロシア帝国時代は醸造所として利用されていた建物が、ソ連時代に人形劇場としてリノベーションされたもので、コーカサス地域で最初の人形劇場として知られています。
驚くべきが、この場所は現役の人形劇場として機能している点。
人形劇が行われる週末のお昼には、建物の前で開演を待つ家族連れの姿でいっぱいになります。
旧ソ連諸国では現在でも、人々の間で人形劇がポピュラーなことが多いのですが、観光地化されたものや富裕層の娯楽となったもの(=料金が高い)も目立ちます。
その点、このティクニカイン・タトロン人形劇場はあくまでも現地の家族連れ向け。
いち公演あたり400AMD(=¥95)と、昔ながらの庶民的な料金も人々に愛され続ける理由でしょう。
人形劇の鑑賞は観光客にも開放されているので、興味がある人にはおすすめ。
演目はもちろんアルメニア語のみとなりますが、言葉は分からずともギュムリに受け継がれる文化を肌で感じられるはずです。
⑧アルメニア最古の床屋 おすすめ!
ギュムリに来たなら絶対に見逃せないのが、アルメニア最古の床屋。【マップ⑧】
およそ80年前の1940年のオープンで、外観も内装もものすごくレトロ。
ソ連時代からの床屋の伝統を重んじてか、現在でも男性しか入れない空間となっているのでご注意を。
少し錆びついた椅子や丸鏡、天井の装飾から電気にいたるまで…
何から何まで、とにかく全てがレトロな空間がそこにありました。
ギュムリの男性陣は、わりと頻繁に床屋で身だしなみを整える文化があるよう。
のぶよが訪問した数十分の間でも、ひっきりなしに客が来ていました。
「こんなローカルにもほどがあるような場所に外国人が立ち入ると嫌がられるかな…?」
なんて懸念していたのですが、そんなことは全くありませんでした。
「あれも撮れ!これも見ていけ!なんなら俺たちを撮れ!」と、別に髪を切りに来たわけでもない外国人に、お店のおじさんたちも興味津々。
さすが、何十年も客商売をしている人たち。コミュニケーション能力に磨きがかかっています。
しまいには「その長い髪を切っていけ!」と言い出したので、丁重にお断りしておきました。
アルメニアンカットにされるのもちょっとアレなので…
男性の旅行者なら、ギュムリ滞在中の鮮烈な思い出となることは間違いなし。
レトロな空間の中、愉快なおじさんたちによる「おまかせアルメニアンカット」に挑戦してみては?(シェービングだけでもOKだそうです)
ギュムリ市場周辺エリア
ギュムリ中心街南部は、人々の台所となるギュムリ市場を中心とした活気あるエリア。
瀟洒で気品ただよう他のエリアに比べると、雑多で埃っぽさが感じられますが、ギュムリの魅力であるレトロ感は健在です。
市場周辺エリアにはスピタク大地震で半壊したまま放置された建物も目立ち、復興にはまだまだ時間がかかりそう。
というか、本当に復興されるのか謎なくらいに、半壊した建物が町並みに溶け込んでいました。
「ギュムリの下町」らしいローカルな雰囲気あふれるストリートをのんびりと散策していきましょう!
⑨国立建築と都市生活ミュージアム ハイライト!
オレンジと黒の外壁が美しいこちらの建物が、国立建築と都市生活ミュージアム(Museum of National Architecture and Urban Life)。【マップ⑨】
ギュムリの歴史や文化、建築に焦点を当てたミュージアムで、さまざまな角度からギュムリという町を知る手がかりが展示されています。
散策が楽しくなること間違いなしなので、ぜひとも街歩きの前に訪れておくのが良いでしょう。
ミュージアム内には展示作品がとにかくたくさんあり、一つ一つ紹介していくとキリがないのですが、ロシア帝国時代に「アレクサンドロポリ(Alexandropoli)」と呼ばれていたギュムリが、芸術文化の中心地であると同時にものづくりの中心地であったことがわかります。
錫を用いた鋳造業で栄えた町ということもあり、200年前に造られた金属製品が多く展示されていました ▼
▲ 中でもギュムリらしい製品が錫製の雨どい。
ギュムリ最古の町並みが残るクマイリ地区の建物には、こうした飾り付きの美しい雨どいが今でも多く見られます。
現在ではアルメニアのアート・クラフト文化の中心地となったギュムリですが、そのルーツは200年前のものづくり文化から脈々と受け継がれてきたのかもしれません。
また、博物館内にはかつての富裕層の自宅内部のようすも再現されています ▼
壁紙から家具、食器の一つ一つにいたるまで、実際に使用されていたものなのだそう。
アルメニア北部の商業の中心地でもあったギュムリの繁栄が香る、優雅な雰囲気の空間にうっとり…
他にも多くの展示があるミュージアムは見ごたえ抜群。
見学には1時間ほどの時間をみておきましょう。
⑩聖殉教者大聖堂
⑩国立建築と都市生活ミュージアムのすぐ北側に建つのが聖殉教者大聖堂(Cathedral Of The “Holy Martyrs” / Սուրբ Նահատակաց)。 【マップ⑩】
オレンジの石で統一された外観が美しく、西日が当たる午後の時間の神々しさには息を呑むほど。
2012年の完成で歴史こそほとんどありませんが、ギュムリの人々の信仰の中心地となっています。
聖殉教者大聖堂は円形の敷地で二階建てという珍しい様式。
こちらは、7世紀に建設されたズヴァルトノッツ聖堂の様式を模したものなのだそうです。
⑪ギュムリ市場
「落ち着いた黒壁のストリートにレトロな木製テラス」…そんなギュムリ中心街とは完全に異なる雰囲気のギュムリ市場(Shuka)は、食材から日用品、謎の部品までなんでもござれなカオスなスポット。【マップ⑪】
小道には小さな袋に入った野菜や自家製チーズ、謎のスパイスを売る店(「露店」と言った方が正しいかも)などがずらり。
ある意味、これも「レトロ」なのかもしれません。(というか、ソ連時代から時が止まっている感じ)
ギュムリ市場は屋外部分と屋内部分に分かれており、ここで手に入らないものはないと言い切れるほど。
シラク地方の名産グルメも多く売られており、ただ散策しているだけでも楽しいです。
アルメニア第二の都市にもかかわらず外国人が珍しいためか、とにかくよく声をかけられるギュムリ市場。
謎のチーズや謎の加工肉などを不思議そうに眺めていると、「ほれ、食べろ!」と試食させてもらえることもしばしばありました。
ギュムリの市場には数回足を運んだのですが、いつ訪れてもあまり人の姿が見られなかったのが不思議。
なんとなく閑散とした雰囲気が漂っており、絶妙な場末感もなかなかクセになるかも。
アルメニア各都市の市場を訪れてきましたが、ギュムリ市場の「時が止まっている具合」はけっこうなもの。
こういった雰囲気が好きなのぶよのような人にとってはパラダイスかもしれません。
所狭しと商品が並ぶ市場の小道を行ったり来たりしながら、昔ながらの雰囲気と人情を味わってみては?
セントラルパーク周辺エリア/その他のエリア
ギュムリ中心街の西側は、ゆるやかな丘がつらなるエリア。
人々の憩いの場である⑬セントラルパークや、この町の歴史を象徴するような歴史スポット「⑮黒の要塞」も見逃せません。
ギュムリ全体を見渡せる絶景ポイントも数多く、ゆっくりと時間をかけて散策するのがおすすめです!
⑫セントラルパーク
ギュムリ中心街の西側の丘に広がるセントラルパーク(Central Park)は、人々の憩いの場として愛されている存在。(位置的にはまったく「セントラル」ではありませんがね…)【マップ⑫】
公園内にはソ連時代あるあるのアトラクションが設置され、ちょっとした遊園地のよう。
しかしほとんどの乗り物はもはや動いておらず、そこはかとない場末感が漂っています ▼
アトラクションゾーンのソ連感は別として、木々が多く茂った公園内はギュムリっ子お気に入りの散策スポット。
THE・ソ連なモニュメントもいくつか設置されているので、ぜひ探してみましょう▼
この時は10月半ばで紅葉のピーク。
黄色や赤に色づいた木々と一面の落ち葉が織りなす、絵画のような美しい風景が公園全体に広がっていました。
セントラルパーク最南端には、ギュムリ市街地南部を一望できるポイントがあるので、こちらもお見逃しなく ▼
⑬奇跡の聖ニコライ教会の屋根の奥には、緑に囲まれた市街地。その向こうにはシラク地方の広大な大地が広がります。
この絶景ポイントから階段を下りていくと、奇跡の聖ニコライ教会に続く道路へショートカットできます。
⑬奇跡の聖ニコライ教会
⑫セントラルパークの南側に建つ奇跡の聖ニコライ教会(Saint Nikolai the Wonderworker)は、1853年完成のギュムリ最大のロシア正教会。 【マップ⑬】
トルコとの国境に近いギュムリは、現在でもロシア軍の基地がある町。(セントラルパークとアルメニア母の像の間の谷間に基地がある)
ロシア正教徒の人口も多く、この町のロシア人コミュニティーの信仰の中心として現役で機能しています。
⑭アルメニアの母の像 ハイライト!
ギュムリ中心街西側の小高い丘の上に堂々とそびえるのが、アルメニア母の像(Mother Armenia / Մայր Հայաստան)。【マップ⑭】
エレバンにも「アルメニア母の像」があり、なぜかアルメニアには二人の母がいるという複雑な家庭事情になっています(笑)
ギュムリの「母の像」は、アルメニアがソ連統治下にあった1975年の完成。
像に至る道のりには、当時ソ連統治下にあった町の名が刻まれたモニュメントがずらりと続いています ▼
長い階段を上ってようやく母の像のポイントに到着。
後ろを振り返ると、ギュムリ中心街を一望するパノラマが広がっていました ▼
アルメニア母の像のすぐ北側にある丘の上には⑮黒の要塞(セフ・ベルド)が堂々と建っており、要塞の全景を望むことができるポイントでもあります。
⑮黒の要塞(セフ・ベルド) ハイライト!
⑭アルメニア母の像のすぐ北側の丘の頂上に建つ黒の要塞(Sev berd / Սև բերդ)は、その名の通り真っ黒な石で統一された円形の要塞。【マップ⑮】
東側のギュムリ中心街はもちろん、西側の7km先にあるトルコ国境まで一望することができます。
アルメニア語では「セフ・ベルド」と呼ばれる黒の要塞。
完成したのはロシア帝国支配時代の1847年のことで、当時のロシア皇帝・ニコライⅠ世の命で建設されたものです。
当時の黒海沿岸~コーカサス地域は、北のロシア帝国と南のオスマン帝国(現在のトルコ)が覇権を争っていた時代。
オスマン帝国との国境まで10kmもない場所に位置するギュムリの防衛の最前線として、鉄壁の守りを有する要塞が造られたのです。
長らくこの地域の防衛拠点としてロシア軍が駐屯していた黒の要塞ですが、2012年にアルメニア人大富豪によって購入され、一般の旅行者でもアクセスできるようになりました。(しかも無料!)
現在ではコンサートホールにする計画が持ち上がっているそうで、内部はいまだ未完成という中途半端な状態。
本当に実現する計画なのかは謎ですが、近い将来にはギュムリの新たなカルチャースポットとして人気を博しているかもしれません。
高台に位置する黒の要塞は絶景スポットとしても人気で、ここから眺めるギュムリ中心街は格別です!
⑯病院跡
1988年のスピタク大地震の傷跡が多く残るギュムリですが、中でも地震の規模の大きさをまじまじと感じられるのが、クマイリ地区のすぐ西側に残された病院跡。【マップ⑯】
ソ連時代に建設されたギュムリ最大の病院は、地震によって崩落してしまい、骨組みだけが痛々しく残されています。
表通りからは、共同住宅の中庭を抜けてのアクセス。
敷地内への立ち入りは自由ですが崩落の危険性があるため、建物内部への立ち入りは控えるべきです。
大地震から30年余り。人の手が加えられずに放置されたかつての病院は、生い茂る草木に覆われて半分自然に還りつつありました。
⑰独立広場
ギュムリ中心街と鉄道駅の中間にあるのが、独立広場(Ankakhutyan square / Անկախության հրապարակ)。【マップ⑰】
THE・ソ連な建物に四方を囲まれた広場周辺は、ソ連時代のギュムリの呼び名である「レニナカン」の雰囲気が色濃く残ります。
独立広場はギュムリ市内交通のハブとなる場所。
多くのマルシュルートカ路線がここを経由するので覚えておきましょう。
独立広場から南に100mほど歩いたヴァルダン・アジェミャン演劇場(Vardan Ajemyan Drama Theate)は、ギュムリの文化・娯楽の中心的な場所。
現在でも演劇などが開催されており、週末は多くの市民で賑わいます。
⑱「鉄の噴水」
ギュムリの中心街から北に3kmほどの町はずれにぽつりとたたずむのが「鉄の噴水」(The Iron Fountain)と呼ばれるモニュメント。【マップ⑱】
一目見てわかる通り、ソ連時代に設置されたものです。
「ソ連芸術は何を表しているのか誰にも分からない」という格言の通り、何を意図して造られたものなのかは深い謎です。
「鉄の噴水」の周囲には建物はいっさいなく、空き地だけが広がっている寂しげな雰囲気。
おそらく1988年の地震の際に、もともと建っていた共同住宅などが全壊してしまったのではないかと思います。
クマイリ地区
ギュムリ観光で最も時間をかけて散策するべきエリアが、クマイリ地区(Kumayri / Կումայրի)。
中心街全体が旧市街のようなギュムリにおいても最古の建物が残るエリアで、「旧市街of旧市街」といった感じです。
「クマイリ」の名前は、紀元前8世紀(=2800年前)にこの地域を支配下においた古代ウラルトゥ王国(現在のトルコ東部)が「クマイリ=”織物の中心地”」の名をつけたことに由来しているそうです。
現在のクマイリ地区の町並みは、200年前のロシア帝国時代に整備されたもの。
当時から何も変わっていないレトロでシックな町並みを歩いていると、まるで古い映画のワンシーンに迷い込んだかのような不思議な気分になるはずです。
1989年のスピタク大地震による被害を受け、放置されたままの建物も多いですが、少しずつ再建作業が進められています。
⑲聖ヌシャン教会
クマイリ地区を東西に走るルスタヴェリ通りで一番高い建物であり、シンボル的存在が聖ヌシャン教会(Surb Nshan church)。【マップ⑲】
19世紀末の建造と比較的新しいもので、ギュムリらしい黒っぽい石で統一された外観が目を引きます。
内部はモダンに改装されていて、明るく温かな雰囲気 ▼
聖ヌシャン教会はソ連時代に一度閉鎖され、鐘楼部分を展望台に改装するプランが出ていたそう。
もちろん、歴史を大切にするギュムリの人々がそれを許可するわけもなく、計画は頓挫。
ソ連崩壊とともに、再び信仰の場としての機能を取り戻しました。
クマイリ地区の二大メインストリートである⑤アボヴィアン通りとルスタヴェリ通りに面して建つ聖ヌシャン教会。
黒壁のドーム型屋根が石造りの町並みの上に突き出している風景は、「これぞクマイリ地区!」と唸りたくなるほどに美しいものです。
⑳クマイリ地区の町並み ハイライト!
クマイリ地区は、観光スポットというよりも全体が屋外博物館のようなエリア。【マップ⑳】
右に左に連なるストリートを余すところなく散策するのは、ギュムリ観光のハイライトの一つです。
これまで色々な町の旧市街を訪れてきましたが、クマイリ地区以上にオリジナルの建物が良好な保存状態で残っている旧市街は見たことがありません。
しかも、こんなロシア帝国そのままの雰囲気の地区がほとんど観光地化されていないのですから…本っっっ当に素晴らしいのひとことです。
のぶよはこのクマイリ地区が大好きすぎて、ギュムリに滞在した10日間のうちほぼ毎日散策していました。
一つ一つの建物に歴史が詰まっており、この記事では到底すべてを紹介することはできません。
クマイリ地区の各ストリートの様子や、絶対に立ち寄りたい歴史ある建物などを網羅した「クマイリ地区散策ガイド」の記事も書いているので、そちらもぜひチェックしてみてください!
ギュムリ近郊の日帰りスポット
市内観光だけでも充実度が高いギュムリですが、近郊にも珠玉のスポットが点在していることも見逃せません。
ギュムリはシラク地方の交通のハブ。
公共交通手段を利用して個人でのアクセスができる点も旅行者的には嬉しいです。
ここでは、ギュムリから日帰りで訪れることができる見どころを紹介します。
それぞれの詳しい観光情報やアクセスは別記事でチェックしてください!
マルマシェン修道院
中世アルメニア王国の栄光が香る聖地は、まるで絵画のような美しいたたずまい。
建築様式の緻密さはアルメニア髄一だと思います。
アマシア
「アルメニアで一番カラフルな村」と称されるアマシアは、村全体が童話の世界。
素朴な村で暮らす人々との触れ合いも楽しみの一つです。
ジラピのキャラバンサライ
かつてシルクロード交易の要所だった地に残るキャラバンサライ(隊商宿)の跡。
目を閉じれば当時の活気や喧騒が浮かんでくるようです。
イェレルク聖堂
アルメニアで最古の聖堂建築が見られるイェレルク聖堂は、とにかく圧巻のたたずまい。
一面の荒野を見渡す1700年前の聖地は、時が止まったかのような雰囲気です。
ハリチャヴァンク
完璧な調和が見られる修道院は、RPGゲームの世界から飛び出してきたよう。
外観/内部のいずれの装飾も秀逸で、アルメニアの建築技術の高さに感動するはず。
ルンバタヴァンク
「孤高の聖地」という表現がぴったりのルンバタヴァンクは、穴場の見どころの一つ。
数々の伝説息づく地にぽつりとたたずむ姿は、どこまでも絵になる風景です。
ギュムリのレストラン情報
ギュムリは市内観光も近郊のデイトリップ先も、文句なしの充実度。
さらに、旅の楽しみの一つである食事面においても、ギュムリは旅行者を惹きつけてやみません。
ギュムリがあるシラク地方は、アルメニアの他地域と異なる独自の食文化が根付いていることで知られており、ここでしか食べられない名物グルメや郷土料理も数多く存在しているのです。
また、ギュムリのレストランの価格帯は、首都のエレバンに比べて3分の2ほどである点も魅力的。
エレバンでさえ日本人的にはものすごくお得感がありますが、ギュムリの外食費はさらに上をいく割安感です。
シラク地方の郷土料理を提供するレストランから、地元の人たちが集まる食堂、名物スイーツの専門店まで…
ギュムリ滞在中に一度は挑戦したいお店の数々は別記事にまとめているので、そちらも参考にしてください!
コメント
コメント失礼します。
つい最近、ギュムリ→アハルツィヘに移動しましたが、この間のマルシュルートカは存在しないのではないかと思います。
少なくとも、ギュムリのバスステーション、私が泊まった宿の人(いろんな方面に聞いてくれました)は、その存在を認識していませんでした。少なくとも、この区間は地元の人にとっても、利用者がほとんどいない、マイナーなルートだと思われます。また、エレバン発が存在するとしても、事前に予約しておかないと乗ることはできないと思われます(私は午前10時前後にギュムリのバスステーションに張っていましたが、とうとうマルシュルートカは来ませんでした)
ちなみに、タクシーだと2万ドラムと言われたので、ヒッチハイクで乗り継いで行きました(このルートはかなり車が少ないですが、ヒッチは成功しやすい)。参考になれば幸いです。
ギュムリに5泊様
コメントありがとうございます!(また、返信が遅くなり申し訳ありません)
ギュムリ~アハルツィヘ間のマルシュルートカに関してですが、2020年9月にアハルツィヘにに滞在した際にギュムリ行きのミニバスがありました。また、2021年10月にギュムリに滞在した際にも1日1便のアハルツィヘ行きがあるとのことでした。
事前予約制なのか、期間限定の運行なのか、はたまた運休となってしまったのかは定かではないですが、ジョージア側のアハルツィヘ周辺地域はアルメニア系住民が大半を占めている地域ということもあり、本国アルメニアとの往来は盛んかと思われます。
2万ドラムはかなり高いですね…ヒッチハイクで国境を越えられたとのこと、無事成功なさって何よりです。(あのあたりは本当に車が少なそうですし)
実は今夏にアハルツィヘ→ギュムリで国境越えをしようと計画しているので、その際にこの区間のマルシュルートカについて再度確認しようと思います、
情報をいただきありがとうございます。
こんにちは。エレバン発ギュムリ行きのマルシュルートカの発車バスターミナルが、Kilikia bus stationからSouth bus stationに移動してました。
現地の人すらまだKilikiaだと思っていたらしく、念のためGyumuriのバスターミナルを事前に道行く人に聞いたのですが、kilikiaまでの道順を丁寧に教えてもらいました笑
結果Kilikiaにマルシュルートカがなく、ギュムリはどこだと聞いて回っていたら、ここじゃなくて南バスターミナルだと教えてもらって事なきを得ました。エレバン在住の人すら分からない乗り場、そしてすごく丁寧に教えてくれるアルメニアの人々、良いものですね。
こんにちは。2023年10月にもギュムリ→アハルツィヘのマルシュートカはありませんでした。ギュムリのバスステーションで聞いたら、ミニバスがアハルツィヘまで毎日11時に出る、料金は1万ADMと言われましたが本当に出ているかは不明です。
私はアハルカラキ(ジョージア国境の町)まで行くとアハルツィヘまでのマルシュートカがあるときいたので、宿のオーナーを通じてタクシーをギュムリからアハルカラキ(ジョージアの国境近くの街)まで頼んだのですが、乗り合いタクシーだったのと出発も運転手の都合で到着がやや遅くなり、アハルカラキからアハルツィヘのマルシュートカは逃してしまいました。その間もまたタクシーに乗りました。
アハルカラキからアハルツィヘのマルシュートカは一日一本で、14時発だそうです。
ギュムリからアハルカラキの乗り合いタクシーは5000AMD、アハルカラキからアハルツィヘの個人タクシーは70GELでした。国境越えはイミグレも全く問題なかったです。ご参考までに。
コメントありがとうございます!また、お返事が遅くなり大変申し訳ございません。
アハルツィヘ~アハルカラキ~ギュムリ間の国境に関しては、コロナ禍中に公共交通機関が運休し、その後は運行したりしていなかったりと不安定な状態にあると聞いています。
詳細な料金等、とても参考になります。ありがとうございます!