こんにちは!ジョージア滞在も1年、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
首都のトビリシから日帰りで行ける見どころを制覇しようと、色々と足をのばしている今日この頃。
一部のマニアックな旅行者の間で「天国へのゲート(Heaven’s Gate)」があると噂されるクヴェモ・カルトリ地方の山奥まで行ってきました。
人里離れた山奥に佇む巨大な建造物。
半壊した壁の向こうに真っ青な空が広がる光景は、まさに「天国へのゲート」そのものでした。
この場所の名は、サムシュヴィルデ(Samshvilde / სამშვილდე)。
観光のハイライトとなる「天国へのゲート」をはじめ、千年以上前にこの地で栄えた町の遺跡が点在している歴史スポットです。
周囲を深い谷間に囲まれたサムシュヴィルデからの眺めは抜群。
はるか昔からジョージア南部の重要な軍事拠点として知られ、あのモンゴル帝国がジョージアで最初に陥落させた町だと言われているほどです。
今回の記事は、ほとんど情報がないサムシュヴィルデの観光情報を徹底解説するもの。
おそらく、こんなマイナースポットをここまで詳しく紹介しているのは世界中で当ブログくらいだと思います(笑)
サムシュヴィルデへは、トビリシから個人で公共交通手段を利用しての日帰りも可能。
大自然も歴史も絶景も…
ジョージア地方部の魅力を手軽に&格安で満喫できるので、大満足のデイトリップとなるはずです。
「天国へのゲート」をくぐり、中世ジョージアの歴史をたどるタイムトリップに出かけましょう!
サムシュヴィルデの歴史
【①サムシュヴィルデの始まり】
現在「サムシュヴィルデ」と呼ばれるこの場所には、先史時代から人が住んでいたそうですが、詳細は伝説の域を出ません。
サムシュヴィルデが初めて歴史に登場するのが、紀元前333年(2300年前)のこと。
マケドニアのアレキサンダー大王が東方遠征をおこなった際、サムシュヴィルデ一帯を征服したことが記録されています。
チヴチャヴィ川とフラミ川の二本の川が合流する谷を一望するサムシュヴィルデは、まさに天然の要塞。
4世紀(1500年前)にイベリア王国(当時のジョージア東部)を治めたヴァフタング1世は、この場所を重要な拠点と考え、聖マリア聖堂の建設を命じたとされています。
【②サムシュヴィルデの黄金時代】
サムシュヴィルデが栄光の時代を迎えたのが、10世紀(1000年前)頃に黄金時代を迎えていたアルメニアによる支配時代においてのこと。
ジョージアよりも一歩先に中世キリスト教文化が花開いたアルメニアによる統治下で、聖堂などが次々に建設されました。
サムシュヴィルデが再びジョージア領となったのは、アルメニア支配からおよそ100年後の12世紀初頭(900年前)のこと。
当時の中世グルジア王国の最盛期を担ったダヴィット建設王が、この場所を自国領と定め、南方からの異民族の侵入に対する軍事拠点として利用されるようになりました。
【③サムシュヴィルデの歴史の終焉】
12世紀~13世紀初頭にかけての中世グルジア王国黄金時代を経験したサムシュヴィルデ。
その歴史は、はるか東アジアからやってきたモンゴル帝国の侵略によってあっけなく幕を閉じます。
13世紀(800年前)にユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国がジョージアで初めて陥落させた町が、ここサムシュヴィルデ。
「天然の要塞」の町を支配&破壊したのち、当時の首都・トビリシへと軍を進めたとされています。
その後、1664年にこの地に侵攻したペルシア軍によって、サムシュヴィルデは完全に破壊されてしまい、町としての機能を失うことになりました。
サムシュヴィルデの生首ミナレット
1664年のサムシュヴィルデ侵攻を行ったペルシア軍の将軍・ジャハン・シャー(Jahan Shah)は、この町に住む人々を大量に虐殺したことで知られています。
捕虜となった住民の首を切り落とし、当時の町の入口であった城塞の門の上に積み上げてミナレット(尖塔)を作ったそう。怖すぎ…
【④現在のサムシュヴィルデ】
ペルシア軍によって破壊されたサムシュヴィルデは歴史の表舞台から姿を消し、人々に忘れ去られた存在に。
現在、遺跡の敷地内には人は住んでおらず、半ば自然に還ろうとしているような状況。
遺跡の最寄りであるサムシュヴィルデ村は、この場所がたどった歴史を反映するかのようにアルメニア人住民が大半となっています。
さまざまな民族の支配を受け、破壊と再建を繰り返されてきたサムシュヴィルデ。
敷地内に残る建造物はどれも、1000年以上前から続くこの地の歴史に直に触れることができるもの(=リノベーションされたものではない)。
観光のハイライトとなる「天国へのゲート」は、正真正銘の「歴史へのゲート」と言えるかもしれませんね。
サムシュヴィルデの見どころ
サムシュヴィルデは、三方を深い谷に囲まれた細長いエリアに中世の建造物の遺跡が点在している場所。
遺跡エリアの入口となる①生神女就寝祭教会から最も東にある⑦谷間のビューポイントまでは一本道なので、単純往復しながら各スポットを見学することになります。
遺跡内の観光に必要な時間は、合計で1時間半~2時間ほどみておけばOKです。
サムシュヴィルデ観光マップ
①生神女就寝祭教会
サムシュヴィルデの遺跡ゾーンに入って最初の見どころが、生神女就寝祭教会(Dormition of the Mother of God church)
11世紀の中世アルメニア王国支配時代の建造で、石を積み上げて建設されたものです。
教会の周辺にはいくつかの墓石が並んでおり、どれもアルメニア語で書かれています。
当時アルメニア王国の王子だったスムバト1世(Smbat Ⅰ)の名が刻まれているそう。
また、教会の庭部分には動物の形をした石があり、キリスト教に関連したモチーフが描かれています ▼
この不思議な形の岩は、この地で命を落とした戦士の墓石であると考えられているそう。
よく見ると、大小の剣がモチーフとして描かれていることに気がつくはずです。
教会内部には、古代からこの地に立っていたとされる一枚岩が保存されており、施された彫刻などもかなり良好な保存状態だそう。
この時は教会は閉鎖されていたため、内部の様子を見ることはできませんでした。残念…
②サムシュヴィルデ城塞ビューポイント
生神女就寝祭教会から100mほど東に進むと、フラミ川が形成する谷間を一望できるポイントがあります。
さらに東側には、崖にへばりつくような姿のサムシュヴィルデ城塞も確認できます。
絶景を満喫したら、いよいよサムシュヴィルデの心臓部分へと入っていきます!
③サムシュヴィルデ城塞
中世アルメニア王国の下でサムシュヴィルデが黄金時代を迎えていた頃。
町の中心だったのがサムシュヴィルデ城塞です。
現在は半壊していて廃城となってはいるものの、その屈強なたたずまいにはきっと圧倒されるはず。
また、「サムシュヴィルデの歴史」の項で触れた「生首の塔」が建てられたのもこの場所だとされています。
2021年現在、サムシュヴィルデ城塞では発掘作業が行われているため、敷地内への立ち入りは禁止されています。
荒れ果てた城塞は草木に覆われつつあり、半分自然に還ろうとしているよう。
しかしこの先、この場所で何か新たな発見がされれば、歴史観光地として整備される日も遠くはないのかもしれません。
④サムシュヴィルデ教会
城塞の横を通って50mほど歩いたところには、サムシュヴィルデ教会がぽつりと建っています。
アルメニア教会として10世紀頃に建てられたものですが、詳しくはまだ解明されていないそう。
また、このサムシュヴィルデ教会はおそらく近年リノベーションされたもの。
遺跡内に数ある教会の中でも、最も完璧な姿で残されているためです。
オリジナルの教会は、おそらく中世初期(10世紀頃)のもの。
完璧に計算された石の積み上げ方を見ると、当時の最先端の建築技術が用いられたのだと思います。
⑤聖マリア聖堂跡 ハイライト!
サムシュヴィルデ観光のハイライトとなるのが、冒頭でも紹介した「天国へのゲート」。
今でこそ東側の壁の一部が残っているだけの状態ですが、元々は「聖マリア聖堂」として5世紀(1500年前)に建設されたもの。
当時のイベリア王国の国王・ヴァフタング1世の命でこの地に建てられたものがオリジナルだと考えられています。
ジョージア語では「シオニ(Sioni:「聖堂」の意味)」と呼ばれる聖マリア聖堂。
その敷地内に足を踏み入れると、1500年前の建築だとは信じられないほどに精巧に積まれた石壁に驚くはず。
あたりに人は一人もおらず、ただ静寂だけが支配する中に1500年もの間立ち続けてきた聖堂。
その光景は物寂しいながらもどこか優雅で、かつての栄光の時代に思いを馳せることができます。
過去へのタイムスリップを楽しんだあとは、「天国へのゲート」をくぐってさらに東へと進んでいきましょう。
⑥テオドラ神殿跡
聖マリア聖堂の天国へのゲートを抜けてすぐの場所にあるのが、テオドラ神殿跡。
こちらは12世紀頃の建造。
アルメニア王国支配時代ではなく、中世グルジア王国の最盛期の建物だと考えられています。
神殿の屋根は完全に抜け落ちているものの、四方を取り囲む石壁は健在。
注目すべきが、数か所ある窓の部分に残るフレスコ画です ▼
こちらは12世紀の建設当時のオリジナルのフレスコ画で、一切の補修作業はなされていないそう。
800年前の芸術作品が雨風による風化にも負けずに残されているのは、かなり凄いことだと思います。
完全なる廃墟となっているテオドラ神殿跡ですが、今後発掘作業や補修工事が行われる可能性も。
オリジナルの建物を鑑賞するなら今がチャンスかもしれません。
⑦谷間のビューポイント ハイライト!
サムシュヴィルデの遺跡ゾーンの最も東側。
断崖絶壁の上にあるのが、チヴチャヴィ川とフラミ川が合流するポイントを一望できるビューポイントです。
二つの川が形成する谷間はかなりの深さで、落ちたらひとたまりもなさそう。
合流した後の川沿いにも深い谷間が広がり、かなり遠くまで見渡すことができます。
周囲三方を深い谷間に囲まれたサムシュヴィルデの独特な立地を象徴するような、ビューポイントからの絶景。
どうしてこの場所が軍事的に重要な拠点であり続けたのかが一目瞭然ですね。
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