こんにちは!アルメニア滞在もいつの間にか3ヶ月!世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
アルメニアを旅行する人の99%が最初に訪れる町であり、滞在の拠点となるのが首都のエレバン(Yerevan / Երևան)。
アルメニアの人口の3分の1にあたる約100万人が住む大都市で、同国の文化・経済の中心地として発展しています。
アルメニア滞在もすでに3ヶ月となるのぶよですが、その半分以上の期間はここエレバンでのんびり(ダラダラ)しています。
なぜか居心地が良く、大都市だけあって快適な滞在が送れるエレバン。
アルメニア全国どこに行くにも交通のハブとなる町でもあるので、この国を旅する人は何度もお世話になる町となるでしょう。
そんなエレバンを、人々はこう呼びます。「ローズ・シティー (バラ色の町)」と。
エレバン中心街の建物の多くにはトゥファ(Tufa)と呼ばれる溶岩が使われており、ピンクがかった茶色の町並みが整然と連なる様子は、たしかに「バラ色の町」。
ソ連統治時代に都市開発が進んだこともあり、トビリシ(ジョージア)やバクー(アゼルバイジャン)など長い歴史が感じられる周辺諸国の首都とは大きく雰囲気が異なる点も特徴的です。
アルメニア最大の都市でありながら、なぜかエレバンの観光情報はあまり多く見られないのが不思議。
(そもそもアルメニアに関する情報が限られてはいますが)
というわけで今回の記事は、知れば知るほど面白いエレバンの魅力を解説する企画・第一弾。
「エレバンの定番観光スポット20選」と題して、エレバン滞在中に絶対に見逃したくない超基本の見どころを紹介していきます!
「限られた日数でエレバンの定番の見どころは制覇したい!」
「エレバンがどんな町なのかサクッと知りたい!」
という人向けの記事となっています。
これさえ読んでおけば、エレバン観光の基本はバッチリなはず!
今回の記事は「エレバン三部作」の第一弾。
①エレバン観光の定番スポット20 イマココ!
②エレバン観光の穴場スポットまとめ
③エレバン観光に役立つ現地情報・アドバイスまとめ
全部読めば、もうエレバンについては完璧!かも。
- エレバン観光前に!最低限知っておきたいこと
- めざせ全制覇!エレバンのド定番観光スポット20選
- ①「ローズ・シティー」の中心:共和国広場
- ②アルメニアの歴史と文化を学ぶ:歴史博物館&国立ギャラリー
- ③セブン・スプリングス
- ④隠れた撮影スポット!:地下鉄Republic square駅
- ⑤エレバン髄一のお洒落ストリート:ノーザン・アヴェニュー
- ⑥アルメニアの芸術に触れる:オペラ座
- ⑦エレバンを象徴する絶景:カスカード
- ⑧エレバンを見守る「母の像」:ヴィクトリー・パーク
- ⑨アルメニアの文化の象徴:マテナラダン
- ⑩人々の信仰心に触れる:聖母カトギケ教会
- ⑪エレバンのカフェ文化を味わう:サイリャン通り
- ⑫エレバン最後の旧市街:コンド地区
- ⑬エレバン市民の憩いの場:ダイアナ・アブガル公園
- ⑭「ローズ・シティー」らしいメインストリート:メシュロプ・マシュトツ通り
- ⑮エレバンの多文化を味わう:ブルーモスク
- ⑯お土産探しにぴったり:ヴェルニサージュ
- ⑰圧倒的な聖地を眺める:啓蒙者グレゴリウス大聖堂
- ⑱ソ連感漂うエレバンの台所:GUMマーケット
- ⑲アルメニアの負の歴史を知る:ツィツェルナカベルト(ジェノサイド記念碑)
- ⑳アルメニアの名産を味わう:コニャック工場見学
- おわりに
エレバン観光前に!最低限知っておきたいこと
「世界最古の町」って本当?エレバンの歴史をザックリと。
エレバンは「世界最古の町の一つ」と言われるほどに歴史ある町。
1800年以上前から人が居住していたとされているため、そう言われています。
しかし実際のところ、1800年の長い歴史を感じられるスポットは現在はほとんど残っていません。
というのも、エレバンが首都となったのは1918年と比較的最近のことであるため。
それ以前はいくつかの集落が集まった「村」のようなものが形成されているだけでした。
その後、1922年にアルメニアがソ連統治下に入ると、それまでの「村」から近代都市を目指す大規模開発が行われ、現在のエレバンの町並みができあがったのです。
というわけで、現在のエレバン中心街には中世や近世の歴史的な見どころはほとんどないのが少し残念。
ここ100年間で作られた近代都市らしいスポットをまわるのが観光のポイントとなります。
エレバン観光の必要日数
「エレバン観光に何日間必要なんだろう…?」と思う人は多いのではないでしょうか。
今回の記事で紹介している「ここだけは絶対に行きたい!」というスポットだけに絞っても、丸2日間はみておきたいところ。
それ以下の時間しかない場合は、中心街から離れた場所にある見どころ(=徒歩でアクセスしにくい)はスキップすることになります。
逆に言うと、それ以外の18の定番スポットは丸一日あればまわることができる!ということ。
(ものすごく急ぎ足での観光となるでしょうが)
個人的には、エレバンの魅力は観光スポットを点から点へとまわるだけでは到底味わいきれないと思うので、時間に余裕を持ったプランニングをおすすめしたいところですが。
エレバンの定番観光スポットのまわり方
エレバン中心街はそこまで大きな規模ではなく、定番の見どころのほとんどに徒歩でのアクセスが可能なのは大きなメリット。
徒歩でのアクセスに難ありなスポットへは、地下鉄や路線バスなどの公共交通手段を利用することとなります。
今回の記事内で紹介している見どころには、それぞれ番号(①~⑳)がついていますが、この番号の順番に観光するのが最も効率的。
1日目:①~⑱(中心街の定番スポット)を徒歩でまわる
2日目:⑲⑳(中心街からやや離れた定番スポット)へ足をのばす
各スポットの観光所要時間や移動情報も記載しているので、プランニングの参考にしてくださいね!
めざせ全制覇!エレバンのド定番観光スポット20選
さて。ここからはいよいよエレバンの定番スポットを紹介していきます!
どれも「エレバンの顔」と呼べるほどの有名な見どころばかり。
エレバンでの滞在日数に余裕がある人も、まずは押さえておきたい場所ばかりですよ!
①「ローズ・シティー」の中心:共和国広場
エレバンの象徴であり、地理的な中心でもあるのが共和国広場(Republic square / Հանրապետության Հրապարակ)。
英語風に「レパブリック・スクエア」と呼ぶ方が、現地ではポピュラーかもしれません。
「ローズ・シティー」らしいバラ色の外壁に統一された建物が、広場の周囲にずらりと並ぶ光景は圧巻のひとこと。
大小さまざまな噴水も印象的で、エレガントでシックな雰囲気が感じられます。
エレバンを観光する際のスタート地点としてもぴったりの共和国広場。
町の中心に位置しているため、滞在中は何度も通ることになる場所でもあります。
要チェックなのが、夕方にライトアップされた広場の風景 ▼
共和国広場の象徴である噴水は「ダンシング・ファウンテン」とも呼ばれ、夜8時になると音楽に合わせてライトアップされた噴水ショーが開催されるので、こちらも必見。(※月曜除く/季節によっては夜9時~)
ダンシング・ファウンテンのショーは、ちょうど今回の記事で紹介している見どころをまわり終えた後にあたるはず。
観光の締めくくりにピッタリな、幻想的な光景が見られることでしょう。
②アルメニアの歴史と文化を学ぶ:歴史博物館&国立ギャラリー
共和国広場に面して建つ巨大な建物が、アルメニア歴史博物館(Armenia History Museum / Հայաստանի պատմության Թանգարան)。
1921年に完成した建物には、当初は「芸術庁」と呼ばれる政府機関が入っていたそう。
現在は、アルメニアの長い歴史を伝える博物館部分と、絵画や彫刻などを展示する国立ギャラリー部分の二つの文化施設の複合体となっています。
歴史博物館内の展示はおよそ40万点、ギャラリー部分の展示は2万点以上と、いずれも旧ソ連諸国で最大規模のコレクション。
アルメニア各地で出土したハチュカル(石の十字架)や貴重な文献、芸術作品の展示が中心ですが、アルメニア以外の旧ソ連諸国に関する展示も充実しています。
アルメニアが誇る悠久の歴史と文化を象徴する展示品の数々は、この国を深く理解するための手がかりとなること間違いなし。
観光途中でサクっと見学していくのもアリですが、とにかく規模が大きいのがネック。
半日ほどの時間をあててゆっくりとまわるのもおすすめです。
③セブン・スプリングス
エレバン歴史博物館の北側の一角にぽつりとあるのがセブン・スプリングス(Seven springs / Յոթ աղբյուր)と呼ばれる水飲み場。
その名の通り、七つの噴出口から常に水が噴き出しているお洒落なデザインの噴水で、もちろん飲用可能です。
「水飲み場がエレバンの必見スポット?」と思うかもしれませんが、実はこれこそが「プルプラク(Pulpulak / պուլպուլակ)」と呼ばれるエレバンを象徴するアイテムの一つなのです。
盆地に位置するエレバンですが、川や池などの水資源には恵まれていません。
そのため、百年前の都市開発時には飲用水や生活用水の確保が最大の課題でした。
そんな中で注目されたのが、地下深くに豊富に溜まっていた地下水。
周辺の山で降った雨が地中を通り、盆地の底部分にあたるエレバンの地下に大量に溜まるんだそう。
土の中で自然に濾過されたエレバンの水はとても美味しいことで有名なんだそうです。
(お隣ジョージアのトビリシと飲み比べると、その美味しさに衝撃を受けたほど)
この美味しい地下水はエレバン市内の至る所で湧き出し、プルプラクとして人々に無料で開放されているのです。
そういうわけで、エレバン市民は水をわざわざ購入することは稀。
プルプラクを見つけると、まるで吸い寄せられるかのように水分補給をしていくのです ▼
↑プルプラク(水飲み場)の前を通ると無視できないのがアルメニア人の習性かもしれない🇦🇲 pic.twitter.com/4KwaWaeMcs
— 小山のぶよ🇵🇹世界半周中の翻訳してる人 (@nobuyo5696) July 3, 2021
1700年前にキリスト教が伝来する以前のアルメニアでは精霊信仰が盛んだったそうで、特に水の女神・アストギク(Astghik)が篤く信仰されていたそう。
もしかすると、アルメニア人がプルプラクを見ると吸い寄せられていくのは、水の神への信仰心がDNAレベルで刻まれているのかもしれません…(考えすぎか)
もはや市内に何百個あるのかわからないほどに、とにかくエレバンのどこにでもあるプルプラク。
中でもそのデザインの美しさで有名なのが、こちらのセブン・スプリングスなのです。
水分補給はもちろん、水に吸い寄せられていく人々の様子を観察するのも、エレバン観光で絶対にハズせないアクティビティーです!
アルメニアの水かけ祭り「ヴァルダヴァル」
エレバンの夏の風物詩が「ヴァルダヴァル」と呼ばれる水かけ祭り。
7月~8月のある日曜日(年によって日にちは変動)に、エレバン全体で人々が水をかけあうカオスすぎるイベントです。
もともとは水の神・アストギク信仰の行事だったものですが、現在では宗教色は薄め。
地元民も外国人も関係なく水をかけあって、みんなでずぶ濡れになるエレバンの夏の風物詩のようなイベントとなっています。
夏場にエレバンを旅するなら、ぜひともチェックしてくださいね!
④隠れた撮影スポット!:地下鉄Republic square駅
共和国広場にある見どころを見学したら、エレバン地下鉄レパブリック・スクエア駅(Republic square / Հանրապետության Հրապարակ)に立ち寄るのをお忘れなく。
1981年に開業したエレバン地下鉄の中でも最も乗降客数が多い駅の一つで、地下鉄駅出口付近の噴水とアーチ型の吹き抜けが隠れたフォトスポットとして知られています ▼
地下鉄レパブリック・スクエア駅の周辺には、ソ連らしさとエレバンらしさが混ざりあう重厚な建造物がずらり。
多くは政府機関が入ったもので、アルメニアの心臓部にあたるエリアです ▼
レパブリック・スクエア駅から北東へと歩いていくと、エレバン観光のハイライトとなる見どころが連続するエリアになっていきます。
⑤エレバン髄一のお洒落ストリート:ノーザン・アヴェニュー
モダンで整然としたエレバンを象徴する通りが、ノーザン・アヴェニュー(Northern Avenue / Հյուսիսային պողոտա)。
その名の通り、レパブリック・スクエア駅近くから北に位置するオペラ座までの400mほどを結ぶ歩行者専用の通りです。
ノーザン・アヴェニューの地下には、最近完成したばかりの地下ショッピング街が広がります。
地上部分に比べると、こちらは人が少なめでちょっと寂しい雰囲気 ▼
ノーザン・アヴェニュー沿いの建物はすべてが高層ビルで、ここだけ切り取るとまるで大都会。
「ローズ・シティー」の景観に配慮してか、どれも薄いピンク色の外壁で、統一感がなかなか絵になります。
1階部分にはお洒落なブティックやカフェが並び、上層階は総じてお高級レジデンス。
「キラキラしたお洒落なエレバン」を象徴するような雰囲気で、集まる人の装いもなんだかちょっと気取った感じなのも面白いところです。
のぶよ的には、こういった作り物感漂う町並みは微妙でしかないのですが、開放的な雰囲気は素敵。
そのうちここの写真だけを切り取って「大都会エレバンの美しい町並み!」なんて言い出すキラキラ系の人、出てきそうです(笑)
⑥アルメニアの芸術に触れる:オペラ座
ノーザン・アヴェニューの北端に堂々と建つのがオペラ座(Opera / Օպերա)。
ソ連時代の1940年に完成した建物はとにかく荘厳。
エレバンの都市開発に深く関わったタマニャン(Alexander Tamanyan)という人物による設計です。
旧ソ連諸国ではどこでもポピュラーな、バレエやオペラなどの芸術。
エレバンにおいてもそれは同じで、現在でも多くの市民に愛される芸術文化の中心地としての役割を果たし続けています。
⑦エレバンを象徴する絶景:カスカード
お待たせしました。おそらくエレバンで最も有名な観光スポットの登場です。
その名もカスカード(Cascade / Կասկադ)。
英語/フランス語で「滝」という意味で、幾段にも及ぶ階段が織りなす風景は確かに滝のようですが、知っておきたいのはその発音。
英語風の「カスケード」ではなく、フランス語風の「カスカード」と呼ぶのがエレバン流なのです。
(ここの人はなぜかフランス文化に対する憧れのようなものがすごい)
カスカードがどんな場所であるのか…その定義は若干難しいものがあるのですが、一応は「アート・コンプレックス」だそう。
滝を表したデザインの階段の途中にはいくつものフロアがあり、各階がそれぞれ異なったテーマの現代アートで飾られています。
いずれのフロアでも共通なのは、正面部分の半円形のデザインのレリーフ。
これは中世アルメニアで用いられていた日時計をモチーフにしたものなんだとか ▼
カスカードが素晴らしい点は、屋外・屋内ともに完全に入場無料であること。
アルメニア系アメリカ人のゲラルド・カフェスジアン(Gerard Cafesjian)という超大金持ち大富豪が、祖国の歴史の保存や発展を願って出資して造られた場所であるためです。太っ腹すぎる…
というわけで、アートスペースでありながらもカスカードへの立ち入りは24時間365日OK。
エレバン市内を一望できる頂上へのアクセスは、エスカレーターか572段の階段のいずれかです。
エスカレーターの利用も無料で(ありがとう大富豪)、内部にもいくつかアート作品が展示されているので、ぜひ利用するべき。
上りはエスカレーター/下りは階段がおすすめです!
カスカード内部(=エスカレーター利用時)の展示は、謎デザインの家具やオブジェなどいずれもお高そうなものばかり。
中でも度肝を抜かれたのが、最上階に展示されたスワロフスキー製のクリスタルオブジェ ▼
さすが大富豪による出資…と圧倒されること間違いなしのまばゆさ。
しかしながら、あえてわかりやすいお高級なものを展示して富を誇示しているのは、なんだかすごくエレバンっぽいなあと思わないこともありません。
(ここの人はこういった「お高そうなもの」を見せびらかしたがる文化があると思う)
カスカードのアート鑑賞も良いのですが、のぶよ的に最大の魅力はその眺め ▼
カスカードはエレバン中心街を一望することができる絶景スポットとして有名で、フロアごとに微妙に異なる風景が望めるのです。
一日の間でも、朝/昼/夕方で町の表情は大きく変わるのはもちろん、季節ごとの風景の変化も楽しみの一つ。
天気が良く空気が澄んだ日であれば、エレバンの町を抱くようにたたずむアララト山の雄大な姿も見られます。
カスカードからアララト山が美しく見られるのは、朝早い時間帯だと言われています。
夏場は空気が淀んでガスがかかる日が多いため、なかなかクッキリとは見えないのが残念。
いっぽうで、秋~冬にかけてはものすごくきれいに見えるそうです。
トルコ領となった現在でも、アララト山はアルメニアの人々の精神的な支えとなる聖なる山。
大都市の町並みとアララト山のコントラストは、エレバン滞在中に一度は目にしたい風景です!
⑧エレバンを見守る「母の像」:ヴィクトリー・パーク
カスカードを一番上まで登った先には、アルメニアのソ連加入50周年記念に建てられたオベリスクがあります。
優雅でお洒落なカスカードから、バリバリソ連な雰囲気にガラッと変わることに驚くかも。
オベリスクから幹線道路を渡った先に広がるのがヴィクトリー・パーク(Victory park / Հաղթանակ զբոսայգի)と呼ばれる公園。
公園の敷地内は、微妙に整備が追い付いていない寂れた雰囲気なのですが、絶対に見逃したくないのが最奥部にあるアルメニア母の像(Mother of Armenia / Մայր Հայաստանի արձան) ▼
お隣ジョージアの首都・トビリシにも「ジョージア母の像」というものがありますが、アルメニア母の像も基本的には同じような流れでこの場所に作られたもの。
そう。この場所にはかつてスターリン像が立っていたのです。
ジョージア母の像は右手に敵を攻撃するための剣を、左手に客人をもてなすための葡萄酒が入った盃を持っています。
いっぽうのアルメニア母の像は、巨大な剣を両手で抱えているだけ。
アルメニアでは客人はウェルカムではないのでしょうか…(そんなことはない)
また、アルメニア母の像の周囲にはなぜかソ連製の軍備の展示があるのも不思議 ▼
普段は閑散としているヴィクトリー・パークですが、毎年5月9日は話が別。
ソ連統治下にあったアルメニアにとって、1945年5月9日はナチス・ドイツが連合軍に降伏した戦勝記念日にあたります。
「ヴィクトリー・パーク(=勝利の公園)」の由来も実はここにあり、5月9日になると多くのエレバン市民が第二次世界大戦で犠牲となったアルメニア人に追悼の意を示すそうです。
⑨アルメニアの文化の象徴:マテナラダン
エレバンに数多く点在するミュージアムの中でも、独特の存在感を放つのがマテナダラン(Matenadaran / Մատենադարան)。
マテナダランとはアルメニア語の「マテアン(本)」と「ダラン(倉庫)」を合わせた造語で、「昔の本の博物館」といったところ。
その名の通り、千年前の中世アルメニア王国時代の貴重な文献や本が展示されています。
マテナダランの建物外側の中央に建つ像は、アルメニア文字を発明したメスロプ・マシュトツという人物。
彼がアルメニア文字を発明したのは405年(1600年前)と、気が遠くなるほどに昔のこと。
当時の日本にはひらがなすらなかったことを考えると、アルメニア文化がどれほど早い時期から発展していたのか想像がつくと思います。
文字ができたおかげで、アルメニアにおけるキリスト教文化は一気に発展。
のちの10世紀に成立した中世アルメニア王国において、多くの文学作品が生まれる黄金時代の土台となりました。
アルメニア人にとって、1600年以上の歴史を持つアルメニア文字は民族の誇りであり文化の象徴。
それを発明したメスロプ・マシュトツは、いわば「アルメニア文化の父」のような存在なのです。
マテナダランの内部には、中世アルメニア王国時代以降の貴重な本の数々が1700点以上も展示されています。
活版印刷技術が発明する前の時代の書籍も多く、一つ一つ手で書かれた文字やデザインの美しさには感銘を覚えるほど。
アルメニア文化の根幹であるキリスト教に関する本が多く見られますが、中には大昔の辞書のようなものも。
フランス語→アルメニア語辞典や、ポルトガル語→アルメニア語辞典など、かつて世界を制した大国の言葉をアルメニアの人々も学んだのかもしれません。
現在のマテナダラン内のコレクションの大半を占めているのは、アルメニアの宗教都市として世界遺産にも指定されているエチミアジン大聖堂に保管されていた書籍だそう。
この地におけるキリスト教の影響力を示すように、細部にわたってこだわりぬかれた書籍のデザインにも注目です ▼
マテナダラン内の展示で見逃せないのが、1202年に完成したHomilies of Mushと呼ばれる本。(写真撮り忘れた…)
縦55cm/横70cm/重さ28kg/ページ数1208…とものすごく巨大な本で、「現存する中で、世界一大きな本」と言われているそう。
実際に見ると、本と言うよりも巨大な絵画のようでした。
Homilies of Mushを実際に見ると、巨大な本が半分で分かれている点に気が付くはず。
ここには、この本をめぐるある奇跡的な物語が関係しています。
1202年に完成したHomilies of Mushでしたが、これはキリスト教を主軸とした中世アルメニア王国の末期にあたる時代。
それ以降のアルメニア一帯は、モンゴル帝国やティムール朝、ペルシア帝国など異民族による支配下に置かれ続けたためです。
700年以上に渡る異民族支配の期間で、Homilies of Mushは商人やコレクターのもとを転々としたため、いつの間にか誰もどこにあるのか分からなくなってしまったそう。
Homilies of Mushが再発見されたのは、1915年に当時オスマン帝国領だった西アルメニア地域(現在のトルコ東部)でアルメニア人大虐殺が起こったときのこと。
二人のアルメニア人女性によって、廃墟となったアルメニア教会から奇跡的に発見されたのです。
大虐殺から逃れようと東アルメニア地域(現在のアルメニア)へと移動中だった二人の女性は、巨大で28kgもの重さがあるHomilies of Mushを半分に割き、一人が一片(14kg)を持って移動したそうです。
一人の女性は、アルメニアの宗教の中心・エチミアジンにたどり着き、Homilies of Mushの半分を献上することができました。
いっぽう、もう一人の女性は長旅の途中、エルズルム(現在のトルコ)という町で死去してしまい、Homilies of Mushのもう半分は彼女の遺体とともに埋葬されます。
しばらくの間、半分しかない状態だったHomilies of Mushでしたが、1920年代初頭にオスマン帝国と争っていたロシア帝国がエルズルムに侵攻した際に、埋葬されたもう半分が発見されます。
その後ソ連時代に入ると、Homilies of Mushのもう半分はアルメニアに返還されることとなり、見事全てのページが揃うこととなりました。
完成してから800年以上の間、数奇な運命をたどってきたHomilies of Mush。
現在マテナダランで完全な状態で見ることができるのは奇跡のようなものなのかもしれません。
古くからのアルメニア語で書かれた文献の数々が展示されているマテナダランは、アルメニア文化のシンボルのような存在。
館内はそれほど広くはありませんが、ぜひじっくりと時間をかけて見学したいものです。
⑩人々の信仰心に触れる:聖母カトギケ教会
エレバン中心街には意外と教会の数は少ないのですが、人々の信仰心はちゃんと存在しています。
中心街で最も存在感がある聖母カトギケ教会(Holy Mother of God Kathoghike Church / Սուրբ Աստվածածին Կաթողիկէ Եկեղեցի)を訪れると、時間を問わずお祈りに訪れる人々の姿が見られるでしょう。
聖母カトギケ教会は1264年建造の歴史あるもので、もともとこの場所には教会の建物が一つあるだけでした。
2009年には聖職者用の施設が建設され、白っぽい外壁の聖アンナ教会も敷地内に完成。
現在ではアルメニア教会の複合施設のような存在となっています。
黒っぽく変色した壁が歴史を感じさせる聖カトギケ教会と、新しい外観の聖アンナ教会のコントラストが素敵。
人々の信仰を集める場所であることが、肌で感じられるでしょう。
⑪エレバンのカフェ文化を味わう:サイリャン通り
お洒落でモダンなエレバン中心街を代表するストリートの一つが、サイリャン通り(Saryan St /Սարյան փողոց)。
中心街北部を東西に走る通り沿いには、地元民・旅行者問わず人気のカフェやレストランが建ち並んでいて、とても華やかな雰囲気です。
サイリャン通り沿いには、地元でも名高いレストランやバーも点在しており(どれもちょっとお高級な部類だけど)、人々の感じもなんだかお洒落。
他エリアに比べるとやや価格帯は高めではあるものの、観光の合間のブレイクにも◎
エレバンではカフェ文化がけっこう発達している点は、のぶよが驚いたことの一つ。
お洒落な雰囲気のお店から、地元の人が集まるようなローカルカフェまで…市内全域でカフェが見られるのです。
オープンテラスに座ってアルメニア風コーヒーで一服…なんて、とてもエレバンっ子らしい過ごし方だと思います!
⑫エレバン最後の旧市街:コンド地区
100年ほどの歴史しかないエレバン中心街には、ヨーロッパの多くの町に見られる「旧市街」が存在しないのが特徴的。
というのも、近代的な都市開発の過程で、かつてこの場所にあった村々はことごとく作り変えられてしまったためです。
そんなエレバン中心街に唯一残る「旧市街」のようなエリアがコンド地区(Kond / Կոնդ)と呼ばれる北西の一角。
「旧市街」と聞いて、ヨーロッパの中世の町並みをイメージするのはナンセンス。
というのも、コンド地区の町並みは全く持って手入れがされていない状態であるため ▼
良く言えば「古き良きエレバンの雰囲気」、悪く言えば「ボロボロ」な町並みなのですが、のぶよ的にはかなり味があって面白いエリアだと思います。
コンド地区はエレバンの歴史の生き証人のような存在でもあり、かつてこの地を支配したペルシア帝国時代のモスクやハマムも残っています。
(いずれも現在は民家になっていて人が住んでるのにはびっくり) ▼
インフラ面や建物の安全性に難ありのコンド地区では、再開発の話も浮上してきているそう。
いっぽう、地元の若者の間では、エレバン唯一の旧市街を守ろうとする動きもあり、ストリートアートで通りを彩ったり、イベントを開催したり…とさまざまな試みも行われています。
昔ながらの素朴なエレバンの風景とストリートアートなどのポップカルチャー。
今後どのように変化していくのか、注目のエリアNo.1だと思います。
⑬エレバン市民の憩いの場:ダイアナ・アブガル公園
コンド地区と中心街をつなぐダイアナ・アブガル公園(Diana Abgar park)は、高層マンションに両側を囲まれた都市公園。
ダイアナ・アブガルとは、1918年~1920年の間(ソ連併合直前)に成立したアルメニア第一共和国において、日本国大使を務めた人物。
20世紀で初めて、公的機関の地位に就いた女性の一人だと言われています。
公園内はエレバン市民の憩いの場となっており、特に家族連れに人気のよう。
夏場は灼熱の日が続くエレバンでは、噴水で水遊びする子供たち(たまに大人の姿も…)で大いに賑わいます。
⑭「ローズ・シティー」らしいメインストリート:メシュロプ・マシュトツ通り
エレバン中心街を東西に走るのがメシュロプ・マシュトツ通り(Meshrop Mashtots St / Մեսրոպ Մաշտոց պողոտա)。
人の数も交通量も多いメインストリートで、多くの市内路線バスがこの通りを経由するので、市内交通のハブとしての役割も担っいます。
手軽なファストフード店やスーパーマーケット、洋服屋なども点在する通りは、エレバン市民の生活の中心的な存在でもあります。
メシュロプ・マシュトツ通り沿いは、ピンク色の石がモザイク模様のようになった外壁の建物がずらりと並ぶ瀟洒な雰囲気。
「ローズ・シティー」らしい風景が見られるので、ただぶらぶらと散策しているだけでエレバンらしさが感じられます。
⑮エレバンの多文化を味わう:ブルーモスク
エレバンの定番スポットの中でも異色の存在が、ブルー・モスク(Blue Mosque / Կապույտ մզկիթ)。
「アルメニアってキリスト教国では?どうしてモスクが?」と思うでしょう。(のぶよも思いました)
ブルー・モスクが完成したのは1766年のこと。
当時のアルメニア一帯はサファーヴィー朝(現在のイラン)の支配下にあったため、イスラム教シーア派のモスクとして建設されたのが始まりです。
サファーヴィー朝支配を抜けた後は、ロシア帝国やソ連の支配下となったアルメニア。
国土に数多く建設されたモスクの多くは取り壊されたり、その機能を失うこととなり、現在アルメニア全体でモスクとして機能しているのはこのブルー・モスクだけなんだそうです。
1990年代にアルメニアがソ連から独立した後は、イラン政府の支援によってブルー・モスクはリノベーションされ、現在の姿となります。
アルメニアのムスリム人口は総人口の0.03%(1000人もいない)とごく少数ですが、イランや中央アジアなどイスラム教圏からの旅行者が集まる場所となっています。
ブルー・モスク内部には旅行者でも入場が可能。
ブルーが基調の外観とは対照的に、内部は真っ白に輝くきらびやかな雰囲気が印象的です ▼
ブルー・モスクは、現役の祈りの場所としての機能はもちろん、サファーヴィー朝支配時代のエレバンの歴史を現在に伝える存在でもあります。
ほとんどの建物が100年ほどの歴史しかないエレバン中心街において、250年以上の歴史を持つブルー・モスクは最も古い建造物の一つ。
細部にまでこだわりぬかれたペルシア建築の美しさを存分に堪能することができます。
エレバンの複雑な歴史とエキゾチックな文化を象徴するブルー・モスク。
イランとアルメニアの友好を象徴する存在でもあり、敷地内は平和な雰囲気に満ちていました。
⑯お土産探しにぴったり:ヴェルニサージュ
エレバン中心街南側で最大の見どころが、ヴェルニサージュ(Vernissage / Վերնիսաժ)と呼ばれる屋外マーケット。
英語風の「ヴァーニセジ」ではなく、フランス語風の「ヴェルニサージュ」で発音される点も、「カスカード」と同様のエレバンらしさかもしれません。
市場というよりも、骨とう品やお土産が多く売られているのがヴェルニサージュ。
若干観光客向けな感じがするのは否めず、価格もやや高めに感じます。
とは言え、アルメニアのこういった場所では料金交渉するのが基本。
上手に交渉すれば、お土産や雑貨がお得に買えるかもしれません。
お土産購入目的でなくとも、ただ見て歩くだけでも楽しいヴェルニサージュ。
観光客向けの商品以外にも、意外な掘り出し物が見つかる場合もあるかも…?
もちろん、「THE・土産物」を探すのにも◎
アルメニアっぽい雑貨やアクセサリー類などはそこら中で売られているので、エレバン滞在最終日にやってくるのもありだと思います。
ヴェルニサージュは毎日開催されてはいるものの、平日は半分ほどのお店が閉まってしまいます。
賑やかな雰囲気を味わいたいなら、週末に訪れるのがおすすめ。
のぶよの個人的なおすすめは、ヴェルニサージュの通りではなく、その南端の幹線道路の下にある地下通路内のいくつかの商店。
こちらの方が価格はややリーズナブルで、量産品ではない雑貨が多く売られていました。
⑰圧倒的な聖地を眺める:啓蒙者グレゴリウス大聖堂
綺麗な円形を描く幹線道路の内側に広がるエレバン中心街。
そのすぐ南側にある、エレバンで最大の宗教建造物・啓蒙者グレゴリウス大聖堂(Saint Gregory The Illuminator Cathedral / Սուրբ Գրիգոր Լուսավորիչ մայր եկեղեցի)も見逃せません。
ミレニアムイヤーの2000年に完成した新しい聖堂は、アルメニアでのキリスト教の国教化(301年)から1700年の節目を記念して建設されたものです。
残念ながら、聖堂内部の写真撮影は禁止。
内部は装飾こそ少なめではあるものの、いくつものアーチに囲まれた開放的な雰囲気が印象的でした。
地元の人々がお祈りに立ち寄る姿も多く見られ、エレバンの信仰の中心地としての風格が感じられる場所です。
⑱ソ連感漂うエレバンの台所:GUMマーケット
エレバン中心街の南に位置するGUMマーケット(GUM Market / Գումի շուկա)は、エレバンの人々の食文化に触れることができる場所。
メインとなる二階建ての屋内マーケットと、屋外マーケットの2つに分かれています。
屋内マーケットの1階部分は、アルメニア料理にかかせない食材売り場。
各種スパイスの専門店をはじめ、肉屋や魚屋などが並びます。
名物のドライフルーツを扱う店もいくつかあり、外国人を見るやいなや「試食しろ!」の嵐となるので覚悟をしておきましょう(笑)
ソ連時代からマーケットとしての機能を持ち続けるGUMマーケットですが、活気があるのは朝早い時間のよう。
のぶよは午後に訪れましたが、まるでソ連時代に迷い込んでしまったかのような閑散とした雰囲気でした。
屋内部分だけを見ると、どうも活気がなくて寂しい印象を持ってしまいますが、屋外市場部分に出ると午後でも多くの人で賑わっていました ▼
▲それほど広くはないGUMマーケットの屋外市場ですが、ラヴァシュの専門店にはぜひ立ち寄ってほしいところ。
ラヴァシュとは、まるで紙のような薄さのパンのことで、アルメニアの国民食のような存在。
肉や野菜を巻いたり、スープにひたして食べたりと、アルメニアの毎日の食卓に必ず登場します。
GUMマーケットのラヴァシュ専門店では、目の前で生地をのばして焼き上げる様子を見ることができ、店の人もとても愛想が良かったのでおすすめ!(なぜかラヴァシュ1枚無料でくれたし)
⑲アルメニアの負の歴史を知る:ツィツェルナカベルト(ジェノサイド記念碑)
エレバン滞在中に絶対に訪れたいのが、中心街西側の丘の頂上にあるツィツェルナカベルト(Tsitsernakabert / Ծիծեռնակաբերդ)と呼ばれる場所。
別名「アルメニア人大虐殺メモリアル」とも呼ばれ、1915年にオスマン帝国(現在のトルコ)で起こったジェノサイドの記憶を現在に伝える場所です。
ツィツェルナカベルトの敷地内は大きく二つに分かれています。
・大虐殺の犠牲となった人々へのメモリアル
・大虐殺の歴史を伝えるミュージアム
まず圧倒されるのが、12の台形の柱に囲まれたメモリアル内の永遠の炎 ▼
永遠の炎を取り囲む巨大な12本の柱は、かつて西アルメニアと呼ばれていた地域(現在はトルコ領)の12の州を表しているんだとか。
大虐殺が始まったとされる1915年4月24日は「アルメニア人大虐殺メモリアルデー」とされ、毎年この日になるとアルメニア全体から多くの人がこの場所に集まり、犠牲となった人々に祈りを捧げるセレモニーが開催されます。
ツィツェルナカベルトを構成するもう一つの施設がミュージアム。
なんと入場は無料です。(寄付歓迎)
内部にはアルメニア人大虐殺に至るまでの過程や、被害状況に関する展示が豊富にあり、どれもかなり生々しいものでした。(ミュージアム内の写真撮影は禁止)
当時オスマン帝国領だった西アルメニア地域で何が起こっていたのか…
どうしてアルメニア人は虐殺されることとなったのか…
現在にまで続く隣国との歴史問題について深く知り、自分なりの考えを持つことができる場所です。
⑳アルメニアの名産を味わう:コニャック工場見学
お酒好きの人にとって、アルメニアといえばコニャック(ブランデー)!
アルメニア人も自国のコニャックを誇りに思う人が多く、せっかくならぜひ一度は本場の味を体験してみたいものです。
エレバン中心街の西側には、2軒のコニャック工場があります。
いずれでも工場見学&試飲ツアーが開催されているので、飲める人はぜひとも参加してみましょう!
・エレバン・ブランデーカンパニー(Yerevan Brandy Company)
・NOY ブランデーカンパニー(Yerevan Noy Wine Brandy Vodka Factory)
アルメニアのコニャックは質が高いことで世界的に有名だそう。
コニャックの本場で工場見学&試飲ができるなんて…お酒好きにとってはまるで夢のようなアクティビティーになることでしょう。
…と、ここまで書いておいてアレなのですが、のぶよは未だコニャック工場見学未体験。
エレバン滞在中に絶対にやりたいことリストに入っているので、体験完了しだい記事にしたいと思います!
【エレバンの宿をさがす!】
おわりに
「エレバンに来たなら、とりあえずここだけは!」といった必見スポットを20個紹介しました。
各スポットを見学する際に最低限必要な情報についても網羅したつもりなので、きっとエレバン観光のお役に立つはず!
エレバンに関しては、他にもまだまだ書きたいことがいっぱい。(穴場スポットとか穴場スポットとか穴場スポットとか…)
この居心地抜群な町の魅力が、一人でも多くの人に伝われば嬉しいです!
コメント
大変 読みやすく 良かった.
写真も良かった.
’97年10月末〜11月初め モスクワ経由 エレバン のみ観光[1人].ホテルアルメニア泊[綺麗だから].日本アルメニア協会会員[連絡継続だが今 休み中].
近藤 健司様
コメントいただきありがとうございます!
お褒めの言葉をいただき、大変嬉しく思うと同時に、記事を書いて良かったと思いました。
以前アルメニアにいらっしゃったとのことで、当時から大きく変わっている部分もそうでない部分もあるかと存じます。
これをきっかけにまたアルメニアに足を運んでいただければとても嬉しいです!