こんにちは!アルメニア滞在もすでに3ヶ月!世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
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アルメニア第二の都市・ギュムリは、19世紀のロシア帝国統治時代に築かれた美しい建築が残る町。
「アルメニアで最も美しい町」の言葉に偽りはなく、ストリートの一つ一つに豊かな歴史が感じられ、文化的な香りがただよう素敵な町です。
町全体に古き良き時代の建物が残るギュムリですが、中でも最も美しいと言われるのがクマイリ地区(Kumayri / Կումայրի)。
石畳のストリートが縦に横に走るクマイリ地区。
エリア内の建物の多くは、この地域で産出される黒い石で造られたシックで瀟洒なもので、モダンなビルやソ連的な無機質な建物は一切ありません。
まさに「ギュムリの旧市街」と呼ぶにふさわしいエリアで、観光ハイライトの一つと言えます。
とにかく美しいクマイリ地区ですが、なぜか観光地化はほとんどされていないのもポイント。
現在でも地元の人々の生活エリアであり、お洒落な町並みながらも素朴でローカルな雰囲気が漂っているのが素敵です。
そもそも、日本人でギュムリに訪れる人はかなり少ないようで、数少ない情報もギュムリの定番スポットに関するものばかり。
クマイリ地区の美しい建造物や情緒ある町並みに関しての情報は、かなり限られている気がします。(というかアルメニアの情報自体が限られているけど)
というわけで今回の記事は、クマイリ地区の魅力を「これでもか!」とばかりに細かーーーく解説するもの。
エリア内の見どころや美しい建物、写真撮影にピッタリなスポット…合計で36個。
とにかく、この地区の魅力を全てお見せします!
ギュムリ観光の中でも、ぜひたっぷりと時間をとって散策してほしいクマイリ地区。
のぶよ自身で数日にわたって散策しつくしたこのエリアの魅力を、ぜひ多くの人にシェアしたいです!
クマイリ地区観光の基本情報
石造りの美しい町並みがどこまでも連なるクマイリ地区は、ただ散策しているだけでも楽しいもの。
しかし、ここは古都・ギュムリの中でも最も古い歴史地区。
いくつかの知識を事前につけておけば、より充実した散策となること間違いなしです!
まずは、クマイリ地区散策前に知っておきたいことをチェックしていきましょう。
クマイリ地区ってどこ?
「クマイリ地区」の明確な定義はなく、ギュムリ中心街全体をそう呼ぶ人もいれば、一部エリアだけを指す人もいます。
のぶよ的には、ギュムリ中心街の中でも最も歴史ある建物が残る北西エリアを「クマイリ地区」と呼んでいます ▼
上の地図のオレンジ色のエリアがクマイリ地区。
エリア内は縦5本・横3本のストリートで構成されていて、「ミニ・碁盤の目」のよう ▼
当記事では各ストリートごとに点在する見どころを紹介しているので、なんとなくの地理を頭に入れておくのが◎
クマイリ地区の歴史をサックリと。
①古代:「クマイリ」のはじまり
クマイリ地区の歴史はかなり古く、紀元前8世紀(=2800年前)のこと。
アナトリア半島(現在のトルコ)に存在していた古代ウラルトゥ王国が「クマイリ」(=「織物の中心地」の意)として、この場所に町を築いたのがはじまりだとされています。
長い歴史の中で、支配者が次々に入れ替わってきたアルメニア。
さまざまな民族が行き交い、街づくりと破壊が繰り返されてきたこの地域において、クマイリも例外ではありませんでした。
1400年にティムール朝(現在のウズベキスタン)がこの地に侵攻してきた際、町は完全に破壊されてしまいます。
住人の多くが奴隷として別地域へと移住させられたため、クマイリはゴーストタウンのように…
その後長い間放置されることとなり、古代から続いてきた「クマイリ」としての歴史は途絶えてしまいます。
②ロシア帝国時代:「アレクサンドロポル」に改名
クマイリ地区が再び町として発展しはじめたのは、1804年のこと。
その最大の理由が、オスマン帝国(現在のトルコ)やペルシア帝国(現在のイラン)との国境地帯に位置するクマイリの地理的条件でした。
当時、強大な軍事力でコーカサス地域で覇権を握ろうとしていたロシア帝国が、重要な軍事拠点としてクマイリを支配下においたのです。
ロシア風に「アレクサンドロポル」と改名されたクマイリ。
当時の経済・文化的先進国であるロシア風の建築で町づくりがされ、ロシア文化が急速に流入します。
アレクサンドロポルの中で最初に町づくりが進められたのが、現在「クマイリ地区」と呼ばれるエリア。(=今回の記事で紹介しているエリア)
いわばここが「ギュムリのはじまりの地」であるわけですが、あえて2800年前の古い名前である「クマイリ」と呼ぶことに、この地区の住人の誇りが感じられます。
19世紀初頭に整備されはじめてからおよそ100年間で、アレクサンドロポルはアルメニア地域で最大の都市となり、驚異的な発展を遂げます。
ロシア帝国の庇護下のもと、「アルメニアのベル・エポック」と呼ばれるほどに平和な時代が続いたことを背景として、19世紀~20世紀初頭のアレクサンドロポルはコーカサス地域の文化・芸術の中心地としても名を馳せるようになりました。
多くの詩人や芸術家がこの町を拠点に活動したことで知られ、当時形成された文化的な気質は現在でも「アルメニアのアート・クラフト文化の中心」として受け継がれています。
③ソ連時代:「レニナカン」に改名
20世紀にアルメニアの統治権がロシア帝国からソ連へと移った後は、アレクサンドロポルから「レニナカン」(=「レーニンの町」)へと改名され、経済的発展を続けてきました。
ソ連時代後期から現在にいたるまで、レニナカンの美しい町並みは数多くの映画の舞台に。
その文化的な魅力や美しい町並みは、アルメニアのみならずソ連構成国全体で有名なものとなります。
ソ連時代でも文化の中心地として発展し続けていたこの町ですが、20世紀後半は激動の時代が待ち受けていました。
④アルメニア独立:「ギュムリ」に改名
ソ連崩壊直前の1988年のこと。
この町を襲ったスピタク大地震では、町の建物の多くが全壊または半壊してしまい、壊滅的な被害を受けてしまいます。
その傷跡は30年以上が経った現在でも残っているほどなので、相当な規模の被害があったのでしょう。
1991年のソ連崩壊からのアルメニアの独立によって、翌1992年にレニナカンから「ギュムリ」へと改名されて現在に至ります。
クマイリ、アレクサンドロポル、レニナカン、ギュムリ…
町の名前を追うだけでも、この町の複雑な歴史がイメージできますね。
クマイリ地区散策時の5つの注目ポイント
クマイリ地区観光で最大の魅力は、200年前の石造りの町並みを思いのままに歩くこと。
美しい町並みを鑑賞しているだけでも楽しいのですが、散策中にぜひとも注目してほしい5つのポイントをまとめました。
どれも、クマイリ地区の町並みを唯一無二のものにしている、重要な要素です!
①木製テラス
クマイリ地区を散策しているとすぐに気が付くのが、黒い石造りの建物に木製のテラスが設置された民家。
お隣ジョージアの首都・トビリシ旧市街でもカラフルな木製テラスがシンボルとなっていますが、あちらは観光客向けに整備されたものが多いです ▼
いっぽうのクマイリ地区の木製テラスは、良くも悪くも「古くて味がある(=ボロボロ)」といった感じ。
各建物によってテラスの形状や装飾は大きく異なり、住人が花を飾っていることもしばしば。
今にも落下しそうなボロボロなテラスも多いですが、これもクマイリ地区の魅力であることは間違いありません。
②木製の扉&玄関部分の装飾
クマイリ地区の民家には、どれも素晴らしい装飾が施されているのが特徴的。
「THE・ロシア帝国調」といった重厚かつ繊細なデザインの数々を、一つ一つ見学していくのも散策の醍醐味です。
特に注目したいのが、玄関部分の装飾と木製の扉。
パステルカラーが基調の古びた木製のドアは、黒い外壁のシックな雰囲気と見事に調和しています。
ちなみに、ギュムリを訪れる観光客の間では、クマイリ地区の美しい扉を見つけてセルフィーを撮るのが密かなブームのよう。
人気(?)の扉には数組の行列ができていることもありました。
映えを求めてやまない人にとっては、クマイリ地区の「キラキラドア探し」は最重要アクティビティーかもしれません(笑)
③建造年
クマイリ地区の建物の中には、建造年月日が刻まれたレリーフが玄関上部に飾られているものもあります。
19世紀後半(特に1870年代~1890年代)のものが多かったのですが、中には1792年と刻まれたものもあってびっくり。
その建物の歴史をダイレクトに感じることができるので、散策時にはぜひ注目してみましょう。
④ソ連時代のクラシックカー
クマイリ地区散策時に必ず目にする、ソ連時代のクラシックカーがお洒落な町並みを彩る光景。
アルメニア津々浦々、どこへ行こうとも現役でガタゴトと走っているのですが、クマイリ地区以上にソ連車が似合う場所は他にありません。
石造りの町並みに停められた、色褪せたクラシックカー…まるで古い映画のワンシーンのようです。
⑤スピタク大地震の傷跡
1988年にアルメニア北部を襲ったスピタク大地震。
ギュムリ全体が大きな被害を受けましたが、市内で最も古いクマイリ地区は壊滅的だったよう。
頑丈な石造りであったため全壊は免れた建物が多かったそうですが、ほとんどの建物が半壊などの被害を受けます。
大地震をきっかけに放置されてしまった建物も多く見られ、30年以上が経った今でも半壊したままだったり、再建工事が続いていたり…
この町が受けた被害がどれほど甚大なものだったのか、地震大国からやって来た人間にとってはより強く実感させられるでしょう。
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