こんにちは!コーカサス地域での滞在ももうすぐ丸6年(やばすぎ)、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
さてさて。間もなく幕を閉じようとしている2025年。
今年はみなさんにとってどんな一年だったでしょうか。
のぶよにとっては、2025年はとにかく旅することに注力した年。
ここまでがっつりと精力的に色々な場所に足をのばしつつ、その土地の魅力を存分に堪能できた年というのは、ここ数年間でなかったような気がします(とはいえアルメニアとジョージアの小さな二国内をうろうろしていただけではあるけど)。

また、旅先で出会った人々の温かさや、旅が本来有する魅力を改めて感じることができたのも、今年の旅を通しての収穫でした。
思えば、行く先々で良くしてもらったり、ミラクルのような出来事が起こったりと、卑弥呼力を遺憾なく発揮しまくりあげた一年。
なんだか色々と恵まれてばかりだったように思いますし、悪い思い出はひとつもありません。


そんなわけで、今回の記事はのぶよの2025年の旅の思い出をまとめたもの。
アルメニアとジョージアで出会った風景や思い出の数々を、写真たっぷりでシェアしていきます!
写真や文章を通して「むむむ…!この場所気になるぞ…!」となった人(おらんか)のために、各写真のキャプションに各スポットの別記事へのリンクを貼ってあるので、気になった場所は要チェック!
(実はこのリンク貼り作業がまじで大変だったのだけど、のぶよは優しいのでやり切っちゃう。ああすごいああ天才ああ現人神)
1月~3月:エレバンで越冬

のぶよが2025年を迎えたのは、アルメニアの首都エレバン。
エレバン訪問は2021年に続いて二回目だったのですが、この美しく気高い町の雰囲気に圧倒されてばかりでした。


標高1000mの高地に位置するエレバンの冬は、想像以上の極寒。
現地の人によると「今年はかなり暖冬」とのことだったのですが、のぶよ的にはもはや寒すぎて寒すぎて…暖房が効いた宿でのんびりぬくぬくと過ごす日が続きました。

1月はもはや冬眠と言っても良いほどにどこにも行かなかったのですが、2月も後半になりようやく寒さが緩んでいたのを契機に、少しづつエレバンの隠れた魅力を発掘しに行くように。
主要な見どころは初訪問時にすでに制覇していたので、穴場的な見どころやローカルグルメの発掘をメインに楽しみました。


エレバンは、長く居れば居るほどにその奥深い魅力に気づかされる不思議な町。
エキゾチックさとレトロさ、洗練された雰囲気と垢抜けないカオス感…それらが全てごちゃまぜになって一つの空気を形成しています。

エレバン滞在中で特に印象に残っているのが、アルメニアと日本の共通点。
一見すると何一つ関わりがなさそうな二国ですが、実は人の気質や社会通念などに似た部分がかなり多いのです。
こうした共通点に気が付くと、どこか親近感が感じられるもの。
いつの間にか、自分のホームのような居心地の良さをエレバンという町に対して感じるようになりました。
3月に入ると気温はだいぶ上がり、春の訪れが感じられるようになったエレバン。
「この機会を逃すまい!」と思ったのぶよは、エレバンからアクセスしやすい見どころや町へと短期旅行をするようになります。
そんなわけで、いったんさようなら、エレバン。

アララト山を背景にしたホル・ヴィラップ修道院、世界遺産のゲガルド修道院、圧巻の柱状節理が見られるガルニ渓谷、アルメニア使徒教会の総本山があるエチミアジン…
いずれも2021年のアルメニア旅行時に訪問済みの場所でしたが、数年越しに改めて訪れるとまた異なる種類の感動を与えてくれます。
これもまた、長期居座りスタイル旅の良いところだと言えるのかも(みらくる自己弁護)。

そして、2021年に初訪問してその美しさに感動したアルメニアの古都・ギュムリにも再訪。
4年ぶりに歩くギュムリの町は以前と何一つ変わっておらず、黒で統一された石造りの重厚な町並みをソ連時代のクラシックカーがごとごと走る風景は、古い映画の世界そのものでした。

ギュムリでは情緒あふれる街を目的もなく散策したり、シラク地方(ギュムリ周辺エリア)ならではの郷土料理の数々に挑戦したりと、とにかく充実した日々。
のぶよ的にギュムリは「コーカサス地域で最も美しい町」だと思っているのですが、再訪してみてもやっぱりその魅力は底なしでした。もはや住みたい…


久しぶりのギュムリ滞在がとにかく素晴らしかったためか、旅モードに火がついた勢いでエレバン周辺のスポットにさらに足をのばすことに。
晩冬のセヴァナヴァンク修道院や異世界の風景のノラヴァンク修道院など、アルメニアが誇る絶景修道院の聖地感を堪能しまくりあげました。


色々と足をのばしているうちに、エレバンはいつの間にか春の風情でいっぱいに。
長い冬の終焉を喜ぶようにオープンカフェで着飾ってくつろぐ人々の姿は、いかにもエレバンという感じがします。

エレバンの春はとても過ごしやすく、風景も日を追うごとに生命力を取り戻していくかのようなバイタリティー。
もう少しこの素敵な町でのんびりと過ごしながら春を満喫したい気持ちはありますが、そろそろ出発するときです。
4月~5月:アルメニア南部エリア大冒険

ここまでは「エレバン拠点の小旅行」といった感じでしたが、ここからはいよいよ大冒険。
ちょうど4月に入ったのを契機に、アルメニア南部エリアを発掘する旅に出ることにしました。
アルメニア南部エリアは、2021年のアルメニア旅で唯一のぶよが足を踏み入れなかった地域。
当時はナゴルノ=カラバフをめぐる紛争の真っ只中であり、アルメニア南部は危険であったため訪問できなかったのです。
そんな4年越しの夢をいよいよ実現させるべく、満員のマルシュルートカに揺られて一路、南へ。
アルメニア最南部のシュニク地方の中心都市・ゴリスに滞在しながら、周辺の見どころへ色々と足をのばしたのですが、もう!とにかく!素晴らしかったです!
2025年の大冒険のはじまりにふさわしい圧倒的な風景の連続に、アルメニアという国の底力を感じてばかりの毎日でした。

世界遺産のタテヴ修道院の圧倒的な風景を筆頭に、摩訶不思議な洞窟住居の風景が広がるフンゾレスクや、「アルメニアのマチュピチュ」と呼ばれるヒン・ホットなど、定番から穴場までをみっちりと訪問。
特に印象的だったのは、タテヴ修道院~ゴリス間に敷かれたトレッキングコースでした。

トレッキングコースは計3日間かけて歩いたのですが、新緑に包まれた深い谷間の風景はもはや異次元。
途中の村で宿泊したゲストハウスも素敵で、アルメニア伝統のホスピタリティーを存分に堪能することができました。


大自然も、美しい建築も、食も、人の温かさも…とにかくアルメニアという国の真髄が感じられたシュニク地方での数週間。
本当に行って良かったと思いますし、これからアルメニアを旅しようと考えている人にも心からおすすめしたいです。

そしてもう一つ、シュニク地方でのぶよが気に入ったのがシシアンという町。
ソ連時代そのままのレトロな町並みと、柔らかな態度で迎えてくれる人々、アルメニア南部ならではの郷土料理の数々に、もう癒されてばかりでした。
シシアンを訪れる観光客は多くはないものの、実は周辺には見どころが多く点在しているのも気に入った理由。
大迫力のシャキの滝や、中世そのままの姿を残したヴォロタナヴァンク修道院をはじめ、知名度こそ低いものの見ごたえたっぷりのスポットが多く点在しているのです。

アルメニア最南部・シュニク地方の旅に大満足したあとは、少し北上したところにあるヴァヨツ・ゾール地方へ。、
エリア内で最大の町であるイェゲグナゾールに滞在しながら、周辺へと足をのばしていきます。


ヴァヨツ・ゾール地方の旅で最も印象に残っているのは、「アルメニアのワイン村」とされるアレニ。
名産のワインはもちろんのこと、宿泊したゲストハウスがもうとにかく最高過ぎて…天国に来てしまったかのような気分で数日間を過ごしました。
アレニ村以外にも、ヴァヨツ・ゾール地方では思い出深い場所がたくさん。
聖域とされるイェゲギス村や、温泉保養地ジェルムックなど、バラエティー豊かな見どころはどれも素晴らしかったです。
アルメニア南部エリアを大満喫した2025年の春。
春の終わりとともに、アルメニア出国の日が近づいてきます。
アルメニアを出る前、最後に訪問したのがセヴァン湖でした。

アルメニア最大の湖であるセヴァン湖を有するセヴァンの町は、のぶよにとって思い出深い町。
2021年の初アルメニア旅行時に3週間に渡って滞在したのが懐かしくなり、2025年のアルメニア滞在のラストに再訪することにしました。


特に改めて観光することもないので、セヴァンでは宿でのんびりしながら名物の魚料理を食べまくる数日間。
食のレベルの高さに驚かされてばかりでしたし、もうすぐアルメニア料理が食べられなくなるということを少しずつ実感しはじめます。

いくら「このままずっとアルメニアに居られたら良いのに…」なんて思ったところで、時は待つことをしてくれず、とうとうアルメニアを出国する日に。
「もしかしたらもうこの国を訪問する機会はないのかもしれない」と思うと、なんだか無性に寂しさがこみ上げてきます。
しかし、これこそが旅というもの。
アルメニアでの素晴らしい思い出の数々はいったん心の奥に仕舞っておいて、また新しい思い出を収納するためのスペースを空けておかなければなりません。
さようなら。そしてありがとう、アルメニア。
6月~7月:ジョージアの黒海沿岸でのんびり

6ヶ月まるまるを過ごした高地の国・アルメニアから無事にジョージアに再入国し、目指すは黒海。
半年間で海なし内陸国のアルメニアに慣れたのぶよの体には、久しぶりに浴びる黒海の潮風はなんだかとても新鮮に感じられました。
ああ…アルメニアも良かったけど、ジョージアもやっぱり良い…!
のぶよ的にジョージアの実家的なポジションの町であるバトゥミを拠点にのんびりとビーチライフを送りながら、周辺にもちょくちょく足をのばしていたのが6月のこと。
「黒海のパリ」と称される港町・ポティや、もはやバリ島のような熱帯感のツィヒスジリなど、これまで未踏だった場所にも訪問しました。

本来の計画ではもう少し早く2025年の夏のジョージア旅をスタートしようと思っていたのですが、あいにく初夏の天候は不安定。
こればかりはどうしようもないので、旅に出られる日を待ち望みながら、ビーチでベリー類を爆食いしつつ過ごしていました。
そしてようやく天候が安定したのが7月に入ってから。
いよいよ2025年夏のジョージア旅のはじまりです!

今年ののぶよは、これまでとは違って無敵。
テントや寝袋、屋外で調理できる簡易ガスコンロなど、いつでもどこででも寝られる準備を万全にして出発したのです。
のぶよは別にアウトドアが大好物なタイプではないですし、できれば自炊ではなく外食したいタイプの贅沢民なのですが、ジョージアの山間部では宿やレストランどころか商店すらない場合も珍しくないもの。
こうした理由から、これまでは宿や商店がない地域への旅は諦めていたのですが、キャンプ用品さえ持っていけばもはや自分の足で行けない場所など存在しないということに(ようやく)気が付いたのです。
そんなわけで、無敵ののぶよが到着したのは、ジョージア西部の小コーカサス山脈に位置するバフマロという村。


なぜのぶよが夏のジョージア旅のスタートにバフマロを選んだかと言うと、バフマロを起点にゴミスムタという別の山村まで歩き、そこからさらに山を下って下界へと向かうという「小コーカサス山脈大冒険」のため。
途中には商店や宿がないエリアも多く、「キャンプしないと踏破できない」という点がネックでこれまで足を運べていなかったのです。
結論から言いましょう。
大袈裟でなく、人生観が変わるレベルの絶景の連続でした。

バフマロもゴミスムタも、雲海の発生率がとても高いことで知られる場所。
その前評判に嘘はなく、旅行中ほぼ毎日雲海を見ることができ、とにかく感動の風景が360°広がってばかりでした。


宿がないエリアではキャンプ泊だったのですが、これもとても良い思い出。
まだハイキングの時期には若干早いこともあってか、他には誰も旅行者はいない「極上の孤独」を思う存分堪能することができました。
また、バフマロやゴミスムタの人々の温かさも印象的。
自宅に招いて食事を提供してくれたり、BBQに参加させてくれたり、何故か自宅に泊めてくれたり…と、さまざまなミラクル的出来事が毎日のように起こり、旅行者が少ない地域ならではの「スレてなさ」にお世話になりっぱなしでした。




この「際限のない人の良さ」というのは、のぶよがジョージアという国に対して感じる最大の魅力のひとつ。
ここ数年で一気に観光地化の波が訪れたジョージアにも、まだこうした出会いは残っているんだなあ…としんみりしました。

2025年の数々の旅の中でも屈指の素晴らしい思い出となったバフマロ~ゴミツムタ間のトレッキングですが、最も印象に残っているのは馬をヒッチハイクしたこと。
歩いていたら急に土砂降り&雹となりきええええっ!!!となっていたところに、たまたま馬を二頭連れたおじさんが通りかかり、そのまま流れで馬で移動することになる…
という訳の分からぬ状況だったのですが、もはや雹がやばすぎて藁にもすがる思いで馬に乗りました。人生で初めて。


人生初の乗馬がコーカサスの山越えというのも、なかなかにエクストリームな体験。
当時はずぶ濡れになり、あまりの寒さと乗馬の恐怖にがたがたと震えていたのですが、それもこれも今振り返ると良い思い出です。
この数日間の旅で経験した数々のミラクルは、のぶよに旅することの楽しさを思い出させるには十分だったよう。
まるでエンジンが入ったかのように、休む間もなく次なるエリアを目指すことになります。
8月~9月:コーカサス山岳地域大冒険

小コーカサス山脈旅の感動冷めやらぬうちにやって来たのが、ジョージア北東部に位置するカズベギエリア。
カズベギを訪れるのはこれで3回目となり、主要な見どころはもう全て訪問済みではあるのですが、やっぱり何度来ても素晴らしいなあと率直に感じました。
のぶよが今回カズベギに来た理由は二つあり、まず一つ目はザザの家に泊まるため。
ザザの家とは、2022年にのぶよが宿泊した宿のことで、オーナーであるザザのホスピタリティーがものすごい伝説の宿の一つ。
初の日本人宿泊客であるのぶよがものすごい勢いで布教しまくりあげたこともあってか、現在では日本人旅行者に大人気の宿としても知られているのだそうです(ザザにまじで感謝された)。


数年ぶりのザザの家は、相変わらずのエクストリームホスピタリティーとコーカサスの大自然に包まれた魔法の場所。
結局一週間以上滞在し(定期)、のぶよが来たことが心底嬉しそうなザザと再会を約束し、カズベギに来たもう一つの目的を果たすために出発します。
その目的とは、カズベギからチャウヒ峠を越えてヘヴスレティ地方へと抜けるトレッキング。

2日間かけて山を越えるこのトレッキングは、かなりハードな部類。
途中には宿泊施設などはないので、ここでもキャンプ用品が大活躍でした(本当に買って良かった)。


噂には聞いていたものの、チャウヒ峠越えの道のりはかなり険しいもの。
しかし、ひいひい言いながらどうにか歩ききった先には、言葉を失うような絶景が広がっていました。

以前、このアブデラウリの湖の写真をどこかで見てからずっと訪れて自分の目で見たいと思っていた風景が、今こうして自分の目の前に広がっていることの感動と言ったら…
苦労して長く険しい道のりを歩いて良かったと心の底から思いましたし、これこそが自分の足でその土地の魅力を探訪するということだなと感じました。


ハードなトレッキングの後は、ヘヴスレティ地方側の極上ゲストハウスで数日間の休息。
実はのぶよはヘヴスレティ地方は初訪問なので、初めて食べる郷土料理や伝統建築の独特さに新鮮な刺激を覚えました。
十分に休んだところで、ヘヴスレティ地方をさらに山奥へ。
エリアで最も大きい村であるシャティリに到着したときの感動は、きっと一生忘れることができないでしょう。

シャティリは、総石造りの要塞都市を中心とした集落。
その風景はもはや2025年のものとは思えないほどに、完璧な中世の雰囲気に圧倒されっぱなしでした。


シャティリがとても気に入ったので、さらに山奥にある小さな村にも足をのばしてみることに。
テントで野宿したり、ゲストハウスに泊まったりしながらいくつかの村を周りましたが、最も印象に残っているのがハハボという村でした。


ハハボに現在住むのは一家族だけで、ゲストハウスとして自宅を旅行者向けに開放しています。
このゲストハウスがとにかく素晴らしく、「コーカサスの最果て」といった雰囲気の村の思い出を、さらに素敵なものとしてくれました。


ハハボ村で過ごした数日間がとにかく素晴らしかったことと、初訪問のヘヴスレティ地方をアクティブに旅できたことの満足感で、若干燃え尽き症候群のようになっていたのぶよ。
このまま下界へと戻ろうか、さらに先へと進もうか…迷いに迷っていたのですが、とうとう決断しました。
ヘヴスレティ地方からアツンタ峠を越えてトゥシェティ地方まで歩くことを。

五このアツンタ峠越えトレッキングは、四日間~五日間に渡って標高3000mほどの山を歩くエクストリームなもの。
途中には商店どころか人の営みすらなく、とても険しい道のりであるため、相応の準備と体力が必要となります。
のぶよの場合は必要な食糧や衣類、キャンプ用品などを全てバックパックに入れた状態で歩いたので、しんどさはさらなるもの。
これまで色々とハイキングやトレッキングをしてきた中でもおそらくトップレベルにハードな五日間でしたが、見られる風景の素晴らしさはそんな苦労など軽く凌駕するほどの素晴らしさでした。


物音ひとつ響かない山の無音の夜、世界に一人ぼっちになってしまったような感覚、延々と続く上り坂の先に広がるパノラマ、自分の存在の小ささを感じさせる満天の星空、山から湧き出した水の美味しさ…
トレッキングコース上に存在する全ての要素が、この五日間を最高のものとしてくれました。
五日間に渡って延々と歩き続けた先。
トゥシェティ地方側で最初の村であるギレヴィの風景が見えた際の感動は、きっと一生忘れられないでしょう。

ギレヴィはトゥシェティ地方で最も奥に位置する人が住む村ですが、ヘヴスレティ地方から山を越えてやってきたのぶよにとってはトゥシェティ地方最初の村。
この日はちょうど年に一度の村のお祭りの翌日だったこともあり、お祭りの余韻が残る村の人たちの宴会に招かれてカオスな夜を過ごしました(歩き疲れていたのと飲み過ぎたのでもはや途中から記憶ない)。

実はのぶよがトゥシェティ地方を訪問するのは、これで二回目。
初訪問は2020年のことなのですが、当時とにかく感動した場所があります。
それが、ダルトロという村。

およそ五年ぶりのダルトロ村の風景は、記憶の中にあるコーカサスの桃源郷の風景そのまま。
黒い石造りで統一された村がとにかく素敵すぎて(&トレッキングの疲れが長引いていて)、予定では一泊だけのつもりが、なんと四日間に渡って滞在することになりました。
今回のダルトロ滞在がこんなに長くなったのは、村で宿泊したゲストハウスがとにかく良かったのもあるかも。
トゥシェティ地方ならではの石造りの伝統家屋で地元の姉妹が暮らす民家ゲストハウスなのですが、山の暮らしにどっぷりと浸かったような時間がとにかく素敵でした。


黒一色のモノトーンなダルトロ村の風景を、ただぼうっと眺めているだけの極上の時間。
あの四日間がどれほどに贅沢で貴重な時間だったのか、今なら痛いほどに理解できます。


そしてとうとうダルトロ村から出発する日。
極上のゲストハウスでの時間とダルトロ村の風景を目に焼き付けながら、トゥシェティ地方の小さな村々を徒歩で順番に巡る旅に出ます。
どの村も絵葉書のような風景で、色濃く残った山の伝統がとても印象的。
初訪問時よりもトゥシェティ地方に関する知識があったので、細かな建築様式の違いやお墓の造りなど、カルチャー的な部分でも深く楽しむことができました。
また、各村で滞在したゲストハウスでトゥシェティ地方の郷土料理の数々を味わえたのも嬉しかった点。


2020年の初訪問時は想像を絶するほどの貧乏だったので、食にあまりお金をかけなかったのですが、2025年ののぶよは無敵。
ここでしか食べられない名物グルメの数々を食べて食べて食べまくりあげたのですが、トゥシェティ料理が意外にも自分の好みに合っていたのが新発見でした(ジョージア山岳地域の料理はクセがある場合も多いので)。
こうして、トゥシェティ地方が誇る自然や伝統や文化や食をまんべんなく楽しみながら、ようやく到達したのがオマロ。
下界からやって来る旅行者にとっては「トゥシェティ地方の玄関口」となる村ですが、山を越えてやって来たのぶよにとっては「トゥシェティ地方最後の村」です。

オマロにも結局十日ほど滞在することになるのですが(定期)、その理由はやっぱり宿。
オマロで滞在していた小さな宿がもうとにかく極上で天国で最高過ぎて…宿が冬季休業で閉鎖される日の朝まで居座りつくしてあげました(得意技)。


山を下りる日の朝。もうトゥシェティ地方の住民のほとんどは山を下り、越冬用の麓の別宅へと発ってしまっていたので、村に漂うのは静寂だけ。
物音すらまばらで寂しげな村の風景を「もうさすがに来ることはないだろうな…」と思いながら、心にじんわりと焼き付けます。

ジョージア平野部とトゥシェティ地方を結ぶ唯一の道である「世界一危険な道」を下っていくにつれ、ピリッとした寒さの山の空気が温かみを帯びた平野の空気へだんだんと変化していくことに、思わず感動。
よく考えれば丸二ヶ月間以上も標高2000mほどの山岳地域に居たわけなので、久しぶりに吸い込む下界の空気はなんだか懐かしささえ感じさせる温かさでいっぱいでした。
9月~10月:カヘティ地方グルメ旅

2025年の夏をまるまるコーカサスの山で過ごした後、山旅で完全に燃え尽きた感のあったのぶよを迎えてくれた下界は、すでにもう秋の風情。
ジョージア東部・カヘティ地方の最大都市であるテラヴィを拠点に、休息もかねて二週間ほど滞在することにしました。

久々に山から下界に来てものすごく感動したのが、商店も飲食店も宿も、全てが簡単に見つけられること。
山岳地域では物資がとにかく限られており、現金しか使えない&ATMがないという状況だったので、残金と食料を常に考えながらの旅だったのですが、下界ではもはやそんなことを気にする必要はないのです。
普段あって当たり前だと思っている野菜や果物が、どれほどに貴重なものであるのかを身をもって知る良い機会となりました(山岳地域には本当に小麦粉とチーズ以外なんっっっにもなかったので)。


また、テラヴィはジョージア東部髄一の美食エリアとして知られる町。
何を食べても抜群に美味しい「食の都」の底力はものすごいものがあり、結構な金額を外食費に費やしたような気もします(しかし後悔はしていない)。


テラヴィがあるカヘティ地方は、ジョージア髄一のワインの名産地。
のぶよが滞在していた9月末~10月頭はちょうど「ルトヴェリ」と呼ばれるぶどうの収穫&ワイン造りの時期にあたり、8000年の歴史を誇るジョージアのワイン文化が五感で感じられたのも素敵な思い出です。

実はのぶよはワインよりも完全にビール派なのですが、こうして収穫からワイン造りまで実際に携わってみると、やっぱりワインにも興味が出てくるもの。
カヘティ地方には大小さまざまな規模のワイナリーが点在しているので、ひとつひとつ周る旅も良さそうだなあ…なんて思っています(もちろん徒歩で)。
そして、カヘティ地方滞在中に訪問した場所で最も印象に残っているのが、パンキシ渓谷。

パンキシ渓谷は、ジョージアの中にありながら住民の大半がイスラム教徒のチェチェン人という特異な地域。
住民はチェチェン語を話し、「ズィクル」と呼ばれる儀式などイスラムの厳しい戒律に則った生活を現在でも守り抜いているのです。


パンキシ渓谷は、かつて「テロリストの巣窟」と呼ばれていた地域。
そこにはさまざまな理由があるのですが、残念ながらジョージア他地域の人の中には現在でもこうした偏見を持った人も少なくありません。
のぶよもこのパンキシ渓谷の悪いイメージに関しては耳にしたことがあり、訪問するのを躊躇ってきたのですが、百聞は一見に如かずとはよく言ったもの。
実際に訪問して自分の目で見た現在のパンキシ渓谷は、絵に描いたような平和な雰囲気でした。

もはやジョージアにいるとは思えないほどに独自のチェチェン文化が根付くパンキシ渓谷では、毎日が驚きの連続。
人の感じもすごく良く、この誤解された地域のために何かできないだろうか…と考えたのぶよは、歴代No.1のボリュームのパンキシ渓谷旅行情報記事を書くことにしました(まじで書くの大変だった…)。
いまや、多くの情報がインターネットやSNSを通して発信され、消費される時代。
しかし結局、自分で実際に行って感じてみないと分からないものというのはこの世界にまだまだ多く存在しますし、それを他人の経験ではなく自分自身のの経験を通して判断することが、わざわざお金や時間をかけて旅をすることの醍醐味なのかもしれません。
パンキシ渓谷は、旅の基本とも言える大切なことに改めて気づかせてくれた大切な場所でした。
11月~12月:ジョージア西部のんびり旅

ひと夏を過ごし、豊穣の秋を満喫したジョージア東部地域に別れを告げ、再び西へ。
もう何度目の訪問かも分からないほどに見慣れたジョージアの古都・クタイシに到着しました。
晩秋のクタイシは、相変わらずの気品と情緒に満ちた雰囲気。
2025年の旅のフィナーレは、クタイシを中心にジョージア西部地域で去りゆく秋を追いかけることにしました。


数日間クタイシでのんびりした後にのぶよが向かったのは、ラチャ地方の山岳地域。
ラチャ地方自体は数年前にがっつりと旅しているのですが、唯一未踏のままだったゲビというエリア内で最も奥に位置する村に到着です。
まだまだ秋の風情だった平野部のクタイシに比べると、ゲビの風景はもう冬の始まりの雰囲気。
新雪に覆われたコーカサスの山々と、色彩を失いつつある大地の寂莫が、なんとも言えないほどに味わいのある風景を演出していました。
ラチャ地方は「ジョージア髄一のグルメエリア」として知られる地域。
本場のシュクメルリを食べたり、伝統的な様式の宿に宿泊したりと、ジョージア西部の山岳地域ならではの体験がとても印象的でした。


ラチャ地方の山岳地域旅を終えた後はそのまま黒海沿岸方面へと抜け、2025年の旅を終えようかと思っていたのですが、今年の11月はやたらと天気が良く、例年よりも暖かな当たり年。
このまま冬眠に入ってしまうのはなんだかもったいない気がして、もう少しジョージアの秋旅を楽しむことにしました。
そんなわけではるばるやって来たのが、三回目の訪問となるスヴァネティ地方。

数年ぶりに眺める、スヴァネティ地方の中心都市・メスティアの風景は、昔と変わらない異世界感で溢れており、晩秋ならではのピリッと冷えた空気が町を包み込んでいました。
天候は驚くほどに安定していて晴天率も高かったのですが、もう観光シーズンには遅いこともあって、ほとんど観光客がいなかったことにも驚き。
メスティアといえばジョージア旅行の超定番スポットの一つなので、オフシーズンであっても多くの人で溢れているのだろうと思っていたのですが、良い意味で裏切られました。
11月のメスティア、本当に良かったです。


天気は良かったとはいえ、ここは標高1400mのコーカサスの山の中。
気温は低くハイキングするにはもう遅い時期だったため、メスティア滞在中はスヴァネティ地方の郷土料理や名物グルメをひたすらに食べまくることにエネルギーを注いでいました。
スヴァネティ地方伝統の牛肉パイ「クブダリ」は、数年ぶりに食べてもやはり極上の美味しさ。
他にも新たに発掘した郷土料理もたくさんあり、グルメ面に関してはスヴァネティ地方コンプリートと言えそうです。

基本的にはのんびりと過ごしていたスヴァネティ地方旅ですが、アクティブに旅して周った日も数日間ありました。
2025年ラストのトレッキングを楽しんだり、小さな村のゲストハウスで山村暮らしを体験しながらホームステイしたり…と、ここでもスヴァネティ地方が有する魅力にどっぷりと浸かりっぱなし。
特に、エツェリという集落で宿泊した民家ゲストハウスがとにかく素晴らしく、スヴァネティ伝統のホスピタリティーと人の温かさを存分に感じながらの数日間を過ごしました。


結局二週間ほどを過ごしたスヴァネティ地方を後にして、再びクタイシ方面へ。
二週間の間で一気に冬めいたスヴァネティ地方から山を下ると、下界はまだまだ秋の風情全開でした。

今年の秋はとにかく天候が安定していて、昼間であれば夏の終わりを感じさせるような陽気。
「まだもうちょっと旅を続けろ」と旅の神様に言われているような気がして、素直に従うことにしました。
そんなわけで、ジョージア西部のイメレティ地方とサメグレロ地方を行ったり来たりしながら、これまで未訪問だった見どころを余すところなく制覇することに。
紅葉にはやや遅めの時期ではあったものの、とにかく天気が良かったこともあり、どの場所も美しく輝いているように見えました。
イメレティ地方とサメグレロ地方周辺には、「ジョージア西部観光のハイライト」とされる見どころが点在しています。
空中遊歩道で有名なオカツェ渓谷や雄大なキンチュハの滝、圧巻の渓谷美のマルトヴィリ渓谷などなど、いずれも個性豊か。
観光インフラも整備されているので、誰でも気軽に自然を楽しむことができます。

野宿しながら山を歩いたり、毎日蕎麦の実を炊いたものを食べて腹を満たしたり…とエクストリームな旅をここまでしてきたのぶよにとっては、これらの定番スポット訪問はもはや楽勝of楽勝。
アクティブな旅で見られる風景の感動に比べるとどうしても「まあ、こんなもんか」なんて思ってしまうものですが、ストレスフリーで美しい風景が見られるという点ではまあ満足しています。
時はもう11月の末。日を追うごとに秋の終わりが近づきつつあるのを肌で感じながら、ジョージア地方部の秋の風景を堪能しました。


ジョージア西部地域の見どころめぐりにいったん区切りをつけてやって来たのが、サメグレロ地方最大都市のズグディディ。
ズグディディ訪問ももちろん初めてではなく、すでに三回か四回は来ているのですが、ちゃんと滞在するのは久しぶりな気がします。

ズグディディは正直、「観光」という意味での魅力には乏しい町。
しかしながら、深く発掘すればするほどにこの町独自の魅力に気が付くことがで、不思議な引力を有する町だと思います。
もう12月に入っているのに毎日晴天続きで温暖だったズグディディ滞在は、かなりリラックスできて個人的には大正解。
ここサメグレロ地方ならではの激辛グルメにも挑戦し、数回目の訪問にしてやっとズグディディという町の真髄が味わえたような気がします。

ズグディディ滞在の後はふたたびクタイシに戻り、周辺のスポットへ日帰りで足をのばすスタイルの旅をすることに。
ソ連時代の温泉保養地・ツカルトゥボの廃墟めぐりにハマって数回足を運んだり、何の期待もないままに訪れたサタプリア自然保護区が予想に反して結構良かったり…と、クタイシ周辺エリアの尽きない魅力を再発見できたようで満足しています。


ここまでずっと安定していた天気も、いよいよ冬らしくウェットな様相を帯びてきた12月の半ば。
思い腰を上げ、2025年の旅のグランドフィナーレとなる町・オズルゲティへと向かうことにしました。

オズルゲティは、ジョージア西部のグリア地方の中心的な町として機能する小都市。
旅行者はほとんど訪れない場所であるため、スレていないジョージア地方部らしさが感じられます。。
オズルゲティ、というかグリア地方自体、のぶよもこれまでずっとスルーしてきたのですが(バトゥミから近いしいつでも行けると思っていた)、ようやく念願の初滞在。
オズルゲティは「見どころ」という面ではやはり恵まれていないものの、お茶文化や伝統料理などグリア地方ならではのカルチャー面を五感で感じることができ、レトロで垢抜けない町の雰囲気も含めて個人的にはかなり気に入りました。


オズルゲティ滞在中に最も驚いたのは、食のレベルがとにかく高いこと。
冗談でなくどこで何を食べても美味しくて、グリア地方ならではのあっさりとした味付けや食材の風味を引き立たせる調理法に、胃腸が大喜びしているのを感じていました。

カルチャー面をメインにかなり楽しめたオズルゲティ。
周辺のグリア地方内にはまだまだ未発掘の見どころもいくつかあるので、もう少し暖かくなったらふらりと再訪するのも良いかな…なんて考えています(茶畑グランピングができる場所があるそうで、とっても気になる)。
そんなわけで、オズルゲティからマルシュルートカに揺られること1時間。
グリア地方から峠を越えてアジャラ地方に入り、緑の山々を抜け、どんよりとした曇り空の下に広がる黒海が見え、遥か彼方に不思議な建造物がにょきにょきと生えたかのような町の光景が目に入ります。
ただいま、バトゥミ。

2025年の旅が思ったよりも長引いたおかげで、時はすでに12月の末。
年末ムードに入りつつある町の忙しい空気を吸い込み、見慣れたバトゥミの日常風景をぼうっと眺めながら、無事に今年の大冒険が終えられたことの喜びを改めて実感しているところです。
おわりに
とういうわけで、のぶよの2025年の旅を100枚(くらい。もっとあるかも)の写真とともにどどどんと振り返ってみました。
いったい誰得の記事なのか自分でも分かりませんが、書いている間とても懐かしくて楽しかったので、まあ結果オーライということで。
本来はぴぴっと写真を適当に貼り付けてさくさくっと書き上げる予定が、大長編の写真集のようになったのはまあ…いつも通りというか…(書き進めるにつれてエンジンかかるタイプ)
そんなわけで、2025年のアルメニア&ジョージア旅は本当に最高のひとこと。
「行きたいところには全て行く」をテーマに行動していたのですが、特にジョージアに関しては九割方コンプリートできたと思います。
むしろまだあと一割、ジョージアで行きたい場所が残ったままであることに自分でも驚きますが、その一割に実際に行くことができるのかどうかは神のみぞ知るといったところ。
2026年がのぶよにとってどんな一年になるのかはまだ分かりませんが、もしまだエネルギーが残っていたならこの残り一割を制覇するのも悪くないかなあ…なんて思っています。
2025年、弊ブログの読者のみなさんにとっても最高の一年であったことを願うとともに、もう息遣いが耳元で聞こえつつある2026年の到来を心待ちにしながら、長々と続いた思い出垂れ流し記事の締めとさせていただきます。










































コメント