こんにちは!アルメニア滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
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「ローズ・シティー」の異名を持つ、アルメニアの首都・エレバン。
淡いピンク色の石で造られた建物が並ぶ統一感ある町並みは、訪れる旅行者の目を楽しませてくれます。
「オールド・エレバン」とも呼ばれるエレバン中心街の建物をよくよく観察してみると一目瞭然なのですが、ほとんどは築100年に満たないもの。
実はエレバンの首都としての歴史はかなり浅く、アルメニアがロシア帝国から独立した1918年に初めて首都として定められたのが始まり。
中心街の建物のほとんどは、独立以降の100年間に建設されたものなのです。
そんなわけで、エレバンには旧市街的なエリアはほぼ存在しないのですが、17世紀半ばからあまり変化していない地区が一つだけ残っています。
それが、中心街北西の小高い丘の上にあるコンド地区(Kond / Կոնդ)。
コンド地区の町並みは、モダンで整然としたエレバン中心街とは対照的なもの。
迷路のように入り組んだ石壁の路地に古い民家が建ち並び、住民たちがのんびりと日陰でおしゃべりを楽しんでいる光景は、数百年前から変わらない「エレバンの原風景」そのものでした。
コンド地区が位置するのは、エレバン中心街北西部の小高い丘の上。
半径200mほどの小さなエリアには、石壁に挟まれた狭い路地や坂道が連なり、数百年前に建設されたエキゾチックで情緒ある建物も多く残っています。
現在でも住民が居住しており、生活感が色濃く感じられるのも特徴的です。
そんなコンド地区ですが、一般的な「旧市街」とは少し雰囲気が異なっています。
ヨーロッパなどの地域では、「旧市街=古い民家が綺麗に保存された観光スポット」といった感覚が根強いですが、エレバンのコンド地区に関しては反対。
古い民家が保存されることなく、昔のままの(ぼろぼろの)姿で現在にまで残されているのですから。
エレバンの心臓部から距離にしてたったの数百メートル。目と鼻の先にある、瀟洒で整備しつくされた美しい摩天楼が建ち並ぶ町並みとは対照的に、まるで時が止まったかのような風景のコンド地区。
そこには、ある理由がありました。
というわけで今回の記事は、エレバンの原風景を垣間見ることができるコンド地区を紹介するもの。
コンド地区の歴史から、情緒ただよう路地のようす、そしてコンド地区の未来を変えるかもしれないプロジェクトに関しても解説していきます。
時が止まったような雰囲気の町並み散策は、エレバン観光の隠れたハイライトです!
エレバンに唯一残る旧市街の長い歴史。コンド地区の過去
コンド地区の歴史の始まりは、エレバンが小さな村でしかなった16世紀半ば(450年前)のこと。
当時のエレバン一帯には3つの村が存在していて、コンドはそのうちの一つでした。
当時アルメニアの全域を支配していたのは、イスラム系のサファーヴィー朝ペルシア帝国(現在のイラン)。
エレバンにもペルシア文化の波は及び、住人の礼拝用のモスクやハマムなどの建物が建設されはじめました。
こうして少しずつ村として整備されていたコンド地区を襲ったのが、17世紀末の1679年に起こった大地震。
それ以前の建物の多くが全壊してしまったコンド一帯は、サファーヴィー朝の支配下で「テペバシュ(Tepebash)」と名付けられ、ペルシア風の町並みへと再建されていきます。
19世紀初頭(200年前)にサファーヴィー朝が弱体化すると、アルメニア一帯に勢力を拡大したのが、キリスト教を軸とするロシア帝国。
イスラム教徒の多くはコンド地区から去っていき、彼らが住んでいた家々やモスクなどはほとんど使用されることなく放置されることとなりました。
コンド地区にふたたび多くの人々が住みはじめたのは、1915年にアルメニア人大虐殺が起こった時期のことです。
アルメニア人大虐殺とは、当時のオスマン帝国(現在のトルコ)領内に居住していたアルメニア人が次々に虐殺された悲劇の歴史。
虐殺や迫害を逃れてオスマン帝国領からエレバンにやって来た人々が、コンド地区で長らく放置されてきた元・イスラム教徒の家々や元・モスクに居住し始めたのです。
20世紀初頭にロシア帝国が崩壊し、アルメニアがソ連支配下に入った後は、コンド地区の再開発の話が持ち上がります。
この時点ですでにコンドが村としてひらかれてから数百年が経過していたため、建物の老朽化が激しかったことが、再開発計画の最大の理由。
それに加え、当時ソ連政府によって急ピッチで整備されていたエレバン中心街の都市開発の一環という一面もあったのでしょう。
この時期、コンドの住民の半数以上は自宅を放棄し、ソ連政府から支給された共同住宅へと移り住んだそうです。
しかし結局、ソ連崩壊とともにコンド地区の再開発の話は白紙に。
その後アルメニア政府やエレバン市から再開発の話が何度も持ち上がりますが、コンドの住民たちの了承を得られることはありませんでした。
お洒落に着飾った人々が行き交う、モダンな町並みのエレバン中心街。
その一角にひっそりと残るコンド地区は、まるで人々に忘れ去られて時が止まっているかのような雰囲気が漂います。
昔ながらの生活感漂う路地や、数百年間変わらない町並みをゆっくりと散策していきましょう。
人々に忘れ去られた「エレバン最後の旧市街」。コンド地区の今
エレバン中心街から北西方面に続く坂道や階段を上りはじめて、たったの5分ほど。
それまでの高級アパートが建ち並ぶ整然とした町並みから、石造りの平屋が建ち並ぶローカルな町並みへと風景が一気に変貌することに驚きます。
ここがエレバン最後の旧市街・コンド地区。
小高い丘の斜面に沿って古い民家が肩を寄せ合うように建ち並ぶ風景には、初めて来たのにどこか懐かしさを感じます。
現在のコンド地区の住民の多くは、1915年の大虐殺を逃れてこの地に居住しはじめた人達の子孫だそう。
住民たちが現役で暮らす民家は、どれも一目見て分かるほどに老朽化が激しく、半分崩れている家や傾いている家も多く見られます。
そのため、再開発計画やコンドの住民を他エリアに移住させる計画も幾度となく持ち上がっているそうです。
しかしながら、100年ほどの長いあいだ住み慣れた自宅から離れることを拒む人もかなり多く、再開発の話は浮かび上がっては立ち消えて…を何度も繰り返しているのだとか。
コンド地区を散策していると、いたるところに水道が設置されていることに気が付くでしょう ▼
この水道は「プルプラク(Pulpulak / պուլպուլակ)」と呼ばれる水飲み場。
天然の地下水が豊富なエレバンでは、町中どこでもピュアな水が飲めるプルプラクが設置されていて、エレバン観光の隠れた名物となっています。
いっぽうで、コンド地区でのプルプラクは単なる水飲み場ではなく、生活用水を得るための場所としても機能しています。
エレバン市の再開発計画を拒否しているコンド地区では、上下水道の整備が遅れているそう。
2024年でも水道が通っていない家もあるというのだから、驚きです。
一歩立ち入っただけでも、まるでタイムスリップしたかのような感覚になるコンド地区。
住民はみんなとても温かい人ばかりで、「バレフ ジェス」(=「こんにちは」)とアルメニア語で声をかけると満面の笑みで挨拶を返してくれる人ばかりです。
エレバンの人々は概して柔らかい態度の人が多いと思うのですが、コンド地区で出会った人々の素朴で優しい感じはさらに印象的でした。
コンド地区を散策していると、絶えず工事の音が響き渡っていることに気が付くはず。
ボロボロの民家が建ち並ぶコンド地区を取り囲むかのように、高層ビルやホテルの建設ラッシュが起こっているのです。
数百年前の家々と空高くのびる高層マンション…
このちぐはぐなコントラストは、コンド地区以外ではなかなか見られるものではありません。
老朽化した民家を全て取り壊して副都心のようなエリアにする構想もあるそうですが、コンドの住民の多くが立ち退きに応じていないのが現状です。
何でもかんでも新しくおしゃれなもの(でも総じてセンスが微妙)にしたがるエレバン。
いくら住民が反対しようとも、コンド地区が開発の波に呑まれてしまうのも時間の問題かもしれません。
そのいっぽうで、コンド地区の歴史的な重要性を認識し、古い建物を活かした再開発を進めようとする動きも出てきています。
「古き良き町並み」はどうなる?コンド地区の未来
もうエリアの目と鼻の先にまで到達している再開発の波に、今にも呑まれそうになっているコンド地区。
この場所の運命を変えるかもしれない新しい動きの一つが、地元の若者たちによるストリートアートです。
小高い丘の上にある立地を活かし、「エレバンのモンマルトル」としてアートの発信地&エレバン観光の中心にしようとするプロジェクトが、住民主導で進められているのです。
(まあモンマルトルはちょっと高望みしすぎな気もする…)
▲ かつては茶色と灰色の壁が連なる殺風景な路地だった一角も、カラフルなアートが施され、ポップで楽しい雰囲気に。
発起人はコンド出身者を含む数人のアーティストグループだったそうですが、現在ではコンド出身者以外の作品も見られるようになりました。
コンド地区散策中に、カメラを持った外国人旅行者らしき人も数人見かけました。
どうやらコンドのアートプロジェクトは口コミで話題となっているようで、「ボロボロの民家×カラフルなストリートアート」という異色の組み合わせが「ヒップでクールだ!」と評価されているのだそうです。
現在ではアーティストの若者のみならず、コンド地区の住民自身も積極的にストリートアートプロジェクトに参加しているよう。
自宅の門にアートを施す住民や、築数百年の自宅を「アート古民家カフェ」として訪問者に開放する人も出てきています。
のぶよは2021年と2024年の合計二回、約三年半越しにコンド地区を訪問しているのですが、この期間だけでもストリートアートの数は目に見えて増えていました。
さらにストリートアートの規模を拡大して上手にプロモーションすれば、コンド地区に観光客を呼びよせる起爆剤となる可能性もゼロではない気がします。
いずれのストリートアートも、住民はもちろんコンド出身の若者が主体。
彼らの構想を支援しようと様々なイベントも開かれており、在アルメニア・フランス大使館などが主催するコンサートや展示会もしばしば開かれています。
(フランスという国の、文化的な遺産を守ろうとする姿勢には脱帽)
「古き良き(ボロボロの)民家 × ポップなストリートアート」という異色の組み合わせが、コンド独自のカルチャーとして広まりつつある今。
コンドの魅力がより広まって多くの人が訪れるようになり、エレバン市に「コンド=人気の観光エリア」として認識させ、インフラ面や家屋の改修など上手に開発&整備することができれば、この「エレバン最後の旧市街」を吞み込もうとしている大規模再開発の波にストップをかけることができるのかもしれません。
コンドならではの体験。450年前の古民家カフェでひと休み
コンド地区はそれほど大きなエリアではなく、のんびりペースでぐるりと一周しても30分ほど。
ただ散策するだけでも楽しいでのですが、せっかくならコンドらしい古い民家でひと休みしていくのもおすすめです。
ここ数年で、自宅をカフェ(的ななにか)として旅行者向けに開放している民家が数軒出現してきたコンド地区。
好みの民家を訪れれば良いのですが、のぶよが訪問したのがこちらの古民家カフェでした。
実はこの家、コンド全体で最も古い建物だそう。
元々は16世紀(450年前)にペルシア帝国がコンドを整備した際に建設されたモスクだったもので、外壁には当時の名残であるペルシア風のモチーフがそのままに残されています。
この建物で現役で生活する家族は、およそ100年前にオスマン帝国領からこの地に逃れてきた人の子孫。
長らく旅行者の受け入れなどはしていなかったそうですが、3年ほど前に自宅の一部をカフェのような空間にし、訪問客を受け入れるようになったのだそうです。
▲内部はカフェというよりも、普通の家といった感じ。
家主の陽気なおじさん(アルメニア語かロシア語オンリー)が、アルメニア風コーヒーを淹れてくれ、この建物やコンドの歴史について色々と話してくれます。
建物内部はさすがに改装されており、450年前そのままというわけではありませんが、歴史ある空間で啜るコーヒーはどこか格別な味がするかも…(気のせい?)
この古民家カフェ(店名不明)があるのは、コンド地区南東側の十字路付近。
コンド地区を散策するなら必ず通る場所にあり、外観も特徴的なので見逃すことはありません。
コーヒーや紅茶はもちろん、奥さんが作る各種フードメニューも提供しているそう(しかも価格が安い)。
歴史の香りはもちろん、エレバンの一般家庭の味や雰囲気を味わえるのも嬉しいです。
おわりに
コンド地区には、目立った観光スポットがあるわけではありません。
しかし、エレバンに来たならぜひとも足を運んでほしい場所です。
中心街の綺麗なストリートを歩いてお洒落なレストランで食事して…
そんなスタイルの滞在では味わえない「素顔のエレバン」を感じることができる貴重なエリアであるためです。
コンド地区の未来に関しては不確かな要素が多く、今後の再開発計画によっては将来的に無くなってしまう可能性だってあります。
飾らない素朴な風景と、温かな住民とのふれあい、ストリートアートによる新しい風…
さまざまな要素が不思議とミックスしたコンド独自の雰囲気を、ぜひ肌で感じてほしいです。
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