深夜にミンスクを出発した寝台列車がようやく終点に到着したのは、朝8時頃だった。
隣のベッドで寝ていたずんぐりしたウクライナ人に起こされて目をこすっていると、これまた恰幅の良い入国管理官が数人、列車内に入ってくる。
自分以外の乗客はすべて、ベラルーシ人かウクライナ人のようだ。流れ作業のように適当な入国審査を終えた人々が、大きな荷物を手にして続々と列車を後にしていく。
しかし、列車内に一人ぽつりと取り残された外国人の入国審査は、流れ作業とはいかないよう。
「ウクライナに何日いるの?」「ウクライナで何を見たいの?」など、けっこう細かく色々尋ねられるが、そもそもウクライナという国にいっさいの知識がなかったからなんとも答えづらい。(「2週間くらい」「教会を見に行く」とか適当なことを言ったと思う)
そうして10分ほどの質問やら無線での確認やらの後、「ガシャン」というあの心地よい音とともにパスポートにスタンプがまた一つ増えた。オレンジ色の可愛らしいスタンプ。
ソ連式のコンパートメントタイプの寝台列車。ベッドの下の収納スペースからバックパックを引っ張り出し、横のベッドに寝ていたウクライナ人が放置していったウォッカの空きビンにつまずきそうになりながら、意気揚々と外に出る。
はじめて見たキエフの空は、どこまでも青く澄みわたっていた。朝なのに夏のムッとした重たい空気がただよう、2014年の8月のことだった。
キエフは「魔法にかかる町」だ。
美しい町並み、歴史が詰まった見どころの数々、快適な都市生活、美味しくで格安の食事、物腰柔らかな人々…
ひとたびこの町に腰を落ち着けてしまったらもう最後。その居心地の良さのおかげで二度と離れられなくなる。そんな魔法で旅行者を虜にするのだ。
キエフには1週間ほど滞在していただろうか。
広大な国土に魅力的な都市や見どころが点在するウクライナ。リヴィウなどの西部も訪れたいと思っていたし、当時話題沸騰中だった中部の「愛のトンネル」にも行きたいと思っていたから、いくら魔法にかけられた状態だったとはいえ、キエフを離れるときが来た。
次の目的地・リヴネ行きのマルシュルートカの車窓から見えたキエフの町の遠景は、言葉で形容できないほどに美しかった。「絶対にまた来てやる」と強く思ったのは、やっぱりこの町の魔法にかかっていたからかもしれない。
あれから5年後の2019年の冬。ふたたびキエフを訪れた。
5年という月日の間にも、キエフは大きく変化しているように感じた。
雑多だった中央駅前は小綺麗に整備され、2014年のウクライナ危機直後の混乱や荒廃はもうなく、お洒落な西洋風のカフェテリアも多く点在するようになっていた。
しかし、変化していないものの方が断然多かった。
どこまでも地下深く下らなけらばならない地下鉄、夕方から散歩に出る人々で賑わうストリート、食堂のお姉さんの柔らかな笑顔、味つけ濃いめのウクライナ料理、「ニェーット!!」と叫びたおす国鉄チケット売り場のおばさん、地下通路で売られている色とりどりの花の香り、西日を浴びてキラキラと輝く聖堂の数々…
5年前のあのとき「絶対にまた来てやる」と思わせたキエフの魔法は、いまだに健在だった。
むしろ、さらに魔力を増している気がした。
二回目のキエフは、真冬とはいえ前回と同様に、いや、それ以上に楽しかった。
宿泊したのは一泊400円くらいのキエフでも最安値レベルのホステル。冬という季節もあってか、宿泊者の大半は外国人観光客ではなく、ウクライナ地方部出身の出稼ぎ労働者(半ば「ホステルに住んでる」)だった。
誰も英語が全く話せないので、つたないロシア語でコミュニケーションをとっていたが、不便はいっさいなかった。むしろ超ローシーズンの2月に外国人が来たことを嬉しく思ってもらえたのか、すごく良くしてもらっていたと思う。
(やたら自分が作った料理をこちらに食べさせたがる、行きつけだという謎の食堂に連れて行ってもらう、ウクライナ語を教えてくれる、など)
5年前は滞在期間が限られていたことと初めてだったこともあり「THE・観光客」のようなスケジュールで毎日色々見てまわっていたが、今回は時間も予定も完全なるフリー。
たかだか2回目の訪問だというのに、いち旅行者を「キエフ通」のような気分にさせるのも、この町の魔法かもしれない。
中心街以外のエリアを散策したり、ウクライナ語の語学学校にお試し入学してみたり(難しすぎてすぐ挫折)、宿のみんなで飲みに行ったり…普通の観光客として滞在する以上に楽しい日々を送った。
そして、確信した。やっぱりキエフには旅行者の心をつかんで離さない魔法があると。
なぜなら、気づけば1ヶ月近く滞在していたこの町をとうとう後にするときに、5年前とまったく同じ気持ちになったからだ。「絶対にまた来てやる」と。
あれから3年の間に、世界は大きく変わってしまった。
キエフもといウクライナに関しては、現在進行形で「変わっている」し、言いたくはないが未来形のニュアンスを込めて「変わってしまっている」と言う方が正しいのかもしれない。
それでも、8年前と3年前にあの町でかけられた魔法に、またかかりたい。
次に行ける日はいつになるのだろうか。果たして、そんな日が来るのだろうか。
もしそんな日が訪れるのだとしたら、あのうだるような暑さの夏の日々やどんよりとした曇り空の冬の日々と同じように、新たな魔法にかけてもらえるのだろうか。
そう考えながら、祈ることしかできずにいる。
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