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日々の食卓を、粛々と。【ジョージア・トビリシ】

「世界半周エッセイ」について

普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。

各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。

正直に言う。
はるばる海外にまで来て、日本の味を求める人の感覚が理解できなかった。

そもそも日本の味を再現するための材料は、海外では手に入りにくいことが多い。そしてなにより、割高だ。

近年では「日本食ブーム」が(ありがたいことに)広まりつつある地域では、その限りでないかもしれない。

国や都市によっては牛丼やラーメン、カレーライスなど日本のチェーン店も進出してきている。
輸送技術の進歩により、日本の味を手軽に購入できる機会も増えているようだ。

そうした「日本食先進地域」では、日本で食べるのとなんら変わらぬ味を手軽に楽しめるようになったり、日本の調味料や冷凍食品、果てはスナック菓子まで取りそろえた「日本食材スーパー」なる商売まで成り立つほどだそうだ。驚くとともに、少し羨ましくもある。

現在滞在しているジョージアの首都・トビリシ。
コーカサスの山々に囲まれた人口百万人ほどのこの町で日本食を取り巻く状況は、残念ながら芳しいとは言えない。

醤油や(まがい物の)ごま油、海苔くらいは比較的簡単に手に入るだろうか。
反対に、それ以外の食材(味噌、だしの素、豆腐、豚ひき肉…)などは一切手に入らない。

世界中どこの国でも、首都であれば一軒は存在するような中華系スーパーですら、一つもない。
それほどに、「日本の食文化」からは遠くかけ離れた土地なのだ。

そんな「アジア食材不毛地帯」に暮らす人々は、どうにかして郷里の味を再現しようと躍起になる。

片栗粉は小麦粉で代用し、みりんはリンゴジュースで済ませ、キノコから丁寧に出汁をとったり、ウスターソースを手作りしたり…
果ては、大豆から豆腐や納豆を自作する人や、お米から餅を作る人までいるくらいだ。(これが相当大変らしい)

麻婆豆腐。この国で豆腐は天然記念物だ。
米から作った餅。どれだけ大変なのか想像もつかない。

正直、意味が分からなかった。

元来あまり食にこだわりがある人間ではなく、その土地で簡単に手に入る食材や調味料を使った料理を1日3食、365日食べ続けていようと、まあ問題なく生きていける方だ。

そんな「日本食への渇望ゼロ」な日本人からすると、どうしてわざわざ割高な金額を費やして、手間も時間もかかる日本の味を求めるのか、ずっと理解ができないでいた。

ウスターソースですら手に入らないトビリシでは、粉もんはかなり貴重。

トビリシ滞在も半年以上が過ぎた頃だっただろうか。
縁あって、この町に長期で暮らしている日本人数人と知り合う機会があった。

この町に生きる日本人は、自分が作った料理を持ち寄って集まる文化があるらしい。

自信を持って他人様に食べてもらえる料理の一つ、スペイン風オムレツを持参して参加したのだが、食卓に並ぶ色とりどりの料理を見て、驚いた。というか、感動した。

餃子の皮も全て小麦粉から作られる

煮魚、餃子、カレー、茄子の煮びたし…少量ずつ、まるで宝石のように輝く日本らしい料理の数々。
それは見た目だけでなく、味までも日本で食べるものと遜色なかった。

美味しい料理(と酒)は、いつの時代も、どこに居ようとも話を弾ませる。

カツ丼。出汁が染みわたっていた。
和洋折衷の前菜盛り合わせ

何年も海外を旅し続けてこの国にたどり着いた人、この地で飲食店を開こうとやって来た人、別の国に長期で在住した後でこの町が気に入って残っている人…

それぞれの人の歴史が、個性豊かなそれぞれの小皿の上にぎゅっと詰まっているように感じた。

遠く離れた自国の食文化を、それぞれが辿ってきた歴史というスパイスを交え、食卓の上に再現しているのだ。

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家庭でラーメンを作る人もいる。

それから。ちょくちょく少人数で食事をする機会も増えた。
レストランなどは開いていなかったから、常に家にお邪魔する形になる。

料理をする人というのは、どうしてこうも魔法のように、色々なものを食卓の上に出現させることができるのだろうか。

和食の作り方に忠実なものは、むしろ少数派だったかもしれない。
この土地で手に入る食材を最大限に活用し、その人のこれまでの人生がスパイスに用いられてアレンジされたフュージョン。それが小さな食卓の上に所狭しと並ぶ。

パンに合わせた欧風の料理だったり、エスニックな香り漂うアジアや南米の料理だったり…
「ないものはないから、自分で作る。」その心意気に、静かに感動を覚えた。

食卓で惜しみなく魔法を発揮する人たちは、総じてこう言う。
「こんなの簡単だよ!これとこれさえあれば後は何とかなる!」

しかしその豪快なセリフの裏には、手に入らぬものが多いこの地でどうにか日々の食卓を粛々と彩るための惜しみなき探求心だったり、食材に関する知識の鍛錬だったり、ないものからあるものを創造する感性を磨いていたり…とにかく膨大な努力があるはずだ。

それは言葉で表されなくてもわかる。
というか、料理を一口味わうだけでも、その一皿が料理として完成するまでの苦労や努力や過程が口の中にリアルタイムで再現されるかのように、じわりと伝わる。

こうしたきっかけのおかげで、自分でも(普段は全く縁がない)日本の味を再現してみようと思うまでに、それほど時間はかからなかった。

「どうしても日本の料理が食べたい!」という渇望にも似た感覚に動かされたわけではない。
「自分にもできるかもしれない」と半ば興味本位だった。

お好み焼き(ソースも自家製)
ラーメン。まだまだ魔法は使えない…

いくら興味本位だとしても、いざ始めると本気になってしまうもの。
試行錯誤を重ね、ようやく自分の家の食卓に自分が作り上げた「日本の味」が並ぶ瞬間には、そこはかとない充足感に包まれる。

見た目も味も魔法使いたちには到底及ばないけれども、生活を豊かにする知恵がひとつ身についた気がした。
回を重ねるごとに、「今度ははあれを作ってみよう!」と楽しんでいる自分がいた。

人生で初めて寿司を巻いたことも。

人間とは単純なもので、ちょっとしたきっかけや出会いで考え方が大きく変わることがある。

食卓を囲むことは、どんなに人類が進化し技術が発展しようとも未来永劫続いていく、古代からの伝統儀式だ。
その儀式の場にさも当然のような風貌で並ぶ一皿一皿には、きっと作った人にしかわからないドラマが詰まっている。

自分が作りあげる一皿にはどんなドラマがあるのだろうか。
そう自問自答すると必ず瞼の裏に浮かびあがる魔法使いたちの表情が色褪せないうちに、今日の食卓の彩りに思いを馳せる。そんな午後のひとときが嫌いではない。

「世界半周エッセイ」について

普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。

各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。

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