こんにちは!ようやく重い腰を上げてジョージアからアルメニアにようやく移動した、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
人生二回目となるアルメニアの首都・エレバンに滞在すること1週間。
寒く長いアルメニアの冬をのんびりと越すための良宿探しに日々奮闘しています。
そんな、「常宿なし子」生活の中で、ふと思い出したことが一つ。
「そういえば、エレバンに日本人旅行者が集まることで有名な宿があるって聞いたことあるぞ…?」
……そう。ここエレバンには、往年の日本人バックパッカーたちが愛し、コーカサスの旅のひとときの思い出を刻んでいった伝説の宿が存在しているのです。
それが、今回紹介する「リダの家」。
かつてインターネットやGoogleMap、SNSがなかった時代にアルメニアを旅した日本人では、おそらく知らない人はいないであろう、リダの家。
有名になったのは今から15年以上も前のことだそうですが、なんと2024年現在でも宿泊することが可能です。
そうと知ったら、泊まりたくて仕方がなくなってくるもの。
個人的に「コーカサス三大伝説の宿」と呼んでいるローカル宿のうち、ラストを飾るのがこのリダの家となります。
▶メディコ&スリコの家(ジョージア・クタイシ)
▶ザザの家(ジョージア・裏カズベギ)
▶リダの家(アルメニア・エレバン)
果たして、リダの家とはいったいどんな宿なのか。「日本人旅行者が集まる」という噂は本当なのか。
2024年12月に実際に2泊した様子をレポートしていきます!
エレバンの伝説の宿「リダの家」とは?基本情報と行き方
かつてアルメニアを旅した日本人旅行者以外の人にとっては、「リダの家?なにそれ?誰かの家なの?」という感じだと思うので、まずはリダの家に関しての基本情報をザックリと解説します。
リダの家とは?
リダの家とは、その名の通り「リダ」という女性が住む民家のこと。
御年83歳のリダおばあさんと、その息子夫婦、そして息子夫婦の子供2人の、計5人のアルメニア人家族が暮らす家です。
ただの民家でしかないこの場所が、旅行客が泊まれる「宿」として機能しはじめるようになったのは、2000年代半ばのこと。
エレバンを旅していた日本人女性旅行者二人組を、当時60代だったリダおばあさん(おばさん?)がひょんなきっかけから自分の家に泊めたことが全ての始まりだったのだそうです。
2000年代半ばと言えば、インターネットこそ存在していたものの、現在のようにいつでもどこでもネットに繋ぐなんて考えられなかった時代。
宿泊予約サイトもGoogleMapもSNSもなく、アルメニア入国にビザが必要だったこの時代の旅人は、何の情報もない中で毎日の「宿探し」に想像できないほどの時間をかけていたのです。
日本人女性二人組をきっかけに、「アルメニアのエレバンに人の良いおばあちゃんが泊めてくれる場所がある」という話は、当時の日本人旅行者の間で口コミでじわじわと広がっていったのでしょう。
2000年代後半~2010年代初頭には、どストレートに「リダの家」という名前で呼ばれるようになったこの民家には、多くの日本人旅行者が集まる場所となったのです。
リダの家のアクセス
リダの家があるのは、エレバンで唯一の旅客鉄道駅であるエレバン中央駅から徒歩3~4分ほどの場所。
中央駅に直結している、エレバン地下鉄のサスンツィ・ダヴィット駅(Sasuntsi Davit)からのアクセスももちろん可能です。
エレバン中央駅前からは、ロータリー北西にあるスーパーマーケット脇からのびる路地を歩いていきます。
中央駅すぐそばとは思えないほどの超ローカル感(場末感)ただよう住宅街の雰囲気に、最初はびっくりするかも…
駅前ロータリーから歩いて、最初の十字路を右に曲がって2軒目。
この白っぽい扉の向こうにあるのがリダの家です。▼
リダの家は「ゲストハウス」として営業しているわけではなく、あくまでもリダ家族が住む家にホームステイするといった感覚の場所。
そのため、宿の入口には何の看板も表示もありませんが、ためらわずに勝手に入っていきましょう。
だいたい常に家族の誰かがいるので、問題なく泊まれると思います。
想像以上のソ連感…リダの家の設備
のぶよは何の予約も事前のコンタクトもせず、地図だけを頼りにリダの家へ突撃しました。
「本当にここで合ってる…?」とおそるおそる白っぽい門扉を開けると、どう見ても「宿」とは思えない中庭が広がっています。
その先で何やら家事をしているらしき老婆がこちらに気づき、満面の笑顔でこちらに近づいてきてひとこと。
「ジャポン???」
この人こそが、伝説の宿の主である伝説の人物、リダおばあさんです。
リダおばあさんは英語はおろか、ロシア語もほんの少ししか話せないそう。
しかし、「大きなバックパックを背負った外国人=自分の家に泊まりに来た」という方程式が頭の中で成立しているようで、しっかりとした足腰で歩きながら半地下にある部屋を見せてくれました。▼
…さてみなさん、この部屋を見て、正直どう思いましたか?
のぶよは「うわ…!!!半地下の謎スペースに無理やり作った空間…病院のようなベッド…壁に貼られた断熱用の段ボール…謎モチーフの毛布…それらをぼうっと照らす裸電球…ここはソ連や……!!!!」と大興奮でした。
宿代は1泊2500AMD(=¥941)。
シャワーもトイレもキッチンも自由に使って良いとのことです…が、そのシャワーとトイレがこちら▼
トイレ&シャワーの衝撃的なビジュアルに、ブラウザの「戻る」ボタンを押そうとしたみなさん、まだもうちょっとだけお付き合いのほどを…(笑)
このなかなかにエキセントリックなトイレとシャワーは、なにも宿泊客専用ではなく、リダの家で暮らす家族全員が使用する場所です(なんと母屋内に水回りスペースはないのだそう)。
しかも、シャワー&トイレのいずれも母屋ではなく中庭に面した屋外にあり、12月の寒々しい曇り空の下ですでに極寒宿臭がぷんぷん…
しかし!トイレもシャワーもあるだけありがたいというもの。
なんでも、つい数年前までリダの家にはシャワーが存在しなかった(!)のです。
台所の流しでお湯を沸かして頭を洗うか、宿から徒歩5分の場所にある「シャワー屋さん」にいちいち出向かなければいけなかったのだとか…。
そう考えると、いつでも好きな時に温かいお湯がちゃんと出るシャワーを浴びられるなんてとても恵まれていること。
シャワー設置後しばらくは、シャワー使用は別料金だったそうですが、現在は全て込みで1泊2500AMDとなっています。
さらに、現在のリダの家にはWi-Fiが設置されています。(しかも謎に5Gという)
しかしながら、宿泊客が通される半地下の部屋にはほぼ電波が届かないため、無用の長物かもしれません…。
正直、万人向きとは言えない滞在。そして伝説の鬼嫁
もうここまででお分かりかもしれませんが、リダの家は決して万人向けの宿泊施設ではありません。(知ってた)
というか、もはやそもそも宿としての体裁をなしていないとも言えます。
宿泊客用の部屋には冷房も暖房もないため、夏は灼熱/冬は極寒となるエレバンにおいては、人によってはかなり厳しい滞在となるはず。
暑さはまあ気合いでどうにかなるとしても、特に真冬のエレバンは最低気温マイナス20℃なんて日がザラにあるので、厳冬期にあたる12月~2月は避けるのがベターです。(のぶよが泊まった12月初頭は、最高気温3℃/最低気温マイナス5℃とかだったので、まあ寒いけど普通に眠れた。でもたぶんそれ以降は凍死コース)
そして、設備面以外でリダの家を万人におすすめできない理由がもう一つ。
おそらくリダの家に宿泊したことがある人は薄々気づいているでしょう…そう、ガヤネ姐さんの存在です。
ガヤネ姐さんとは、リダの息子の嫁にあたる人物で、リダにとっては「義理の娘」です。
年齢は40代前半くらい?ぱっちりした目と大きな口が印象的なおばさんお姉さんです。
現在のリダの家は、リダ自身の高齢化にともない、半ばガヤネ姐さんが取り仕切っているようなものなのですが(もはや「ガヤネの巣」に改名すればいいのに)、いつでも笑顔で柔らかな態度のリダとは正反対な性格&たたずまいなのがこのガヤネ姐さん。
往年の旅行者の間では、「曲者」「ラスボス」的なポジションの人物として語り継がれていたそう。
・とにかく一生キッチンで何か調理したがるので、旅行者がキッチンを使いにくい
・とにかくトイレが長い&やたらトイレに通う(トイレは先述の一か所のみ)
・旅行者が数人でシェア飯(=皆で材料費を割って、鍋や大皿料理をたっぷり作ってシェアするバックパッカー文化)していると、キッチンを占領されて不機嫌に
・長男のカルロスをとにかく大声で怒鳴る&ひっぱたくので怖い
・気に入らないゲストには鬼の形相でまくしたてる(アルメニア語で)
・キッチンを長時間使ったゲストには「ガス!500AMD!」と謎の別料金を請求してくる(もちろん鬼の形相で)
などなど、彼女の鬼嫁っぷり(?)は往年の日本人旅行者にとってはもう有名of有名で、情報ノートの中にもたっぷりと愚痴られていたほどです(笑)
そんなガヤネ姐さんですが、月日を経て丸くなったのか、長男が成長したのでストレスが減ったのかは定かではないものの、のぶよに対しては普通に愛想良く接してくれましたし、不機嫌そうな態度をされることもいっさいありませんでした(やっぱ顔面かぬ)。
なのでまあ、ガヤネ姐さんの怒りポイントさえ押さえておけば、特段の問題なく滞在できると思います(笑)
往年の旅行者の旅の軌跡をたどる
完全なるソ連の民家/冷暖房なし/エクストリームなトイレとシャワー/鬼嫁…
もはや「どうしてわざわざ2500AMDも払って、リダの家で修行のような滞在をしなければいけないの?」と疑問に思う人すらいるかもしれません。
確かに正直、2500AMD払えば、エレバン中心街の新しめの快適なホステルなんていっっっくらでも見つけることができます。(し、もっと価格が安い宿も余裕であると思う。)
リダの家ではトイレもシャワーもキッチンも家族と共用なので、どうしても気を遣ってしまいますし、「だったら他人同士が宿泊するホステルの方が自由に気を遣わずに過ごせる」と思うのも当然でしょう。
しかし、設備面や快適さを犠牲にしてでも、リダの家に泊まるべき理由だってちゃんとあります。
その理由の一つが、かつてこの宿で数日間~数週間過ごした先輩日本人旅行者たちが残した、往年の旅の浪漫の残り香に触れられるから。
すでに何回か言っていますが、リダの家にはインターネットが自由に使えなかった時代の旅人たちが残した「情報ノート」と呼ばれるノートが数冊保管されているのです。
現在20代前半かそれ以下の日本人旅行者にとっては、「情報ノート?なにそれ?」といった感じでしょう。
新たに訪れた町の観光情報はネットやSNSでサクッと検索でき、宿はあらかじめ予約しておけ、初めて通る道でもGoogleMap片手に最短距離で目的地に到達でき、写真や動画をSNSに投稿して日本の家族や友人と共有して…
2024年現在の旅というのはもはやだいたいこんなもの。
ありとあらゆる情報が数秒で見つけられるので、あとはそこから自分にあったものを取捨選択するだけで、誰でも「旅」ができてしまいます。
しかしながら、リダの家に多くの日本人旅行者が集まっていた15年ほど前の「旅」は、ネットが自由に使えず、現地情報も日本から持参したガイドブック頼りで、宿は直接自分の目で見てから泊まる…というように、現在では考えられないほどに不便なものでした。
そんな時代に、ガイドブック以外の生の情報源として重宝されていたのが「情報ノート」。
その名の通り、すでにその国やその町を旅した旅行者が、次にやって来る見ず知らずの旅行者のために、観光情報やグルメ情報、宿情報に両替情報など、その場所の旅に必要なありとあらゆる情報を書き連ねていったものです。
リダの家の情報ノートは数冊におよび、最も古いものは2007年の日付が記されたもの。
文字が消えかけているものや、ページが破れてしまったものも多く見受けられ、かなり年季が入っています。
日付が古い順にページをそうっとめくっていると(そうっとめくらないと破れそうだった)、かつてアルメニアを旅し、エレバンに滞在し、リダの家の半地下の豆電球だけが照らす薄暗い部屋に行き着き、自分の経験や知識を次の人に伝えようと黙々とペンを動かす若者たちの姿が目に浮かぶよう。
当時はインターネットに繋いだりSNSをスクロールしたり動画を観たり…なんていう暇つぶしは存在せず、日が落ちてから朝が再び訪れるまでの時間は、見ず知らずの国を旅する旅行者にとってただひたすらに静かで、手持ち無沙汰なものだったのだろうなと感じられます。
リダの家のノートに書き連ねられていたのは、アルメニア国内の観光&移動情報をはじめ、今は無きナゴルノ=カラバフ共和国のビザ取得情報や、南隣のイランへの移動情報などがメイン。
他にも、隣国ジョージアの見どころ情報や、カスピ海フェリーの情報、中央アジアのおすすめ宿情報など、直接アルメニアに関係のない国や地域の情報もかなり充実しており、当時の日本人旅行者はどれだけこのノートの情報に助けられたのだろうか…と感動してしまうほどでした。
旅行・滞在に必要な情報以外にも、旅の思い出や愚痴、悩みの吐露やガヤネ姐さんの悪口まで…人間臭さや旅することがはらむ浪漫のようなものが、黄ばんだページの一枚一枚に詰まっているような気がしました。
のぶよ自身は、日本人旅行者の間に根付いていた情報ノート文化というものをギリギリ知らない世代なので、「ノートに書かれた情報だけを頼りに色々と旅して周るなんて…」と往年の旅行者のタフさにびっくりしましたし、今という時代を旅できている自分がどれほどに恵まれているかを改めて感じました。
同時に、ほんのちょっとだけ、「この不便で仕方がなかったであろう時代の旅を経験してみたかったな…」とも思いました。
途絶えた情報ノートと、今あえてリダの家に来るべき理由
リダの家の情報ノートに書かれた日付は、2014年を最後にいったん途絶えていて、5年ほど空いた2019年に別のノートで再開されています。
この空白の5年間にいったい何があったのでしょうか…(もしかすると紛失してしまっただけかもしれないけど)
2014年と言えば、スマートフォンがかなり普及してきた時代。
のぶよ自身も2014年は普通にiPhoneを使っていたのを覚えていますし、宿はBooking.comで予約しておいて、GoogleMapを頼りに街歩きをして、Wi-Fiスポットでインターネットに繋いで情報収集して、SNSに写真を投稿して…といった感じで、10年前とはいえど今とさほど変わらないスタイルで旅をしていました。
これは想像ですが、この2014年前後のスマートフォンの爆発的普及&旅を便利にするプラットフォームの出現によって、リダの家に泊まりに来る日本人は激減してしまったのではないでしょうか。
リダの家はもちろん宿泊予約サイトには掲載されていませんし、口コミだけで旅行者が自然発生的に集まっていた場所。
なので、多くの人がネット経由でエレバン中心街の便利で快適で安い宿を見つけ、そちらに泊まるようになれば、それまでのリダの家に関する口コミも途切れてしまう…というわけです。
2019年以降の最新の情報ノート(おそらく誰かが「リダの家の情報ノートを再び繋いでいこう」と用意してくれたのだと思う)は、5年間という長い期間を跨ぐにもかかわらず、まだ最初のたった10ページほどしか埋まっていません。
2019年~2024年という時期は、コロナ禍やナゴルノ=カラバフ紛争など、アルメニアという国にとっては激動の5年間だったため、そもそもアルメニアを訪れる旅行者の数自体が少なかったのは一つの要因でしょう。
しかし、2000年代後半~2010年代前半の情報ノート(確認したものだけでも5冊以上あった)の充実度に比べると、やはり「2019年~2024年の5年間でたった10ページだけ?」と思ってしまいます。
おそらく、わざわざ不便な思いをしにリダの家に泊まりにくる日本人旅行者は、もうほとんどいなくなっているのかもしれません。
「リダの家の変遷」とでも呼ぶべきこの辺りの時代の移り変わりについて、リダ本人に尋ねる機会はついぞありませんでした。
しかしながら、久しぶりにやって来たであろう日本人客(のぶよ)を優しげに見る老婆の眼差しは、どことなく寂しげに見えたような気がします。
この「宿」と呼べるのかも分からない民家に対して、のぶよができるのはここまで。
先述の通り、決して万人向けの宿ではないですし「せっかく行ったのに期待と違った…」なんて思ってほしくないので、悪かったことも良かったこともそのままに書いてきました。
「バックパッカーたるもの、エレバンに来たら絶対にリダの家に泊まるべき!」なんて偉そうに言うつもりもありません(残念ながらバックパッカー界隈にはこういう「どんな環境でも生きていけてこそ!」系の人散見される。まじめんどいよねあれ…)。
ですが、「別に数日くらいなら清潔さや快適さは我慢できる!」という人であれば、リダおばあちゃんに会いに行ってあげてはいかがでしょうか。
もちろん、かつてこの宿に泊まり、ひとときの良い旅の思い出を日本に持ち帰った往年の旅人の皆さんも、ぜひとも早いうちに。
初めてでも、再訪でも、リダはきっと変わらぬ笑顔で「ジャポン!!!」と迎えてくれるはずです。
リダはもう83歳。
まだまだ頭も体も元気たっぷりですが、人間いつ何が起こるかなんて分からないものです。
そしていつか必ず来てしまう「その日」の後に、往年の旅行者たちの思い出が詰まったこの空間や、段ボール箱に入ったボロボロのノートの数々がどんな未来を辿るのかも、誰にも分からないのですから。
▶メディコ&スリコの家(ジョージア・クタイシ)
▶ザザの家(ジョージア・裏カズベギ)
▶リダの家(アルメニア・エレバン)
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