こんにちは!冬のエレバンにのんびり滞在中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
二回目の滞在となる、アルメニアの首都・エレバン。
「定番」とされる観光スポットはもはやとうの昔に制覇しつくしてしまったこともあり、特に時間に縛られることもなくのんびりと日々を過ごしています。
正直、エレバンの「THE・観光地」といった見どころは限られているのが現状。
都市開発が本格的に開始されてから百年ほどしか経っていないこともあり、お隣ジョージアの首都・トビリシに比べると、どうしても歴史的・文化的な見どころ面の豊富さは負けてしまいます。
市内の定番スポットだけなら丸一日で余裕でまわれますし、実際に多くの旅行者はこの町に2、3日滞在して定番どころをさっと周って立ち去っていきます。
…いやあもう、みんな本当にエレバンのことを分かっていなすぎる!
エレバンという町の魅力は、観光スポットを順番にめぐるだけでは堪能できません。
「都市開発が開始されてたったの百年」というエレバンの歴史の浅さは、裏を返せば「この百年間のうちの大半を占めたソ連時代の建造物がたくさん残っている」ということです。
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「ソ連建造物が多く残っている」というよりも、エレバンの場合は「町全体がソ連時代の建築で占められている」といった方が正しいかもしれません。
エレバン中心街の建物や住宅は約八割ほどがソ連時代の建造で、中心街外のエリアにおいてはほぼ全てがソ連時代の建造と言っても良いほど。
圧巻のレリーフやモザイクなどのソ連美術も町の至る所に残されており、ソ連建築やソ連美術が人々の日常に見事に溶け込んでいる町という印象を与えます。
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近代アルメニアを70年間に渡り統治した、ソ連というかつての超大国。
そのエッセンスがここまで強く残っている首都というのは、旧ソ連圏の国全体を見渡してもエレバン以外には存在しないかもしれません。
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「ソ連時代の雰囲気色濃い町並み」と聞いた多くの日本人は、無機質で灰色のボロボロの共同住宅がどこまでも連なる殺伐とした風景を想像するかもしれません。
それは一般的には正しいですが、エレバンの場合はちょっと当てはまらないかも。
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というのも、エレバンの町の造りや建物自体は完全にソ連時代のものであるにもかかわらず、灰色で殺伐としていて…というネガティブな雰囲気は一切感じられないため。
近郊で採れる「トゥファ」と呼ばれるピンク色の石を基調に、統一感ある街づくりがされているためなのか、はたまたアルメニア人たちの明るい感じのおかげなのか…
とにかく、「町の造りや建物は完全にソ連だけど、雰囲気はソ連ではない」といった不思議な感じの町なのです。
このエレバン独自のソ連感は、実際に足を運んで滞在していみないと分からないもの。
一つ確かなことは、エレバンという町はあなたが抱いている「ソ連」というイメージをきっと変えてくれる町であることです。
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というわけで、前置きが長くなりました(有り余る情熱)。
今回の記事は、エレバン市内に点在するソ連時代の建造物を一挙紹介するものです。
見ごたえ抜群の巨大建造物から、アルメニア人の美学が光るソ連美術の数々まで…
のぶよがこれまでコツコツと探訪してきたスポットを全てピックアップしたら、合計33ヶ所の大ボリュームとなりました(定期)。
各ソ連建造物に関しては建造年や背景を知りうる限り掲載しているので、ご参考まで。
エレバン市内のエリア別に分類して並べてあるので、実際にまわる人にはきっと役立つはずです!(まじでこのクオリティーの記事無料で出してるのぶよのこと、みんなもうちょっと崇めないとバチ当たるぜ)
エレバンソ連建造物Map
赤:中心街南部エリア
青:中心街中央部エリア
緑:中心街東部エリア ハイライト
黄色:中心街北部周辺エリア
紫:高台エリア ハイライト
オレンジ:中心街西部&その他エリア
中心街南部エリア
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まずは、円形を描くような形のエレバン中心街のすぐ南。
エレバン中央駅を中心とした中心街南部エリアを散策しましょう。
ソ連時代を彷彿とさせる広々とした大通り沿いには、ピンク色の建物がずらりと並び圧巻。
中心街の延長といった感じのエリアですが、南に行けば行くほど郊外っぽい雰囲気が色濃くなってくるのも面白いです。
①エレバン中央駅
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エレバンソ連建造物めぐりのスタートを飾るのが、エレバン中央駅(Yerevan Central Railway Station)。【マップ 赤①】
ギュムリなどアルメニア国内の都市を結ぶ鉄道や、お隣ジョージアのトビリシへの夜行列車が発着する市内最大の鉄道駅で、旅行者にとってはエレバンの玄関口となる場所の一つです。
エレバンに初めて鉄道路線が敷かれたのは1902年のこと。
当時のアルメニアはロシア帝国の統治下にあり、錫の鋳造で栄え文化の都としての顔を持っていた古都ギュムリ(当時の呼称は「アレクサンドロポル」)や、コーカサスの中心都市として機能していたトビリシ(当時の呼称は「ティフリス」)など北方面の都市とを結ぶ鉄道路線が敷かれました。
しかしながら、当時のエレバンはまだ大規模な都市開発が行われる前で「村」の状態。
現在の駅舎が建設されるまでには半世紀以上の時間を要し、ソ連時代中期にあたる1956年にようやく完成したのが現在のエレバン中央駅の建物です。
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エレバン中央駅の駅舎は、一見するとスターリン建築のお手本のよう。
アーチを有する柱や、中央の尖塔の上空に高らかに掲げられたソ連時代の紋章、何よりもその巨大さは「THE・ソ連建築」といった感じです。
しかしながら、中央駅の建築のディテールを観察してみると、アルメニアの伝統的な模様が刻まれていたりするのが興味深い点。
何より、外壁には全てエレバンならではのピンク色っぽい石が使用されており、ソ連感をぷんぷん漂わせながらもエレバンらしさが感じられます。
中央駅の駅舎内部は十年ほど前に一部リノベーションが完了したそうで、壁のペンキが綺麗に塗り替えられています。▼
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駅内部からもソ連感がぷんぷん漂っており、特に天井に施された装飾は圧巻のひとこと。
鉄道が発着する時間帯以外には人影がほとんどなくひっそりとしており、ここが一国の首都最大の鉄道駅だとは信じられないほどに閑散とした雰囲気です。
鉄道でアルメニア入りする旅行者が最初に目にする光景が、この駅舎というのもなかなか…
「ソ連時代にタイムスリップしたかと思った…」と多くの旅行者が口を揃えるのも納得の、エレバンを代表するソ連建造物だと言えるでしょう。
②中央駅前市場(カラヤニ・シュカ)
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エレバン鉄道駅の東出口を出ると、目の前には巨大なロータリー兼駐車場が広がります。
このロータリーの最も北、鉄道駅に隣接する形で広がるのが、ソ連感が漂うローカル市場です。【マップ 赤②】
地元では「鉄道駅の市場」という意味の「カラヤニ・シュカ」(Karayani Syuka / Կայարանի Շուկա)と呼ばれるこの場所。
表には看板などは出ておらず、がらんとした巨大な倉庫のような空間で、野菜や果物、自家製の食材などが売られています。
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エレバン市内にはGUMマーケットをはじめ、他にもいくつか市場がありますが、ローカル感ではこのカラヤニ・シュカの圧勝。
観光客の姿はほとんどなく、大きな袋を抱えて買い物をする地元客の姿しか見られません。
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カラヤニ・シュカが営業するのは、朝6時~12時頃だけ。
12時以降になると徐々に店じまいがされていき、午後遅めの時間になると市場の敷地自体が閉鎖されてしまうので、できるだけ早い時間帯の訪問がおすすめです。
③GUMマーケット
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中央駅からエレバン中心街方面へと歩くこと1km少々。
現在残る中ではエレバン最大規模の市場であるGUMマーケットの巨大な建物が姿を現します。【マップ 赤③】
名称のGUMとは、ロシア語の「国立百貨店」(Государственный универсальный магазин)の頭文字をとったもの。
ГУМ→英語転写でGUMというわけで、ロシアはもちろん旧ソ連圏全体で「グム」と言えば、日本におけるデパートのような百貨店を指します。
エレバンのGUMマーケットは、デパートというよりも生鮮食品がメインの「市場」といった雰囲気。
広大な敷地の一階部分では食料品が、二階部分では衣料品や雑貨が売られています。
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GUMマーケットは敷地内も敷地周辺もソ連時代からそのままの雰囲気が漂っており、味わいのあるマーケットの建物も含めて必見。
マーケット内部の詳細や、市場ならではのグルメスポットに関しては別記事にまとめているので、そちらもぜひご参考に!▼
④シネマ・ロシア
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GUMマーケットから再び中心街を目指して北に数百メートルほど。
エレバンの必見スポットの一つである聖グレゴリオ大聖堂から大通りを挟んで反対側にどっしりと構えるのが「シネマ・ロシア」(Cinema Rossia)と呼ばれるソ連建造物です。【マップ 赤④】
英語では「ロシア=Russia」と書きますが、なぜか「Rossia」と書くのがシネマ・ロシアの掟。
三角形のとんがりが左右に羽を広げるような不思議なフォルムの屋根は、「アララト山をイメージしたもの」と地元では言われているものの、真偽は定かではありません。
シネマ・ロシアの完成は1975年のこと。
その名の通り、シネマ=映画館として建設されたもので、最大2500名収容可能なアルメニア最大の映画館として機能していたそうです。
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1991年にソ連が崩壊しアルメニアが独立すると、資金難からシネマ・ロシアは閉業。
跡地をどう活用するかが長らく議論されている間の暫定措置として、衣料品などを売る店が入るようになり、それがそのまま現在まで続いて場末のショッピングモールとして機能しています。
現在エレバンっ子は、このアララト屋根の建物とそのすぐ南に2016年にオープンしたばかりの近代的なショッピングモール部分を合わせて「ロシア・モール」と呼ぶのが一般的。
後者の新モールは外観も内装もスタイリッシュで、内部にはお洒落なフードコートなどもあります。
いっぽうの前者、アララト屋根建造物の下にあるのは、場末感ただよう衣料品コーナーがずらりと並んぶソ連感むんむんの風景。しかも敷地の半分ほどは利用されないままに放置されている状態です。
数十年前の百貨店をイメージさせる、なんとも言えないレトロな雰囲気がひしひしと感じられます。
中心街中央エリア
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ロシア・モールがどーんと建つ交差点を越えて北に進むと、円形の形をしたエレバン中心街に入ります。
中心街はそれほど広い面積ではないものの、ソ連建造物が至る所に点在しているため、いくつかのエリアに分けて考えるのがおすすめ。
まずは、中心街ど真ん中にあたる共和国広場を基点として、周辺の魅惑のソ連建築を発掘していきましょう!
⑤地下鉄共和国広場駅
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エレバン中心街のど真ん中にある地下鉄共和国広場駅(Republic Square Station / Հանրապետության Հրապարակ)は、エレバンに10ある地下鉄駅の中で最も乗降客数が多い駅。【マップ 青①】
1981年に開業したエレバン地下鉄ですが、その初期から設置されていた最古の駅の一つです。
地下鉄駅自体はもちろん地下にあり、プラットホームはまさにソ連時代そのもの。
しかしエレバン地下鉄では駅構内の写真撮影が固く禁止されており、ここではお伝え出来ないのが残念…しかし、共和国広場駅は駅内部以外にも、入口部分のソ連感がとにかくすさまじいのです。
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地下鉄駅出口には「花の噴水」と呼ばれる巨大な石造りの噴水が設置されており、優雅な曲線を描いた細やかな彫刻が圧巻。
花の彫刻は二層構造となっており、上層から見ても下層から見ても素晴らしい光景が見られます。
夏場は噴水から高さ10m近くまで水が噴き出していて美しいですが、それ以外の時期の水がない噴水の寂し気な感じもまた一興。
エレバン中心街の顔としての風格が感じられます。
⑥旧社会労働省
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地下鉄共和国広場駅のすぐ南側に立つ巨大な建物は、ソ連時代の政府機関である社会労働省が入っていたもの。【マップ 青②】
とても巨大で無機質な感じがする外観からは、「働かざる者食うべからず」という無言のソ連圧を人々に伝えているような気がします(想像力豊かすぎるタイプ)。
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旧社会・労働省の建物の完成は1972年のこと。
50年以上も前の建物ですが、そうだとは信じられないほどに状態が良く、きちんと手入れがされていることが分かります。
⑦共和国広場
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エレバン中心街の心臓部にあたり、旅行者が必ず一度は訪れる共和国広場(Republic Square / Հանրապետության հրապարակ)は、エレバン観光における定番スポットとしても名高い巨大な広場。【マップ 青③】
広大な広場の周囲には、エレバンらしいピンクの石造りの美しい建物がずらりと並び、どの角度から見ても「THE・ソ連時代の広場」といった雰囲気が感じられます。
共和国広場の造成が計画されたのは、今からおよそ100年前の1920年代のこと。
それから現在の姿に近づくまでは30年ほどの時を要し、1950年代にようやく広場を取り囲む大半の建物が完成しました。
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広場が機能しはじめた1950年代以降のソ連時代には「レーニン広場」という正式名称がつけられ、なんと巨大なレーニン像が鎮座していたのだそう。
1991年のソ連崩壊&アルメニア独立とともに、レーニン像は撤去。
名称も「共和国広場」に改称され、現在に至るまでアルメニアという国の中心として機能し続けています。
⑧Hard Rock Cafe
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共和国広場から北へと続くプーシキン通り(Pushkin St.)の一角には、ソ連時代の趣を色濃く残した共同住宅を背景にした謎の建造物が鎮座しています。
アルメニア教会の屋根の部分を模したであろう三角形の建造物はただのオブジェではなく、内部に入ることも可能。
なんと、アメリカ資本の世界的飲食チェーンであるHard Rock Cafeの店舗となっています。【マップ 青④】
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東側社会主義の象徴であるソ連住宅を背景に、西側資本主義の象徴であるHard Rock Cafeが営業する強烈なコントラストは、世界広しと言えどもおそらくここエレバンでしか見られないもの。
のぶよは「アメリカという国にびた一文貢献してたまるか」民なので(どういうこと?)、カフェの利用はしていませんが、社会主義と資本主義の融合を肌で感じながら食事・休憩していくのもオツな体験となるかもしれません。
⑨シネマ・モスクワ
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エレバン中心街の繁華街にどっしりと構えるシネマ・モスクワ(Moscow Cinema)は、1936年にオープンした都市型映画館。【マップ 青⑤】
もともとこの場所にはアルメニア教会があったのですが、ソ連時代の禁教政策によって教会の建物自体が破壊され、その跡地を利用して建設されたものです。
完成後も数度に渡り増築・改装が繰り返され、現在でも現役の映画館として機能し続けています。
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大小4つのシアタールームを有するシネマ・モスクワは、アルメニア映画界における聖地のような場所。
国際的な映画祭が招致されたこともあり、建物周辺にはどことなくセレブな雰囲気が漂っています。
⑩旧シュカ(現Yerevan City)
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エレバン中心街髄一の繁華街であるメスロプ・マシュトツ通りの西側、ピッカピカの黄金に輝く美しいファサードが目を引く巨大な建物があります。
ここは、かつてソ連時代にシュカ(市場)が入っていた建物。【マップ 青⑥】
現在は市場としての機能は中心街の外に移され、このシュカは閉鎖。アルメニアのスーパーマーケットチェーンであるYerevan Cityの店舗とフードコートが併設されたメガマーケットのような位置づけの施設となっています。
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この建物の素晴らしい点が、表通りに面した入口部分に施された圧巻の装飾。
どこまでも緻密で、優雅で、どことなくエキゾチックさを漂わせる黄金の装飾はもはや文化財級で、「ただのスーパーマーケットにしておくのはもったいない…」と正直思ってしまいます。
⑪コンド・トンネル
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エレバン中心街北側は小高い丘が連なるエリアとなっており、「エレバン最後の旧市街」と呼ばれるコンド地区が広がっています。
およそ100年前にエレバンを大規模都市開発する際の大きな障壁となったのが、このコンド地区。
平坦な地形の中心街を守るかのような急坂に隔てられ、中心街への北側の出入り口となる道が作れなかったのです。
そこで解決策となったのが、このコンド・トンネル(Kond Tunnel)。【マップ 青⑦】
高台のコンド地区の真下の岩盤を削り、エレバン中心街とその外側にあるフラズダン渓谷を直線距離で結ぶトンネルが掘削されました。
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トンネルの完成は、ソ連時代の初期にあたる1936年のこと。
当時エレバンの大規模都市開発において様々な建物を設計したアレクサンドル・タマニャン(共和国広場を設計した人でもある)の指揮によって掘られたトンネルは、90年前のものとは思えない安定感と、近未来的な雰囲気を漂わせています。
⑫フラズダン渓谷の子供鉄道
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コンド・トンネルを抜けると、生い茂る木々の中を清流がさらさらと流れるフラズダン渓谷に至ります。
ここが百万人の人口を有する大都市エレバンの中心街すぐそばであることなど信じられないほどの、静寂と大自然。
フラズダン渓谷は川沿いをただ散策するだけでも癒され度150%のおすすめスポットなのですが、その一角にある子供鉄道の駅舎も見逃せません。【マップ 青⑧】
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「子供鉄道」というのは、ソ連時代に設置されたミニ鉄道のこと。
その名の通り、当時の子供たちが学校の遠足などの際に利用するためのもので、切符の買い方や鉄道の乗り方を模擬体験するための、一種の教育体験施設として機能していました。
エレバンに子供鉄道が設置されたのは1937年のこと。
当初は木製の小さな駅舎と線路のみでしたが、1940年代にメインの駅舎が完成しました。
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ソ連崩壊後は子供鉄道としてではなく、大人も子供も乗車できるアトラクションとして長い間機能していたのですが、建物はいっさい改装されることなくぼろぼろ&機関車に技術的な問題が発生したため、2024年の6月をもって「いったん運行を終了する」という哀しいお知らせがされました。
運行終了が本当に「いったん」なのか、それとももうこの先フラズダン渓谷をミニ鉄道が走る日は二度と訪れないのか…
神のみぞ知るといったところですが、廃墟と化した駅舎や朽ちてゆく鉄道の客車を見るに、おそらく家族連れが楽しむアトラクションとして息を吹き返すことはもうないのかもしれません。
中心街東側エリア
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エレバンのソ連建造物めぐりにおいてハイライトとなるエリアの一つが、円形の中心街の南東側の弧の部分にあたるエリア。
綺麗に整備された瀟洒なストリートが連なる中心街に隣接しているにもかかわらず、なぜか開発はあまり進んでおらず、空き地や放置された建物が目立ちます。
このエリアのソ連建造物は、「エレバンソ連建造物界の顔」としてマニアの間で名を馳せるものばかり。
中心街観光のついでにも訪れやすい場所にあり、ほとんどは平地に位置しているので、中心街観光で1時間~2時間ほど時間が余った際にサクッとまわれるのも嬉しい点です。
⑬アレクサンドル・スペンディアリヤン音楽学校
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エレバン中心街の外周を走る幹線道路沿いにある黒と白の正方形がモチーフの建物は、アレクサンドル・スペンディアリアン音楽学校(Alexandre Spendiaryan Music School / Սպենդիարյանի անվան երաժշտական դպրոց)。【マップ 緑①】
現役の音楽学校として機能している建物は、正面ファサードの奇抜なデザインが特徴的。
スピーカーをモチーフにしたのか、音の波動を描こうとしたのかは分かりませんが、白と黒の石を上手く組み合わせて一つの作品が表現された傑作となっています。
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アレクサンドル・スペンディアリアンとは、ロシア帝国時代後期~ソ連時代初期に活躍したアルメニア人作曲家・指揮者のこと。
エレバンの定番観光スポットとして知られるオペラ座の正面右側にも彼の像が設置されており、アルメニアにおいては知らぬ者はいないほどに有名な人物です。
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⑭チェス・ハウス
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茶色い壁にチェスの駒をモチーフにした黒のレリーフが目印のこちらの建物は、「チェス・ハウス」と呼ばれるもの。【マップ 緑②】
1971年の完成で、上から見ると三角形の形をした独特のデザインが特徴的なチェス・ハウス。
その名の通り、内部にはチェスの専門学校が入っており、完成から現在に至るまで一貫してアルメニアのチェス文化の中心として機能しつづけています。
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実はアルメニアは、小学校の義務教育においてチェスの授業がある世界でも珍しい国。
子供たちは6歳からチェスの授業を受けるそうで、世界的にもチェスの強さに定評があるのだそうです。
「アルメニア人は頭が良い」とはよく言われますし、実際に世界のIQの高さランキングでも上位に入るほどですが、深い思考を必要とするチェスに幼い頃から慣れ親しんでいることもその要因なのかもしれません。
⑮旧ケーブルカー駅
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見ごたえのあるソ連建造物が点在する中心街南東エリアにおいて、最も人気が高い(?)スポットがこちら。
かつてエレバンの中心街と丘の上の住宅街を結ぶ市民の足として活躍していたケーブルカーの駅の跡です。【マップ 緑③】
美しく整備された中心街側から見ると、ゆるやかな坂道の先に見える旧ケーブルカー駅。
綺麗な円形を描くフォルムは、まるで宇宙船のようです。
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このケーブルカーの運行が始まったのは、1962年のこと。
それからずっと休まずに運行を続けていましたが、2004年に事故を起こしてしまい、運休。その後運行が再開されることはないままに放置され、現在の状態となりました。
旧ケーブルカー乗り場の内部は完全に荒れ放題。
内部への立ち入りは禁止されていませんが、一部階段や天井が崩落している箇所もあるので、自己責任で。
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建物内部にはかつて中心街と丘の上を結んでいたゴンドラが一台、撤去されることなく残されています。
風雨にさらされてどろどろになり、もはや骨組みだけしか残っていないゴンドラ。
ケーブルカー運休からたったの20年でこのような状態になってしまうなんて…時の流れの恐ろしさを感じさせられます。
旧ケーブルカー乗り場の裏側には螺旋階段が設置されており、こちらも立ち入りは自由。
螺旋階段は屋上へと続いており、エレバン中心街の町並みを一望する絶景が広がります。▼
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人影ひとつない朽ちたケーブルカー乗り場の屋上からは、幹線道路を忙しく行き交う車の群れと、美しく整備された中心街の重厚な建物、そして遠くにはアララト山の二つの頂も望めます。
目の前に広がる「エレバン」と自分が今立っている「エレバン」が、なんだか別の世界線に位置しているよう…そんな不思議な気分になるほどの強烈なコントラストを楽しみましょう。
⑯コミタス音楽ホール
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エレバン中心街の外周部分には公園のような空き地のような空間が連なっており、どこも整備が追い付いていないのか果てしない場末感が漂います。
そんな公園を歩いていると突如姿を現す台形の建物が、1977年完成のコミタス音楽ホール。【マップ 緑④】
最大300人収容可能の小規模な音楽ホールで、ソ連時代には演劇や音楽演奏会が定期的に開かれていました。
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コミタス音楽ホールのデザインのモチーフはアルメニアの教会建築だそう。
近くで観察してみると、細かな石の彫刻が施されていたり、建物をぴったりの角度から見られる場所の壁に切り込みが入れられていたりと、建築家の細部に渡るこだわりが感じられます。
⑰地下鉄イェリタサルダカン駅
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エレバン中心街東部エリアの玄関口となる、地下鉄イェリタサルダカン駅(Yeritasardakan / Երիտասարդական)。【マップ 緑⑤】
駅構内もソ連みがぷんぷん香る素晴らしいものですが、駅自体の外観もぶっ飛んでいることで知られています。
灰色の駅舎の屋根に謎の黄金の筒が突き刺さったかのような、もはや何を現しているのか理解不能な前衛的さ。
黄金の筒には格子状のガラス窓がはめ込まれており、望遠鏡のようにも見えます。
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地下鉄イェリタサルダカン駅は、エレバンの各大学が密集するアカデミア地区の玄関口としての顔もある場所。
「アカデミー=研究=顕微鏡」をイメージしたのかとのぶよは考えたのですが、果たして真相は如何に…?
⑱エレバン工科大学
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地下鉄イェリタサルダカン駅の北側は、各種大学が集まるアルメニアの頭脳たるエリア。
どの大学も重厚で瀟洒な雰囲気の建物が威厳を放っているのですが、中でもひときわ目を引くのはエレバン工科大学の建物でしょう。【マップ 緑⑥】
四つ葉のクローバーを無限に組み合わせたかのような幾何学的な模様は、ソ連ブルータリズムのお手本のよう。
建造はソ連崩壊直前の1980年代のことで、エレバンのソ連建造物の中では最も新しいものの一つです。
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実際に目にすると思わず「うおおお…!」と声を漏らしてしまうほどに大規模で大胆なデザインの建物ですが、こちらは現役の学びの場。
ソ連建築のお手本のような学舎の前で、今風の恰好をした若い学生たちが楽しそうにお喋りしている光景を見ていると、今がいったいいつの時代なのかわからなくなってくるかもしれません。
中心街北側エリア
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(一般的な)エレバン観光における中心となるのが、町のシンボルであるカスカードとその周辺エリア。
エレバンに来てカスカードを訪れない旅行者など存在しないでしょうが、実はこのエレバン観光のハイライトとされるカスカードでさえもソ連時代の建造物です(まあそんなの見ればすぐに分かるけれども)。
カスカードから北西にのびるマルシャル・バグラミャン通り沿いにもいくつかソ連建造物が点在しているので、ぜひ足をのばしたいもの。
また、カスカードの白く輝く階段を登り切った先には、エレバンソ連建造物の見本市であり、エレバンソ連建造物めぐりの堂々たるハイライトとなる高台エリアへと至ります。
⑲カスカード
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エレバン観光における最大の見どころであり、市内を一望するビューポイントとしても名高いカスカード。【マップ 黄色①】
フランス語で「滝」を意味する名前の通り、傾斜のある地形に整備された572段の白亜の階段が流れるような印象を与える、近代アルメニアの建築技術の結晶たる建造物です。
カスカードの建設がはじめられたのは、ソ連時代末期にあたる1980年代のこと。
順調に工事が進められていたところで1988年に発生したのが、アルメニア北部地域を震源とするスピタク大地震でした。
エレバン市内の地震による被害はそれほど大きくはなかったものの、被災地の復興に人手や資源が割かれたため、カスカードの建設は途中でストップされることに。
大地震から3年後の1991年にはソ連が崩壊し、資金難からカスカードの建設は再開されないまま十年以上放置されます。
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放置されたままの状態であったカスカードが現在の姿になったのは2009年のこと。
アルメニア人ディアスポラであり大富豪であるゲラルド・カフェスジアンという人物の出資によって、ストップしていた工事が再開され、建造物内部には彼の名を冠したミュージアムも整備されました。
カスカード自体の入場はもちろん、ミュージアム部分の入場も無料という太っ腹さ。
カスカード内部にはエスカレーターも設置されており、こちらもカフェスジアンの出資によって実現したものです(ありがとう大富豪)。
しかしながら、いくら大富豪とはいえ無限にお金があるわけではないよう。
2009年にはカスカード全体の3分の2ほどが完成しお披露目されたのですが、それ以降は工事がストップしたまま、最上部の3分の1ほどの区間は放置されている状態です。
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ユニークなデザインや眺望ばかりが注目を浴びるカスカードですが、このスポットの真髄が詰まっているのは、各階に描かれたソ連美術の美しさ。
白っぽい石を削って作られた幾何学模様の大規模なアートが施されており、アルメニアの伝統的な模様を模したものや、精霊信仰時代のシンボルが描かれたものも見られます。
まさに、ソ連モダニズムとアルメニアの伝統芸術の融合と言えるでしょう。
⑳ホファネス・トゥマニャン人形劇場
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カスカードのすぐ南東にあるホファネス・トゥマニャン人形劇場(Yerevan State Puppet Theater after Hovhannes Tumanyan /գային Տիկնիկային Թատրոն)は、ソ連時代に多くの町で人気を博した人形劇が開かれる小さな劇場。【マップ 黄色②】
その歴史は長く、1935年に別の場所でオープンしたのが始まり。
紆余曲折ありながらもずっとエレバンの子供たちを夢中にさせ続けてきました。
人形劇場が現在の建物内に入ったのは1975年のこと。
外壁にはソ連時代らしいモザイクが施され、状態も素晴らしいです。
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人形劇場自体は建物一階部分だけの小規模なものながら、可愛らしいモチーフのカラフルなモザイクは必見。
劇場裏手の二棟の共同住宅の壁にもカラフルなアートが施されており、どこかおとぎの国のようなファンタジー感が感じられます。
㉑アラム・ハチャトゥリアン・ハウスミュージアム
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カスカードから北東の高台エリアへと伸びるマルシャル・バグラミャン通りを200mほど行くと、アラム・ハチャトゥリアン・ハウスミュージアム(Aram Khachaturian House-Museum / Արամ Խաչատրյանի տուն-թանգարան)があります。【マップ 黄色③】
1982年完成の建物は、5つの白亜のアーチを有する独特のデザインが特徴的。
建物の外壁自体はピンクの石造りのエレバン的な様式となっており、ソ連的なモチーフとの融合が素晴らしいです。
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アラム・ハチャトゥリアンとは、ソ連時代に活躍したアルメニア人編曲家・指揮者のこと。
世界的に有名な人物で、ソ連時代のモスクワを拠点に数多くの作品を生み出しました。
現在の建物内部はハチャトゥリアンの功績を讃えるミュージアムとなっており、音楽好きは必訪。
ミュージアムには小さなコンサートホールも併設されており、しばしば地元のミュージシャンがコンサートを開くそうです。
㉒地下鉄マルシェル・バグラミャン駅
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カスカードから緩やかな坂道に敷かれたマルシャル・バグラミャン通りを歩くこと10分ほど。
黒っぽく四角い形の建物に入った地下鉄マルシャル・バグラミャン駅(Marshal Baghramyan / Մարշալ Բաղրամյան)は、1981年のエレバン地下鉄開業時の終点駅としてオープンしました。【マップ 黄色④】
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駅の建物はかなり老朽化が進んでいるのですが、黒く無機質な印象の屋根部分にガラス張りの窓が設置されており、内部から見るとかなりの美しさ。
地下鉄駅構内での写真は撮れないため、ここではお伝えできないのが残念ですが…
また、地下鉄マルシャル・バグラミャン駅の南側には「恋人の公園」と呼ばれる緑地が整備されているのですが、その一角には日本風の枯山水庭園(らしきもの)が。▼
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鶴と亀をモチーフにした大きな岩と、敷き詰められた無数の砂利、苔をイメージした(?)ように見える芝生…など、見る人が見ると「結構頑張って日本庭園を再現しようとしている」のだとか(のぶよは全く造詣がないのでわからん)。
マルシャル・バグラミャン駅の南側出口を出てすぐ目の前に現れる枯山水。
果たしてエレバンっ子に日本の雅な感覚が伝わっているのか謎でしかありませんが、日本人旅行者的には「アルメニアの枯山水」は一見の価値があるかも…?
高台エリア
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さてさて…エレバン市内の各エリアでソ連建造物めぐりをしてきましたが、最大のハイライトとなるのが中心街北側一帯の高台エリア。
メインストリートであるマルシャル・バグラミャン通りとコミタス通り沿いに、中心街に負けないほどに統一感があるピンク色の建物が連なり、中心街の外側とは言えお洒落な雰囲気は健在です。
カスカードを最後まで登りきった場所にある戦勝記念公園周辺から、ぐるりと大きく反時計回りに周って中心街へと再び戻るルートがおすすめです(=この記事の掲載順に周ればOK)。
㉓十月革命50周年記念碑
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カスカードの最上部部分、建設がストップしたまま放置された空き地部分を見渡す場所にあるのが、十月革命50周年記念碑(Memorial to 50th Anniversary Of October Revolution / Հոկտեմբերյան հեղափոխության 50-ամյակի հուշարձան)を中心とした広場。【マップ 紫①】
本来はカスカードの白亜の階段がこの場所まで続き、一体化した建造物として開業する予定だったのですが、先述の通り工事はストップしたまま十数年が経過しています。
カスカード最上部から空き地を迂回するように上っていくと、灰色一色に統一された広々とした広場が姿を現します。
広場にはいくつか建造物があるのですが、西側の一角にある謎の四角い建物も気になるところ。▼
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いっさいの説明書きがなく、建造物内部に入ることもできず、外側から中を眺めることしかできない不思議な建物。
これは、ソ連時代の1930年代にスターリンによって行われた大粛清の犠牲者を追悼する目的で建てられたものです。
また、広場の中心に立つ高さ50mの巨大なオベリスクは、1917年の10月革命から50年を記念して1967年に建設されたものです。
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十月革命とは、当時のロシア帝国で起こった一連の革命のうちの一つで、日本では「ロシア革命」として知られる出来事。
この革命によってロシア帝国が倒れたことをきっかけに、1918年にアルメニアはいったん独立を達成することができました。
しかしアルメニア悲願の独立はたったの2年しか続きませんでした。
1920年にはロシア帝国に変わって権力を握ったソ連赤軍に降伏し、70年に渡って続くソ連統治が始まります。
㉔戦勝記念公園
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十月革命記念碑から大通りを挟んだ東側に広がる広大な緑地が、戦勝記念公園(Victory Park /Հաղթանակ զբոսայգի)。【マップ 紫②】
いかにもソ連感がぷんぷん香る名称ですが、「戦勝」というのはもちろん、第二次世界大戦においてソ連を含む連合国が日本など枢軸国に勝利したことを指すもの。
しかし、この公園の造成はそれよりも前のことで、1930年代に「エレバン市内に綺麗な空気を流し込む」ことを目的に植林がされ、整備されたのが起源だそうです。
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現在の戦勝記念公園は、アルメニアの母の像を有することでも有名。
公園敷地内にはミニ遊園地もあり、こちらもソ連時代に開業したものだそうです。
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戦勝記念公園の敷地内にはいくつかソ連建造物が点在しているので、ゆっくりと散策するのがおすすめ。
高台に位置し、多くの木々に囲まれているため、開放的な雰囲気で美味しい空気が味わえるのも嬉しいです。
㉕アルメニア母の像
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戦勝記念公園の入口から最も離れた最東部に堂々と立つのが、アルメニアの母の像(Mother Armenia Monument / Մայր Հայաստան Հուշարձան)。【マップ 紫③】
エレバンらしいピンクと黒のモザイク柄のような石の土台と、大きな剣を持つ女性の像が印象的ですが、もともとこの場所にあったのは別のモニュメントでした。
それは、1950年に設置されたソ連の最高指導者・スターリンの像です。
それから間もない1953年にスターリンが謎の死を遂げると、時代は一変。
ソ連政府内の方針転換(=スターリン批判)により1962年にスターリン像は撤去され、その5年後の1967年に新しく設置されたのが、現在のアルメニア母の像です。
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お隣ジョージアの首都・トビリシの高台の上にも「ジョージアの母の像」と呼ばれるモニュメントがありますが、あちらも元々はスターリン像が立っていたというわけで設置の背景はアルメニアと同様。
しかしジョージア母の像が「片手に持ったワインの盃で客をもてなし、片手に持った剣で敵を追い払う」というコンセプトなのに対し、アルメニア母の像が手にしているのは剣のみ。
アルメニアの母たちにはおもてなしなど関係なく、全員成敗されてしまうのでしょうか…
また、アルメニア母の像のお膝元には場末感Maxのミニ遊園地が広がっており、こちらもなかなか良い感じ。▼
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かつてはこのミニ遊園地もエレバンの家族たちが休日を過ごしに来るスポットとして大いに賑わったそうですが、微妙に中心街からアクセスしづらい立地が災いしたのか、現在はいつ行っても閑散とした雰囲気。
遊園地の開業こそソ連時代ですが、アトラクションの多くはリノベーションされている様子で(たぶん)安全なので、ソ連時代の子供になった気分で遊び回るのもよいかもしれません。
㉖廃レストランAragil
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戦勝記念公園の南側、エレバン市内を一望する崖の淵にあるのが、Aragil(Արագիլ)というかつてのレストランの跡地。【マップ 紫④】
アルメニア語とロシア語で書かれた巨大な看板と、美しい曲線を描くアーチが目を引く白亜の建物は、1960年に建設されたものです。
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Aragilが開業した1960年代は、長きに渡って続いたソ連時代の中でも比較的安定し、繁栄しつつあった時代。
当時の人々の生活の豊かさや余裕を象徴するかのように、Aragilの敷地内には凝った装飾が施されたかつての飲食スペースがそのままに残っています。
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かつて展望テラス席として多くの恋人たちや家族連れ客に愛されてきた飲食スペースも、いまや完全なる廃墟となっており、当時の姿をイメージすることさえ難しいほど。
レストランが廃業してからすでに数十年が経つそうですが、それ以上の長い時が経過しているように感じられるほどでした。
㉗口づけするビル
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さてさて、お待たせしました…エレバンに数あるソ連建造物の中でおそらく最も見ごたえがあり、圧巻なものを紹介しましょう。
地元では「口づけするビル」(The Kissing Buildings)と呼ばれる二棟の集合住宅。【マップ 紫⑤】
その名の通り、二棟の建物が上に行くにつれて徐々に近づき、最上階部分ではあと少しで建物同士がくっつく…といった状態。
まさに「MajiでKissする5秒前」ですねえ(とってもとってもとってもとっても…♪)
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日本人的には「あの一番上の部分、橋でつなげれば便利だろうに…」と思ってしまうかもしれませんが、ここをあえて繋げないのがアルメニア人のセンスたるもの。
「なんでもかんでも便利にすれば良いというわけではない」「利便性よりも見た目の美しさ」といったアルメニアらしい考え方が現れているような気さえしてきます。
口づけするビルのモチーフはおそらく、アルメニア教会の拝廊の天井部分によく見られるギザギザの装飾(上に行けば行くほどに狭まっていき、全体で三角形を描く)。
アルメニアの伝統様式を無機質なブルータリズム建築に投影するという、ものすごく高度なことが行われているのです。
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建物のたたずまいこそ完全にソ連時代そのものな「口づけするビル」ですが、実はこの建造物が完成したのはソ連時代よりも後、アルメニアが独立を達成してからのことです。
外壁などをよく観察してみると、完成からそれほど年月が経過していないことに気が付くはず。
ソ連時代のブルータリズム建築に独自のエッセンスを加えた「ネオ・ソ連ブルータリズム」とでも呼ぶべき傑作。
中心街からはややアクセスしにくい場所に位置していますが、わざわざ足を運ぶ価値は十分にあります!
㉘旧通信・電報局
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「口づけするビル」からもう少し北へと進むと、地元では「ライコム」(Raykom)と呼ばれる地区に入ります。
ライコム地区のシンボルとして地域の住民の間で絶大な知名度を誇るのが、旧通信・電報局の建物。【マップ 紫⑥】
幾何学模様の白いあみあみにびっしりと覆われた棟と、その南側入口に設置された巨大なレリーフが圧巻です。
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1976年建造の旧通信・電報局の建物には、現在アルメニア最大の通信・電話業者であるteamという会社のヘッドオフィスが入っています。
つまり、ソ連時代からおよそ50年に渡ってアルメニアの通信事業の中心として機能しつづけている場所というわけで、そのあたりのストーリー性(?)も含めて感動的です。
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建物自体の巨大さも、ソ連モダニズムとブルータリズムが融合したデザインも、圧巻のレリーフの数々も…
中心街から最も離れた場所にあるソ連建造物のひとつで、アクセスにはやや難ありではありますが、足をのばす価値は大いにあります!
㉙地質学・測量研究センター
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「口づけするビル」から、高台地区のメインストリートであるコミタス通り(Komitas Ave.)を西方向に歩いていくと、突如姿を現すこの建物。
エレバンらしいピンクがかった石造りの土台と、緻密な装飾がほどこされたレリーフ、その上には圧倒的なソ連建築感を放つ巨大な建物が聳え立っており、とにかく圧巻です。
こちらは現役の地質学研究センターとして機能する機関。【マップ 紫⑦】
測量など、建築に欠かせない技術が集結している場所であり、アルメニアの細部に渡ってこだわられる建築技術の土台を支えている施設だと言えるかもしれません。
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地質学・測量研究センターから大通りのゆるやかな坂道を下っていくと、エレバン地下鉄の北側の終点であるバレカムテュン駅(Barekamutyun)があるので、そこから地下鉄に乗って中心街方面へ戻るのもOK。
もしくは、バレカムテュン駅から南東にのびるマルシャル・バグラミャン通りの下り坂を下って、地下鉄マルシャル・バグラミャン駅やアラム・ハチャトゥリアン博物館など中心街北側エリアのソ連建造物を見学しながらカスカードへ戻るプランもアリです!
中心街西側&その他エリア
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エレバン中心街と周辺のソ連建造物をひととおり制覇したなら、少し離れたエリアにも足を運ぶびましょう。
エレバン最大のバスステーションであるキリキア・バススターションを有する中心街西側一帯は、エレバン~他都市への長距離移動の際に多くの旅行者が足を運ぶエリア。
アララト・ブランデー工場やツィツェルナカベルド(アルメニア人大虐殺慰霊碑)など「エレバンの定番」とされるスポットもいくつかあるので、ソ連建造物単体で訪れるよりも定番スポットとセットで訪問するのが効率的です。
㉚キリキア・バスステーション
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まずは、エレバン市内最大のバスステーションであり、アルメニア長距離交通網のハブとなるキリキア・バスステーション(Kilikia Bus Station)から。【マップ オレンジ①】
外観を一目見るだけでもうお分かりでしょうが、ソ連時代に建設されたものです。
建物自体が三角形という斬新なデザインと、ロシア語とアルメニア語で「バスステーション」とでかでかと書かれた感じにも、ソ連臭がぷんぷんと漂います。
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キリキア・バスステーションには、エレバン~地方都市間の移動の際に多くの旅行者が足を運ぶことになるはず。
中心街からはやや不便な場所にあるので、わざわざエレバン観光と組み合わせて訪問するよりも、エレバンから地方部への移動時についでに見学するのが良いでしょう。
㉛カレン・デミルチヤン・スポーツコンプレックス
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エレバン中心街北西に位置する小高い丘の頂上。
旅行者が多く訪れるツィツェルナカベルド(アルメニア人大虐殺慰霊碑&ミュージアム)の西側に堂々と立つのが、カレン・デミルチヤン・スポーツコンプレックス(Karen Demirchyan / Կարեն Դեմիրճյանի անվան մարզահամերգային համալիր)です。【マップ オレンジ②】
1983年に完成した建物は、まるで鳥が両翼を広げたような優雅で大胆なデザインが特徴的。
1987年にはソ連政府が設計者に優秀デザイン賞を与えたほどで、遠くから見ても近くで見ても、その美しいフォルムに息を呑みます。
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現役のスポーツコンプレックスとして機能している場所で、時にはコンサートが開かれることも。
しかしイベント開催時以外には人の姿はほとんどなく、あまりに巨大なホールの姿は少し不気味に見えるかもしれません。
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建造物の名前になっているカレン・デミルチヤンとは、ソ連から独立した後のアルメニア共和国議会において議長を務めた人物ですが、1999年に発生したアルメニア共和国議会銃撃事件において犯人の銃弾を受けて死去。
その追悼のために、すでに完成していたこのスポーツコンプレックスの建物に彼の名が冠せられました。
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カレン・デミルチヤン・スポーツコンプレックスは、数百メートル先に位置するツィツェルナカベルド(アルメニア人大虐殺慰霊碑)とセットで訪問するのが効率的。
ツィツェルナカベルド見学後は丘を下ってフラズダン渓谷方面に抜け、子供鉄道やコンド・トンネルを観光して中心街へと抜けることができます。
㉜第二次世界大戦メモリアル
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エレバン中心街から西に5kmほど。「バングラデシュ地区」と呼ばれる郊外エリアにあるのが、第二次世界大戦メモリアルです。【マップ オレンジ③】
白いアーチを描いた中規模のモニュメントと、全長100m以上に渡る巨大な噴水が設置された公園で、メモリアル自体も公園内の退廃的な雰囲気も含めて、そこはかとないソ連時代の香りがぷんぷんと漂います。
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メモリアルがある公園自体は10分もあれば見られてしまう規模ですが、せっかくここまで来たら周辺を散策していくのはマスト。
「バングラデシュ・マーケット」と呼ばれるカオスな巨大市場がメモリアルから徒歩7分ほどの場所にあり、ソ連時代から何一つ変わらぬ雰囲気でありとあらゆるものが売られています。
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バングラデシュ・マーケット周辺エリアの詳細情報に関しては別記事にまとめているので、そちらもぜひチェックを!▼
㉝ソ連時代の乗り物がある風景探し
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エレバンのソ連建造物まとめ記事のラストを飾るのは、エレバンの町のレトロなソ連感を演出してくれるソ連時代の乗り物たち。
「建造物」というテーマからは外れてしまいますが、三十年以上前のソ連クラシックカーが現役で走っているのはとてもエレバンらしい光景。
これを紹介せずにエレバンは語れない!というわけで、フィナーレに持ってくることにしました。
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中心街/郊外にかかわらず、エレバンの町のどこでも見られるソ連クラシックカー。
しかしながら、ここ数年でその数は減少傾向にあるようです。
のぶよの初エレバン訪問時(2021年)は、走る車の3分の1ほどはソ連車だったのですが、2025年現在は10台に1台ほどと激減しています。
それだけエレバンが好景気に沸いているという証拠でもあり喜ばしいことではあるのですが、レトロな風景が見られにくくなっているのはなんとも口惜しいもの。
ピンク色の瀟洒なストリートをソ連車ががたごと走る光景がまだ見られるうちに、ぜひともこの町を訪問してほしいものです。
また、ここ数年間でのエレバンの交通事情の変貌はかなり劇的。
ひと昔前は限界マルシュルートカやぼろぼろのソ連バスが路線バスとして機能していたのですが、現在その多くは新型車両に置き換えられています。
そんな逆風の中でも現役なのが、エレバン名物のソ連トロリーバス。▼
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エレバン市内に十数路線あるトロリーバスは、ソ連時代から何一つ変わらないレトロな車体が目印。
ぎこぎことなんとも言えない限界音を立てながらのんびりと走るため、せっかちなエレバンっ子からの人気は高くありません。
しかし旅行者的には、この限界トロリーバスにがたごとと揺られながら移動するのも、また旅情たるもの。
路線によっては観光時の移動に使いやすい区間を走っていたりするので、エレバン滞在中に一度は利用してみましょう。(特に高台地区~カスカード~中心街東部~シネマ・ロシア~旧シュカを結ぶトロリーバス9番が、ソ連建造物めぐりの際には一番利用しやすい)
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ソ連時代の車も、トロリーバスも、いつまでエレバンという町を構成する光景であり続けられるかは誰にも分からないもの。
エレバンという町の変化のスピードは想像以上であるため、もしかすると数年後にはもう見られない風景となっているかもしれません(特にトロリーバスはもうかなり寿命が近づいている気がする)。
そうなってしまう前の今こそ、レトロで往年の雰囲気が色濃く残るエレバンへ…ぜひとも!
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おわりに
というわけで、エレバンに滞在すること約3ヶ月間でコツコツ探訪してきたソ連時代の建造物たちを一挙放出する記事をお送りしました。
ここまで読んだあなたはきっと、ソ連建造物に興味がある人なのでは。
ド直球ストレートに言います。
エレバン、ソ連建造物探訪&ソ連時代の雰囲気を疑似体験するにはこれ以上なく良い町です!
旧ソ連圏の多くの町ではソ連時代の建物を隠すかのようにキラキラ謎デザイン建造物を建てたりして取り繕いたがるものですが(おーいトビリシ、バトゥミ、聞いてる~?)、エレバンはそうした無駄な上辺きらきらとは無縁。
「そもそもソ連時代に造られた町なんだから、雰囲気ソ連が当たり前」といった、開き直りのようなプライドのような気概が感じられます。
こういったところも含めて、エレバンの奥深い魅力。
ほとんどの日本人旅行者は1泊2泊だけして去っていくエレバンの現状が、弊ブログお得意である隠れた魅力発掘記事によって少しでも変われば嬉しいです!
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