こんにちは!アルメニア南部のヴァヨツ・ゾール地方をのんびりと旅行中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
実はここヴァヨツ・ゾール地方で、のぶよが最も訪れてみたかったエリアがあります。
それが、イェゲギス(Yeghegis/Եղեգիս)という村の周辺。▼

上の写真を見てもらえれば、のぶよがこの村を訪れたくてたまらなかった理由が伝わるはず。
高山植物と緑の絨毯に彩られた谷間の小さな村は、ユートピアさながらの風景を見せてくれるのです。

そしてイェゲギス村のすごさはその美しい風景だけではありません。
イェゲギスは人口百人に満たない小さな村ですが、そうとは信じられないほどに多くの教会が点在しており、まるで村全体が大きな祈りの場であるかのよう。
実際、数々の聖地や歴史的モニュメントに囲まれたイェゲギス一帯は「アルメニアの聖域」と称されることもあるそうで、小さなエリアに数多くの見どころがギュッと詰まっているのも魅力です。


またイェゲギス周辺には、スムバタベルド城塞やツァハツ・カル修道院など、アルメニア全国を見渡しても「一級観光地」となりうるほどの見ごたえがあるスポットが点在している点も見逃せません。
これら周辺の見どころへのアクセスは車両では難しく徒歩のみとなりますが、しっかりと整備されたハイキングコースではヴァヨツ・ゾール地方の自然風景を五感で堪能することができます。


こんなにも色々な見どころ&さまざまな魅力があるイェゲギスと周辺ですが、それぞれの見どころが近い場所に位置しているため、個人で日帰りでも簡単に周ることができる点もおすすめする理由。
見どころたくさん&それぞれの見どころが近くに位置している&個人でもアクセス・観光しやすい…と三拍子揃っているエリアは、アルメニア地方部ではかなり珍しいです。
それでいて知名度はほとんどなく観光客は皆無なので、穴場感が感じられる点もこれまた素敵。
…とにかく!イェゲギスへ行きましょう!
まじで本当に、訪問の満足度がトップレベルで高い場所なので。

というわけで、今回の記事はイェゲギスと周辺の見どころの観光情報を徹底解説するもの。
イェゲギス観光時に必要不可欠なキーワードである「オルベリアン一族」のあれこれも含め、このポテンシャルあふれる村の魅力をお伝えしていきます!
イェゲギス観光マップ
緑線:ハイキングコース
緑:ハイキングコース上の分岐点
黄色:イェゲグナゾール~ヘルモン間マルシュルートカバス停
イェゲギス村の歴史&村内の見どころ

イェゲグナゾールから北に15kmほど。
深い山々に抱かれるような渓谷地帯にひらけた小さな村がイェゲギスです。
イェゲギスの人口は百人いるかいないか…といったくらいの小さな村。
しかし、その人口規模からすると信じられないほどに多くの教会や歴史あるモニュメントが点在していることから「アルメニアの聖域」と称されることもあるのだそうです。


どうしてこの人里離れた山奥の村に、こうもたくさんの歴史ある建造物が点在しているのかというと、すべてはオルベリアン一族のおかげ。
オルベリアン一族とは、中世アルメニアで南部地域一帯を権力下にしていた地方王族のこと。
有名なノラヴァンク修道院の建造にも深く関わっており、ここヴァヨツ・ゾール地方を旅していると、必ず一度はその名前を耳にする機会があるはずです。
イェゲギスは、アルメニア南部のオルベリアン一族支配地域の中でも重要拠点とされた地。
村を一望するスムバタベルド城塞は、オルベリアン一族の王子の居住地として利用されたものですし、一族の権力を象徴するように村内に立派な教会がいくつも建設されたのです。

しかしながら、14世紀後半以降は外敵の侵入をたびたび受け、オルベリアン一族は歴史の表舞台から姿を消すことに。
地震などの自然災害も重なった結果、イェゲギス村は衰退しつづけ、16世紀頃には住民のすべてがこの地を後にして無人となってしまったのだそうです。
その後、18世紀頃には再び村に人が戻りはじめましたが、イェゲギスにより多くの人がやって来たのはソ連崩壊直前の1988年のこと。
当時スンガイット(現在のアゼルバイジャン)に居住していたアルメニア人住民が迫害を受けてアルメニア本国に逃れてきた際に、この人里離れた地で新たな生活を始めたのです。

なんとも数奇な歴史をたどったイェゲギス村ですが、中世にオルベリアン一族の元で黄金時代を謳歌していた残り香は現在でもなんとなく漂っているかのよう。
点在する聖地やモニュメントをゆっくりと周りながら、渓谷風景に抱かれた村の美しさを存分に感じましょう。
ゾラツ教会

イェゲギス村において最大の見どころとなるのが、ゾラツ教会(Zorats church/Զորաց եկեղեցի)。【マップ 青①】
村の最も東のはずれにぽつりと建つ聖地は、1303年に完成した歴史あるものです。


ゾラツ教会が建設された時期のアルメニアは、モンゴル帝国の襲来を受けてその属国のような状態にありました。
「モンゴル帝国=多くの地域で破壊の限りを尽くした」というイメージが先行しますが、アルメニア南部に関しては事情が異なります。
この地域の権力者であったオルベリアン一族が、モンゴル帝国と密約を交わして戦闘を最小限に抑えた&新たなキリスト教建造物の建設も認めてもらったという背景から、比較的平和な時代であったとされています。

ゾラツ教会は、アルメニアに唯一現存する様式で作られていることでも有名。
一般的に、アルメニアの教会建築は正面に祭壇/祭壇の前に礼拝スペースがあり、それら全ては屋内に設置されています(というか、どこの国の教会も普通はそう)。
しかしこのゾラツ教会にあるのは、なんと聖職者が儀式を行うための祭壇スペースのみ。
建物内に礼拝スペースが存在しないのです。

当時、礼拝に訪れた人は、ゾラツ教会の建物の西側にある屋外スペースを礼拝用の場所として使用していました。
このなんとも不思議な空間の使い方がされた最大の理由が、戦士たちが屋外スペースで馬とともに洗礼を受けられるように考えられたため。
当時はモンゴル帝国の属国であったアルメニアでは、外敵との戦いに戦士たちが駆り出されることが多く、大切な馬から離れることなく洗礼を受けられるように屋外スペースを礼拝用にしたのだそうです。

ゾラツ教会の祭壇スペースは、屋外の礼拝スペースよりも高い場所に設置されており、地味ではありながらもいくつか施された装飾が圧巻。
700年以上の歴史がぎゅっと詰まった空間は、異教徒でも何か神聖なものが感じられます。


ゾラツ教会の唯一無二の様式と建設の背景については、アルメニア人であれば誰もが知るほどに有名なもの。
エレバンでは「ゾラツ教会はもちろん知ってるけど行ったことはない」という人が大多数なので、実際に訪れたとなると結構な自慢になります。
聖母教会

イェゲギス村の中心部に堂々と立つ聖母教会(Surb. Astvatsatsin church/Սուրբ Աստվածածին եկեղեցի)は、1703年と比較的新しい時代に再建されたもの。【マップ 青②】
元々は別の小さな教会が立っていたそうです。


聖母教会の正面ファサードは、山奥の小さな村のものとは信じられないほどの精巧さ。
内部に入ってみると、三連アーチ構造の広々とした空間が広がります。▼

現在、聖母教会は崩落の危険があるとして祈りの場としての機能を失ってしまっているよう。
内部への立ち入りは現在も可能ではありますが、自己責任となります。
カラペト教会

イェゲギス村の小道に沿ってひっそりとたたずむカラペト教会(Surb Karapet/Սուրբ կարապետ)は、13世紀完成のドームを備えた様式。【マップ 青③】
イェゲギスに点在している教会の中では最小のものですが、13世紀当時のポピュラーな様式をそのままに反映した美しいフォルムが印象的です。


カラペト教会の内部はとても小さな空間ではあるものの、現役の祈りの場として機能している様子。
ほとんど装飾がないにもかかわらず、厳かな雰囲気がびしびしと感じられます。
ユダヤ人墓地

イェゲギスを流れる渓流沿いにひっそりとあるのが、ユダヤ人墓地。【マップ 青④】
ユダヤ人墓地の発見は1997年とかなり最近のことで、いまだに解明されていないことが多くあるミステリアスな場所となっています。
現時点では、時代や装飾スタイルが異なる墓石が64基発見されているそう。
墓石に刻まれた年で最も古いものは1266年、最も新しいものは1346年となっており、少なくともこの80年間の間にはイェゲギス村にユダヤ教徒の住民が居住していたことになります。


このユダヤ教徒たちがどこからアルメニアに来て、80年間の後にどこへ、どうして去ったのか…といった点はいまだに解明されておらず、中世アルメニアのミステリー。
当時のイェゲギス一帯はオルベリアン一族の元で黄金時代にあり、オルベリアン一族はシルクロード交易にも力を入れていたため、交易を通して遥か遠い地からこの場所にたどり着いたのかもしれません。

謎が謎を呼ぶイェゲギス村のユダヤ人墓地ですが、現在のところ分かっているのはこれくらい。
将来的にこの場所から、それまでの中世アルメニア史を塗り替えるような事実が判明する可能性も、ゼロではありません。
オルベリアン一族の墓地

イェゲギス中心部の道路沿いにぽつりとあるのが、オルベリアン一族の墓地(Orbelian family cemetry/Օրբելյանների տոհմական տապանատուն)。【マップ 青⑤】
中世に絶大な権力の座についていたオルベリアンの王子とその家族が眠る墓です。

墓地には大小含め十基ほどの墓石が並んでいますが、どれが誰の墓石かは表示されていません。
墓石の装飾も凝りに凝ったものからシンプルなものまであり、身分によって分かれているのでしょう。

▲オルベリアン一族の墓地で最も目を引くのが、ハチュカル(石の十字架)を組み合わせた巨大な石碑。
その緻密なデザインに、当時の技術力の高さが感じられます。
オルベリアンのハチュカル

イェゲギス村中心部から西へ500mほど、村の入口にあたる場所にぽつりとたたずむのが、オルベリアンのハチュカルです。【マップ 青⑥】
ハチュカルとは、石に刻まれた十字架のこと。
こちらは12世紀~13世紀にかけての作品であることが分かっており、まさにアルメニア南部でオルベリアン一族の権力が絶頂にあった時期にあたります。


ハチュカル自体の素晴らしいデザインももちろんですが、上部に設置されたレリーフも秀逸。
イェゲギス村と渓谷地帯を一望する場所で、中世から変わらぬ美しい風景を背景にたたずむ姿がなんとも絵になります。
イェゲギス村周辺の見どころ

イェゲギスは、周辺にも珠玉の見どころが点在している村。
多くの人が足をのばすのが、スムバタベルド城塞とツァハツ・カル修道院の二か所です。
イェゲギス~スムバタベルド城塞~ツァハツ・カル修道院の間を結ぶのは、車両でのアクセスが難しいほどの山道のみ。
基本的には自分の足で歩くことになります。

ハイキングのスタート地点となるイェゲギス村中心部~スムバタベルド城塞までは、がっつりと登る区間。
とはいえ勾配はそこまで急ではなく、緩やかな坂道がずっと続く道のりです。
・距離:3.3km
・所要時間:1時間15分
・高低差:▲369m

▲イェゲギス村から少しだけ車両も通れる未舗装の道路を登りますが、こちらの分岐点①【マップ 緑①】からは完全に徒歩のみの山道。
イェゲギス村を背にしながらひたすら登っていきます。


ある程度登ると、正面に目的地であるスムバタベルド城塞が見えてきます。▼

つづら折りのような上り坂を登りきると、スムバタベルド城塞方面とツァハツ・カル修道院方面に道が分かれる分岐点②が。【マップ 緑②】
これを左に行くと500mほどでスムバタベルド城塞に、右に行くとツァハツ・カル修道院に至る上り坂となります。▼

分岐点②で左に曲がって5分ほど。
目の前に山の頂上にスムバタベルド城塞の堂々たる姿が目に入ります。

城塞手前の道は、それまでの坂よりも急な上り坂。
これを登りきればスムバタベルド城塞に到着です。
スムバタベルド城塞

イェゲギス村はもちろん、周辺の渓谷を一望する山の頂上にたたずむスムバタベルド城塞(Smbataberd/Սմբատաբերդ)は、このエリアの観光ハイライトとなる場所。【マップ 青⑦】
イェゲギス村からもその美しい姿を遠目に見ることができますが、実際に訪問してみると、あまりにも立派な造りとこれ以上ないほどに絶好の眺めに感動するはずです。


スムバタベルド城塞の正式な建造時期については論争の的となっており、5世紀(1600年前)と主張する人と9世紀~10世紀(1200年前~1100年前)と主張する人がいるそう。
いずれにしてもものすごく歴史のある城塞ということになりますが、現在残っている大部分は10世紀頃(1100年前)に大規模リノベーションされた際のものです。

10世紀当時のアルメニア地域は、アニ(現在のトルコ東部)を中心に栄えた中世アルメニア王国の黄金時代真っ只中にありました。
しかし、スムバタベルド城塞があるここヴァヨツ・ゾール地方やさらに南のシュニク地方などアルメニア南部地域では、987年にシュニク王国という別の王国が成立。
それから200年近くの間、北部地域の中世アルメニア王国とは別の歴史を辿っていました。
そんなシュニク王国の王子が居住するための城として選ばれたのが、このスムバタベルド城塞でした。

シュニク王国&中世アルメニア王国の栄光の歴史は長くは続かず、1045年に北の中世アルメニア王国が崩壊すると、シュニク王国も衰退の時代に突入します。
そこに取って替わるようにして権力の座についたのが、当時アルメニア南部地域で力をつけていた地方豪族のオルベリアン一族でした。
オルベリアン一族はシルクロード交易に絶大な影響力を持っていたこともあり、莫大な富を背景にスムバタベルド城塞は拡張され、13世紀頃には現在の姿に。
麓のイェゲギス村にもオルベリアン一族の富は流れ、エリア一帯が絶頂期を迎えます。
しかしながら、盛者必衰の理は避けられないもの。
13世紀のモンゴル帝国の襲来こそどうにか切り抜けたスムバタベルド城塞でしたが、その後14世紀末のティムール朝の襲来によって陥落し、焼き討ちに遭ってしまいます。
その後はふたたび誰かの居城となることはなく、廃城塞としてイェゲギス周辺の谷間を見守るだけの存在となりました。


スムバタベルド城塞の歴史的価値や建築様式の貴重さはアルメニア政府も深く認識しており、2018年には国の歴史文化保護遺産に指定されることに。
訪問客向けに城壁の修復なども完了し、アルメニアで最も観光地としてのポテンシャルがある場所の一つとして、話題になりつつあります。

「スムバタベルド」とは、アルメニア語で「スムバトの城」の意味。
アルメニアの歴史において「スムバト」の名がつく人物は数多く、この城塞がどのスムバトの名を冠しているのかについては議論が絶えませんが、最有力だとされているのがオルベリアン一族のスムバト王子。
近郊の有名観光地・ノラヴァンク修道院の建造にも大きく関わった人物で、斜陽の時代のアルメニアをどうにか立て直そうと尽力した人物です。
中世アルメニアのあらゆる出来事を目撃してきたスムバタベルド城塞。
現在は城塞としての役目を終え、観光客がやって来ては最高の眺めに感動しているのを物言わずに見守っているかのようです。

スムバタベルド城塞からツァハツ・カル修道院までは1時間半ほどの道のり。
まずは城塞を出て、先ほど通った分岐点②【マップ 緑②】をツァハツ・カル修道院方面へと進みましょう。
・距離:3.6km
・所要時間:1時間30分
・高低差:▲244m ▼103m


スムバタベルド城塞から約2kmほどは、緩やかな下り坂や平坦な道のりがずっと続いて歩きやすいです。
しかし、ツァハツ・カル修道院まで残り1.3kmほどの地点にある分岐点③【マップ 緑③】付近からは、結構な上り坂となります。▼

上り坂をひたすら登ると、ちょっとした草原地帯に何やらたくさんの棒が設置されている場所があります。
こちらは、2021年に開始された「コーカサス&ヨーロッパ地域で最も標高が高い場所のワイナリー」プロジェクトのぶどう畑。
標高は2080mもあり、現在はぶどうの種を埋めて発育を待っている段階なのだとか。▼


果たして、標高2000m越えの厳しい環境の地でちゃんとぶどうが育つのか、ワインの発酵プロセスがうまくいくのかは謎ですが、もしかしたら近い将来に市場に出回って人気を博す日が来るのかもしれません。
このぶどう畑からゴールのツァハツ・カル修道院までは目と鼻の先、距離にして200mほどです。
ツァハツ・カル修道院

スムバタベルド城塞から北に3kmほど。
標高2100mを越える山の上にたたずむツァハツ・カル修道院(Tsaghats Kar/Ցաղաց քար)は、10世紀に建設された聖地です。【マップ 青⑧】
元々は修道僧が祈りながらの生活を送っていた場所で、当時は芸術を学ぶことができたのだそう。
彫刻や宗教画を学ぶ人たちが集まり、多くの人で賑わったのだそうです。
そんな歴史があるためなのか、ツァハツ・カル修道院の建造物に施された装飾はとにかく秀逸のひとこと。
石に刻まれた細かな模様や、ハチュカル(石の十字架)、教会の外壁に施された各種レリーフなど、とにかくどれもものすごい完成度になっているのです。▼


▲現在ツァハツ・カル修道院で祈りの場として機能する建造物の一つが、聖カラペト教会。
メインの聖堂として機能しており、1029年とやや後になっての完成です。

▲聖カラペト教会の内部は、シンプルながらも素晴らしい装飾がいくつか施されたもの。
特に祭壇下部に六つ並ぶように描かれたワインを入れる素焼きの壺は、こうした教会で見かけることは珍しく、一説によるとこの地で天に召された六人の殉教者に捧げられたものだとされているそうです。
聖カラペト教会の外壁には、いくつも秀逸なレリーフが散りばめられているので、こちらもお見逃しなく。▼


特に必見なのが、聖カラペト教会の北側の外壁上部に設置されたライオンと牡牛の戦闘を描いた装飾です。▼

この「ライオンと牡牛」というモチーフは、聖カラペト教会の完成時である1029年よりもやや後の時代にアルメニア南部で権力の座に就いたオルベリアン一族の紋章。
おそらくこのモチーフに関しては、一族の権力を誇示するために後から追加されたのではないかと思います。

▲メインとなる聖カラペト教会のすぐ東側には、二層構造のチャペルが。
チャペルの周辺にはハチュカル(石の十字架)がごろごろと点在しており、なんとなく異質な空気が漂っているのが感じられます。
こちらのチャペルに関しては、建造年はおろか、名称も不明のままというミステリアスさ。
しかしながら、その唯一無二の外観は圧倒的な魅力を放ち、見る者に感動を与えます。


一説によると、二基のハチュカルに挟まれた正面ファサードの部分は後から追加されたもので、その奥のチャペル本体とは別の機能を持っていたのではないかと考えられているそう。
二層構造の上の部分は霊廟として機能していたことが判明しています。

チャペルの内部は、小さいながらも静謐で神聖さに満ち溢れた雰囲気。
天井部分の石の装飾も大変素晴らしいもので、当時の技術力の高さに改めて感心させられます。
ツァハツ・カル修道院廃墟

現在ツァハツ・カル修道院として機能する聖カラペト教会&チャペルとは別に、元々修道院のメインとして機能していた建物が、ツァハツ・カル修道院廃墟。【マップ 青⑨】
聖カラペト教会の西200mほどの場所にぽつりと残る廃墟ですが、かつては聖ホヴァネス教会として機能していました。
聖ホヴァネス教会の建造は989年と、ツァハツ・カル修道院の建造物の中では最古のもの。
建物の跡から推測するに規模もかなりのものだったようで、修道僧の生活スペースなども兼ね備えていたようです。


外から見ると、数百年前の修道院の残骸にしか見えませんが、敷地内に一歩足を踏み入れてみるとびっくりするはず。
地震の影響で天井がすっぽりと抜け落ち、その天井を支えていたアーチ構造だけが残る不思議な風景が見られるのですから。▼

この不思議なアーチが見られる空間こそが、千年以上前に建造された聖ホヴァネス教会。
千年以上前の建造物に設置されたアーチが、地震を経て天井が崩落しても崩れ落ちることなく現在にまでその姿を残しているというのは、ものすごいことなのかもしれません。


ツァハツ・カル修道院の廃墟には他にも小さな聖堂の跡や建造物があり、どれも絶妙な崩れ加減で残されているのが特徴的。
「崩れることまで予想して造られたのでは…?」と勘ぐってしまうほどの、芸術的な姿の廃墟となっています。

修道院としての機能を失って数百年が経ち、人々に忘れ去られてしまったまま山奥にたたずむ聖地の跡。
しかし数百年前にこの地に集い、祈りの力を信じて過ごした人々の情念のようなものは、確実に現在にも息づいています。
現役の聖地として機能する教会や修道院とはまた少し質の異なる、神聖さや厳かさがびしびし感じられるツァハツ・カル修道院の廃墟。
この場所こそが観光のハイライトと言えるほどに、独特の魅力が息づく神秘的な場所でした。
ツァハツ・カル修道院~イェゲギス村までは上り坂はいっさいなく、ただひたすら山道を下っていくだけ。
しかし、3.3kmという短い距離で高低差500mを下るため、かなりの急勾配の区間もあるので注意が必要です。
・距離:3.3km
・所要時間:1時間
・高低差:▼500m

▲ツァハツ・カル修道院からは、先ほど登って来た道を下っていくだけ。
途中の分岐点③【マップ 緑③】まで下ったら、未舗装道路ではなく左側の山道へと入ります。


分岐点③からは、かつて小川が流れていたらしき溝に沿ってイェゲギス村まで下っていくだけ。
やや道が分かりにくく、岩場を下るような場面もあるので、注意しながら歩きましょう。
イェゲギスへのアクセス
イェゲギスへのアクセスは、ヴァヨツ・ゾール地方の中心的な町であるイェゲグナゾール一択。
タクシーを利用するのが最も気楽ではありますが、イェゲグナゾール~イェゲギス間にはマルシュルートカも走っているので、個人でのアクセスも比較的簡単です。
①タクシー
最も簡単&効率的な移動手段が、イェゲグナゾールでタクシーをチャーターしてしまうこと。
料金相場はイェゲグナゾール~イェゲギス間片道で3000AMD(=¥1200)ほどです。
イェゲギス観光のハイライトとなるスムバタベルド城塞やツァハツ・カル修道院を訪れる場合は、道がものすごい悪路となるため、一般的な車両のタクシーでのアクセスは不可能。
その場合は4WDの特別なタクシーを利用するしかなく、料金は1日チャーターで20000AMD(=¥8000)ほどと跳ね上がってきます。
また、たとえ4WD車をチャーターしたとしても、車両が通行可能な道が途中までしかない点もネック。
結局は歩かなければいけないので、わざわざ車をチャーターするよりもイェゲギスまでタクシー/マルシュルートカでアクセス→自分の足でハイキングという行程がおすすめです。
イェゲギスには流しのタクシーは存在しないため、往復タクシー移動する場合はイェゲグナゾールで交渉の上チャーターが必須。
イェゲグナゾール→イェゲギスの往路のみタクシー利用/イェゲギスからの帰りはマルシュルートカというプランも可能です。
②マルシュルートカ

イェゲグナゾールの北側に位置するイェゲギス周辺の見どころを訪れる場合、イェゲグナゾール~ヘルモン(Hermon/Հերմոն)という村を結ぶマルシュルートカを利用できます。
この区間は、1台のマルシュルートカがぐるぐると1日3往復しているだけの単純なルート。
平日のみの運行で、土日祝日は完全運休となる点に要注意です。
2025年現在のスケジュールは以下の通りです。
①8:00イェゲグナゾール発→8:35イェゲギス通過→8:45ヘルモン着
①9:00ヘルモン発→9:10イェゲギス通過→9:45イェゲグナゾール着
②13:00イェゲグナゾール発→13:35イェゲギス通過→13:45ヘルモン着
②14:00ヘルモン発→14:10イェゲギス通過→14:45イェゲグナゾール着
③16:30イェゲグナゾール発→17:05イェゲギス通過→17:15ヘルモン着
③17:30ヘルモン発→17:40イェゲギス通過→18:15イェゲグナゾール着
※アルメニア地方部のマルシュルートカの時刻表はしばしば変更となるので、必ず現地で運転手に自己確認を
注意したいのが、イェゲグナゾール側での発着ポイント。
基本的には、②昼便(13:00)と③夕方便(16:30)はイェゲグナゾール中心街のバスステーションからの発着です。▼
しかしながら、①朝便(8:00)のみ幹線道路沿いバスステーションからの発着で、中心街のバスステーション発着ではありません。▼

イェゲグナゾールを出発したマルシュルートカは、35分ほどでイェゲギス村中心部のバス停【マップ 黄色】に到着。
さらに先に位置する終点のヘルモン村まで行き、しばしの休憩の後ふたたびイェゲグナゾール方面へと折り返します。
イェゲギスの観光後にイェゲグナゾールへ戻る際は、行きで降りたバス停でマルシュを待っていればOK。
ヘルモン村出発時刻+10分前後でマルシュルートカがやって来ます。
イェゲギス観光のアドバイス・注意点
イェゲギスの観光に関する情報はネット上にほぼ存在せず、初めて訪れる人にとってはイメージが湧きにくいもの。
実際に訪れてみて感じたのですが、かなりの僻地である割にはアクセス&観光ともに難易度は低めだと感じました。
ここでは、イェゲギスを実際に訪れる人向けのアドバイスや注意点を解説していきます。
イェゲギス観光日帰りモデルプラン
本記事内で紹介しているイェゲギスの全てを制覇するプランであっても、イェゲグナゾールからマルシュルートカを利用しての日帰りは余裕です。
その場合、朝一番のマルシュでイェゲギスに向かい、最終マルシュでイェゲグナゾールに戻るという行程になります。
のぶよが実際に観光した際のスケジュールは以下の通り。
こんな感じのプランでもかなり余裕を持って観光できました。▼
・8:00 イェゲグナゾールからのマルシュ乗車
・8:35 イェゲギス村到着&村内の観光
・10:30 ハイキング開始
・11:30 スムバタベルド城塞到着&観光
・13:00 ハイキング開始
・14:30 ツァハツ・カル修道院到着&観光
・16:00 ハイキング開始
・17:10 イェゲギス村帰着
・17:40 イェゲグナゾール行きマルシュに乗車
改善点を挙げるとすれば、イェゲギス村内の見どころはハイキング後に観光する方が良かったかも。
というのも、午前中はイェゲギスの見どころのほとんどは逆光となってしまうため、綺麗な写真が撮りにくいためです。
ハイキングの難易度
イェゲギス~スムバタベルド城塞~ツァハツ・カル修道院のハイキングコースの概要は以下の通り。▼
距離は合計10kmほどで歩く時間もそれほど長いものではありません。
高低差は比較的多いですが、そこまで急な坂道はなく勾配は緩やかなので、初心者~中級者向けのコースです。
このコースは基本的に歩きやすい山道ばかりなので、スニーカーでも問題なく歩けるレベル。
特別な装備もいっさい必要ありません。
イェゲギス観光におすすめの時期

イェゲギス村ですでに標高1563m、最も高い場所にあるツァハツ・カル修道院で標高2086mと、このエリアはかなり標高が高い場所に位置しています。
そのため旅のベストシーズンは短く、5月頭~10月頃まで。
それ以外の季節は雪が残っていたり天候が不安定であるため、ハイキングを含む観光には向きません。
イェゲギス観光の持ち物
イェゲギスには小さな商店が二軒ありますが、いずれも品揃えには限りがあります。
またエリア内には飲食店は一軒も存在しないので、観光時のランチや軽食などはイェゲグナゾールで購入しておくのがベストです。
ハイキングコース上には湧き水は見当たらなかったので、歩く場合は最低1Lの飲料水の用意は絶対。
また標高が高いエリアで紫外線が強いため、気温が低くとも日焼け止めや帽子などの日光対策はした方が良いでしょう。
おわりに
どこを探してもほとんど情報がないイェゲギスの観光情報を解説しました。
のぶよも訪問前は「ものすごく不便そうなエリア…」と思っていたのですが、実際は個人でもマルシュルートカで簡単にアクセスできるため、訪問の難易度はかなり低いです(まじで、このローカルマルシュを見つけたのぶよに全員感謝してほしい)。
まるで理想郷を思わせるイェゲギス村の風景も、オルベリアン一族の栄光の時代が香る雰囲気も、スムバタベルド城塞の圧巻の眺めも、ツァハツ・カル修道院の素晴らしい装飾も…
イェゲギスの見どころの魅力は、日帰り観光先としてはアルメニア全国を見渡してもトップレベルの充実具合だと思います。
知名度こそほとんどありませんが、とにかく見ごたえたっぷりで、アルメニア旅の鮮烈な思い出となるはず。
イェゲグナゾール滞在中にぜひとも足をのばしてみてはいかがでしょうか。
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