こんにちは!ジョージア滞在も間もなく1年半、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
1年半近くも居座っているだけあり、ジョージアの有名観光地はほとんど行きつくしてしまいましたが、最後に一つだけ未踏だった場所がありました。
それが、ジョージア中部のシダ・カルトリ地方に位置するウプリスツィヘ洞窟住居群(Uplistsikhe cave town / უფლისციხე)。
灰色の岩場に大小さまざまな穴が空いている不思議な風景は、まるで月面のよう。
これらはすべて自然にできた洞穴ではなく、人の手によって住居用に掘られたもの。
最も古い洞穴はおよそ2000年前のものと、とても長い歴史を誇る場所なのです。
遥か昔からこの地で暮らした人々の生活の跡をたどると、当時の技術に感心すること間違いなし。
月面のような岩場には絶景ポイントも数多くあり、きっと思い出に残る観光となるはずです。
今回の記事は、ウプリスツィヘ洞窟住居群の観光情報を徹底解説したもの。
トビリシから距離も近いので日帰りトリップにもぴったり。
個人で公共交通手段利用でのアクセスも余裕なので、ジョージア旅行のプランにぜひ組み込んでみたい場所です!
ウプリスツィヘ洞窟住居群の歴史
ウプリスツィヘ洞窟住居群に初めて人が居住したのは、なんと紀元前2000年頃(4000年前)であったことがわかっています。
現在ウプリスツィヘに残る最も古い建造物は1世紀(2000年前)のもので、これはジョージアがキリスト教国となった4世紀よりも前のこと。
当時は精霊信仰などが定着しており、儀式や祭祀で使用されたと考えられている洞窟がいくつも残っています。
このことから、1世紀~4世紀初頭までのウプリスツィヘは、東ジョージア一帯の中心的な都市として栄えていたのではないかと考えられているそう。
「ウプリスツィヘ」という地名は、ジョージア語の「ウプロス(Uplos)」+「ツィヘ(Tsikhe)=要塞」から来ています。
ウプロスとは、1世紀頃にこの地を治めたカルトロシ族の首長(王様のような)だった人物。
このことから、現在でもウプリスツィヘは「王の要塞」と表現されることもあるそうです。
4世紀初頭にジョージアがキリスト教国となる前後の時代には、ウプリスツィヘの重要性は徐々に失われ、ムツヘタやトビリシなどへと中心地が移っていきました。
ウプリスツィヘがジョージア東部の中心として再び息を吹き返したのは8世紀から10世紀にかけて。
当時最大の町であったトビリシがアラブ人によって陥落してしまったため、異民族による支配を逃れた人々が再びウプリスツィヘ周辺に定住しはじめたのです。
この時代はウプリスツィヘの歴史上の黄金時代。
シルクロード交易の中継地点として、莫大な富がもたらされました。
ウプリスツィヘの歴史の終焉は、14世紀のこと。
当時ユーラシア大陸全域で強大な軍事力を誇ったモンゴル帝国による襲撃をたびたび受けた結果、住民たちはこの地を放棄してしまいました。
それ以後はかつての栄光が嘘であるかのように、人々に忘れ去られた存在となって現在に至ります。
ウプリスツィヘ洞窟住居群の見どころ10選
ウプリスツィヘの敷地内には、大小さまざまな洞窟がとにかくたくさん。
見学順路などが定められているわけではないため、ハイライトとなる見どころにしぼって見学するのが、効率良い観光のコツです。
ここでは、ウプリスツィヘに訪れるなら絶対に見逃せないハイライトを10か所紹介します!
はじめに:ウプリスツィヘの上手なまわり方
ウプリスツィヘの洞窟住居部分への入口は、階段とトンネルの2か所あり、どちらから出入りしてもOKです。
ほとんどの観光客は、エントランスから近い階段を通って入場し、トンネルを通って退場します。
混雑を避けたいなら、トンネルから入場→階段から退場と他の観光客とは反対方向に周るのがおすすめ。
当記事で紹介している「ウプリスツィヘの見どころ10選」は、トンネルから入場した場合のもの。
敷地内最奥部の⑩ワイナリーからは、⑤メインストリートを戻り、階段を下りて退場すればOKです。
①トンネル
ウプリスツィヘの洞窟住居部分への入口は2か所(トンネル / 階段)あるのですが、のぶよ的におすすめなのはトンネルを通ってアクセスすること。
まるで異世界への入口を思わせる雰囲気は、気分を盛り上げてくれることまちがいなし!
それに加えて、ほとんどの観光客はチケットブースから近い階段を通って洞窟住居部分へと向かうため、団体ツアーの波を避けられるのもメリットです。
②ビューポイント 必見!
トンネルを抜けた先の岩場は、特に名前がついているわけではないものの、おそらくウプリスツィヘ全体で最も素晴らしい景色が見られるビューポイント。
観光のハイライトの一つである「格間の洞窟(③)」と「王子の教会(⑦)」が同時に見え、洞窟住居部分のほぼ全体を一望することができるのです。
多くの観光客はなぜかここまで来ずに帰っていくのですが、のぶよ的には最もウプリスツィヘらしい風景が見られるハイライト中のハイライトだと思います。
③格間の洞窟 必見!
ビューポイントから岩場を少し歩いた先にあるのが、ウプリスツィヘの中で最も見ごたえがある洞窟の一つ、格間の洞窟(Hall of the caissons)です。
器用に岩を削って作られた三角形の屋根が特徴で、神殿を思わせるほどの巨大な建造物。
ウプリスツィヘの洞窟の中で最も古いものの一つであると考えられており、2000年ほど前に掘られたものだそうです。
「格間」とは、「天井やドームなどを格子状のパネルをはめ込んで飾ったもの」を意味する建築用語。
その名を裏切ることなく、天井部分には素晴らしい装飾が施されています。
この洞窟が何の目的で使用されていたのかは定かではないものの、その規模や精密な装飾から「宗教的な目的で使用されていたのではないか」と考えられているそうです。
格間の洞窟からはウプリスツィヘ周辺の大地の風景が見られるので、こちらもお見逃しなく!
④マクヴリアニの洞窟
王子の教会(⑦)の土台となる岩場に掘られた洞窟群の総称がマクヴリアニの洞窟(Makvliani Halls)。
この付近が、2000年前のウプリスツィヘの信仰・祭祀の中心であったと考えられています。
マクヴリアニの洞窟の敷地内に足を踏み入れると、天然の岩を上手に利用して造られたいくつもの部屋の立体構造に感動するはず。
説明書きは一切なく、どの部屋が何に使われていたのかは全くわからないのですが、一つ一つ想像しながらまわるのも面白いと思います。
⑤2000年前のメインストリート
ウプリスツィヘの洞窟住居部分の中心にまっすぐのびる坂道が、2000年前の町のメインストリート。
多くの見どころがこの坂道沿いにあり、観光の際は何度も上り下りすることになるでしょう。
ゆるやかな坂道の途中。立ち止まって目を閉じてみると、かつての人々が行き交う生活音が聞こえてきそう。
2000年の時を経た現在でも、観光客がひっきりなしに行き交うウプリスツィヘのメインストリート。
なかなか静寂に身を包むのは難しいかもしれませんが、チャンスがあればタイムトリップ気分が楽しめるかも!
⑥タマル女王の洞窟 必見!
2000年前のメインストリートを上っていくと、進行方向左手にあるのがタマル女王の洞窟(Hall of Queen Tamar)。
タマル女王とは、13世紀初頭の中世グルジア王国時代の黄金期に国を治めた女性国王のこと。
この場所とタマル女王の間には関係性があるわけではないものの、彼女を讃えてその名を冠したのでしょう。
ウプリスツィヘの中でも最大級の広さを誇るタマル女王の洞窟は、他の洞窟に比べて格段に向上した建築技術が用いられたような印象を持ちます。
きれいな長方形の形に掘られた洞窟と、計算しつくされた天井の装飾にはきっと驚かされるはず!
⑦大聖堂跡
メインストリートをのぼりきった先にある広場のような場所は、かつての大聖堂の跡。
6世紀に建設されたものですが、現在はほぼ廃墟となっています。
一部の壁は曲線を描くように掘られており、この辺りが大聖堂の祭壇部分だったのではないでしょうか。
⑧王子の教会 必見!
月面のような灰色の岩場の風景の中で、ひときわ目立つ建造物が王子の教会(Church of the Prince)。
ウプリスツィヘが第二の黄金期の真っ只中であった9世紀の建造だと考えられており、赤いレンガを積み重ねた外観が、灰色の岩場との美しいコントラストとなっています。
内部は3つの部屋に分かれており、メインとなる礼拝堂部分はかなりシンプルな造り。
かつてはフレスコ画で彩られていたのでしょうが、現在残るのは一部分のみとなっています。
不思議なのが、13世紀~14世紀に幾度となくモンゴル帝国による攻撃を受けて廃墟となったはずのウプリスツィヘで、なぜかこの教会だけが破壊されることなく残っている点。
王子の教会がどうして破壊されなかったのかは、ウプリスツィヘに関するミステリーの一つなのだそう。
ウプリスツィヘが東西ジョージアのちょうど中間に位置する地理的な要所であったため、モンゴル軍はこの地を完全に破壊することはなく、さらに西へ侵攻する際の拠点として利用しました。
王子の教会は、拠点内の倉庫や食糧庫として利用するために残されたのかもしれませんね。
⑨ワイナリー跡
王子の教会からさらに岩場を上った場所には、地面に丸い穴がいくつもあけられた不思議な光景が見られます。
これが、2000年前のワイナリーの跡。
地面の穴は、地中でワインを熟成させるための甕(クヴェヴリ)をおさめるためのものでした。
8000年前から同じ製法で作られる「世界最古のワイン文化」を持つジョージアワインの歴史を考えると、たった2000年前のワイナリーなど比較的最近のもの。
しかしながら、2000年前のワイナリーが現在と同じような造りであることをいざ自分の目で見て理解すると、ジョージアにおけるワインの重要性に感動することでしょう。
⑩(現役の)ワイナリー
2000年前のワイナリー跡から100mほど離れた場所には、(現役の)ワイナリーがぽつりとあります。
こちらは2019年にオープンしたものですが、実際に2000年ほど前のワイン造りの跡が見つかった場所の上に建っているそう。
ワイナリーには数人の係員が常におり、流暢な英語でジョージアのワイン文化について解説してくれました。
5GEL(=¥174)を支払えば、伝統のクヴェヴリワインの試飲も可能です。
のぶよはワインに関しての知識がほとんどないので、味がどうこうとはジャッジできないのが残念…
とはいえ、伝統的なクヴェヴリ製法の琥珀色のワインを嗜みながらの、ウプリスツィヘの月面のような風景とその先に広がる大地のパノラマは、極上の時間以外の何物でもありません。
ジョージアという国の魅力を五感で感じているような、素晴らしい体験でした。
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