こんにちは!アルメニア滞在もいつの間にかもう2ヶ月半、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
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知られざる見どころが点在している、セヴァン湖周辺エリア。
有名なセヴァナヴァンク修道院や、パーフェクトな水質の極上ビーチも素晴らしいのですが、ひと味違うスポットへ足をのばしてみるのもおすすめです。
今回紹介するノラトゥス(Noratus / Նորատուս)は、アルメニアの歴史や文化に興味がある人にぜひ訪れてほしい場所。
ノラトゥスは、セヴァン湖の南西に位置する小さな村。
村の中心に位置するノラトゥス墓地で有名です。
「墓地を見学?」と不思議に思う人もいるかもしれませんが、ノラトゥス墓地はただのお墓ではありません。
9世紀~17世紀の長い間に渡って死者が埋葬されてきた場所で、アルメニア文化の象徴であるハチュカル(石に刻まれた十字架)が800基以上も点在する特別な墓地なのです。
数百年に渡って、この地域の葬送文化の中心となってきたノラトゥス墓地は、「死者の里」と呼ぶにふさわしい雰囲気。
時代によって異なる墓石やハチュカルの装飾を見比べながら、アルメニアの歴史をたどることができるのです。
今回の記事は、アルメニアのハチュカルの歴史とノラトゥス墓地の観光情報について解説するもの。
アルメニアの葬送文化を象徴するハチュカルは、国のどこでも見られるもの。
少しでもその成り立ちを知っておくことで、アルメニアの旅がより深いものとなるはずです!
アルメニアの葬送文化の象徴!「ハチュカル」の歴史にせまる
日本ではほとんど知られていないハチュカル(Khachkar / խաչքար)とは、世界で初めてのキリスト教国であるアルメニアの豊かな歴史と宗教文化を象徴するもの。
長方形に切り取った石に、十字架をはじめとする模様を掘って装飾した「石の十字架」を指し、アルメニアの教会や修道院を訪れると必ず目にする機会があるほどにポピュラーな存在です。
「ハチュカル」とひとことで言っても、地域や時代によってその装飾スタイルは多岐にわたりますが、初めて登場したのは9世紀(1200年前)のこと。
ノラトゥス墓地には、ハチュカル登場以前の古い墓石から17世紀に至るまでの石の芸術作品が数多く点在しており、アルメニアの葬送文化を理解するにはピッタリな場所です。
この項では、ノラトゥス墓地で見られる墓石やハチュカルを軸に、アルメニアの葬送文化の発展の歴史を簡単に解説していきます。
①4世紀~5世紀:地面に直接墓石
アルメニアが世界で初めてキリスト教を国教として認めたのは301年のこと。
当時の埋葬方法は至ってシンプルで、死者の体を収めるための穴を地面に掘り、長方形に切り取った墓石で蓋をするというもの。
墓石には装飾がなされることはほとんどなかったそうです。
キリスト教がアルメニア全土に広がっていくにつれ、木製の十字架が墓地の中心に設置されることも多くなっていきます。
②5世紀~:墓石の装飾の始まり
それまでの「地面に穴を掘り、装飾もしていない石で蓋をする」というシンプルな埋葬方法が大きく変化したのが5世紀~7世紀にかけて(1600年前~1400年前)のこと。
それまでは平べったい石で墓穴に蓋をしていただけだったのが、その場所に眠る死者の存在を示すように、厚みのある四角い石に取って代わられます。
また、それまで盛んに設置されていた木製の十字架は腐敗しやすかったため徐々に使われなくなり、その代わりに、墓石に十字架が直接刻まれるようになっていきます。
その後、墓石には十字架とともに故人の名前や没年月日が刻まれるようになり、それがさらに発展すると、故人の職業や趣味、生前の生活の様などが描かれるようになっていきます ▼
「石に直接装飾を施し、死者を敬う」というこの時代に発展した文化こそが、現在にまで続くハチュカルの起源。
ノラトゥス墓地には、秀逸な装飾が施された当時の墓石が数多く見られるので、当時の人々の生活の様子を想像しながら見学することができます。
③9世紀:ハチュカルの登場
アルメニアで初めてハチュカルが登場したのは、9世紀(1200年前)のことでした。
当時のアルメニアは、数百年に渡って続いたアラブ人による支配から脱却し、キリスト教国・中世アルメニア王国として黄金期を迎えようとしていた時代。
それ以前から根付いていた「墓石に装飾を施す文化」の究極体として完成したのが、ハチュカルでした。
異教徒による支配の脱却と、キリスト教文化の復興のシンボルとしての意味合いが大きかったのでしょう。
9世紀当時は、石の中央に十字架を大きく描いたシンプルなハチュカルが主流でした。
その後12世紀~14世紀にかけては、「ハチュカルの黄金時代」と言えるほど。
装飾技術が大きく向上&デザインもどんどん洗練されていき、秀逸なハチュカルが多く生み出されました。
中心の十字架を囲むようにザクロの実やブドウの木が描かれたり、十字架を模した「命の木」と呼ばれるシンボルが中央に描かれたものが主流となっていきます。
しかし13世紀半ばにモンゴル帝国が襲来すると、アルメニアの中世キリスト教文化は徐々に衰退していくこととなります。
④16世紀~17世紀:ペルシア文化の受容
モンゴル帝国に続き、ティムール朝(現在のウズベキスタン周辺)の侵攻を受けたアルメニア。
キリスト教文化はさらに衰退し、ハチュカルの発展も二百年以上に渡ってストップしてしまいます。
アルメニアで再びハチュカルが盛んに作られるようになったのが、16世紀~17世紀にかけて。
当時はサファーヴィー朝(現在のイラン)の支配下にあったため、ペルシア文化の影響を受けた装飾スタイルが登場します。
現在のノラトゥス墓地には、9世紀~17世紀の異なる時代のハチュカルが混在しています。
装飾スタイルや形が一つ一つ異なるハチュカルは、すべてがアルメニアの豊かな歴史を象徴する存在。
細部にまでこだわり抜かれた傑作の数々は、訪れる旅行者に感動を与えてやみません。
ノラトゥス墓地内の見どころ
ノラトゥス墓地全体の敷地はかなり広大ですが、見学の肝となるハチュカルが点在しているエリアは一か所に集中しているので、40分~1時間ほどの時間をみておけばOK。
残念ながら、敷地内にはどのハチュカルがどんな背景を持つのか等の説明書きは一切ないため、初めて訪れる旅行者にはやや不親切な印象です。
この項では、ノラトゥス墓地見学の際に絶対に見逃したくない見どころをピックアップしています。
ハチュカル
ノラトゥス墓地で最大の見どころが、800基以上あるハチュカル。
9世紀~17世紀の異なる時代のハチュカルが点在しており、一つ一つ装飾が異なっています。
どのハチュカルにもそれぞれ歴史背景や言い伝えがあり、見比べながら散策するのがおすすめ。
ノラトゥス墓地にまつわる数多くの伝説の中で最も有名なものが、1400年に中央アジアからこの地に侵攻してきたティムール朝に関するもの。
ティムール朝の勢力がアルメニアに及ぼうとしていた時のこと。
ノラトゥスの村人は、村の高台に位置する墓地のハチュカルの上にヘルメットをのせ、長剣をたてかけておいたそう。
遠くから墓地を眺めたティムール軍は、ハチュカルを武装した兵だと勘違いし、ノラトゥスへの侵攻を諦めたと言われています。
日本で言う「かかし」のようなアイディアだったのかもしれませんね。
ノラトゥス墓地に数多くあるハチュカルの中でも印象的だったのが、ペルシア風の装飾が施された16世紀末のもの ▼
中央の三つのハチュカルは三角形の帽子をかぶったような独特のデザイン。
これらは、アルメニア人の心の拠り所であるアララト山の二つの山頂と、ノラトゥス墓地から見えるセヴァン湖の波を表したものだと言われています。
墓石の模様
ノラトゥス墓地にはハチュカル以外にも、立派な装飾が施された墓石が多く残っています。
それぞれデザインが異なっていて、死者の職業や生前の生活の様子などが刻まれており、数百年前にこの地に生きた人々を身近に感じることができるかも。
古いものでは千年以上前のものも残っているそうですが、多くの墓石は15世紀~17世紀にかけてのものです。
墓石の装飾はどれも緻密で美しく、昔のアルメニアの人々がどんな生活をしていたのかイメージすることができます。
第一の教会
ノラトゥス墓地の中央に位置する第一の教会は、1714年に建設されたもの。
この地で採れるトゥファ(Tufa)と呼ばれる石が用いられ、薄いピンク色の外壁が印象的です。
教会自体はとても小さく、内部にもこれといったものはありませんが、周囲に立ち並ぶハチュカルとのコントラストがとても絵になります。
19世紀の僧の墓
第一の教会のすぐ隣にあるのが、19世紀にノラトゥス村の修道僧として活躍したTer Avetisi Hovakimiantsという人物の墓。
彼が90歳になった際、「死は恐れるものではない。瓶いっぱいに水を入れて地面に叩きつけて割ってしまえば、恐怖は吹き飛んでしまうものだ。」との言葉を残し、自身を生きたまま埋葬するように命じました。
彼が遺した言葉はノラトゥス村周辺の人々の間に広まり、いつしか彼の墓前でガラス瓶をたたき割るのがこの地域の伝統となりました。
知らずに訪れると、あまりのガラスの破片の多さにびっくりしてしまうでしょうが、これも一つの伝統。
方法が変わろうとも、死者を弔う気持ちは世界中で同じなのかもしれません。
第二の教会
ノラトゥス墓地の東側に位置する第二の教会は、立方体の外観の上にハチュカルが設置された独特のスタイル。
地震によって建物は半壊してしまっていますが、いちおう現役のチャペルとして機能しているようです。
第二の教会内部は、人ひとり入るのがやっとな狭い空間。
ロウソクによる熱で真っ黒に変色した壁に刻まれた無数の十字架が、厳かな雰囲気を演出していました。
ノラトゥス墓地へのアクセス方法
ノラトゥス墓地へのアクセス拠点となるのが、セヴァン湖周辺エリアの二大都市であるセヴァン(Sevan)かガヴァル(Gavar)のいずれか。
いずれの町からも、簡単に日帰りで訪れることが可能です。
ノラトゥス墓地へのアクセス方法は、大きく分けて以下の2通り。
便利なのは①タクシーチャーターですが、②個人でマルシュルートカ利用の場合でも難易度は高くありません。
①セヴァン/ガヴァルからタクシー
最も簡単&効率的な移動手段が、セヴァン中心街 / ガヴァル中心街でタクシーをチャーターしてしまうこと。
・セヴァン~ノラトゥス往復:5000AMD(=¥1114)~
・ガヴァル~ノラトゥス往復:2500AMD(=¥559)~
せっかくタクシーを利用するなら、セヴァン湖周辺の他の見どころもセットでまわってしまうのが効率的。
など、湖周辺には見どころが点在していて、うまく計画すれば1日で制覇することも可能。
チャーター料金は交渉次第となりますが、丸一日で8000AMD(=¥1784)くらいが相場だと思います。
②エレバンから現地ツアー
エレバンを拠点に日帰りでノラトゥス墓地を訪れたい場合は、現地ツアーに参加してしまうのが便利。
ノラトゥス墓地だけでなく周辺のハイラヴァンク修道院も訪れるので、効率的にこのエリアの観光ハイライトをまわることができます!
③ガヴァルからマルシュルートカ
個人でマルシュルートカを利用してノラトゥスへアクセスする場合は、セヴァン~ノラトゥスの直行便は存在しない点に注意。
①セヴァン→ガヴァル間マルシュルートカ
②ガヴァル→ノラトゥス間マルシュルートカ
と、2ステップでのアクセスとなります。
セヴァン湖周辺エリアの近郊マルシュルートカ路線はやや複雑ですが、まとめると以下の通りです ▼
ノラトゥス行きのマルシュルートカは、ガヴァル中心街の広場の南側の交差点から、1時間に1本の頻度で出発しています ▼
赤:セヴァン/エレバン方面マルシュルートカ発着地
ガヴァル~ノラトゥス間のマルシュルートカは、この区間を行ったり来たりするだけのシンプルなルート。
・ガヴァル発:毎正時 (9:00, 10:00, 11:00…)
・ノラトゥス発:毎時30分 (9:30, 10:30, 11:30…)
というスケジュールなので、プランニングの参考にしてください。
注意したいのが、ノラトゥス墓地はマルシュルートカの終点ではない点。
ノラトゥス行きのマルシュルートカは墓地を通り過ぎた先にある村の中心街まで行き、ガヴァル方面に折り返すルートをとります。
上の写真の交差点が、ノラトゥス墓地の最寄りとなるのでお間違えなく。
運転手に「墓地に行きたい!」と言っておけば、この場所で降ろしてくれるはずです。
交差点からノラトゥス墓地まではゆるやかな坂道を100mほど歩くだけです。
おわりに
アルメニアの歴史や文化に興味がある人なら絶対にチェックしたい、ノラトゥス墓地の観光情報を解説しました。
かなりマイナーなスポットではあるものの、その見ごたえば抜群。
ハチュカルと墓石がどこまでも連なる風景は、アルメニア全体でもなかなか見られるものではありません。
ほぼすべてのハチュカルは西向きに立っているため、午前中はかなりの逆光となってしまう点に注意。
写真撮影が目的なら、午後に訪れることを強くおすすめします!
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