【沈没 (ちんぼつ)】:船などが海に沈むこと。転じて、長期で旅行している人間が居心地の良い町や宿に居着いてしまい、離れられなくなることを指すように。沈没中は観光等に精を出すわけではなく、暮らすようにだらだらと毎日を過ごす場合が多い。
まさか、こんなことになるとは思っていなかった。
自分の計画性の無さに、決断力の乏しさに、天性の居座り癖に、改めて驚かされる。
8ヶ月前。秋から冬へと季節が移り変わろうとしていた、11月も終わりのあの日。
もうすでに冷たくなった黒海からの海風を全身に感じながら、予約していた宿にたどり着いた。
あの時は確か、2泊か3泊分だけ予約をしていた。
特にその宿を選んだ理由があったわけではない。一番安い価格帯で掲載されていて写真も悪くないから、なんてよくある話だ。
まさにあの日が、場末宿との出会いだった。
そしてその後8ヶ月に渡って滞在することになるなんて、当時は夢にも思っていなかった。
そもそもどうしてこの宿が「場末」なのか。
建物自体はかなり古いのだが、内装は意外にも綺麗で、掃除だってちゃんとされている。
もっと薄暗くて、お湯さえ満足に出なくて、ソ連時代を絵に描いたような場末の雰囲気の宿なんて、ジョージアにはごろごろありそうなものだ。
この宿が場末たる理由は、場所云々ではなく、この空間に滞在する人たちにこそある。
いつからこの場所に滞在しているのか謎の人たち。
日雇いの仕事で日々食いつなぐトルコ人やアゼルバイジャン人たち。
戦争を逃れてジョージアに来たものの、これからの展望も行くあてもないロシア人たち。
…こう文字にしてみると、なんだかとんでもないワケアリの人たちが集まる吹き溜まりのような場所を想像する人もいるかもしれない。
まあそれもそうだろう。日本での「ホステル」のイメージなんて「タコ部屋」だろうし、やっぱりみんなお金がないから、他人と共同での生活を強いられるホステルに長期滞在しているわけだし。
そう。確かに、場末宿は吹き溜まりだ。
しかしながら、その吹き溜まりは意外にも居心地の悪いものではなかった。
冬のバトゥミは完全なる観光ローシーズンだ。
「黒海目の前のビーチシティー」だけが売りのこの町に、真冬の悪天候が続く時期を狙ってわざわざやってくる旅行者などほとんどいない。
そういうわけで我が場末宿でも、毎日毎日、朝から晩までずっと同じ顔触れの人間と顔を合わせるような日々が続いた。日々旅行者が入れ替わり立ち替わりする「ホステル」というより、中長期で暮らす人々と共同生活をする「シェアハウス」と呼んだ方が正しい状況だった。
場末民(場末宿で暮らす人々をこう呼んでいる)はとにかくみんな暇なこともあり、色々と宿の中で楽しみを見つけて過ごしていた。冬のバトゥミはとにかく雨が多いので、あまり外に出て何かをするという流れにはならなかった。
大鍋で料理を作ってみんなで食べたり、日本人だからと言う理由だけで寿司を大量に作らされたり(「寿司ハラスメント」と呼んでいる)、朝まで飲み明かしたり(2日に1回ペース)、とにかく自堕落でなんの生産性もない毎日。
なんだか、学生の頃を思い出すような日々だ。
あの頃も、こうしていつも同じ顔触れのメンバーと集まってはただ一緒に時を過ごしていたなあなんて、懐かしく思う。
学生の頃ワイワイしていたメンバー達との関係と場末宿の民たちとの関係で一つ大きく異なるのは、場末民たちと自分は国籍が異なることだ。
育った環境がまるで違うから、カルチャーショックのようなものは毎日のようにあったけれど、それがかえって楽しかったりする。
しかしだ。
毎日みんな和気あいあいでファミリー感に包まれて多幸感に満ちた空間で国際交流…!きらきら星~☆という単純な話で済まないのが場末だ。
こうも大人数が同じ空間に一同に会し、しかもみんな他人なわけで、しかもしかもみんな四六時中一緒にいるとなると、どうしてもいざこざやドラマの類が生まれてくる。
やっぱりここは場末だから、ひとつひとつのドラマが結構壮絶だったりする。
他人の食材を勝手に食べる。お金を貸した貸してないの言い合い。政治談議がヒートアップしての喧嘩。窓から荷物を放り投げられ追い出されたイギリス人。深夜まで騒ぎすぎて近所の人に警察を呼ばれたことも一度や二度ではない。
ぱっと思いつくだけでも、場末宿のドラマの頻度は半端ないものがある。まあ、それも含めての「場末感」だと思っているのだけど。
だけど、そうしたドラマの類も含めて、今となっては良い思い出だ。
窓の外は大雨が降りしきる、3月のある晩のこと。
いつものように大量のビールを買って来ては日が暮れる前からみんなで飲みはじめていたのだけど、他愛もない(=とてつもなくくだらない)会話に加わったり、それをBGMのように聞き流したりしながら、ふと思い至った。
「ああ、自分はずっと寂しかったのかもしれない」と。
そもそも、これまでずっと数年に渡って一人ぼっちで旅をしてきた。
ジョージアにはもう数年単位で滞在しているとはいえ、ここにずっといるつもりなど毛頭なかったから、あえてここでの外国人コミュニティーやローカルの輪に入ろうなどと考えたことがなかった。日本人コミュニティーなんて面倒くさいものは論外だ。
一人はやっぱり心地良い。どこまでも自由だ。それを「孤独」と呼ぶ人もいるのかもしれないが、自分にはその「一人旅の孤独」さえもなんだか心地良く感じられてさえいた。
むしろ、一人旅の孤独をうまく飼い慣らしていることが自身のアイデンティティーを形成し、ある種の自信となっていた。
だけど、やっぱり人間は本能的に、他人との関わりやコミュニケーションを求めている生物なのかもしれない。
場末宿での日々は、そんな当たり前のことを気づかせてくれたように思う。
あの冬の場末宿での数ヶ月間は、こんな楽しい瞬間がこれからもずっと続いていくのだろうなんて勝手に思い込んでいたりもした。
そんなこと、あるはずもないって痛いほどに理解しているのに。
いや、いつかこの場末宿での毎日にも終わりが訪れることは、頭のどこかでちゃんと意識していたのかもしれない。
だからこそ、あえてその結末を考えようとせず、日々を満喫することに尽力していた。
季節は、いつの間に変化していた。
4月になり町が新緑に包まれ、5月になり太陽が人々の肌を褐色に塗り始める頃。
場末宿で冬の数ヶ月間を共に過ごした宿泊客たちは一人、また一人と旅立っていった。
見知った背中を見送るたびに「ああ、自分もそろそろ出発しなきゃな」なんて思うのだけど、一度腰を落ち着けてしまったらなかなかそう簡単にいかないものだ。
いつ出発しようか。そもそも場末宿を出てどこに行こうか。なんて考えているうちに、つかの間の春は過ぎ去り、夏がやって来ていた。
いつの間にか、街は薄着の海水浴客であふれ、太陽は大地を焦がし尽くさんばかりにジリジリと照りつける。
夏の場末宿には、いったいどんな人たちがやって来て、どんな歴史が紡がれていくのだろうか。
旅行者の数が爆発的に増える時期だから、きっと面白い人と出会える可能性も高いのだろう。
いっぽうで夏のバトゥミには色々な種類の人間が集まるから、ドラマや喧嘩も絶えないんじゃないか、なんて他人事のように案じる。
もはや「ホーム」と呼んで差し支えない存在となった場末宿に、もう少し居たい気持ちはもちろんある。
旧知の場末民の多くはもうすでに旅立ってしまったとはいえ、まだ馴染みの顔はちらほらあるし、なによりここでの生活は何も気にすることがなくて、とにかく楽だ。
でも、やっぱりもう行かなくちゃ。
楽しい過去の思い出に囚われているだけでは決して前に進めないし、ぬるま湯に浸かっているような日々をずっと送るわけにもいかない。
そしてなによりも、そろそろ旅がしたいから。
この場所が恋しくなったなら、またいつでも戻って来れば良い。
だってもうこの場所はただの宿ではなく、大切な「帰る場所」なのだから。
だから、さらば場末。
青春プレイバックみたいな8ヶ月間、意外と楽しかったぞ。
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