こんにちは!アルメニア滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
エレバンの西30kmほどの場所に位置する、人口3万人ほどの地方都市・エチミアジン(Echmiadzin / Էջմիածին)は、アルメニア人にとって特別な町。
というのも、エチミアジンはアルメニア使徒教会の総本山がある「聖なる都市」であるため。
カトリコスと呼ばれる総主教(カトリック世界で例えると「ローマ法王」のような存在)が現在でも居住しており、「アルメニアのバチカン」なんて表現されることもあるほどです。
その長い歴史と、宗教都市という特別性が認められ、2000年にはUNESCOの世界遺産にも登録されたエチミアジン。
エリア内には教会や建造物がいくつか点在しており、半日~丸一日かけて観光するのが定番となっています。
また、エチミアジン大聖堂の敷地内にある宝物庫には、聖書内に登場するノアの方舟の破片やロンギヌスの槍のオリジナルが保管されている点にも注目。
伝説内に登場するアイテムを実際にこの目で見ることができるのですから…もうすごすぎます。
「初期キリスト教時代の古都」と聞いて思い浮かべるのが、アルメニアに次いで「世界で二番目のキリスト教国」となったお隣のジョージア。
世界遺産の古都・ムツヘタには、多くの古い教会や伝説が息づいています。
多くの旅行者はジョージアとアルメニアをセットで訪れるので、二つの「世界最古のキリスト教国」の建築を実際に見比べることができるでしょう。
同時期に完成した教会一つをとっても、その違いは一目瞭然です ▼
ムツヘタとエチミアジンは、それぞれの国を代表する古都。
そこに残る同時期の教会建築を一目見るだけでも、当時のアルメニアが文化的にどれだけ進んでいたのか理解できます。
(ムツヘタの教会に比べると、エチミアジンの教会の方が装飾や建築技術においてかなり緻密に計算されている)
今回の記事は、エチミアジン観光に必要な情報をまとめたもの。
多くの見どころがやや広い範囲に点在しているエチミアジンは、とにかく見ごたえ抜群。
各スポットにまつわる伝説や歴史をあらかじめ知っておくと、より充実した観光になるはずです!
エチミアジンの歴史
①エチミアジンのはじまりと黄金時代(2世紀~5世紀)
エチミアジンがはじめて歴史の表舞台に登場するのは、紀元後12年(2000年前)に成立した古アルメニア王国時代においてのこと。
120年~330年の210年間、王国の首都として定められ、「ヴァガルシャパット」(Vagharshapat / Վաղարշապատ)と呼ばれていました。
アルメニアは301年に世界で初めてのキリスト教国となったのですが、それ以前は精霊信仰が盛んで、キリスト教は「異教」として迫害の対象でした。
アルメニアがキリスト教国となる十年ほど前(290年頃)に、遥か西方のローマ帝国からやってきたのは、40人の修道女たち。
中でも特別な美貌の持ち主がフリプシメという修道女と、40人のリーダーであったガヤネという人物でした。
フリプシメは、当時ローマ帝国の繁栄を担ったディオクレティアヌス帝による求愛を拒否し、ガヤネを連れてアルメニアへと逃れてきたのですが、当時のアルメニア国王・トルダット3世もまたフリプシメの美貌の虜に。
何度も求愛をしますが、フリプシメはこれを固く拒否します。
自身の求愛を拒否したフリプシメをトルダット3世は許すことはなく、ひどい拷問の末に彼女を殺害。
その遺体は、ヴァガルシャパット東部に埋葬されました。
後にトルダット3世はフリプシメの付き添いだったガヤネにも求愛をしますが、こちらも拒否されます。(どんだけモテないんだ…)
ガヤネもフリプシメと同様に拷問の末に殺害され、遺体はヴァガルシャパット南部に埋葬されます。
残された38人の修道女たちはヴァガルシャパット東部に隠れ住んでいました。
しかしトルダット3世によって隠れ家が見つかってしまい、その場で全員が殺害されます。
40人の修道女全員を殺害したあと、病に伏したトルダット3世。(おそらく祟りに違いない)
国王を病から奇跡的に救ったのが、「異教を広めている」としてホル・ヴィラップ修道院の地下牢に13年間幽閉されていた啓蒙者グレゴリウスでした。
グレゴリウスが見せる奇跡に感動したトルダット3世は、ヴァガルシャパット郊外に位置するズヴァルトノッツで洗礼を受け、キリスト教徒に改宗。
301年には、古アルメニア王国の国教としてキリスト教を承認することとなります。
キリスト教の国教化を受け、「ヴァガルシャパット」と呼ばれていた当時の首都は、町の中心部に建設されたエチミアジン大聖堂の名をとって「エチミアジン」と呼ばれるように。
アルメニア使徒教会の最高指導者であるカトリコスの居住地となったのもこの頃からです。
②中世初期:3つの教会の建設(7世紀)
キリスト教が国教となってから300年が経った7世紀のこと。
当時のカトリコス(アルメニア使徒教会における最高指導者)によって、ローマ帝国出身の40人の修道女たちが殺害・埋葬された場所に3つの教会が建設されました。
およそ1700年前、トルダット3世によって殺害された修道女たちの墓の真上に教会が建てられ、それが現在にまで残っているのですから…どれも信じられないほどの歴史的価値がある場所だと思います。
③衰退~復活(8世紀~20世紀)
428年に古アルメニア王国はペルシア帝国の支配下に入り、エチミアジンの重要性はだんだんと低下していたのですが、衰退が決定的となったのは8世紀頃のアラブ人による侵攻。
それ以降はずっと異民族による侵攻&支配を受け続けたアルメニア。
古アルメニア王国の首都であったエチミアジン(ヴァガルシャパット)は1200年以上もの間、かつての栄光が嘘のように忘れ去られた存在となります。
この町が再び息を吹き返したのは、意外にもソ連統治時代のこと。
1953年のスターリンの死後、長い歴史とアルメニア人にとって町の重要性がソ連中央政府に認識され、エチミアジンは大規模な開発の対象に。
町の中心に位置するエチミアジン聖堂とその敷地内の建物も、全てリノベーションされます。
現在のエチミアジンは、アルメニア使徒教会の最高指導者・カトリコスが居住し、現役の聖地として機能する宗教都市。
まるで結界に守られた聖域を思わせるほどに神聖な雰囲気が漂うエチミアジン聖堂の敷地内。
「アルメニアのバチカン」という表現も、あながち言い過ぎでもないように思えます。
エチミアジンの名称問題
ソ連時代には「エチミアジン」の名が正式名称と定められたものの、独立後は一転。
1900年前の古アルメニア王国時代の名前である「ヴァガルシャパット」が正式呼称に戻されます。
しかし現在でも、聖堂の名前からとった「エチミアジン」と呼ぶ人がほとんど。
旅行者的には、同じ町なのに二つの名前が存在するというややこしい事態になっています。
※当記事内では、現地でよりポピュラーな「エチミアジン」で統一しています。
エチミアジンの見どころ
エチミアジン観光マップ
エチミアジン大聖堂敷地内の見どころ
エチミアジンが「聖なる都市」と呼ばれる理由が、アルメニア使徒教会の総本山にあたるエチミアジン大聖堂の存在。
聖堂を中心に整備された広大な敷地には、大小さまざまな教会や聖職者たちの生活スペースの建物がずらりと並んでいて、圧巻のひとことです。
カトリコス(総主教)が居住する建物や、ロンギヌスの槍やノアの方舟の破片が保管されている宝物庫もこの場所にあります。
エチミアジン大聖堂 世界遺産
「聖なる都市」の中心的存在であるエチミアジン大聖堂(Echmiadzin Cathedral / Սուրբ Էջմիածին)は、広大な敷地の中央に位置しています。
オリジナルの建物は、アルメニアがキリスト教国となった直後の303年に完成したもの。
この場所には、もともと精霊信仰時代の神殿が建っていましたが、それを取り壊した跡地に建てられました。
これは、精霊信仰からキリスト教国への変容を印象づけるためだったそう。
オリジナルの建物は中世に崩壊してしまい、現在の建物は1441年に再建されたものです。
外壁にはさまざまなレリーフが掘られ、内部のドーム型天井のフレスコも素晴らしいんだそう。
しかし…のぶよが訪れた2021年7月現在、大聖堂は大規模な補修工事中。
聖堂内部はおろか、建物に近寄ることすらできませんでした。残念すぎる…
補修工事は2022年夏頃に終了予定とのことなので、それ以降に訪れた人はどうか、のぶよの分まで聖堂の美しい外壁&内装を堪能してください…!
宝物庫
エチミアジン大聖堂観光の際に絶対に立ち寄りたいのが、敷地の西側にある宝物庫(Manoogian Treasury)。
ミュージアムのようになっており、入場料が1500AMD(=¥343)かかりますが、その価値はあります。
なぜなら、聖書内に登場する「ロンギヌスの槍」と「ノアの方舟(の破片)」が、まさにこの場所に保管されているからです。
宝物庫があるのは、チケット売り場兼ショップがある入口とは別の建物。
チケットを購入→自由にアクセス というわけではなく、宝物庫がある建物までの200mほどの距離は職員に付き添ってもらわなければなりません。
というのも、宝物庫が位置するのはカトリコス(最高指導者)や位の高い聖職者が現役で居住する宮殿スペースであるため。
「聖なる都市」エチミアジンの中でも、神聖of神聖なエリアなのです。
もちろん、この宮殿スペースでの写真撮影は厳禁。(宝物庫の館内は撮影OK)
いわば「見張り」のような感じで付き人がつくのでしょう。
というわけで写真には残っていませんが、記憶にはちゃんと残っています。
すごいですよ。カトリコスの居住エリア。
立派なたたずまいの宮殿と、美しく整備された庭園…
信者でなくとも、背筋が勝手にピンとのびるような厳かな雰囲気でした。
こればかりはぜひ、実際に訪れて自分の肌で感じてほしいです。
宝物庫の建物は二階建ての立派なものですが、見学可能なのは一階部分のみ。
アルメニア使徒教会に関するさまざまな展示品がありますが、目玉となるのは二つ。
一つ目が、ノアの方舟の破片です ▼
ノアの方舟とは、旧約聖書内に登場する大洪水の際にノアとその家族が乗った木舟のこと。
大洪水は平野部の全てを覆いつくし、方舟に乗ったノア達が命からがらたどり着いたのがアララト山(現在はトルコ領)であったとされています。
アルメニア人にとってアララト山が神聖なものであるのは、このノアの方舟伝説にまつわる地であるからなのですね。
神話内に登場する方舟の破片を目の前にすると、何とも言えない感動が…
こんなものが現存しているなんて、ものすごいことだと思います。
宝物庫内の展示でもう一つ見逃せないのが、ロンギヌスの槍 ▼
ロンギヌスの槍とは、イエス・キリストが磔の刑に処された際に、彼が絶命したかどうか確かめるために脇腹を刺したとされる槍のこと。
実際に槍を刺したローマ兵の名をとって、このように呼ばれています。
イエス・キリストの弟子であったヨハネによって、聖地エルサレムからアルメニアに持って来られたとされるロンギヌスの槍。
当初はゲガルド修道院に保管されていたものが、現在はエチミアジンの宝物庫内に展示されているのです。
ここまで書いておいてアレなのですが、実はキリスト教社会ではこうした聖遺物はいくつも存在しています。
どれが本物なのか…そもそも伝説は本当にあったことなのか…などの議論はやんでおらず、エチミアジン宝物庫内の方舟の破片や槍に関しても同じことが言えます。
とはいえ、実際に自分の目で見てみると、並々ならぬパワーを秘めたものであることは一目瞭然。
「信じる者は救われる」と言いますし、ここは信じておいた方が感動が増すのでは?と思います。
聖アスドヴァツァジン教会
大聖堂の北側に位置する、新しくモダンなデザインの建物が聖アスドヴァツァジン教会(Saint Asdvatsazin)。
曲線美と直線美が融合した外観はとても素晴らしく、外壁に施された繊細な彫刻が目を引きます。
内部はかなりシンプルな印象ながら、こちらも直線美と曲線美が見事。
お祈りに訪れた人々で賑わっていました。
聖天使教会
大聖堂エリアの北側の入口付近にある、巨大な塔のような建物が聖天使教会(Church of the Holy Archangels / Սրբոց Հրեշտակապետաց եկեղեցի)。
2011年に完成したばかりの新しい教会で、それまでのアルメニアの教会建築とは全く異なったスタイリッシュな構造が目を引きます。
こちらも内部はかなりシンプル。
円形の屋根に設置された天窓から光が差し込み、明るい雰囲気が感じられます。
聖グレゴリウス門
大聖堂エリアの東側の入口であり、メインのエントランスとなっているのが聖グレゴリウス門。
もはや前衛的すぎて何を表現しているのかわからないほどですが、門の上部に施された彫刻はお見逃しなく ▼
ここに描かれている二人の人物は、301年にキリスト教を国教として認めたトルダット3世と、アルメニアでのキリスト教布教に尽力した啓蒙者グレゴリウス。
それぞれが真ん中の十字架に手をかざそうとする姿が描かれ、1700年前のキリスト教の受容がテーマとなっています。
エチミアジンのその他の教会
エチミアジン大聖堂の敷地外には4つの教会が点在しており、そのうち2つは世界遺産となっています。
どれもエチミアジン大聖堂から徒歩でのアクセスが可能ですが、聖フリプシメ教会とショカガト教会まではやや距離があります。
タクシーを利用するか、エレバン行きの203番バスを利用して聖フリプシメ教会前で途中下車するのも◎
聖ガヤネ教会 世界遺産
エチミアジン大聖堂の南側に位置するのが、世界遺産の聖ガヤネ教会(Saint Gayane Church / Սուրբ Գայանե եկեղեցի)。
ドーム型天井を持つ聖堂部分は630年の建造で、聖堂正面の門は17世紀になって増設されたものです。
「エチミアジンの歴史」の項で解説した通り、聖ガヤネ教会が建つのは、およそ1700年前にこの地にやってきた40人の修道女たちのリーダーであったガヤネが拷問・殺害された場所。
教会の地下部分には聖ガヤネの棺が安置されており、旅行者でも見学することが可能です。
教会内部へと一歩足を踏み入れると、窓から差し込む自然光が照らす空間の神聖さに息を呑みます。
繊細な印象の外観とは対照的に、アルメニアの教会らしいシンプルな石造りの内装が特徴的です。
祭壇の下部には石を削って描かれた十字架やぶどうの木などのモチーフが並んでいて圧巻。
キリスト教徒でなくとも、何か神聖なものの存在を信じたくなる厳かな雰囲気に圧倒されます。
聖フリプシメ教会 世界遺産
エチミアジンにあるもう一つの世界遺産の教会が、聖フリプシメ教会(Saint Hripsime Church / Սուրբ Հռիփսիմե եկեղեցի)。
聖ガヤネ教会より12年前の618年に完成したもので、現存する中では世界で最も古い時期のキリスト教建造物の一つとされています。
十字架の形をした教会内部へと立ち入ると、この地域でとれる黒っぽい火山岩で統一された内装に心を奪われます。
1400年前の建造とは思えないほどに、繊細ながらも頑丈な教会内部の造り。
これは当時の最先端の建築技術が集約されたもの。
地震多発地帯であるアルメニアでは、古くから建物の耐震性が大きな課題となっていました。
教会内の円柱型に造られた角の部分は、強い揺れに耐え抜けるように工夫されたものだそうです。
聖フリプシメ教会で見逃せないのが、聖フリプシメが眠る棺があるクリプト。
祭壇脇の地下通路からアクセスすることができ、最奥部は小さな洞窟のような空間となっています。
「エチミアジンの歴史」の項で解説した通り、聖フリプリメは290年頃にアルメニアへやって来た修道女。
国王・トルダット3世の求愛を拒否し、拷問の末に殺害されるという運命をたどった人物です。
1700年以上前の人物が眠る小さなクリプト内は静謐で厳かな雰囲気。
言葉では言い表せないほどのパワーに満ちているような気がしました。
ショガカト教会
聖フリプシメ教会から徒歩5分ほどの場所に建つのが、ショガカト教会(Shoghakat Church / Շողակաթ եկեղեցի)。
エチミアジンの他の教会と同様に7世紀の建造ですが、オリジナルの建物は残っておらず、現在の建物は17世紀になって再建されたものです。
ショガカト教会は、1700年前にローマ帝国から逃れてきた40人の修道女のうち、フリプリメとガヤネを除く38人の修道女たちが隠れ住んでいた場所とされています。
「エチミアジンの歴史」の項で解説した通り、彼女たちの居場所はトルダット3世に見つかってしまい、全員がその場で殺害されるという運命をたどりました。
聖母マリア教会
エチミアジン聖堂の敷地の北側に位置する聖母マリア教会(Holy Mother of God Church / Սուրբ Մարիամ Աստվածածին)は、18世紀建造の比較的新しい教会。
エチミアジンの他の教会とは異なり、アルメニアがキリスト教国となった約1700年前の歴史に関係した場所ではなく、主に住民たちの日常的な祈りの場所として機能しています。
エレバン方面へのマルシュルートカが発着するエチミアジン中心街からすぐの場所にあるので、時間に余裕があるなら立ち寄ってみたい場所です。
エチミアジンへのアクセス・行き方
エチミアジンは、首都エレバンから西に15kmほどしか離れていないので、ほとんどの旅行者にとってエレバンからの日帰り観光が定番。
エレバン~エチミアジン間のアクセス方法は、大きく分けて3通りあります。
予算や都合に合ったものを選ぶのがポイントです!
①タクシー
最も簡単&効率的な移動手段が、エレバンでタクシーをチャーターしてしまうこと。
エレバン~エチミアジン間の単純往復 + 各教会間の移動 + 観光時の待機時間で、1台7000AMD(=¥1593)ほどが料金相場です。
のぶよ的には、せっかくタクシーをチャーターするならエチミアジンの近くにある世界遺産・ズヴァルトノッツ聖堂もセットでまわるのが効率的だと思います。
ズヴァルトノッツとエチミアジンをセットでまわる場合のタクシーチャーター料金の相場は、1台10000AMD(=¥2266)~ですが、交渉次第で上下します。
②現地ツアー
1日で効率的にズヴァルトノッツとエチミアジンをまわりたいなら、現地ツアーに参加してしまうのもおすすめ。
アルメニアは小さな国土に見どころがギュッと詰まっているものの、公共交通機関がやや不便なのがネック。
移動を考えなくて良い&リーズナブルな現地ツアーは、一人旅の人にとっても便利です。
③マルシュルートカ
エチミアジンは個人でマルシュルートカ利用でのアクセスも可能。
エチミアジン行きのマルシュルートカは100%ズヴァルトノッツを経由するので、個人でこれら二つの見どころを組み合わせてまわることも可能です。
ここでは、個人でエチミアジンへアクセスする人向けに、マルシュルートカでのアクセス情報をできる限り詳細に解説していきます。
エレバン→エチミアジン方面(往路)
【①キリキア(セントラル)・バスステーションへ行く】
エレバン発着のマルシュルートカでややこしいのが、行き先によってバスターミナルが異なる点。
ズヴァルトノッツ経由エチミアジン行きのマルシュルートカが発着するのが、エレバン中心街の西に位置するキリキア・バスステーション(Kilikia Bus statuon / 「セントラル・バスステーション」とも呼ばれる)です ▼
エレバン中心部とキリキア・バスステーションは2.5kmほど離れています。
歩けないこともないですが、市内路線バスや市内マルシュルートカを利用するのがスムーズ。
【②エチミアジン行き203番マルシュルートカに乗る】
キリキア・バスステーションに着いたら、エチミアジン行きの203番マルシュルートカを待ちます。
203番マルシュルートカは、エレバン~エチミアジン間を行ったり来たりするルートで、10分に1本はバスステーションの敷地内に停車するので便利。(幹線道路沿いのバス停ではないので注意!)
運賃の300AMDは、下車時に運転手に直接払えばOKです。
【③エチミアジン中心街で下車】
出発から30分ほどで、マルシュルートカは終点のエチミアジン中心街に到着します。
このバス停からエチミアジン大聖堂までは徒歩5分ほど。
その他の教会へも徒歩でのアクセスが可能です。
エチミアジン→エレバン方面(復路)
エチミアジン観光後にエレバンへ直接移動する場合は、行きで降りたエチミアジン中心街のバス停からエレバン行きの203番バスに乗車するだけ。
10分に1本の割合で出発しており、常に数台のマルシュルートカが待機しているので、とても簡単に利用できます。
エチュミアツィン→ズヴァルトノッツ間の移動
エチミアジン観光後にズヴァルトノッツ聖堂へ移動する場合も、エチミアジン~ズヴァルトノッツ~エレバン間を走る203番バスを利用します。
アルメニアのバスあるあるなのですが、途中で乗車/下車しようともフルの運賃を支払わなければならない場合が多いです。(この区間の場合、300AMD)
エチミアジン~ズヴァルトノッツ間の移動なら100AMDだけで良いと言ってくれる運転手もいますが、これはおまけみたいなもの。
基本は、エチミアジン~エレバン間のフル運賃である300AMDを支払うと考えておきましょう。
エチミアジン観光のアドバイス
エチミアジン観光に必要な時間
エチミアジン観光には、最低でも半日ほどの時間をみておきましょう。
各スポットの見学に必要な時間こそ、それぞれ30分~1時間ほどですが、とにかく見どころが多い&やや広い範囲に分散しているため、全部制覇するとなると意外と時間がかかるのです。
エチミアジン近郊にある世界遺産・ズヴァルトノッツ大聖堂の見学(所要1時間)とセットで、丸一日かけたデイトリップを計画するのがベストだと思います。
おすすめの時間帯・曜日・季節
世界遺産であるエチミアジンは、エレバンから簡単にアクセスできることもあり、人気の観光スポットとなっています。
しかしながら、見どころが分散しているため、そこまで混雑することはない印象。
どの時間帯でもゆっくりと観光することができます。
日曜日は礼拝に訪れる地元の人も多いので、平日に比べると人の数は多くなるでしょう。
エチミアジン観光におすすめの季節は、アルメニアの他地域と同様に春と秋。
夏は40℃越えの日も珍しくないほどの灼熱 / 冬はマイナス10℃以下の極寒の日が続くため、観光するのはなかなか大変です。
服装・持ち物
アルメニアの宗教施設はあまりドレスコードに厳しくない場所が多い印象で、エチミアジンの教会群も服装の規定はかなり緩め。
とはいえ、こうした宗教施設では、表示されていようがなかろうが服装の規定がを守るのがマナーです。
・男性:長ズボン/肩が隠れるシャツ/踵がある靴
・女性:男性の規定 + 髪を隠す布
「みんな守っていないから良いや」ではなく、他文化へに対する最低限のリスペクトとして守るのがスマートだと思います。
食事や飲み物に関しては、エチミアジン中心街の至る所に食堂や商店が点在しているので、あまり考えすぎなくてもOK。
エレバンから手ぶらで訪れても問題ないと思います。
おわりに
キリスト教国・アルメニアに暮らす人々の精神的な支えとなる町・エチミアジンの観光情報を解説しました。
エレバンからのデイトリップ先としても定番なので、アルメニア旅行中に一度は訪れる人も多いのではないでしょうか。
エチミアジン大聖堂の敷地内の神聖な雰囲気や、聖書内に登場するアイテムの数々、点在する世界遺産の教会群…事前知識なしでも感動すること間違いなしです。
しかし、この地の歴史を知っているとさらに観光が充実したものとなるはず。
アルメニアに点在する数々の美しい修道院の歴史にも深く関わりがある場所なので、ぜひ事前に知っておくことをおすすめします!
コメント
203番のマルシュルートカの始点はマシュトツ通りが右に曲がってKoryun通りと名前を変えたところの北側のようです。私も行きはキリキアの前庭に停まっていた203番に乗りました。帰りはまだ先まで行くのでそのまま乗っていたら上記の場所が終点ですでに2台の203番がいました。ここ始発ならマシュトツ通りのバス停でも乗れると思います。