こんにちは!二回目のアルメニア滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
アルメニア観光においては、各地域の修道院を訪問するのが最大の目玉の一つ。
山がちな国土全域に点在する歴史ある修道院の数々は、世界最初のキリスト教国らしい威厳と神聖な雰囲気に満ちた傑作ばかりです。
アルメニアの修道院には立地にこだわって建設されたものが多いのですが、全国でも屈指の秘境感と異世界感にあふれた風景を見せてくれるのが、ノラヴァンク修道院(Noravank / Նորավանք)です。

ノラヴァンク修道院が位置するのは、アルメニア南部のヴァヨツ・ゾール地方(Vayots Dzor)。
訪れる旅行者が少ないアルメニア南部エリアの中では最もエレバンに近い場所に位置しており、「南部には行かないけれどノラヴァンク修道院にだけは行く」という旅行者も少なくありません。
この場所が多くの人々の注目を集める最大の理由が、その独特のロケーション。
グニシク渓谷(Gnishik Valley)と呼ばれる深い谷間に延々とのびる道の最果てに位置する聖地は、切り立った崖を背景に、この世の風景とは思えないようなファンタジー感を放っているのです。


まるでCGのような風景ばかりが有名なノラヴァンク修道院ですが、その歴史も確かなもの。
12世紀初頭の中世キリスト教黄金時代にひらかれたこの聖地は、当時アルメニア南部を支配し栄光の歴史を謳歌したオルベリアン一族の栄枯衰退の足跡を象徴する場所なのです。

というわけで今回の記事は、ノラヴァンク修道院の観光情報を徹底解説するもの。
歴史や見どころはもちろん、個人でアクセスする方法もしっかりと説明します。
個人ではなかなかアクセスしづらいノラヴァンク修道院ですが、到達した際の感動は何にも代えがたいほどに大きなものとなるはず。
エレバンからの往復でも十分に訪れる価値がありますし、アルメニア南部エリア旅のスタート地点としてもおすすめです!
ノラヴァンク修道院の歴史

ノラヴァンク修道院は、今からおよそ900年以上前に開かれた聖地。
敷地内に残る建物の多くはその少し後、13世紀~14世紀に建設されたものです。
ノラヴァンク修道院の歴史を語る上で切っても切れないのが、オルベリアン一族の存在とモンゴル帝国の襲来。
中世アルメニア王国が崩壊し、異民族の侵入による戦乱と激動の時代においても、聖地としての威厳をひたすらに守り抜いてきた「斜陽の時代の聖地」らしい栄枯衰退を感じましょう。
ノラヴァンク修道院の歴史①1105年:ノラヴァンク修道院の完成

ノラヴァンク修道院が建立されたのは、今からおよそ900年前の1105年のこと。
当時、アルメニア最南部地域で別の修道院のトップを務めていたホヴァネス卿(Bishop Hovhannes)によって開かれたのがはじまりです。
12世紀初頭当時のコーカサス地域の南側では、中央アジアのイスラム王朝であるセルジューク朝の脅威に常にさらされていました。
セルジューク朝の攻撃を受けやすいアルメニア最南部地域よりも、やや北に位置していて脅威が薄め&深い谷間の最奥部に隠れるような立地が注目され、この場所が選ばれたのかもしれません。

1105年にノラヴァンク修道院が開かれると、ホヴァネス卿の呼びかけに従った修道僧が多くこの地に移動し、居住するようになります。
ホヴァネス卿の先見の明は確かなものだったようで、ノラヴァンク修道院完成と時を同じくしてセルジューク朝は弱体化し、分裂していきます。
南からのイスラム勢力の脅威が薄まったことを背景に、この後200年ほどに渡るノラヴァンク修道院の黄金時代が始まります。
ノラヴァンク修道院の歴史②12世紀半ば:オルベリアン一族の居住地に

12世紀~14世紀まで200年間に渡るノラヴァンク修道院の黄金時代を担ったのが、オルベリアン一族(Orbelian/Օրբելյան)の存在でした。
オルベリアン一族とは、12世紀に中世ジョージア王国(現在のジョージアとアルメニア北部地域)で政治に強い影響を持っていた一族のこと。
出自は現在のジョージアであるものの、民族的にはアルメニア系だったとされていいるオルベリアン一族。
11世紀~12世紀初頭の中世ジョージア王国の黄金期初期の時代を影で支えたことで知られており、現在のジョージアにもジョージア語風に「オルベリアニ」と呼ばれる見どころや旧跡が多く残っているほどです。

オルベリアン一族はノラヴァンク修道院を居住地としたことでも知られ、巨万の富を背景に敷地の整備が進められます。
ノラヴァンク修道院の歴史③13世紀前半:モンゴル帝国の襲来による破壊

ノラヴァンク修道院の完成から70年ほど。
12世紀後半~13世紀前半のアルメニア地域は、北隣の中世ジョージア王国の支配下に置かれ、キリスト教文化の黄金時代にありました。
そんな状況が大きく変化することとなったのが、1238年にアルメニア地域に襲来したモンゴル帝国。
アルメニア地域では多くの修道院が徹底的に破壊されてしまい、ノラヴァンク修道院もオリジナルの建物は全て灰に帰してしまいます。
その後、モンゴル軍は北のジョージアへと進んで、破壊の限りを尽くしていきます。
ノラヴァンク修道院の歴史④13世紀後半:ノラヴァンク修道院の再建

モンゴル軍によって徹底的に破壊されたノラヴァンク修道院でしたが、実は真の黄金時代はここから始まります。
13世紀半ば頃から、アルメニア・ジョージア地域ではモンゴル帝国の支配に対する蜂起が起こるようになっており、蜂起のたびにモンゴル軍による報復で再び攻撃を受けて荒廃し…という、終わりの見えない地獄のような時代が続いていました。
そんな中、ノラヴァンク修道院の歴史を大きく変えたのが、オルベリアン一族の皇太子・スムバト(Smbat)でした。
彼は、当時のアルメニア・ジョージア地域で頻繁に発生していたモンゴル支配への蜂起に加わらず、オルベリアン一族の権力化にあったアルメニア南部地域だけはモンゴル帝国と友好的な関係を築いていたのです。
スムバトの姿勢をモンゴル帝国は大きく評価し、なんとモンゴル帝国と密約を交わすことに成功するまでに。
この密約によって、オルベリアン一族の影響下にあったアルメニア南部地域だけは破壊された教会や聖堂の再建が許可され、ノラヴァンク修道院の再建も進められたのです。
現在のノラヴァンク修道院に残る3つの聖堂は、すべてこのスムバトによる密約の後の時代に建造・再建されたものです。
当時、ノラヴァンク修道院の再建において重要なカギを握った人物が、モミク(Momik)と呼ばれる彫刻家でした。
当時オルベリアン一族の影響下にあった地域では知らぬ者はいないほどに、腕の良い職人だったモミク。
現在の修道院の敷地内にも、彼が削ったハチュカル(石の十字架)が残されており、その緻密さには驚かされます。

また、当時再建されつつあった聖母教会の外壁に刻まれた彫刻も、ほぼ全てモミクの担当。
細かいディテールにまでこだわりぬかれた彼の美意識は、700年が経った現在でも壁に染みついているかのようです。
ノラヴァンク修道院の歴史⑤14世紀半ば:ティムール朝の襲来と黄金時代の終焉

オルベリアン一族による機転の利いた密約によって、モンゴル帝国襲来という大危機を乗り越えたノラヴァンク修道院。
敷地内の聖堂や教会の再建も完了し、再びキリスト教の黄金時代を謳歌しようとしていたところで、またもや脅威が訪れます。
その脅威が、14世紀半ばに中央アジアのウズベキスタン一帯から襲来したティムール朝。
アルメニア地域では破壊の限りが尽くされ、ノラヴァンク修道院も甚大な被害を受けます。
しかしながら、この時のオルベリアン一族には、新たに襲来した異民族と密約を交わすだけの権力も財力も残っていなかったよう。
また、北隣のジョージア王国の黄金時代もすでに終焉しており、頼れる権力が存在しないオルベリアン一族は四面楚歌の状態でした。
こうして、アルメニア地域はティムール朝によって陥落してしまい、中世キリスト教文化の黄金時代は終焉することに。
オルベリアン一族は歴史の表舞台から姿を消し、聖地としての機能を失ったノラヴァンク修道院はその後数百年間人々に忘れ去られることとなります。
ノラヴァンク修道院の見どころ
ノラヴァンク修道院の敷地内にある建造物は、以下の3つ。
これら3つの教会を見学し、④ハチュカルと⑤絶景ポイントに足を運ぶのが、ノラヴァンク修道院観光の流れとなります。
敷地はそれほど広くなく、観光に必要な時間は1時間ほどみておけばOK。
異世界感漂う聖地の歴史浪漫と、こだわり抜かれた装飾の数々の美しさを存分に感じましょう!
①聖母教会

ノラヴァンク修道院においてひときわ目を引く建造物が、聖母教会(Surb Astvatsatsin Church / Սուրբ Աստվածածին եկեղեցի)。
完成は1339年のことで、オルベリアニ一族の皇太子ブルテル(Burtel)の命によって建設されたものです。
ノラヴァンク修道院の聖母教会の造りは独特で、小さな長方形の敷地に三層構造の縦長の建物が建つもの。
最上部が鐘楼、二階部分がメインの礼拝堂スペース、そして一階部分がオルベリアン一族の霊廟となっています。


まず驚かされるのが、聖堂正面部分に施された装飾の素晴らしさ。
これらは全て、オルベリアン一族お抱えの彫刻家・モミクによる作品です。
ノラヴァンク修道院の外壁や内壁に施された装飾のほぼ全てを担当したモミクですが、この聖母教会の正面ファサードが人生で最後の作品となったそう。
細かなところまでこだわり抜かれたディテールの数々に、思わず息を呑みます。

▲聖母教会の正面ファサードのレリーフには、聖母マリアとキリストの姿が描かれていますが、注目したいのは空いたスペースに刻まれた文字のようなデザイン。
これらは全て、筆記体のように崩した状態のアルメニア文字です。
聖母教会が建設された14世紀初頭は、アルメニアがモンゴル帝国による破壊と支配を経験した直後の時代。
ここノラヴァンク修道院をはじめとするアルメニア南部地域では、オルベリアン一族がモンゴル帝国と密約を交わすことで、宗教施設の再建が進められた時期にあたります。
アルメニアではもともと、教会の壁にその地の歴史や出来事を文字で刻んで後世に伝える文化が古くから根付いていました。
そこで、再び外敵がやって来た際に文字が消されて歴史が途絶えてしまわぬように、崩した状態のアルメニア文字を暗号のようにバラバラに散りばめることで、この地の歴史を後世の人々に残そうとしたのだそうです。斜陽の時代だからこその歴史浪漫がむんむん…


聖母教会のメインの礼拝堂スペースは、外付けの階段を上った先の二階部分。
しかし現在では、一般人の二階部分への立ち入り&階段を上ることは許されておらず、一階の半地下のようなスペースが祈りの場としての機能を備えています。▼

一階部分は半地下のような空間になっており、外から見るよりもだいぶ広い印象。
真っ黒な石で統一された空間を、礼拝に訪れた人々が灯した蝋燭の炎だけがぼんやりと照らし、とても幻想的な雰囲気です。


聖母教会の一階部分は、オルベリアン一族の霊廟として建設されたもの。
地面には長方形の形をした墓石がいくつも並び、そのうちの一つは聖母教会の建造を命じたブルテル皇太子のものです。
②聖カラペト教会

現在のノラヴァンク修道院においてメインの祈りの場として機能しているのが、聖カラペト教会(Surb Karapet Church/Սուրբ Կարապետ եկեղեցի)。
完成は1227年のことで、ノラヴァンク修道院に現在残る三つの建造物の中で最も古いものです。
聖カラペト教会が完成した13世紀前半というのは、まさにアルメニアの激動の時代の直前のことでした。
完成からおよそ10年後の1238年に、アルメニア一帯にモンゴル帝国が襲来し、ノラヴァンク周辺もその支配下に置かれます。
聖カラペト教会で最も印象的なのが、聖堂に併設されたガヴィト(拝廊)。
ガヴィトとはアルメニア教会に独特の建造物で、メインの聖堂に立ち入ることが許されなかった人たち(洗礼を受けていない/身分が低いetc…)でも祈れるように設置されたものです。▼

聖カラペト教会のガヴィト(拝廊)は、メインの聖堂の完成よりも30年ほど後の1261年のこと。
当時のアルメニア地域はすでにモンゴル帝国の支配下にあり、ノラヴァンク周辺ではオルベリアン一族とモンゴル帝国間で結ばれた密約によって宗教建造物の建造が許可されていました。
そんなモンゴル支配下ど真ん中の時代に建造されたのが、こちらの聖カラペト教会のガヴィト(拝廊)。
当時のモンゴル軍の影響力を反映してなのか、ガヴィトの上部に描かれたキリストの顔の造形が、どこか東洋の民族の雰囲気を纏っているのが特徴です。


圧巻の正面ファサードからガヴィト(拝廊)の内部に入ると、なんとも幻想的な空間が広がっています。▼

黒っぽい石で統一された内壁には、曲線を描いたアーチがいくつも施され、無骨ながらも優雅さが醸し出された雰囲気。
天井に空けられた穴から差し込む自然光だけが、ガヴィト(拝廊)の内部を優しく照らしています。
内壁には秀逸なレリーフやハチュカル(石の十字架)がたくさん設置されており、なんとも言えない神聖さに鳥肌が立ちます。


そして、ガヴィトの床部分には数十基の墓石がずらりと並び圧巻。
すべての墓石の下でオルベリアン一族の人々が眠っており、中にはモンゴル帝国と密約を交わすことでアルメニア南部地域を救ったスムバト皇太子の墓石もあります。

ガヴィトの先にはメインの聖堂が併設されており、こちらの内壁には装飾などは施されておらずやや地味な印象。▼

メイン聖堂はかなり狭いですが、この場所が現在のノラヴァンク修道院における祈りの場の中心。
修道僧たちの姿も見られ、なんとも言えない神聖な空気が存分に感じられます。
③聖グリゴル教会

②聖カラペト教会に併設されるように建つ聖グリゴル教会(Surb Grigor Chapel/Սուրբ Գրիգոր մատուռ)は、知らなければ通り過ぎてしまうほどの目立たない外観。
1275年の完成で、現在のノラヴァンク修道院の敷地内では二番目に古い教会です。

聖グリゴル教会の内部はとても小さな空間ですが、地面にはオルベリアン一族の墓石がずらり。
ライオンをモチーフにしたひときわ美しい装飾を施された墓石の下では、当時のオルベリアン一族の皇太子・エリクムが眠っています。
④ハチュカル

ノラヴァンク修道院の敷地には多くのハチュカルが点在しています。
ハチュカルとは、アルメニア独自の石の十字架のこと。
長方形に切り出した石を直接削って、十字架やぶどうなどのモチーフを描いたものです。


修道院の敷地の南側には特に秀逸なハチュカルが点在しており、背景にそびえる赤い岩肌の山々とのコントラストが圧巻。
多くのハチュカルは14世紀初頭に造られたもので、ノラヴァンク修道院の黄金時代を物言わずに現在に伝える存在です。
⑤ノラヴァンク修道院パノラマポイント

歴史も建築様式もモミクによる装飾の数々も素晴らしいノラヴァンク修道院ですが、観光ハイライトとなるのはやはり絶景。
修道院全体と、その奥にそびえる山々を一望できる絶景ポイントが、③聖グリゴル教会の左手にある小さな門をくぐった先の山の斜面にあります。


700年前に建てられた教会と、地球上とは思えないような風景を見せる大地のパノラマは、まさにノラヴァンクを代表する景観。
絶景は南向き~南西向きに開けているため、最も綺麗に見えるのは午前中となります。
ノラヴァンク修道院観光のアドバイス

ノラヴァンク修道院を観光する際は、とにかく歴史をちゃんと知っておくのがマスト。
本記事前半の「ノラヴァンク修道院の歴史」の項を読めば、この場所がどれほどに奇跡的な確率で斜陽の時代を乗り越えて、現在にまでその姿が残されているのか理解できると思います。
それ以外の観光時のアドバイスに関しては以下の通り。
エレバン近郊の見どころに比べると観光客の数は少なめではあるものの、団体ツアーなどの時間帯にあたると魅力がどうしても半減してしまうので、できるだけ人が少なくなる時間帯を狙うのがおすすめです!
ノラヴァンク修道院観光におすすめの季節

ノラヴァンク修道院の観光自体は、1年中可能です。
しかしながら、冬場の訪問はなかなかにリスキー。
ノラヴァンク修道院はアルメニアを代表する見どころであるため、積雪のある冬場でも修道院に至る道は比較的スムーズに除雪がされますが、降雪量によっては通行止めとなってしまうこともあるためです。
多くの旅行者が訪れる夏場(6月~8月)も、できれば避けるのが◎
ノラヴァンク修道院があるヴァヨツ・ゾール地方の夏はとにかく灼熱で、気温40℃を超えることも珍しくないためです。もはや灼熱すぎて観光どころではありません。
というわけで、ノラヴァンク修道院訪問のベストシーズンはずばり、春(3月~5月)か秋(9月~11月)。
一般的には一面茶色の物寂しい風景が広がる3月や11月は、逆にノラヴァンク周辺の荒涼とした風景を引き立ててくれるので、個人的にはこのいずれかがベストだと思います!
ノラヴァンク修道院観光におすすめの時間帯

ノラヴァンク修道院は有名な見どころではあるものの、エレバンから若干距離があります。
そのため、よりエレバンに近い見どころ(ゲガルド修道院やホル・ヴィラップ修道院など)に比べると、訪れる旅行者は少なめ。
どの時間帯でも比較的人が少なく、のんびりと観光することができます。
とはいえやっぱり、団体ツアー客と鉢合わせてしまうと、せっかくの秘境感あふれる聖地の雰囲気が台無しになってしまうもの。
多くの旅行者はエレバンからの日帰りツアーでノラヴァンク修道院を訪れるのですが、ツアー客の行程はほぼ以下の通りに決まっています。▼
朝11:00頃:ホルヴィラップ修道院観光
→12:00頃:アレニ村のワイナリー見学&昼食
→14:00頃:ノラヴァンク修道院観光
つまり、ツアー客と鉢合わせるのを避けたい場合は、上のスケジュールの裏をかくような時間帯に訪問するのがおすすめ。
午前中~午後早い時間であればツアー客がいることは稀なので、異世界感溢れる聖地の雰囲気を存分に堪能することができます!
また、午後遅い時間帯(15時以降)もツアー客がぐっと減るのでおすすめ。
修道院と周囲の赤い岩山が西日に照らされて輝く風景は、とても神聖で美しいです。
ノラヴァンク観光時の服装

アルメニアの宗教施設はあまりドレスコードに厳しくない場所が多い印象で、ノラヴァンク修道院も服装の規定はかなり緩め。
半ズボンで敷地内を見学している男性や、髪を隠していない女性…
外国人/アルメニア人問わずかなりたくさん見かけました。
とはいえ、こうした宗教施設では、表示されていようがなかろうが服装の規定を守るのがマナー。
(日本でわざわざ「靴を脱いでください」と書かれていなくても暗黙の了解で脱ぐのと同じようなもの)
・男性:長ズボン/肩が隠れるシャツ/踵がある靴
・女性:男性の規定 + 髪を隠す布
「みんな守っていないから良いや」ではなく、他文化へに対する最低限のリスペクトとして守るのがスマートだと思います。
ノラヴァンク修道院観光の持ち物

ノラヴァンク修道院周辺には、商店やレストランは一軒もありません。(というか、民家すら1軒もない)
お土産の露店や飲み物を売る屋台すらないので、何かを現地で購入するのは不可能。
修道院の最寄りの商店や飲食施設は、9kmほど北にある幹線道路との分岐点のみで、分岐点~ノラヴァンク間の道沿いにはいっさい何もないと考えておきましょう。
トイレに関しては、修道院の駐車場近くに綺麗なトイレ(有料)があるので大丈夫。
修道院敷地内には水分補給できる水道もあるので、飲料水も問題ありません。
というわけで、軽食類やその他必要なものは必ずエレバン(もしくは最寄りのアレニ村など)から持参するようにしましょう。
また、ノラヴァンク修道院の敷地と周辺には日陰がとにかく少ないです。
夏場は日差しがとても強くかなりの暑さになるので、帽子や日焼け止め、サングラスなどの暑さ対策も必要でしょう。
ノラヴァンク修道院観光は安全?

地図を見れば一目瞭然なのですが、ノラヴァンク修道院が位置するのは、アゼルバイジャン領であるナヒチュヴァン地域との国境まで4kmほどしかない場所。
アルメニアとアゼルバイジャンの犬猿の仲さはここで説明するまでもないですし、2025年現在でも両国との国境は閉鎖されたまま。
その上、アゼルバイジャンとは散発的に戦闘が起こることもしばしばあります。
とはいえ、2025年3月現在は、ノラヴァンク修道院の観光自体には危険はありません。
しかしながら、有事の際には想定外のことが起こる可能性もゼロではない点だけは頭に入れておくべき。
ノラヴァンク周辺はアルメニアの国境警備隊がパトロールしている場合もあるので、パスポートは必ず携帯した上で訪問しましょう。
ノラヴァンク修道院のアクセス・行き方

ノラヴァンク修道院があるのは、首都のエレバンから南東に120kmほどの場所。
「エレバンから日帰りできないこともないけど、かなり距離があってなかなか大変…」という、微妙な場所に位置しています。
そのため。ノラヴァンクを訪れる多くの旅行者は、エレバンから日帰りするか近郊のアレニ村に宿泊するか迷うことでしょう。
日帰りor宿泊…どちらのプランがベストかは、何でアクセスするか次第となります。
エレバン~ノラヴァンク間のアクセス方法は以下の3通り。▼
予算やスケジュールに合わせて、都合の良いものを選びましょう。
①タクシーチャーター
最も簡単&効率的な移動手段が、エレバンでタクシーをチャーターしてしまうこと。
エレバン~ノラヴァンク間の単純往復 + 観光時の待機時間1時間ほどで、1台12000~15000AMD(=¥4800~¥6000)ほどが料金相場です。
のぶよ的には、せっかくタクシーをチャーターするなら近郊の見どころもセットでまわるのが効率的だと思います。
・アララト山を背景にたたずむホル・ヴィラップ修道院
・ワインと洞窟で有名なアレニ(Areni)
・隠れた自然スポットエンジェルズ・キャニオン
上記の見どころは比較的近い場所に位置しているので、タクシーをチャーターしてセットで訪れるにはぴったりです。(もちろんチャーター料金相場は上がってくるので、あとは交渉次第!)
②現地ツアー
1日で効率的にノラヴァンク修道院と周辺の見どころをまわりたいなら、現地ツアーに参加してしまうのもおすすめ。
アルメニアは小さな国土に見どころがギュッと詰まっているものの、公共交通機関がやや不便なのがネック。
移動を考えなくて良い&リーズナブルな現地ツアーは、一人旅の人にとっても便利です。
ノラヴァンク修道院単体のツアーは存在せず、ホル・ヴィラップ修道院やアレニ村のワイナリーに立ち寄るツアーがほとんどです。
③マルシュルートカ+徒歩
個人で公共交通機関を使って旅したい人におすすめなのが、マルシュルートカ(公共ミニバス)を利用してのアクセス。
しかしながら、ノラヴァンク修道院に関してはマルシュルートカ利用でアクセスする難易度はかなり高めです。
マルシュルートカ利用の第一のハードルが、ノラヴァンク修道院まで行く便は存在しない点。
このエリアの観光拠点となるアレニ村からノラヴァンクまでの片道9kmの道のりは、自分の足で歩くことになります(所要片道3時間ほど)。
さらにさらに第二のハードルも…
ノラヴァンクの最寄りであるアレニ村までは、エレバンからの直行マルシュが存在しないのも問題となります。

イェゲグナゾルやジェルムックなどさらに先の町まで行くマルシュルートカに乗り、アレニ村で途中乗下車してのアクセスしかありません(なので正直、旅慣れていない人には結構ハードル高い)。
エレバン~アレニ村間のアクセスに利用できるのは、アルメニア南部の町を結ぶ便。
イェゲグナゾル便やヴァイク便、ジェルムック便などを利用して、アレニ村付近で途中下車することになります。
エレバン~アレニ間のマルシュルートカの詳細な利用法&途中乗下車のポイントなどの情報は、別記事にて解説する予定です!(なのでもうちょっとお待ちを…!)

そして、苦労してアレニ村に到着しても問題はここから。
アレニ~ノラヴァンク間の9kmほどの道のりには、公共交通手段はいっさい走っていません。
そのため、徒歩orヒッチハイクorアレニ村からタクシーチャーターのいずれかでこの9kmを移動することとなります。
アレニ~ノラヴァンク間の高低差は530m(ノラヴァンクの方が標高が高い)とかなりのもので、徒歩だと片道3時間~という結構な修行。
アレニ村からタクシーチャーターする場合は、所要は片道20分/料金相場は1台往復5000AMD(=¥2000)~となります。
おわりに
中世アルメニアの栄光が感じられるノラヴァンク修道院の観光情報をたっぷりと解説しました。
エレバン近郊の見どころの中では個人でのアクセスが最も難しい部類ではあるのですが、その分到達した際の感動は大きくなるもの。
アルメニア全国を見渡してもトップレベルの秘境感と異世界感は、ぜひ自分の五感を通して感じたいものです。
タクシーチャーターやツアーでサクッと周るも良し。
近郊のアレニ村に宿泊して、他の見どころと合わせて訪問するも良し。
自分に合ったスタイルで、この素晴らしいエリアの魅力を存分に味わいましょう!
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