こんにちは!アルメニア滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
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アルメニア北部のロリ地方(Lori / Լոռու մար)は、緑いっぱいの風景に昔ながらの村々が点在するエリア。
絵葉書のような風景が一面に広がり、外国人にもアルメニア人にも人気となっています。
見どころはかなりたくさんあるのですが、今回紹介するのは観光客にもほとんど知られていない穴場の村・フィオレトヴォ(Fioletovo / Ֆիոլետովո)。
ロリ地方らしい緑いっぱいの風景は、一見すると「古き良きアルメニアの村」といった雰囲気。
しかしながら、フィオレトヴォ村にはアルメニア人は一人も住んでいません。
フィオレトヴォの百人余りの村人はすべて、「マラカン」と呼ばれるロシア人の血を引く人々。
二百年ほど前からこの地に住み始め、独自の宗教と伝統を守りながら自給自足の生活を営み続けているのです。
アルメニアにありながら、アルメニアではない…
なんだか不思議なフィオレトヴォ村ですが、実際に訪れてみると楽園そのものでした。
今回の記事は、フィオレトヴォ村観光に必要な情報を解説したもの。
アルメニアでちょっと変わったスポットを探している人には、ぜひともおすすめしたいフィオレトヴォ村。
時が止まったような村の風景と素朴な人々の生活に、きっと心動かされるはずです!
マラカンたちが暮らす村。フィオレトヴォとは?
フィオレトヴォ村を訪れる際に絶対に知っておきたいのが、この村で生活するマラカン(Moklokans / молокан)と呼ばれる人たちについて。
村の外とは隔絶された自給自足の生活を営む彼らに関する知識がないと、ただの「古き良き雰囲気の村を散策」になってしまうかも…
ここでは、フィオレトヴォ村見学前に知っておきたい基礎知識をできるだけ簡単に解説していきます!
フィオレトヴォの住人「マラカン」とは?
フィオレトヴォ村の住人は例外なく、「マラカン」と呼ばれるロシア系の人々。
マラカン(Moklokans / молокан)とは、ロシア語で「ミルクを飲む人」の意味です。
「いったいどうしてミルク?」と思いますが、それにはちゃんと理由が。
マラカンの人々がもともと(12世紀~18世紀)居住していたのは、クリミア半島から中央アジアにかけての広い地域。
中世にはモンゴル帝国やティムール朝などによる支配を経験し、その際にヤギや羊のミルクを加工して食す乳製品文化がもたらされたそうです。
そんな歴史背景を持つ地域に住んでいたマラカンの人々は、キリスト教と土着のスピリチュアリズムを融合させた独自の信仰を守り抜いていました。
その後18世紀~20世紀初頭にかけて、このエリアを支配下においたのがロシア帝国。
ロシア正教においてはイースター(復活祭)の前の数週間に渡り、動物由来の製品を絶つ「レント」と呼ばれる習慣があります。
肉や卵はもちろんのこと、乳製品もいっさい口にしてはいけないという大変厳しい掟です。
いっぽうで、中世に遊牧民族によってもたらされた乳製品文化を持つマラカンの人々の間では、「レント期間中は、発酵させた乳製品は禁忌だが、発酵させていない新鮮なミルクは口にしても良い」とされ、教義の解釈に微妙な違いがありました。
また、マラカンの人々が信仰するキリスト教は、土着のスピリチュアリズムが融合したもの。
本来のロシア正教の教えとは異なる点が多くあり、次第にロシア正教会と対立するようになります。
こうしてロシア正教会側は、彼らのことを「ミルクを飲む人」の意味である「マラカン」と呼び、異教の烙印を押すこととなったのです。
フィオレトヴォ村の始まり
ロシア正教会によって「異教」とされたマラカンの人々の運命は、悲惨なものでした。
18世紀初頭(200年前)に入ると、ロシア皇帝ニコライ1世の統治下で、マラカンの人々に対する投獄や処罰が盛んになります。
ニコライ1世の方針は、「異教徒であるマラカンはロシア帝国の僻地に追いやる」というもの。
こうして1830年代には、アルメニアを始めとするコーカサス地域にマラカンの人々を追放する動きが加速することとなりました。
この時代にアルメニアに追放されたマラカンの人々が築いた村の一つが、ここフィオレトヴォ村なのです。
およそ200年前、厳しい気候&不毛な大地でしかなかったこの地で一から生活を始めることには、いったいどれほどの苦労があったことでしょうか。
現在のフィオレトヴォ村は、マラカンの人々がやってきた時から何一つ変わっていないかのよう。
まるで時が止まったような光景の連続です。
フィオレトヴォ村で暮らす人々は、現在でも100%がロシア帝国を追われたマラカンの末裔。
独自の信仰や文化、現代文明の流入を拒否して自給自足の生活が営まれる村の雰囲気は、アメリカ東部の「アーミッシュ」と呼ばれる人々が暮らす村に共通するものがあるかもしれません。
現世から隔絶された村は、アルメニア他地域とは全く異なる雰囲気。
200年前から変わっていない村の素朴な風景を見ていきましょう。
フィオレトヴォ村見学時の6つのポイント
フィオレトヴォ村は東西に細長い地形ですが、端から端まで歩いても30分ちょっと。
1時間~2時間ほどの時間を見ておけば、十分のんびりと散策できます。
すでに解説した通り、フィオレトヴォ村はただの田舎の村ではありません。
せっかくなら「アルメニアにありながらアルメニアではない」独特の雰囲気を感じたいものです。
ここでは、フィオレトヴォ村を100%満喫するためにチェックしたい6つのポイントを解説します!
①独特の建築様式
フィオレトヴォ村を歩き始めてすぐに気が付くのが、家々の建築様式が独特である点。
多くの家は、一階が石造りで白塗り/二階が木造となっています。
一階部分には木造のテラスが設置されている家が目立ち、ほとんどの建物には地下部分に食糧庫があるそう。
フィオレトヴォがあるロリ地方で一般的な民家の造りと比べて見ると、その違いは一目瞭然です ▼
こうした造りは、かつてのロシア地方部の建築様式の特徴を強く残したもの。
長く厳しい冬を越すために、断熱性が強い石造り&地下の食糧庫が造られたのでしょう。
フィオレトヴォ村の多くの民家に見られる木製テラスは、お隣ジョージアの東部でよく見られるもの。
ロシアとコーカサス地域の建築様式が融合した独自の造りであることがわかります。
②動物・野菜畑
フィオレトヴォ村の住民たちの生活は、昔ながらの自給自足が基本。
各民家の裏には広大な畑が広がり、ジャガイモやニンジン、キャベツなどの野菜を育てているのです。
面白いのが、各民家の敷地では一種類の野菜だけが育てられている点。
フィオレトヴォ村では基本的に物々交換が行われているようで、「ニンジン作り担当」「ジャガイモ作り担当」など各家庭に役割があるようです。
肉類に関しても、フィオレトヴォ村では全てが自給自足。
村を歩いていると、鶏や豚、羊などの家畜が気ままに散策している場面に遭遇します。
2021年になっても、フィオレトヴォ村と他地域とはほとんどコンタクトがないそう。
ものすごい山奥にあるわけではないのに、なんだか不思議に感じられます。
③人々の風貌
フィオレトヴォ村の住民は全員がロシアにルーツを持つ人々。
200年前にロシア帝国からこの地域に追われた後も、地元のアルメニア人と混血することはなかったため、彼らの風貌はかなり独特です。
・透き通るような白い肌
・真っ青な目
・白に近いブロンドの髪
など、一目見ただけでアルメニアの人々とは違う民族であることがわかります。(アルメニア人は一般的に黒髪/毛深い/濃い色の瞳etc…と、中東っぽい風貌の人が多い)
また、彼らが信仰する宗教の教えの影響で、服装にも規定があるよう。
・男性:長く伸ばしたヒゲ / 帽子 / 長袖長ズボン
・女性:髪をスカーフで隠す / 長いスカート
子供を除く村人全員がこのような格好で(しかも真夏に)歩いているので、なんだか映画の世界に迷い込んでしまったような感覚になりました。
④やたらと植えられた花々
フィオレトヴォ村の多くの民家の庭には、大量の花が植えられています。
春~秋にかけて訪れたなら、色とりどりの花々に「楽園」らしさがいっそう感じられるはず。
実は、フィオレトヴォ村の民家の庭にここまで多くの花が植えられていることには、ある理由があります。
フィオレトヴォ村では下水が整備されておらず、各家庭で用を足した後のものをタンクに貯めて肥料として利用しているそう。
冬場は気温が低いので問題ないのでしょうが、高温多湿となる夏場はその臭いが大問題。
そこで村人が考えたのが、花の香りで異臭をごまかすことでした。
各民家の庭に植えられた花々は、夏場にどうしても発生する異臭を最低限で済ませるための役割を果たしているそうです。(とはいえ、住居部分はどんな香りなのかすごく気になる)
⑤アルメニアなのにすべてロシア語
アルメニアの公用語はもちろんアルメニア語。
しかしながら、ロシア人の血を引くマラカンの人々の村であるフィオレトヴォにおいては、完全にロシア語が公用語となっています。
人々のお喋りも、子供たちの挨拶も、看板の文字も…
とにかく全てがロシア語なのです。
多くの住民は、ロシア語に加えてアルメニア語を第二言語として学ぶそう。
しかし、フィオレトヴォ村内ではアルメニア語を見聞きする機会は完全にゼロでした。
⑥幹線道路沿いの野菜売り
フィオレトヴォ村と外界とをつなぐのが、村の北側を走る幹線道路。
ディリジャン~ヴァナゾル間を結ぶ道路で、けっこうな交通量があります。
この幹線道路沿いにはいくつか野菜を売るスタンドが立っており、村でとれた野菜や自家製の漬物を村の女性たちが販売しています。
この野菜スタンドは、フィオレトヴォ村の住民がお金を得るための数少ない手段であり、外界との唯一のコンタクト。
いくら自給自足&物々交換が基本の村とはいえ、もう2021年。
どうしてもお金が必要になる場面もあるのでしょう。
アルメニア人の間では、この野菜スタンドの存在は有名なよう。
多くのドライバーが停車して、野菜や漬物を購入していく姿が印象的でした。
フィオレトヴォ村へのアクセス・行き方
フィオレトヴォ村は、山岳リゾートとして名高いディリジャン(Dilijan)の西12kmほどの場所に位置しています。
アクセスの拠点となる町はディリジャンか、さらに西に位置するヴァナゾル(Vanadzor)のいずれか。
どちらの町からフィオレトヴォにアクセスする場合でも、方法は以下の2通りです。
①タクシー
最も簡単&効率的な移動手段が、ディリジャン中心街でタクシーをチャーターしてしまうこと。
ディリジャン中心街~フィオレトヴォ間の単純往復 + 待機時間1時間で、1台3000AMD(=¥667)ほどが料金相場です。
のぶよ的には、せっかくタクシーを利用するなら丸一日チャーターして、同じ方面にある中世修道院ハイキングコース(所要2時間)もセットでまわってしまうのが効率的だと思います。
②マルシュルートカ
フィオレトヴォ村へ個人でアクセスする場合は、マルシュルートカの利用も可能。
フィオレトヴォ村終点の便は存在せず、ヴァナゾル~ディリジャン~イジェヴァン(Ijevam)間の便を途中下車することとなります。
【①ディリジャンバスステーション北側ロータリーで待機】
ディリジャンからフィオレトヴォへアクセスする場合に注意したいのが、マルシュルートカはディリジャン始発ではない点。
幹線道路をさらに北東に行ったイジェヴァン(Ijevan)という町を出発した便が、ディリジャン・バスステーションの北側のロータリー付近を通過します ▼
目的のマルシュルートカが来たら、手を挙げて合図し乗せてもらいましょう。
【②フィオレトヴォ村入口で下車】
ディリジャンを出発したマルシュルートカは、10分ほどでフィオレトヴォ村の北側を走る幹線道路を通ります。
どこで下車しても村はすぐそば。適当なところで降ろしてもらいましょう。
幹線道路から未舗装道路を下った先にあるのがフィオレトヴォ村のメインストリートです。
おわりに
二百年前のロシア地方部に迷い込んだかのような風景が広がる、フィオレトヴォ村の観光情報を解説しました。
なかなかこんな場所まで足をのばす旅行者も多くはないと思いますが、アルメニアの他の町や村とは全く異なる雰囲気は一見の価値あり。
時間が許すならぜひとも訪れてほしいです。
フィオレトヴォ村を見学する際は、ここは観光スポットではなく、人々の普段の生活の場であることをお忘れなく。
「お邪魔させていただいている」という気持ちで訪問するようにしてくださいね。
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