こんにちは!世界半周ももう2年…現在ジョージア滞在中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
コロナウイルスが世界中で流行し、生活スタイルが一変してからもう一年以上。
もはや「第〇波」と数えるのも馬鹿馬鹿しく思えるほどに、制限緩和→感染拡大→再び制限…が繰り返されている国も多く、現地で生活している人のストレスはピークに達しているのでは。
2021年に入ってから、早や数か月。
この短い期間で、海外在住の日本人(やアジア系コミュニティー)を震撼させるようなニュースが多く報じられるようになりました。
・道端でいきなり強酸をかけられる(フランス)
・石を詰めた靴下で殴り掛かられる(アメリカ)
・道を歩いていた老人がいきなり突き飛ばされる(アメリカ)
など、聞くたびに心が痛むようなものばかり。
これらの被害者は全てアジア系の人々。
そう、アジア系に対するヘイトクライムです。
ヘイトクライムとは、直訳すると「憎悪犯罪」。
人種や異文化など異なるバックグラウンドに対しての偏見や差別意識、マイナスの感情などを、言葉や暴力などを用いて相手にぶつける、文字通りの「犯罪」を指します。
驚くのが、上で挙げたヘイトクライムの多くは北米や西欧など、いわゆる「先進国」とされる地域で起こった事件であること。
(もちろん先進国ではない地域でも起こっているのでしょうが)
普段は人権や平等やポリコレや…と言っているような地域で、アジア系という特定の人種を対象にした暴力をともなう犯罪が週に何度も(!)報じられている現状は、かなり異常な気がします。
実際に現在進行形で海外に滞在しているのぶよにとっても他人事ではありません。
一連のヘイトクライムや抗議運動、それに対する人々の態度などに関して、感じたことをつらつらと残し書きしておきます。
一番初めに思ったのは「やっぱり怖い」
コロナウイルスに世界中が振り回された2020年。
振り返ってみると、コロナをきっかけとしたアジア系に対する差別は世界的に広がっていました。
・道端で「コロナ」と叫ばれる
・飲食店や理髪店への入店を拒否される
・「国に帰れ!」などと罵声をあびせられる
などなど…挙げればきりがないのですが、アジア人というだけで風当たりが強かったことは事実。
非アジア圏の国ならどこでも多かれ少なかれ、こうした差別的な雰囲気があったのではないでしょうか。
そんなコロナウイルス流行初期から1年以上が経った現在。
人々の心にくすぶる差別的な意識というものは、時間とともに煮詰まって濃度を増すのでしょうか。
これまで主流だった言動や態度での差別がより表面化・激化し、暴力という形で広がりつつあるのが、2021年に入ってからのここ数ヶ月であるように思います。
サンフランシスコ、シアトル、ニューヨーク、パリ…
アジア系に対する暴力が報じられた町のいくつかは、「人種やバックグラウンドの違いを尊重し合った成熟した社会」というイメージを持たれていた地域。
これまでの安全神話や友愛精神を吹き飛ばすような悪いニュースの数々に、海外在住の日本人の間では大きな衝撃が広がっています。
それまで安全と思われていた場所が安全ではなかった…
自分も、男性も女性も、子供でさえも、アジア系であることだけで標的となりうる恐怖…
そうした環境の地域に住む人たちの恐怖心や危機感は想像を絶するものがありますし、「街の雰囲気が悪くなっているのを肌で感じる」という現地在住者の発信を目にしたこともあります。
のぶよはコロナ禍以前から現在まで、コーカサス地域のジョージアという国に滞在していますが、やっぱり嫌な思いをしたことは少なからずあります。
とはいえ、今のところこの国では暴力をともなったヘイトクライムの話を耳にしたことはありませんし、比較的のんびりした雰囲気のまま。
しかし、いつ「明日は我が身」となるかわからないという危機感は強く感じています。
アジア系差別にはなぜか声が上がりにくいミステリー
「欧米諸国でアジア系に対するヘイトクライムが立て続けに起こっている」
そう報じるニュースを一つ一つ追っているうちにまず感じたのは、2020年半ばにアメリカや欧州などを席巻したBLM運動と比べた際の、人々の温度差。
アメリカでの白人警官による黒人住民の殺害事件をきっかけとして始まったBLM運動(=Black Lives Matter)。
世界中で人種間の平等を訴える動きとなったことは、記憶に新しいものがありますよね。
BLM運動は世界中のメディアで連日報じられ、アメリカの大統領選挙の争点の一つともなりました。
当事者である黒人コミュニティーはもちろんのこと、現地で暮らす白人やアジア人など、人種に関係なく多くの人が「自分たちの社会に存在する問題」を直視し、改善しようと声を上げたように思えました。
いっぽうの、ここ数ヶ月続いているアジア人に対するヘイトクライム。
“Stop Asian Hate”(アジア系への憎悪を止めろ)をスローガンとして、アメリカやカナダの大都市ではデモが行われました。
のぶよもその動きをできる限り追うようにしているのですが(特にカナダでの動きを)、一つ感じたことがあります。
どうも、人々の関心が薄いような気がしませんか?
当事者であるアジア系住民こそ、危機感や恐怖を覚えて抗議の声を上げたり不安を吐露したりしている人が多いですが、それ以外の人種(=加害者となる側)はどうも関心が薄いというか…当事者意識が薄いように思えます。
先述の通り、昨年のBLM運動時には、白人や黒人など人種に関係なく連帯を表明する人やデモに参加する人が多く、「みんなでこの社会を変えたい」という意識が画面越しでも強く感じられました。
いっぽうで、今回のアジア系ヘイトクライムに対するデモなどの抗議運動に関しては、どういうわけかあまりみんな話題にしていないような気がしてなりません。
(もしくは、BLM運動に比べてメディアによる報道が少なすぎる気もする)
細胞レベルで「アジア系」の一員であるはずの、(日本に住む)日本人に目を向けてみましょう。
いったいどれほどの人が、ここ数ヶ月間立て続けに起こっているヘイトクライムについて、「自分たちに関係がある脅威」と捉えているでしょうか。
「やっぱり外国は恐いねえ」
「欧米は民度が低い!そんな所に住むのが悪い!」
「被害を受けた人は、中国人と間違えられたからだよ」
「私は日本人!と叫べば被害は受けないはず」
という日本在住の日本人の意見をしばしば目にしては驚きを隠せません。
なぜなら、そもそも日本人だってアジア系差別の対象外ではないのですから。
日本人は差別されない!…わけがない。
ある程度の期間、外国に滞在した/住んだ人なら十中八九、差別や偏見などを感じたり、不愉快な体験をしたことがあるのではないでしょうか。
(というか、「私は○○国で差別を受けなかった」と主張する人はそれはそれは幸せだと思いますし、「はあ、そうですか、良かったね」としか言えない)
この世界は私たちが想像するよりもよっぽどレイシスト(人種差別主義)で不平等です。
ある国で、短期の観光旅行の「お客様」として迎えられるのと、現地社会や文化の片隅に入り込む「移住者」として迎えられるのは大違い。
自分たちの国に他所から大挙してやって来て居座る外国人が、彼らだけの移民コミュニティーを形成していたら。
それを脅威に感じる現地人もいるでしょうし、「仕事をとられるのでは…?」「治安が悪化するのでは…?」と危惧する現地人もいるでしょう。
そう、ある文化圏の人間が異なる文化圏に入ろうとする際には、多かれ少なかれ軋轢が生じるものなののです。
そこに、ここ1年余りのコロナ禍による物理的・心理的なストレス。
そのストレスのはけ口を、「コロナ禍のそもそもの原因」であり他所者であるアジア地域出身者・またはその子孫に向ける人も残念ながら少なくない。
…というのが、ここ数か月間のアジア系に対するヘイトクライムの根っこの部分なのではないでしょうか。
「日本だってコロナ禍の被害者だ!」と主張したところで何も始まりません。
なぜなら、日本も韓国も中国も…アジア諸国出身者の国籍やルーツはまず見た目では見分けられないですし、それを見分けることに意義を見出さない(=アジアは全て同じようなものと考える)人も多いのが現状だからです。
(大多数の日本人が、エストニア/ラトビア/リトアニアあたりの国をあえて区別しようともしないことと同じような感覚かも)
もちろん、日本が好きで親しみを持ってくれる人もいますし、アジアの国々をちゃんと分けて考える人もいます。
しかしながら、それ以上に目立ってしまうのが「アジア系=ぜんぶ一緒」と考え、さらに「自分たちより下の存在」という偏見や差別意識を持つ人たち。
「アジア系」という分類に、日本も中国もベトナムも関係ありません。
アジアのどこの国の人間であろうと、差別主義者にとっては全てが「格下」で「黄色い肌」で「平たい顔」の差別対象。
「日本は国際的に愛されているから差別なんかされない!」と妄信するのは危険だと思います。
(し、現実を見た方が良いと思います)
単一民族国家(とされる)日本の社会で生活していると、なかなか自分たちが外の世界で差別の対象となることをイメージするのは難しいもの。
「日本のこんなところがスゴイ!」「日本が好きな外国人に密着!」なんてテレビ番組が席巻していて、そこに少しの疑問も持たずに鵜呑みにしてしまう人も一定数いますよね。(うちの父親とか、そんなんだったなあ…(遠い目))
そんなある意味幸せなお国柄である点も、自分たちに深く関係している「アジア人差別」に無関心でいられる理由なのかもしれません。
・「ヘイトクライムは海外だけの問題」と関心を持たない
・「日本人はアジアでも特別(=だから関係ない)」と考える
・「隣の○○国は××だから日本にも迷惑がかかる」と、差別されている側なのにさらに差別する側にまわる
自分のまわりの同世代の人からも、このように現実を無視したような意見を聞くことがあり驚きました。
自分が「差別されている」のを認めることが、何となく自分たちの尊厳を冒されているような気持ちになるため、認めたくないという人もいるかもしれません。
(いじめられていることを「恥ずかしい」と思って、親や先生に言えない子供が少なくないように)
しかし、現実には差別なんてどこの国にもあるもの。
どれだけ発展している北欧だろうが、アフリカの奥地に行こうが、他民族・他文化に対する差別意識がゼロな人だけの土地なんて存在しないと思います。
「実際に今存在している問題」を見ないふりして「自分たちは世界中で愛されている」と内輪の幻想の世界の中にいたところで、この世界でアジア系(もちろん日本人含む)を取り巻く現状は、子供や孫の代になっても何一つ変わっていかないのではないでしょうか。
「みんな仲良し多民族国家ごっこ」しながら、差別に気づかぬふりして生きてくの?
では、アジア系に対する差別や偏見を少しでもなくしていくためには、いったいどこから始めれば良いのでしょうか。
日本人の多くが「日本人は差別の対象にならない」という迷信(?)を捨て去り、「自分もアジア人として差別を受け得る」という意識を持つことはとにかく大前提。
大切なことは、声をあげることだと思います。
もちろん、暴力をともなう犯罪が現在進行形で横行している国で、あえて目立った声を上げて行動に移すことはリスクを伴うでしょう。
抗議活動などに参加するのが難しい場合でも、インターネットやSNSを使って抗議の意を表明したり、現地での現状を発信したりと、表立たない形での行動をすることだって可能です。
とにかく、誰かが何かしら動かないと何も始まらないですし、何も変わらないわけで。
日本式の「波風たてないように」も良いのですが、もう「差別」という大波が押し寄せているので、それを乗り越えるしかないのです。
このまま差別問題をあやふやにしておいて、コロナ収束の数年後に「みんな仲良し多民族国家ごっこ」を再開しても、結局なにひとつ根本的な解決にはならないと思います。
個人的に感じるのが、アジア系同士での連帯の大切さ。
「○○人はこうだからダメ。日本人はこうだからOK。」などというアジア内での仕切りはもう、いったん置いておきましょう。(それがまた難しいんですけど)
現在のヘイトクライムの流れをアジア人全体への脅威ととらえ、それぞれの母国でも差別問題への関心をもっと集め、アジアの人々が連携して抗議の声を強めていくこと。
そうすることが、欧米諸国の非アジア人の間に問題意識をより強く根付かせることにつながるのでは。
むしろ、せっかく一部の都市で抗議の声が上がってきている今の流れを断ち切ってしまうと、「コロナ禍において一時的にアジア系への風当たりが強かった時期」として、差別の根っこはそのままに再び有耶無耶になってしまう気がします。
後の世代が暮らしやすい世界にするなら、今こそ変化させる時ではないでしょうか。
日本人としても、アジア系としても…
この現状をこのまま放置せずに、まずは自分が毅然とした態度をとることから始めなければ、と強く感じます。
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