こんにちは、海外在住6年目ののぶよです。
「海外在住者の視点から改めて日本人を考える」というテーマでお送りしている「さぼわーログ」の第二回目。
今回は、海外在住者としては切っても切れない「差別・偏見」というテーマについて、実際にのぶよの身に起こった出来事をお話ししながら考えていきたいと思います。
次回の「さぼわーログ」では、海外で日本人が遭遇する「ニーハオ問題」の対処法、差別意識について深く考察しています。
まずは、この動画をご覧ください。
アメリカ、ニューヨークの地下鉄内で2018年に起こった、アジア人女性に対する差別 (というか暴力、犯罪) を記録した衝撃的な動画です。
和訳付きでアップロードしてくださっている方に感謝。
いかがでしょうか。かなり衝撃的な動画です。
事の発端は、被害者であるアジア系の女性が揺れる電車の中で加害者の白人女性にぶつかってしまったことだそうです。
加害者の女性が精神的に問題があると言ってしまえばそれまでなのかもしれません。
(実際に加害者女性はニューヨークでバリバリ働く弁護士で、家庭の問題も抱えており、精神的にかなり不安定だったとのことです。)
だからといって、2:30~のアジア人に対する差別用語 (イライラするのであえて文字に起こしません) を公共の場で言ってのけたことは言い逃れができません。
周りの人々の反応を見るだけで、どれだけ差別的でタブー視されている言葉かお分かりいただけたのではないでしょうか。
ここまで表立った差別的行為や言動は珍しいとしても、ちょっとした出来事を通して感じてしまう差別などには海外で生活しているとしばしば遭遇してしまうもの。
今回の記事では、のぶよが実際に海外生活の中で受けた差別・偏見の実例を紹介し、海外(特に欧米)で無意識のうちに人々の間に広がっている「プチ差別」について喚起していきます。
その後、視点を180度切り替えて、「私たち日本人は外国人に対して差別をしていないと言い切れるか」という問題について考えていきます。
実際にのぶよが海外で受けた人種差別
フランスの地下鉄内で、勝手に写真を撮られて笑われる
パーティー帰りにフランス・パリのメトロ12号線に乗っていた時のこと。
車内はガラガラで、のぶよの他には数人の若者が乗っているだけでした。
するといきなりその若者のグループが、携帯でのぶよの写真を撮りだしたのです。笑いながら。
「は?何してんの?」というと、
“Hey chinois! Sourris! hahahaha” (おい中国人!笑えよほら!ぎゃははは)
正直意味が分かりません。
彼らは明らかに酔っている様子で、こちらが唖然として何も言い返せずにいると、次の駅で降りていきました。
のぶよの場合は男性ですし、悲しいかなパリではある程度よくあることだとわかっていたので、その時こそ「ふざけんな」とは思ったものの、次の日には忘れていました。O型(笑)
しかし、もし観光で来ている女性が同じ目にあったらかなり怖い思いをするでしょうし、性別にかかわらずかなり嫌な気持ちになるのではないでしょうか。
カナダで面と向かって言われた「犬食べるんでしょ?ありえない~!」
カナダ・ケベック州の田舎、サグネという町に住んでいた時のこと。
音楽フェスティバルに友達と二人で参加していたときのことです。
友達は地元の人だったので、知り合いがたくさんいます。
小さな町でのフェスティバルなので、かなり多くの友達に声をかけられていました。
そのうちのある女性グループと少し立ち話をしていた時のこと。
グループの一人がのぶよにいきなりこんな質問をしてきました。
「日本から来たの?ああ~犬食べるんでしょ?ありえない~キャハハハ」
犬食べんわい!(笑)
仮に食べていたとしても、勝手にどうこう言って馬鹿にして笑う権利はないと思います。
なによりも、のぶよと一緒にいた友達がかなり気を使っていました。のぶよが明らかに気分を害された感を出していたので。
「差別が少ない」「オープンマインド」で有名なカナダでもまだまだこんな偏見があるんですよ。
ハンガリーのホステル「アジア人は金に汚い」
のぶよが中欧諸国をバックッカーで旅行していた時の話。
かなりナショナリストな人が多いことで有名なハンガリーの田舎での出来事です。
のぶよはあるホステルを予約していて、到着していた時はまだチェックイン時間前。
受付に誰もいなかったんです。
たまたま庭にいた宿泊客のハンガリー人のお姉さんが、
「とりあえず荷物だけ中に置いといて後で戻ってきたら?」
と言って鍵を開けてくれたので、そうさせてもらって周辺の観光に出かけました。
しばらくしてチェックインをしようとホステルへ戻ると、受付のばばあ女の人が、
「なんで勝手に荷物置いていくの?ここに連絡しろって貼り紙してあるじゃない!」と憤慨気味。
のぶよはハンガリーで使える携帯を持っていなかったし、宿泊客の人に断って荷物を置かせてもらったことを説明しても、
「私のホステルなんだから、私のルールが全て。アーリーチェックイン代金10ユーロ払え!」
と言い出しました。
このホステル、そもそもの宿泊料金が10ユーロ程度なのに、2時間ほど早く着いて荷物を置いておいただけでさらに10ユーロ払えという意味の分からないロジック。到底納得できません。
勝手に荷物を置いたのはこちらの落ち度なので、必要とあらば1ユーロや2ユーロは払うけど10ユーロはさすがに意味が分からない。そんなアーリーチェックインのことなんてどこにも書いてない。と反論。
するとばばあホステルの人がひとこと。
「本当にアジア人はいや!お金にきたない!」
…はあ?お前らの謎の料金制度とお前の顔面の方がよっぽどきたないわ!
意地でもこんな宿に泊まりたくはなかったので、もちろんその日は近くの湖畔で野宿しました。(笑)
「荷物置いておいたら?」と言ってくれたハンガリー人のお姉さんはのぶよにかなり同情してくれて、
「ごめんね、私があんなこと言ったから。でもあの宿の人の考え方は本当に金、金、金っていうハンガリー人の典型的なもので、私は大嫌い!」
と言ってくれました。こんないい人もいるんですよ。
だからのぶよはハンガリー人を嫌いになったりはしません。ただ、そういう人もいるってことで。
悪気がないからこそ悪質な「プチ人種差別」
実際に差別を受けた体験を書いていると、忘れていた怒りが再びこみ上がってくるのを感じずにはいられません。
しかし、こんなことは日常茶飯事なのが海外なのです。
実際にのぶよが受けたように言葉や行動ではっきりと示される差別や偏見は珍しいかもしれません。
しかしながら、言葉にしなくても人々の心の中にある差別意識や偏見をふとした時に感じることは、たとえ短期の旅行者だとしても十分にありうることだと思います。
ここからは、のぶよが受けたような「あからさまな差別」ではなく、欧米圏では日常的に起こりうる「プチ人種差別」について、実例を出しながら考えていきたいと思います。
パラリンピック選手のセルフィー事件
さて、こちらのツイートをご覧ください。
Olympic level racism: 🏆#EmanueleLambertini #Olympics #italy #fencing #Tokyo2020 pic.twitter.com/oXWNJVRQNX
— Grace Lynn Kung (@gracelynnkung) 2018年12月14日
↑インスタグラムに投稿されたものがツイートされ、のぶよがリツイートしたもの
イタリアのフェンシング選手、Emanuele Lambertiniが、日本での合宿終了時にインスタグラムに投稿したものです。
投稿の内容を和訳すると、
どこから議論を始めればいいのかわからないのですが、馬鹿なんでしょうか?
何の疑問も持たずにこのような投稿をする本人もそうですが、そこに”いいね”をした何百人の人々も。
しかもこの人、障がいを持つ人への差別・偏見をなくすことが第一理念のパラリンピックの選手ですよ?
もう、軽率さ、教育レベルの低さに言葉も出ません。
※もちろんかなりの批判を浴びた彼のインスタグラムアカウントは今は閉鎖され、アクセスできないようになっています。しかし、ツイッター内ではこの投稿をキャプションしたものを見ることができます。
アクセントを真似される
自分が一生懸命話している外国語のアクセントを真似されて笑われる。
留学などで海外にある程度の期間滞在したことのある人なら一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
これをジョークと捉えて笑いに変えるのか、からかわれたと感じてイライラしてしまうのか、それは人によるでしょう。
のぶよの場合は、特にあまり上手に話せない最初のうちはすごくイラっとしましたし、傷つきもしました。
しかし、ある程度話せるようになると、「それも自分の魅力の一つ」とポジティブにとらえるようになりました。
どんなに頑張って外国語を勉強しても、母国語のアクセントは絶対に影響を及ぼします。
からかってくる人も、冗談のつもりで言っていて全く悪気がないことがしばしばなのでたちが悪いです。
気にしても仕方がないので、割り切っていくしかありません。
一つだけ言えるのは、からかっている側は冗談として、コミュニケーションの一環として言っているんですが、受け取るこちらとしては気持ちのいいものではないということ。
個人的には、色々なバックグラウンドを持つ人によって多種多様なアクセントの英語が話される英語圏の国々よりも、ある程度人々のバックグラウンドが限定されているフランス語圏の国々などでこういったことをを言ってくる人の割合が多い気がします。
全世界共通の「ニーハオ問題」
「アジア系の人=中国人」と認識されてしまうのは世界共通です。
だって外見だけでは判断できませんもの。仕方がありません。
のぶよがポルトガルのシントラという観光地に行った時のこと。
たまたま日本人の団体観光客が宮殿の見学をしていたので、そのうちの何人かの方と少しお話をしました。(海外で日本人を見つけると声をかけてしまうタイプ)
その場でお別れした後に別の場所で同じグループを見かけたときに、近くにいたポルトガル人のボーイスカウトグループの子供たちが、
「ニイハオ!」
と団体観光客に挨拶していました。
そこでツアーガイドの方(日本人)が怒ってひとこと。
「ノー ニイハオ! こんにちは!」(結構な剣幕で)
のぶよはこの一連の流れを傍観しながらかなり複雑な気持ちになりました。
子供たちは悪気があって言ったわけではないと思います。
ただ、「ニイハオ」と言われて良い気持ちにならない日本人も多いことは事実。
受け手が「からかわれている」と感じたなら、それはもう立派な差別なんですよ。
のぶよは「ニーハオ問題」は全く気にならない人です。むしろ「ニーハオ」と返します(笑)
むしろごくまれに「コンニチハ!」と言ってくる人たちに「え、なんでわかったの?」ときいてしまうタイプ。
「プチ差別」の問題点
海外の三つの「プチ差別」の例を出しました。
いずれの例にも共通しているのが、「差別意識・偏見を持つ側」には、悪気がないという点です。
だからこそややこしく、簡単に解決できないのがこのプチ差別。
根本的な教育に問題があると言ってしまえばそれまでです。
ただ、「自分がされて嫌なことは人にしない」という至極まっとうなことが出来ない人がかなりいるんです。
セクハラ問題やパワハラ問題などにも共通して言えますが、言った人(した人)は冗談のつもりでも、受け取る側が「嫌な気分になる」「差別されている気がする」と感じたら、それはもうアウトなんですよ。
人種差別に鈍感すぎる日本人
さて、ここまでは海外、主に欧米圏に根付く「差別・偏見」について、実例を交えながら考えてきました。
ここからは、反対の視点から考えていきましょう。
「私たち日本人は、外国人に対して差別をしたり偏見を持ったりしていないか」
という点です。
のぶよが日本人の一般的な意識に関して思うのは、「差別・偏見に関してかなり鈍感な人が多い」ということ。
島国である地理的特性や、鎖国政策によって数百年の間世界から切り離されていた歴史的背景は、日本という国の単一民族化・文化の均一化を進めました。
(日本人が単一民族かどうかという議論はこの際置いておくこととします。)
地域差はもちろんあるものの、国民皆が同じ言語を話し、ある程度の共通した文化や概念を共有している国って、世界的に見てもあまり無いんですよ。
江戸時代の身分制度に端を発する部落問題という国内での差別・偏見はあり、道徳教育などによって私たち日本人のその問題に対する感覚は敏感になっています。
こうした国内の差別・偏見問題においては、何を言ってはいけないか、何が差別に当たるのか理解している人が大多数なのではないでしょうか。(そうでない人は勉強するべきです。)
しかし、日本以外の国の人に対する接し方や、何が差別で何が偏見にあたるのか、何を言ったら他文化を持つ国から来た人は嫌な思いをするのか…など、日本以外の国や人に対する差別や偏見について意識的に考えようとする人は少ないというのはまぎれもない事実だと思います。
次の章で具体的な例を見ていきましょう。
日本人の中に息づく「プチ差別」や「偏見」
「中国人はうるさい」「東南アジアの人は貧しい」と言ったこと、ない?
日本のテレビ番組などを見ていて驚くのが、こういった「~人は~だ(ネガティブなこと)」という論調が公共の電波に乗って全国民に届いているという事実です。
国や文化が異なれば、その特徴をステレオタイプ化した概念が持たれるのは仕方がないこと。
ただ、イメージだけが先行していませんか?
「中国人はうるさい」と考えている人の中で実際に中国へ行き、現地の人たちと交流を持ったことがある人はどのくらいいるのでしょうか。
「東南アジアは貧しい」と考えている人の中で実際に現地へ行き、その発展著しい活気のある街を体感した人はどのくらいいるのでしょうか。
もちろんうるさい中国人はたくさんいますし、貧しい東南アジアの人々もたくさんいます。しかし日本にだってうるさい人はたくさんいるし、貧しい人もたくさんいます。
他の国・文化をどう捉え、理解するかは個人の自由です。
しかし、ネガティブに捉えたことを平気で口にして表現し、他人に伝えることは、ただの「偏見の共有」に他なりません。
他のアジア諸国への優越意識を抱いていないか
一般的に、年代が上がるほど、ナショナリスト (国家主義)や保守主義の考え方を持つ人が増え、若い世代になるにつれて多文化共存社会に賛同する人が増えることが多い欧米圏。
それに比べて、日本では若年層においても「日本が一番」「日本はこのままの日本であるべき」と考えている人の割合が多いことは特筆すべき点でしょう。
つまり、世界でも珍しいくらいの「超ナショナリズム国家」なんです。
いや、いいんですよ。自分の国が好きであることは。のぶよも大好きですから、日本が。
できることなら、このまま自分が好きな日本が変わらずにあり続けてほしいとも思います。
しかし、「日本が好きであり大切な祖国だと思うこと」と「日本が他の国より優れていると思うこと」は全く性質が異なります。
かつては世界第二位の経済規模を誇った我が国です。それを誇るのは素晴らしいことです。
しかし他の成長著しいアジア圏の国々に対して「日本より格下」と考えている人がいまだに多いのも事実。
他国との比較からくる優越意識から生じるナショナリズムが良しとされる時代は、もはや過去の遺産でしかありません。
「日本はいい国だ!自然がきれいで安全でご飯もおいしいから。温泉に入れるしラーメン屋巡りもできる!」
それでいいじゃないですか。
あえて他のアジア諸国と比べて、「やっぱり日本が一番だねえ~」なんて言いながらお茶をすするの、超格好悪いと思います。
外国人への「お箸の使い方お上手ですねえ~」ハラスメント
これ、日本に行った外国人 (特に欧米圏出身者) が日本人によく言われて、嫌な気分になるフレーズだそうです。
日本人と食事をすると、必ずと言っていいほど言われる「お箸使えるんですね~」や「お箸お上手ですね~」のひとこと。
日本に行ったのぶよのカナダ人の友達は、
「なんでみんないつも同じ事ばかり言ってくるの?」
「日本人だけが箸の使い方を知っているわけじゃないのに」
と不快に感じたそうです。
アジアだろうがどこだろうが関係なく、多くの人が箸を使ってそれらを食べるのがスタンダードになってきているんですよ。今や外国においても箸を使ったことがない人の方が少数派になりつつある時代。
和食は世界的に人気がありますし、手軽な中華料理のファストフードも広く食べられています。
もし私たちが海外に行ったときに「フォークとナイフ使えるんですね~」と事あるごとに言われたら、どのように感じるでしょうか。
のぶよだったら、「当たり前やん、誰でも使えるわ!なんでこの人はそんなことも知らないんだろう?馬鹿にしてんの?」と思うでしょう。
それと全く同じ議論なのです。
言ってしまえば、外国人に対しての「お箸使えるんですね~」は「失礼」でしかありません。
日本人側も悪気があって言っているわけではないでしょう。
しかし何度も言っているように、受け取る側が嫌な気持ちを持ってしまったら、それは立派な「プチ差別」になってしまうんですよ。
人種・文化などで違いがあるのは当たり前。そこに優劣をつけるのが「偏見・差別」
「どんどん生きづらい世の中になっていく」
日本人の、特にある程度の年代以上の人が口をそろえて言う言葉です。
「何か言ったらパワハラ・セクハラになってしまうし、他の国の人や文化を批判したら差別になってしまう。」と。
こんな風に「昔はおおらかだったよねえ~それに比べて今は~」なんていっている老人たち、害でしかありません(笑)
そう考えている人たちの共通点は、「自分はそれを受けたことがない」ということ。
実際に自分の目と耳で、世界中に蔓延る差別や偏見を感じるべきです。
そしてそれを受けたときに自分がどう感じるかということも。
「言論の自由=好きなことを言ってもいい」ではありません。
実際に言葉や態度で表現する・しないは別にして、何の根拠もない (自分の目で見てもいない) のにイメージだけでカテゴライズすることが偏見や差別につながっていくんです。
国や文化、言語によってわたしたちが「違う」ことには議論の余地はありません。
その「違い」に対して優劣をつけること
一方的でネガティブなイメージを持つこと
それらの感覚を他人と共有すること。
これらが「差別」「偏見」の根本なのです。
「外国人観光客受け入れ」「移民制度」などの良し悪しが積極的に議論されつつある今日の日本社会。
これらの問題の根底に内包されている、「差別意識」や「偏見」について是正していくことは簡単なことではありません。
しかしながら、私たち全員がもっとこれらの問題に対して敏感になり、情報を取捨選択し、より明確な意識を持った上で、積極的に議論していくべきなのではないでしょうか。
海外で受けた差別・偏見の体験談等ありましたら、コメントとしていただければ幸いです。
生の体験や経験よりも説得力のあるものはありませんから。
コメント
ほー犬問題ですかー。知らんかったです。
僕は犬って食べたことある?ド直球に聞かれたことありました笑3人で話してて、もう1人の人も実はそれ聞きたかったんだよねって。今思えば、けっこう1人は気使ってたんでしょうね
それで、日本ではないけどある国では(伏せた方がいい?)食べたことあるよって。
それで、冷蔵庫の中に頭が入っててジャーキーみたいにスライスするんだって。まぁ話は盛りあがりましたがw
結構そういったイメージがあるようですね。
個人的には、ある国でどんな食文化があろうとも、その国の勝手だと思います。
実際の犬食の話、とても興味深いです!
全くどんなものか知らず、勝手にステーキのようにして食べるのかと思っていました(笑)
カナダのバンクーバーのバス停で待っている時に、急に何か言われました。英語がわからなかったので、気にせずにいたら、あきらかにこっちに向かって話していて、なんなんだろうと思って話しかけたら、大きな声で速い英語を言われました。全然聞き取れなかったけど、fuck youやkill youみたいな事が聞こえました。僕はバスを待っていただけなのに、何か言われ、英語が喋れないので、謝ることしかできませんでした。アジア人に対する差別なのか、なんの差別かはわかりませんが、すごく悲しくなりました。
Pokemon様
こんにちは、コメントいただきありがとうございます!
そんなことがあったのですね…しかもバンクーバーで。
バンクーバー(特にダウンタウン)はアジア系の人口がとても多く、もはやアジアの都市のような雰囲気になっていると聞いたことがあります。
だからと言って、差別がないというわけではないでしょうし、むしろよく思っていない他人種の割合もある程度は存在するのかもしれませんね。(Pokemon様に対する言葉が人種が原因で発せられたものかどうかはわからないものの)
どこの国でも普通ではない、もっと言うと頭のおかしい人はいますし、差別以前に「人間としてどうなの?」というレベルの人もいます。残念なことに。
その人はそういうレベルで生きているんだ、可哀そうな人間なんだと思うしかありませんね。
悲しくなる気持ち、お察しします。カナダの場合、人権意識がしっかりしていることもあって、外国人や移民向けの相談サービスを利用することや法的手段に出ることも難しくないでしょう。特に”Kill you”は脅迫なので、十分犯罪として訴えることが可能だと思います。
もし再びそういうことがあった際には(ないことを願いますが)、少し強気に出るというのも一つの手かもしれません。
間違っているのはどう考えても相手の方なのですから。
ニューヨークのイーストヴィレッジに昔住んでた時、私がアパートを出ようとしたら、出入り口の階段に座ってたヒスパニック系アメリカ人らしきお姉ちゃんに、やはり「悪意のないニーハオ」を言われて、当時スマートな対応を出来なかった私は「アイ アム ノット チャイニーズ」と言い返しました。するとたまたまこのお姉ちゃん、強者で「コンニチハ?」と即切り返してきたので、やめればいいのにイラついた私は在日コリアンだから「アイ アム ノット ジャパニーズ」と言い返しました。すると今度はこのお姉ちゃん、諦めずに「アンニョンハセヨ?」と知ってる挨拶の最後も出して来ました。当時米国在住5年目で「悪意ありとなしのニーハオ」攻撃を両手で数え切れないほど受けていた私は、堪忍袋の尾が切れて(しかも私のアパートの階段に陣取って邪魔だったので)、今考えても止めりゃいいのに、「外見だけで勝手に中国人か、日本人か、韓国人か判断して挨拶するな。気分が悪い!」と説教してしまいました。当然相手は「悪意のないニーハオ」だったので、私のポイントを理解できる訳もなく、「どうして、どうして?どうして挨拶するのが悪いの?」を連発するばかりだったので、私は怒ったものの、その先何も言わずにその場を離れました。今でも思い出すたびに気分が悪くなり、もっとのぶよさんの言うスマートな対応が出来てたら、「ハロー」の一言で済んで、気分もいまだに悪くはなってなかっただろうに、と思いました。まあ、その後は「悪意ないニーハオ」にはのぶよさんの提唱するスマイル「ハロー」で、「悪意あるニーハオ」には徹底無視で対応して来てますが。もう一つ、在日コリアンだった私がどうしてアメリカで「こんにちは」と挨拶されると不快になるのか考えた時、生まれた国の国籍取得不可能な日本の差別的法律、政府への私の個人的なグラッジも多少重なるかなと、のぶよさんの意見を読んでて思いました。とても興味あるもっともなのぶよさんのブログをこれからも楽しみに読ませていただきます。
Haemi Yoon-Hendricks様
コメントいただきありがとうございます!
あれだけ様々な人種や文化背景を持った人々が共存しているニューヨークでさえ、やはり差別や偏見(悪意のあるものも無いものも)は存在しているのですよね。
自分も、これまで数か国に滞在し多くの国を旅してきましたが、最初のころは「ニーハオ」だったりをいちいち気にしては気分が悪くなっていました。
一度でもそういう目に遭ってしまうと、その国全体に対して不信感やモヤモヤした気持ちを抱いてしまっていました。
しかしながら、そうした目に遭った後に限って良い人に出会えることも多かったので、「○○人は差別的だ!」と一括りにして考えてしまっていた自分を恥じることも多かったです。
現在は、ある程度スマートな対応を身につけ(たと思いたいです)、ちょっとやそっとのことでは気持ちが沈んだりすることも無くなりましたが、やはり自分たちの世代で少しでも状況を変えて行かないと、子供世代や孫世代など永遠にこの流れが続いてしまうのかな…と危機感を感じることもあります。とはいえ、どう声を上げて良いのかわからないのが現状ではありますが。
「日本には差別が少ない」と大手を振って言う人もいますが、個人的には差別のない国など存在しないと思います。
「日本人」とひとことで言っても、様々なバックグラウンドを持つ人がいますし、様々な考え方があるので、時にはその違いが衝突することもありますよね。
差別問題に関しては当ブログでもいくつか取り上げており、個人の草の根レベルの発信から少しでも大きの人に意識してもらう&意識を変えることができればなあと考えています。