こんにちは!二回目のアルメニア滞在を満喫中、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
さてさて。いきなりですが、今回のアルメニア訪問では「アルメニアで絶対にやりたいことリスト」のようなものを頭の中で思い描いていました。
すでに4ヶ月ほどアルメニア(というかずっとエレバン)に滞在しており、エレバンでしたいことはもうほぼやり尽くした感。
そろそろ、アルメニア地方部でやりたいことをやり尽くしまくりあげるときです。
そんなわけで「やりたいことリスト」の中でもトップ3に入るほどに、「ここだけは絶対に行くぞ!」と心に決めていた場所に行ってきました。
それが、セリム峠(Selim Pass)越えです。

セリム峠とは、「アルメニアの真珠」と称される国内最大の湖・セヴァン湖と、南部のヴァヨツ・ゾール地方の中心的な町であるイェゲグナゾールを結ぶ60kmほどの山道。
正式名称を「ヴァルデニャツ峠」(Vardenyats Pass/Վարդենյաց լեռնանցք)と言いますが、現地では「セリム峠」の呼び方の方が断然ポピュラーです。
セリム峠は、エレバンからのアクセスがとても不便なセヴァン湖南岸~そもそも外国人があまり訪れないアルメニア南部を結び、そのマイナーさは「裏アルメニア」さながら。
アルメニア人ですら足を踏み入れたことがない人が大多数で、何があるのか全く知られていません。
単刀直入に言います。
セリム峠に何があるのかと言うと、ほぼ何もありません。
この人を寄せ付けぬほどの高地にあるのは、下界からは隔絶された大自然の風景。ただそれだけ。
しかしこの「何もない」のがまた良いのです。まるで、この世界にたった一人ぼっちになってしまったかのような、妙な哀愁が感じられて。

セリム峠を越える60kmほどの道のりは、とにかくずっと無人の荒野と深い谷間が続くだけ。
途中には人工物がほとんどないのですが、最高地点であるセリム峠付近には、14世紀に建設されたキャラバンサライ(隊商宿)がぽつりと残っています。▼

シルクロード交易時代には多くの旅人で日夜賑わっていたであろうキャラバンサライ。
現在はその役目を終え、静寂に呑み込まれそうになりながらも、往年の雰囲気を現在に伝えていました。

というわけで今回の記事は、シルクロード交易の残り香ただようセリム峠越えのようすをお伝えするもの。
日本人でこんな僻地をわざわざ訪れる人も相当少ないとは思いますが、「へえ~こんな場所もあるんだ…!」くらいに思ってもらえれば嬉しいですし、峠越えの道中でずっと感じられるシルクロード時代の雰囲気が少しでも伝わればなによりです!
セヴァン湖からヴァヨツ・ゾル地方へ。シルクロードの路をゆく

セリム峠越え旅のはじまりは、アルメニア最大の湖であるセヴァン湖から。
セヴァン湖は標高2000m地点に位置していることもあり、三月の終わりでもかなり気温が低く、まだまだ冬の終わりといった雰囲気です。


湖沿いに敷かれた幹線道路を延々と、南へ。
マルトゥニ(Martuni)という、セヴァン湖南岸地域では最も大きな町(とはいえ規模はかなり小さい)の分岐点を南方向に曲がると、いよいよセリム峠へと続く一本道が始まります。

すでに標高が高めであるセヴァン湖側から走ると、上り坂は比較的緩やか。
道路状態もイメージしていたよりはだいぶましで、「峠を越える険しい山道」というよりも「高原のドライブロード」といった快適な道が続きます。
しかし、いくら坂が緩やかとはいえ、標高は徐々に高くなっているよう。
南へ進めば進むほどに周囲に残雪が増えていき、気づけば一面真っ白の荒野の風景となっていました。
過酷な自然環境が見せる大地のパノラマ。セリム峠に到着

それまでの緩やかな上り坂が明らかに平坦になり、下り坂へと変化する地点が、セリム峠。
標高2410mのこの地点が、北のゲガルクニク地方(セヴァン湖周辺)と南のヴァヨツ・ゾール地方の境界線となっています。
セリム峠には案内板や展望台などの設備はいっさいなく、ただ荒野の中を一本道がのびる風景があるだけ。
旅行者がほとんど訪れない地域であり、一般車もわざわざこの道を通る理由がないため、わざわざお金をかけて観光用の設備を作る意味も薄いのかもしれません。


セリム峠から見える風景は、一面真っ白な雪に覆われた荒野と、木々の一つも生えない丘。
標高が高く森林限界をすでに超えているため、遮るもののない荒野の風景が見渡す限り広がります。

セリム峠を越えると、道はゆるやかな下り坂に。
雪を被った険しい山々に抱かれた南のヴァヨツ・ゾール地方側の深い谷間と、うねうねと蛇行しながら山の斜面を下っていく道が一望できます。
オルベリアンのキャラバンサライで感じる、シルクロードの栄華

ここまで通ってきたのは、集落はおろか人工物さえほとんどない荒野。
しかしセリム峠を越えて下り坂をゆくこと1kmほどの場所に、何やら立派な石造りの建造物が急にどーんと視界に現れます。
これは、「オルベリアンのキャラバンサライ」と呼ばれる、大昔の隊商宿。
建造は1332年と、今からおよそ700年前のことです。
キャラバンサライ(隊商宿)とは、旅の商人が一晩を明かすために建設された宿場のような施設。
当時のアルメニアはシルクロード交易の中継地点として栄えており、セリム峠を越えるこの道は、セヴァン湖方面とヴァヨツ・ゾール地方の谷間を行き交う行商人たちで賑わったのだそうです。
「オルベリアン」の名の通り、このキャラバンサライは当時アルメニア南部で強い影響力を有していたオルベリアン一族による建造。
ここセリム峠は、今も昔もアルメニア北部地域と南部地域のちょうど境界を成すポイントにあたり、700年前当時は峠より南側はオルベリアン一族の影響下にありました。
そのため、オルベリアン一族支配地の最果てであるセリム峠のすぐ南側に立派なキャラバンサライを建設することで、自分たちの権力や富を誇示しようとしたのかもしれません。


▲オルベリアンのキャラバンサライ唯一の入口は、こだわりぬかれた石の彫刻が圧巻の造り。
入口上部には、オルベリアン一族の紋章である羽を持った羊のような動物と牡牛が描かれています。
キャラバンサライの内部は二つの空間で構成されており、入口を入ってすぐの空間は玄関のような役割だったもの。▼

この玄関ホールの壁にはアルメニア語/ペルシア語/アラビア語の三言語が刻まれており、出身を異にする旅人たちがこの場所に集っていた時代が目に浮かぶよう。
壁に刻まれている文章は、14世紀初頭のキャラバンサライ建設当時にオルベリアン一族の皇太子であったチェザル(Chesar)の名前と、彼の肉親たちを称賛する文言が並べられています。
チェザルには他にブルテル(Burtel)、スムバト(Smbat)、エリコム(Elikom)という3人の男兄弟が居ましたが、こうした権力者一族によくある後継者争いとは無縁で良好な関係だったよう。
ブルテルやエリコムは、モンゴル帝国によって破壊されたノラヴァンク修道院の再建に携わっていた人物で、現在もノラヴァンク修道院内の霊廟で眠っています。


▲玄関ホールを抜けると、かつての宿泊スペース兼談話スペースが広がります。
弧を描くような見事な曲線が印象的な空間は、天井にいくつか設置された明かり取り用の穴から差し込む自然光だけに照らされ、かなりの薄暗さ。
こちらの内壁には装飾はほとんどなく、なんとも屈強で無骨な印象を与えます。

▲宿場スペースはアーチ状の柱によって三つの空間に分けられており、左右の空間は馬などの動物を留めておくためのスペースだったそう。
中央のホールのような空間が人間のためのスペースで、食事や談話、交易や酒盛りが夜な夜な行われていました。


オルベリアンのキャラバンサライが旅人たちで賑わったのは、実はかなり短い期間でした。
完成からたった20年ほどしか経っていない14世紀半ばに、中央アジアからコーカサス地域にティムール朝が襲来。
アルメニアでは国土の大半が灰になるほどに破壊の限りが尽くされました。
ティムール朝の襲来によってオルベリアン一族もその権力を失い、歴史の表舞台から姿を消すことに。
支配者を失ってしまったオルベリアンのキャラバンサライとセリム峠に関しても、14世紀~17世紀の数百年間続いた激動の時代を背景に旅人が激減し、交易路としての機能を失ってしまったのです。

セリム峠が多くの旅人で賑わう交易路として機能していたのも、今は昔のこと。
それもたった数十年間のかりそめの黄金時代でしかありませんでした。
歴史浪漫が香る「かりそめの交易路」を物言わずに見守る、オルベリアンのキャラバンサライ。
宿としての機能をとうの昔に失っていながらも、ときおり立ち寄る旅行者をじっと待っているかのような、堂々としたたたずまいが感じられました。
隊商宿前で出会ったアルメニア商人

オルベリアンのキャラバンサライには他に旅行者の姿はなく、峠道を通る車もまばら。
そんな場所で出会ったのが、麓の村に住むという一人のおじさんでした。
年季が入りに入りまくったソ連時代の車。
その屋根や脇に所狭しと食材や酒を並べており、どうやらこの場所をときおり訪れる旅行者向けに販売しているようです。


「果たして、こんな人影のない場所で物を売っていて儲かるのだろうか…?」と思いましたが、夏場は意外にも旅行者が立ち寄るのだとか。
キャラバンサライ周辺はもちろん、セリム峠を越える道沿いには商店や飲食店は一つもないので、確かに物を売るには絶好のポジションなのかもしれません。
なんとも絵になるソ連車に積まれているのは、全ておじさんとその妻が麓の村の自宅で作ったものばかり。
各種フルーツから醸造したオギ(アルメニアのフルーツウォッカ)や名産のざくろのワイン、天然の蜂蜜などはおじさんの担当。
ドライフルーツやくるみを挟んだスイーツ、スジュフ(棒状につなげたナッツを果汁に浸して天日干ししたスイーツ)などはおじさんの妻の自家製だそうです。▼


他にも、石の国・アルメニアを代表する特産品である黒曜石を用いた手作りナイフやアクセサリーなどの工芸品も。
羊の骨を柄に加工したナイフなど、なんともインパクトがあります。▼

恰幅の良いおじさんは、「THE・アルメニア地方部の人」といった明るく人懐っこい雰囲気。
「これも食え!このワインも飲んでみろ!こっちの食材何か知ってるか?」と、とにかく色々と試食・試飲させては、それぞれの食材がどうやって作られるのか説明してくれます。
こうして色々と話しながら試食していると、なんとなく購買意欲が掻き立てられるというもの。
アルメニアの人、やっぱり商売上手いな…
キャラバンサライが現役の隊商宿として機能していた700年前もきっと、麓の村の人たちはこの場所に特産品を持ち寄っては、言葉も通じない各国の旅人に売って生計を立てていたのでしょう。
おじさんの笑顔に感じる、アルメニアの商人文化と、交易の路ならではのオープンマインドさ。
この場所に染みついて消えないシルクロード交易時代の香りが、時を超えて漂ってくるかのよう…そんな不思議な感覚になります。
下界へ

オルベリアンのキャラバンサライを出ると、道は蛇行した下り坂になります。
先ほどのおじさんはこの道を下りきったところの村に住んでいるとのことでしたが、正直あの車でよく登って来られたな…と感心してしまうほどの山道。
標高が下がって来ると、それまで木々の一本もなかった山肌にぽつぽつと木が現れ、そしていつの間にか春の陽気に包まれた下界へと到達します。


セリム峠の一面の雪景色と吹き付ける冷たい風が嘘だったかのように、燦燦と輝く太陽の下で緑が芽吹く風景。
山々を間近に望む広大な谷間のような地形に、人の営みが感じられる民家が点在しています。
ここが、ヴァヨツ・ゾール地方で最大の町であるイェゲグナゾール。
アルメニア南部旅の拠点となる町の一つでもあるこの町から、まだ見ぬ地への旅が始まっていきます。
おわりに
旅行者にはほとんど知られていない、セリム峠越え~オルベリアンのキャラバンサライ見学の様子をお伝えしました。
普段であればアクセス方法など詳細に解説するところですが、残念ながらセリム峠を走る公共交通機関は存在しません。
そのため、タクシーチャーターor徒歩で移動するしか方法がないのが現状です。
マイナー国・アルメニアの中でも最もマイナーな地域の一つであるセリム峠ですが、シルクロード交易の残り香がそこら中にぷんぷんと漂う道をゆくのは、これ以上ないほどに浪漫あふれる旅となるはず。
「他人とはちょっと違った旅がしたい!」という人にはおすすめです!(おそらく、キャラバンサライ前のソ連車のおじさんが自宅に泊めてくれるはず)
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