こんにちは!ジョージア滞在も1年半、世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
かれこれ1年ほど前からずっと行きたいと思っていたある場所を、とうとう訪れることができました。
ジョージア南東部、クヴェモ・カルトリ地方にあるドマニシ(Dmanisi / დმანისი)という村です。
かつての民家の土台がびっしりと大地を覆う光景は、まるでペルーのマチュピチュのよう。
シンボルである石造りの教会も良い味を出しています。
ドマニシで最も有名なのは、このマチュピチュのような壮大な風景ですが、実はここ、ものすごい場所なんです。
というのも、アフリカ大陸以外で最古の人類の骨が発見された場所であるため。
なんと、180万年前のものだというのですから…もう気が遠くなります。
太古の昔へと思いを馳せることができるのはもちろんのこと。
ドマニシには約1200年前の教会であるドマニシ・シオニや、約800年前に築かれたドマニシ城塞もそのままに残っているのもポイント。
言うならば、ジョージアという国の悠久の歴史がこの場所にギュッと詰まっているのです。
今回の記事は、歴史好きにも絶景好きにも強くおすすめしたいドマニシの観光情報を徹底解説するもの。
英語でもロシア語でもちゃんとした観光・アクセス情報が出ていないスポットなので、これを日本語で読める人は相当ラッキーです。いや、本当に、アクセス・下調べなどかなり苦労したので…
私たちの先祖(?)と180万年の時を超えて再会する旅…本当におすすめです!
歴史をたどりながらまわる!ドマニシの見どころ
ドマニシの見どころは大きく分けて3つのエリアに分かれていて、それぞれが異なる時代を象徴しているのがポイント。
①ドマニシ考古学博物館:古代
②ドマニシ・シオニ:中世初期
③ドマニシ城塞:中世後期
のぶよ的には、時代の流れに沿って見学する方がより理解が深まる&人類の発展に感動できるので、①→②→③の順でまわるのがおすすめ。
ここではドマニシの3エリアそれぞれの見どころを紹介しながら、この場所の長~い歴史を解説していきます!
①ドマニシ考古学博物館
まず訪れたいのが、観光エリア東側に位置するドマニシ考古学博物館。
「博物館」というよりも、現在進行形で発掘作業が行われているエリアの一部を見学客向けに開放した「屋外ミュージアム」といった感じです。
博物館の敷地自体はかなり小さいですが、ここが180万年前の人骨が発見された場所。
人類史の浪漫に、きっと胸が高まるはず…!
発掘サイト
博物館の敷地内に入場すると最初に目に入るのが、発掘作業が行われた後の巨大な穴。
大小さまざまな穴がいくつも掘られており、穴の内部の壁には考古学者たちが残したマークが見られます。
敷地中央の雨除けの屋根の下にある巨大な穴こそが、180万年前の人骨が発見されたポイント。
現在でも時期によっては発掘作業が続けられているそうですよ!
青銅器時代の墓穴
見学順路に沿って進んでいくと、青銅器時代の墓穴がいくつかみられます。
青銅器時代とは、先史の文明発展の段階における時代の区切り方。
私たちの祖先は、石器→青銅器→鉄器…と道具を改良することで文明を発展させてきました。
地域によっていつ頃を青銅器時代と定義するかは変わってきますが、ドマニシ一帯では紀元前2000年~紀元前1500年(4000年~3500年前)頃に、石器時代から青銅器時代へと移行が進んだとされています。
これらの墓石は当時の死者を埋葬した穴だと考えられており、穴の中には35歳~40歳ほどの女性の骨が展示されていました。
現代に比べると、平均寿命はかなり短かったのかもしれませんね。
クヴェヴリ
ジョージアはワイン発祥の地であることは有名で、約8000年前にはすでにワインの生産が行われていたとされています。
ジョージア独特のワイン製法を象徴するのが、クヴェヴリ(Kvevri)と呼ばれる陶器の壺。
クヴェヴリは、搾ったブドウ果汁を入れて地中に埋めて発酵させるためのもので、ジョージアのワイン文化を象徴するアイテム。
現在でもこの伝統的な製法でワインを製造している場所もあるほどなので、すごいですよね。
博物館の一角には、地中に埋まったままのクヴェヴリがいくつか残されています。
なかなか土に埋まった状態のクヴェヴリを横から眺める機会はない(普通は上からしか見られない)ので、ぜひチェックしておきましょう。
180万年前の人骨 ハイライト!
青銅器時代の墓穴ですら4000年前のものと果てしなく昔なのですが、ドマニシ考古学博物館の実力はそんなものではありません。
考古学や人類学の歴史を根底からくつがえし、「ドマニシ」の名を世界的に有名にした180万年前の人骨が展示されているのです。
【ユーラシア大陸で最古の人類の骨】
こちらが、D4500と呼ばれる180万年前の人骨。
(実際は下あご部分のD2600と上あご&頭蓋骨部分のD4500は別々に発見されています)
「1,800,000年前」と書いたほうが、より歴史の長さが伝わるでしょうか…
とにかく、180万年の時を超えて、当時生きていた人の骨と現在生きている自分との二人の人間がこうして対峙しているわけです。
もう、すごすぎて….言葉が出ません。
【180万年前の人類の風貌】
展示パネルには、発掘作業の様子が詳細に解説されていました ▼
180万年前は氷河期の初期にあたり、人類はまだまだ進化の途中。
現代の人間(ホモ・サピエンス)はまだ存在しておらず、原人(ホモ・エレクトゥス)の状態だったと考えられています。
当時のジョージア地域は、現在よりも温暖湿潤で肥沃な大地に恵まれていたそう。
他地域(おそらくアフリカ?)を出てこの地に定住したこの原人は、ジョージア(グルジア)にちなんで「ホモ・エレクトゥス・ゲオルギクス」と名付けられました。
ホモ・エレクトゥス・ゲオルギクスは、現在の人間よりもかなり霊長類に近い外見だったと考えられており、身長は145cm~166cmほど / 脳の容量は545cc~775ccほどしかなかったそう。
400万年前にアフリカで生まれた「最初の人類」であるアウストラロピテクスが進化したような外見で、脚は現代の人間に近く / 腕は霊長類のような姿だったのではないかと考えられています。
・チンパンジーの脳の容量:400cc
・アウストラロピテクスの脳の容量:450cc
・現代人の脳の容量:1400cc
【当時の人類の生活のミステリー】
ドマニシで発見された人骨を研究した結果判明したのが、当時の原人たちは狩猟中心の生活をしていたこと。
ライオンやチーターのようにただ狩りをして獲物を貪り食うだけではなく、石などを使って獲物の肉を小さく切って食べるほどの知能があったとされています。
(同時代の動物の骨に、石などで肉を削いだ傷が残っているため)
ドマニシでは180万年前のD4500の人骨以外にも、少し後の時代(約177万年前)の原人の骨がいくつか発見されています。
中でも考古学者たちの間で大きな話題になったのが、D3444と呼ばれる「歯のない男の骨」 ▼
D3444と呼ばれる骨の男は、この世を去る前の数年間を歯がない状態で生きていたことが研究の結果明らかになっています。
「歯が無くても別に生きていけるのでは?」と思うでしょう。
しかし、よく考えてみてください。
177万年前に、しかも現代人の知能の半分しかなかった原人に、果たしてそれが可能だったのでしょうか。(入れ歯なんて作れないだろうし…)
当時の原人たちの生き方は完全なる狩猟中心&弱肉強食で、いわば「動物に毛が生えた」ようなもの。
しかも彼らの知能は少し賢いチンパンジー並みだったので、現代のように「調理」という概念はなかったため、「エサ」をエサのままに食していました。
つまり、歯がない=食事ができない=死ということになります。
なのに、D3444の男は歯が無くても数年間生きていた…
ということはつまり、「共同体のような概念があり、彼を世話していた」「柔らかい植物や動物の脳みそなど咀嚼しやすいものを選別して食すほどの知能があった」のではないか…と考えられているそう。
当時の原人たちがどのような社会生活を送っていたのか、大きな議論を生み出すこととなりました。
180万年前の人類に関しては、まだまだ分からないことだらけ。
今後、発掘作業や研究が進んでいくにつれて、新たな事実が明らかになる日が来るかもしれません。
②ドマニシ・シオニ
考古学博物館だけでも恐ろしいほどの歴史的価値があるドマニシですが、本番はここから。
敷地の中央部に位置するドマニシ・シオニ(Dmanisi Sioni / დმანისის სიონი)は、ドマニシ観光のハイライトの一つとなる複合宗教建造物です。
ドマニシ・シオニの建造は9世紀頃とされていますが、それ以前からこの場所には教会があったとする説もあり、定かではありません。
その後はアラブ人やアルメニア王国などの異民族による支配が数百年続き、ドマニシがようやく中世グルジア王国の領土となったのは1123年のこと。
当時はダヴィット4世(ダヴィット建設王)の統治下で、中世グルジア王国の黄金時代。
東西を結ぶ交易路上に位置していたドマニシは、繁栄を極めたそうです。
この項では、中世グルジア王国の栄光を現在に伝えるドマニシ・シオニの見どころを紹介していきます!
サムクヴェトロ
ドマニシ・シオニの最も東側に建つ石造りの塔のような建造物はサムクヴェトロ(Samkvetlo)と呼ばれるもの。
修道僧が礼拝の準備を行うための建物で、現在も使用されています。
サムクヴェトロの内部への立ち入りは不可ですが、中世から現在にかけてこの地に息づく信仰を感じることができます。
聖マリア教会
ドマニシ・シオニの中央部分にあるメインの建造物が聖マリア教会(Dmanisi Church of Virgin Mary)。
9世紀頃の建造だと考えられていますが、現在の建物は2009年に改修されたものです。
教会の壁は四角形と丸形の石を積み重ねたもの。
幾度となく異民族に破壊される度に、少しずつ姿を変えて再建されてきました。
内部の写真撮影は不可ですが、12世紀~13世紀の鮮やかなフレスコ画が残る神秘的な空間でした。
ナルテックス(拝廊) ハイライト!
ドマニシ・シオニの建造物の中で最も見ごたえ抜群なのが、建物南側にあるナルテックス(拝廊)。
こちらは教会自体の建造より後の時代に増築されたもので、1222年頃の完成だと考えられています。
モンゴル帝国が襲来する20年ほど前にあたり、中世グルジア王国の黄金時代末期を象徴するような贅沢で緻密なデザインが特徴的。
ナルテックスは緑がかった石のみで造られており、ジョージアに数ある宗教建築物の中でも独特の存在感を放ちます。
外壁全体に施された彫刻はとても素晴らしく、当時の中世グルジア王国がどれほどに莫大な富を築き上げていたのか想像できるはず。
ナルテックスの内部の造りも独特で、ドーム型天井がアーチ状のデザインの柱で支えられています。
アーチ上部や柱にも細かい装飾が施されている点にも注目 ▼
ナルテックスは、聖堂内に入れない人たち(=洗礼を受けていないetc)が礼拝の時間に外からお祈りできるように作られた空間。
外界と隔てられた教会内の空間がいかに神聖な場所であったか、肌で感じることができます。
墓地
ドマニシ・シオニの北側、考古学博物館との間には、いくつかの古い墓石が点在しています。
いずれの墓石も、ジョージアでよく見かけるものとはスタイルが異なっていることに気が付くでしょう。
これらのお墓はジョージア人だけのものではなく、このエリア一帯に居住するアルメニア人のものでもあるそう。
ドマニシがあるクヴェモ・カルトリ地方では、動物の形をしたお墓は戦士を祀るもの。
長いこと異民族との戦いの歴史が続いたエリアを象徴するような風景です。
③ドマニシ城塞
最後に紹介する見どころがドマニシ城塞。
中世のドマニシの町をぐるりと取り囲んでいた防衛拠点で、12世紀頃(=900年前)までには完成していたと言われています。
城塞からは、遥か下方を流れるマシャヴェラ川へと続く200mほどの地下水路が延びています。
万が一敵に包囲された時でも、住民が生き延びられるように造られた要塞都市だったようです。
民家跡
ドマニシ城塞と一体化するように、かつての民家の跡が残っています。
ほとんどは土台しか残っていませんが、数軒は石造りの壁が良好な状態で保存されており、内部に入ることも可能。
200mほど先の谷底を流れる川から各民家に水が引かれていたドマニシでは、水資源に苦労することは少なかったよう。
一部の民家内には炊事場のようなエリアも残っています ▼
城壁
ドマニシの周囲三方を取り囲む城壁は、異民族の侵入に備えて建設されたもの。
城壁には自由に登ることができ、かつての町の跡が目の前に広がる瞬間は鳥肌ものです。
▲ 城壁の東側には3ヶ所の見張り塔の跡が残り、敵の侵入に備えていたことがわかります。
三方を城壁に、残り一方を川に囲まれたドマニシは「鉄壁の要塞都市」そのものな造り。
しかし、1403年に中央アジアからティムールが攻めて来た際にはあっけなく陥落してしまい、以後は荒廃して人々に忘れ去られた存在となってしまいました。
城塞最上部 ハイライト!
栄枯衰退を現在に伝える城壁を一番上まで登りきると、中世ドマニシの町を一望する絶景ポイントに到達します。
地面に模様を描いたようなかつての民家の土台と、凛とたたずむドマニシ・シオニ。その先に広がる緑いっぱいの大地の風景は、まさにマチュピチュそのもの。(行ったことないけど)
西側には雄大な大地とマシャヴェラ川が形成する谷間を一望することができます。
気の遠くなるほどの大昔にこの地に住んだ「ユーラシア大陸最初の人類」の喉を潤し、中世にはドマニシの人々の生活を支え、現在でも農業用水や飲料水として人々の生活を支え続けるマシャヴェラ川の流れ。
180万年前の人類が眺めたものと同じ風景を、同じ場所から眺めている…
そんな感動に心が震えるのを感じました。
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