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【山男日記②】中世の村を目指して。(チュヴァビアニ~アディシ)

前回の「山男日記」はこちら!

雄鶏のけたたましい鳴き声で目を覚ます。

「コケコッコー」でも「クックアドゥードゥルドゥー」でもなく、「くゎっくるぁぁあああ」と聞こえる。
人間の言葉が国や地域によって大きくことなるように、鶏にも場所によって異なる鳴き方があるのだろうか…

そんなどうでも良いことを考えながら、しばしふかふかのベッドの中でぬくぬくと過ごした後、意を決して起き上がる。

ここはチュヴァビアニ村。

メスティア~ウシュグリ間のトレッキングの初日の滞在先としてポピュラーな、人口数十人ほどの集落だ。

宿の目の前の路地

親切に、温かくもてなしてくれた宿のオーナー家族にお礼を言い(なんとお昼ごはん用の食料まで持たせてくれた)、のそのそと荷造りをし始める。

今日歩く区間は、高低差800m以上の峠を越えなければならず、なかなかにハードなもの。
早く出発するに越したことがないのは分かっていながらも、宿の絶妙な居心地の良さが、荷造りする手の動きを遅める。

本日のコース

正直、もう一泊しても良いかと思ったのだが、さすがに山歩きのしょっぱなから居座り癖を発揮するのもどうかと思い、後ろ髪を引かれまくりながらも宿を後にした。

チュヴァビアニ村を見守る古い教会

朝のチュヴァビアニ村は、「静謐」という文語的な言葉が最もしっくりくるような雰囲気だった。

時折響き渡るジョージア鶏の「くゎっくるぁぁあああ」以外には、何ひとつ聞こえない。
村の民家に併設された石塔も、当たり前ながら微動だにせず、他にハイキング客の姿はいっさい見えない。

チュヴァビアニ村からは、いきなり急な斜面が延々と続く。

本日最も標高が高いポイントである峠までは、4.5kmほどの距離で高低差は850mほど。かなりのものだ。

登っては立ち止まり…を繰り返しながら、ゆっくりと急坂に挑む。
チュヴァビアニ村がだんだんと小さくなっていき、しまいには見えなくなってしまった。

手前がチュヴァビアニ村
この先は谷間の風景は見られなくなる。

スヴァネティ・バレーの風景が見えなくなっても、急坂はまだまだ続いていく。
「肩で息をする」を絵に描いたようなようすで、ヒイヒイ言いながらも登っていく。

ここまでくると、体力の有無や荷物の重さうんぬんではない。自分の気力との戦いである。

しんどかった…

想像していたよりも二倍の時間がかかったものの、ようやく急坂が終わり、見晴らしの良い場所に出た。

そこで待ち受けていたのは、秋色に染まりつつある山の風景だった。

まだ「秋三分」といったところだろうか。
黄色やオレンジに変化している木々と、緑を保っている木々とのコントラストがとても美しい。

この辺りまで来ると、もう峠までは目と鼻の先。
両側を深い谷間に挟まれた場所に立っていることを実感し、ここまで登ってきた自分を褒めてあげたくなる。

断崖絶壁に建つ家。人は住んでいるのだろうか。

天気予報に反してグズグズとはっきりしない空模様が朝から続いていたが、とうとう額に冷たい雫を感じる。

雨が降ってきた。

幸い、峠の近くには無人のログハウスのような建物があり、そこでいったん雨宿りをすることにした。

雨宿りしたログハウス

窓から中を覗いてみると、ちょっとしたカフェのような雰囲気。
しかし人はおらず、放置されてしばらく時間が経っているように見える。

この峠付近は、実は冬場はスキー場として利用されているそうで、もしかしたら冬季のみ営業しているお店なのかもしれない。

幸いなことに雨足はそれほど強まることなく、柔らかな太陽の光が差しはじめた。

自分が今、天気が不安定な山の中にいることを実感しながら、峠を越えることにした。

峠を越えた先の道

峠を越えてしまえば、あとはもう目的地のアディシ村までずっと下り坂が続いていく。

つい一時間前まで、この山歩きに出発したことを後悔するほどに苦戦していた上り坂が何かの幻に思えるほどに、順調なペースで歩く。

前向きな気持ちに呼応するように、太陽の光はしだいに強まっていき、とうとう秋色に染まりゆく峠道を照らしてくれた。
まるで、この風景を見せるのを待っていてくれたかのように。

暖かな光を受けた山の自然は、格別だ。
草木が喜んでいることが伝わってくるし、苦労して登った甲斐があったと心から思わせてくれる。

影になっている遠くの山の陰影も嫌いじゃない。
自分が立っているところが宙に浮かんでいるかのような、不思議な感覚になるからだ。

しかしながら、自然というものはそう単純なものではない。

キラキラと輝く自然の美しさを堪能しようと歩くペースを落としたのがいけなかったのか、みるみるうちに頭上に灰色の雲が集まってきて、ついには雨が降り出した。それも小雨どころではなく、土砂降りの。

バックパックの奥底からカッパを引っ張り出して身にまとい、必死になって歩く。
目的地のアディシ村までは残り2kmほどの下り坂。30分もかからないだろう。

靴はどろどろびしょびしょ。体温がみるみる下がっていくのを感じながら、周囲に目もくれず必死に歩いた。

結局雨は10分ほどで止み、カッパがいらないほどのポツポツ降りになった。
びっちょりと濡れた靴の気持ち悪さに耐えながらどろどろの道を下っていくと、とうとう目の前がひらけた。

アディシ村

これが今日の目的地、アディシ村だ。

不思議なことに、アディシ村の手前では雨が降った形跡はない。
たったの2km手前では土砂降りだったのに…山の神様の気難しさを感じる。

アディシ村は深い谷間に挟まれた地形にあるため、トレッキングコースの最後の最後になるまで見えない。
急坂を越え、峠を越え、10kmの距離を歩いてきた人間を、凛とした雰囲気で突如、出迎えてくれるのだ。

だんだんと村が近くに見えてくる

アディシ村にはある呼び名がある。「スヴァネティ地方で最も隔絶された村」というものだ。

地図を見れば一目瞭然なのだが、スヴァネティ地方の村の多くは幹線道路沿いや谷間に肩を寄せ合うように点在している。
いっぽうのアディシ村の周辺には、まったくもって何もない。

この人里離れた山奥の地で、人々は厳しい自然や不便さを受け入れながら生きてきたのだ。

アディシ村の宿

アディシ村の宿は、もう出発前から決めてあった。
二年前に訪問した際に宿泊した、家族経営のゲストハウスだ。

“Old House”という宿名のとおり、伝統の石造りの民家を一部改装した建物で、立派な「復讐の塔」が備わる。
木製のバルコニーもレトロさを演出していて、細やかな装飾も素敵だ。

バルコニーからの風景
二年前と何一つ変わっていないレトロ感

「レトロ感」と言えば聞こえが良いが、実際のところ「あばら家」と表現する方が正しいのかもしれない。

ガスは通っておらず、部屋も質素。木製バルコニーの床板はギィギィときしみ、夜はかなり冷え込む。
正直、いくらアディシが小さな村だからといえ、もっと設備が整ったゲストハウスは他にもあるかもしれない。

調理・暖房は炭火ストーブ

しかしながら、この「隔絶された村での生活感」がまた良いのだ。

変にお洒落にしたりせず、ありのままのアディシ村の暮らしにお邪魔しているような、温かい気持ちになれる。そんな素敵な宿だと思っている。

この限界感が好き。

驚いたのが、宿のおばさんがこちらを覚えていてくれたことだ。
二年前のちょうど今頃、飛び込みでやってきて一泊しただけの旅行者なのに、だ。

アジアからの旅行者が極端に少ないということも理由なのかもしれない。
何はともあれ、嬉しかった。(宿代も二年前と同じ金額に負けてくれた)

荷物を置き、水圧の弱いシャワーと格闘し、コーヒーを一杯飲んでから、アディシ村の散策に繰り出す。

崩れた復讐の塔が多くある。
曇り空もまた情緒があって良い。

アディシ村の人口は数十人ほど。
端から端まで歩いても十分もかからないほどに小さな村だ。

かつてはもっと多くの人が暮らしていたそうだが、ここは「スヴァネティで最も隔絶された村」。
その不便さや仕事の無さに耐えかね、人口は最盛期の四分の一以下となっており、現在も減少の一途をたどっている。

放置されてぼろぼろになった家や、半分崩れ落ちてしまった復讐の塔が並ぶ村を歩いていると、伝統的な生活を守ることがどれほどに難しいのか考えさせられる。

どんよりとした曇り空のせいか、重厚な石造りの民家が連なる風景のせいか、しんと静まり返った空気のせいか、アディシ村には中世ジョージアの山村の雰囲気が色濃く残っているように思える。

というか、「数百年前そのままの村」と言っても過言ではないかもしれない。

中世の雰囲気そのまま
石壁も多く残る

昔観た、かつてのジョージアの山村を舞台にした映画をふと思い出す。

どこか不気味で、ゴシックな雰囲気で、閉塞感がひしひしと伝わってきたあの映画。
伝統や風習に雁字搦がんじがらめとなった若者の苦悩を描いたものだったと思うが、アディシ村の雰囲気はまさに、そうした古い因習やしきたりが残る山村を思い起こさせる。

ヨーロッパには「中世の村」をウリにした観光地が山ほどあるが、本物の「中世の村」はここ、アディシだ。

こんなにピュアな魅力を残した場所が、徒歩でしかアクセスできないことを理由に観光地化が進んでいないのは、もはや奇跡のようなことなのかもしれない。

アディシ村の散策を終えて宿に戻ると、夕食の準備が整っていた。

…どう考えても一人分ではない食事。
いや、これがジョージア地方部ゲストハウスの一人分なのだ。

他に宿泊客はいないにもかかわらず、宿のおばさんは唯一の宿泊客の到着後すぐに調理にとりかかってくれていた。

作り置きではない温かい料理が多いということは、それだけ手間暇かかっているということに他ならない。
そもそも恐ろしいほどに物資が限られたこの村で、こうして様々な材料を用いた料理を作るのがどれほど大変なことか。

ちょっとしたことから感じられるおもてなしに胸が熱くなるのを感じる。
それと同時に、胃がどんどん苦しくなっていくのも感じる。

(当然ながら)完食することはできなかったが、おもてなしの気持ちはちゃんとこの体内に取り入れた。

苦労した峠越え、突然の土砂降り、中世へのタイムトリップ、二年前と変わらぬ宿…
今日も(ドカ盛り料理と同じくらいに)盛りだくさんの一日だった。

だんだんと自分の心が、居座りモードから旅モードに変化しているのを感じながら、眠りにつくことにする。

この区間のトレッキング情報詳細はこちら!
「山男日記」バックナンバー

山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
山男日記⑦「ジョージアで一番閉鎖的な村の、オアシス。」(ツァナ~メレ)
山男日記⑧「良い旅のつくり方。」(メレ~パナガ)
山男日記⑨「世界一美味しい、クブダリ。」(パナガ~レンテヒ)
山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」

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