ずっと考えていた。そしてずっと決められずにいた。
山の国・ジョージアに滞在して、合計でもう2年半ほどになるだろうか。
小さな国土の北側。人々の行く手を塞ぐようにびっしりと聳えるコーカサスの山々は、昔も今も多くの人間を魅了してやまない。
ジョージアの人々は、古からこの急峻な山々に対峙し、厳しい自然環境を受け入れ、気分屋の山の神とどうにかこうにか折り合いをつけながら、したたかに生きてきたのだ。
日本に「母なる海」という表現があるように、ジョージアではコーカサスこそが「母なる山」。
その大山脈の西側に、スヴァネティという地域がある。
東西1200kmにも及ぶコーカサス山脈。その中でも最も標高が高い山々がずらりと並ぶ山岳地域がスヴァネティ。
その地理的な要因から、長らくジョージアという国はおろか、オスマン帝国やロシア帝国など、かつてこの国の大部分を支配した大国でさえ完全に統治することができなかった「陸の孤島」だ。
そのため、スヴァネティ地方にはジョージア他地域とは一線を画した独自の歴史や伝統、言語が現在に至るまで色濃く根付いている。
ジョージアという国をイメージするときに真っ先に思い浮かぶ、コーカサスの山々に抱かれた村々の風景。
そうイメージするのが手っ取り早いかもしれない。
さて。何に関してずっと考えていたかというと、スヴァネティ地方の山々を再び自分の足で歩くかどうかということだ。
二年前。コロナ禍真っ只中で観光客などほぼゼロの状況の中で、スヴァネティ地方を歩いた。
そこにあったのは、人間の侵入を阻むような険しい山々と、数百年前から時が止まったかのような村々と、素朴で温かなもてなしをしてくれる人々の昔ながらの生活だった。
今でも、あの山の澄んだ空気を、牛糞だらけの村の小径の先にたたずむ石塔を、下界よりも早い季節の訪れの美しさを、鮮明に覚えている。
せっかくジョージアにまだ滞在しているんだし、ぜひともまたスヴァネティの美しい風景に身を置きたい。とはいえ、時間は有限だ。
まだまだ訪れたい場所はジョージア国内にたくさん残っているし、まさかジョージア一国だけで旅を終えるわけにもいかない。
一度訪れて感動した場所を再訪したい気持ちは、それこそコーカサスの山の如く大きいけれど、まだ見ぬ風景にもやはり心惹かれる。
そんな気持ちで、ずっと決断できずにいた。
幾度となく地図を眺め、天気予報を隈なくチェックし…そんなことをしているうちに、ある考えが浮かんだ。
二年前にスヴァネティ地方で歩いたのは、メスティア〜ウシュグリの四日間のトレッキングコース。
少なくとも欧米からの旅行者にとってはものすごくポピュラーなもので、スヴァネティ地方を訪れる旅行者の半分、いや、七割ほどはこのトレッキングを最大の目的にしていると言っても過言ではない。
ほとんどの旅行者は、スヴァネティ地方最奥部に位置するウシュグリ村をゴールとして、山歩きを終える。
しかしながら、実はウシュグリ村のさらに先にも道は続いているのだ。
スヴァネティ地方(正確にはゼモ・スヴァネティ地方)最奥部のウシュグリ村から、標高3000m近い峠を越え、クヴェモ・スヴァネティ地方という別のエリアを経由し、ラチャ・レチュフミ地方という標高500mほどの別の山岳地帯に至る、長く長い道。
その標高差2500mほど。
冬の訪れが間近に迫った天空の村から、秋の訪れを歓んでいる最中の下界へと、自分の五感で変化を感じながら歩くことができるに違いない。
その選択肢が浮かんだとき、もう躊躇いなどなかった。
というか、こんなに壮大で、まだ見ぬ美しい風景が見られることが約束されていて、それに加えて旅行者がほとんど訪れない未知のエリアをゆっくりと堪能できる最高の山歩きを拒むほど、ジョージアという国に対する好奇心は色褪せてはいなかった。
だからやっぱり、歩くことにした。
二年前は、メスティアの宿に大きな荷物を置かせてもらい、最低限の荷物だけで山歩きができた。
しかし今回は、もう出発地のメスティアに戻ることはない。
20kg近くあるバックパックを背負いながらの山歩き…どう考えてもハードに違いない。
それでも。
こんなこと、きっともう今しかできない。キャピキャピワイワイしていた若き日々はもう終わったのだろうけれど、あえて厳しい道のりを選ぶくらいの気概ならまだ残っている。
なによりも、ハードな道のりの先に待ち受ける景色をこの目で見て、感じたい。
いつの間にか、迷いなどもう完全に消えていた。
せっかくなので、この天空から下界への旅の日々を「山男日記」と名づけ、(できるだけ)リアルタイムで記録していくことにした。
道中の美しい風景はもちろん、自分の足で歩いた人間だけが感じられる「旅することの喜び」を書き残しておきたかった。
四十年だか五十年だかあと、爺さんになって記憶も曖昧になったときにふと見返して、山の色彩や空気や出会った人々のことを鮮明に思い出し、「あのとき歩いて本当に良かった」と、きっと思えているはずだから。
・山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
・山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
・山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
・山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
・山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
・山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
・山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
・山男日記⑦「ジョージアで一番閉鎖的な村の、オアシス。」(ツァナ~メレ)
・山男日記⑧「良い旅のつくり方。」(メレ~パナガ)
・山男日記⑨「世界一美味しい、クブダリ。」(パナガ~レンテヒ)
・山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
・山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」
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